フェニキア人の大航海時代@

第一次西方ルート


西方ルートにはフェニキア人(テュロス人)、ポエニ人、カルタゴ人を船頭に、アッカド人、フリギア人、ビュブロス人、ルーベン族、レビ族、エフライム族、ガド族、ダン族、パルニ人、ウルクのシュメール人、カナンのシュメール人、シドン人が参加していた。


■BC8世紀 アッシリア人 イスラエル王国、フェニキア人諸都市、メソポタミア諸都市に侵攻


★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、オリエントからイベリア半島に到着(残留者:アッカド人)

■BC7世紀 アッカド人 地中海からアキタニアに残留(オック人)



★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、イベリア半島からライン河畔に到着(残留者:カルタゴ人、ビュブロス人、フリギア人、ダン族、ルーベン族、シドン人)

■BC7世紀 カルタゴ人 地中海からライン河畔に移住、2勢力に分離(ガリア人、ダキア人)
※カルタゴの名の由来はコリントスとチェケルの組み合わせ

■BC7世紀 ビュブロス人 ライン河畔から上流に及び、ドイツ南部に移住(バヴァリア)
※バヴァリアの名の由来はビュブロス、ヘブライ、バビロン

■BC7世紀 フリギア人 地中海からライン河畔に移住(ベルガエ人)

■BC7世紀 シドン人 ライン河畔から現バーガンディー地方に移住(シトー修道会/)

■BC7世紀 ダン族 ライン河畔からガリアに移住

■BC7世紀 ガリア人 ライン河畔から現フランスに移住(ガリア人)

■BC7世紀 ダキア人 ガリアからパンノニアに移住、現地人にフェニキア文字のひとつ「タウ」を2つ冠する(タタ/タタール)

■BC7世紀 ガリア人 ダン族と連合し、ガリアからスコットランドに移住(カレドニア)
※カレドニアの名の由来はガリアとダンの組み合わせ

■BC7世紀 カレドニア人 スコットランドからガリアに移住(ケルト人)
※ケルトの名の由来はカレドニア



★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、ライン河畔から現ポメラニアに到着(残留者:ポエニ人、ウルクのシュメール人、カナンのシュメール人、ビュブロス人、ルーベン族、レビ族、ガド族)

■BC7世紀 ポエニ人 現ポメラニアに定住、現チェコ、バイエルンなどに移住(ボイイ族)

■BC7世紀 ビュブロス人 現ポメラニアからスコットランド・ハイランドに移住(フィブ人)

■BC7世紀 ルーベン族 現ポメラニアから現リトアニアに移住(リーブ人)

■BC7世紀 レビ族 現ポメラニアからドイツ北部に移住(リューベック)

■BC7世紀 ガド族 現ポメラニアからゲルマニアに移住(クァディ族)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 現ポメラニアから現ラトビアに移住(金星の神アウセクリス)

■BC7世紀 ボイイ族 カナンのシュメール人と連合(ポメラニア人)
※ポメラニアの名の由来はボイイとシュメールの組み合わせ

■BC7世紀 ポメラニア人/ボイイ族 現ポメラニアからアイルランドに移住(フォモール人、女神ボアン)

■BC7世紀 ポメラニア人/シュメール人 現ポメラニアからアイルランドに移住(フォモール人、大地の女神エリウ)



★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、現ポメラニアからスカンジナビア半島に到着(残留者:フェニキア人、エフライム族)

■BC7世紀 フェニキア人 スコーネからフィンランドに移住(フィン人)

■BC7世紀 フィン人 フィンランドの現地人にフェニキア文字のひとつ「オミクロン」を冠する(スオミ族)
※スオミの名の由来はオミクロン

■BC7世紀 エフライム族 フィンランドに移住



★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、スカンジナビア半島から北極海に到着(残留者:フィン人、スオミ族、エフライム族)

■BC7世紀 フィン人 オビ河上流に及び、現コラサンに移住、現地人にフェニキア文字のひとつ「エプシロン」を冠する(アフシャール族)

■BC7世紀 スオミ族 オビ河上流に及び、現コラサンに移住(ウマイヤ家)

■BC7世紀 エフライム族 オビ河上流に及び、現クリミア半島に移住(クリミア)



フェニキア人の大航海時代A

第ニ次西方ルート


第二次西方ルートにはボイイ族を船頭に、グティ人、ガド族、イッサカル族、ウルクのシュメール人、フリギア人、ビュブロス人、パルニ人とバルト海で出会ったゴート人、クル族、アラプハ人、ルカ人が参加していた。


★BC7世紀 ボイイ族 ボイイ族の船団、バルト海からアイルランド、アイスランドを経由して北米北東部森林地帯に到着(残留者:ボイイ族、グティ人)

■BC7世紀 ボイイ族 バルト海から北米北東部森林地帯に移住、ハッティ人と連合(ポウハタン連邦)


★BC7世紀 ボイイ族 ボイイ族の船団、北米北東部森林地帯から北米大平原地方に到着(残留者:ボイイ族、ガド族)

■BC7世紀 ボイイ族 北米大平原地方に移住(ポーニー族)
※ポーニーの名の由来はポエニ

■BC7世紀 ボイイ族 北米大平原地方の現地人にフェニキア文字のひとつ「オミクロン」を冠する(オマハ族、クロウ族)

■BC7世紀 ボイイ族 北米大平原地方の現地人にフェニキア文字のひとつ「シグマ」を冠する(スー族、コマンチ族)

■BC7世紀 ガド族 バルト海から北米大平原地方に移住、ポーニー族の支流「シグマ」に参加(ラコタ族、ダコタ族)

■BC7世紀 ボイイ族の支流「オミクロン」 オマハ族とクロウ族に分離

■BC7世紀 ボイイ族の支流「シグマ」 スー族とコマンチ族に分離、別称としてラコタ族、ダコタ族を称する


★BC7世紀 ボイイ族 ボイイ族の船団、北米大平原地方から北米南東部に到着(残留者:クル族、ルカ人、アラプハ人)

■BC7世紀 クル族 バルト海から北米南東部に移住、ルカ人と連合(クリーク族)

■BC7世紀 アラプハ人 バルト海から北米南東部に移住(アラパホ族)


★BC7世紀 ボイイ族 ボイイ族の船団、北米大平原地方からユカタン半島に到着(残留者:ボイイ族、ビュブロス人、イッサカル族、ウルクのシュメール人、フリギア人)

■BC7世紀 ボイイ族 ユカタン半島の現地人にフェニキア文字のひとつ「ミュー」を冠する(マヤ人)

■BC7世紀 ビュブロス人 コツマルワパ文化を創始(ピピル人)
※ピピルの名の由来はビュブロス

■BC7世紀 イッサカル族 ユカタン半島に雨の神を祀る(雨の神チャック・モール)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 ユカタン半島に月の神を祀る(月の神イシュ・チュル)
※イシュ・チュルの名の由来はイシュタル

■BC7世紀 フリギア人 ユカタン半島に創造神を形成(創造神フラカン)

■BC7世紀 フリギア人 由緒ある先祖の故地パレンケを継承(ポラン族)

■BC7世紀 ビュブロス人 ボイイ族と共同で神話を作成(ポポル・ヴー)
※ポポル・ヴーの名の由来はビュブロスとボイイの組み合わせ


★BC7世紀 ボイイ族 ボイイ族の船団、ユカタン半島からアマゾン河上流・モハス平原に到着(残留者:ボイイ族、パルニ人、ガド族)

■BC7世紀 ボイイ族 モハス平原の現地人にフェニキア文字のひとつ「デルタ」を冠する(チャルーア族)

■BC7世紀 パルニ人 モハス平原に定住、後に現パラグアイ、ブラジル、アルゼンチン方面に移住(グアラニー族)
※グアラニーの名の由来はパルニ

■BC7世紀 ガド族 モハス平原に定住、後に現チリ、アルゼンチン方面に移住(マプーチェ族)
※マプーチェの名の由来はメギド

■BC2世紀 チャルーア人 モハス平原からマヤに移住(チョルーラ人)

■BC2世紀 チョルーラ人 マヤから北米に移住、ナワトル族/ノア族と連合(ナザレ人)
※ナザレ人の名の由来はノアとチャルーアの組み合わせ

■BC2世紀 ナザレ人 北米からヨーロッパに進出、後にイスラエルに移住(ナザレのイエス)




フェニキア人の大航海時代B

東方ルート


東方ルートにはフェニキア人(テュロス人)、ポエニ人、マゴ家を船頭に、ガド族、マナセ族、ペリシテ人、アシェル族、ナフタリ族、イッサカル族、ルーベン族、レビ族、テーバイ人、フォキス人、ウルクのシュメール人、アッカド人、ダン族、エフライム族が参加していた。東方ルートではベーシュタード王国、天孫族が輩出された。ベーシュタード王国にはフェニキア人、ペリシテ人、ウルクのシュメール人、ガド族が参加し、天孫族にはマゴ家、テーバイ人、アシェル族、ガド族、イッサカル族が参加していた。


■BC8世紀 アッシリア人 イスラエル王国、フェニキア人諸都市、メソポタミア諸都市に侵攻


★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、地中海からアラビア半島に到着(残留者:ガド族)

■BC7世紀 ガド族 アラビア半島に定住(カタバーン王国/BC5世紀)


★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、アラビア半島からイランに到着(残留者:フェニキア人、マゴ家、ガド族、ペリシテ人、マナセ族、アッカド人、ウルクのシュメール人)

■BC7世紀 フェニキア人 現地人にフェニキア文字のひとつ「アルパ」を冠する(パッラヴァ人)

■BC7世紀 マゴ家 イランに移住(マゴス)

■BC7世紀 マナセ族 アッカド人と連合(アケメネス家)

■BC7世紀 ペリシテ人 フェニキア人、シュメール人と共に伝説の王国を建設(ベーシュタード王国)
※ベシュタードの名の由来はペリシテ

■BC7世紀 フェニキア人 ベーシュタード王国2代目王、4代目王を輩出(フージャン王、聖王イマ)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 ベーシュタード王国3代目王を輩出(タフムーラス王)

■BC7世紀 ガド族 ベーシュタード王国4代目王を輩出(シャムシード王)

■BC7世紀 フェニキア人 ベーシュタード王国の王フージャンの氏族がイランから中国に移住(福建人/ビン人)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 ベーシュタード王国の王タフムーラスの氏族がシーラーズを建設(シラジ人)
※シーラーズの名の由来はサラスヴァティー

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 タフムーラス王の氏族がダキア人の支族タタと連合(スピタマ家、ゾロアスター教)

■BC7世紀 フェニキア人 聖王イマの氏族が、イランからアラビア半島に移住(オマ−ン)

■BC6世紀 パッラヴァ人 ペルシア帝国勢力圏拡大に伴いアナトリアに移住、現地人にフェニキア文字のひとつ「カッパ」を冠する

■BC6世紀 パッラヴァ人 支流カッパがダキア人と連合(カッパドキア人)


★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、イランからインダス流域に到着(残留者:フェニキア人、アシェル族、ガド族、ナフタリ族)

■BC7世紀 フェニキア人 現地人にフェニキア文字のひとつ「ランブダ」を冠する(カンボージャ人)

■BC7世紀 ナフタリ族 インダス流域に移住(エフタル)

■BC7世紀 アシェル族 インダス上流に移住(チェーラ人)

■BC7世紀 ガド族 インダス上流に移住(ガンダーラ人)
※ガンダーラの名の由来はガド

■BC7世紀 カンボージャ人 インダス上流域に移住(カンボージャ王国)

■BC7世紀 ガンダーラ人 インダス上流に王国を建設(ガンダーラ王国)


★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、インダス流域からガンジス流域に到着(残留者:フェニキア人、ガド族、イッサカル族、ウルクのシュメール人)

■BC7世紀 フェニキア人 現地人にフェニキア文字のひとつ「ガンマ」を3つ冠する(ガンガー、アンガ人)

■BC7世紀 ガド族 ガンジス河上流に及び、故地メギドの名を冠する(マガダ王国)

■BC7世紀 イッサカル族 ガンジス流域からインド東海岸に移住(アッサカ王国)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 ガンジス流域からインド東海岸に移住(スーマ王国、マラ王国)

■BC7世紀 フェニキア人 ガンジス流域で育んだ宗教体系に、フェニキア文字のひとつ「ベータ」を冠する(ヴェーダ)

■BC7世紀 アンガ人 ヴェーダの神話を継承し、バラモン教の神官を務める(アーンギラサ族)
※アーンギラサの名の由来はアンガ

■BC7世紀 アーンギラサ族 ガンジス流域からインダス流域に移住(アンコール人)
※アンコールの名の由来はアーンギラサ


★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、ガンジス流域から現ミャンマーに到着(残留者:ガド族、ポエニ人)

■BC7世紀 ガド族 現地人に太陽神シャムシュの名を冠し、現タイに移住(シャム族)

■BC7世紀 ポエニ人 現ミャンマーに定住(ピュー族)
※ピューの名の由来はポエニ

■BC7世紀 ピュー族 現ミャンマーから雲南に移住(ペー族)

■BC7世紀 ペー族 雲南の現地人にフェニキア文字のひとつ「タウ」を冠する(タイ族)

■BC7世紀 ペー族 雲南の現地人にフェニキア文字のひとつ「ロー」を冠する(ラーオ族)

■BC7世紀 タイ族 ラーオ族と共に雲南から遼東半島に移住、燕を乗っ取る(燕)
※遼東の名の由来はラーオとタイの組み合わせ


★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、現ミャンマーからジャワ島に到着(残留者:フェニキア人、フォキス人)

■BC7世紀 フェニキア人 現地人にフェニキア文字のひとつ「ゼータ」を冠する(スンダ族)

■BC7世紀 フォキス人 ジャワ島からスラウェシ島に移住(ブギス族)

■BC7世紀 ブギス族 スラウェシ島から上海に移住、東北地方から越に移住していた陸奥安倍氏と連合(百越)


★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、ジャワ島からメコン河流域に到着(残留者:テーバイ人、ウルクのシュメール人)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 マカオから雲南に移住(古蜀、アウラック国)

■BC7世紀 テーバイ人 現地人にフェニキア文字のひとつ「シグマ」を冠する(クメール人)

■BC7世紀 テーバイ人 クメール人を率いてメコン流域からマカオに移住


★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、メコン流域からマカオに到着(残留者:マゴ家、レビ族、アシェル族、ガド族、イッサカル族、アッカド人、エフライム族)

■BC7世紀 マゴ家 マカオの現地人にフェニキア文字のひとつ「オメガ」を冠する(多氏)

■BC7世紀 レビ族 マカオから海南島に移住

■BC7世紀 イッサカル族 単独でマカオから日本に進出、瀬戸内海に移住(厳島)
イツクの名の由来はイッサカル

■BC7世紀 イッサカル族 厳島から畿内に移住、古墳文化を牽引(明日香村)
※アスカの名の由来はイッサカル

■BC7世紀 多氏 マカオから北九州・瀬戸内海に移住、出雲国に侵攻(大国主命)

■BC7世紀 ガド族A 一部が多氏に同行、マカオから北九州に移住(波多氏)
※波多の名の由来はガド

■BC7世紀 マゴ家 マゴに「孫」を当て字(天孫族)

■BC7世紀 天孫族 アッカド人、ガド族、アシェル族、そしてメコン流域から来たテーバイ人とクメール人が参加


★BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、マカオから黄河流域に到着(残留者:フェニキア人、ルーベン族、ダン族)

■BC7世紀 フェニキア人 現地人にフェニキア文字のひとつ「パイ」を冠する(魏氏)

■BC7世紀 ルーベン族 黄河流域に国家を建設(韓氏)

■BC7世紀 ダン族 黄河流域から現山東省に移住、中原のシュメール人から斉を乗っ取る(田氏)


★BC7世紀 マゴ家 マゴ家の船団、マカオから日向国に到着(残留者:マゴ家、アシェル族、ガド族、アッカド人、エフライム族)

■BC7世紀 天孫族 マカオから九州に進出、日向国に移住(天孫降臨)

■BC7世紀 天孫族 マゴ家がガド族、テーバイ人、アッカド人、エフライム族を率いて日向国から伊勢に移住(熊野国)
※熊野の名の由来は預言者エリシャの説話

■BC7世紀 アシェル族 日向国に残留(熊襲)
※熊襲の名の由来は預言者エリシャの説話とアシェルに当て字した「襲う」

■BC7世紀 ガド族B フェニキア人の神、太陽神アメンを祀る(伊勢神社、天照大神)
※イセの名の由来はイスラエル

■BC7世紀 テーバイ人 熊野国から大和国に移住、テーバイに漢字を当て字する(大伴氏)

■BC7世紀 アッカド人 熊野国から大和国に移住、ナーガ族と連合(縣犬養氏)
※縣犬養氏の名の由来は「アッカド」と「エノク」の組み合わせ

■BC7世紀 エフライム族 熊野国から現千葉県に移住(阿比留氏)
※阿比留の名の由来はエフライムの祖アベル

■BC7世紀 アシェル族 日向国から現熊本県に移住(阿蘇氏)
※阿蘇の名の由来はアシェル




フェニキア人の大航海時代C

シルクロードルート



シルクロードルートは、もともと北極海ルートの産物であり、モンゴル高原から来たシメオン族が同胞(大月氏)の待つモンゴル高原に帰還を果たしたに過ぎない。そのため、彼らはフェニキア人の船団には加わらなかった。


■BC930年 シメオン族A イスラエル王国分裂を機に、一部がモンゴル高原に帰還

■BC771年 シメオン族A 祖を同じくする月氏の下に身を寄せ、月の神シンを祀って氏族を強化(秦)
※秦の名の由来はシン

■BC7世紀 アッシリア人 イスラエル王国に侵攻(フェニキア人の大航海時代)

■BC7世紀 シメオン族B フェニキア人の船団には参加せず、陸路でイスラエルからモンゴル高原に移住(司馬氏)
※司馬氏の名の由来はシメオン

■BC7世紀 司馬氏 モンゴル高原で先発隊の秦と連合、古代中原に覇を唱える

■BC338年 秦 恵文王、王号採用

■BC338年 司馬氏 司馬錯、将軍として恵文王、武王、昭襄王に仕える

■BC310年 秦 武王、王に即位

■BC221年 司馬氏 始皇帝、春秋戦国時代を制覇(秦)

■BC209年 司馬氏 二世皇帝、第2代秦皇帝に即位

■BC207年 司馬氏 子嬰、第3代秦皇帝に即位

■BC206年 司馬氏 子嬰、劉邦の侵攻に対して降伏(秦滅亡)









アッシリア帝国侵攻A クシュ人の大航海時代


※表の見方:年代、民族、事象、()内は、後に関与した土地、文化、氏族、民族、人物、神、宗教、国家。年代は目安として設定。


クシュ人の大航海時代@

西方ルート


西方ルートにはクシュ人を船頭に、ルカ人、ユダ族、べミヤミン族が参加していた。注目すべき点は、一端、イベリア半島に拠点を得たクシュ人が再度オリエントに帰還し、ガッサーン王国を築いたこと。ガッサーン王国のキリスト教徒は後にイベリア半島に帰還し、イエズス会を結成している。


■BC670年 アッシリア人 エジプト第25王朝に侵攻


★BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、地中海からイビサ島に到着(残留者:クシュ人)

■BC7世紀 クシュ人 エジプトからイビサ島に移住
※イビサの由来はエプシロン


★BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、イビサ島からイベリア半島に到着(残留者:クシュ人、ルカ人)

■BC7世紀 ルカ人 イベリア半島に移住、ダン族と連合(ルシタニア人)

■BC7世紀 クシュ人 イビサ島からイベリア半島に移住(ガスコン人)

■BC7世紀 ガスコン人 イベリア半島からシリア方面に移住(ガッサーン人)

■BC7世紀 ガスコン人 イベリア半島からマルセイユ方面に移住、ルーベン族と連合(ナルボネンシス)

■BC7世紀 ガスコン人 イベリア半島からアルプス方面に移住、ルーベン族と連合(キサルピナ)

■BC7世紀 ルシタニア人 イベリア半島からブルターニュ方面に移住(ルグドネンシス)



★BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、イベリア半島からバルト海に到着(残留者:ユダ族、ベニヤミン族、ルカ人)

■BC7世紀 ルカ人 イベリア半島からバルト海に移住、バーラタ族と連合(ランゴバルト人)

■BC7世紀 ユダ族 ユトランド半島に移住(ジュート人/テウトニ人)

■BC7世紀 ベニヤミン族 バルト海に移住(レット人、ラトビア)
※レットの名の由来はロト


クシュ人の大航海時代A

第一次東方ルート


第一次東方ルートにはクシュ人を船頭に、ルカ人、ナパタ人、メロエ人、オルフェウス教団が参加していた。大きな動きとしては、亀茲人が中央アジアにハザール帝国を建設し、滅亡した際には日本に移住し、梶原氏を輩出している

ことだろう。後に北条氏に追放された梶原氏は中央アジアに帰還し、チムール帝国、ムガール帝国の建設に関与する。


■BC670年 アッシリア人 エジプト第25王朝に侵攻


★BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、エジプトからアラビア半島に到着(残留者:クシュ人、ナパタ人)

■BC7世紀 ナパタ人 アラビア半島北東部に移住(ナパタエ王国/BC4世紀)

■BC7世紀 クシュ人 現イエメンに移住(アクスム王国/AD2世紀)
※アクスムの名の由来はクシュ


★BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、アラビア半島からセイロン島に到着(残留者:クシュ人、ルカ人、オルフェウス教団)

■BC7世紀 ルカ人 現セイロン島に定住(ランカー島)

■BC7世紀 オルフェウス教団 セイロン島からインドに移住、創始神を創作(梵天)

■BC7世紀 クシュ人 セイロン島からガンジス流域に移住(カーシー王国)


★BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、セイロン島からマレー半島に到着(残留者:メロエ人)

■BC7世紀 メロエ人 マレー半島に定住、東南アジア一帯の巨石建造物の建設に関与(ムラユ人)


★BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、マレー半島から中国に到着(残留者:オルフェウス教団)

■BC7世紀 オルフェウス教団 古代中原に移住、創始神を創作(盤古)


★BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、中国から日本列島に到着(残留者:クシュ人、オルフェウス教団)

■BC7世紀 オルフェウス教団 畿内に移住、創始神を創作(イザナギとイザナミ)

■BC7世紀 クシュ人 東北地方に移住(久慈)

■BC7世紀 クシュ人 現地人にフェニキア文字のひとつ「エプシロン」を冠する(エビス)
※エビスの名の由来はエプシロン

■BC7世紀 クシュ人 支流エビスが陸奥安倍氏と連合(蝦夷)



クシュ人の大航海時代B

第二次東方ルート


第二次東方ルートには亀茲人を船頭に、イェマック、マナセ族、隼人、一部アーリア人が参加していた。大きな動きとしては、クシュ人の後裔、亀茲人がアメリカ大陸に赴き、ティオティワカン帝国やクスコ王国の建国に関与したこ

とである。


■BC330年 アーリア人 アケメネス朝ペルシア帝国滅亡を機に、タタ族、マナセ族を率いてモンゴル高原に移住

■BC3世紀 アーリア人 キンメリア人と連合、モンゴル高原の覇者となる(匈奴)


★BC3世紀 亀茲人 亀茲人の船団、モンゴル高原から北米、現カリフォルニアに到着(残留者:マナセ族、アーリア人)

■BC3世紀 マナセ族 現カリフォルニアに定住(モナシュ族)

■BC3世紀 アーリア人 現カリフォルニアに定住(カロク族)


★BC3世紀 亀茲人 亀茲人の船団、現カリフォルニアからメキシコに到着(残留者:亀茲人)

■BC3世紀 亀茲人 メキシコに定住、ケツァルコアトルを祀る(ティオティワカン帝国/他称)
※ケツァルコアトルの名の由来は亀茲

■AD1世紀 亀茲人 イェマックを率いてテオティワカンからアンデスに移住、植民地を建設(ティワナク文化/他称)

■AD7世紀 亀茲人 ティオティワカン滅亡を機にアンデス中央高地に移住(ワリ文化/他称)

■AD7世紀 亀茲人 ティオティワカン滅亡を機にアンデス山中クスコに移住(ケチュア族)

■AD1197年 ケチュア族 クスコを首都に王国を建設(クスコ王国)


★BC3世紀 亀茲人 亀茲人の船団、メキシコからユカタン半島を横切り、北米南東部に到着(残留者:隼人、イェマック)

■BC3世紀 隼人 月読神を祀っていた隼人がアメリカ南東部に定住(ミカズキ族)
※ミカズキの名は日本語「三日月」に由来する

■BC3世紀 イェマック アメリカ南東部に定住(ムスコギー族)
※ムスコギーの名は韓国語「何の肉ですか?」に由来する







@マヤ人


■BC7世紀 ボイイ族 ボイイ族の船団、北米大平原地方からユカタン半島に到着(残留者:ボイイ族、ビュブロス人、イッサカル族、ウルクのシュメール人、フリギア人)

■BC7世紀 ボイイ族 ユカタン半島の現地人にフェニキア文字のひとつ「ミュー」を冠する(マヤ人)

■BC7世紀 ビュブロス人 コツマルワパ文化を創始(ピピル人)
※ピピルの名の由来はビュブロス

■BC7世紀 ビュブロス人 ボイイ族と共同で神話を作成(ポポル・ヴー)
※ポポル・ヴーの名の由来はビュブロスとボイイの組み合わせ

■BC7世紀 マヤ人 マヤ低地では古い神殿を覆うようにその上に新しい神殿を築いていた(マモム期)

■BC7世紀 イッサカル族 ユカタン半島に雨の神を祀る(雨の神チャック・モール)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 ユカタン半島に月の神を祀る(月の神イシュ・チュル)

■BC7世紀 フリギア人 ユカタン半島に創造神を形成(創造神フラカン)

■BC7世紀 フリギア人 由緒ある先祖の故地パレンケを継承(ポラン族)

■BC4世紀 マヤ人 洗練された暦を持ち、独特の文字を使用、石灰岩の石組みでピラミッド神殿や宮殿を造った(先古典期後期マヤ文明)

■BC4世紀 マヤ人 先古典期後期のはじめに先古典期中期の基壇を覆って建てられた(ナクベ)

■BC4世紀 亀茲人A 匈奴の台頭を機に、イェマック、隼人、アルメニア人を率いてモンゴル高原からアメリカに向かう

■BC3世紀 亀茲人A メキシコに移住、ケツァルコアトルを祀る(テオティワカン文明/他称)
※ケツァルコアトルの名の由来はクシュ

■BC3世紀 マヤ人 エル・ミラドール(スペイン人による呼称)を継承、発展させる

■BC1世紀 ウェネティ人 一部、現ブルターニュからユカタン半島に移住、先祖の故地セロスを継承

■BC1世紀 ウェネティ人 セロスからメキシコに移住(トラシュカラ人)
※トラシュカラの名の由来はテュロス

■AD93年 箕子・粛慎 匈奴滅亡を機にアメリカに向けて船出、テオティワカンに移住(第二次エラム人の大航海時代)

■AD3世紀 イェマック ジャワ島を出発し、太平洋を横断、ユカタン半島に移住(残留者:キンブリ人)

■AD3世紀 キンブリ人 クメール人と連合、王朝を開く(カーン王朝)
※カーンの名の由来はキンブリ

■AD3世紀 大和人 ジャワ島を出発し、太平洋を横断、ユカタン半島に移住(残留者:久米氏、加賀氏、吉備氏)

■AD3世紀 吉備氏 マヤに定住、都市を建設(コパン王朝)
※コパンの名の由来はカッパ

■AD3世紀 久米氏 マヤに定住、都市を建設(カラクムル)
※カラクムルの名の由来はカラ/原とクメールの組み合わせ

■AD3世紀 加賀氏 マヤに定住、ククルカンを祀る
※ククルカンは古代日本語「蛇/カガ」「拝む/ウガン」の組み合わせ

■AD4世紀頃 箕子・粛慎 生贄の儀式により反対勢力を排除してテオティワカンに君臨、マヤ高地に侵攻

■AD4世紀頃 箕子・粛慎 一部がマヤ人と共にユカタン半島を発ってブリテン島に帰還、スコットランドに移住(ピクト人/ケ族、ジルシン族)
※エラム人としてブリテン島を発って以来、3000年ぶりの帰郷となる

■AD4世紀 マヤ人 ティオティワカンの侵攻を機に、東西移住を計画(マヤ人の大航海時代)

■AD4世紀 マヤ人 ユカタン半島からブリテン島、先発隊の土地デヴォンに移住(残留者:マヤ人、加賀氏、久米氏、吉備氏、キンブリ人、ポラン族、ルス人)

■AD4世紀 マヤ人 現デヴォンからアイルランド島に移住(MOORE氏族)
※MOOREの名の由来はマヤ

■AD4世紀 久米氏 現デヴォンからスコットランド・ハイランドに移住(MURRAY氏族)
※MURRAYの名の由来はクメール

■AD4世紀 加賀氏 現デヴォンからエセックスに移住(COOK氏族)
※COOKの名の由来はククルカン

■AD4世紀 加賀氏 現デヴォンからアイルランド・ミードに移住(REAGAN氏族)
※REAGANの名の由来はククルカン

■AD4世紀 キンブリ人 現デヴォンから西方に移住、ウェールズ人と連合(コーンウォール)
※コーンウォールの名の由来はカーンとウェールズの組み合わせ

■AD4世紀 吉備氏 現デヴォンからサセックスに移住(COPPER氏族、COOPER氏族)
※COPPER、COOPERの名の由来はカッパ

■AD4世紀 吉備氏 サセックスから現ケントに移住(COBAIN氏族)
※COBAINの名の由来はコパン

■AD4世紀 マヤ人 ユカタン半島から太平洋を横断し、ジャワ島に到着(残留者:久米氏、加賀氏、マヤ人)

■AD4世紀 マヤ人 ジャワ島から現宮古島に移住(宮古)
※宮古の名の由来はマヤ

■AD4世紀 マヤ人 宮古島から沖縄本島に移住(真栄田氏)
※真栄田の名の由来はマヤ

■AD4世紀 久米氏 ジャワ島から真臘王国治世下の現カンボジアに移住(クメール人)

■AD4世紀 加賀氏 ジャワ島から日本に移住

■AD4世紀 加賀氏 マヤ人と共に北方領土に移住(歯舞諸島)
※歯舞の名の由来は加賀とマヤの組み合わせ

■AD4世紀 マヤ人 歯舞諸島から満州に移住(靺鞨/モヘ)
※モヘの名の由来はマヤ

■AD4世紀 マヤ人 ユカタン半島から太平洋岸を北上、コロラド河上流に移住(残留者:マヤ人、ピピル人)

■AD4世紀 ピピル人 ユカタン半島からコロラド流域に移住(プエブロ族)
※プエブロの名の由来はビュブロス、或いはピピル

■AD4世紀 マヤ人 コロラド流域から北米南西部に移住(マヨ族)
※マヨの名の由来はマヤ

■AD420年 ポラン族 セロス人と共に現デヴォンからスコットランド・ローランドに移住(バーニシア王国)
※バーニシアの名の由来はポラン

■AD5世紀 ポラン族 ルス人と共にブリテン島から現ウクライナに移住(ポリャーネ族)
※ポリャーネの名の由来はポラン

■AD630年 阿史那氏 突厥帝国東西に分裂、一部がチュルク族を率いてアメリカ大陸に向かう(チュルク民族の大航海時代)

■AD634年 ルス人 ベルニシア王国滅亡を機に、スコットランドから現スウェーデンに移住

■AD634年 ポラン族 ベルニシア王国滅亡を機に、スコットランドから現ノルウェー南部に移住(ヴァルン族)

■AD7世紀 ヴァルン族 現ノルウェー南部から現ポーランドに移住

■AD7世紀 ルス人 スウェーデンの現地人にフェニキア文字のひとつベータを冠する(スウェード人)

■AD7世紀頃 ケ族、ジルシン族 祖を同じくするアルスター人を率いてメキシコに帰還(テオティワカン滅亡)

■AD7世紀頃 ケ族、ジルシン族、アルスター人 マヤ高地に侵攻(マヤ文明崩壊)

■AD7世紀 久米氏 カーン王朝がティカルに敗北したのを機に、ユカタン半島から東方に帰還

■AD7世紀 久米氏 カラクムルから現カンボジアに移住、クメール王朝に合流

■AD7世紀 亀茲人A ティオティワカン滅亡を機にアンデス山中クスコに移住(ケチュア族)

■AD750年頃 阿史那氏 ペルー北部沿岸地域に移住(シカン王国/他称)

■AD8世紀 ポラン族 パンノニアから来たアヴァール人とポーランドで連合(ゴプラン族)
※ゴプランの名の由来は、朝鮮語のゴ(高)とポランの組み合わせ

■AD8世紀 ゴプラン族 ポラン=ゴプラン連合の伝説的な首長ポピエル生誕(ポピエル家)
※ポピエルの名の由来はポランとアヴァールの組み合わせ、ポヴァール

■AD8世紀 ルス人 現スウェーデンに移住してきたワリアギと連合

■AD8世紀 吉備氏 現ケントから現デンマーク、シェラン島に移住(コペンハーゲン)
※コペンハーゲンの名の由来はコパン

■AD8世紀 コパン人 現デンマークからフランク王国に移住、フランク人、ザクセン人に合流

■AD862年 ルス人 ロシアの建国者リューリク、スウェード人を率いてノヴゴロドに侵攻(リューリク朝)

■AD9世紀 プエブロ族 チャコ・キャニオンに移住(プエブロ・ボニート)

■AD9世紀 マヨ族 プエブロ族の移住を機に太平洋岸を北上、アリューシャン列島を越えて北海道に移住(モヨロ人)
※モヨロの名の由来はマヨ

■AD9世紀 ポラン族 ポーランドの伝説的な君主ピャスト生誕(ピャスト家)

■AD9世紀 コパン人 ヴェルマンドワ伯に接近し、自身の血統を打ち立てる

■AD9世紀 ヴェルマンドワ伯 ベアトリスが西フランク王ロベール1世に接近(ユーグ大公)

■AD9世紀 ヴェルマンドワ伯 ユーグ大公、オストマルク辺境伯の娘ヘートヴィヒと結婚(ユーグ・カペー)

■AD9世紀 クメール人 シャイレーンドラ朝から独立、アンコール人、カンボージャ人と連合(クメール帝国)

■AD926年 黒水靺鞨 契丹による渤海国征服を機に、日本に移住

■AD926年 黒水靺鞨 斉藤為時に接近、自身の血統を打ち立てる

■AD940年頃 ヴェルマンドワ伯 ユーグ・カペー生誕(カペー家)
※カペーの名の由来はカッパ、コパン

■AD976年 カンディアーノ家 カンディアーノ4世殺害を機に、一族がヴェネツィアからユカタン半島に移住(イツァー人)
※イツァーの名の由来はヴェネツィア

■AD976年 カンディアーノ家 チチェン人と連合、新都市を建設(チチェン・イツァー)

■AD987年 トンガ人 マヤ人に「ククルカンが西方から到来」と表現され、新都市を建設(プトゥン人)

■AD12世紀 加賀氏 平清幹に接近、自身の血統と打ち立てる(平成幹の妹生誕)

■AD12世紀 加賀氏 平成幹の妹、源義光に接近、自身の血統と打ち立てる(源義清生誕)

■AD1143年 加賀氏 源義清の息子、加賀美遠光生誕(加賀美氏)

■AD1189年 アイヌ人 モヨロ人の案内により奥州藤原氏、出羽修験道教団と共にアメリカ大陸に向かう

■AD12世紀 アイヌ人 奥州藤原氏、出羽修験道教団と共にクスコ王国に到達、ケチュア族と連合(インカ人)

■AD1221年 小笠原氏 承久の乱を機に、長清の子息たちが源有雅を率いて東西移住を計画(加賀美氏の大航海時代)
※アッサムの名の由来は小笠原氏に縁がある浅間

■AD1221年 小笠原氏 東方ルートに及び、現アッサム地方に移住(アッサム)

■AD1221年 小笠原氏 西方ルートに及び、ユカタン半島に移住(ココム家)
※父加賀美遠光の姓を冠した

■AD1224年 イツァー人 トルテカ人の侵攻を機に、一部がユカタン半島からヴェネツィアに帰還(チチェン・イツァー放棄)

■AD1263年 イツァー人 チチェン・イツァーからマヤパンに移住、都市を建設(マヤパン)

■AD14世紀 斉藤氏 斉藤季基生誕、後に前田村に居住し前田季基に改姓(前田氏)
※前田の名の由来はマヤ

■AD1441年 イツァー人 マヤパン滅亡を機に、ペテン・イツァー湖に移住(タヤサル王国)

■AD1441年 ココム家 マヤパン滅亡を機に日本に帰還

■AD1538年 前田氏 前田利家生誕

■AD1551年 前田氏 前田利家、小姓として織田信長に仕える

■AD1573年 ココム家 加賀美氏に接近、自身の血統と打ち立てる(加賀美正光生誕)

■AD16世紀 ココム家 加賀美正光、加賀美から各務に改名(各務氏)
※各務の名の由来はココム

■AD1581年 前田氏 前田利家、信長により能登一国を与えられる(加賀藩)

■AD1582年 前田氏 前田利家、本能寺の変を機に柴田勝家に従う

■AD1583年 前田氏 前田利家、柴田軍として布陣したが離反(賤ヶ岳の戦い)

■AD1585年 前田氏 前田利家、秀吉から羽柴姓を頂き、同時に豊臣姓をも下賜された

■AD1599年 前田氏 前田利家、秀吉の死後に大阪城入り、秀頼の傅役として大坂城の実質的主となる

■AD1847年 プトゥン人 ユカテク・マヤが白人入植者に蜂起(カスタ戦争)

■AD1850年代 プトゥン人 キンタナ・ロー州で「語る十字架の奇跡」の現象が発生
※キンタナ姓とプトゥン人は祖を同じくする、ヤマト人の子孫

■AD1868年 ツェルタル族 ヴェネツィア人の血統ツェルタル族の反乱発生

■AD1910年 プトゥン人 アラゴンの系統フランシスコ・マデーロ大統領就任を機に、キンタナ・ロー地域蜂起

■AD1960年 ムーア氏 ダドリー・ムーア、コメディ集団「ビヨンド・ザ・フリンジ」に参加、盟友ピーター・クックに出会う

■AD1965年 ムーア氏 ダドリー・ムーア、ピーター・クックと組んでTV番組「NOT ONLY BUT ALSO」放映
※奇しくもムーアとクックの両姓はマヤ出自である

■AD1985年 ムーア氏 ゲイリー・ムーア、フィル・ライノットと共にシングル「アウト・イン・ザ・フィールズ」発表

■AD1987年 ムーア氏 ゲイリー・ムーア、アルバム「ワイルド・フロンティア」発表

■AD1989年 ムーア氏 ゲイリー・ムーア、アルバム「アフター・ザ・ウォー」発表

■AD1999年 ムーア氏 マイケル・ムーア、テレビ番組「アホでマヌケなアメリカ白人」放映

■AD2002年 ムーア氏 マイケル・ムーア、映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」発表















※表の見方:年代、民族、事象、()内は、後に関与した土地、文化、氏族、民族、人物、神、宗教、国家。年代は目安として設定。




名前を知って歴史を知る方法で歴史を研究しているが、その結果、古代人の連合が頻繁に大航海時代を決行していたことがわかった。そしてそのひとつにヤマト人の大航海時代があった。以下の年表はヤマト人の大航海時代の年表である。そのうちにこの年表を元に物語を書きたいと考えている。
名前を知って歴史を知る方法では、新しい名前を知るとそれまでの研究成果を改訂しなければならないことが多い。今回の年表にもその影響が反映されている。以前は知らなかったが、ブリテン島にはヘースティンガス、マゴンサエテ、ペクサエテ、ウレオチェンサエテ、デイアラ、ウィッチェ、ダイフェドなどの王国が存在したことを発見した。そのため、多氏などの足跡を改める必要に迫られた。上記の王国を建設した人々がどこから来たか、それを考えて似た名前を探している内にヤマト人の日本からジャワ島に至った航海を関連付けてみたのだ。ひょっとして多氏、倭人、賀茂氏、加賀氏、久米氏、大伴氏などの神官氏族はジャワから更に太平洋を越えてユカタン半島に赴き、そこから更にブリテン島にまで及んだのではないか、そう仮定したのがこの年表制作の始まりである。


「フェニキア人が育んだ刺身文化」

フェニキア人は主に海岸沿いを航行し、夜間や雨天の場合、最寄の海岸に落ち着き、寝食の場を得ていた。ただ、「ヤマト人の大航海時代」のように太平洋を航行する場合、最寄の海岸は存在しない。つまり、寝食は全て船上で行わなければならない。その必要性から刺身文化が形成されたと考えられる。釣竿があれば海から食料を調達でき、火がなくても新鮮な内に魚を捌いて刺身を食せば良い。非常にコンパクトである。日本、ジャワ、ポリネシア、ユカタン半島、ハワイ、ミクロネシア諸島と太平洋を股にかけた日本のフェニキア人「ヤマト人」が刺身文化を日本にもたらした。厳密に言えば、ジャワ島を発って関東に上陸した北条氏、千葉氏、秩父氏、江戸氏などの祖であるジャワ人が刺身文化をもたらしたと考えられる。




@イェマックの大航海時代(参加氏族:マゴ家、百済人、ラーオ族、陳氏、キンブリ人)


■AD3世紀 イェマック 勿吉の台頭を機に、ジャワ島移住を計画(イェマックの大航海時代)

■AD3世紀 イェマック ジャワ島に到達、大和人に合流

◆AD3世紀 イェマック ジャワ島を出発し、太平洋を横断、ユカタン半島に移住(残留者:キンブリ人)

■AD3世紀 キンブリ人 クメール人と連合、王朝を開く(カーン王朝)
※カーンの名の由来はキンブリ

◆AD3世紀 イェマック 北アメリカからブリテン島に移住(残留者:多氏、倭人、大伴氏、ラコタ族、マゴ家、百済人、ラーオ族、陳氏)

■AD3世紀 大和人 現デヴォンシャーに定住(デヴォン)
※デヴォンの名の由来は大和の音読み

■AD3世紀 イェマック デヴォンからバルト海に移住(ハスディンギ族)
※ハスディンギの名の由来は朝鮮語「ハス/海水」「ティング/友」の組み合わせ

■AD406年 ハスディンギ族 バルト海でスエビ族、ヴァンダル族と連合、ライン川を越える

■AD409年 ハスディンギ族 イベリア半島に侵攻、王国を建設(ハスディンギ王国)

■AD419年 ハスディンギ族 スエビ族と対立するが、敗北(ハスディンギ王国滅亡)

■AD419年 ハスディンギ族 ハスディンギ王国滅亡を機に、イベリア半島からブリテン島に移住

■AD6世紀 ハスディンギ族 現ヘイスティングに移住(ヘースティンガス王国)
※ヘースティングの名の由来はハスディンギ

■AD6世紀 百済人 現ダービーシャーに移住、ジュート人と連合(ペクサエテ王国)
※ペクサエテの名の由来は百済とジュートの組み合わせ

■AD6世紀 ラーオ族 現ダービーシャーに移住、陳氏、ジュート人と連合(ウレオチェンサエテ王国)
※ウレオチェンサエテの名の由来はラーオ、陳、ジュートの組み合わせ

■AD628年 倭人 マーシアの属国化を機に、マゴ家、ジュート人を率いてウィッチェ王国から太平洋・トンガ島に移住

■AD656年 マゴ家 現ケンチェスターに移住、ジュート人と連合(マゴンサエテ王国)
※マゴンサエテの名の由来はマゴとジュートの組み合わせ

■AD1260年 マゴ家 天孫氏を称して渤海人から独立、沖縄に王朝を開く(英祖王統)

■AD13世紀 渤海人 マプングプエを退けて王国を建設(グレートジンバブエ王国)
※ジンバブエの名の由来は「新ボハイ」

■AD1350年 ジュート人 察度、浦添の英祖王統を滅ぼす(察度王統/中山王国)
※中山の名の由来は女真、察度の名の由来はジュート



A大和人の大航海時代(参加氏族:多氏、倭人、賀茂氏、久米氏、加賀氏、吉備氏、大伴氏)


●東方ルート

■AD3世紀 多氏 中臣氏、蘇我氏の台頭を機に、ジャワ島移住を計画(大和人の大航海時代)

■AD3世紀 大和人 ジャワ島で満州から来たイェマックと合流

◆AD3世紀 大和人 ジャワ島を出発し、太平洋を横断、ユカタン半島に移住(残留者:久米氏、加賀氏、吉備氏)

■AD3世紀 吉備氏 マヤに定住、都市を建設(コパン王朝)
※コパンの名の由来はカッパ

■AD3世紀 久米氏 マヤに定住、都市を建設(カラクムル)
※カラクムルの名の由来はカラ/原とクメールの組み合わせ

■AD3世紀 加賀氏 マヤに定住、ククルカンを祀る(ココム家)
※ココムの名の由来は加賀、ククルカンは古代日本語「蛇/カガ」「拝む/ウガン」の組み合わせ

■AD3世紀 大和人 ユカタン半島から北アメリカに到着、ラコタ族が途中参加

◆AD3世紀 大和人 北アメリカからブリテン島に移住(残留者:多氏、倭人、大伴氏、ラコタ族、マゴ家、百済人、ラーオ族)

■AD3世紀 大和人 現デヴォンシャーに定住(デヴォン)
※デヴォンの名の由来は大和の音読み

■AD410年 大伴氏 デヴォンからウェールズに移住(ダイフェド王国)
※ダイフェドの名の由来は大伴の音読み

■AD550年 ラコタ族 デヴォンから現カンブリアに移住(レッジド王国)
※レッジドの名の由来はラコタ

■AD559年 多氏 デヴォンからイングランド北部に移住(デイアラ王国)
※デイアラの名の由来は大和の音読み

■AD577年 倭人 デヴォンから現ウスターに移住(ウィッチェ王国)
※ウィッチェの名の由来は倭

■AD604年 多氏 バーニシア王国のデイアラ併合を機に、大陸に移住(オーストリア)
※オーストリアの名の由来は「多」「州/スター」の組み合わせ

■AD7世紀 オーストリア人 現オーストリアからイベリア半島に移住、西ゴート王国に参加

■AD718年 オーストリア人 ペラーヨ、イスラム軍による西ゴート王国征服後に国家を建設(アストゥリアス家)
※アストゥリアスの名の由来はオーストリア

■AD8世紀 多氏 ジャワ島に王国を建設(マタラム王国)
※マタラムの名の由来はヤマト

■AD925年 アストゥリアス家 レオン王国のペルス家台頭を機に、イベリア半島からイタリアに移住(アッツォ家)
※アッツォの名の由来はアストゥリアス

■AD996年 アッツォ家 アルベルト・アッツォ2世、エステのシニョーレに(エステ家)
※エステの名の由来はアストゥリアス

■AD11世紀 多氏 クディリ王国の勢力伸張を機にジャワ島から沖縄本島に移住

■AD1187年 多氏 渤海人と連合、沖縄に王朝を開く(舜天王統)
※舜天の名の由来はジャワ

■AD1469年 ジャワ人 第一尚氏王統の終了を機に、沖縄から日本に移住

■AD16世紀 ジャワ人 加治氏に接近、自身の血統を打ち立てる(中山家勝生誕、中山氏)
※中山の名の由来は中山王国

■AD1803年 ジャワ人 尚成王、2歳で即位するも父尚哲の兄弟による王位継承を巡る陰謀が横行、一族に連れられて奈良に移住

■AD1835年 ジャワ人 尚育王即位、王位継承を巡る争いが終結

■AD1838年 ジャワ人 尚成王の一族から中山みきが輩出(天理教)
※天理の名の由来はウイグル人が祀っていたタンリ神



●西方ルート

■AD628年 倭人 マーシアの属国化を機に、マゴ家、ジュート人を率いてブリテン島から太平洋・トンガ島に移住

■AD7世紀前半 倭人 トンガ島から太平洋を北上、ハワイ島を発見(ハワイ)
※ハワイの名の由来はウイッチェ

■AD7世紀前半 倭人 ハワイ島から日本に向かう途中、グアム島を発見(グアム)
※グアムの名の由来は日本語「神」

■AD7世紀前半 倭人 グアム島から満州に移住し靺鞨と連合、2勢力に分離(粟末靺鞨)

■AD698年 粟末靺鞨 大祚栄、震国を建設(渤海国)
※ボハイの名の由来はハワイ

■AD926年 渤海人 契丹の侵攻により滅亡、東丹国として再編(渤海国滅亡)

■AD930年 渤海人 東丹国消滅を機に、満州から沖縄本島に移住

■AD937年 渤海人 南詔国滅亡を機に西方に向かうタイ族と連合、現ジンバブエに移住

■AD1019年 渤海人 女真を称し、沖縄から九州に侵攻(刀伊の賊)

■AD1100年代 渤海人 九州から京都に移住して藤原家保に接近、女児誕生

■AD1131年 渤海人 藤原家保の娘、藤原忠宗に接近(中山忠親生誕、中山家)
※中山の名の由来は女真

■AD1187年 渤海人 ジャワ人と連合、沖縄に王朝を開く(舜天王統)
※舜天の名の由来はジャワ

■AD13世紀 渤海人 マプングプエを退けて王国を建設(グレートジンバブエ王国)
※ジンバブエの名の由来は「新ボハイ」

■AD15世紀 ジンバブエ人 陸奥安倍氏のムタパ王国台頭を機に、シーラーズに移住

■AD1844年 ジンバブエ人 セイイェド・アリー・モハンマド、バハーウッラーを宣言(バーブ教)
※バーブの名の由来はジンバブエ

■AD1863年 ジンバブエ人 ミルザ・ホセ・アリ、バハーウッラーを自称(バハーイー教)
※バハーイーの名の由来はボハイ




Bマヤ人の大航海時代(参加氏族:加賀氏、久米氏、吉備氏、キンブリ人、ポラン族、ルス人)


●東方ルート

■AD4世紀 マヤ人 ティオティワカンの侵攻を機に、東方移住を計画(マヤ人の大航海時代)

◆AD4世紀 マヤ人 ユカタン半島からブリテン島、先発隊の土地デヴォンに移住(残留者:マヤ人、加賀氏、久米氏、吉備氏、キンブリ人、ポラン族、ルス人)

■AD4世紀 マヤ人 現デヴォンからアイルランド島に移住(MOORE氏族)
※MOOREの名の由来はマヤ

■AD4世紀 久米氏 現デヴォンからスコットランド・ハイランドに移住(MURRAY氏族)
※MURRAYの名の由来はクメール

■AD4世紀 加賀氏/ココム家 現デヴォンからエセックスに移住(COOK氏族)
※COOKの名の由来はククルカン

■AD4世紀 加賀氏/ココム家 現デヴォンからアイルランド・ミードに移住(REAGAN氏族)
※REAGANの名の由来はククルカン

■AD4世紀 キンブリ人 現デヴォンから西方に移住、ウェールズ人と連合(コーンウォール)
※コーンウォールの名の由来はカーンとウェールズの組み合わせ

■AD4世紀 吉備氏 現デヴォンからサセックスに移住(COPPER氏族、COOPER氏族)
※COPPER、COOPERの名の由来はカッパ

■AD4世紀 吉備氏 サセックスから現ケントに移住(COBAIN氏族)
※COBAINの名の由来はコパン

■AD420年 ポラン族 セロス人と共に現デヴォンからスコットランド・ローランドに移住(バーニシア王国)
※バーニシアの名の由来はポラン

■AD5世紀 ポラン族 ルス人と共にブリテン島から現ウクライナに移住(ポリャーネ族)
※ポリャーネの名の由来はポラン

■AD634年 ルス人 ベルニシア王国滅亡を機に、スコットランドから現スウェーデンに移住

■AD634年 ポラン族 ベルニシア王国滅亡を機に、スコットランドから現ノルウェー南部に移住(ヴァルン族)

■AD7世紀 ヴァルン族 現ノルウェー南部から現ポーランドに移住

■AD7世紀 ルス人 スウェーデンの現地人にフェニキア文字のひとつベータを冠する(スウェード人)

■AD8世紀 ポラン族 パンノニアから来たアヴァール人とポーランドで連合(ゴプラン族)
※ゴプランの名の由来は、朝鮮語のゴ(高)とポランの組み合わせ

■AD8世紀 ゴプラン族 ポラン=ゴプラン連合の伝説的な首長ポピエル生誕(ポピエル家)
※ポピエルの名の由来はポランとアヴァールの組み合わせ、ポヴァール

■AD8世紀 ルス人 現スウェーデンに移住してきたワリアギと連合

■AD8世紀 吉備氏 現ケントから現デンマーク、シェラン島に移住(コペンハーゲン)
※コペンハーゲンの名の由来はコパン

■AD8世紀 コパン人 現デンマークからフランク王国に移住、フランク人、ザクセン人に合流

■AD862年 ルス人 ロシアの建国者リューリク、スウェード人を率いてノヴゴロドに侵攻(リューリク朝)

■AD9世紀 ポラン族 ポーランドの伝説的な君主ピャスト生誕(ピャスト家)

■AD9世紀 コパン人 ヴェルマンドワ伯に接近し、自身の血統を打ち立てる

■AD9世紀 ヴェルマンドワ伯 ベアトリスが西フランク王ロベール1世に接近(ユーグ大公)

■AD9世紀 ヴェルマンドワ伯 ユーグ大公、オストマルク辺境伯の娘ヘートヴィヒと結婚(ユーグ・カペー)

■AD940年頃 ヴェルマンドワ伯 ユーグ・カペー生誕(カペー家)
※カペーの名の由来はカッパ、コパン



●西方ルート

■AD4世紀 マヤ人 ティオティワカンの侵攻を機に、東方移住を計画(マヤ人の大航海時代)

◆AD4世紀 マヤ人 ユカタン半島からアメリカ太平洋岸を北上し、コロラド流域に到着(残留者:ピピル人、マヤ人)

◆AD4世紀 マヤ人 ユカタン半島から太平洋を横断し、ジャワ島に到着(残留者:久米氏、加賀氏、マヤ人)

■AD4世紀 マヤ人 ジャワ島から現宮古島に移住(宮古)
※宮古の名の由来はマヤ

■AD4世紀 マヤ人 宮古島から沖縄本島に移住(真栄田氏)
※真栄田の名の由来はマヤ

■AD4世紀 久米氏 ジャワ島から真臘王国治世下の現カンボジアに移住(クメール人)

■AD4世紀 加賀氏/ココム家 ジャワ島から日本に移住(各務氏、加賀美氏)
※各務、加賀美の名の由来はココム

■AD4世紀 加賀氏 マヤ人と共に北方領土に移住(歯舞諸島)
※歯舞の名の由来は加賀とマヤの組み合わせ

■AD4世紀 マヤ人 歯舞諸島から満州に移住(靺鞨/モヘ)
※モヘの名の由来はマヤ

■AD7世紀 久米氏 カーン王朝がティカルに敗北したのを機に、ユカタン半島から東方に帰還

■AD7世紀 久米氏 カラクムルから現カンボジアに移住、クメール王朝に合流

■AD9世紀 クメール人 シャイレーンドラ朝から独立、アンコール人、カンボージャ人と連合(クメール帝国)

■AD926年 黒水靺鞨 契丹による渤海国征服を機に、日本に移住

■AD926年 黒水靺鞨 斉藤為時に接近、自身の血統を打ち立てる

■AD14世紀 斉藤氏 斉藤季基生誕、後に前田村に居住し前田季基に改姓(前田氏)
※前田の名の由来はマヤ





日本人


■AD1333年 新田氏 元弘の乱で新田義貞が鎌倉を攻略(鎌倉幕府滅亡)

■AD1333年 坂東八平氏 北条氏、秩父氏、上総氏、梶原氏、三浦氏、鎌倉氏、長尾氏、大庭氏の一部が北九州に大挙して移住、倭寇に参加

■AD1333年 坂東八平氏 一部が東南アジアの日本人町に移住(日本人町)

■AD1600年 西軍 徳川家康を総大将とする東軍と、毛利輝元を総大将とする西軍の戦い(関ヶ原の合戦)

■AD1600年 西軍 敗北を機に、石田、島津、小西、小川、大谷、安国寺、小早川、織田、赤座、長束、戸田の氏族が東南アジアに移住(日本人町)

■AD1615年 豊臣氏 徳川幕府が豊臣宗家を滅ぼす(大坂の陣)

■AD1615年 五人衆 豊臣政権敗北を機に、真田、毛利、長宗我部、後藤、明石の氏族がアユタヤに移住(アユタヤ日本人町)

■AD1615年 豊臣軍浪人衆 豊臣政権敗北の際、早川長政を筆頭にアユタヤに移住(山田長政)

■AD1615年 七手組 豊臣政権敗北を機に、速水、青木、伊東、堀田、中島、真野、野々村、杉の氏族がモンゴルに移住(カラクラ・タイシャ)
※カラクラ・タイシャの名の由来は鎌倉の大社「鶴岡八幡宮」

■AD1615年 カラクラ・タイシャ 秀次の元家臣、上田重光が隠棲先の京都から七手組のモンゴル行きに参加

■AD1632年 来島村上氏 日本人町焼き討ちを機に、大阪の陣の残党を率いてアユタヤから上海に移住(青幇)

■AD1632年 五人衆 日本人町焼き討ちを機に、毛利勝永の後裔が先祖の故地長州藩に帰還

■AD1632年 五人衆 日本人町焼き討ちを機に、長宗我部盛親、後藤基次などの後裔が浪人吉田康俊の後裔を率いて、先祖の故地土佐藩に帰還

■AD1637年 カラクラ・タイシャ ジュンガル部と連合(ジュンガル帝国)

■AD1733年 洪門 全羅道、平安道で農民蜂起を指揮、失敗後に日本・豊前国、阿波国に移住

■AD1733年 洪門 阿波組から政之丞が「大塩家」に養子入り、朝鮮半島からの移住者であるため儒学を継承

■AD1733年 洪門 豊前組が「福澤家」に接近、朝鮮半島からの移住者であるため儒学を継承

■AD1758年 カラクラ・タイシャ 清によるジュンガル部の大虐殺を機に、モンゴルから日本に帰還

■AD1758年 海西女直 一部が満州でカラクラ・タイシャに出会い、日本帰還に同行する

■AD1758年 カラクラ・タイシャ モンゴルから関東に移住、更に一部が関東から長州、肥前、薩摩、土佐に移住、浪人と化す

■AD1758年 海西女直/ナラ 長州藩に移住、初代内閣総理大臣を輩出する(伊藤博文)
※林の名の由来はフルン

■AD1758年 海西女直/ハダ 長州藩に移住、第3代、第4代内閣総理大臣を輩出する(山縣有朋、松方正義)
※山縣、松方の名の由来はハダ

■AD1758年 海西女直/エホ 肥前藩に移住、第8代内閣総理大臣を輩出する(大隈重信)
※大隈の名の由来はエホ

■AD1758年 海西女直/ウラ 肥後藩に移住、第23代内閣総理大臣を輩出する(清浦奎吾)
※清浦の名の由来はウラ

■AD1758年 カラクラ・タイシャ 上田重光の血統を継ぐ一族が重光の故地京都に帰還(上田喜三郎/AD1871年)

■AD1793年 洪門 大塩平八郎生誕

■AD18世紀 五人衆 アユタヤ帰還組の後藤基次、吉田康俊の後裔が土佐藩藩士に

■AD1804年 カラクラ・タイシャ 杉善右衛門の子孫が杉常徳に接近、自身の血統を打ち立てる(杉常道生誕)

■AD1816年 五人衆 吉田康俊の後裔、吉田東洋生誕
※東洋の名の由来はアユタヤ

■AD1827年 五人衆 土佐藩主山内豊著に接近、自身の血統を打ち立てる(山内容堂生誕)
※容堂の名の由来はアユタヤ

■AD1830年 カラクラ・タイシャ 杉常道、次男の寅之助生誕(吉田松陰)

■AD1835年 洪門 福澤諭吉生誕

■AD1837年 洪門 大坂町奉行の元与力平八郎が門下生を率いて蜂起(大塩平八郎の乱)

■AD1838年 五人衆 大阪の陣浪人衆の後裔、板垣退助生誕
※退助の名の由来はタイ

■AD1838年 五人衆 後藤基次の後裔、後藤象次郎生誕
※象次郎の名の由来はタイ

■AD1839年 豊臣軍浪人衆 長州藩士高杉小忠太に接近、自身の血統を打ち立てる(高杉晋作生誕)
※後に称した東行、東洋一狂生などの名の由来はアユタヤ

■AD1841年 海西女直/ナラ 林十蔵が秋山長佐衛門の長女に接近、自身の血統を打ち立てる(利助生誕)

■AD1842年 佐々木氏 玉木文之進、私塾を開設し吉田松陰が継承する(松下村塾)

■AD1848年 五人衆 吉田東洋、妻の兄後藤正晴が死去すると遺児象次郎を引き取る

■AD1850年 洪門 残党が現大阪から現佐賀に移住、私塾を新規に開設(義祭同盟)

■AD1850年 義祭同盟 江藤新平、大隈重信や乙亥の獄の残党、カラクラ・タイシャの残党が参加

■AD1854年 海西女直/ナラ 利助、父十蔵が足軽、伊藤弥右衛門の養子に入る(伊藤博文)

■AD1855年 五人衆 吉田東洋、少林塾を開講(新おこぜ組)

■AD1857年 五人衆 高杉晋作、松下村塾に入塾

■AD1858年 五人衆 吉田東洋、土佐勤王党と対立

■AD1861年 カラクラ・タイシャ 武市半平太、那須信吾、坂本龍馬、岡田以蔵など共に結社を設立(土佐勤王党)

■AD1862年 海西女直/ナラ 奈良原喜左衛門、海江田信義らがアルスター人と結び、江戸幕府と薩摩藩を罠にはめる片棒を担ぐ(生麦事件)
※奈良原の名の由来はナラ、海江田の名の由来はハダ

■AD1863年 アルスター人 イギリス公使代理ジョン・ニール、賠償金10万ポンドを受け取りながら更に2万ポンドを要求(薩英戦争)
※ニールはアルスター、キューパーはオランダ、キングストンはヨーク由来の姓

■AD1863年 中山家 中山忠光を奉り、結社を設立(天誅組)

■AD1863年 五人衆 高杉晋作、白石正一郎邸にて軍事集団を組織(奇兵隊)

■AD1868年 カラクラ・タイシャ 大政奉還と王政復古(明治維新)

■AD1868年 洪門 福澤諭吉、蘭学塾を改名(慶応義塾)

■AD1871年 カラクラ・タイシャ 上田喜三郎生誕

■AD1885年 海西女直/ナラ 伊藤博文、初代内閣総理大臣に就任

■AD1888年 日本人 黒田清隆、第2代内閣総理大臣に就任(大日本帝国憲法)

■AD1889年 海西女直/ハダ 山縣有朋、第3代内閣総理大臣に就任

■AD1891年 海西女直/ハダ 松方正義、第4代内閣総理大臣に就任

■AD1892年 海西女直/ナラ 伊藤博文、第5代内閣総理大臣に就任

■AD1896年 海西女直/ハダ 松方正義、第6代内閣総理大臣に就任

■AD1897年 海西女直/ナラ 伊藤博文、第7代内閣総理大臣に就任

■AD1898年 海西女直/エホ 大隈重信、第8代内閣総理大臣に就任

■AD1898年 海西女直/ハダ 山縣有朋、第9代内閣総理大臣に就任

■AD1898年 カラクラ・タイシャ 上田喜三郎、出口なおに出会う(大本教)

■AD1900年 海西女直/ナラ 伊藤博文、第10代内閣総理大臣に就任

■AD1901年 日本人 桂太郎、第11代内閣総理大臣に就任

■AD1906年 建州女直/ワンギヤ 西園寺公望、第12代内閣総理大臣に就任

■AD1908年 日本人 桂太郎、第13代内閣総理大臣に就任

■AD1911年 建州女直/ワンギヤ 西園寺公望、第14代内閣総理大臣に就任

■AD1912年 日本人 桂太郎、第15代内閣総理大臣に就任

■AD1913年 日本人 山本権兵衛、第16代内閣総理大臣に就任

■AD1914年 海西女直/エホ 大隈重信、第17代内閣総理大臣に就任

■AD1916年 建州女直/フネヘ 寺内正毅、第18代内閣総理大臣に就任

■AD1918年 海西女直/ウラ 原敬、第19代内閣総理大臣に就任

■AD1921年 日本人 高橋是清、第20代内閣総理大臣に就任

■AD1922年 日本人 加藤友三郎、第21代内閣総理大臣に就任

■AD1923年 日本人 山本権兵衛、第22代内閣総理大臣に就任

■AD1924年 海西女直/ウラ 清浦奎吾、第23代内閣総理大臣に就任

■AD1924年 ポルキウス家 加藤高明、第24代内閣総理大臣に就任

■AD1926年 建州女直/ワンギヤ 若槻禮次郎、第25代内閣総理大臣に就任

■AD1927年 日本人 田中義一、第26代内閣総理大臣に就任

■AD1929年 日本人 浜口雄幸、第27代内閣総理大臣に就任

■AD1931年 建州女直/ワンギヤ 若槻禮次郎、第28代内閣総理大臣に就任

■AD1931年 日本人 犬養毅、第29代内閣総理大臣に就任

■AD1932年 日本人 斉藤実、第30代内閣総理大臣に就任

■AD1934年 日本人 岡田啓介、第31代内閣総理大臣に就任

■AD1936年 日本人 広田弘毅、第32代内閣総理大臣に就任

■AD1937年 海西女直/ナラ 林銑十郎、第33代内閣総理大臣に就任

■AD1937年 建州女直/フネヘ 近衛文麿、第34代内閣総理大臣に就任

■AD1939年 日本人 平沼騏一郎、第35代内閣総理大臣に就任

■AD1939年 サーサーン人 阿部信行、第36代内閣総理大臣に就任

■AD1940年 建州女直/フネヘ 米内光政、第37代内閣総理大臣に就任

■AD1940年 建州女直/フネヘ 近衛文麿、第38代、第39代内閣総理大臣に就任

■AD1941年 建州女直/ドンゴ 東條英機、第40代内閣総理大臣に就任
※母方が徳永姓

■AD1944年 日本人 小磯国昭、第41代内閣総理大臣に就任

■AD1945年 日本人 鈴木貫太郎、第42代内閣総理大臣に就任

■AD1945年 建州女直/スクスフ 東久邇宮稔彦王、第43代内閣総理大臣に就任

■AD1945年 海西女直/ウラ 幣原喜重郎、第44代内閣総理大臣に就任

■AD1946年 建州女直/ドンゴ 吉田茂、第45代内閣総理大臣に就任
※母方が竹内姓

■AD1947年 海西女直/ハダ 片山哲、第46代内閣総理大臣に就任

■AD1948年 建州女直/イシハ 芦田均、第47代内閣総理大臣に就任

■AD1948年 建州女直/ドンゴ 吉田茂、第48、49、50、51代内閣総理大臣に就任

■AD1954年 日本人 鳩山一郎、第52、53、54代内閣総理大臣に就任

■AD1956年 建州女直/イシハ 石橋湛山、第55代内閣総理大臣に就任

■AD1957年 建州女直/スクスフ 岸信介、第56、57代内閣総理大臣に就任

■AD1960年 建州女直/ワンギヤ 池田勇人、第58、59、60代内閣総理大臣に就任

■AD1964年 サーサーン人 佐藤栄作、第61、62、63代内閣総理大臣に就任

■AD1972年 日本人 田中角栄、第64、65代内閣総理大臣に就任

■AD1974年 日本人 三木武夫、第66代内閣総理大臣に就任

■AD1976年 建州女直/ワンギヤ 福田赳夫、第67代内閣総理大臣に就任

■AD1978年 日本人 大平正芳、第68、69代内閣総理大臣に就任

■AD1980年 日本人 鈴木善幸、第70代内閣総理大臣に就任

■AD1982年 日本人 中曽根康弘、第71、72、73代内閣総理大臣に就任

■AD1987年 建州女直/ドンゴ 竹下登、第74代内閣総理大臣に就任

■AD1989年 日本人 宇野宗佑、第75代内閣総理大臣に就任

■AD1989年 日本人 海部俊樹、第76、77代内閣総理大臣に就任

■AD1991年 日本人 宮澤喜一、第78代内閣総理大臣に就任

■AD1993年 日本人 細川護熙、第79代内閣総理大臣に就任

■AD1994年 日本人 羽田孜、第80代内閣総理大臣に就任

■AD1994年 建州女直/ジェチェン 村山富市、第81代内閣総理大臣に就任

■AD1996年 日本人 橋本龍太郎、第82、83代内閣総理大臣に就任

■AD1998年 日本人 小渕恵三、第84代内閣総理大臣に就任

■AD2000年 日本人 森喜朗、第85、86代内閣総理大臣に就任

■AD2001年 日本人 小泉純一郎、第87、88、89代内閣総理大臣に就任

■AD2006年 建州女直/スクスフ 安倍普三、第90代内閣総理大臣に就任

■AD2007年 建州女直/ワンギヤ 福田康夫、第91代内閣総理大臣に就任

■AD2008年 建州女直/ドンゴ 麻生太郎、第92代内閣総理大臣に就任

■AD2009年 日本人 鳩山由紀夫、第93代内閣総理大臣に就任

■AD2010年 日本人 菅直人、第94代内閣総理大臣に就任

■AD2011年 日本人 野田佳彦、第95代内閣総理大臣に就任

■AD2012年 建州女直/スクスフ 安倍普三、第96代内閣総理大臣に就任

















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