日本・中国・アジアにおけるキリスト教と集団ストーカーの発展史


1513年 ポルトガル人がマカオに来航(明)
1514年 ポルトガル人が香港に来航(明)
1549年 ザビエル来日(人類史上最大の災厄キリスト教伝来) ザビエルの遺骸には早く腐敗させるために石炭が蒔かれたが、死後数ヶ月経っても全く腐敗しなかったという
遺骸は上川島で一度埋葬された後、マラッカを経てゴアに移され
現在はボン・ジェズ教会に安置されているが、体の一部は、ローマ・ジェズ教会に移された…
(なんちゅう大ウソw こんなヨタ信じるのはバカしかいない。すべてのカルトがこういうやり方を踏襲している
キリスト教徒がバカばっかなのはこんなヨタ信じるやつらばっかだからなw)
1549年〜1551年 セミナリョ(神学校): 九州と近畿各地に建設
コレジオ(宣教師養成学校): 九州と近畿各地に建設
山口県に大道寺建立(日本最古のキリシタン寺院)
教会堂: 西日本各地(主に九州・近畿)に建設
宣教師駐在要地: 岡山・三重に確保
アフリカ・南北アメリカ・東南アジア・太平洋の島々の原住民に見せた残酷な素顔を日本では隠しつつ
善意を装った白人の侵略計画が着々と進みつつあった…
1582年 天正少年使節団 伊東マンショ、千々石ミゲル
同年 マテオ・リッチによってカトリックがもたらされる(明)
1584年 スペイン・ポルトガル商船が平戸に来航
1587年 豊臣秀吉/博多で禁教令(バテレン追放令)
1592年〜96年 文禄の役 秀吉は白人と付き合ううちに白人の強欲な素顔を知り、前線基地にならないように朝鮮に出兵
したと言われているが、
実際には、 それを口実に漁夫の利を得ようとする白人に操られ、同士である朝鮮と中国と
無意味な戦闘を演じさせられていた可能性がある
近代、ロシアが中国と日本を戦わせて漁夫の利を得ようとしたように
このときも秀吉は、東アジアを弱体化させるという白人の意図を知らぬまま
また、あるいは、白人の意志を宿した部下のキリシタン大名に秀吉がそそのかされたか、
いずれにしても、その後に白人の真意に気づき、バテレン追放だけではなまぬるい、と
秀吉は禁教令を発したに違いない
バテレンを追放しても国内にキリシタン大名がいれば同じことなのだ
大陸との戦争時、小西をはじめ、一番隊から四番隊までキリシタン大名が名を連ねている
一番隊
小西行長宗義智松浦鎮信有馬晴信大村喜前五島純玄宇久純玄
二番隊
加藤清正鍋島直茂相良頼房
三番隊
黒田長政大友吉統 
四番隊
毛利吉成(森吉成)、島津義弘高橋元種秋月種長伊東祐兵島津忠豊
1596年 サン・フェリペ号事件
同年 豊臣秀吉/禁教令
1597年〜98年 慶長の役 秀吉が亡くなり、白人は東アジアの弱体化どころではなくなった
徳川やさまざまな派閥が天下を取ろうと動き出し、日本国内が一気にキナくさくなったのだ
大陸との戦争は中止された
1597年 長崎で日本26聖人殉教
1607年 豊臣秀吉/奴隷購買者破門令
1612年 徳川家康/天領に禁教令
1613年 伊達政宗/慶長遣欧使節 伊達政宗は仙台藩とスペインとの通商を企図し、慶長18年(1613年)、仙台領内において、
スペイン国王フェリペ3世の使節セバスチアン・ビスカイノの協力によって
ガレオン船サン・ファン・バウティスタ号を建造した。
政宗は家康の承認を得ると、ルイス・ソテロを外交使節に任命し、家臣支倉常長一行180余人を
メキシコ、スペイン、およびローマへ派遣した(慶長遣欧使節)。
同年 ジュリアおたあ/駿府に島流し

朝鮮から連行され、キリシタン大名の小西行長夫妻のもとで育てられる(スパイ用の略歴か)。
行長夫人の教育のもと、とりわけ小西家の元来の家業と関わりの深い薬草の知識に
造詣を深めたと言われる(薬草に詳しい、やはりキリシタン女スパイだ)。
当時より既に絶世の美女として世にはなはだ名高く、
主君行長が関が原の戦いに敗れて、石田三成とともに斬首された後、おたあの美貌と才気を
見初めた徳川家康よって大奥に召し上げられ、家康付きの侍女として仕え、
家康の寵愛を受けた(家康、ヤバイ!)。
昼に一日の仕事を終えてから夜に祈祷し、聖書を読み、他の侍女や家臣たちをキリスト教信仰に
導いたとされる(そりゃいかん)。
しかし、キリシタン棄教の要求を拒否した上、家康の正式な側室への抜擢に難色を示したため、
慶長17年に禁教令により追放され、まず伊豆大島、ついで八丈島、最後に神津島に流刑された。
この後もいろいろキリスト教お得意の殉教者ばなし、作られた美談が並べられているが
アホらしくて聞くに堪えん。

1623年 イギリスが平戸商館を閉鎖し退去
1636年 徳川家光/ポルトガル人の子孫、混血児を海外追放
1637年〜1638年 島原の乱 日本人キリシタンを使った白人の謀略
目撃談の乏しい天草四郎は存在しなかったとも、赤毛の毛唐であったとも伝えられている
1639年 ポルトガル船の来航を禁止
1699年 イギリス東インド会社が来航(清)
江戸時代 狐憑き(集団ストーカー被害者は精神病扱いを
受けるが江戸時代ではそれが狐憑きではなかったか?)
事例: 享保9年(1724年)

御代田村の与衛門は中間に抱えられていた。11月4日、所用の為江戸に上る途中、ある宿でたまたま
仙台者2人と同宿した。翌日は喜連川(栃木県矢板の近く)に泊まったがまたしても同じ仙台者2人と同宿だった。
その夜、4ツ時分(10時頃)与衛門は脇差しを懐中に勝手に行き、ちょうど居合わせた旅籠の主人の
伯父・祐監という坊主に湯をくれと言った。
祐監は印籠から薬を取り出しながら与衛門に湯を差し出した。すると突然、与衛門は脇差しを抜き祐監に
斬りかかった。驚いた祐監が騒ぎ立てたところ、与衛門は自害しようと深々と自分の首に刀を食い込ませながら
表に飛び出し「われは守山飛脚の者だ。仙台者につけこまれ、そのうえ御用状箱を引き散らされては
身が立たない。誰か殺してくれ!」と、わめいた。
抱きかかえ、町奉行に連絡し、医者を呼んだが与衛門は深手の為息絶えた。
守山及び江戸から役人が出張り調査した結果、「乱心にて自滅致し候うに相極まり、その通り取り計らい」となった
1784年 キリスト教伝来(李氏朝鮮)
1791年 辛亥邪獄(李氏朝鮮) 朝鮮で最初のカトリック弾圧事件
1795年 中国人神父の密入国事件(李氏朝鮮)
1801年 辛酉邪獄(李氏朝鮮) 王朝を守るためとの理由でカトリックの弾圧を強化
1816年 イギリス海軍アルセスト号、ライラ号の来航(琉球王国)
1837年 モリソン号事件 アメリカが漂流民7名を伴い通商を要求
アメリカの得意な茶番ですねw
1838年 天理教誕生 神道を模した隠れキリシタンの巣窟カルト、オランダの手先か?
1839年 蛮社の獄 渡辺崋山、高野長英ら鎖国を批判、処罰される
1840年〜42年 アヘン戦争(清)
1842年 南京条約(清) 1: 香港島割譲
2: 賠償金として銀2100万両を四年分割で支払
3: 広州、福州、アモイ、寧波、上海の5港を開港する
4: 公行の廃止
1843年 中英五口通商章程、虎門寨追加条約(清)
1845年 イギリスの軍艦が済州島付近の海域に侵入(李氏朝鮮)
1846年 フランス海軍によるカトリック弾圧に対する抗議(李氏朝鮮)
同年 イギリス人宣教師ベッテルハイムの来琉(琉球王国)
1851年〜64年 太平天国の乱(清) 白人が裏で糸を引く中国人キリスト教とによる謀略
1853年 ペリー来航
1856年 アロー号事件(清) 清の官憲がイギリス船アロー号の水夫を逮捕
キリスト教徒の中国人がイギリスと結んでアローアロー戦争の口実を作る
1857年 アロー戦争(清)
1858年 天津条約(清) イギリスは公使の北京駐在、キリスト教布教の承認・内地河川の商船の航行の承認
英仏に対する賠償金、アヘンの輸入公認などを清に認めさせる
1860年 北京条約(清) 天津等.、ら11港の開港、イギリスに対し九竜半島の割譲、中国人の海外への渡航許可を清に認めさせる
幕末 尊皇攘夷論 実際に尊皇攘夷を信じていた人もいただろうが、尊皇攘夷を装って白人の利益に貢献しようと
画策していたキリシタン武士も大勢いただろうと推測される
1862年 生麦事件 薩摩藩のキリシタン武士が英国と結び、捨て駒の白人を斬り殺し、薩英戦争の口実を作る
1863年 薩英戦争 薩摩(鹿児島)のキリシタンが英国と結び、茶番を演じ、幕府に多額の賠償金を払わせる
1863年〜1864年 下関戦争 長州(山口)のキリシタンが白人と結び、茶番を演じ、幕府に多額の賠償金を払わせる…
以上の3つの事件を見て分かるとおり、例え敵地であってもそこにキリスト教徒がいればそこは
白人の領土なのだ
1866年 薩長盟約 裏には白人がいる
第二の島原の乱の準備万端
同年 ジェネラルシャーマン号事件(李氏朝鮮) アメリカ商船ジェネラル・シャーマン号が通商を求めたが、地元の軍と衝突し、商船は沈没させられてしまう
1866年〜1872年 丙寅教獄(李氏朝鮮) フランス人神父殺害の報復としてフランス軍極東艦隊司令官のローズ提督は戦力のほぼ全てを投入して
(軍艦7隻、兵約1300名)して江華島の一部を占領し、再度の侵攻で江華城を占領する
しかし首都漢城へ進軍中に発生した2つの戦闘で立て続けに敗北したフランス軍は
漢城への到達を諦め1ヶ月ほどで江華島からの撤退を余儀なくされる
1868年 明治維新 ある意味第二の島原の乱
1871年 辛未洋擾(李氏朝鮮) アメリカはジェネラルサマン号事件を機に朝鮮へ通商と損害賠償を求め、軍船5隻を率いて交渉に赴いた
この交渉が朝鮮側の奇襲攻撃によって拒絶されるとアメリカ軍は江華島を占領し、通商を迫った
しかし大院君の強硬な開国拒絶により、アメリカ軍は1ヶ月で交渉を諦め撤退する
1875年 マーガリー事件(清) イギリス雲南探検隊の通訳マーガリー(当時上海領事)が中国人に殺害された事件
たぶんマーガリー氏は仲間のイギリス人に殺害されたのだろう。そして中国人に罪を着せた。
あるいは犯人の中国人は白人に飼われていた可能性もある。まあこれが白人のいつもの手なのです
1876年 芝罘条約(清) マーガリー事件を機に、イギリスは事件の審理・賠償から天津条約の改訂に発展させることに成功
同年 幻の狙撃者出現(清) 中国は南京の通りでパニックが起こった。目に見えない悪魔が徘徊し、弁髪を次から次へと
切り取ってしまったのだ。
人々は安全のため、両手で髪を握って歩くようになった。この恐慌はやがて上海にまで広がり、
それから他の町に飛び火し、そして別のパニックが持ち上がった。
『圧殺狂』つまり、眠っている間に体を押し潰されるという恐怖がそれである。この『髪切り魔』の跳梁は
3年近く続いた。それ以後も何度か同じ事件が起きておりこの現象には長い歴史があるわけだ…
しかしこの一連の不思議な事件は実際には清国国民の芝罘条約に対する不満をそらす目的で作られたものだ
1900年 夏目漱石/文部省の命でイギリス留学
1901年 夏目、精神を病む 実際には、漱石はイギリスで集団ストーカーされており精神病扱いをされた
1911年 辛亥革命(中華民国) キリスト教徒である孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で反乱を起こす
1927年 芥川龍之介自殺 自覚していないようだが、芥川も日記に集団ストーカー被害を記している
1936年 2・26事件勃発 陸軍の皇道派は壊滅し日本を第二次世界大戦(白人列強の罠)へと導いた売国キリスト教徒東條英機ら
統制派の政治的発言力がますます強くなりました
ある意味、第三の島原の乱ということができます
同年4月17日〜5月31日 向島少女連続殺人 2・26事件に連動している創作事件
5月18日 阿部定事件 2・26事件と連動している創作事件
1938年 国家総動員法施行
同年5月21日 津山30人殺し 事実はこうだと思います、政府の工作員数十人が村に来て30人を惨殺、目撃者を脅しで口封じ
精神病患者の都井睦男を殺し、犯人に仕立て上げ、遺書を創作
もとより文書の登場する事件は完全に政府主導の創作劇と決まっていますが、この事件の企画と目的は
国家総動員法施行と深く関連しています
1941年 日本軍真珠湾攻撃 裏ではアメリカ政府に操られた日本人キリスト教徒が暗躍
日本が負けるように工面する
1945年 広島、長崎に原爆投下
1950年 黒澤明監督「羅生門」発表 橋本忍が脚本家デビュー
日本の知性が多くの白人芸術家にインスピレーションを与えた
1953年 小津安二郎監督「東京物語」発表 小津は人間には目が2つしかないということを忘れさせるほど観察力に長けている
交通機関の発達は遠くの者どうしを近づけることが出来た、しかし近くにいる者を遠ざけてはいないか?
自分の好きな時に好きなとこへ行ける、しかしそれは一方で自分の周囲が
知らない人であふれるということではないのか?母親を殺したのは文明だ…
1954年 東宝「怪獣王ゴジラ」発表 ゴジラは当時の日本人の心の奥底に隠されたアメリカに対する怒りであった
ゆえにゴジラは死ななくてはならなかったのだ
1960年 黒澤明監督「悪い奴らほどよく眠る」発表
1966年 文化大革命(中華人民共和国) 例え敵地であれ、そこにキリスト教徒がいればそこは白人の領土である。
というわけで、中国国内の中国人キリスト教徒を抹殺するために始まったと推測。
中国の国土を守るためには武力ではなく、強制的な宗教や思想で国民から意志を奪い
代わりに毛沢東が自分の意志を宿さなくてはならない。この場合、社会主義思想。
白人の意志を宿したキリスト教徒は中国にとって清時代から目の上のたんこぶだった。
1968年 手塚治虫「グランドール」発表
同年 つげ義春「ねじ式」「ゲンセンカン主人」発表
1970年 三島由紀夫自決
1983年 宮崎駿監督「風の谷のナウシカ」発表
同年 「笑っていいとも」発、「ネクラ」が流行語 日本中の集団ストーカー被害者に向けたほのめかし
九州・山口出身の芸能人はみな隠れキリシタンの家系でカルトに属する
1986年 岡田有希子自殺
1989年 宮崎勤幼女連続殺害事件 リクルート事件と連動している、幼女を殺すのは公安、子供殺しは公務員の業務
1992年 尾崎豊変死 尾崎を聴くことは創価等のカルトやキリスト教徒の間では禁止されている
同年 伊丹十三監督「ミンボーの女」発表
1998年 hide自殺
ねこぢる自殺
hideを聴いたりねこぢるの著作を読むことはカルトやキリスト教徒の間では禁止されている
1999年10月5日 自自公連立により、小渕2次改造内閣が発足 9月8日:池袋通り魔殺人事件
9月29日:下関通り魔殺人事件
9月30日:東海村JCO臨界事故発生
9月:神奈川県警の不祥事が相次いで発覚、全国の警察に波及
1999年頃 「ひきこもり」現象認知 幼少時に目立つ生徒が創価信者・キリスト教徒の共謀により罪を着せられ、その罪を
責められ続けることで対人恐怖体質に変貌
文字通り、「小さい内に芽を摘め」が見えないところで実行されています。
2001年8月 小泉首相が靖国参拝
中国・韓国など激しく反発
白人の意志を宿した日本、中国、韓国のキリスト教徒たちが演じた芝居
白人の意志とは、東アジア団結の阻害
2008年 アキバ通り魔殺人 人権擁護法案と共謀罪を成立させたい白人の悪意による創作劇
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