集団ストーカーシステム発展史年代表

ヴァイキング=カトリック教会=英国諜報機関






800年代〜900年代
(ヴァイキングがフランク王国など、欧州で収奪開始、彼らは掠奪先で落ち着き、当地で王族、諸侯、貴族、聖職者として成功する)


8世紀後半 ヴァイキング欧州襲撃: ノルマン人/デーン人/スゥエード人 ・ノルマン人(現ノルウェー出身)
・スゥエード人(現スゥエーデン出身)
・デーン人(現デンマーク出身)
839年〜1066年 ノルマン人西方ルート/南方ルート: 現代イギリス・フランス・アイルランド・バチカン市国の礎 ・(839年〜900年代初頭)オークニー諸島・ヘブリディーズ諸島・スコットランド北岸アイルランド東岸に
オークニー伯爵領
・(892年)ノルマン人がイングランドを襲撃
・(911年)ノルマン人によるノルマンディー分与
・(1061年)シチリアを掌握。シチリアと南イタリアから成るシチリア王国を成立
・(1066年)ノルマンディー出身のノルマン人がイギリスを征服、ノルマン王朝を成立
・(1084年)ローマ市を陥落
838年〜1035年 デーン人南方ルート: 現代イギリス・フランス・北部ドイツの礎 ・(838年〜)イギリス東部を襲撃、フランス来襲
・(870年代)イギリス中部にデーンローと呼ばれる植民地を得る
・(892年)ノルマン人がイングランドを襲撃した際、デーンローのデーン人がノルマン人に加勢
・(1016年〜1035年)イギリスほぼ全域、デンマーク、ノルウェーから成る海上帝国、クヌード帝国を建設
841年 フォントノワの戦い(裏にノルマン人の影) ルートヴィヒ1世死後、3人の息子が領土をめぐって諍いを起こしたが、その影にはノルマン人が暗躍している。
フランク王国の領土は長男のロタール1世が全て手にするはずであったが、弟のルートヴィヒ2世、シャルル2世が抵抗、
841年にフォントノワの戦いが起こる。その後、ヴェルダン条約により、ロタールは現在のスイスを含むオランダ、ベルギー、
西ドイツ、北イタリア、シャルルはフランス、ルートヴィヒ2世が東ドイツ、チェコ、オーストリア、ポーランドの一部とそれぞれの
領土を得るが、以上、見て分かるように狡猾なノルマン人がシャルル2世をそそのかし、フランスを手に入れるために反乱を扇動し、戦闘に協力したことは想像に難くない。事実、ロタール1世が弟らの反乱を制圧するためにノルマン人に軍事協力を申し出たが拒否されている。
862年〜1036年 スゥエード人東方ルート: 現代ロシア・ウクライナの礎 ・(9世紀初頭)レニングラードを流れるネヴァ河を通り、ラドガ湖に入ったスウェード人はラドガ湖南岸にアルディギャボルィ
(旧ラドガ)と呼ばれる植民地を建設
・(862年)ロシアの建国者、リューリクがスウェード人の傭兵を招いてノヴゴロドを支配
・(864年)キー、シチュック、コリヴの3兄弟によってキエフは建設されたが、彼らの死後、リューリクの臣下だったアスコールド
とデイルというワリアギ(ヴァイキング)に占領された
・(882年)キエフがワリアギの首都になった
・(944年)キエフ公国の大公でリューリクの子にあたるイーゴリ一世がコンスタンチノープルを二度も襲撃して貢納を条件に和を結ぶ
・(966年)キエフは周辺の領域をも征服、当時最も大きいハザール汗国を撃退、キエフ公国となる
・(980年)ウラジミールはスウェーデン本土からの助けをもとにキエフを攻略してキエフの大公となり、東部スラヴ部族他を
征服し、ロシア大公となる
・(1028年)ウラジミールの息子、ヤロスラフ一世はキエフの発展に最も尽力した。同時期に西方ではクヌード王が海上帝国を支配していた。キエフはヤロスラフ大公のもとに最も栄えた
・(1036年)ヤロスラフ一世はロシア全土を支配した
10世紀前後 ヴァイキングキリスト教に改宗: 諸悪の根源 ・ノルマン人は911年に改宗(カトリック)
・スゥエード人は980年に改宗(カトリック)
・デーン人は1028年に改宗(カトリック)


1000年代
(欧州収奪がひと段落したヴァイキングの子孫、だがノルマン人貴族たちの欲望は留まることを知らず、更にビザンチン帝国、イスラム圏掠奪を想起、十字軍である)


11世紀頃 「糞の街パリ」
欧州の新しい支配者であるヴァイキングを祖とするノルマン人貴族は
偉大な先人、ローマ人が帝国時代に建設した下水設備を廃れる
にまかせパリなどの市民は窓から糞尿を捨て、公道で排泄を行うようになる。結果、パリは「糞の街」と呼ばれ
トイレ事情は19世紀になるまで向上することは無かった。この惨状はイギリス、スペイン、ドイツなどでも同様であり、疫病の温床となった。
異邦の地での略奪行為に明け暮れたノルマン人は領内では自分の利得に反する行動、言動をする者に
対し、異端審判による排除を繰り返した。それはのちに魔女狩りに発展するが、排水設備等の必要性に
気づく知性を持つ有用な人々を抹殺したのが原因で窓からうんこを投げる行為は19世紀までやむことが
なかった。すべてはノルマン人の貪欲なまでの強欲に端を発しているが、有用な人々の淘汰は優勢な
人々の淘汰でもあり、結果バカだけが残ったことがこの悲惨な結果を招いているといえる。
1054年 東西教会の分裂: ヴァイキング同士の領土の線引き 西方教会(カトリック)と東方教会(正教会)に分離。これはある意味、ヴァイキング同士、
ノルマン人・デーン人(イギリス・フランス・イタリア)とスゥエード人(ロシア・ウクライナ・ビザンツ帝国)
による縄張りの線引きだといえる
1081年 ノルマン人のギリシャ遠征 この時、単独ではビザンツ帝国(スゥエード人の領土)にかなわなかったノルマン人が従順な奴隷
であるカトリックのキリスト教徒を使ってビザンツ帝国侵略イスラム圏掠奪を思いついたと思われる(十字軍)
1095年 クレルモン公会議の十字軍宣言 ノルマン人貴族が自分達の意志を「神の意志」と称し、ライバルのスゥエード人の領土を自分たちのもの
にせんと、またイスラムの冨を自分たちのものにせんと配下のローマ法皇を操り人形のように操作し、
大勢の奴隷をキリストの兵士と呼び、ここに史上初のキリスト教による神の名の下による残虐行為行脚、
百鬼夜行が開始されることになる
1095年〜1333年 十字軍 初期の十字軍では、裏にヴァイキングの子孫であるノルマン系フランス人貴族・ノルマン系南イタリア人貴族とビザンツ帝国に傭兵として雇われていたスゥエード人がおり、正教会(スゥエード人) 対 カトリック(ノルマン人・デーン人)の構図があった
1098年〜1291年 十字軍国家 ・エデッサ国(1098年〜1146年)
・アンチオキア国(1098年〜1263年)ボヘモンド候(ノルマン系南イタリア人)
・トリポリ国(1102年〜1289年)
・エルサレム王国(1099年〜1187年/1229年〜1244年)
・外ヨルダン領(1118年〜1147年)


1100年代
(十字軍を通して、諜報機関の祖、騎士団ここに誕生、この当時から諜報機関はキリスト教と一体になって発展してきた)


1113年 聖ヨハネ騎士修道会公認 支配者直々の命を実行するための謀略専門部隊、現在のCIAみたいなもん
1128年 テンプル騎士修道会公認 上に同、その後、力を蓄えたことにより、聖ヨハネ騎士団によって異端の汚名を着せられ、騎士たちは全員処刑され、財宝もすべて剥奪、
排除される
1140年 南フランスにカタリ派出現 十字軍により力を蓄えた欧州内の新興勢力がカトリック支配を断ち切るために発明、失敗


1200年代
(この世紀になり、権力は収奪するだけでなく、自分の利益を護るために異分子排除を開始する)


1202年 第四回十字軍がコンスタンチノープルを占領、ラテン帝国を建国 西欧カトリック(ノルマン人貴族)が東欧正教会(スゥエード人貴族)に勝利
1233年〜 異端審判(集団ストーカーの原型が作られる) カタリ派等の異端を撲滅するために異端審問が始まる当初は、南フランスで自分の権利を主張した者に
対する制裁の面もあった
1291年 スイス:原初同盟結成 スイスの農民を中心に神聖ローマ帝国から独立するために結成されたが実際にはスイスを
手に入れたいノルマン人が現地人を動員し、独立を演出した


1300年代
(英国&米国諜報機関の祖、ここに誕生)


14世紀ごろ 聖ラザロ騎士団、英国支部、フランス支部に分裂 両国諜報機関の祖
1344年 ガーター騎士団誕生(英国諜報機関の祖)
1337年〜1453年 百年戦争 ノルマン人王朝以来の大英帝国VSフランスの因縁、この争いはフランス革命まで尾を引くことになる
1384年 ジョン・ウィクリフ処刑 彼は武力でではなく、数百年に渡るカトリックの支配を断ち切ればイングランドもフランスに勝てると考えたの
です。「例えイングランド国内であれ、カトリック教徒がいればそこはフランスの領土」です。
ウィクリフは、国内にノルマン人貴族の意志を宿すカトリック教徒がいればいつまでたっても
フランスには勝てないということを理解したんです。カトリックによるウィクリフの処刑はそれが原因です。
1397年 カルマル同盟成立 数百年前に異郷の地に乗り出し、欧州各地(イギリス・フランス・アイルランド・イタリア・ロシア・ウクライナetc)
で貴族・諸侯・王族・聖職者として成功したヴァイキングたち。その子孫たちの貪欲さ
に畏怖の念を抱き故国であるデンマーク・ノルウェー・スゥエーデン3国がカルマル同盟を結成する


1400年代
(100年戦争の間に諜報戦の技術が磨かれた、そんなおり、アメリカ大陸が発見される)


1431年 ジャンヌ・ダルク処刑 しかし、もしジャンヌ・ダルクが存在していなかったとしたら…?というかぼくは
ジャンヌ・ダルクは存在しなかったと思う。当時はノルマンディーがイギリスに
占領されていて、フランス軍は劣勢だったので、士気を上げるためにジャンヌ・ダルク
という聖少女の情報をフランスの騎士団(諜報機関の祖)が創ったのではないかと
思うのです。
1440年 ジル・ド・レ処刑 英軍が前年にブルターニュ侵攻に失敗したのが引き金となり、ブルターニュの領主で
あったジル・ド・レを風評により少年殺しの殺人鬼に仕立てあげ、ジルを怒らせて
キリスト教会に殴りこませ逮捕、その後、残酷な拷問により証言をでっち上げ、カタチだけ
の裁判で有罪として処刑、排除、二年後、英軍は改めてブルターニュに侵攻する
1484年〜1791年 魔女狩り
(200年の間に集団ストーカーの前身としてシステムがほぼ完成)
本質は異分子排除
1485年 トマス・クロムウェル誕生 英国諜報機関の一員と思われる、宗教改革を主導
早くから故郷を離れ、大陸へ渡航、フランス軍の兵士となり、イタリア戦争にも従事
その後1512年まで、フィレンツェの富豪・銀行家のフレスコバルディ家に雇われ、
オランダのミデルブルフ織物市場で商事に従事していた点を見るだけでも諜報員である
可能性が高い
また、ラテン語、イタリア語、フランス語も堪能でローマ教皇庁枢機卿の代理人となり、
イングランドに関わる教皇庁控訴院の案件に従事していたが、そこでの経験が
宗教改革の発想を育んだものと考えられる
1492年〜 コロンブスアメリカ大陸発見 スペインの北南米における掠奪・蹂躙・虐殺・侵略開始(王政を使ってスペインを
支配していた神聖ローマ帝国とカトリックを使ってスペインを支配していたフランス、
両者が潤った)
1494年 トルデシリャス条約 教皇アレクサンドル6世が教書を出してアフリカの西岸ヴェルデ岬諸島の西方の西経
45度の子午線を基準に西方をスペイン、東方をポルトガルの進出範囲としたキリスト教皇
のお墨付きで決定されたものである
1498年 バスコ・ダ・ガマ東回り航路発見 ポルトガルのアジア・アフリカでの掠奪・蹂躙・侵略開始


1500年代
(大航海時代により、力をつけた英国やオランダは永年のカトリック支配を断ち切るべく宗教改革を行なう)


15世紀〜19世紀 大西洋の三角貿易 ・南米の原住民が減少し、白人はアフリカから奴隷を補充する
・黒人を捉えるのはキリスト教徒の黒人であり、白人は寝て待つだけであった
・同胞を売ることでナイジェアやベナンは王国として栄えた
・概算1500万の黒人が奴隷として北南米へ連れて行かれたが、1人を連れて行くのに
5人が途中で死んだので都合一億人がアフリカから連れて行かれたことになる
1514年 ラス・カサスの内部告発 6回に渡り大西洋を横断し、インディアスの自由と生存権を守る運動の中心的役割をはたした
1519年 コルテス: アステカ帝国征服
1520年 ルターの宗教改革:
スカンジナビア・北部ドイツを支配する者の領土確立
ルター派の誕生:白人大航海時代到来により力をつけた新規の勢力、実質上、神聖ローマ帝国を支配する
者が諜報機関に命じ、長年のカトリック支配を断ち切るために発明したが、スカンジナビア諸国に
権利を奪われた
1531年〜1558年 イングランドの宗教改革:
イギリスを支配する者の領土確立
聖公会の誕生:白人大航海時代到来により力をつけた新規の勢力、実質上、英国を支配する者が
英国諜報機関(クロムウェル)に命じ、長年のカトリック支配を断ち切るために発明した
1535年 トマス・モア処刑(フランスの諜報員か) カトリックとしての立場から一貫して国王に批判的であった前大法官のモアは、
王やクロムウェルに疎まれて失脚し、やがてロンドン塔に投獄される
1536年 カルヴァンの宗教改革:
オランダを支配する者の領土確立
改革派・長老派の誕生:白人大航海時代到来により力をつけた新規の勢力、実質上、オランダ、
スコットランドを支配する者が諜報機関に命じ、長年のカトリック支配を断ち切るために発明した
1540年 トマス・クロムウェル失脚
(トマス・ハワード、フランスの諜報員か)
クロムウェルはヘンリ−8世の后候補を挙げるために画家ホルバインを欧州各国の宮廷に派遣させ
后候補の肖像画を描かせる、しかし、これがクロムウェル失脚の引き金になった点を考慮すれば
この一連の動きはトマス・ハワードによって仕組まれていたと容易に推測できる
英国宗教改革の立役者、クロムウェルはフランス諜報員と思われるトマス・ハワードにより排除されるのだ
1570年 インカ帝国完全滅亡 ・1492年に1億1000万人いた原住民の人口が1000万人にまで減少
・白人とキリスト教徒は自分達の悪行を正当化するために原住民は人喰いの習慣があり、
生贄の習慣もあったなど、血なまぐさい原始的なイメージをデッチあげ惨殺されても仕方ない
民族だったというウソを歴史上の事実として定着させた
1588年 大英帝国がスペインの無敵艦隊を撃破 この時点では、スペインに完全に勝利したわけではない


1600年代
(英国諜報機関が力を得た世紀、クロムウェルなどの精鋭を輩出した、ライバルのオランダを倒し、集団ストーカーシステムの元型が発明された)


1600年 大英帝国の東インド会社設立 エリザベス女王の特許状で設立
1602年 オランダ東インド会社をジャワに設立(集団ストーカーに携わる人材が決定される) 1・原住民を文盲のまま放置し土候を使って間接統治
2・キリスト教に改宗した者は優遇して警察官や軍人に登用
3・オランダとインドネシアの混血児を中流階級として使用、民族の分断を図る
4・社会の流通経済は華僑にやらせ、経済搾取によるインドネシア人の不満と憎悪を華僑に集中させる
5・一切の集会や団体行動を禁止する
6・全国各地で用いられていた320の部族語をそのままにして標準語にまとめる企てを禁止する
1609年 バプテスト教会設立(大英帝国内の新興勢力が権利主張) 大英帝国内の新興勢力が英米での領土・権利を主張、イギリス聖公会から分離したバプテストを
ジョン・スマイスによって設立させる
1614年 薔薇十字団
(大英帝国、対神聖ローマ帝国支配の足場作り)
大英帝国の欧州侵略の一環・対神聖ローマ帝国侵略の礎を築く画策、失敗
1639年 主教戦争
(清教徒革命の原因・大英帝国内の勢力争い)
実際は、ライバルであるフランスとオランダの大英帝国に対する軍事介入
1648年 ウェストファリア条約 1612年にオランダが事実上の独立を達成、ウェストファリア条約で国際的にも独立を承認された、
つまり、神聖ローマ帝国による国土・国民支配、カトリックの精神的支配から脱却したということ
1649年 クロムウェル、アイルランド上陸 アイルランドの蜂起はカトリックの元締めであるフランスの後ろ盾があったと推測される
1650年 クロムウェル、スコットランド侵攻 スコットランドの蜂起は同じカルヴィン派であるオランダの後ろ盾があったと推測される
1650年 クエーカー教会
(大英帝国内の新興勢力が権利主張)
大英帝国内の新興勢力が英米での領土・権利を主張、創設者ジョージ・フォックスを操って
クエーカーを設立させた
1652年 イギリスが英蘭戦争に勝利しオランダの海上権を奪う この時点では、オランダに完全に勝利したわけではない
1653年 オリバー・クロムウェル護国卿就任 クロムウェルは英国の諜報員だった可能性がある、つまりナポレオンと同様、表舞台に出てきた
諜報員の精鋭だと考えられる、こういうケースはたまにある
※クロムウェルが諜報員なら偽名を使い、経歴も詐称済みのはずだろう、オリバーの息子と
言われているリチャードもじつは息子ではなくただの諜報機関の同僚という推測もできる、
諜報員は自分の過去と日常を放棄し、他人の日常を隠れ蓑にするのだ
1659年 リチャード・クロムウェル護国卿引退 諜報員は表舞台に出ると無力化することを認識したリチャードは自ら引退、仮想敵国フランスに渡り、
大英帝国に追放された被害者を演じながらフランス・欧州で諜報活動を続けた
1665年 ロンドンペスト流行
(大英帝国、対オランダ支配の模索)
ペストを細菌兵器として用い、自国の国民を攻撃、オランダのせいにする、第二次オランダ戦争と
関連している
1666年 ロンドン大火(大英帝国、対オランダ支配の模索) 上に同じ、対オランダ戦に向けて英国民の戦争感情を操作・鼓舞したはずだが逆効果になり
オランダに敗北
1688年 名誉革命(大英帝国、対オランダ支配の足場作り) 英国はオランダ王政を奪うことによりオランダ国民とオランダ国土を手中にした、
第三次オランダ戦争と関連している
17世紀後半 宗教戦争白熱化(英国諜報機関が精神的拷問、
集団ストーカーの元型を模索)
宗教戦争の白熱化が魔女狩りにも拍車をかけたが、英国諜報機関は他国と違い、身体を傷つける
のではなく、精神を傷つける拷問法を思案・試作していた、つまり集団ストーカーの礎は
クロムウェル親子の指導の下、開発された可能性がある
17世紀後半 ユニテリアン・ユニヴァーサリスト
(米国の諜報機関が創造)
アリウス主義者、ソッツイーニ主義者、ビドル主義者とも呼ばれた


1700年代
(永年のライバルであったフランス攻撃を皮切りに世界各地で英国諜報機関がフル活動、ロシア、清に於いてカルトなどの反体制勢力を育成)


1760年 イギリスで産業革命
1762年 ジャン・ジャック・ルソー「社会契約論」発表 ルソーは世界初の集団ストーカー被害者である
同年 ジャン・ジャック・ルソー「エミール」発表 パリ大学の神学部(キリスト教)に断罪され禁書扱いされる
1765年 カルカッタの黒い穴事件(大英帝国、対インド支配の足場作り) 英国諜報員が自国民を惨殺、ベンガル人のせいにし英国民の戦争感情を鼓舞・操作、
プラッシーの戦いに勝利、フランス・ベンガル太守連合軍が破れたことで、
大英帝国のインド支配が本格化
1770年 キャプテン・クックがオーストラリアに到来
1770年 スコプチ(大英帝国、対ロシア支配の足場作り) 大英帝国による欧州侵略の一環・対ロシア侵略の礎を築く画策、失敗
1776年 アダム・ヴァイスハウプト(神聖ローマ帝国の諜報員?)がイルミナティ創設 バイエルン王国のバヴァリアで設立された政治的秘密結社
同年 アメリカ合衆国独立(英国諜報機関の精鋭によって創られた国家) 英国諜報機関の精鋭の一派が大英帝国に離反、自身の領土を確立したと考えることが
できる、独立宣言起草委員会の面々はみなアメリカ生まれだが、諜報員ならば偽名は
当然だろうし、経歴も当然詐称済みだろう、彼らはもともと英国諜報機関の精鋭だったと
考えられる
1778年 ジャン・ジャック・ルソー死去 ルソーは魔女狩りが完全に終息するちょっと前からキリスト教の新しい断罪システム
「集団ストーカー」の被害者であった分析・被害状況など18世紀の集団ストーカーの全貌が
ルソーの著書「孤独な散歩者の夢想」で明らかになっている
1782年 アドルフ・ファン・クニッゲ男爵がイルミナティに参加
1782年頃 魔女狩り終息
(英国諜報機関が発明した「精神的拷問(集団ストーカー
システム)」が全欧州の教会にて採用される)
集団ストーカーは魔女狩りと共通する点が非常に多いのですが 唯一の相違点が魔女狩りは
公けになっている、そして集団ストーカーは公けになっていないという点です。
ぼくはここに支配者の工夫を感じるのです。
隠すことでさまざまな利点も産まれます。 魔女狩りは公けであったためにキリスト教や国が
批判され悪行もすべて記録に残されてしまった。そこで支配者は考えたのだと思います。
「魔女狩りを隠そう!」と。そのおかげで集団ストーカーのことで キリスト教や国は批判されず、
記録にも残らないわけです。
もうひとつ、身体的暴力は被害者の訴えを正当化するため、身体的暴力を加えるのではなく、
異分子対象に精神的暴力を加えなければならないということも英国諜報機関は発見した。
ゆえに精神病や妄想などのメンヘラ呼ばわりが成立してしまうという弊害が生まれてしまう。
1786年 英仏通商条約 フランスの産業に大打撃
1788年 イギリスが流刑囚1473名を乗せてオーストラリアへ 流刑囚がアボリジニーの女性を強姦、男性を人間狩りの対象にし100年でアボリジニーが
67000人に減少
18世紀後半 マルキ・ド・サド「ソドム百二十日」執筆 パートナーの女性をサド行為により殺してしまうというガセネタにハメられバスチーユ監獄に
収監されるが、獄内で隠れて執筆
1787年 フランス革命(大英帝国、対フランス支配の模索開始) 大英帝国の欧州侵略の一環・対フランス侵略作戦、フランス王政とカトリックを打倒することに
よりフランス国土、フランス国民、カトリック信者を奪い、フランスの真の支配者、
ノルマン人貴族の無力化を英国諜報機関が画策したがフランス諜報機関の精鋭、
ナポレオンの登場により失敗
1789年 聖職者の財産の国有化を決定(フランス)
1790年 聖職者市民化法(フランス) 聖職者身分の廃止に伴い聖職者を国家から俸給を受ける公務員にする法令でこれに
反対する聖職者の一部は反革命派になる
1794年 最高存在の祭典(大英帝国、対フランス支配の足場作り) 英国諜報機関が考案したカトリックに替わる新しい宗教、現代カルトの原型・失敗
1795年 メソジスト教会発足(大英帝国内の新興勢力が権利主張) イギリス聖公会司祭ジョン・ウェスリーを中心にオックスフォード大学の宗教クラブのメンバーが
メソジスト教会という名をグループ名に採用
1796年 白蓮教の乱(大英帝国、対清支配の足場作り) 英国諜報機関がもともと中国国内に存在した宗教団体にとり憑き、対清侵略の礎を築く画策・失敗


1800年代
(フランスを倒した英国諜報機関は、18世紀以上にフル活動、現地にいるキリスト教徒を総動員、清、日本、アメリカ、イスラム圏などでカルトなどの反体制勢力を育成)


1802年 ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン「ハイリゲンシュタットの遺書」を認める ベートーヴェンは悪く言われているので集団ストーカーされていただろう
1804年 ナポレオンが皇帝になる フランスの諜報員であったナポレオンは裏方に戻る気が無くなりノルマン人貴族を裏切り、自らが皇帝となる
1813年 天理教(清)の乱(大英帝国、対清支配の足場作り) この天理教は清の天理教であり、白蓮教から分派した、しかし目論見は失敗、太平天国の乱に持ち越し
1814年 黒住教(大英帝国、対江戸幕府支配の足場作り) 英国諜報機関が江戸幕府打倒の礎を構築するために隠れキリシタンを招集、創設
1814年 ナポレオン退位、王政復古 フランス諜報機関が英帝国諜報機関と合流、ノルマン人貴族を裏切ったナポレオンを排除、
見返りとしてにフランス王政、つまりフランス国土とフランス国民を手中にした
1817年 福音派、ファンダメンタリスト誕生(米国諜報機関が創造) キリスト教の中で表向きの悪役を演じる組織
1823年 モンロー大統領がモンロー宣言を発表 欧州大陸とアメリカ大陸の相互不干渉を唱えるモンロー宣言
同年 ジョセフ・スミス・ジュニアがモルモン書を発見 ジョセフ・スミス・ジュニアが神に命令されて掘り起こした土の中からモルモン書を発見した
という、しかし、実際には英国諜報機関が創造
1838年 天理教(大英帝国、対江戸幕府支配の足場作り) 英国諜報機関が江戸幕府打倒の礎を構築するために隠れキリシタンを招集、創設
1844年 バーブ教(大英帝国、対イスラム圏支配の足場作り) 対イスラム圏、オスマントルコ帝国・ペルシア帝国侵略の礎を築く画策、失敗
1846年〜48年 アラモ砦: アメリカがメキシコと戦争 アメリカが味方のアラモ砦を囮にして相手を挑発し、わざとメキシコ軍に先制攻撃させ
味方に相当の被害を出させた上で「リメンバーアラモ」を合言葉に戦争を正当化し国民を
鼓舞して反撃に移ったこの方法にはヴァイキングの1000年の伝統が息づいている
1857年 マウンテン・メドウの大虐殺(大英帝国と米国の戦闘開始) ユタを通過・滞在中の開拓民140人余の中にジョセフ・スミス暗殺犯がいるとの流言に
煽動された信者たちが開拓民を襲撃、女性や子どもを含む全員を殺害、実際には
モルモン教徒(英国勢力)による異分子排除(米国勢力)
同年 ユタ戦争(モルモン戦争) 上が引き金となり、モルモン教の背後に潜む英国諜報機関の勢力を排除するためにアメリカ陸軍がユタに軍隊を差し向ける
1859年 金光教(大英帝国、対江戸幕府支配の足場作り) 英国諜報機関が江戸幕府打倒の礎を構築するために隠れキリシタンを招集、創設
1861年 南北戦争 北部アメリカ(米国諜報機関の勢力下)が英国諜報機関の影響下にある南部アメリカ(バプティスト、
メソジスト)の勢力排除、南北統一を試みた、北部は戦争の口実を作るために奴隷解放を謳った
1863年 バハーイ教(大英帝国、対イスラム圏支配の足場作り) 対イスラム圏、オスマントルコ帝国・ペルシア帝国侵略の礎を築く画策、イスラム圏から追放されたが世界的に大成功
1865年 救世軍誕生(英国諜報機関が創造) ヴィクトリア朝のロンドンに誕生(集団ストーカーを行なうホームレス、知的障害者、貧乏人、
下層民の面倒を見るために発足)
1872年 ルーミスが無線通信の特許取得(盗聴器の親戚) 同時に諜報活動・集団ストーカー・嫌がらせに欠かせない盗聴システムが誕生した年とも
思われる
1876年 グレアム・ベル「電話」発明(盗聴器の親戚) 同時に諜報活動・集団ストーカー・嫌がらせに欠かせない盗聴器が誕生した年とも思われる
というか、盗聴器製作目的ありきで、その過程で電話機が生まれたとも考えられる
1887年
11月13日
血の日曜日事件(トラファルガー広場で市民がデモ) 社会主義者と失業者から成る数万人の群衆がロンドンのトラファルガー広場に集結し、
政府に対してデモを行いました。市警察長官サー・チャールズ・ウォーレンは武装した
兵士と2000名の警察官に処理を命じたが、暴動が発生し数百人の負傷者と2人の死亡者が
発生。この事件は「血の日曜日」事件と名づけられました
1887年12月〜
1891年
ロンドンにて連続殺人鬼のパイオニア、切り裂きジャックが活動を開始 トラファルガー広場でのデモの翌月に切り裂きジャックの最初の被害者と思われる女性の
惨殺遺体が発見されるぼくの考えでは、これが切り裂きジャック創作の一番の目的じゃないかと
思うのです… つまり、切り裂きジャック捜査目的と称して警察が強制家宅捜査、強制連行
など、政府に対する異分子の疑いがある人物や反政府組織のリーダー等の排除を公然と
行うことが出来るのです
1888年 フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ「反キリスト者」発表 ニーチェも悪く言われているので集団ストーカーされていただろう
1890年 フィンセント・ヴァン・ゴッホ自殺 ゴッホは集団ストーカーされ、精神病扱いされた。10年前に子供の頃にゴッホを見たことが
ある長寿の記録を持つ女性がTVで「あの人は気持ち悪かった」とまだゴッホのことを悪く
言っていたw 集団ストーカーの癖は抜けないんだなw
1898年 アメリカがスペインに宣戦布告 アメリカはハバナ表敬訪問中の自国戦艦メーンを自ら爆沈させ2060人の乗員を犠牲にし、
すべてスペインがやったことにして「メーン号を忘れるな」を合言葉に国民を戦争に駆り立て
スペインに宣戦布告、目的は南米でのアメリカの利権確立


1900年代
(永年のライバルであった神聖ローマ帝国の勢力圏、ドイツを総攻撃、ドイツはオスマントルコ帝国や大日本帝国と組むが敗北、
その後、英国諜報機関は同じアングロサクソンということもあり、敵対していた米国諜報機関と合流、共産圏、イスラム圏、中華人民共和国にも攻撃を開始)


1906年 ペンテコステ派(米国諜報機関が創造) アメリカのペテル聖書学校の大晦日祈祷会において数名の学生が異言を語りだした
ことに端を発するアメリカで新たに力をつけた者が領土・権利の主張・確立させた
1914年 第一次世界大戦勃発 大英帝国連合の武力によるドイツ侵攻
(中央ヨーロッパ支配、神聖ローマ帝国の勢力排除)
1915年 フランツ・カフカ「審判」を著す 「審判」は集団ストーカーの要素が多い、カフカも被害者だカフカの死後1925年に
発表された
1919年〜1933年 ヴァイマール共和制(ドイツ)
1921年 ヴェルサイユ条約(ドイツ) 合国によるロンドン会議において1320億金マルクという巨額の賠償金が定められた
上、オーバーシュレジエン地方の帰属をめぐる住民投票において、地下資源が
豊富な地域がポーランドに割譲されることになりドイツ国民のヴェルサイユ体制へ
の反感が高まった
1921年〜1924年 ゲオルグ・カール・グロスマン ’21年逮捕
フリッツ・ハールマン逮捕 ’21年逮捕
カール・デンケ逮捕 ’24年逮捕
少年・ホームレス・女性などをひき肉にして売っていたドイツ人が3人捕まる
あきらかにヴェルサイユ条約に連動したドイツ国民の不満の矛先を別のところへ
向けたい連合国側の情報操作劇
1922年 フランツ・カフカ「城」を著す 「城」にも多分に数段ストーカーの要素を見ることが出来るカフカの死後
1926年に発表された
1930年 ルイス・ブニュエル監督「黄金時代」発表
1931年 フリッツ・ラング監督「M」発表
1940年 チャールズ・チャップリン監督「独裁者」発表
骨伝導音声送信システム完成 アメリカ空軍が開発、なぜかわからないが、いつ頃完成されたかについての
正確な記述が見つからない
これ以降、幻聴などの誤誘導が可能になっているはず
1941年 オーソン・ウエルズ監督「市民ケーン」発表
1941年 第二次世界大戦勃発 英米連合の武力によるドイツ侵攻
(中央ヨーロッパ支配、神聖ローマ帝国の勢力排除)
1945年 バミューダ魔の三角海域: アメリカ海軍第19飛行小隊失踪 この年の前後、ジェット戦闘機開発が激化しておりその性能とパイロットの
実戦訓練を兼ねてアメリカ海軍第19飛行小隊は何も知らされずに攻撃され
空に散ったと思われるこの場合、標的は生かして帰さないことが前提となる
1946年 UFO報道(CIA創設、マーシャルプラン発動と関連) 英国諜報機関、一部、アメリカに拠点を移動、アメリカ独立戦争以来争ってきた
英米の諜報機関が合同で活動開始
1957年 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督「スパイ」発表
同年10月 スプートニク打ち上げ成功(ソ連)
同年11月 倒錯殺人犯エド・ゲイン逮捕 ソ連のスプートニク打ち上げと連動している
1960年 ミケランジェロ・アントニオーニ監督「情事」発表 人類の知性が次のステップに移った瞬間集団ストーカーやその監督者の
ようなバカには決して分からない世界
1968年 スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」発表 知性とは何かを知っていいただきたい。本物の芸術家、頭の良い人たちは
あなたの味方です
1970年 アレハンドロ・ホドロフスキー監督「エル・トポ」発表 ジョン・レノンが鑑賞後に全米興行を買って出、ウォーホルが絶賛し、日本では
寺山修司が絶賛した
同年 ジミ・ヘンドリックス変死
ジャニス・ジョプリン変死
実際はアメリカの国家機関による暗殺。ジミヘンやジャニスのような影響力の
大きい人が平和、平和とうるさいとアメリカが黙っていないという例
1971年 ドアーズのジム・モリスン変死 実際はアメリカの国家機関による暗殺
ジムも平和とベトナム戦争反対を訴えていた
1974年 ロマン・ポランスキー監督「チャイナタウン」発表
1975年 ピエル・パオロ・パゾリーニ監督「ソドムの市」発表 上映してしばらくしてホモの若者に撲殺される。しかし実際は作品の内容を
快く思わなかった支配者層による謀殺だと言われている
1976年 フィル・オクス自殺 実際はアメリカの国家機関による暗殺
1978年 世界初のAIDS患者発見
同年 ●リチャードトレントンチェイス:1月28日、サクラメントの吸血鬼と呼ばれた
チェイスが逮捕。6人を殺害。被害者の血液と内臓をミキサーにかけて飲んでいた。
●テッドバンディ:2月15日、脱獄したバンディが捕まる。30人の女性を殺害。
●UNAボマー:5月25日、ノースウェスタン大学の警備室で爆弾が爆発。
UNAボマーの最初の犯行。
●デビッドバーコウィッツ:6月12日、禁固25年の刑が下される。70年代後半、
カーセックス中のカップルを銃で射撃。6人を殺害し数十人もの人を負傷させた「サムの息子」と呼ばれたバーコウィッツは77年8月に逮捕された。
●ジムジョーンズ:11月18日、ギアナにて人民寺院の信者、270人の子供を含む約1000人が青酸カリを飲み集団自殺。
●ジョンウェインゲイシー:12月22日、30人以上もの少年を殺害したことを自供。
AIDSと連動して作られた事件の数々
1980年 ポール・シュレーダー監督「アメリカン・ジゴロ」発表
同年 ビートルズのジョン・レノン暗殺 実際は狂った個人ではなく、アメリカ政府の国家機関による暗殺
1986年 チェルノブイリ原発事故 実際はアメリカによる攻撃。この出来事と対になっているのが
アンドレイ・チカチロの出現。目的はソ連社会主義体制解体とロシアの資本主義化
1989年 天安門事件 英米による対中国揺さぶり
1991年 ジョエル・コーエン監督「バートン・フィンク」発表
1991年 湾岸戦争 英米諜報機関によるイスラム圏侵攻開始(こういう時には裏方の諜報員が
表舞台に登場することがある)
1994年 ニルヴァーナのカート・コバーン自殺 実際はアメリカの国家機関による暗殺
1996年 ジョン・ベネ殺害事件 実際は湾岸シンドロームは劣化ウラン弾が原因ではないと言う
大統領諮問委員会の報告とその報告に対する被害者家族の反応をマスコミ上からかき消すために作られた事件現に報告の直後にジョンベネは殺されている
1997年 ジャンヌ・カルマン死去 122歳 ゴッホの百年記念の際、直接会った人としてインタビューを受けた時に、ゴッホの事を「汚くて、格好も性格も悪い人」だったと語った。集団ストーカーの癖は100歳超えても抜けないんです
1998年 ピーター・ウィアー監督「トゥルーマン・ショー」発表
脚本はアンドリュー・ニコル
1999年 コロンバイン高校銃乱射事件
1999年 スタンリー・キューブリック監督「アイズ・ワイド・シャット」発表
同時に完成直前にキューブリック変死
1999年 中国による法輪功弾圧 法輪功は英米製のカルトであり、創価学会や統一教会と同じ英米諜報機関のもと、活動している、つまり迫害は正しい


2000年代
(英米諜報機関の対ロシア、イスラム圏、中華人民共和国に対する戦いはまだ終わっていない)


2001年 アメリカ同時多発テロ事件 英米諜報機関によるイスラム圏侵攻開始、第二弾
2005年頃 Googleマップサービス開始 数十年も前から既に、Googeマップ以上の精度の高いシステムを使用し先進国各国政府は目立つ市民(敵)を監視し続けてきた
2008年 Googleストリートビューサービス開始    アメリカで裁判沙汰になっているがGoogleは「現代では完全なプライバシーなど存在しない(ゆえに許される行為だ)」と反論した






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