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@中臣氏


■BC950年 メシュウェシュ人 リビア人シェションク1世、エジプト統一(エジプト第22王朝)

■BC343年 ペルシア人 ペルシア帝国がエジプトに侵攻(エジプト第30王朝滅亡)

■BC343年 メシュウェシュ人 ペルシア侵攻を機に、配下に収まって傀儡として王位を存続

■BC3世紀 アケーア人 ソフィストの集団がマケドニア侵攻を機にギリシアから北アフリカに移住、メシュウェシュ人と合流

■BC3世紀 メシュウェシュ人A ソフィストを率いて北アフリカから満州に移住(女真族/ジュシャン人)
※ジュシャンの名の由来はシュシャン

■BC3世紀 メシュウェシュ人B 北アフリカからイランに移住(サーサーン人)
※サーサーンの名の由来はシュシャン

■BC3世紀 メシュウェシュ人A ソフィスト集団を構成するアケーア人と建州女直を形成(建州女直)

■BC3世紀 メシュウェシュ人A ジェチェンを形成、「ジェチェン」の名の由来は「シュシャン」

■BC2世紀 建州女直/ジェチェンA 高句麗台頭を機に、スクスフを率いて日本に移住(国栖族、土蜘蛛)
※国栖の名の由来はスクスフ、土蜘蛛の名の由来はジュシャン

■AD2世紀 建州女直/ジェチェンB 一部が天種子命を祀り、畿内から種子島に移住
※シュシの名の由来はジュシャン

■AD3世紀 建州女直/ジェチェンA 中臣阿麻毘舎卿、ジュシャンに漢字表記を当て字(中臣氏)
※中臣の名の由来はジュシャン

■AD3世紀 中臣氏 中臣阿麻毘舎卿、大和国を奈良と呼ぶ(奈良)
※奈良の名の由来はナラ王家

■AD300年頃 建州女直/ジェチェンB 李氏とラーオ族の連合ローランと同盟(柔然/ローラン)
※柔然の名の由来はジュシャン

■AD300年頃 建州女直/ジェチェンB 柔然から追放されたジュシャン人が代国に取り入る(長孫氏)
※長孫の名の由来はジュシャン

■AD391年 長孫氏 長孫嵩、北魏の将軍として柔然討伐を指揮

■AD555年 柔然 突厥帝国が柔然の皆殺しを主張(柔然滅亡)

■AD555年 長孫氏 長孫稚の子息が氏族を率いてアヴァール人の行軍を追跡

■AD1281年 チェシン人 ポーランド王国から分立(チェシン公国)

■AD6世紀 中臣氏 中臣可多能コ、息子誕生(中臣御食子生誕)

■AD6世紀 中臣氏 中臣可多能コ、息子誕生(中臣国子生誕)

■AD6世紀 中臣氏 中臣可多能コ、息子誕生(中臣糠手子生誕)

■AD7世紀 長孫氏 アヴァール人追跡の途中、コーカサス地方に根を下ろす(チェチェン人)
※チェチェンの名の由来はジュシャン

■AD7世紀 長孫氏 アヴァール人追跡を終え、単独でポーランド南部に根を下ろす(チェシン)
※チェシンの名の由来はジュシャン

■AD7世紀 東漢氏 大伴智仙に接近、自身の血統を打ち立てる(大伴咋女)

■AD7世紀 東漢氏 大伴咋女が中臣御食子に接近、自身の血統を打ち立てる(中臣鎌足生誕)

■AD7世紀 中臣氏 中臣御食子に接近、自身の血統を打ち立てる(中臣久多生誕)

■AD7世紀 中臣氏 中臣御食子に接近、自身の血統を打ち立てる(中臣垂目生誕)

■AD7世紀 東漢氏 中臣鎌足、天智天皇から藤原姓を賜る(藤原氏)
※フジワラの名の由来はカシュガル

■AD7世紀 建州女直/ジェチェンB 種子島から畿内に帰還(車持氏)
※車持の名の由来は種子

■AD659年 中臣氏 車持与志古娘が中臣鎌足に接近、自身の血統を打ち立てる(藤原不比等生誕)

■AD680年 蘇我氏 蘇我連子娘が藤原不比等に接近、自身の血統を打ち立てる(藤原武智麻呂生誕)

■AD681年 蘇我氏 蘇我連子娘が藤原不比等に接近、自身の血統を打ち立てる(藤原房前生誕)

■AD694年 蘇我氏 蘇我連子娘が藤原不比等に接近、自身の血統を打ち立てる(藤原宇合生誕)

■AD695年 東漢氏 五百重娘が藤原不比等に接近、自身の血統を打ち立てる(藤原麻呂生誕)

■AD769年 中臣氏 中臣朝臣清麻呂が大中臣朝臣を賜る(大中臣氏)

■AD?年 中臣氏 大和国忍海郡に移住(中村氏)
※中村の名の由来はジュシャン

■AD781年 中臣氏 藤原真作に接近、自身の血統を打ち立てる(藤原美都子生誕)
※藤原氏の乗っ取りを謀る

■AD804年 中臣氏 藤原美都子、藤原冬嗣に接近(藤原良房生誕、良房流)

■AD907年 中臣氏 藤原経邦に接近、自身の血統を打ち立てる(藤原盛子生誕)

■AD929年 中臣氏 藤原盛子、藤原師輔に接近(藤原兼家生誕)

■AD966年 中臣氏 藤原兼家、五男誕生(藤原道長生誕、御堂流)

■AD11世紀 中臣氏 道長の五代孫、藤原右馬之介信生が近江国に土着(三井家)

■AD1185年 伊勢平氏 平清盛の氏族が壇ノ浦からモンゴル高原に移住(ホシュート)
※ホシュートの名の由来は落人

■AD12世紀 伊勢平氏 平家長、海西女直のハダ族を連れて日本に帰還

■AD1859年 大中臣氏 香取氏が川手氏を乗っ取り、新宗教を形成(金光教)

■AD1868年 建州女直/ジェチェン 「中」「塩」「沢」「土」「種」「村」「長」「町」が付く姓を名乗る

■AD1989年 大中臣氏 三條実美、第3代内閣総理大臣を兼任

■AD1907年 中臣氏 中村是公、第2代関東都督府行政官に就任(関東軍)
※中臣氏由来の中村姓

■AD1914年 中臣氏 中村覚、第3代関東都督に就任

■AD1917年 中臣氏 中村雄次郎、第4代関東都督に就任

■AD1921年 建州女直/ジェチェン 平沼騏一郎検事総長、大本検挙の判断を下す(第一次大本事件)
※母が不明の為、中臣氏の可能性がある

■AD1922年 建州女直/ジェチェン 伊集院彦吉、第4代関東庁に就任

■AD1928年 建州女直/ジェチェン 社会運動の取り締まり機関設置(特別高等警察)

■AD1931年 関東軍 満州全土を占領(満州事変)

■AD1932年 関東軍 中華民国から独立を宣言、愛心覚羅溥儀を元首に据える(満州国)

■AD1934年 建州女直/ジェチェン 長岡隆一郎、関東局初代総長に就任

■AD1934年 中臣氏 南次郎、初代関東局長官に就任
※中臣氏由来の南姓

■AD1936年 皇道派 フェニキア人の治世を取り戻す為にジュシャン人が蔓延る政府に蜂起(2.26事件)

■AD1939年 満州国 一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった(ノモンハン事件)

■AD1945年 建州女直/ジェチェン 町村金五、第53代警視総監に就任、特高警察を指揮

■AD1945年 満州国 敗戦ではなく、ソ連軍の侵攻を受け、重臣会議は満洲国の廃止を決定(満州国滅亡)

■AD1945年 満州国 ソ連の侵攻を機に、満州国の中枢が本願寺とアメリカの密約で空爆を逃れた中臣氏の拠点、京都、奈良、石川、宮崎などに移住

■AD1960年代 建州女直/ジェチェン 自身の血筋以外の者を個人一揆により排除し、自身の血統の繁栄を謀る

■AD1980年代 建州女直/ジェチェン 強力なカーストによるガス抜きが、陰湿なイジメとして扱われ、社会問題として認知される

■AD1994年 建州女直/ジェチェン 村山富市、第81代内閣総理大臣に就任

■AD1999年 建州女直/ジェチェン 西村博之、掲示板サイトを立ち上げる(2ちゃんねる)

■AD2000年 建州女直/ジェチェン 西村正雄、みずほホールディングス会長を兼任

■AD2001年 建州女直/ジェチェン 塩川正十郎、第一次小泉内閣財務大臣に就任



A平家


■AD10世紀 中臣氏 藤原良方の娘が高望王に接近、自身の血統を打ち立てる(平国香生誕)

■AD10世紀 中臣氏 国香の孫、平貞盛に接近、自身の血統を打ち立てる(平維衡生誕、伊勢平氏)

■AD1096年 中臣氏 平正盛に接近、自身の血統を打ち立てる(平忠盛生誕)

■AD1118年 伊勢平氏 忠盛に長男誕生(平清盛生誕)

■AD1155年 ボルジギン家 テムジン生誕(チンギス・ハーン)

■AD1156年 伊勢平氏 平清盛、後白河天皇側に付き、崇徳上皇方と交戦(保元の乱)

■AD1160年 伊勢平氏 平清盛、後白河天皇側に付き参戦(平治の乱)

■AD1167年 伊勢平氏 平清盛、太政大臣に、翌年に辞任して出家

■AD1180年 清和源氏 源頼朝、挙兵

■AD1185年 伊勢平氏 平家の氏族が、九条家、中臣氏の氏族を率いて壇ノ浦からモンゴル高原に移住(壇ノ浦の合戦)

■AD1185年 伊勢平氏 平清盛の子息、宗盛、知盛、重衡、維俊が氏族を率いてモンゴル高原に移住

■AD1185年 伊勢平氏 平頼盛の子息、伸盛、知重、保業、光盛が氏族を率いてモンゴル高原に移住

■AD1185年 伊勢平氏 平経盛の子息、経兼、広盛、経光が氏族を率いてモンゴル高原に移住

■AD1185年 伊勢平氏 平教盛の子息、通盛、業盛が氏族を率いてモンゴル高原に移住

■AD1185年 伊勢平氏 有力家人、平盛俊と子息の平盛綱が氏族を率いてモンゴル高原に移住

■AD1185年 九条家 九条兼実の子息、良通、良尋、良海、良恵が氏族を率いてモンゴル高原に移住

■AD12世紀 伊勢平氏 知盛の乳兄弟平家長、モンゴル高原に同行したが、満州で出会った海西女直/ハダを率いて日本に帰還

■AD12世紀 海西女直/ハダ 平家長の息子、服部時貞が伊賀国に移住(服部氏)
※服部の名の由来はハダ

■AD1206年 ボルジギン家 テムジンがタイチウト、ケレイト、ナイマン、メルキト、タタールを滅ぼす(モンゴル高原統一)

■AD1206年 伊勢平氏 平盛俊の氏族がモンゴル人の台頭を機に西方に進出、ニジニ・ノヴゴロドに根を下ろす(モルドヴィア人)
※モルドヴィアの名の由来は欧州読み「盛俊・平」

■AD1220年 ボルジギン家 チンギス・ハーン、コラサンを滅ぼす(チンギス・ハーン征西)
※平家、九条家、源義経、源希義、宋王家、金氏、ゴルカの氏族が同行

■AD1224年 ボルジギン家 ジュンガリア地方に建設されたモンゴル帝国の分枝政権(オゴタイ・ハーン国)

■AD1227年 ボルジギン家 李徳旺、モンゴル軍に投降(西夏滅亡)

■AD1234年 ボルジギン家 オゴディ・ハーンの金朝侵攻を機に、金氏が現タイに移住(金朝滅亡)

■AD1237年 ボルジギン家 蒙古の将バトゥ、モスクワ占領

■AD1238年 伊勢平氏 モンゴル軍がモルドヴァに侵攻、同行していた伊勢平氏が祖を同じくするモルドヴィア人と合流(シチ川の戦い)

■AD1240年 ボルジギン家 蒙古の将バトゥ、ノヴゴロド軍、スウェーデン軍を破る(キエフ占領)

■AD1241年 ボルジギン家 モンゴル軍がシレジアに侵入、ポーランド・ドイツ連合軍と激突(ワールシュタットの戦い)

■AD13世紀 中臣氏 ジョチの13男、トカ・テムルの子孫がキプチャク草原に根付く(トクタミシュ・ハン)
※トクタミシュの名の由来はナカトミシ

■AD1357年 野人女直/ゴルカ ツォンカパ生誕(ゲルク派)
※ゲルクの名の由来はゴルカ

■AD1359年 モルドヴィア人 ボグダン公、ハンガリー軍を破り黒海周辺に根を下ろす(モルダヴィア公国)
※ボグダンの名の由来は爆弾

■AD1378年 トクタミシュ ティムールの支援を受ける(ジョチ・ウルスのハンに即位)

■AD1380年 トクタミシュ ジョチ・ウルスの再統合達成(カルカ河畔の戦い)

■AD1382年 トクタミシュ ジョチ・ウルスから独立しかけたモスクワ大公国を襲撃(モスクワ包囲戦)

■AD1395年 トクタミシュ テレク河畔の戦いでティムールに敗北(トクタミシュ・ティムール戦争)

■AD14世紀 モルダヴィア人 現モルダヴィアからクリミア半島に移住(バシ・テムル/タシ・テムル)
※バシの名の由来はヘイシ、タシの名の由来はタイラシ

■AD1430年頃 モルダヴィア人 ハージー1世ギレイ、リトアニア大公国の支援を受け自立

■AD1441年 モルダヴィア人 ハージー1世ギレイ、独立宣言(クリミア・ハン国)

■AD15世紀 モルダヴィア人 クリミア・ハン国を拠点に、周辺の現地人の百姓を訓練・指揮し、軍事集団として統合(コサック)
※コサックの名の由来は日本語「小作人」

■AD16世紀前半 コサック クリミア・ハン国のハン位独占(ギレイ家)
※ギレイの名の由来は日本語「華麗」

■AD1571年 ギレイ家 ロシア・クリミア戦争でクリミア・ハン国がモスクワを焼き払った(モスクワ大火)
※ロシアに覇を唱えたホシュートの陰謀であり、動乱時代を用意した

■AD1579年 服部氏 織田信雄が伊賀忍者の罠にかかり、大敗を喫する(第一次伊賀の乱)
※信長はこれをすぐに罠と見抜いたため、信雄が単独で動いたことを厳しく戒め、絶縁さえ口にした

■AD1581年 服部氏 織田信長、4万の兵を率いて伊賀に侵攻(第二次天正伊賀の乱)

■AD1605年 コサック イワン雷帝の子息ドミトリー1世を騙り、ツァーリに就任(動乱時代)

■AD1606年 コサック 偽ドミトリー1世、蜂起により殺害

■AD1610年 コサック 偽ドミトリー2世、仲間によって殺害

■AD16世紀 坂東平氏 平高望から数えて22代目備中守、平忠重誕生(住友家、住友財閥)

■AD1636年 ホシュート グーシ・ハーン、ゲルク派の要請を受けてチョクト・ホンタイジ討伐のために青海に遠征

■AD1642年 ホシュート グーシ・ハーン、アムドを中心に王国を建設(グシ・ハン王朝)

■AD1648年 ウクライナ・コサック 首領ボフダン・フメリニツキー、大規模な共和国蜂起を指揮(ヘーチマン国家)
※ヘーチマンの名の由来は日本語「平氏」

■AD1666年 モルドヴィア人 ニーコン総主教による奉神礼改革に反発(古儀式派)

■AD1670年 ドン・コサック コサックのアタマン、スチェパン・ラージンがロシア帝国に蜂起するも、後に四つ裂き刑に(ラージンの乱)
※アタマンの名の由来は日本語「頭」

■AD1682年 モルドヴィア人 アヴァクーム、正教会に反逆したため、ツァーリの勅命をもって焚刑に処される

■AD1717年 ホシュート グシ・ハン国にジュンガルが侵攻、奇襲により嫡系途絶(ジョーン・モドの戦い)

■AD1723年 ホシュート 清の雍正帝がグシ・ハン国の傍系一族を屈服させたため、チベット王権を喪失(グシ・ハン国滅亡)

■AD1858年 ルーマニア人 ワラキア・モルダヴィア連合侯国成立を機に源希義、源義経の血統を継ぐルーマニア人が日本に帰還

■AD1871年 ルーマニア人 源希義、源義経の血統を継ぐルーマニア人として牧口常三郎生誕
※常三郎の名の由来はルーマニア語「CHOSA/選択」「VRU/欲する」の組み合わせ

■AD1918年 ルーマニア人 ソ連がコサックを反乱分子とみなして380万人を抹殺、これを機に、平家の血統を継ぐルーマニア人が日本に帰還(コサック滅亡)

■AD1940年 ホシュート アムド出身のラモ・トゥンドゥプ、ダライ・ラマの生まれ変わりとして認定(ダライ・ラマ14世)

■AD1944年 モルダヴィア人 ソ連に占領される(モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国)

■AD1953年 コサック ニキータ・フルシチョフ、ソビエト連邦第4代最高指導者に就任

■AD1956年 コサック ニキータ・フルシチョフ、スターリン批判を展開、東欧各地で動揺、中国との間にイデオロギー論争が生じる

■AD1958年 ホシュート アムドを中心に中国に対して武装蜂起(チベット動乱)

■AD1959年 ホシュート ダライ・ラマ14世、インドに亡命(チベット亡命政府)

■AD1959年 コサック ニキータ・フルシチョフ、アメリカを訪問しアイゼンハワー大統領と友好的な関係を築く

■AD1960年 コサック ニキータ・フルシチョフ、ロシア正教会の聖堂、約3割を破壊

■AD1962年 コサック ニキータ・フルシチョフ、インドに武器を援助(中印国境紛争)

■AD1985年 コサック ミハイル・ゴルバチョフ、ソビエト連邦第8代最高指導者に就任(ペレストロイカ)

■AD1986年 コサック ソ連解体の布石第一弾、チェルノブイリ原発事故を企画(グラスノスチ)

■AD1989年 コサック ミハイル・ゴルバチョフ、ブッシュ大統領と会談し、冷戦の終結を宣言(ポツダム会談)

■AD1990年 コサック 連続殺人鬼アンドレイ・チカチーロ逮捕、コサックの血統であるKGB要員が殺人を行ったと考えられる
※デーン人が何かしたい時に殺人鬼が出現する

■AD1991年 コサック ミハイル・ゴルバチョフ、新連邦条約締結に向けて準備が進めていた(ソ連解体)

■AD1991年 モルダヴィア人 独立を宣言(モルドバ共和国)

■AD2008年 ホシュート ゲルク派の信者が独立を主張して暴動を起こす(チベット騒乱)

■AD2014年 コサック ウクライナで親露派政権が崩壊し、親欧米政権が樹立(ウクライナ騒乱)



Bサーサーン人


■BC950年 メシュウェシュ人 リビア人シェションク1世、エジプト統一(エジプト第22王朝)

■BC343年 ペルシア人 ペルシア帝国がエジプトに侵攻(エジプト第30王朝滅亡)

■BC343年 メシュウェシュ人 ペルシア侵攻を機に、配下に収まって傀儡として王位を存続

■BC3世紀 アケーア人 ソフィストの集団がマケドニア侵攻を機にギリシアから北アフリカに移住、メシュウェシュ人と合流

■BC3世紀 メシュウェシュ人B 北アフリカからイランに移住(サーサーン人)
※サーサーンの名の由来はシュシャン

■BC3世紀 サーサーン人 ゾロアスター教を乗っ取る(ジャシャンの儀式)

■AD226年 サーサーン人 パルティアを滅ぼし、ゾロアスター教を国教に定めた王朝を開く(サーサーン朝)
※サーサーンの名の由来はシュシャン

■AD273年 サーサーン人 バハラム1世、マニを処刑

■AD339年 サーサーン人 シャープール2世、キリスト教徒迫害のはじめ

■AD348年 サーサーン人 シャープール2世、メソポタミアに侵攻(シンガラの戦い)

■AD359年 サーサーン人 シャープール2世、ローマ帝国と交戦、勝利し、西方に領土拡大

■AD420年 サーサーン人 バハラム5世、ビザンツ帝国と戦闘

■AD438年 サーサーン人 バハラム5世、フン族が侵攻するも撃退

■AD420年 サーサーン人 ヤズデギルド2世、エフタルと交戦

■AD513年 サーサーン人 クバード1世、突厥帝国と連合、エフタルを挟み撃ち(エフタル滅亡)

■AD616年 サーサーン人 コスロー2世、エジプトに遠征、コンスタンチノープルに迫る

■AD626年 サーサーン人 コスロー2世、アヴァール人、スラヴ人と連合、コンスタンチノープルを包囲

■AD627年 サーサーン人 コスロー2世、ビザンツ帝国に敗北(ニネヴェの戦い)

■AD627年 サーサーン人 イベリア王国と連合し、西突厥、ビザンツ、コルキス王国と対立

■AD642年 サーサーン人 イスラム帝国に征服される(サーサーン朝滅亡)

■AD642年 サーサーン人A サーサーン朝滅亡を機にイベリア人と共に日本に移住(阿部内麻呂)
※日本ではイベリア人がサーサーン由来の姓「佐々木、鈴木」を名乗り、サーサーン人がイベリア由来の姓「安倍、阿部」を称した

■AD642年 サーサーン人B 一部が日本を経由して満州に移住、建州女直に参加(アイシンギョロ氏)
※アイシンギョロの名の由来はニシャプール

■AD808年 阿部氏 安倍兄雄、最終官位は東山道観察使左近衛中将正四位下春宮大夫

■AD859年 阿部氏 安倍安仁、最終官位は大納言正三位兼行民部卿陸奥出羽按察使

■AD921年 阿部氏 安倍清明生誕、後に陰陽寮統括(陰陽道)

■AD1110年 阿部氏 安倍泰親生誕、正四位上

■AD1234年 ボルジギン家 オゴディ・ハーンの金朝侵攻を機に、金氏が現タイに移住(金朝滅亡)

■AD1234年 アイシンギョロ氏 金朝滅亡を機にモンゴル軍の征西に参加、チェチェンに移住(イチケリア人)
※イチケリアの名の由来はアイシンギョロ

■AD1327年 阿部氏 安倍有世、公卿である従二位にまで達した

■AD15世紀 阿部氏 安倍有宣生誕(土御門家)
※土御門の名の由来はサーサーンの帝王

■AD1559年 ロシア人 イワン雷帝、コーカサス地方に侵攻、コサック軍がチェチェンに駐留

■AD1559年 イチケリア人 コサック軍の駐留を機に、コーカサスから東アジアに帰還

■AD1565年 土御門家 土御門有脩、賀茂氏が独占していた暦博士を初めて兼任土御門久脩

■AD1568年 イチケリア人 平安道に移住するが、李氏朝鮮に駆逐される

■AD1568年 イチケリア人 満州南部に移住、古巣の建州女直に合流、アイシンギョロに漢字を当て字(愛新覚羅氏)

■AD1588年 愛新覚羅氏 ヌルハチ、挙兵して建州女直を統一

■AD1593年 愛新覚羅氏 ヌルハチ、海西女直が指揮する九部族連合と激突、完勝する

■AD1600年 土御門家 土御門久脩、徳川家康に陰陽道宗家と認められる

■AD1616年 愛新覚羅氏 ヌルハチ、汗位に就く(後金)

■AD1626年 愛新覚羅氏 ヌルハチ、明侵攻の拠点を得ようと山海関を陥落させようとしたがポルトガル製大砲により蹴散らされる(寧遠城の戦い)

■AD1636年 愛新覚羅氏 ホンタイジ、国号を改める(清)

■AD1644年 愛新覚羅氏 順治帝、北京を首都に定め、中国の支配を開始する

■AD1662年 愛新覚羅氏 呉三桂、永明王を殺害(明滅亡)

■AD1682年 土御門家 土御門泰福、幸徳井友傳の夭折により陰陽頭に任じられる

■AD1683年 土御門家 土御門泰福、全国の陰陽師の支配・任免を独占(土御門神道)

■AD1723年 愛新覚羅氏 世宗、福建のキリスト教を迫害、宣教師をマカオに追放(キリスト教禁止)

■AD1746年 愛新覚羅氏 乾隆帝、福建に於けるイエズス会の活動禁止

■AD1758年 愛新覚羅氏 乾隆帝、ジュンガル部大虐殺、併合

■AD1840年 愛新覚羅氏 道光帝、イギリス海軍が広東に侵入、開国を迫る(アヘン戦争)

■AD1856年 愛新覚羅氏 清の官憲がイギリス船アロー号の水夫を逮捕(アロー戦争)

■AD1870年 土御門家 土御門晴栄、明治政府が陰陽寮廃止

■AD1912年 愛新覚羅氏 清の滅亡を機に、一部がチェチェンに帰還(イチケリア)
※イチケリアの名の由来は愛新覚羅/アイシンギョロ

■AD1936年 阿部氏 阿部定が性交中に愛人男性を殺害、226事件の報道を世間から風化させるために製作(阿部定事件)
※阿部の名の由来はサーサーン人

■AD1937年 阿部氏 安倍源基、第44代警視総監に就任、特高警察を指揮

■AD1939年 阿部氏 阿部信行、第36代内閣総理大臣に就任

■AD1960年代 阿部氏 自身の血筋以外の者を個人一揆により排除し、自身の血統の繁栄を謀る

■AD1964年 サーサーン人 佐藤栄作、第61、第62、第63代内閣総理大臣に就任

■AD1980年代 阿部氏 強力なカーストによるガス抜きが、陰湿なイジメとして扱われ、社会問題として認知される

■AD1991年 チェチェン人 ジョハル・ドゥフダエフ、ソ連邦からの独立を宣言(チェチェン・イチケリア共和国)

■AD1994年 チェチェン人 独立武装は勢力とロシア連邦軍との戦闘(第一次チェチェン紛争)

■AD1999年 チェチェン人 武装勢力がダゲスタン共和国に侵攻し、モスクワのアパートを爆破するなどテロ行為を行う(第二次チェチェン紛争)

■AD1999年 チェチェン人 ロシア空軍のチェチェン空爆を機に、脱出して一部がウイグルに侵入、一部が西欧に逃亡

■AD2004年 チェチェン人 ウイグルに侵入した一派が、東トルキスタン会議と世界ウイグル青年会議を統合(世界ウイグル会議)

■AD2004年 チェチェン人 西欧に逃亡した一派がワシントンに集合し、亡命政権を樹立(東トルキスタン共和国亡命政府)






◎デーン人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



@ダン族




■BC一万年 ヘレネス人D ギリシアで地母神を祀る(地母神ダヌ)

■BC八千年 ヘレネス人D アベル族、セム族、アケーア人と共にイウヌから紅海、インドを経由してニューギニアに移住(ダニ族、パプア人)
※ダニの名の由来はダヌ

■BC八千年 ダニ族 ニューギニアからメラネシア・ポリネシア海域に進出、タンナ島を拠点にする(タンナ島)
※タンナの名の由来はダニ

■BC八千年 ダニ族 タンナ島を拠点に最高神を祀る(最高神タネ)
※タネの名の由来はダニ

■BC八千年 ダニ族 タンナ島からオーストラリア大陸に進出したが、遊牧する大型哺乳類がいない代わりにアボリジニの人々を遊牧
※この時にデーン人の人喰いの本能が形成された可能性がある

■BC30世紀 ダニ族 台湾から来たシュシャン人と出会い、混合、後に太平洋から地中海に帰還を果たす

■BC30世紀 ダニ族A 地中海から黒海周辺地域に根付き、地母神ダヌを祀る(ダン族、ドナウ川、ドン川)
※ドナウ、ドンの名の由来はダニ

■BC30世紀 ダニ族B シュシャン人と共にアフリカを周航、現リベリア・コートジボアールに移住(ダン族)
※ダンの名の由来はダヌ

■BC1670年 シュシャン人 シェシ、初代ヒクソス王朝ファラオに即位(エジプト第15王朝)
※シェシの名の由来はシュシャン

■BC1670年 ダン族A アナト・ヘル、第2代ヒクソス王朝初代ファラオに即位(エジプト第16王朝)

■BC1650年 カナン族 セケン・エンラー1世、テーベを首都に初代ファラオに即位(エジプト第17王朝)

■BC1580年 カナン族 セケン・エンラー2世、ヒクソスを攻撃

■BC1565年 カナン族 アハメス、ヒクソスをエジプトから追放(エジプト第18王朝)

■BC1565年 ダン族A エジプトから地中海に進出、海の民と呼ばれる(デニエン人)
※デニエンの名の由来はダン

■BC16世紀 デニエン人B ライン河畔からサルディーニャ島に移住(シェルデン人)
※シェルデンの名の由来は「南方のダン族」

■BC16世紀 デニエン人A サルディーニャからイスラエルに移住(ダン族)

■BC1100年頃 デニエン人C ミケーネ文明滅亡 ギリシアから現マケドニアに移住したミケーネ人と連合(マケドニア人)
※マケドニアの名の由来はミケーネとダンの組み合わせ

■BC1020年 ダン族A イスラエル王国に君臨する12支族に参加(イスラエル統一)

■BC7世紀 ダン族A アッシリア帝国、イスラエル王国に侵攻 フェニキア人の大航海時代に同行(フェニキア人の大航海時代)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、イベリア半島からライン河畔に到着(残留者:カルタゴ人、フリギア人、ダン族)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、ジャワ島からマカオに到着(残留者:マゴ家、レビ族、アシェル族、ガド族、イッサカル族、ウルクのシュメール人、アッカド人)

■BC7世紀 ダン族B 黒海残留組が、ドナウ川からギリシアに移住(タナー家)
※タナーの名の由来はドナウ

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、マカオから黄河流域に到着(残留者:フェニキア人、ルーベン族、ダン族)

■BC7世紀 ダン族A 黄河流域から現山東省に移住(田氏)
※田の名の由来はダン

■BC7世紀 ダン族A ガリア人と連合し、ガリアからスコットランドに移住(カレドニア)
※カレドニアの名の由来はガリアとダンの組み合わせ

■BC7世紀 カレドニア人 スコットランドからガリアに移住(ケルト人/ダーナ神族)
※ケルトの名の由来はカレドニア

■BC7世紀 ケルト人 ハルシュタットのヘレネス人と出会う

■BC6世紀 ダーナ神族 ハルシュタットのヘレネス人を率いてアイルランドに侵攻するが、フォモール人に撃退される
※ダーナの名の由来はダン、デーン

■BC5世紀頃 ダーナ神族 フィル・ボルグ族と対立するがフォモール人と連合し、勝利する(第一次マー・トゥーレスの戦い)

■BC5世紀頃 ダーナ神族 アイルランドの支配権を手に入れるが、後にフォモール人と対立してこれを追放(第二次マー・トゥーレスの戦い)

■BC386年 田氏 田和、斉を乗っ取る(田斉)

■BC341年 田氏 第三代威王、魏を破る(馬陵の戦い)

■BC284年 田氏 楽毅率いる燕・秦・趙・魏・韓の連合軍により斉軍が大敗

■BC272年 ダーナ神族 ミレー族の侵攻を機にスコットランドに移住(ダナッド)

■BC222年 田氏 秦に敗北、斉滅亡を機に雲南に移住(テン王国)
※テンの名の由来はデン、ダン

■BC109年 田氏 漢武帝の攻撃を受けてテン王国滅亡、これを機にベトナムに移住(丁氏)
※丁の名の由来はデン

■AD500年頃 ダーナ神族 現アルスターからスコットランドに移住(ダルリアタ王国)
※ダルリアダの名の由来はドルイド

■AD848年 ダルリアタ人A ダルリアダ王国消滅を機にスコーネに移住(デーン人)
※デーンの名の由来はダン、ダーナ

■AD848年 デーン人 スコーネから現エストニアに移住(エストニア人)
※エストニアの名の由来は「東方のデーン人」

■AD850年 デーン人 「黒い異邦人」ダブリン襲撃、アイルランド掌握
※黒い異邦人の名の由来はトルコ、インダス、マヤから来たアングル人、パッラヴァ人、マヤ人の参加に求められる

■AD859年 ヴァイキング 首領ヴィーラント、デーン人の襲撃に困っていたシャルル2世に傭兵を申し出る
※フランク王国攻略を目的にしていたデーン人はこれ以降イングランドに目を向けることになる

■AD862年 デーン人 ボードアン1世、初代フランダース伯に(フランダース伯)

■AD866年 ヴァイキング 首領ヴィーラント、デーン人の首領ビヨルンと対決、これ以降、デーン人はイースト・アングリアに移住(デーンロー)

■AD867年 デーン人 傀儡王エクベルト1世を据える(ヨルヴィク王国)

■AD874年 デーン人 首領ハーフダン、ヨークからダブリンに侵攻

■AD878年 デーン人 首領グッドラムが受洗、アルフレッド大王の養子となる(ウェドモーアの和議)

■AD910年 デーン人 ウェセックス王国がデーンローを侵食しながら拡大したため、ヴァイキングと共に現ノルマンディーに移住(ノルマンディー)
※ヴァイキングと共に北方の人「ノルマン人」と総称される、ノルマンディーの名の由来はノルマン

■AD911年 デーン人 首領ロロ、シャルル3世にノルマンディーを分与させる(ノルマンディー公国)

■AD911年 デーン人 首領ロロ、異端審判の原型をノルマンディーに持ち込み、ヴァイキング、フランク人の排除を行う(クラモール・ド・ハロー)

■AD917年 デーン人 首領シグトリグ、ダブリンを征服(ダブリン王国)

■AD954年 デーン人 ヨルヴィク王国、ウェセックス王国併合(ヨルヴィク王国消滅)

■AD954年 デーン人 ヨルヴィク王国消滅を機に、地中海に逃亡しアルプスなどに拠点を得る

■AD952年 デーン人 ダブリン王オーラフ、レンスター王女を娶る

■AD980年 デーン人 ダブリン王オーラフ、ダブリン炎上を機にアイオナ修道院に退く(タラの会戦)

■AD996年 丁氏 丁部領、十二使君のひとり呉兄弟を倒して北ベトナムの主導権を握る(丁朝)
※丁朝は罪人を収容する檻に虎を入れたり、過酷な刑を課した、血は争えない

■AD1000年 デーン人 ダブリン王シグトゥリッグ、マンスターのブリアン・ボルー王に敗北

■AD1014年 デーン人 ダブリン王シグトゥリッグ、ブリアン・ボルー王戦死(クロンターフの戦い)

■AD1035年 デーン人 ギーグ1世、オイサン伯に(アルボン家)

■AD1066年 デーン人 モヨンのウィリアム、ギヨーム2世のイングランド侵攻に同行(ノルマン・コンクェスト)

■AD1071年 フランダース伯 ボードアン2世、エノー伯に

■AD1086年 デーン人 モヨンのウィリアム、先祖の故地ダンスターに移住

■AD1090年 デーン人 モヨンのウィリアム、息子誕生(モハンのウィリアム)

■AD1141年 デーン人 モハンのウィリアム、神聖ローマ皇后マティルダより爵位を賜る(サマセット公)

■AD1191年 エノー伯 ボードアン5世、マルグリット・ダルザスを娶りフランドル伯に

■AD1193年 サーサーン人 アルベルトゥス・マグヌス生誕、アリストテレスの著作を検証し注訳書を著す
※マグヌスの名の由来はマギ

■AD1194年 フランドル伯 ボードアン1世、第4回十字軍に参加(ラテン帝国皇帝)

■AD1247年 デーン人 サイモン・フィッツメアリー、精神病院建設のために所領を寄進(ベドラム)
※異分子排除の事実隠蔽を目的に建設

■AD1341年 エノー伯 エノーのフィリッパ、エドワード3世の4男を生む(ラングリーのエドムンド生誕)

■AD1385年 エノー伯 ラングリーのエドムンド、初代ヨーク公に(ヨーク家)

■AD1439年 デーン人 第3代サマセット公ジョン・ボーフォート、ブルターニュに侵攻するも退けられる
※サマセット公はイギリス軍の敗北にジル・ド・レの存在が大きく影響していると推測

■AD1439年 デーン人 第3代サマセット公ジョン・ボーフォート、名将ジル・ド・レが少年を誘拐して切り刻む変態殺人鬼であるとの風評を流布

■AD1440年 ラヴァル家 根も葉もない風評に激怒したジル・ド・レが手下を連れてドミニコ会教会に殴りこむが、理不尽な暴力を罪状に逮捕される

■AD1440年 デーン人 第3代サマセット公ジョン・ボーフォート、天下の名将ジル・ド・レを罠にはめて過酷な拷問によりウソの自白を強要、その上で処刑
※悪者は殺しても良い、そのためにデーン人は悪者を作る、これは征服ではなく成敗

■AD1442年 デーン人 第3代サマセット公ジョン・ボーフォート、ジル・ド・レ排除後、改めてブルターニュに侵攻するも再度退けられる

■AD1445年 デーン人 第3代サマセット公ジョン・ボーフォート、更に改めてブルターニュに侵攻するも再三退けられる

■AD1471年 デーン人 エドワード4世、イングランド王に即位(ヨーク朝)

■AD1483年 デーン人 エドワード5世、イングランド王に即位

■AD1483年 デーン人 リチャード3世、イングランド王に即位

■AD1485年 デーン人 リチャード3世、ヘンリー・チューダーに敗北(ヨーク朝消滅)

■AD1581年 デーン人 ヴァンサン・ド・ポール生誕

■AD1634年 デーン人 ヴァンサン・ド・ポール、精神病院を建設(ビセートル病院)
※異分子排除の事実隠蔽を目的に建設

■AD1765年 デーン人 チャールズ・ワトソン=ウェントワース、第9代、第13代イギリス首相に就任

■AD1809年 デーン人 スペンサー・パーシヴァル、第21代イギリス首相に就任

■AD1812年 デーン人 ロバート・バンクス・ジェンキンソン、第22代イギリス首相に就任

■AD1827年 デーン人 フレデリック・ジョン・ロビンソン、第24代イギリス首相に就任

■AD1834年 デーン人 サー・ロバート・ピール、第31代イギリス首相に就任

■AD1846年 デーン人 ジョン・ラッセル、第32代イギリス首相に就任

■AD1855年 デーン人 ヘンリー・ジョン・テンプル、第35代イギリス首相に就任

■AD1855年 デーン人 クリミア戦争に連動して「デヴォンシャーの悪魔」起動
※目的はマスコミが報道した従軍兵の待遇の悪さを風化させるため

■AD1865年 デーン人 メソジストの牧師ウィリアム・ブース、貧しい労働者階級に伝道するために設立(救世軍)

■AD1886年 デーン人 ロバート・ガスコイン=セシル、第46代イギリス首相に就任

■AD1887年 デーン人 黒い日曜日に連動し「切り裂きジャック」起動
※目的は反政府的な活動家を逮捕するため、セシル首相が指揮

■AD1893年 デーン人 ヘルマン・ゲーリング誕生、ナチス党では総統後継者、空軍総司令官を任じていた
※バイエルン生まれだがデーン人であるためアメリカに通じナチスに汚名を着せる任務に就いていた

■AD1902年 デーン人 アーサー・バルフォア、第50代イギリス首相に就任
※母方セシルはデーン人由来

■AD1908年 デーン人 ハーバート・ヘンリー・アスキス、第52代イギリス首相に就任

■AD1910年 デーン人 ルイス・ボータ、初代南アフリカ連邦首相に就任

■AD1917年 デーン人 アーサー・バルフォア、ロスチャイルド家に書簡を送付(バルフォア宣言)
※ロスチャイルドはベニヤミン族、デーン人はダン族の系統

■AD1920年 デーン人 国際連盟によりパレスチナに創設(イギリス委任統治領パレスチナ)

■AD1930年代 ダニ族 バヌアツ共和国タンナ島で信仰されていた(ジョン・フラム信仰)
※タンナの名の由来はダン

■AD1940年 デーン人 ウィンストン・チャーチル、第61代イギリス首相に就任

■AD1960年〜1970年 デーン人 全国の少年少女を性奴隷、及び食用目的で誘拐、現在英国では年間20万人の児童が行方不明になっている

■AD1981年 デーン人 連続殺人鬼ピーター・サトクリフ逮捕、13人を殺害(ヨークシャー・リッパー)

■AD1984年 デーン人 ピーター・ウィレム・ボータ、第6代南アフリカ共和国大統領に就任




Aダルリアタ人


■BC5世紀頃 ダーナ神族 フォモール人の片割れミレー族の侵攻を機にスコットランドに移住(ダナッド)
※ダナッドの名の由来はダーナ

■AD500年頃 ダーナ神族 現アルスターからスコットランドに移住(ダルリアタ王国)
※ダルリアダの名の由来はドルイド

■AD574年 ダルリアタ人 エイダン・マクギャブラン王、ピクト人勢力圏を蹂躙、ジルシン族とケ族に出会う

■AD603年 ダルリアタ人 エイダン・マクギャブラン王、バーニシア王国に敗北(デグサスタンの戦い)

■AD609年 ダルリアタ人B エイダン・マクギャブラン王死去を機に、王の氏族がジルシン族、ケ族を道案内にユカタン半島に移住

■AD600年代 ヴァイキング ユカタン半島の存在をヘレネス人の系統ダルリアタ人に知られた為、故地ユカタン半島死守・打倒ヘレネス人を目的に決起した
※ヘレネス人の系統とはアルスター人、ダルリアタ人/デーン人、ラトビア人、リトアニア人、ジルシン族、ケ族などを指す

■AD7世紀頃 ダルリアタ人B ジルシン族、ケ族を率いてマヤ高地に侵攻(マヤ文明崩壊)

■AD7世紀頃 ダルリアタ人B ジルシン族、ケ族を率いてメキシコに帰還(テオティワカン滅亡)

■AD8世紀 ダルリアタ人B ティオティワカン破壊後、ケを伴ってブリテン島に帰還、ジルシンは残留

■AD848年 ダルリアタ人B ケネス・マカルピン、ダルリアタ王国を併合、スコットランドを統一(アルバ王国、アルピン朝)
※アルバ、アルピンの名の由来は古代スバル人の系統アラパホ人

■AD848年 ダルリアタ人A ダルリアダ王国消滅を機に一部がスコーネに移住(デーン人)
※デーンの名の由来はダン、ダーナ

■AD1005年 ダルリアタ人A 残留組からマルカム2世が輩出、ケネス3世を殺害してアルバ王位を簒奪

■AD1005年 ダルリアタ人A マルカム2世の次女ドウナダ、マリ領主フィンレックと結婚(マクベス生誕)

■AD1034年 ダルリアタ人A マルカム2世の孫、ダンカン1世がアルバ国王に即位(アサル朝)

■AD1040年 ダルリアタ人B マクベス、従兄のダンカン1世を殺害して王位を簒奪(マリ朝)

■AD1058年 ダルリアタ人A マルカム3世、ケネス3世の孫ルーラッハを殺害、王位を簒奪(アサル朝)

■AD1249年 ダルリアタ人A アレグザンダー3世、7歳で王位を継承

■AD1290年 ダルリアタ人A アレグザンダー3世の孫、マーガレット死亡(アサル朝断絶)

■AD1290年 ダルリアタ人A アサル朝消滅を機に、祖を同じくするデーン人の土地ヨークに移住

■AD1290年 ダルリアタ人B アサル朝消滅を機に、先祖の故地ハルシュタット文化の勢力圏に移住

■AD1320年 ダルリアタ人A ジョン・ウィクリフ生誕(ロラード派)

■AD1358年 ロラード派 故地ノルマンディーに赴き、農民の反乱を指揮(ジャックリーの乱)

■AD1381年 ロラード派 ジョン・ボール、農民の反乱を指揮(ワット・タイラーの乱)

■AD1381年 ロラード派 ジョン・ボール、反乱を鎮圧後に首吊り、内臓抉り、四つ裂きの刑に処された

■AD1484年 ダルリアタ人A フルドリッヒ・ツヴィングリ生誕(チューリッヒ改革派教会)

■AD1509年 ダルリアタ人B ジャン・カルヴァン生誕(カルヴァン主義)
※カルヴァンの名の由来はマカルピン

■AD1523年 ダルリアタ人A フルドリッヒ・ツヴィングリ、六十七箇条提題

■AD1536年 ダルリアタ人B ジャン・カルヴァン、バーゼルで書籍を刊行(キリスト教綱要)

■AD1546年 ダルリアタ人B ジャン・カルヴァン、フランス最初の改革派教会を建設(ユグノー)

■AD1553年 ダルリアタ人B ジャン・カルヴァン、神学者ミゲル・セルヴェートを処刑

■AD1555年 ダルリアタ人B ジャン・カルヴァン、ジュネーヴ市を支配下に置く

■AD1559年 ダルリアタ人B ジャン・カルヴァン、地下で大会開催(フランス信条)

■AD1562年 ユグノー カトリックの改革派が8次40年に渡って戦った内戦(ユグノー戦争)

■AD1566年 オラニエ家 ナッサウ伯ルートヴィヒ、ブレーデローデ伯ヘンドリックを中心に同盟を結成

■AD1566年 オラニエ家 ナッサウ伯ルートヴィヒの同盟が総督パルマ公妃マルゲリータに請願書を提出(ゴイセン)

■AD1567年 オラニエ家 アルバ公派遣によってゴイセンの弾圧が熾烈を極めたため、ウィレム1世がフランスに逃亡しユグノーと合流(海の乞食団)

■AD1828年 ダルリアタ人B アンリ・デュナン生誕
※デュナンの名の由来はダン

■AD1863年 ダルリアタ人B アンリ・デュナン、ジュネーヴで負傷兵救済国際委員会を結成(赤十字)

■AD1901年 ダルリアタ人B アンリ・デュナン、ノーベル平和賞受賞

■AD2010年 ダルリアタ人B デヴィッド・キャメロン、第71代イギリス首相に就任




B大谷家


■BC7世紀 ダン族B 黒海残留組が、ドナウ川からギリシアに移住(タナー家)
※タナーの名の由来はドナウ

■BC404年 タナー家 アテナイの親スパルタの有力者を中心に寡頭政政権成立(三十人政権)

■BC399年 タナー家 アニュトスの陰謀によりソクラテスを処刑(ソクラテスの弁明)

■BC3世紀 タナー家 ソフィストの集団と共にマケドニア侵攻を機にギリシアから北アフリカに移住、メシュウェシュ人と合流

■BC3世紀 メシュウェシュ人A ソフィストを率いて北アフリカから満州に移住(女真族/ジュシャン人)
※ジュシャンの名の由来はシュシャン

■BC3世紀 メシュウェシュ人B 北アフリカからイランに移住(サーサーン人)
※サーサーンの名の由来はシュシャン

■BC3世紀 メシュウェシュ人A ソフィスト集団を構成するアケーア人と建州女直を形成(建州女直)

■BC3世紀 タナー家 単独で満州からモンゴル高原に移住、後にフェニキア人の軍事集団「鮮卑」に参加(段部)
※段の名の由来はダン、タナー

■AD3世紀 段部 段乞珍、2代目大人の座に就く

■AD318年 段部 段末波、6代目大人の座に就く

■AD325年 段部 段牙、7代目大人の座に就く

■AD3??年 段部 段遼、8代目大人の座に就く

■AD338年 段部 段蘭、9代目大人の座に就く

■AD3??年 段部 段勤、趙王を称する

■AD4世紀 段部 モンゴル高原から故地満州に帰還、建州女直に合流

■AD1115年 段部 金朝の台頭を機に、スクスフB、ワンギヤA、ドンゴAと共に満州から日本に移住

■AD1173年 段部 日野家に接近、自身の血統を打ち立てる(親鸞生誕)

■AD1272年 大谷家 顕智、大谷廟堂を建立
※大谷の名の由来は「大」とダン、或いはタナーの組み合わせ

■AD1310年 大谷家 覚如、第3代門首の座に就く(大谷廟堂)

■AD1350年 大谷家 善如、第4代門首の座に就く

■AD1390年 大谷家 綽如、第5代門首の座に就く、現富山県に瑞泉寺を建立

■AD1394年 大谷家 巧如、第6代門首の座に就く、近江、加賀、能登、越前に教線を拡大

■AD1436年 大谷家 存如、第7代門首の座に就く

■AD1457年 大谷家 蓮如、第8代門首の座に就く

■AD1465年 大谷家 蓮如、延暦寺西塔の宗徒によって破壊(寛正の受難)

■AD1471年 大谷家 蓮如、京都から越前吉崎に移って布教

■AD1475年 大谷家 蓮如、吉崎を退去し、河内の出口を拠点に布教を開始

■AD1483年 大谷家 蓮如、教線が東北から九州に至る全国に伸びた(山科本願寺落成)

■AD1488年 大谷家 蓮如、加賀の門徒が一揆(加賀一向一揆)

■AD1504年 北条氏 50年間に渡って領内の真宗を禁ずる

■AD1506年 大谷家 蓮如、近畿・北陸・東海で本願寺門徒が一斉に蜂起

■AD1521年 長尾氏 越後の本願寺門徒を禁圧

■AD1532年 大谷家 蓮如、日蓮宗徒と六角定頼の連合軍が山科本願寺を焼き討ち

■AD1554年 大谷家 顕如、第11代門首の座に就く

■AD1563年 徳川家 家康が領国内の本願寺門徒を禁圧

■AD1563年 島津氏 薩摩で明治初年まで禁教を継続

■AD1570年 大谷家 顕如、信長の石山からの退去命令に抵抗(石山合戦)

■AD1578年 大谷家 顕如、上杉謙信を暗殺
※病死ということは加害者はいない

■AD1581年 大谷家 顕如、近衛前久の講和を受け入れ信長と和議を交わし、引退を演じる

■AD1581年 大谷家 顕如、子息の教如に徹底抗戦の主張を演じさせ、見せ掛けの義絶を言い渡し、信長を油断させた

■AD1582年 大谷家 顕如、満州での仲間ワンギヤの血を引く明智光秀に信長暗殺を依頼(本能寺の変)

■AD1582年 大谷家 顕如、信長死去の25日後、教如に対する義絶を解く

■AD1583年 大谷家 顕如、秀吉から寺地寄進を得る(大坂天満本願寺)

■AD1590年 大谷家 真宗信徒に命じて、木村清久の佐沼城を取り囲む(葛西・大崎一揆)

■AD1590年 大谷家 真宗信徒に命じて、出羽仙北地方、由利、庄内地方で暴れさせる(仙北・庄内一揆)

■AD1590年 大谷家 真宗信徒に命じて、和賀・稗貫で暴れさせる(和賀・稗貫一揆)

■AD1591年 大谷家 顕如、秀吉から京都に寺地の寄進を得る

■AD1592年 大谷家 教如、第12代門首の座に就く

■AD1603年 大谷家 教如、本願寺を開く、本願寺分立(東本願寺)

■AD1614年 大谷家 宣如、第13代門首の座に就く

■AD1654年 大谷家 琢如、第14代門首の座に就く

■AD1664年 大谷家 常如、第15代門首の座に就く

■AD1679年 大谷家 一如、第16代門首の座に就く

■AD1700年 大谷家 眞如、第17代門首の座に就く

■AD1744年 大谷家 従如、第18代門首の座に就く

■AD1760年 大谷家 乗如、第19代門首の座に就く

■AD1765年 大谷家 乗如、20万人に及ぶ農民を指揮し、関東で蜂起

■AD1768年 大谷家 乗如、関東から佐渡・大阪の2方向に分離、一揆を指揮、これ以降、頻繁に一揆発生

■AD1792年 大谷家 達如、第20代門首の座に就く

■AD1812年 大谷家 達如、豊後で百姓一揆を指揮

■AD1831年 大谷家 達如、長州藩天保の大一揆

■AD1846年 大谷家 厳如、第21代門首の座に就く

■AD1864年 大谷家 厳如、禁門の変を発端に大火災になり、本願寺も焼失(どんどん焼け)

■AD1881年 大谷家 大谷米太郎、富山県に生誕(日本の三大億万長者)

■AD1889年 大谷家 現如、第22代門首の座に就く

■AD1889年 大谷家 現如、全国の真宗信徒を動員し、当時の日本最高の知性、夏目漱石に個人一揆を行う
※明治以降は大名ではなく、知識人を標的に小規模な個人一揆を行う、彼らは多くの一般人を正しく導く者を許せない

■AD1905年 大谷家 大谷貴義、和歌山県に生誕(日本の宝石王、謎のフィクサー)

■AD1908年 大谷家 彰如、第23代門首の座に就く

■AD1925年 大谷家 闡如、第24代門首の座に就く

■AD1939年 大谷家 大谷米太郎、震災復興に伴う鉄鋼需要に注目(大谷製鉄)

■AD1941年 大谷家 西本願寺と極秘裏に会談、「浄土真宗勢力下にある土地を空爆しない」旨の約束をアメリカに取り付ける
※アメリカに君臨する種族と東本願寺に君臨する大谷家は祖を同じくするダン族の子孫である

■AD1945年 大谷家 西本願寺と極秘裏に会談、古のフェニキア人の土地「広島市」「長崎市」を何とかできないかアメリカに相談(原爆投下)

■AD1960年代 大谷家 闡如、自身の血筋以外の者を個人一揆により排除し、自身の血統の繁栄を謀る
※公務員、警察、自衛隊、マスメディア、教育、医療、金融関係の職場には彼らの血統の者しか就職は許されない

■AD1962年 大谷家 大谷米太郎、富山県立大谷技術短期大学の設立のために私財を寄付(富山県立大学)

■AD1966年 大谷家 ハリウッドのデーン人と組み、本拠地京都にて黒澤明に個人一揆を敢行、精神的に追い詰める(「トラ!トラ!トラ!」製作)

■AD1977年 大谷家 闡如、東本願自爆破事件

■AD1980年代 大谷家 強力なカーストによるガス抜きが、陰湿なイジメとして扱われ、社会問題として認知される

■AD1996年 大谷家 浮如、第25代門首の座に就く










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Cシチリア・ノルマン人


■AD1047年 デーン人 ロベール・ギスカール、ノルマンディーに於けるヴァイキングの台頭を機にロンバルディアに移住

■AD1059年 デーン人 ロベール・ギスカール、ローマ教皇ニコラウス2世によってシチリアを得る

■AD1059年 デーン人 デーンローやノルマンディーからシチリアに移住、更にシチリアからスペイン、イタリアに散る(デーン人の大移動)

■AD1072年 デーン人 ギスカールが弟ルッジェーロ1世をシチリア伯に任じる

■AD11世紀 デーン人 ルッジェーロ1世の3人の娘がそれぞれトゥールーズ、ドイツ、ハンガリーに移住

■AD1130年 デーン人 ルッジェーロ2世、初代シチリア王に即位(オートヴィル朝)

■AD1206年 ドムナン人 聖ドミニコ、修道会を設立(ドミニコ修道会)
※シチリア、スペイン、イタリアに移住したデーン人の子孫が集合

■AD1225年 デーン人 ドミニコ会士トマス・アクィナス生誕、「異端者を死の危険から救う必要はない」と発言

■AD1247年 デーン人 ゴッフリード・デ・プレフェッティ、イングランドに帰還し、精神病院建設のために尽力(ベドラム)
※異分子排除の事実隠蔽を目的に建設

■AD1261年 デーン人 ドミニコ会士ベルナール・ギー生誕、魔女狩りの糸口を切った

■AD1276年 デーン人 ドミニコ会士ピエール・タランテーズ、第185代ローマ教皇に就任(インノケンティウス5世)

■AD1303年 デーン人 ドミニコ会士ニコラス・ボッカシーニ、第194代ローマ教皇に就任(ベネディクトゥス11世)

■AD1318年 デーン人 ローマ教皇ヨハネス22世、魔女狩り解禁令と強化令により魔女狩りが増大

■AD1318年 デーン人 ヨーロッパ中のフェニキア人を皆殺しにしたいが、まずその前にフェニキア人が魔女である必要がある(魔女狩り)
※人間を殺すのはいけないことだが、魔女は殺しても良い、そのためにデーン人は魔女を作る、これは征服ではなく成敗

■AD1356年 デーン人 ドミニコ会士ニコラス・エイメリコ生誕、精力的な異端追求で知られた

■AD1370年 デーン人 ドミニコ会士ピエール・ロジェ・ド・ボーフォール、第201代ローマ教皇に就任(グレゴリウス11世)

■AD1420年 デーン人 ドミニコ会士トマス・デ・トルケマダ生誕、スペインで8千人を焚刑に処した(アウタ・ダフェ)

■AD1439年 デーン人 第3代サマセット公ジョン・ボーフォート、名将ジル・ド・レが少年を誘拐して切り刻む変態殺人鬼であるとの風評を流布

■AD1440年 ラヴァル家 根も葉もない風評に激怒したジル・ド・レが手下を連れてドミニコ会教会に殴りこむが、理不尽な暴力を罪状に逮捕される

■AD1440年 デーン人 第3代サマセット公ジョン・ボーフォート、天下の名将ジル・ド・レを罠にはめて過酷な拷問によりウソの自白を強要、その上で処刑
※悪者は殺しても良い、そのためにデーン人は悪者を作る、これは征服ではなく成敗

■AD1484年 デーン人 ドミニコ会士ジョヴァンニ・バティスタ・チーボ、第213代ローマ教皇に就任(インノケンティウス8世)
※魔女狩り活発化

■AD1555年 デーン人 ドミニコ会士ジョヴァンニ・ピエトロ・カラファ、第223代ローマ教皇に就任(パウルス4世)
※異端審問所再編

■AD1566年 デーン人 ドミニコ会士アントニオ・ギスリエーリ、第225代ローマ教皇に就任(ピウス5世)
※自ら望んで異端審問所に赴いた

■AD1780年代 デーン人 ドミニコ会系ジャコバン修道院を本拠地にデーン人、ノルマン人、ロベール家の子孫が集まった(ジャコバン派)

■AD1790年 デーン人 ジャック・ルネ・エベール、サン・キュロットの指導者として頭角を現す
※エベールの姓はノルマンディー由来

■AD1790年 デーン人 ジャック・ルネ・エベール、マリー・アントワネットの有罪と処刑を求める

■AD1792年 デーン人 ジョルジュ・ダントン、民衆を扇動してテュイルリー宮殿を襲撃(8月10日事件)
※ダントンの姓はヨークシャー由来

■AD1794年 デーン人 ジョルジュ・ダントン、ロベスピエールと協力してエベール派を逮捕・処刑

■AD1794年 デーン人 ジョルジュ・ダントン、収賄の容疑でダントン派と共に逮捕・処刑




ヨーク人A


■AD862年 デーン人 ボードアン1世、初代フランダース伯に(フランダース伯)

■AD866年 ヴァイキング 首領ヴィーラント、デーン人の首領ビヨルンと対決、これ以降、デーン人はイースト・アングリアに移住(デーンロー)

■AD867年 デーン人 傀儡王エクベルト1世を据える(ヨルヴィク王国)

■AD954年 デーン人 ヨルヴィク王国、ウェセックス王国併合(ヨルヴィク王国消滅)

■AD1071年 フランダース伯 ボードアン2世、エノー伯に

■AD1191年 エノー伯 ボードアン5世、マルグリット・ダルザスを娶りフランドル伯に

■AD1341年 エノー伯 エノーのフィリッパ、エドワード3世の4男を生む(ラングリーのエドムンド生誕)

■AD1385年 エノー伯 ラングリーのエドムンド、初代ヨーク公に(ヨーク家)

■AD1415年 ヨーク家 コニスバラのリチャード、ヘンリー5世に対する反逆罪で処刑(サウザンプトンの陰謀事件)

■AD1455年 ヨーク家 リチャード・プランタジネット、イングランド王位を要求(薔薇戦争)

■AD1460年 ヨーク家 ヘンリー6世を生け捕り(ノーザンプトンの戦い)

■AD1460年 ヨーク家 リチャードと次男エドムンドがアンジューのマーガレットに捕まり処刑された(ウェイクフィールドの戦い)

■AD1461年 ヨーク家 エドワード4世、ロンドンで国王を宣言(タウトンの戦い)

■AD1471年 デーン人 エドワード4世、イングランド王に即位(ヨーク朝)

■AD1483年 デーン人 エドワード5世、イングランド王に即位

■AD1483年 デーン人 リチャード3世、イングランド王に即位

■AD1485年 ヨーク家 リチャード3世、リッチモンド伯ヘンリー・テューダーと交戦、戦死(ボズワースの戦い)

■AD1485年 ヨーク家 エドワード4世の娘エリザベス、ヘンリー7世と結婚(テューダー朝)

■AD1536年 デーン人 アン・ブーリン、自身の血統を打ち立てる目的でヘンリー8世に接近するが処刑された
※ブーリン姓はノルマン由来

■AD1579年 デーン人 聖公会司祭ロバート・ブラウン、分離派改革運動を推進(会衆派)

■AD1620年 デーン人 ジョン・ロビンソン、清教徒を率いてオランダに逃亡、メイフラワー号に乗せてアメリカに行かせた

■AD1640年 デーン人 清教徒司祭ヘンリー・ダンスター、ハーバード大学初代学長に就任

■AD1701年 デーン人 清教徒会衆派、ハーバードに落胆した人々が大学を開設(イェール大学)

■AD1830年 デーン人 アルフォンソ・タフト、イェール大学に進学し、同級のラッセルと共に秘密結社を結成(スカル&ボーンズ)
※タフトとラッセルの姓はデーン人の姓と考えられる

■AD1831年 デーン人 ルイス・カス、ジャクソン内閣陸軍長官に就任

■AD1836年 デーン人 テキサスが欲しいのでメキシコ人を皆殺しにしたいが、まずその前にメキシコに先に手を出させる必要がある(アラモの戦い)
※悪者は殺しても良い、そのためにデーン人は悪者を作る、これは征服ではなく成敗

■AD1871年 ヘレネス人 コーデル・ハル生誕

■AD1881年 ダルリアダ人 チェスター・A・アーサー、第21代アメリカ合衆国大統領に就任

■AD1885年 デーン人 グローバー・クリーヴランド、第22代、第24代アメリカ合衆国大統領に就任

■AD1884年 デーン人 チャールズ・テイズ・ラッセル、ものみの塔協会設立(エホバの証人)

■AD1897年 デーン人 ウィリアム・マッキンリー、第25代アメリカ合衆国大統領に就任

■AD1898年 デーン人 フィリピンやキューバが欲しいのでスペイン人を皆殺しにしたいが、まずその前にスペインに先に手を出させる必要がある(メイン号沈没事件)
※悪者は殺しても良い、そのためにデーン人は悪者を作る、これは征服ではなく成敗

■AD1901年 デーン人 セオドア・ルーズベルト、第26代アメリカ合衆国大統領に就任

■AD1901年 ダルリアダ人 ジョン・F・クイーニー、化学企業を創業(モンサント)

■AD1905年 デーン人 チャールズ・フェアバンクス、ルーズベルト内閣の副大統領に就任
※フェアバンクス姓はヨーク由来

■AD1909年 デーン人 ウィリアム・タフト、第27代アメリカ合衆国大統領に就任

■AD1915年 デーン人 ドイツ人を皆殺しにしたいが、まずその前にドイツに先に手を出させる必要がある(ルシタニア号沈没事件)
※悪者は殺しても良い、そのためにデーン人は悪者を作る、これは征服ではなく成敗

■AD1917年 デーン人 アメリカ合衆国、ルシタニア号事件を機に第一次世界大戦参戦

■AD1933年 デーン人 フランクリン・ルーズベルト、第32代アメリカ合衆国大統領に就任

■AD1933年 ヘレネス人 コーデル・ハル、フランクリン・ルーズベルト内閣に於いて国務長官に就任

■AD1934年 デーン人 連続殺人鬼アルバート・フィッシュ逮捕、400人を殺害したと自供
※フィッシュ姓はヨーク由来

■AD1941年 ヘレネス人 コーデル・ハル、日米交渉に於いてハル・ノートを提示

■AD1941年 デーン人 原爆を使って日本人を皆殺しにしたいが、まずその前に日本に先に手を出させる必要がある(真珠湾攻撃)
※悪者は殺しても良い、そのためにデーン人は悪者を作る、これは征服ではなく成敗

■AD1943年 ヘレネス人 コーデル・ハル、国連憲章の執筆を国務省に強く求めた(国際連合)

■AD1945年 ダルリアダ人 ダグラス・マッカーサー、連合国最高司令官に就任(ポツダム宣言)

■AD1955年 丁氏 ゴ・ディン・ジェム、ベトナム共和国初代大統領に就任
※ゴ・ディン・ジェムの姓は呉だが、ディンが丁氏の子孫をアピールしている可能性がある

■AD1960年〜1970年 ダルリアダ人 モンサント社、アメリカ軍が使用する枯れ葉剤を製造

■AD1960年〜1970年 デーン人 全国の少年少女を性奴隷、及び食用目的で誘拐、現在米国では年間80万人の児童が行方不明になっている

■AD1963年 丁氏 ゴ・ディン・ジェムがクーデターにより殺害、ケネディ政権が関わったとされる
※ケネディはフェニキア人の敵を知っていた、またこれが暗殺の原因とも考えられる

■AD1963年 デーン人 リンドン・ジョンソン、第36代アメリカ合衆国大統領に就任

■AD1963年 デーン人 リンドン・ジョンソンが祖を同じくする丁氏を援助し、インドシナ征服を狙う(ベトナム戦争)

■AD1964年 デーン人 ウィリアム・ウェストモーランド、ベトナム派遣軍司令官に就任

■AD1964年 デーン人 枯れ葉剤を使ってベトナム人を皆殺しにしたいが、まずその前にベトナムに先に手を出させる必要がある(トンキン湾事件)
※悪者は殺しても良い、そのためにデーン人は悪者を作る、これは征服ではなく成敗

■AD1965年 デーン人 丁氏の破滅を機に、西山朝の阮氏を援助(首相グェン・カオ・キ、第二代大統領グェン・バン・チュー)

■AD1965年 デーン人 リンドン・ジョンソン、ダナーンにアメリカ軍を上陸させる
※ダナーンの名の由来はダン(田、丁)

■AD1966年 デーン人 ベトナム戦争と連動して「テキサス・タワー乱射事件」起動、15名死亡
※犯人役のホイットマンを含め、被害者全員が特殊部隊隊員によって殺害

■AD1968年 デーン人 大量殺人鬼リチャード・スペック逮捕、8人の女性を殺害
※スペック姓はランカシャー(デーンロー)由来

■AD1968年〜1974年 デーン人 ベトナム戦争と連動して「ゾディアック・キラー」起動、人は遠方の殺しよりも近隣の殺しに関心を持つ
※アメリカ兵、或いは特殊部隊隊員が被害者を殺害

■AD1973年 デーン人 背後からだが、珍しく堂々とピノチェト将軍ら反政府勢力を指揮(チリ・クーデター)

■AD1973年 アルスター人 連続殺人鬼ハーバート・マリン逮捕、13人を殺害
※マリン姓はアルスター由来

■AD1973年 デーン人 連続殺人鬼エドムンド・ケンパー逮捕、10人を殺害
※ケンパー姓はケンブリッジ(デーンロー)由来

■AD1975年 ケ族 連続殺人鬼テッド・バンディ逮捕、30人超を殺害
※母方の姓カウェルがアバディーン由来

■AD1976年 デーン人 ジョージ・H・W・ブッシュ、第11代CIA長官に就任
※ブッシュ姓はヨーク由来

■AD1978年 ダルリアダ人 パット・ロバートソン、テレヴァンゲリスト(クリスチャン・ブロードキャスティング・ネットワーク)

■AD1978年 デーン人 連続殺人鬼リチャード・トレントン・チェイス逮捕、6人を殺害
※チャイス姓はエセックス(デーンロー)由来

■AD1979年 デーン人 裁判長エドワード・カワート、テッド・バンディに死刑判決を下す
※カワート姓はランカシャー(デーンロー)由来

■AD1979年 デーン人 連続殺人鬼ケネス・ビアンキ逮捕、12人を殺害
※ビアンキ姓はニューギニアのダニ族由来の伝統的な人喰いの名前

■AD1980年 デーン人 ジョージ・H・W・ブッシュ、ジョン・レノン暗殺を指令

■AD1983年 デーン人 連続殺人鬼ヘンリー・ルーカス逮捕、11人の殺害について自白したが600人殺害したと推定される
※ルーカス姓はハートフォード(デーンロー)由来

■AD1989年 デーン人 ジョージ・H・W・ブッシュ、第41代アメリカ合衆国大統領に就任

■AD1990年 デーン人 劣化ウラン弾を使ってイラク人を皆殺しにしたいが、まずその前にイラクに先に手を出させる必要がある(クウェート侵攻)
※悪者は殺しても良い、そのためにデーン人は悪者を作る、これは征服ではなく成敗

■AD1991年 デーン人 連続殺人鬼ジェフリー・ダーマー逮捕、17人を殺害
※ダーマー姓はベルギー由来

■AD1993年 デーン人 連続殺人鬼ハーヴェイ・ロビンソン逮捕、3人を殺害
※ロビンソン姓はヨーク由来

■AD1994年 デーン人 ジョージ・H・W・ブッシュ、カート・コバーン暗殺を指令

■AD1997年 デーン人 ジョージ・J・テネット、第18代CIA長官に就任

■AD1999年 デーン人 セルビア爆撃をアメリカ国民に知られたくない、どうしたら良い?(コロンバイン高校銃乱射事件)

■AD2000年 デーン人 連続殺人鬼ジョン・エドワード・ロビンソン逮捕、8人を殺害
※ロビンソン姓はヨーク由来

■AD2001年 デーン人 ジョージ・W・ブッシュ、第43代アメリカ合衆国大統領に就任

■AD年 デーン人 ジョージ・H・W・ブッシュ、ジョンベネ殺害事件を指揮

■AD2001年 デーン人 イスラム教徒を皆殺しにしたいが、まずその前にイスラム教徒に先に手を出させる必要がある(アメリカ同時多発テロ事件)
※悪者は殺しても良い、そのためにデーン人は悪者を作る、これは征服ではなく成敗

■AD2009年 デーン人 バラク・オバマ、第44代アメリカ合衆国大統領に就任
※母方ダーナムの姓がヨーク由来

■AD2012年 デーン人 連続殺人鬼イスラエル・キーズ逮捕、3人殺害
※キーズ姓はヨーク由来









@シェルデン人


■BC1200年 デーン人 黒海周辺地域からサルディーニャ島に移住(シェルデン人)
※シェルデンの名の由来は南方のデーン人

■BC1200年 シェルデン人A 海の民としてイタリアに移住、ラティウム神を祀る(ラテン人、ラティウム王国)
※ラテンの名の由来はシェルデン

■BC1200年 シェルデン人B 海の民アカイワシャ人、チェケル人と共にトロイアに侵攻(トロイア戦争)

■BC1200年 シェルデン人C 地中海からナイル上流に移住、ソドムと命名(スーダン、チャド)
※ソドムの名の由来はシェルデン

■BC1200年 トロイア人 トロイアの王族アイネイアース、トロイアからラティウムに移住

■BC1200年 ラテン人 トロイアの末裔アイネイエースに接近、自身の血統を打ち立てる(アスカニオス生誕)

■BC1200年 シェルデン人B 海の民の同僚チェケル人と共にトロイアの末裔を自称する(ドーリア人)
※ドーリアの名の由来はトロイア

■BC1179年 ラテン人 アスカニオス、ラティウムの王に即位

■BC1179年 ラテン人 アスカニオス、子息のシルウィウスの成人を機に新都を建設(アルバ・ロンガ)

■BC11世紀 シェルデン人B アナトリア半島でアルメニア人の一翼を担うサバエ人と連合(スパルタ人、スファラディ)
※スパルタの名の由来はサバエとリディアの組み合わせ「サバルディ」

■BC10世紀 スパルタ人 アナトリアからペロポネソス半島に移住、ポリスを建設(スパルタ)

■BC8世紀 スパルタ人B 一部がギリシアからイタリアに移住

■BC8世紀 サバエ人 イタリアでスパルタ人を解散、分離・独立(サビニ人)

■BC8世紀 スパルタ人B イタリアでスパルタ人を解散、分離・独立(プルトゥス家)
※プルトゥスの名の由来はスパルタ

■BC753年 サビニ人 レメク族と連合、初代ロムルス王とタティウス共同統治(ローマ王国)

■BC8世紀 スパルタ人A イタリアからペロポネソス半島に帰還、残留組と対立(無法状態)

■BC743年 スパルタ人A メッセニアに侵攻(第一次メッセニア戦争)

■BC685年 スパルタ人A メッセニア人が蜂起(第二次メッセニア戦争)

■BC7世紀 スパルタ人A 異分子排除装置を用いて反乱分子を事前に排除し、反乱を防止(クリュプティア)

■BC7世紀 ラテン人 ローマ王国がアルバ・ロンガを破壊したため、イタリアからアドリア海に移住(アルバニア人)
※アルバニアの名の由来はアルバ・ロンガ

■BC509年 プルトゥス家 ルキウス・ユニウス・ブルトゥスがエトルリア人を追放、王政を覆す(元老院、ローマ共和国)

■BC460年 スパルタ人A デロス同盟の盟主アテネ人と対立(第一次ペロポネソス戦争)

■BC395年 スパルタ人A アテネ人、アルゴス人、テーバイ人と戦争(コリントス戦争)

■BC331年 スパルタ人A マケドニアに蜂起、敗北(メガロポリスの戦い)

■BC221年 スパルタ人C 「セラシアの戦」に敗北し、ギリシアからインドに移住

■BC200年頃 スパルタ人C カーンヴァ朝を退けて北インドに王朝を開く(インド・グリーク朝)

■BC1世紀 ブルトゥス家 カエサル台頭を機に、イタリアからスコットランドに移住(フォルト・リウ)
※フォルト・リウの名の由来はプルトゥスと200年後に来るユリウスの組み合わせ

■BC1世紀 ブルトゥス家 スコットランドからイングランドに進出(プリテニ族/ブリトン人)
※プリテニ、ブリトンの名の由来はプルトゥス

■BC383年 ブリトン人 元老院マクシミアヌスに率いられてローマに進軍(ブルターニュ人)

■AD68年以降 クラウディウス家 ローマ帝国を元老院に乗っ取られ、ユリウス家と共にローマを脱出

■AD68年以降 クラウディウス家 ライン河畔からスコットランドに移住(ストラスクライド王国)

■AD68年以降 クラウディウス家 フォルトリウのプルトゥス家と連合(クルーシン族/プリテニ族)
※クルーシンの名の由来はクラウディウス

■AD68年以降 ユリウス家 フォルト・リウのプルトゥス家と連合(フォルト・リウ)
※フォルト・リウの名の由来はプルトゥスとユリウスの組み合わせ

■AD96年 ローマ元老院 ネルウァ、元老院によってローマ皇帝に推挙(ローマ帝国ネルウァ=アントニヌス朝)

■AD238年 ローマ元老院 ゴルディアヌス1世、もともと富裕な元老院議員(ローマ帝国軍人皇帝時代)

■AD284年 アルバニア人 ディオクレティアヌス、共同皇帝による東西分割を導入(東ローマ帝国テトラルキア朝)

■AD286年 アルバニア人 マクシミアヌス、ディオクレティアヌスによって共同皇帝に任命

■AD305年 アルバニア人 ガレリウス、コンスタンティウスと共に東西分立制を維持

■AD305年 アルバニア人 コンスタンティウス、ガレリウスの共同皇帝

■AD306年 アルバニア人 フラウィウス・ウァレリアス・セウェルス、ガレリウスの共同皇帝

■AD311年 アルバニア人 マクシミヌス・ダイア、リキニウスの軍勢に敗死(テトラルキア朝消滅)

■AD4世紀 スパルタ人C インド・グリーク朝の残党、北インドから東インドに移住(ヴァルダナ朝)
※ヴァルダナの名の由来はスパルタン

■AD5世紀 クルーシン族/プリテニ族 プリテニ族がクルーシン族から分離・独立(ライギン族)
※ライギンの名の由来はクルーシン

■AD5世紀 ライギン族 ブレサル・バラク、初代王に即位(レンスター王国)
※レンスターの名の由来はライギン

■AD6世紀 クルーシン族/プリテニ族 アイルランドに侵攻、歴代の王としてアルスター王国に君臨

■AD1478年 アルバニア人 オスマン・トルコ帝国のアルバニア侵略を機に、ラテン人の血統がエジプトに移住
※その後、イリュリア人の血統がアルバニアの地を継承

■AD1632年 レンスター人 最後の王ドムナル・スパニアク・マクモロー・カオムハナク死去

■AD1805年 アルバニア人 ムハンマド・アリー、アルバニア非正規軍の将校だったがエジプト総督に推挙された(ムハンマド・アリー朝)

■AD1818年 アルバニア人 ムハンマド・アリー、第一次サウード王国を滅ぼす

■AD1820年 アルバニア人 ムハンマド・アリー、スーダンに侵攻し北部をエジプト領に併合

■AD1831年 アルバニア人 ムハンマド・アリー、シリアの行政権を要求(エジプト・トルコ戦争)

■AD1839年 アルバニア人 ムハンマド・アリー、アナトリアに侵攻し、オスマン・トルコにシリア支配を認めさせた

■AD1881年 エジプト人 アフマド・アラービー大佐が革命運動を指揮(アラービー運動)

■AD1924年 エジプト人 サアド・ザグルールによるワフド党政権がエジプトに誕生

■AD1924年 デーン人 仲間のスーダン総督リー・スタックを殺害、エジプト人に責任転嫁し、存在しない殺害を口実にワフド政権を消滅させた

■AD1928年 アルバニア人 ハサン・アル・バンナー、エジプト人のワフド党に対抗する組織を創立(ムスリム同胞団)

■AD1953年 エジプト人 革命政権が共和制移行を宣言(ムハンマド・アリー朝消滅)

■AD1980年 アルバニア人 急進主義の小組織が合同して結成(ジハード団)

■AD1982年 シリア人 シリア当局がムスリム同胞団の拠点ハマーを破壊、メンバーを処刑(ハマー虐殺)

■AD2010年 アルバニア人 焼身自殺を機に反政府デモが全国に拡大(ジャスミン革命)

■AD2011年 アルバニア人 大規模な反政府デモが発生、ムハンマド・ムルシが大統領に選出(エジプト革命)

■AD2011年 アルバニア人 メシュウェシュ人の子孫を指揮下にカダフィ政権に対して蜂起(リビア内戦)

■AD2011年 アルバニア人 反政府軍を指揮し、シリア政府軍と交戦(シリア騒乱)

■AD2011年 アルバニア人 ムスリム同胞団の血統が故地に帰還を果たすべく、フェニキア人治世下のアルバニア共和国に於いてデモを指揮(アルバニア反政府デモ)

■AD2013年 レンスター人 ジョン・ブレナン、第24代CIA長官に就任



Aリディア人


■BC1200年 デーン人 黒海周辺地域からサルディーニャ島に移住(シェルデン人)
※シェルデンの名の由来は南方のデーン人

■BC1200年 シェルデン人A 海の民としてイタリアに移住、ラティウム神を祀る(ラテン人、ラティウム王国)
※ラテンの名の由来はシェルデン

■BC1200年 シェルデン人B 海の民アカイワシャ人、チェケル人と共にトロイアに侵攻(トロイア戦争)

■BC1200年 シェルデン人C 地中海からナイル上流に移住、ソドムと命名(スーダン、チャド)
※ソドムの名の由来はシェルデン

■BC1085年 シェルデン人C フェニキア人のソドム侵攻を機に、一部がカナンに移住

■BC1085年 シェルデン人C フェニキア人のソドム侵攻を機に、一部がアナトリアに移住(リディア人)
※リディアの名の由来はシェルデン

■BC11世紀 シェルデン人C カナン到着後、一部が死海の東岸に移住(モアブ王国)

■BC11世紀 シェルデン人C カナン到着後、一部がアムル人と連合 ヨルダン川東岸に移住(ベン・アミ、アンモン王国)

■BC11世紀 アンモン人 イスラエルに移住、12部族に参加(ベニヤミン族)
※ベニヤミンの名の由来はベン・アミ

■BC11世紀 シェルデン人C アナトリア半島に到着後、一部が王国を建設(リディア王国)

■BC11世紀 シェルデン人C アナトリア半島に到着後、一部が黒海に移住、メディア人と連合(サルマタイ人)
※サルマタイの名の由来はシェルデンとメディアの組み合わせ「シェルメディア」

■BC11世紀 リディア人 アナトリア半島でアルメニア人の一翼を担うサバエ人と連合(スパルタ人、スファラディ)
※スパルタの名の由来はサバエとリディアの組み合わせ「サバルディ」

■BC1020年 ベニヤミン族 初代サウル王、イスラエル統一(イスラエル王国)

■BC993年 モアブ人 ダビデ、第2代目イスラエル国王に即位

■BC961年 モアブ人 ソロモン、第3代目イスラエル国王に即位

■BC922年 ベニヤミン族 ユダ族と連合、北イスラエル王国に君臨する10部族と分離(ユダ王国)

■BC829年 シェルデン人C アルメニア人の東西移住計画に参加(アルメニア人の大航海時代)

■BC8世紀 シェルデン人C アルメニア人と共にアラビア半島に到着、現イエメン周辺に移住(ラディン一族)
※ラディンの名の由来はシェルデン

■BC8世紀 シェルデン人C アルメニア人と共に日本に到着(猿田彦)
※猿田彦の名の由来はシェルデン

■BC670年頃 ベニヤミン族 アッシリアの侵攻を機に、東西移住計画に参加(クシュ人の大航海時代)

■BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、イベリア半島からバルト海に到着(残留者:ユダ族、ベニヤミン族、ルカ人)

■BC7世紀 ユダ族 ユトランド半島に移住(テウトニ人)

■BC7世紀 ベニヤミン族 リーヴ人が先住する現ラトビア地域に移住(レット人、ラトビア)
※レットの名の由来は先祖ロト

■BC555年以降 リディア人 リディア国王クロイソスが祖を同じくするスパルタ人、サイス朝と組んでアケメネス朝治世下のカッパドキアに侵攻

■BC547年 リディア人 ペルシア軍が首都サルディスを陥落、リディア王国滅亡(サルディス包囲戦)

■BC133年 リディア人 ローマのアナトリア侵攻を機に、西方移住計画に参加(アナトリア人の大航海時代)

■BC2世紀 リディア人 バルト海に向かう途中、ライン河畔に一部残留(サリー族)
※サリーの名の由来はリディア人の祖シェルデン

■BC2世紀 サリー族 アナトリア時代の隣人フリギア人と連合(サリー・フランク族)

■AD358年 サリー・フランク族 ローマ帝国の同盟者になる

■AD440年 サリー・フランク族 メロヴィクスに率いられてガリアを南下

■AD451年 サリー・フランク族 西ローマ帝国と連合しフン族を撃退(カタラウヌムの戦い)

■AD481年 サリー・フランク族 クロヴィス1世、初代フランク国王に即位(メロヴィング朝)

■AD511年 サリー・フランク族 クロタール1世、第2代フランク国王に即位

■AD743年 サリー・フランク族 キルデリク3世、第14代フランク国王に即位

■AD751年 サリー・フランク族 キルデリク3世、宮宰ピピンに実験を握られ、幽閉される(メロヴィング朝消滅)

■AD751年 フランク人 ピピン3世、フランク国王に即位(カロリング朝)

■AD751年 サリー族 カロリング朝の台頭を機に、フランク王国からバルト海に移住(リトアニア)
※リトアニアの名の由来はサリー族の祖リディア

■AD8世紀 ラトビア人 リーヴ人の台頭を機にラトビアから西欧に移住(スタインの氏族)
※スタインの名の由来はロトの「ソドム脱出」の説話

■AD8世紀 ラトビア人 ベニヤミン族の子孫であるためユダヤ人を称し、金融業を営む(ホフ・ユーデン)

■AD13世紀 サリー族 唐、宋、新羅、金朝など東アジアのフェニキア人王家指揮下で、ドイツ騎士団の侵攻を食い止める(リトアニア大公国)

■AD14世紀 サリー族 東アジア人の台頭を機に、リトアニアからドイツ・ザクセン地方に移住

■AD1483年 サリー族 マルティン・ルター生誕
※ルターの名の由来はシェルデン

■AD1505年 サリー族 マーティン・ルーサー、聖アウグスチノ修道会に入会

■AD1517年 サリー族 マーティン・ルーサー、カトリックに対する問題提起を「95ヶ条の論題」としてまとめる(ルター派)

■AD1555年 ルター派 ドイツ国内に於ける法的権利認可(アウクスブルクの和議)

■AD1908年 シェルデン人 ムハンマド・ビン・ラディン生誕

■AD1919年 リトアニア人 アンターナス・スメトナ、リトアニア初代大統領に就任(リトアニア共和国)

■AD1931年 シェルデン人 ムハンマド・ビン・ラディン、建築複合会社、持ち株会社を設立(サウジ・ビン=ラディン・グループ)

■AD1947年 ルター派 スウェーデンのルンドで世界連盟を組織(ルター派世界連盟)

■AD1957年 シェルデン人 オサマ・ビン・ラディン生誕

■AD1988年 シェルデン人 オサマ・ビン・ラディン、ジハード団のメンバーと共にテロ組織創設(アル・カーイダ)

■AD1992年 リトアニア人 アルギルダス・ブラザウスカス、リトアニア初代大統領に就任(リトアニア共和国)

■AD1992年 シェルデン人 オサマ・ビン・ラディン、ファハド国王によりサウジアラビアから追放

■AD1999年 ルター派世界連盟 カトリック教会と共に「義認の教理に関する共同宣言」に調印

■AD2001年 シェルデン人 オサマ・ビン・ラディン、イラク攻撃の為に用意された伏線(アメリカ同時多発テロ事件)
※悪者なら殺しても良い、だが、その前にイスラム教徒を悪者に仕立上げなくてはならない

■AD2011年 シェルデン人 オサマ・ビン・ラディン殺害、実際にはどこかで生きていると考えられる
※オバマ大統領ら政府関係者が殺害シーンに見入る写真が公開されたが、実際にはみんなで野球を見ていたと考えられる





エストニア人




■AD848年 ダルリアタ人A ダルリアダ王国消滅を機にスコーネに移住(デーン人)
※デーンの名の由来はダン、ダーナ

■AD848年 デーン人 スコーネから現エストニアに移住(エストニア人)
※エストニアの名の由来はエスト・ダニア(東方デーン人領)

■AD10世紀 エストニア人 アイスランド共和国を忌避し、北極海を抜けてアメリカ大陸太平洋側に出た(ディネ族)
※ディネの名の由来はダン、或いはデーン

■AD10世紀 ナヴァホ族 ディネの支配を嫌い、アパッチ族を率いてアラスカから大平原に移住

■AD10世紀 ディネ族 カナダ太平洋岸から南下、メキシコに移住、アストランから来たと称する
※アストランの名の由来はエストランド

■AD12世紀 エストニア人 現エストレマドゥーラでマトゥーラ人と連合(エストレマドゥーラ州)
※エストレマドゥーラの名の由来はエストランドとマトゥーラの組み合わせ

■AD1325年 ディネ族 王族に従事し、神官に従事したチチメカ族と連合(アステカ人)
※アステカの名の由来はエスト

■AD1325年 アステカ人 生贄の儀式に必要な「ウィツィロポチトリ神」を創造
※ウィツィロポチトリの名の由来は「瞬時に切り裂く魔神」を意味する英語「WIZ」「LOP」「CHARTER」の組み合わせ

■AD1325年 アステカ人 生贄の儀式に必要な「テスカトリポカ神」を創造
※テスカトリポカの名の由来は「死を要求する鬼神」を意味する英語「DEATH」「CATER」「BOGGY」の組み合わせ

■AD1333年 エストニア人 イベリア半島から黒海に進出、カスピ海に移住(アストラハン)
※アストラハンの名の由来はエストランド

■AD1360年 エストレマドゥーラ人 一部がイベリア半島から現セルビアに移住(ツェタ公国、モンテ・ネグロ)
※ツェタの名の由来はエスト

■AD14世紀 モンテ・ネグロ人 ツェタ公国からボスニアに移住(ペドロヴィッチ=ニェゴシエ家)

■AD1440年 アステカ人 モクテスマ1世、王に即位(アステカ帝国)

■AD15世紀 アステカ人 祭礼「水が止まること」「木々を立てること」を毎年2月に開催、山上で子供を生贄にする
※実際には将来有望な児童を排除する目的があった

■AD15世紀 アステカ人 祭礼「人の皮剥ぎ」を毎年3月に開催、祭司は生贄の皮を20日間被り続ける
※実際には有望なリーダー格の排除が目的であった

■AD15世紀 アステカ人 祭礼「大徹夜会」を毎年4月に開催、パンティトランで子供を生贄にする
※実際には将来有望な児童を排除する目的があった

■AD15世紀 アステカ人 祭礼「乾燥」を毎年5月に開催、一年間テスカトリポカに扮していた「神の体現者」を生贄に処する
※実際には有望なリーダー格の排除が目的であった

■AD15世紀 アステカ人 祭礼「王の小祝宴」を毎年6月に開催、祝宴の神、草木の神、塩の女神に生贄を捧げる
※実際には有望なリーダー格の排除が目的であった

■AD15世紀 アステカ人 祭礼「王の大祝宴」を毎年7月に開催、生贄が捧げられる
※実際には有望なリーダー格の排除が目的であった

■AD15世紀 アステカ人 祭礼「死者の小祝宴」「花の誕生」を毎年8月に開催、神格化された祖先英雄ウィツィロポチトリに生贄が捧げられる
※実際には有望なリーダー格の排除が目的であった

■AD15世紀 アステカ人 祭礼「死者の大祝宴」「ショコトルの実の大落下」を毎年8月に開催、火に生贄が捧げられる
※実際には有望なリーダー格の排除が目的であった

■AD15世紀 アステカ人 祭礼「貴重な羽」を毎年11月に開催、捕虜が鹿のように縛られて生贄に処される

■AD1466年 エストニア人 ジョチウルスが弱体化した後にクリミア・ハン国などと独立(アストラハン・ハン国)

■AD1492年 エストレマドゥーラ人 コロンブスによる新大陸発見以後、アメリカに向かうスペイン船に参加(コンキスタドール)

■AD1500年 コンキスタドール パスコ・ヌーニェス・デ・バルボア、イスパニョーラ島に移住、後に部下であったピサロに処刑される

■AD1502年 アステカ人 モクテスマ2世、太平洋岸に遠征

■AD1516年 モンテ・ネグロ人 ツィテニエ家による神政政治(ツィテニエ家)

■AD1521年 コンキスタドール エルナン・コルテス、テノチティトラン陥落(アステカ帝国滅亡)

■AD1521年 アステカ人 アステカ帝国滅亡を機に、アステカ帝国滅亡を機にチチメカ族と共にメキシコを脱出

■AD1524年 コンキスタドール エルナン・コルテス、ホンジュラスのスペイン併合を宣言

■AD1524年 コンキスタドール ペドロ・デ・アルバラード、グアテマラを征服

■AD1525年 コンキスタドール エルナン・コルテス、メキシコをスペインに併合

■AD1531年 コンキスタドール フランシスコ・ピサロ、180人の手勢と38頭の馬を率いてペルーに侵攻

■AD1532年 コンキスタドール フランシスコ・ピサロ、アタワルパ王に会見するが、その場で生け捕りにした

■AD1533年 コンキスタドール フランシスコ・ピサロ、アタワルパを処刑し、クスコに無血入城(インカ帝国滅亡)

■AD1536年 コンキスタドール エルナンド・デ・ソト、インカ帝国征服による莫大な財産強奪により帰国後、サンティアゴ騎士団に入団

■AD1538年 コンキスタドール フランシスコ・ピサロ、アルマグロと対立、その後に処刑(サリナスの戦い)

■AD1540年 コンキスタドール ペドロ・デ・バルディビア、ペルー南方を占拠するために遠征、サンティアゴ市を建設

■AD1541年 コンキスタドール ゴンサロ・ピサロ、スペイン人反乱の指導者として蜂起するが処刑される

■AD1547年 コンキスタドール ペドロ・デ・バルディビア、マプーチェ族との戦闘で敗走中に捕らえられて処刑

■AD1572年 コンキスタドール インカ帝国の王トゥパク・アマルを処刑(インカ人の反乱制圧)

■AD1589年 アステカ人 アステカ帝国滅亡を機にチチメカ族と共にメキシコを脱出し、祖を同じくするアストラハンに移住

■AD1589年 チチメカ族 アステカ帝国滅亡を機にアステカ人と共にメキシコを脱出し、コーカサス地方に移住(ツァリーツィン)
※ツァリーツィンの名の由来はジルシン

■AD1737年 ロシア人 ヴォルガ・コサック番人衆をアストラハンに設置、カザフ人侵入防止を任ずる

■AD1750年 ロシア人 アストラハンの番人衆を500人のコサック連隊に再編(アストラハン・コサック連隊)

■AD1817年 アストラハン・コサック 正式なアストラハン・コサック軍に再編成

■AD1852年 ペドロヴィッチ=ニェゴシエ家 世俗的な公への転化(モンテ・ネグロ公国)

■AD1852年 プリモ・デ・リベーラ家 第二次カルリスタ戦争を終結させた(エステーリャ侯爵授与)
※エステーリャの名の由来はエストランド

■AD1918年 ペドロヴィッチ=ニェゴシエ家 ニコラ1世、フランスに亡命(オーストリア=ハンガリー帝国領)

■AD1918年 モンテ・ネグロ人 モンテ・ネグロからエストニアに帰還(エストニア独立宣言)

■AD1920年 アストラハン・コサック ロシア革命後に反乱分子として弾圧、白軍に参加したがボリシェヴィキ軍に敗北、滅亡

■AD1933年 プリモ・デ・リベーラ家 第3代エステーリャ侯爵ホセがファシスト政党創設(ファランヘ党)

■AD1937年 フランク人 フランシスコ・フランコ、リベーラ家を退けて国家元首に就任(新ファランヘ党)

■AD1938年 エストニア人 コンスタンティン・パッツ、初代エストニア大統領に就任(エストニア共和国)

■AD1992年 エストニア人 レナルト・ゲオルグ・メリ、第2代エストニア大統領に就任

■AD2001年 エストニア人 アルノルド・リューテル、第3代エストニア大統領に就任

■AD2006年 エストニア人 トーマス・ヘンドリク・イルヴェス、第4代エストニア大統領に就任














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