クシュ人の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でアダム族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。



@クシュ人


■BC747年 クシュ人 ピアンキ、エジプト第25王朝初代ファラオに即位

■BC716年 クシュ人 シャバカ、エジプト第25王朝第2代ファラオに即位

■BC702年 クシュ人 シャパタカ、エジプト第25王朝第3代ファラオに即位

■BC7世紀 クシュ人A クシュ人の船団、エジプトからアラビア半島に到着(残留者:クシュ人、ナパタ人)

■BC7世紀 クシュ人A アラビア半島南部に定住(アクスム人)

■BC7世紀 クシュ人B クシュ人の船団、アラビア半島からセイロン島に到着(残留者:クシュ人、ルカ人、オルフェウス教団)

■BC7世紀 クシュ人B セイロン島からガンジス流域に移住(カーシー王国)

■BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、セイロン島からマレー半島に到着(残留者:メロエ人)

■BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、マレー半島から中国に到着(残留者:オルフェウス教団)

■BC7世紀 クシュ人C クシュ人の船団、中国から日本列島に到着(残留者:クシュ人、オルフェウス教団)

■BC7世紀 クシュ人C インドから東北地方日本海側に移住、現地人にフェニキア文字のひとつエプシロンを冠する(エビス)
※エビスの名の由来はエプシロン

■BC7世紀 クシュ人C 支流エビスが陸奥安倍氏と連合(蝦夷/エビス)

■BC6世紀 クシュ人C 満州に移住、天孫族の軍事集団に参加(イェマック/ワイヒャク)

■BC6世紀 クシュ人C 満州から黒龍江を遡り、タリム盆地に移住(亀茲国)
※クチャの名の由来はクシュ

■BC6世紀 カーシー人 マガダによるカーシー併合を機に、東北地方太平洋側に移住(久慈)
※久慈の名の由来はカーシー

■BC4世紀 亀茲人B 匈奴の台頭を機に、イェマック、隼人、アルメニア人を率いてモンゴル高原からアメリカに向かう

■BC3世紀 亀茲人B メキシコに移住、ケツァルコアトルを祀る(テオティワカン文明/他称)
※ケツァルコアトルの名の由来はクシュ

■BC2世紀 亀茲人A イェマックから分離独立、朝鮮半島に移住(沃祖/オクジョ)
※オクジョの名の由来はクシュ

■BC36年 亀茲人A 丞徳、亀茲王に即位

■AD16年 亀茲人A 弘、亀茲王に即位

■AD45年〜AD5世紀 亀茲人C 大月氏を率いて、タリム盆地からインドに移住(クシャーナ朝)
※クシャーナの名の由来は亀茲

■AD50年 亀茲人A 身毒、亀茲王に即位

■AD73年 亀茲人A 建、亀茲王に即位

■AD110年 亀茲人A 白英、亀茲王に即位

■AD1世紀 亀茲人B イェマックを率いてテオティワカンからアンデスに移住、植民地を建設(ティワナク文化/他称)

■AD1世紀 沃祖/亀茲人 武内宿禰に接近、自身の血統を打ち立てる(葛城氏)
※葛城の名の由来は「亀茲の城」

■AD1世紀 葛城氏 朝鮮半島から日本に進出、畿内に移住

■AD1世紀 カーシー人 武内宿禰に接近、自身の血統を打ち立てる(許勢小柄宿禰)
※許勢の名の由来はカーシー

■AD1世紀 巨勢氏 東北地方から畿内に移住

■AD2世紀 アクスム人 ゾスカレス、アラビア半島南部に国家建設(アクスム王国)

■AD2世紀 アクスム人 ゾスカレス、紅海を越えてアラビア半島南部からアフリカ大陸側に侵攻

■AD3世紀 クシュ人/エビス族 松浦半島、壱岐、対馬に移住(呼子氏、船越氏、草野氏)
※呼子の名の由来はエビス

■AD325年 アクスム人 オウサナス、コプト教がアクスムに伝来

■AD350年 アクスム人 エザナ、メロエ人が支配していた故地クシュ王国に帰還(メロエ王国滅亡)

■AD5世紀 亀茲人D 北魏が詔の軍を率いて亀茲国に侵攻、一部が西方に移住(ハザール帝国)
※ハザール/カザールの名の由来はクチャ

■AD577年 アクスム人 サイフ、アクスム王に即位

■AD590年 アクスム人 イズラエル、アクスム王に即位

■AD600年 アクスム人 ゲルセム、アクスム王に即位

■AD614年 アクスム人 アルマー、アクスム王に即位

■AD680年 亀茲人A 延田跌、亀茲王に即位

■AD684年 許勢小柄宿禰 天武天皇の八色の姓制定を機に改姓(巨勢氏)

■AD7世紀 亀茲人B ティオティワカン滅亡を機にアンデス中央高地に移住(ワリ文化/他称)

■AD7世紀 亀茲人B ティオティワカン滅亡を機にアンデス山中クスコに移住(ケチュア族)
※ケチュアの名の由来はクチャ

■AD708年 亀茲人A 白莫ヒツ、亀茲王に即位

■AD787年 亀茲人E ウイグルの侵攻により拠点が陥落、これを機に中央アジアに移住(ペチェネグ族)
※ペチェネグの名の由来はクチャ、ハ行はカ行、その逆も然り

■AD830年頃 ペチェネグ族 ハザール帝国、オグズ24氏族に攻められ、マジャール人の地に居座る

■AD896年 ペチェネグ族 ブルガリア帝国と同盟、マジャール人を追放

■AD940年頃 アクスム人 ザガウェ朝、ソロモン朝台頭を機に王位を放棄(アクスム王国滅亡)

■AD940年頃 アクスム人 アクスム滅亡を機に、南アフリカに移住(コサ族)
※コサの名の由来はクシュ

■AD971年 ペチェネグ族 ビザンツ帝国と連合、キエフ大公国軍を壊滅

■AD1036年 ペチェネグ族 キエフ大公ヤロスラフ1世の軍に退廃を喫したため、服属

■AD11世紀 ペチェネグ族 ビザンツ領ブルガリアに侵入し、ブルガリア人を支援してビザンツに蜂起

■AD1091年 ペチェネグ族 ビザンツ皇帝の要請を受けたボーロヴェッツ族の攻撃を受けて壊滅(ペチェネグ族消滅)

■AD11世紀 巨勢氏 武蔵国に移住、武蔵七党に参加(加治氏)
※加治の名の由来は巨勢

■AD1197年 ケチュア族 クスコを首都に王国を建設(クスコ王国)
※クスコの名の由来はクシュ

■AD12世紀 ケチュア族 クスコ王国に到来した奥州藤原氏、出羽修験道教団、アイヌ人と連合(インカ人)

■AD12世紀 ケチュア族 アイヌ語のピリカ(善き)とケチュアを組み合わせた神を創造(太陽神ピラコチャ)

■AD13世紀 ケチュア族 マンコ・カパック、クスコ王に即位

■AD13世紀 ケチュア族 カパック・ユパンキ、クスコ王に即位

■AD14世紀 ケチュア族 インカ・ロカ、クスコ王に即位

■AD14世紀 ケチュア族 ヤワル・ワカ、クスコ王に即位

■AD1438年 インカ人 サパ・インカ・パチャテク・クシ・ユパンキ、初代インカ皇帝に即位(インカ帝国)
※パチャテクのパチャの由来はフジワラ

■AD1471年 インカ人 トゥパック・インカ・ユパンキ、第2代インカ皇帝に即位

■AD1493年 インカ人 ワイナ・カパック、第3代インカ皇帝に即位

■AD1532年 インカ人 アタワルパ、第6代インカ皇帝に即位

■AD1536年 インカ人 マンコ・インカ・ユパンキ、初代インカ皇帝に即位(ビルカバンバのインカ帝国)

■AD1545年 インカ人 サイリ・トゥパック、第2代インカ皇帝に即位

■AD1560年 インカ人 ティトゥ・クシ、第3代インカ皇帝に即位

■AD1571年 インカ人 トゥパック・アマル、第4代インカ皇帝に即位

■AD1572年 インカ人 トゥパク・アマル処刑を機に北アメリカに進出、ミシシッピ最大の支流ミズーリ流域に移住

■AD16世紀 インカ人/ケチュア族 ミズーリ流域から大平原地域に移住(ヒダーツァ族)
※ヒダーツァの名の由来はケチュア、自称のヌクスバーガの名の由来はクシュ

■AD1837年 ヒダーツァ族 インカ人の末裔マンダン族とミズーリ上流で連合

■AD1851年 ヒダーツァ族 アメリカ合衆国と三大提携部族と不可侵条約を結ぶ(ララミー砦の条約)

■AD1862年 ヒダーツァ族 インカ人の末裔マンダン族、アリカラ族と共に連合自治体を結成(三大提携部族/MHA)

■AD1953年 ヒダーツァ族 保留地の大半がダムの底に沈む(ギャリソンダム建設)

■AD1993年 ヒダーツァ族 三大提携部族でインディアン・カジノを運営(フォー・ベアー・カジノ&ロッジ)

■AD1994年 コサ人 ネルソン・マンデラ、第8代南アフリカ連邦大統領に就任(南アフリカ共和国)



Aクシャーナ人


■AD45年〜AD5世紀 亀茲人B 大月氏を率いて、タリム盆地からインドに移住(クシャーナ朝)
※クシャーナの名の由来は亀茲

■AD80年頃 クシャーナ朝 クジュラ・カドフィセス、クシャーナ王に即位

■AD1世紀後半 クシャーナ朝 ヴィマ・タクト、クシャーナ王に即位

■AD2世紀前半 クシャーナ朝 ヴィマ・カドフィセス、クシャーナ王に即位

■AD2世紀中半 クシャーナ朝 カニシカ1世、クシャーナ王に即位

■AD2世紀中半 クシャーナ朝 ヴァーシシカ、クシャーナ王に即位

■AD2世紀後半 クシャーナ朝 フヴィシカ、クシャーナ王に即位

■AD3世紀前半 クシャーナ朝 ヴァースデーヴァ、クシャーナ王に即位

■AD3世紀前半 クシャーナ朝 カニシカ2世、クシャーナ王に即位

■AD5世紀 クシャーナ朝 サーサーン朝が侵攻、滅亡を機にインドからモンゴル高原に移住

■AD8世紀 クシャーナ朝 中央アジアにフェニキア人の軍事集団を結成(オグズ24氏族)
※オグズはグズとも呼ばれたが、名の由来はクシュ、クシャーナ

■AD1037年 オグズ族 オグズ24氏族をセルジューク家に乗っ取られたのを機に日本に移住

■AD1162年 オグズ族 加賀美遠光に接近、自身の血統を打ち立てる(小笠原長清生誕、小笠原氏)
※小笠原の名の由来はオグズと原の組み合わせ

■AD1191年 小笠原氏 弟の南部三郎光行と共に奥州に下向、久慈を分領(久慈氏)

■AD1221年 小笠原氏 承久の乱を機に、長清の子息たちが源有雅を率いて東西移住を計画(加賀美氏の大航海時代)
※アッサムの名の由来は小笠原氏に縁がある浅間

■AD1221年 小笠原氏A 東方ルートに及び、現アッサム地方に移住(アッサム)
※アッサムの名の由来はアサマ

■AD1221年 小笠原氏B 西方ルートに及び、ユカタン半島に移住(ココム家)
※父加賀美遠光の姓を冠した

■AD1228年 アッサム人 スカパア、初代アホム王に即位(アホム王国)
※アホムの名の由来は小笠原氏に縁がある土地「阿波」「石見」

■AD1268年 アッサム人 ステウパア、第2代アホム王に即位

■AD1281年 アッサム人 スビンパア、第3代アホム王に即位

■AD1285年 アッサム人 ルプ・ナラヤン、ケン王朝の王位を簒奪(カマタ王国)
※カマタの名の由来は小笠原氏に縁がある土地「上田」

■AD1286年 アッサム人 ボーパル、ディマプールを占領、王位を簒奪(カチャリ王国)
※カチャリの名の由来は小笠原

■AD1293年 アッサム人 スカアンパア、第4代アホム王に即位

■AD1300年 アッサム人 シンハドワジ、第5代カマタ王に即位

■AD1305年 アッサム人 プラプトワジ、第6代カマタ王に即位

■AD1316年 アッサム人 プランダル、第13代カチャリ王に即位

■AD1325年 アッサム人 ダルマ・ナラヤン、第7代カマタ王に即位

■AD1336年 アッサム人 プラカシ、第14代カチャリ王に即位

■AD1386年 アッサム人 ヴィカラント、第15代カチャリ王に即位

■AD1460年 アッサム人 チャクラドワジ、第15代カマタ王に即位

■AD1480年 アッサム人 ニランバル、第16代カマタ王に即位

■AD1511年 アッサム人 デルシン、第20代カチャリ王に即位

■AD1539年 アッサム人 スクレンムン、第19代アホム王に即位

■AD1552年 アッサム人 スカアムパア、第20代アホム王に即位

■AD1680年 アッサム人A ブータン王国の侵攻を機に、アッサム地方からアラビア半島に移住(アジュマーン)
※アジュマーンの名の由来はアッサム

■AD17世紀 アッサム人B アラビア半島からカナリア諸島に移住(太陽神アチャマン)
※アチャマンの名の由来はアッサム

■AD17世紀 アッサム人C アラビア半島からライン河畔に移住、バイエルンに進出(SENGEN氏族)
※バイエルンに多い姓SENGENの名の由来は浅間、焼き尽くされた土地を意味しているという

■AD17世紀 SENGEN氏族 アダム・ヴァイスハウプトを称し、秘密結社を結成(イルミナティ)
※ヴァイスハウプトの名の由来は「見える」「頭」の組み合わせ、「知の炎」を追求するイルミナティは浅間信仰の賜物である

■AD1764年 アジュマーン家 ソビイエ族を襲撃

■AD1784年 イルミナティ バイエルン王国が秘密結社を禁止

■AD1785年 イルミナティ ローマ教皇ピウス6世、イルミナティを異端認定(イルミナティ消滅)

■AD1785年 イルミナティ バイエルンから中央アジアに移住、ガージャール部族連合に合流

■AD18世紀 アジュマーン家 シーク・ラシド・イブン・ハーミド・アル・ヌアイミ、初代首長の座に就く

■AD18世紀 アジュマーン家 シーク・フマイド・イブン・ラシド・アル・ヌアイミ、第2代首長の座に就く

■AD1816年 アジュマーン家 シーク・ラシド2世、第3代首長の座に就く

■AD1820年 アジュマーン家 シーク・ラシド2世、イギリスと対オスマンで結束

■AD1833年 アッサム人 スカパア、初代アホム王に即位

■AD1838年 アジュマーン家 シーク・フマイド2世、第4代首長の座に就く

■AD1841年 アジュマーン家 シーク・アブダル・アジズ1世、第5代首長の座に就く

■AD1873年 アジュマーン家 シーク・ラシド3世、第6代首長の座に就く

■AD1891年 アジュマーン家 シーク・フマイド3世、第7代首長の座に就く

■AD1900年 アジュマーン家 シーク・アブダル・アジズ2世、第8代首長の座に就く

■AD1910年 アジュマーン家 シーク・フマイド4世、第9代首長の座に就く

■AD1928年 アジュマーン家 シーク・ラシド3世、第10代首長の座に就く

■AD1971年 アジュマーン家 シーク・ラシド3世、アラブ首長国連邦に参加(アジュマーン首長国)

■AD1981年 アジュマーン家 シーク・フマイド・イブン・ラシド・アル・ヌアイミ、第11代首長の座に就く



Bハザール人


■AD450年 亀茲人C カラダッチ、第2代ハザール王に即位

■AD5世紀  北魏が詔の軍を率いて亀茲国に侵攻、一部が西方に移住
※ハザール/カザールの名の由来はクチャ

■AD610年頃 ハザール人 ジーベル、初代ハザール皇帝に即位(ハザール帝国)

■AD630年頃 ハザール人 ボリ・サド、第2代ハザール皇帝に即位

■AD650年頃 ハザール人 イルビス、第3代ハザール皇帝に即位

■AD660年頃 ハザール人 カールガ、第4代ハザール皇帝に即位

■AD7世紀 亀茲人C チベット軍の侵攻を機に、残留組が先発隊を追って中央アジアに移住

■AD830年頃 ペチェネグ族 ハザール帝国、オグズ24氏族に攻められ、マジャール人の地に居座る

■AD825年 ハザール人 ツヴァン・カーン、第12代ハザール皇帝に即位

■AD840年頃 ハザール人 タルカン、第13代ハザール皇帝に即位

■AD986年 ハザール人 ダヴィデ、ハザール皇帝に即位

■AD988年 ハザール人 ゲルギウス・ツール、ハザール皇帝に即位

■AD10世紀 ハザール人A ハザール帝国滅亡を機に、司馬氏を率いて日本に移住

■AD11世紀 ハザール人A 相模国に移住して鎌倉景通に接近、自身の血統を打ち立てる(梶原景久、梶原氏)
※カジワラの名の由来はカザール

■AD11世紀 ハザール人B 中央アジアに単独で軍事集団を結成(ガージャール部族連合)

■AD1199年 梶原氏 「景時の変」を機にモンゴル高原に移住、バルラスの祖となる(カチュリ家)
※カチュリの名の由来はカジワラ

■AD13世紀 カチュリ家 バルラスが大バルラと小バルラに分裂(カチウ家、カチュラ家)

■AD12世紀 カチュリ家 バルラス部のクビライ、若きチンギスを部下にしていた

■AD1219年 ボルジギン家 チンギス・ハーン、モンゴル軍征西開始

■AD1241年 ボルジギン家 モンゴル軍がシレジアでハンガリー軍、ポーランド軍と交戦(ワールシュタットの戦い) 

■AD14世紀 カチュリ家 カブルハン(チャガタイ・ハン国)

■AD14世紀 カチュリ家 カラチャル・ノヤン生誕(チムール)

■AD1360年 カチュリ家 チムール、チャガタイ・ハン国の東西統一を機に服属

■AD1370年 カチュリ家 チムール、東チャガタイ・ハン国に離反し、トランス・オクシアナの覇権を確立(チムール帝国)

■AD1388年 カチュリ家 チムール、コラサンを征服し、イラン全域を服属

■AD1398年 カチュリ家 チムール、インドに侵攻しデリー・スルタン朝の首都デリーを占領

■AD1400年 カチュリ家 チムール、シリア、イラクを席巻してマムルーク朝を撃破

■AD1402年 カチュリ家 チムール、オスマン・トルコ帝国を一時的に滅亡させる(アンカラの戦い)

■AD1405年 カチュリ家 ハリル・シャー、第2代チムール皇帝に即位

■AD1409年 カチュリ家 シャー・ルク、第3代チムール皇帝に即位

■AD1447年 カチュリ家 ウルグ=ベグ、第4代チムール皇帝に即位

■AD1493年 カチュリ家 マハムード、第9代チムール皇帝に即位(チムール帝国滅亡)

■AD1500年 カチュリ家 チムール帝国滅亡を機に、イランに帰還、ガージャール部族連合に参加

■AD1794年 ガージャール部族連合 サハヴィー朝滅亡後のイランを統一(崇高なる国イラン/ガージャール朝)

■AD1794年 ガージャール部族連合 アーガー・モハンマド・シャー、初代シャーに即位

■AD1797年 ガージャール部族連合 ファトフ・アリー・シャー、第2代シャーに即位

■AD1804年 ガージャール部族連合 ファトフ・アリー・シャー、ロシアの東部グルジア併合を機に、ロシアと交戦(第一次ロシア・ペルシア戦争)

■AD1826年 ガージャール部族連合 ファトフ・アリー・シャー、イギリスがロシアに取られた領土奪還をそそのかす(第二次ロシア・ペルシア戦争)

■AD1834年 ガージャール部族連合 モハンマド・シャー、第3代シャーに即位

■AD1848年 ガージャール部族連合 モハマンド・シャー崩御を機に、バーブ教徒が蜂起

■AD1856年 ガージャール部族連合 ナーセロッディーン・シャー、ヘラート進出を機にイギリスと交戦(アングロ・ペルシア戦争)

■AD1905年 ガージャール部族連合 モザッファロッディーン・シャー、聖職者・バーザール商人が「公正の家」設立を要求(イラン立憲革命)



Cガッサーン人


■BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、地中海から現イビサ島に到着(残留者:クシュ人)

■BC7世紀 クシュ人 島にフェニキア文字のひとつエプシロンを冠する(イビサ)

■BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、イビサ島からイベリア半島に到着(残留者:クシュ人、ルカ人)

■BC7世紀 クシュ人 イベリア半島北部に移住(ガスコン人)
※ガスコンの名の由来はクシュ人のコネクション

■BC7世紀 ガスコン人 イベリア半島からシリア方面に移住(ガッサーン人)
※ガッサーンの名の由来はガスコン

■BC7世紀 ガスコン人 イベリア半島からマルセイユ方面に移住、ルーベン族と連合(ナルボネンシス)
※ナルボネンシスの名の由来はナイルとルーベンの組み合わせ

■BC7世紀 ガスコン人 イベリア半島からアルプス方面に移住、ルーベン族と連合(キサルピナ)
※キサルピナの名の由来はクシュとルーベンの組み合わせ

■AD4世紀 ガッサーン人 アラビア半島北部にキリスト教国家を建設(ガッサーン王国)

■AD529年 ガッサーン人 アル=ハーリス2世、ラフム撃破の褒章としてビザンツ皇帝より全アラブ部族の支配者に任命(種族の長)

■AD554年 ガッサーン人 アル=ハーリス2世、ラフム王を斬殺(ハリーマの日)

■AD563年 ガッサーン人 アル=ハーリス2世、ビザンツ皇帝を表敬訪問

■AD580年 ガッサーン人 アル=ムンディル、ビザンツの要請でラフム王国の首都アル・ヒーラを焼き払う

■AD636年 ガッサーン人 ビザンツ側に付いてイスラム軍と交戦したが、一部がイスラムに帰依(ガッサーン王国滅亡)

■AD7世紀 ガッサーン人 ガッサーン人キリスト教徒が、シリアからイベリア半島に帰還(イエズス会/AD1534年)

■AD1534年 ガッサーン人 イグナチオ・デ・ロヨラ、6名の学友と共にモンマルトルの誓いを立てる(イエズス会)

■AD1537年 イエズス会 ローマ教皇パウルス3世、叙階を認める

■AD1540年 イエズス会 ローマ教皇パウルス3世、正式な認可を与える(レジミニ・ミリタンティス)

■AD1541年 イエズス会 フランシスコ・ザビエル、インドに向かう

■AD1543年 イエズス会 イグナチオ・デ・ロヨラ、初代指導者に選出

■AD1547年 イエズス会 4人のイエズス会員がアンコール人の土地、コンゴ王国に到着(コンゴ宣教)

■AD1548年 イエズス会 モロッコ宣教

■AD1548年 倭寇 ヤジロウ、ザビエルの導きでゴアのボン・ジェス教会で洗礼を受ける
※日本のフェニキア人が、世界がヘレネス人とフェニキア人の真っ二つに割れて対立していることをイエズス会から知らされる

■AD1549年 イエズス会 マヌエル・ダ・ノブレガ、ジョゼ・デ・アンシエタがインディオに宣教(ブラジル宣教)

■AD1549年 イエズス会 フランシスコ・ザビエル、日本に到着

■AD1550年 イエズス会 従軍司祭バレイラ、アンコール人の後裔アンゴラ王を洗礼(アンゴラ宣教)

■AD1555年 イエズス会 アンドレス・デ・オビエド、エドム人の土地エチオピアに進入するが寛容を示す機会に恵まれず(エチオピア宣教)

■AD1555年 イエズス会 ヌニエス・バレト、明治世下の中国に入国

■AD1560年 イエズス会 宣教師シルベイラ、陸奥安倍氏の後裔ムタパ王を洗礼(モザンビーク宣教)

■AD1572年 イエズス会 ペドロ・サンチェス、4学院を所有するまでに成長(メキシコ宣教)

■AD1577年 イエズス会 グネッキ・ソルディ・オルガンティノ、安土に教会建設

■AD1582年 イエズス会 フィリピン宣教

■AD1584年 イエズス会 ユリウス・マンチネッリ、ビザンツに派遣(コンスタンティノープル宣教)

■AD1587年 イエズス会 豊臣秀吉がポルトガル人国外退去、宣教師の長崎居住を命令(伴天連追放令)

■AD1592年 倭寇 イエズス会と連合して豊臣秀吉を操作、朝鮮半島に侵攻(文禄・慶長の役)
※目的は朝鮮半島に君臨するジュシャン人の駆逐

■AD1592年 倭人 イエズス会と連合してモンゴルのフェニキア人に蜂起を促す(ボハイの乱)
※目的はモンゴルに蔓延るジュシャン人の駆逐

■AD1597年 倭人 イエズス会と連合して四川のフェニキア人に蜂起を促す(播州の乱)
※目的は広東地方に蔓延るジュシャン人の駆逐

■AD1598年 イエズス会 (ベンガル、ビルマ宣教)

■AD16世紀 イエズス会 グアラニー族のキリスト教化を目的に現ブラジル南部に設立(イエズス会伝道所)

■AD1606年 イエズス会 ロベルト・デ・ノビリ、テュロス人の土地マドゥライに派遣

■AD1609年 イエズス会 マルセル・ロレンサナ、パラグアイに聖イグナティウス村建設

■AD1611年 イエズス会 ビアール、マセ、ケンタルがローレンス川河口に上陸(カナダ宣教)

■AD1631年 イエズス会 マテオ・リッチが創設した北京イエズス会が朝鮮半島に進出して布教活動を行う

■AD17世紀初頭 鄭氏 鄭成功が東林党、明の残党、倭人、倭寇、イエズス会と連合、フェニキア人による秘密結社を結成(洪門)
※洪門の名の由来は洪武帝

■AD17世紀初頭 倭人 倭寇、イエズス会と連合、フェニキア人による秘密結社を結成(天地会)

■AD1621年 イエズス会 ポルトガル人信者が益田甚兵衛の妻に接触(天草四郎時貞生誕)
※天草の名の由来は太陽神アメンとガッサーン人の先祖クシュの組み合わせ

■AD1631年 イエズス会 マテオ・リッチが創設した北京イエズス会が朝鮮半島に進出して布教活動を行う

■AD1634年 イエズス会 エチオピア皇帝バシリデスがイエズス会迫害を始めた為、エチオピアを脱出

■AD1634年 イエズス会 ジョン・キャロル大司教によって創設(ジョージタウン大学)

■AD1643年 天地会 島原から朝鮮半島に移住、マテオ・リッチと北京イエズス会に合流

■AD1669年 イエズス会 イロコイ族のためのキリスト教村を建設(聖フランシスコ・ザビエル村)

■AD1680年 イエズス会 指導者ポペがスペイン人に蜂起(プエブロの反乱)

■AD1680年 イエズス会 プエブロ族がフランシスコ会員など380人のスペイン人を殺害し、国家を建設(ポペの王国)
※背後にはイエズス会の援助があった可能性がある

■AD1682年 イエズス会 イスファハーン宣教

■AD1697年 イエズス会 エウセビオ・キノ、「砂漠の白い鳩」と呼ばれた聖ザビエル伝道教会を建設(カリフォルニア宣教)

■AD1724年 イエズス会 清(キリスト教禁止令)

■AD1746年 倭人 福建に於いてイエズス会禁止令、キリシタン厳禁令が発令されたのを機に朝鮮半島に移住

■AD1759年 イエズス会 ポルトガルのイエズス会員追放

■AD1763年 イエズス会 フランスのイエズス会員追放

■AD1767年 イエズス会 スペイン、ナポリのイエズス会員追放

■AD1773年 イエズス会 ローマ教皇クレメンス14世が解散命令を出した為、ロシアに移住(ロシア・イエズス会)

■AD1801年 天地会 李氏朝鮮に於けるキリスト教徒大迫害を機に長江下流域に移住(辛酉の獄)

■AD1814年 イエズス会 復興

■AD1839年、天地会 李氏朝鮮によるキリスト教徒迫害を機に長江下流域に移住(己亥の獄)

■AD1847年 天地会、洪門 両者合同で「太平天国」の前身組織を設立(拝上帝会)

■AD1850年 太平天国 南京を陥落させ、北伐と称して北京にも迫った(太平天国の乱)

■AD1863年 イエズス会 ハーバードに対抗しうるカトリック学校として創立(ボストンカレッジ)

■AD1913年 イエズス会 ローマ教皇ピウス10世、イエズス会に対して高等教育機関設置を要請(上智大学)

■AD1960年 イエズス会 韓国に設立されたミッション系大学(西江大学校)

■AD1977年 イエズス会 エル・サルバドルでルティリヨ・グランデが殺害される(汚い戦争)

■AD1980年 イエズス会 エル・サルバドルでオスカル・ロメロ大司教が殺害

■AD1989年 イエズス会 エル・サルバドル軍兵士によってイエズス会の六司祭が大学構内で殺害される

■AD2013年 イエズス会 ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿、第266代ローマ教皇に就任



@ボイイ族


■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、ライン河畔から現ポメラニアに到着(残留者:ポエニ人、ウルクのシュメール人、カナンのシュメール人、ビュブロス人、ルーベン族、レビ族、ガド族)

■BC7世紀 ポエニ人 バルト海沿岸、現ポメラニアに定住(ボイイ族)
ボイイの名の由来はポエニ

■BC7世紀 ボイイ族A 現ポメラニアにて、カナンのシュメール人と連合(ポメラニア人)
※ポメラニアの名の由来はボイイとシュメールの組み合わせ

■BC7世紀 ポメラニア人/ボイイ族 現ポメラニアからアイルランドに移住(フォモール人、女神ボアン)

■BC7世紀 ポメラニア人/シュメール人 現ポメラニアからアイルランドに移住(フォモール人、大地の女神エリウ)

■BC6世紀 フォモール人 パーホロン族がアイルランドに侵攻するが、撃退
※パーホロンの名の由来はヘブライ

■BC6世紀 フォモール人 ネメズ族がアイルランドに侵攻するが、撃退
※ネメズの名の由来はメディア

■BC6世紀 フォモール人 フィル・ボルグ族がアイルランドに侵攻するが、撃退
※フィル・ボルグの名の由来はヘレネスとベルガエの組み合わせ

■BC6世紀 フォモール人 ダーナ神族がアイルランド侵攻するが、撃退
※ダーナの名の由来はダン、デーン

■BC5世紀頃 フォモール人 フィル・ボルグ族と対立するがダーナ神族と連合し、勝利する(第一次マー・トゥーレスの戦い)

■BC5世紀頃 フォモール人 アイルランドの支配権を手に入れるが、後にダーナ神族と対立、追放される(第二次マー・トゥーレスの戦い)

■BC5世紀 ボイイ族 シュメール人と分離、アイルランドから現ボヘミアに移住(ボヘミア)
※ボヘミアの名の由来はボイイ

■BC5世紀 ボイイ族 シュメール人と分離、アイルランドから現ノルウェーに移住(ネルウィ族)
※ネルウィ、ノルウェーの名の由来は「北方のボイイ」

■BC386年 ボイイ族 ケルト人の大移動に参加(聖なる移住/ウェル・サクレム)

■BC386年 ボイイ族 セノネース族と共に遠征隊に参加、7ヶ月に渡る占領によってローマを荒廃させた

■BC385年 ボイイ族 セノネース族遠征隊がエトルリア攻略後、シュラクサ僭主ディオニュソス1世と同盟を結ぶ

■BC335年 ボイイ族 ドナウ流域でアレクサンドロス大王に会見

■BC332年 ボイイ族 遠征隊がローマ人と一時的な和議、エトルリア人、ウンブリア人と同盟を結ぶ

■BC3世紀 フォモール人/ボイイ族 英雄フィン・マッククイル、詩人フィンネガスに師事
※フィンネガスの名の由来はポエニ

■BC3世紀 フォモール人/ボイイ族 英雄フィン・マッククイル、怪物アレーン退治と引き換えに総長に就任(フィアナ騎士団)
※フィアナの名の由来はポエニ、アレーンの名の由来はヘレネス

■BC3世紀 フォモール人/ボイイ族 マッククイル、上王カルブレによりフィアナ騎士団と共に滅亡

■BC3世紀 フォモール人/ボイイ族 フィアナ騎士団の残党がアイルランドから現フランスに移住し、街を築く(パイエン)
※パイエンの名の由来は女神ボイアン

■BC3世紀 フォモール人/ボイイ族 フィアナ騎士団の残党がフランスからライン河上流域に移住(バイエルン)
※バイエルンの名の由来は女神ボイアン

■BC295年 ボイイ族 遠征隊と同盟軍、センティヌムでローマ軍に敗北

■BC278年 ケルト人 トラキアからアナトリア半島に移住(ガラティア王国)

■BC249年 ボイイ族 セノネース族の壊滅を機に、本土ガリアに救援を要請する

■BC224年 ボイイ族 ローマ軍に敗北(テラモンの戦い)

■BC216年 ボイイ族 ハンニバル・バルカの指揮下でローマ軍と戦い、アルプス越えの経路を教える(第二次ポエニ戦争)
※フェニキア人の大航海時代でバルト海に移住した集団とカルタゴに残留した集団の再会と共闘

■BC191年 ボイイ族 テラモンの敗北、ミラノ陥落に続き、ローマ軍に降伏

■BC57年 ネルウィ族 ベルガエ人の中でも最強の部族と呼ばれ、カエサルに苦戦を強いた(ガリア戦争)

■BC52年 ボイイ族 ウェルキンゲトリクスの蜂起に参加、ローマに敗北(アレシアの戦い)

■BC52年 ボイイ族 敗北を機にボヘミアに帰還、後にバルト海に進出、フィン人と共にブリテン島に移住

■BC5世紀 ネルウィ族 フランク族台頭を機にガリアからスカンジナビアに移住(ノルウェー)
※ノルウェーの名の由来はネルウィ

■AD5世紀 ボイイ族 ブリテン島・ウェールズに王国を建設(ポーウィス王国)
※ポーウィスの名の由来はボイイ

■AD1128年 フォモール人/ボイイ族 フランス貴族ユーグ・ド・パイエンの下に9人の騎士が集合(テンプル騎士団)

■AD1868年 バイエルン人 リッター・フォン・エップ生誕、ナチス党では国防政策全国指導者、植民政策全国指導者を任じていた

■AD1875年 バイエルン人 コンスタンティン・ヒールル生誕、ナチス党では国家社会主義義勇労働奉仕団団長を任じていた

■AD1877年 バイエルン人 ヴィルヘルム・フリック生誕、ナチス党では国会議員団長を任じていた

■AD1887年 バイエルン人 エルンスト・レーム生誕、ナチス党では突撃隊幕僚長を任じていた

■AD1889年 バイエルン人 ヴィルヘルム・グリム生誕、ナチス党では党第二最高裁判長を任じていた

■AD1891年 バイエルン人 マックス・アマン生誕、ナチス党では出版全国指導者、党機関紙指導者を任じていた

■AD1892年 バイエルン人 グレゴール・シュトラッサー生誕、ナチス党では宣伝全国指導者を任じていた

■AD1893年 デーン人 ヘルマン・ゲーリング、ナチス党では総統後継者、空軍総司令官を任じていた
※バイエルン生まれだがデーン人であるためアメリカに通じナチスに汚名を着せる任務に就いていた

■AD1897年 バイエルン人 ヨーゼフ・ベルヒトルト生誕、ナチス党では初代親衛隊全国指導者を任じていた

■AD1899年 バイエルン人 フィリップ・ボウラー生誕、ナチス党では指導者官房長を任じていた

■AD1900年 バイエルン人 ハンス・フランク生誕、ナチス党では司法全国指導者を任じていた

■AD1900年 バイエルン人 ハインリヒ・ヒムラー生誕、ナチス党では第三代親衛隊全国指導者を任じていた

■AD1918年 バイエルン人 アーウィン・トーレ、ゲルマン騎士団バイエルン支部を設立(トゥーレ協会)
※トーレ、トゥーレの名の由来はテュロス

■AD1919年 バイエルン人 アントン・ドレクスラー、トゥーレ協会の元メンバー(ドイツ労働者党)

■AD1919年 バイエルン人 アントン・ドレクスラー、ヒトラーをドイツ労働者党に迎える

■AD1920年 オーストリア人 アドルフ・ヒトラー、ドイツ労働者党の指導者に就き改名を主張(ナチス党/国家社会主義ドイツ労働者党)

■AD1923年 ナチス党 ルーデンドルフ、ヒトラーが参加したドイツ闘争連盟が起こしたクーデター未遂事件(ミュンヘン一揆)

■AD1933年 ナチス党 政権獲得後、独裁政権を敷く(ナチス・ドイツ帝国)




Aナザレ人


■BC7世紀 ボイイ族B ボイイ族の船団、バルト海からアイルランド、アイスランドを経由して北米北東部森林地帯に到着(残留者:ボイイ族、グティ人)

■BC7世紀 ボイイ族B バルト海から北米北東部森林地帯に移住、ハッティ人と連合(ポウハタン連邦)

■BC7世紀 ボイイ族C ボイイ族の船団、北米北東部森林地帯から北米大平原地方に到着(残留者:ボイイ族、ガド族)

■BC7世紀 ボイイ族C 北米大平原地方に移住(ポーニー族)
※ポーニーの名の由来はポエニ

■BC7世紀 ボイイ族C 北米大平原地方の現地人にフェニキア文字のひとつオミクロンを冠する(オマハ族、クロウ族)

■BC7世紀 ボイイ族C 北米大平原地方の現地人にフェニキア文字のひとつシグマを冠する(スー族、コマンチ族)

■BC7世紀 ボイイ族C 支流シグマがスー族とコマンチ族に分離、別称としてラコタ族、ダコタ族を称する

■BC7世紀 ボイイ族 ボイイ族の船団、北米大平原地方から北米南東部に到着(残留者:クル族、ルカ人、アラプハ人)

■BC7世紀 ボイイ族D ボイイ族の船団、北米大平原地方からユカタン半島に到着(残留者:ボイイ族、ビュブロス人、イッサカル族、ウルクのシュメール人、フリギア人)

■BC7世紀 ボイイ族D ユカタン半島の現地人にフェニキア文字のひとつミューを冠する(マヤ人)

■BC7世紀 ビュブロス人 ボイイ族と共同で神話を作成(ポポル・ヴー)
※ポポル・ヴーの名の由来はビュブロスとボイイの組み合わせ

■BC7世紀 ボイイ族E ボイイ族の船団、ユカタン半島からアマゾン河上流・モハス平原に到着(残留者:ボイイ族、パルニ人、ガド族)

■BC7世紀 ボイイ族E モハス平原の現地人にフェニキア文字のひとつデルタを冠する(チャルーア族)

■BC2世紀 チャルーア人 モハス平原からマヤに移住(チョルーラ人)

■BC2世紀 チャルーア人 マヤに残留せず、そのまま北米に移住し、ナワトル族と連合(ナザレ人)
※ナザレ人の名の由来はナワトルとチャルーアの組み合わせ「ナワチャル」

■BC2世紀 チャルーア人 北米南東部に移動し、定住(チェロキー族)
※チェロキーの名の由来はチャルーア

■BC2世紀 チェロキー族 北米南東部から北東部森林地帯に移住(イロコイ族)
※イロコイの名の由来はチェロキーの転訛形「チェロコイ」

■BC2世紀 ナザレ人 北米からライン河畔に進出、海抜以下の土地を改造し都市を建設(ネーデルラント)
※チャルーア人の故地モハス文明で得られた技術を駆使、発展させた

■BC2世紀 ナザレ人 現ネーデルラントからイスラエルに移住

■BC4年頃 ナザレ人 イエス・キリスト生誕(ナザレのイエス)
※モハス文明を築いた土木技術者の後裔だった為に大工を称したと考えられる

■AD28年頃 ナザレ人 イエス・キリスト、影武者の処刑を機にペルシアに移住
※ユダは影武者にキスをした

■AD30年代 ナザレ人 イエス・キリスト、イスラエル帰還後にパウロを称し、ペトロが主導権を握るキリスト教に反発
※パウロ、パウルスの名の由来はペルシア

■AD34年頃 ナザレ人 パウロ、復活したキリストの声を聞く(パウロの改心)
※ペトロ達と折り合いを付けたと考えられる

■AD60年頃 ナザレ人 パウロ、伝道旅行の先、イベリア半島バゾス川流域に落ち着く(バゾス)
※バゾスの名の由来はヘスス、イエス

■AD637年 ナザレ人A イスラム軍のパレスティナ侵攻を機にイスラエルからライン河畔に移住

■AD1090年 ナザレ人A ローレンブルク伯デュード=ヘンリーに接近、自身の血統を打ち立てる(ループレヒト1世生誕)

■AD1099年 ナザレ人B 第一回十字軍の侵攻を機にイスラエルからイベリア半島に移住(ナスル家)

■AD1123年 ナザレ人A ループレヒト1世、先祖が命名した土地ナッサウに城を構える

■AD1154年 ナザレ人A ヴァルラム1世、初代ナッサウ伯に(ナッサウ家)

■AD1230年 ナスル家 ムハンマド1世イブン・ナスル、グラナダに王国を建設(ナスル朝グラナダ王国)

■AD1355年 ナッサウ家 ヴァルラム2世の曾孫ヨハン1世、ヴァイルブルク伯に(ナッサウ=ヴァイルブルク家)

■AD1492年 ナスル家 イベリア半島からネーデルラントに移住(ナスル朝滅亡)

■AD1533年 ヘレネス人 ナッサウ=ディレンブルク伯ヴィルヘルムに接近、自身の血統を打ち立てる(ウィレム1世生誕)

■AD1544年 ヘレネス人 ウィレム1世、ナッサウ家ルネの所領を相続、これを機に本流がヘレネス人に奪われる(オラニエ公、オラニエ=ナッサウ家)
※オラニエの名の由来はウラヌス、ヘレネス

■AD1567年 ナスル家 ウィレム1世に接近、ナッサウ家をヘレネス人から奪還すべく自身の血統を打ち立てる(マウリッツ・ファン・ナッサウ生誕)

■AD1581年 ヘレネス人 ウィレム1世、オランダ独立宣言後に暗殺(オランダ王国)

■AD1585年 ナスル家 マウリッツ、ホラント州、ゼーラント州の総督に就任

■AD1588年 ナスル家 マウリッツ、スペイン艦隊を撃破(アルマダの海戦)

■AD1596年 ナスル家 イギリス、フランスによる独立承認、対スペイン同盟を締結(グリニッジ条約)

■AD17世紀 イロコイ族 6部族連合の連邦国家成立(イロコイ連邦)

■AD1650年代〜1698年 イロコイ族 フランス人入植者を攻撃(ビーバー戦争)

■AD1776年 チェロキー族 ドラッギング・カヌーに率いられたインディアンによる対白人闘争(チカマウガ戦争)

■AD1806年 ナッサウ=ヴァイルブルク家 フリードリヒ・アウグスト、初代大公に(ナッサウ公国)

■AD1817年 チェロキー族 ファウルタウンとスコットの虐殺(第一次セミノール戦争)

■AD1835年 チェロキー族 セミノールが農園と民兵の幌馬車を攻撃(第二次セミノール戦争)

■AD1855年 チェロキー族 陸軍とインディアンの攻撃が増加(第三次セミノール戦争)

■AD1890年 ナッサウ=ヴァイルブルク家 アドルフ、ルクセンブルク大公に迎えられる(ルクセンブルク公国)





マヤの名はボイイ族が現地人にフェニキア文字のひとつミューを冠したことに始まる可能性がある。ミューは後にマヤに転訛したのだ。マヤ人が治めた土地は代々、アダム族の血統であるセイバル人、ティカル人、セロス人、パレンケ人、ベリーズ人が治めていた。だが彼らは波状的に旧世界に帰還し、インダス、エジプト、メソポタミア、イスラエルなどの古代文明創造に関与し、文明世界を牽引していた。その後、主人公を喪失したユカタン半島の空きにセロス人の後裔ボイイ族がパレンケ人の後裔フリギア人、セイバル人の後裔ビュブロス人などと到来し、ユカタン半島を継承した。そこに次々と西方から、または東方から客人が到来。マヤ人を母体に混血を繰り返し、また彼らは東西に旅立って行った。デヴォン、コーンウォール、オーストリア、カペー家、ピャスト家、リューリク家、アストゥリアス家、エステ家、クメール人、ハワイ人、靺鞨、ジンバブエ、バハーイー教、宮古島、前田氏などはみなマヤ発祥である。フェニキア文字「ミュー」由来のマヤ人の直系は、イギリス・アイルランドに多く見られるムーア氏や日本に於ける前田氏、沖縄に於ける真栄田氏に継承されている。

@マヤ人


■BC7世紀 ボイイ族 ボイイ族の船団、北米大平原地方からユカタン半島に到着(残留者:ボイイ族、ビュブロス人、イッサカル族、ウルクのシュメール人、フリギア人)

■BC7世紀 ボイイ族 ユカタン半島の現地人にフェニキア文字のひとつ「ミュー」を冠する(マヤ人)

■BC7世紀 マヤ人 マヤ低地では古い神殿を覆うようにその上に新しい神殿を築いていた(マモム期)

■BC4世紀 マヤ人 洗練された暦を持ち、独特の文字を使用、石灰岩の石組みでピラミッド神殿や宮殿を造った(先古典期後期マヤ文明)

■BC4世紀 マヤ人 先古典期後期のはじめに先古典期中期の基壇を覆って建てられた(ナクベ)

■BC3世紀 マヤ人 エル・ミラドール(スペイン人による呼称)を継承、発展させる

■AD4世紀 マヤ人A ティオティワカンの侵攻を機に、東西移住を計画(マヤ人の大航海時代)

■AD4世紀 マヤ人A ユカタン半島からブリテン島、先発隊の土地デヴォンに移住(残留者:マヤ人、加賀氏、久米氏、吉備氏、キンブリ人、ポラン族、ルス人)

■AD4世紀 マヤ人A 現デヴォンからアイルランド島に移住(MOORE姓)
※MOOREの名の由来はマヤ

■AD4世紀 マヤ人B ユカタン半島から太平洋を横断し、ジャワ島に到着(残留者:久米氏、加賀氏、マヤ人)

■AD4世紀 マヤ人B ジャワ島から現宮古島に移住(宮古)
※宮古の名の由来はマヤ

■AD4世紀 マヤ人B 宮古島から沖縄本島に移住(真栄田氏)
※真栄田の名の由来はマヤ

■AD4世紀 久米氏 ジャワ島から真臘王国治世下の現カンボジアに移住(クメール人)

■AD4世紀 加賀氏 ジャワ島から日本に移住

■AD4世紀 加賀氏 マヤ人と共に北方領土に移住(歯舞諸島)
※歯舞の名の由来は加賀とマヤの組み合わせ

■AD4世紀 マヤ人B 歯舞諸島から満州に移住(靺鞨/モヘ)
※モヘの名の由来はマヤ

■AD4世紀 マヤ人C ユカタン半島から太平洋岸を北上、コロラド河上流に移住(残留者:マヤ人、ピピル人)

■AD4世紀 ピピル人 ユカタン半島からコロラド流域に移住(プエブロ族)
※プエブロの名の由来はビュブロス、或いはピピル

■AD4世紀 マヤ人C コロラド流域から北米南西部に移住(マヨ族)
※マヨの名の由来はマヤ

■AD9世紀 マヨ族 プエブロ族の移住を機に太平洋岸を北上、アリューシャン列島を越えて北海道に移住(モヨロ人)
※モヨロの名の由来はマヨ

■AD926年 黒水靺鞨 契丹による渤海国征服を機に、日本に移住

■AD926年 黒水靺鞨 斉藤為時に接近、自身の血統を打ち立てる

■AD1189年 奥州藤原氏 モヨロ人の案内によりアイヌ人、出羽修験道教団と共にアメリカ大陸に向かう

■AD14世紀 斉藤氏 斉藤季基生誕、後に前田村に居住し前田季基に改姓(前田氏)
※前田の名の由来はマヤ

■AD1538年 前田氏 前田利家生誕

■AD1551年 前田氏 前田利家、小姓として織田信長に仕える

■AD1581年 前田氏 前田利家、信長により能登一国を与えられる(加賀藩)

■AD1582年 前田氏 前田利家、本能寺の変を機に柴田勝家に従う

■AD1583年 前田氏 前田利家、柴田軍として布陣したが離反(賤ヶ岳の戦い)

■AD1585年 前田氏 前田利家、秀吉から羽柴姓を頂き、同時に豊臣姓をも下賜された

■AD1599年 前田氏 前田利家、秀吉の死後に大阪城入り、秀頼の傅役として大坂城の実質的主となる

■AD1960年 ムーア氏 ダドリー・ムーア、コメディ集団「ビヨンド・ザ・フリンジ」に参加、盟友ピーター・クックに出会う

■AD1965年 ムーア氏 ダドリー・ムーア、ピーター・クックと組んでTV番組「NOT ONLY BUT ALSO」放映
※奇しくもムーアとクックの両姓はマヤ出自である

■AD1985年 ムーア氏 ゲイリー・ムーア、フィル・ライノットと共にシングル「アウト・イン・ザ・フィールズ」発表

■AD1987年 ムーア氏 ゲイリー・ムーア、アルバム「ワイルド・フロンティア」発表

■AD1989年 ムーア氏 ゲイリー・ムーア、アルバム「アフター・ザ・ウォー」発表

■AD1999年 ムーア氏 マイケル・ムーア、テレビ番組「アホでマヌケなアメリカ白人」放映

■AD2002年 ムーア氏 マイケル・ムーア、映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」発表





@ヴァイキング


■BC5世紀頃 フォモール人 アイルランドの支配権を手に入れるが、後にダーナ神族と対立、追放される(第二次マー・トゥーレスの戦い)

■BC5世紀 ボイイ族 シュメール人と分離、アイルランドから現ボヘミアに移住(ボヘミア)
※ボヘミアの名の由来はボイイ

■BC386年 ボイイ族 ケルト人の大移動に参加(聖なる移住/ウェル・サクレム)

■BC216年 ボイイ族 ハンニバル・バルカの指揮下でローマ軍と戦い、アルプス越えの経路を教える(第二次ポエニ戦争)
※フェニキア人の大航海時代でバルト海に移住した集団とカルタゴに残留した集団の再会と共闘

■BC191年 ボイイ族 テラモンの敗北、ミラノ陥落に続き、ローマ軍に降伏

■BC52年 ボイイ族 ウェルキンゲトリクスの蜂起に参加、ローマに敗北(アレシアの戦い)

■BC52年 ボイイ族 敗北を機にボヘミアに帰還、後にバルト海に進出、フィン人と共にブリテン島に移住

■AD4世紀 マヤ人 粛慎、箕子が率いるティオティワカン軍の侵攻を機に、一部が東方移住を計画(マヤ人の大航海時代)

■AD4世紀 粛慎 亡命マヤ人を追跡し、箕子と共にブリテン島に到達、スコットランドに移住(ピクト人/ケ族、ジルシン族)

■AD5世紀 ボイイ族 ブリテン島、現ウェールズ地方に王国を建設(ポーウィス王国)

■AD549年 ポーウィス人 黒死病の流行を機に隣国のフィン人を率いてバルト海に移住(ヴァイキング)
※ヴァイキングの名の由来は「ボイイの王」

■AD574年 ダルリアタ人 エイダン・マクギャブラン王、ピクト人勢力圏を蹂躙、ジルシン族とケ族に出会う

■AD603年 ダルリアタ人 エイダン・マクギャブラン王、バーニシア王国に敗北(デグサスタンの戦い)

■AD609年 ダルリアタ人 エイダン・マクギャブラン王死去を機に、王の氏族がジルシン族、ケ族を道案内にユカタン半島に移住

■AD600年代 ヴァイキング ユカタン半島の存在をヘレネス人の系統ダルリアタ人に知られた為、故地ユカタン半島死守・打倒ヘレネス人を目的に決起した
※ヘレネス人の系統とはアルスター人、ダルリアタ人、デーン人、ラトビア人、リトアニア人、ジルシン族、ケ族を指す

■AD616年 ポーウィス人 ポーウィス王国がノーサンブリア王国と激突

■AD642年 ポーウィス人 キンドウィン王がマーシア王ペンダと連合、バーニシア王オズワルドと交戦(メイザーフィールドの戦い)

■AD7世紀頃 ダルリアタ人 ジルシン族、ケ族を率いてマヤ高地に侵攻(マヤ文明崩壊)

■AD7世紀頃 ダルリアタ人 ジルシン族、ケ族を率いてメキシコに帰還(テオティワカン滅亡)

■AD760年 ポーウィス人 マーシア王オッファがポーウィス王国に侵攻

■AD793年 ヴァイキング ノーサンブリア王国のアイルランド系カトリックの拠点リンディスファーン修道院を襲撃
※ヘレネス人の系統アルスター人の拠点であるため排除する必要があった

■AD795年 ヴァイキング ヘブリディース諸島のアイルランド系カトリックの拠点アイオナ修道院を襲撃
※ヘレネス人の系統アルスター人の拠点であるため排除する必要があった

■AD795年 ノルウェー人 ヴァイキングに参加、現アイルランドのラムベイ島を襲撃

■AD800年 ヴァイキング マン島を襲撃

■AD838年 ヴァイキング コーンウォールに進出、コーンウォール人と組んでウェセックス王国攻略を試みるも失敗

■AD839年 ヴァイキング オークニー諸島、ヘブリディーズ諸島に進出(オークニー伯爵領)

■AD839年 ヴァイキング ノルウェーから海上王ソルギルスがダブリンに侵攻、一部定着

■AD850年 デーン人 「黒い異邦人」ダブリン襲撃、アイルランド掌握
※黒い異邦人の名の由来はトルコ、インダス、マヤから来たアングル人、パッラヴァ人、マヤ人の参加に求められる

■AD851年 ヴァイキング ノルウェーから首領オーラフが救援に駆け付けてダブリンを占領、デーン人を駆逐した

■AD855年 ポーウィス人 偉大な王ロドリスがポーウィス王に即位

■AD859年 ヴァイキング 首領ヴィーラント、デーン人の襲撃に困っていたシャルル2世に傭兵を申し出る
※フランク王国攻略を目的にしていたデーン人はこれ以降イングランドに目を向けることになる

■AD866年 ヴァイキング 首領ヴィーラント、デーン人の首領ビヨルンと対決、これ以降、デーン人はイースト・アングリアに移住

■AD870年代 ヴァイキング ボイイ族、フィン人、ノルウェー人から成るヴァイキング船団がアイスランドに入植
※アダム族の血統にとってアイスランドは、古代からユカタン半島に至る際の航路上の重要拠点、彼らは先祖の故地ユカタン半島守護を念頭にアイスランドに国家を建設

■AD876年 ヴァイキング アイルランドからドーセットシャに上陸、デーン人の支援を受けウェセックス王国に挑戦

■AD878年 デーン人 首領グッドラムが受洗、アルフレッド大王の養子となる(ウェドモーアの和議)

■AD885年 ヴァイキング ロチェスターを襲撃、デーン人の支援を受ける

■AD892年 ヴァイキング 大挙してウェセックスに侵攻、デーンローのデーン人も加勢したが、アルフレッド大王に退けられた

■AD901年 ヴァイキング ダブリンでイヴァンの息子が暗殺、その事件を機にレンスター人が蜂起

■AD910年 デーン人 ウェセックス王国がデーンローを侵食しながら拡大したため、ヴァイキングと共に現ノルマンディーに移住(ノルマンディー)
※ヴァイキングと共に北方の人「ノルマン人」と総称される、ノルマンディーの名の由来はノルマン

■AD911年 デーン人 首領ロロ、シャルル3世にノルマンディーを分与させる(ノルマンディー公国)

■AD911年 デーン人 首領ロロ、異端審判の原型をノルマンディーに持ち込み、ヴァイキング、フランク人の排除を行う(クラモール・ド・ハロー)

■AD913年 コナート人 カタル・マック・チョコバル王、マンスター王国の侵攻を機にアイスランドに亡命

■AD900年代 ヴァイキング ノルウェー人を筆頭に東西フェニキア人が、スコットランド、アイルランドからアイスランドに移住

■AD930年 ヴァイキング 世界最古の近代議会アルシング創設(アイスランド共和国)

■AD10世紀 マヤ人 トルテカ人のユカタン半島支配を機に、マヤ人がアイスランドに移住

■AD10世紀 ヴァイキング マヤ人を救うために、フィン人と共にアイスランドからユカタン半島に向かう

■AD930年代 アイスランド人 マヤ人、コナート人を率いてユトランド半島に移住

■AD936年 コナート人 カタル・マック・チョコバル王、デンマーク王に即位(ハーデクヌーズ1世)
※ハーデクヌーズの名の由来は「コナートのカタル」

■AD940年 コナート人 ハーデクヌーズ1世の息子ゴーム、デンマーク王に即位(ゴーム・デン・ガムレ家)

■AD980年 ゴーム・デン・ガムレ家 青歯王ハーラル1世、デンマークからイングランドに侵攻
※青歯の由来は浅黒い肌、つまりハーラルはマヤ人の血を引いている

■AD982年 アイスランド人 首長エーリク、グリーンランドに入植
※アダム族の血統にとってグリーンランドは、古代からユカタン半島に至る際の航路上の重要拠点、彼らは先祖の故地ユカタン半島守護を念頭にグリーンランドに入植

■AD992年 アイスランド人 赤毛のレイヴ、アメリカ大陸に移住
※アダム族の血統にとって北米大西洋岸は、古代からユカタン半島に至る際の航路上の重要拠点、彼らは先祖の故地ユカタン半島守護を念頭にアメリカに入植

■AD1010年 フィン人 一部が途中で残留、北アメリカに移住(ヴィンランド)
※ヴィンランドの名の由来はフィン

■AD1020年 アイスランド人 トルフィン・カールフセニ、北アメリカに移住
※アダム族の血統にとって北米大西洋岸は、古代からユカタン半島に至る際の航路上の重要拠点、彼らは先祖の故地ユカタン半島守護を念頭にアメリカに入植

■AD1027年 ヴァイキング ノルマンディー公ロベール1世に接近、自身の血統を打ち立てる(ギヨーム1世)
※デーン人の血統に自身の血統を打ちたてようとする者はデーン人の敵である可能性が高い、奇しくも母アルレットの経歴は不明である

■AD1028年 コナート人 クヌーズ1世がデンマーク王、イングランド王、ノルウェー王を兼務し、北海帝国を築く(クヌード帝国)
※クヌーズ、クヌードの名の由来はコナート

■AD1047年 デーン人 ロベール・ギスカール、ノルマンディーに於けるヴァイキングの台頭を機にロンバルディアに移住

■AD1059年 デーン人 ロベール・ギスカール、ローマ教皇ニコラウス2世によってシチリアを得る(オートヴィル朝)

■AD1066年 ウェセックス人 エドワード懺悔王死去

■AD1066年 ベドウィン族 エドワード懺悔王死去を機に、ハロルド、トスティのゴドウィンソン兄弟が王位継承を主張
※ゴドウィンソンの名の由来はベドウィン

■AD1066年 ベドウィン族 トスティがユングリング家のノルウェー王ハーラル3世と連合

■AD1066年 ベドウィン族 ハロルド2世、トスティとハーラル3世の軍を撃退(スタンフォード・ブリッジの戦い)

■AD1066年 ノルマン人 ギヨーム1世、ハロルド2世を討ち取り、ロンドンを降伏させた(ヘイスティングスの戦い)

■AD1066年 ノルマン人 ギヨーム1世、イングランドを征服(ノルマン朝)

■AD1154年 ノルマン人 プランタジネット朝開始を機に、ノルマン朝の残党がユカタン半島に移住

■AD1156年 ノルマン人 ノルマン朝の残党がトルテカ帝国の首都トゥーラを破壊(トルテカ滅亡)

■AD1221年 ヴェネツィア人 フナク・セエル将軍、ノルマン人と共に蜂起、チチェン・イツァーの支配者を倒す
※フナクの名の由来はVENICE

■AD1224年 イツァー人 トルテカ帰りのノルマン人の侵攻を機に、一部がユカタン半島からヴェネツィアに帰還(チチェン・イツァー放棄)

■AD1230年 スロバキア人 アイスランドでユングリング家と連合(ストゥルルングの時代)
※ストゥルルングの名の由来はチョーラとアングルの組み合わせ

■AD1263年 ノルマン人 ココム家、イツァー人と共に現マヤパンに移住、都市を建設(マヤパン)

■AD1441年 シウ家 マヤパンの王家ココム家に対して蜂起、ココム家を皆殺しにしたという
※シウの名の由来はシュシャン、シウ家はモンゴルから来てテオティワカンを支配した粛慎の系統

■AD1441年 ノルマン人 マヤパン滅亡を機に、ランカスター朝治世下のイングランドに帰還

■AD1441年 ココム家 マヤパン滅亡を機に、日本に帰還(各務氏)

■AD1441年 イツァー人 マヤパン滅亡を機に、ペテン・イツァー湖に移住(タヤサル王国)



Aノルマン人


■AD1558年 ノルマン人 エリザベス1世の周囲を、アングル人のウォルシングハム、ノルマン人のベーコン、マーシア人のダドリー、デヴォン人のセシルが固める

■AD1703年 ノルマン人 ジョン・ウェスレー生誕(メソジスト)

■AD1707年 ノルマン人 連合法により、スコットランドと英国の議会が統一された(大英帝国)

■AD1721年 ノルマン人 イースト・アングリア出身のロバート・ウォルポール、初代イギリス首相に就任

■AD1756年 ノルマン人 ウィリアム・キャヴェンディッシュ、第5代イギリス首相に就任

■AD1763年 ノルマン人 ジョージ・グレンヴィル、第8代イギリス首相に就任

■AD1775年 ノルマン人 ワシントン、植民地軍総司令官に任命される(アメリカ独立戦争)

■AD1779年 ノルマン人 ワシントン、サリバン少将にイロコイ族総攻撃命令を下す
※奇しくも両者の先祖は成立の経緯こそ異なれど、同じボイイ族である

■AD1789年 ノルマン人 ジョージ・ワシントン、初代アメリカ大統領就任

■AD1806年 ノルマン人 ウィリアム・グレンヴィル、第19代イギリス首相に就任

■AD1809年 ノルマン人 スペンサー・パーシヴァル、第21代イギリス首相に就任

■AD1816年 ノルマン人 クレイ、リー、マーサーなどが中心に設立(アメリカ植民協会)

■AD1861年 ノルマン人 アブラハム・リンカーン、第16代アメリカ大統領就任

■AD1861年 ノルマン人 ハンニバル・ハムリン、リンカーン内閣副大統領就任

■AD1861年 ノルマン人 ギデオン・ウェルズ、リンカーン内閣海軍長官就任

■AD1861年 ノルマン人 リンカーン、北軍を直接指揮(南北戦争)

■AD1862年 ノルマン人 ユリシーズ・S・グラント少尉、敗北寸前まで追い込まれた(シャイローの戦い)

■AD1862年 ノルマン人 ユリシーズ・S・グラント少尉、ビックスバーグ方面作戦では最後の大きな戦闘(ビックスバーグの包囲戦)

■AD1862年 ノルマン人 リンカーン、奴隷解放宣言

■AD1863年 ノルマン人 南北戦争に於ける事実上の決戦(ゲティスバーグの戦い)

■AD1863年 ノルマン人 ジョン・P・アッシャー、リンカーン内閣内務長官就任

■AD1865年 ノルマン人 アンドリュー・ジョンソン、第17代アメリカ大統領就任

■AD1869年 ノルマン人 ユリシーズ・S・グラント、第18代アメリカ大統領就任

■AD1877年 ノルマン人 ラザフォード・ヘイズ、第19代アメリカ大統領就任

■AD1909年 ポーウィス人 マンスフィールド・スミス=カミング、初代MI6長官に就任

■AD1923年 ノルマン人 ヒュー・シンクレア、第2代MI6長官に就任

■AD1937年 ノルマン人 ネヴィル・チェンバレン、第60代イギリス首相に就任

■AD1939年 ノルマン人 スチュアート・メンジース、第3代MI6長官に就任

■AD1953年 ノルマン人 ジョン・シンクレア、第4代MI6長官に就任

■AD1973年 ノルマン人 モーリス・オールドフィールド、第7代MI6長官に就任

■AD1982年 ノルマン人 コリン・フィギュアズ、第9代MI6長官に就任

■AD1990年 ノルマン人 ウィリアム・キャヴェンディッシュ、第5代イギリス首相に就任

■AD1999年 ノルマン人 リチャード・ディアラヴ、第13代



43 聖なる船人ポエニ人

・ポエニ人/雲南(ペー族・大理国)
・ポエニ人/中国(道教/タオ)

・ラオス人/渤海湾(遼東半島/ロー)
・タイ人/遼東半島(太子平・燕王朝)

・魏/ウェイ・戦国(王氏/福建王国/新王朝・客家)
・公孫氏/遼東半島(半独立政権)
・公孫氏/九州(邪馬台国)

・太子氏/モンゴル高原(鮮卑・慕容氏・乞伏氏)
・慕容氏/渤海湾(前燕・後燕・西燕・南燕)
・乞伏氏/渤海湾(西秦)
・大氏/満州(渤海国)
・大氏/韓国(統一教会)

・ビン越/江蘇省(張陵・五斗米道・天師道・正一教・

・柔然/パンノニア(アヴァール人・アヴァール可汗国・オポーレ公国)
・アヴァール人/朝鮮半島(高麗・神様の教会世界福音宣教協会)
・アヴァール人/大和国(推古天皇・聖徳太子)

・大氏の氏族/蒙古(宇文部・契丹・遼王朝)
・大氏の氏族/ラージプート(プラティハーラ朝・パラマーラ朝・チャウルーン朝)
・大氏の氏族/アフガニスタン(ナクシュバンディー教団)
・タングート族(西夏・寧夏回族自治区・ボハイの乱)

・大氏/雲南(六詔国・南詔国)

・タイ族/ユワン族(ラーンナー王朝・カーオ王国・ナーン王国・パヤオ王国)
・タイ族/ルー族(シップソーンパンナー王国・シャン国・ミャンザイ王朝・ピンヤ朝)

・ラーオ族/ラオス(ラーンサーン王朝・ヴィエンジャン王国・チャンバーサック王国・ラオス)
・ラーオ族/沖縄(琉球の語源)
・ラーオ族/デカン高原(マラーター族・マラーター同盟)
・イーサーン人(イーサーン地方)

・タイ族/ルー族/ケニア(ルオ族・チュエジ精霊信仰・ノミア ルオ ミッション)
・タイ族/ルー族/ジンバブエ(トゥツェ人・ジンバブエ/新ボハイ)



@ペー族


■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、インダス流域からガンジス流域に到着(残留者:フェニキア人、ポエニ人、ガド族、イッサカル族、ウルクのシュメール人)

■BC7世紀 ポエニ人 ガンジスからミャンマーに移住(ピュー族)

■BC7世紀 ポエニ人 ミャンマーから雲南に移住(ペー族)

■BC6世紀 ペー族 現地人にフェニキア文字のひとつタウを冠する(タイ族)

■BC6世紀 ペー族 現地人にフェニキア文字のひとつローを冠する(ラーオ族)

■BC6世紀 ペー族 タイ族、ラーオ族と共に雲南から遼東半島に移住

■BC6世紀 ペー族 遼東半島から満州に移住、天孫族と連合(イェマック/ワイヒャク)

■BC3世紀 タイ族B 燕の滅亡を機に現山東省に移住(太平道)
※太平道の名の由来はタイとペーの組み合わせ

■BC2世紀 ペー族 イェマックから分離独立(扶余/ブユ)
※ブユの名の由来はペー、或いはピュー

■BC195年 ラオス族 燕から朝鮮半島に移住(衛氏朝鮮)

■BC2世紀 扶余 朝鮮半島でガド族、ナーガ族と連合(百済)
※ペクチェの名の由来は「百人のゼウス」、クダラの名の由来はガド、グティ

■AD184年 太平道 教祖張角、天公将軍を称して蜂起(黄巾の乱)

■AD192年 太平道 曹操の討伐を機に、黄巾族の兵30万人が降伏

■AD220年頃 太平道 張陵など、太平道の残党が現四川省に移住(五斗米道/天師道)

■AD494年 扶余 勿吉の台頭を機にモンゴル高原に移住、李氏、ラーオ族と連合(普六茹氏)
※プリンルの名の由来はペー、リー、ラーオの組み合わせ

■AD581年 普六茹氏 楊堅、静帝より禅譲を受けて建国(隋)

■AD604年 普六茹氏 楊広、隋第2代皇帝に即位

■AD604年 普六茹氏 楊侑、隋第3代皇帝に即位

■AD617年 普六茹氏 楊ドウ、隋第4代皇帝に即位

■AD619年 普六茹氏 楊ドウ、王世充に禅譲(隋滅亡)

■AD619年 ペー族A 普六茹氏を解散、ラーオ族と共に雲南に帰還

■AD663年 百済人 新羅と唐の連合軍に敗北し、ジャワ島に移住(白村江の戦い)

■AD938年 ペー族A ラーオ族、段部と共に南詔国を滅ぼし、新規の国家を雲南に建設(大理国)

■AD1174年 ペー族A 雲南から更にタイに移住(パヤオ王国)
※パヤオの名の由来はブユ

■AD1253年 ペー族B フビライの侵攻により、大理国滅亡

■AD13世紀 ペー族B 大理国滅亡を機に、タイに移住(カーオ王国)
※カーオの名の由来はブユ

■AD1851年 ペー族 趙藩生誕、後に辛亥革命に参加

■AD1902年 ペー族 周保中生誕、後に金日成と共に東北抗日総軍に、国共内戦では東北人民解放軍に参加



Aタイ人


■BC6世紀 ペー族 現地人にフェニキア文字のひとつタウを冠する(タイ族)

■BC6世紀 タイ族A ラーオ族と共に雲南周辺地域に信仰を広める(道教)
※タウの名の由来はフェニキア文字タウ

■BC6世紀 タイ族B ペー族、ラーオ族と共に雲南から遼東半島に移住、燕に侵入

■BC313年 タイ族B 太子平、子之と斉を退けて燕の王位に就く(昭王)
※太子の名の由来はタイ

■BC285年 タイ族B 昭王、斉包囲網を形成、五ヶ国軍を率いて斉軍を大破し、斉の都市を占領

■BC280年 タイ族B 昭王、楽毅死去を機に、田単が占領地を奪還

■BC278年 タイ族B 恵王、燕の王位に就く

■BC271年 タイ族B 武成王、燕の王位に就く

■BC257年 タイ族B 考王、燕の王位に就く

■BC254年 タイ族B 燕王喜、燕の王位に就く

■BC226年 タイ族B 燕王喜、秦の進撃を受け、遼東に逃れる

■BC3世紀 タイ族C 燕の滅亡を機に現山東省に移住(太平道)
※太平道の名の由来はタイとペーの組み合わせ

■BC3世紀 タイ族A 中国北方からの帰還組が雲南に移住、これを機にタイ地方に移住

■BC3世紀 タイ族A タイ地方から北九州に移住、フェニキア人の軍事集団「倭人」に参加

■AD1世紀 タイ族A 倭人として九州に国家を建設(邪馬台国)
※邪馬台国の名の由来はシャムとタイの組み合わせ

■AD146年 タイ族A 邪馬台国に於ける内乱発生(倭国大乱)

■AD146年 タイ族A 倭国大乱を機に、一部が西方に移住(ジャマタエ族)
※ジャマタエの名の由来は邪馬台

■AD170年 ジャマタエ族 マルコマンニ人と対立、討伐される

■AD184年 太平道 教祖張角、天公将軍を称して蜂起(黄巾の乱)

■AD189年 太平道 公孫度、遼東半島に半独立政権樹立(遼東公孫氏)

■AD192年 太平道 曹操の討伐を機に、黄巾族の兵30万人が降伏

■AD220年頃 太平道 張陵など、太平道の残党が現四川省に移住(五斗米道/天師道)

■AD220年頃 太平道 太平道の残党がモンゴルに移住(大賀氏、契丹)
※大賀、契丹の名の由来はタイ

■AD236年 公孫氏 公孫淵、魏に対して蜂起

■AD238年 公孫氏 一族を処刑されたのを機に、遼東から雲南に帰還(六詔国)

■AD638年 ジャマタエ族 西方からタイ地方に帰還(グンヤーン王国)
※グンヤーンの名の由来はパンノニア

■AD730年 大賀氏 屈烈、契丹衛官となる

■AD736年 大賀氏 李懐秀、契丹大酋長の座に就く

■AD738年 ジャマタエ族 タイから雲南に進出、六詔を統一(南詔国)

■AD788年 大賀氏 悔落、契丹大首領の座に就く

■AD795年 大賀氏 熱蘇、契丹大首領の座に就く

■AD806年 大賀氏 悔落鶻劣、契丹大首領の座に就く

■AD817年 大賀氏 介落、契丹大首領の座に就く

■AD836年 大賀氏 涅列懐、契丹大首領の座に就く

■AD882年 大賀氏 欽徳、契丹大首領の座に就く

■AD916年 契丹 耶律阿保機が率いるポーランド帰りのラーオ族と連合(遼朝)
※遼の名の由来はラーオ

■AD938年 公孫氏 南詔国滅亡を機に、渤海人、ジャワ人と共に雲南からジンバブエに移住(ショナ族)
※ショナの名の由来は詔/チャオ

■AD1004年 契丹 聖宗、北宋と盟約を結ぶ

■AD1125年 契丹 北宋と金の連合に侵攻され、滅亡(遼朝滅亡)

■AD1126年 契丹A 耶律大石、クズ・オルドに都を定める(西遼/カラ・キタイ)

■AD1126年 契丹B 遼朝滅亡を機に、日本に移住

■AD11世紀 契丹B 多治比氏に接近、丹氏を輩出(丹党)
※丹党の名の由来は契丹

■AD11世紀 丹氏 丹党、フェニキア人の軍事集団に参加(武蔵七党)

■AD12世紀 丹氏 中村宗平に接近、自身の血統を打ち立てる(土肥実平生誕、土肥氏)
※土肥の名の由来はタイ

■AD12世紀 土肥氏 土肥実平、父宗平、弟土屋遠宗と共に有力な武士団を形成(中村党)

■AD1184年 土肥氏 土肥実平、頼朝の信頼厚く奉行として遠征軍に派遣

■AD1185年 土肥氏 土肥実平、壇ノ浦の合戦の後、惣追捕使として長府に居城を構える

■AD1185年 土肥氏 土肥遠平、安芸国沼田荘の地頭に任命(小早川氏)

■AD1218年 契丹A チンギス・ハーンの軍により壊滅(西遼滅亡)

■AD1218年 契丹A 西遼滅亡を機に、中央アジアからタイ地方に移住

■AD1219年 坂東八平氏 北条時宗の執権政治開始を機に、千葉氏、江戸氏、土肥氏が北九州に移住

■AD13世紀 土肥氏 五島列島に移住(田尾氏)
※土肥、田尾の名の由来はフェニキア文字のひとつタウ

■AD1235年 契丹A 指導者シーインタラーティット、ラヴォー王国からの独立を宣言(スコータイ王国)

■AD1259年 ジャマタエ族 グンヤーン王がラヴォー王国から独立(ラーンナー王国)

■AD1310年 小早川氏 沼田小早川水軍が生口水軍を支配下に置く

■AD1334年 ラーンナー王国 カーオ王国と組み、パヤオ王国を併合

■AD1343年 小早川氏 小早川惟平、生口島に移住して改姓(生口氏)

■AD1438年 スコータイ王朝 アユタヤ王朝に併合

■AD1443年 ラーンナー王国 ティローカラート王、プレー王国を併合

■AD1450年 ラーンナー王国 ティローカラート王、カーオ王国を併合

■AD1456年 ラーンナー王国 スコータイ王家の支援を受け、アユタヤと交戦(アユタヤ・ラーンナー戦争)

■AD1470年 ラーンナー王国 チャンパ王国の侵攻を撃退

■AD1533年 毛利氏 毛利隆景生誕、後に小早川氏に養子に入る(小早川隆景)

■AD1555年 生口氏 生口孫三郎景守、村上水軍と共に厳島で戦闘(厳島の戦い)

■AD1558年 ラーンナー王国 タウングー朝の侵攻により滅亡

■AD1594年 小早川氏 小早川隆景、羽柴秀秋を養子に取る(小早川秀秋)

■AD1767年 タイ族 アユタヤ朝滅亡を機に、王家と共にタイを脱出して現江蘇省に移住、ムエタイを駆使(大刀会)

■AD1868年 タイ族 チャックリー革命に嫌悪を示した一部が、タイから現山東省に移住(義和団)

■AD1900年 義和団 ムエタイを駆使したため、欧米にボクサー・リベリオンと称される(義和団の乱)

■AD1901年 義和団 中国からタイに帰還、タイ軍に参加

■AD1910年 義和団 軍関係者が軍事集団を結成(白虎隊/コン・スエ・パ)

■AD1912年 白虎隊 絶対君主制に反対する軍部による蜂起発生、人民党に影響を与える(1912年の宮殿暴動)

■AD1932年 人民党 クーデターにより、絶対君主制から立憲君主制に移行(立憲革命)

■AD1932年 無所属 プラヤー・マノーパコーンニティターダー、初代タイ首相に就任

■AD1933年 人民党 プラヤー・パホンポンパユハセーナー大佐、第2代タイ首相に就任

■AD1938年 人民党 プレーク・ピブーンソンクラーム、第3代タイ首相に就任

■AD1944年 人民党 クワン・アパイウォン少佐、第4代タイ首相に就任

■AD2006年 タイ族 スラユット・チュラーノン陸軍大将、第32代タイ首相に就任

■AD2008年 タイ族 サマック・スントラウェート、第33代タイ首相に就任

■AD2008年 タイ族 ソムチャーイ・ウォンサワット、第34代タイ首相に就任

■AD2008年 タイ族 アピシット・ウェーチャチーワ、第35代タイ首相に就任

■AD2014年 タイ族 ブラユット・チャンオチャ、第37代タイ首相に就任




@ラーオ族


■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、インダス流域からガンジス流域に到着(残留者:フェニキア人、ポエニ人、ガド族、イッサカル族、ウルクのシュメール人)

■BC7世紀 ポエニ人 ガンジスからミャンマーに移住(ピュー族)

■BC7世紀 ポエニ人 ミャンマーから雲南に移住(ペー族)

■BC6世紀 ペー族 現地人にフェニキア文字のひとつローを冠する(ラーオ族)

■BC6世紀 タイ族A ラーオ族と共に雲南周辺地域に信仰を広める(道教)
※タウの名の由来はフェニキア文字タウ

■BC6世紀 ラーオ族 タイ族B、ペー族と共に雲南から遼東半島に移住、燕に侵入(遼東半島)
※遼東の名の由来はラーオ

■BC313年 タイ族B 太子平、子之と斉を退けて燕の王位に就く(昭王)
※太子の名の由来はタイ

■BC285年 タイ族B 昭王、斉包囲網を形成、五ヶ国軍を率いて斉軍を大破し、斉の都市を占領

■BC280年 タイ族B 昭王、楽毅死去を機に、田単が占領地を奪還

■BC278年 タイ族B 恵王、燕の王位に就く

■BC271年 タイ族B 武成王、燕の王位に就く

■BC257年 タイ族B 考王、燕の王位に就く

■BC254年 タイ族B 燕王喜、燕の王位に就く

■BC226年 タイ族B 燕王喜、秦の進撃を受け、遼東に逃れる

■BC195年 ラーオ族A 燕から朝鮮半島、満州周辺に逃れる(衛氏朝鮮)

■AD1世紀 ラーオ族A 満州に来ていたブギス族と連合(ユウロウ)

■AD1世紀 ラーオ族B 満州に来ていた李氏と連合(ローラン)
ローランの名の由来は「リ」と「ラーオ」の組み合わせ

■AD220年 ユウロウ 扶余に蜂起、ブギス族の一部がモンゴル高原に移住(宇文部)

■AD300年頃 ローランA ジュシャン人と連合(柔然/ローラン)
※柔然の名の由来はジュシャン

■AD300年頃 ローランA 柔然から追放されたジュシャン人が代国に取り入る(長孫氏)
※長孫の名の由来はジュシャン

■AD385年 ユウロウ 前秦が華北を統一したのを機に、モンゴル高原に移住

■AD391年 長孫氏 長孫嵩、北魏の将軍として柔然討伐を指揮

■AD394年 柔然/ラーオ族B ローランが2勢力に分裂、社侖が柔然を継承

■AD394年 柔然/李氏 ローランが2勢力に分裂、李氏は残留組とベトナム帰還組に分離

■AD4世紀 ユウロウ モンゴル高原で解散、ブギス族は宇文部に合流し、ラーオ族は白蓮社を創設

■AD402年 ラーオ族A 廬山の慧遠、念仏結社を結成(白蓮社)

■AD414年 柔然 大檀、柔然の第2代王位に就く

■AD444年 柔然 處羅可汗、柔然の第3代王位に就く

■AD485年 柔然 豆崙可汗、柔然の第4代王位に就く

■AD494年 ローランC 勿吉の台頭を機にモンゴル高原に移住、扶余と連合(普六茹氏)
※プリンルの名の由来はペー、リー、ラーオの組み合わせ

■AD5世紀 ローランB ソグド人の蘇我韓子に接近、自身の血統を打ち立てる(蘇我高麗生誕)

■AD5世紀 ローランB 蘇我高麗の子、蘇我稲目生誕

■AD6世紀 アヴァール人B 堅塩媛が蘇我稲目の養子になる

■AD6世紀 ソグド人 蘇我高麗、堅塩媛を含む蘇我氏一族を率いて日本に移住(蘇我氏)

■AD521年 柔然A 豆崙可汗、13年前に高車に敗北した上、分裂、魏降伏する

■AD521年 柔然B 分裂を機に、一部がヨーロッパに進出(アヴァール人)
※アヴァールの名の由来は朝鮮語「炎のような怒り」

■AD554年 ローランB 額田部皇女、モンゴルに生誕(推古天皇)
※母蘇我堅塩媛の母はローラン出身

■AD555年 柔然A 突厥帝国が柔然の皆殺しを主張(柔然滅亡)

■AD581年 普六茹氏 楊堅、静帝より禅譲を受けて建国(隋)

■AD619年 普六茹氏 恭帝、王世充に禅譲(隋滅亡)

■AD619年 ローランC 普六茹氏を解散、ペー族Aと共に雲南に帰還(ルー族)
※ルーの名の由来はラーオ、或いはロー

■AD937年 ルー族 一部が西方に向かう渤海人と連合、現ケニアに移住(ルオ族)

■AD938年 ルー族 ペー族A、段部と共に南詔国を滅ぼし、新規の国家を雲南に建設(大理国)

■AD938年 ルー族A 一部が渤海人、ジャワ人、ペー族B、公孫氏と共に雲南から西方に向かう(雲南人の大航海時代)

■AD938年 ルー族A ジンバブエには同行せずにケニアに残留(ルオ族)
※ルオの名の由来はルー

■AD1174年 ペー族A 雲南から更にタイに移住(パヤオ王国)
※パヤオの名の由来はブユ

■AD1180年 ルー族B ユワン族から独立、国家を建設(シップソーンパンナー王国)

■AD1298年 ルー族B シップソーンパンナー王国が元の支配下に置かれる(徹里軍民総管府)

■AD1351年 白蓮教 教祖韓林児、劉福通らによって擁立されて蜂起(紅巾の乱)

■AD1355年 白蓮教 朱元璋らが継承

■AD1366年 白蓮教 朱元璋に縁を切られ、邪教として弾圧される

■AD1774年 白蓮教 次々に新教団を設立

■AD1796年 白蓮教 王総児指揮の下、現湖北省で蜂起(白蓮教徒の乱)

■AD1910年 ルオ族 ジョン・オワロ、一万を超える信者を獲得(ノミア・ルオ・ミッション)



Aアヴァール人


■AD521年 柔然A 豆崙可汗、13年前に高車に敗北した上、分裂、魏降伏する

■AD521年 柔然B 分裂を機に、一部がヨーロッパに進出(アヴァール人)
※アヴァールの名の由来は朝鮮語「炎のような怒り」

■AD522年 アヴァール人 アナクイ可汗、アヴァール帝国の初代王位に就く

■AD522年 アヴァール人 カンディク可汗、アヴァール帝国の第2代王位に就く

■AD555年 柔然A 突厥帝国が柔然の皆殺しを主張(柔然滅亡)

■AD558年 アヴァール人 カンディク可汗、アラン人の仲介によりビザンツ帝国と同盟

■AD562年 アヴァール人 カンディク可汗、ジギベルト1世との戦いで敗北したが中央ヨーロッパに地盤を築く(テューリンゲンの戦い)

■AD562年 アヴァール人B カンディク可汗死去を機に、堅塩媛(カティアナ)と小姉君(ジョアンナ)が日本に進出

■AD6世紀 アヴァール人B 堅塩媛が蘇我稲目の養子になる

■AD6世紀 ソグド人 蘇我高麗、堅塩媛を含む蘇我氏一族を率いて日本に移住(蘇我氏)

■AD562年 アヴァール人 バヤン可汗、アヴァール帝国の第3代王位に就く

■AD6世紀 アヴァール人B 蘇我堅塩媛、欽明天皇と結婚
※額田部皇女、用明天皇を含む13人の子は連れ子であり、モンゴル生まれである

■AD593年 アヴァール人B 推古天皇、第33代天皇に即位

■AD607年 アヴァール人B 推古天皇、小野妹子を隋に派遣(遣隋使)
※推古天皇と楊氏はラーオ族B出身であり、祖を同じくする

■AD567年 アヴァール人 バヤン可汗、ランゴバルト人と組んでゲピード族を滅ぼし、パンノニアに王国を建設(アヴァール可汗国)

■AD574年 アヴァール人 バヤン可汗、ビザンツの貢納拒否に激怒し、要塞シルミウムを陥落寸前まで追い込む

■AD574年 アヴァール人B 厠戸皇子、パンノニアに生誕(聖徳太子)
※厠戸皇子の名の由来はハムレット

■AD582年 アヴァール人A バヤン可汗、トラキア・イリュリア・ギリシャに侵入し略奪

■AD582年 アヴァール人B 小姉君の娘アンナ(穴穂部間人皇女)が、厠戸皇子らを連れて氏族と共にシルクロードを横断、日本に移住
※厠戸皇子以下4人の子は連れ子であり、パンノニア生まれである

■AD6世紀 アヴァール人B 穴穂部間人皇女、従兄弟の用明天皇と結婚
※穴穂部間人皇女の名の由来は「アヴァールのアンナ」

■AD601年 アヴァール人A バヤン可汗、ビザンツ帝国に打撃を加えられる(バヤン可汗死去)

■AD603年 アヴァール人B 聖徳太子、冠位十二階制定

■AD604年 アヴァール人B 聖徳太子、十七条憲法制定

■AD620年 アヴァール人B 聖徳太子、蘇我馬子と共に歴史書を編纂(国記、天皇記、臣連判造国造百八十部并公民等本記)

■AD791年 アヴァール人A シャルルマーニュ大帝がパンノニアに侵攻(アヴァール可汗国崩壊)

■AD791年 アヴァール人C シャルルマーニュ大帝の侵攻を機にシロンスク地方に移住(オポーレ)
※オポーレの名の由来はアヴァール

■AD795年 アヴァール人A トドン・カジド、アヴァール帝国の王位に就く、後にテオドルスに改名

■AD8世紀 アヴァール人C 現ポーランドでマヤから来たポラン族と連合(ゴプラン族)
※ゴプランの名の由来は、朝鮮語のゴ(高)とポランの組み合わせ

■AD8世紀 ゴプラン族 ポラン=ゴプラン連合の伝説的な首長ポピエル生誕(ポピエル家)
※ポピエルの名の由来はポランとアヴァールの組み合わせ、ポヴァール

■AD9世紀 ポラン族 ポーランドの伝説的な君主ピャスト生誕(ピャスト家)

■AD9世紀 ポピエル家 ポラン族が主導するピャスト家の台頭を機に、ゴプラン家と共に東アジアに帰還

■AD916年 ポピエル家 耶律阿保機、ポーランドから帰還して契丹と連合(遼朝)
※遼の名の由来はラーオ、耶律の名の由来はポーランド名ヤロスラフ

■AD918年 ゴプラン家 王建、ポーランドから帰還して新羅を滅ぼし、朝鮮半島に国家建設(高麗)
※高麗の名の由来はゴプラン

■AD926年 遼朝 耶律徳光、渤海国を滅ぼし、高麗と国境を接する

■AD943年 高麗 王武、第2代高麗王に即位

■AD946年 高麗 王尭、第3代高麗王に即位

■AD947年 遼朝 耶律阮、遼朝第3代目王に即位

■AD949年 高麗 王昭、第4代高麗王に即位

■AD951年 遼朝 耶律還、遼朝第4代目王に即位

■AD975年 高麗 王冑、第5代高麗王に即位

■AD1004年 遼朝 聖宗、北宋と盟約を結ぶ

■AD1105年 ピャスト家 ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツ生誕、後にシロンスクの統治者となる(シロンスク・ピャスト家)
※アヴァールの血統を継ぐ者が先祖の故地オポーレに定住

■AD1125年 遼朝 北宋と金の連合に侵攻され、滅亡(遼朝滅亡)

■AD1126年 遼朝 耶律大石、クズ・オルドに都を定める(西遼/カラ・キタイ)

■AD1143年 シロンスク・ピャスト家 ヤロスワフ生誕、初代オポーレ公(オポーレ公国)

■AD1218年 遼朝 チンギス・ハーンの軍により壊滅(西遼滅亡)

■AD1218年 遼朝A 西遼滅亡を機に、中央アジアからタイ地方に移住

■AD1218年 遼朝A シップソーンパンアー王国に侵入、ルー族と合流する

■AD1222年 遼朝B 安房国に移住して三国太夫に接近、自身の血統を打ち立てる(善日麿生誕)

■AD1245年 遼朝B 善日麿、比叡山にて就学(日蓮)
※日蓮の名の由来は「日本の遼」

■AD1253年 遼朝B 日蓮、日の出に向かい南妙法蓮華教と題目を唱える

■AD1260年 遼朝B 日蓮、安国論建白の40日後、他宗の僧数千人により松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちされる(立正安国論)

■AD1271年 遼朝B 日蓮、平頼綱に処刑されかける

■AD1274年 遼朝B 日蓮、蒙古襲来を予言
※日蓮の祖はチンギス・ハーンに滅ぼされた遼

■AD1298年 遼朝C 元の支配下になったのを機に、現ラオスに移住(ラーオ族)
※ラーオの名の由来は遼

■AD1330年 高麗 王禎、第28代高麗王に即位

■AD1344年 高麗 王マ、第29代高麗王に即位

■AD1349年 高麗 王日テイ、第30代高麗王に即位

■AD1351年 高麗 王祺、第31代高麗王に即位

■AD1353年 ラーオ族 ファー・グム王によって成立(ラーンサーン王国)

■AD1356年 高麗 紅巾軍の侵攻、李成桂の台頭を機に朝鮮半島からビルマに移住し、シャン族と連合

■AD1364年 高麗 タドミンビャ、アヴァ王朝の初代王位に就く(アヴァ王朝)
※アヴァの名の由来はアヴァール

■AD1368年 アヴァ王朝 ナ・ヌー、アヴァ王朝の第2代王位に就く

■AD1368年 アヴァ王朝 ミンチースワーソーケ、アヴァ王朝の第3代王位に就く

■AD1401年 アヴァ王朝 タラビャ、アヴァ王朝の第4代王位に就く

■AD1527年 アヴァ王朝 トハンブワ、アヴァ王朝の第16代王位に就く

■AD1543年 アヴァ王朝 コンマイン、アヴァ王朝の第17代王位に就く

■AD1546年 アヴァ王朝 モビー・ナラパティ、アヴァ王朝の第18代王位に就く

■AD1552年 アヴァ王朝 シトゥチョーティン、アヴァ王朝の第19代王位に就く

■AD1555年 アヴァ王朝 シトゥチョーティン、タウングー朝の侵攻により滅びる(アヴァ王朝滅亡)

■AD1552年 アヴァ王朝 アヴァ王朝滅亡を機に現ラオスに移住、ラーオ族に合流する

■AD1707年 ラーオ族 内紛解決のためアユタヤに仲介を頼んだが逆に居座られた(ヴィエンチャン王国)

■AD1707年 ラーオ族 キン・キッサラート、インタソーム兄弟が独立宣言(ルアンパバーン王国)

■AD1707年 ラーオ族 スマンカラー王女の長女が即位(チャンパーサック王国)

■AD1779年 ラーオ族 トンブリー朝のタークシン王がラーサーン3王国を支配下に置く(シャム属領下時代)

■AD1793年 ラーオ族 フランスの征服を機に雲南に移住し、白蓮教に参加(フランス植民地時代)

■AD1872年 法華宗 流派を異にする日蓮門下の全門流が形式的合同(日蓮宗)

■AD1874年 日蓮宗 一致派と勝劣派に分離

■AD1912年 勝劣派 第57世日正の決定により政府が宗号を認可(日蓮正宗)

■AD1945年 ラーオ族 ペサラート王子が組織した反仏・反共産主義のラオス民族主義運動(ラーオ・イサラ)

■AD1945年 ラーオ族 ペサラート王子、初代ラオス首相に就任

■AD1945年 ラーオ族 パヤ・カマオ、第2代ラオス首相に就任

■AD1946年 ラーオ族 日本占領下でフランスからの独立を宣言

■AD1946年 ラーオ族 シサヴァン・ヴォン、初代ラオス王に即位

■AD1946年 ラーオ族 キンダヴォン王子、第3代ラオス首相に就任

■AD1950年 ラーオ族 フランス・ラオス協定を基調に名目上独立(ラオス王国)

■AD1959年 ラーオ族 シサヴァン・ヴァッタナ、第2代ラオス王に即位

■AD1962年 ラーオ族 ソウヴァンナ・ポウマ王子、ラオス首相に就任

■AD1975年 ラーオ族 ケイソンヌ・ポムヴィハネ、初代ラオス人民民主共和国首相に就任(ラオス人民民主共和国)

■AD1979年 日蓮正宗 大石寺第67世の法主日顕

■AD1991年 ラーオ族 カムタイ・シパンドン、第2代ラオス人民民主共和国首相に就任

■AD2006年 ラーオ族 ボウソンヌ・ボウパヴァン、第5代ラオス人民民主共和国首相に就任

■AD2010年 ラーオ族 トンシン・タマヴォン、第6代ラオス人民民主共和国首相に就任

 

エウボイア人の歴史 


@イボ人


■BC10世紀 エウボイア人 ギリシアから現ナイジェリアに移住、鉄器渡来(イボ人)
※イボの名の由来はエウボイア

■BC10世紀 イボ人 現ナイジェリアから南アフリカを周航、ペルシア湾に移住(アヴェスター)

■BC10世紀 イボ人 ペルシア湾からインドに移住(アヴァンティ王国)

■BC10世紀 イボ人 インドから現ベトナムに移住(フエ)

■BC10世紀 イボ人 現ベトナムから現上海に移住、現地人にフェニキア文字のひとつ「エータ」を冠する(越)

■BC10世紀 イボ人 現上海から大和地方に移住(安日彦)

■BC8世紀 イボ人 大和地方に移住してきた長髄彦と連合(長髄彦と安日彦)

■BC8世紀 イボ人 日本の原住民に「鬼」と呼ばれる
※鬼の名の由来はイボ人の神官を意味する「オニ」

■BC7世紀 安日彦 神武天皇東征を機に大和地方から東北地方に移住(陸奥安倍氏)

■BC7世紀 イボ人 現上海でブギス族と連合、広東地方に移住し軍事集団を結成(百越)

■BC6世紀 陸奥安倍氏A ビン人が九州で結成したフェニキア人の軍事集団にブギス族と共に参加(倭人)

■AD265年 陸奥安倍氏A 魏滅亡を機に倭人解散、故地東北地方に帰還

■AD8世紀 イフェ人 オドゥドゥワ、初代イフェ国王に即位(イフェ王国)

■AD8世紀 イフェ人 オサンガンガン・オバマキン、第2代イフェ国王に即位

■AD8世紀 イフェ人 オグン、第3代イフェ国王に即位

■AD8世紀 イフェ人 オバルフォン・オグボグボディリン、第4代イフェ国王に即位

■AD8世紀 イフェ人 オバルフォン・アラェモレ、第5代イフェ国王に即位

■AD8世紀 イフェ人 オランミヤン、第6代イフェ国王に即位

■AD878年 陸奥安倍氏A 出羽清原氏と共に日本を脱出(夷浮の乱)

■AD9世紀 陸奥安倍氏B 東北地方からジャワ島に向かい、マヤに移住(クグマッツ)
※クグマッツの名の由来はカガと陸奥の組み合わせ

■AD9世紀 陸奥安倍氏C ジャワ島からアビシニアに移住、アムハラ人と連合(エチオピア人)
※エチオピアの由来はアムハラ人の祖エドと、アベの組み合わせ

■AD9世紀 陸奥安倍氏C エチオピアからジンバブエに移住(ムタパ人)
※ムタパの名の由来は陸奥

■AD9世紀 イフェ人 オヨ王国の勢力伸張を機に聖権に集中(イフェ王国消滅)

■AD1009年 陸奥安倍氏D 李朝樹立を機にベトナムから日本に帰還、常陸国に上陸

■AD1189年 陸奥安倍氏D 常陸入道念西、石那坂の戦いで功を立てる(奥州合戦)

■AD1189年 陸奥安倍氏D 常陸入道念西、頼朝から先祖の土地伊達村を与えられ、改姓(伊達氏)
※ダテの名の由来はフェニキア文字のひとつテウタ

■AD1400年 伊達氏 第9代当主伊達政宗、大崎氏と同盟して結城氏、上杉氏と戦った(伊達政宗の乱)

■AD1430年 ムタパ人 ニャツィム・ムトタ、初代ムタパ王に即位(ムタパ王国)

■AD1450年 ムタパ人 マトペ・ニャンヘヘ・ネベザ、第2代ムタパ王に即位

■AD1480年 ムタパ人 マヴラ・マオブウェ、第3代ムタパ王に即位

■AD1480年 ムタパ人 ニャフマ・ムコンベロ、第4代ムタパ王に即位

■AD1488年 伊達氏 第14代当主、伊達稙宗生誕

■AD15世紀 ムタパ人 ポルトガルの台頭を機に、一部がジンバブエを脱出

■AD15世紀 ムタパ人 ジンバブエから現ナイジェリアに移住、ヨルバ人と連合(オヨ王国)
※オヨの名の由来は奥羽

■AD1542年〜48年 伊達家 伊達稙宗と嫡男晴宗の父子間で起きた内紛(天文の乱)

■AD1558年 伊達家 敗北した稙宗の氏族が日本からベトナムに移住、織田家の阮氏に合流(阮氏地方政権樹立)

■AD1567年 伊達家 第17代当主、伊達政宗生誕

■AD1590年 伊達家 伊達政宗、遅れて秀吉の小田原征伐に参加

■AD1590年 豊臣家 秀吉の東北地方に対する領土仕置(奥州仕置)

■AD1613年 伊達家 伊達政宗、仙台藩とスペイン王国の通商を企図(慶長遣欧使節)

■AD1660年 伊達家 政宗の十男、伊達宗勝の一関藩が改易の上、一代で御家断絶(伊達騒動)

■AD17世紀 伊達家 伊達騒動を機に、伊達宗勝の氏族が日本からベトナムに移住(広南阮朝)

■AD1728年 ムタパ人 オジギ、オヨ王国の王位に就く

■AD1728年 ムタパ人 オジギ、オヨ王国がダホメー王国を服属させる

■AD1730年 ムタパ人 グベル、オヨ王国の王位に就く

■AD1746年 ムタパ人 アムニワイエ、オヨ王国の王位に就く

■AD1778年 阮氏 伊達稙宗の子孫(阮文岳兄弟)が伊達宗勝の子孫に蜂起(西山朝)
西山の名の由来は伊達稙宗のかつての居城西山城

■AD1782年 伊達氏 天明の飢饉を機に日本からベトナムに移住(阮朝樹立/1802年)

■AD19世紀 ムタパ人 ソンガイ帝国のオヨ王国侵攻を阻止

■AD1830年 ムタパ人 ダホメー王国がオヨ王国に侵攻(オヨ王国滅亡)

■AD1894年 ジンバブエ人 南東アフリカ地域がイギリス南アフリカ会社の傘下に置かれる(ローデシア)

■AD19世紀 ムタパ人 ナイジェリアからジンバブエに帰還(モザンビーク解放戦線/1964年)

■AD1945年 阮氏 ホー・チ・ミン、初代ベトナム民主共和国首相、初代国家主席に就任

■AD1946年 阮氏 ホー・チ・ミン、フランスに独立宣言(ベトナム独立)

■AD1960年 阮氏 アメリカ合衆国がディン氏を支援(ベトナム戦争)

■AD1965年 ジンバブエ人 白人政権がイギリスからの独立を宣言、アフリカ人抵抗勢力がゲリラ闘争を行う(ローデシア紛争)

■AD1965年 ジンバブエ人 一部をソ連が支援(ジンバブエ・アフリカ人民同盟)

■AD1965年 ジンバブエ人 一部を中国が支援(ジンバブエ・アフリカ民族同盟)

■AD1975年 モザンビーク人 完全独立、サモラ・マシェルが初代大統領に就任(モザンビーク人民共和国)

■AD1980年 阮氏 グエン・フー・ト、初代ベトナム社会主義共和国首相代理に就任

■AD1980年 ジンバブエ人 カナーン・バナナが初代大統領に、ロバート・ムガベが初代首相に就任(ジンバブエ共和国)

■AD1986年 モザンビーク人 ジオアキン・アルベルト・シサノ、第2代モザンビーク大統領に就任

■AD1987年 ジンバブエ人 ロバート・ムガベ、第2代ジンバブエ大統領に就任

■AD2005年 モザンビーク人 アルマンド・ゲブーザ、第3代モザンビーク大統領に就任

■AD2006年 阮氏 グエン・ミン・チェット、第6代ベトナム社会主義共和国国家主席に就任

■AD2006年 阮氏 グエン・タン・ズン、第6代ベトナム社会主義共和国首相に就任
※ゴ・ディン・ジェムのように「タン」がディンに因んでいる可能性もある



Aイベリア人


■BC10世紀 イボ人 現ナイジェリアから北上、イベリア半島に移住(イベリア人)

■BC10世紀 イベリア人 イベリア半島からコーカサスに移住(イベリア)

■BC10世紀 イベリア人A コーカサスからフィリピンに移住(イロンゴット族/イビラオ)

■BC7世紀 イベリア人A フィリピンから広東に移住(百越に参加)

■BC7世紀 イベリア人A 倭人として九州に移住、天孫族に参加(忌部氏)

■BC70年頃 忌部氏 畿内から越前国に移住、現地人にフェニキア文字のひとつイオタを冠する(織田家)

■BC1世紀 忌部氏 伊部郷に神社を建設(剣神社、織田明神)

■AD6世紀 イベリア人B サーサーン朝がイベリア王国を支配下に置く

■AD642年 イベリア人B サーサーン朝滅亡を機に中央アジアに移住(ザザ人/ザザキ)

■AD7世紀 ザザ人 サーサーン朝滅亡を機に、イランから日本に移住、松浦半島に上陸(佐志氏、志佐氏)
※イベリア人はサーサーン人を意味するザザを称し、サーサーン人はイベリア人を意味する安倍氏を称した

■AD1000年 佐志氏 松浦半島から近江国に移住、源成頼に接近して自身の血統を打ち立てる(佐々木義経生誕)

■AD1020年代 佐々木氏 佐々木義経、宇多源氏佐々木氏棟梁に(佐々木氏)
※佐々木の名の由来はザザキ

■AD1040年代 佐々木氏 佐々木義経の息子の氏族が、近江国から熊野国に移住、穂積氏に接近

■AD1040年代 佐々木氏 佐々木義経の息子の氏族が、熊野国から尾張国に移住(佐々氏)

■AD1040年代 佐々木氏 熊野本宮の神官として従事(鈴木氏)

■AD11世紀 鈴木氏 熊野神社の勧進を拠点とする太平洋岸の海上交通を利用、神官として全国に拡大

■AD1112年 佐々木氏 第4代目、佐々木秀義生誕

■AD1160年代 佐々木氏 佐々木秀義の息子、定綱、経高、盛綱、高綱が伊豆に流された頼朝に仕える

■AD1213年 佐々木氏 信綱の息子、佐々木泰綱生誕(六角氏)

■AD1220年 佐々木氏 信綱の息子、佐々木氏信生誕(京極氏)

■AD1221年 佐々木氏 秀義の五男、佐々木義清が出雲国に下向(出雲源氏)

■AD1296年 佐々木氏 佐々木道誉生誕、後に足利尊氏に仕える

■AD1371年 鈴木氏 鈴木九郎生誕、現西新宿付近の開拓、商売で成功し中野長者と呼ばれた

■AD1431年 織田家 織田教長の氏族が日本からベトナムに移住(阮氏)
※グエンの名の由来は織田家に好まれた九曜

■AD15世紀 鈴木氏 鈴木道胤生誕、品川湊を支配

■AD1534年 織田家 織田信長生誕

■AD1536年 佐々氏 佐々成政生誕、後に織田信長や豊臣秀吉に仕える

■AD1548年 織田家 織田信長、斉藤道山と和睦し濃姫と政略結婚

■AD1554年 織田家 織田信長、今川勢を破る(村木砦の戦い)

■AD1556年 織田家 織田信長、弟の信勝派と交戦(稲生の戦い)

■AD1560年 織田家 織田信長、今川義元が尾張に侵攻するが最終的に討ち取る(桶狭間の戦い)

■AD1571年 織田家 織田信長、比叡山焼き討ち

■AD1575年 織田家 織田信長、織田・徳川連合軍が武田軍に圧勝する(長篠の戦い)

■AD1576年 織田家 織田信長、本願寺軍を撃破(天王寺砦の戦い)

■AD1578年 織田家 織田信長、九鬼嘉隆が考案した鉄甲船を採用し毛利水軍を撃破(第二次木津川口の戦い)

■AD1582年 織田家 織田信長、明智光秀に反旗を許し自害(本能寺の変)

■AD1874年 鈴木氏 鈴木岩治郎、辰巳屋の暖簾分けで商店を開業(鈴木商店)

■AD1905年 鈴木商店 神戸製鋼所の前身小林製鋼所を買収

■AD1915年 鈴木商店 播磨造船所、日本金属工業、南洋製糖などを買収

■AD1916年 鈴木商店 帝国染料を買収

■AD1917年 鈴木商店 大田川水電、浪華倉庫などを買収

■AD1918年 鈴木商店 大阪朝日新聞が鈴木商店を、米を買い占めている悪徳業者と攻撃したため、焼き討ちにあう

■AD1919年 鈴木商店 売り上げが16億に達し、三井物産、三菱商事を上回っていた

■AD1920年 鈴木商店 帝人などを買収

■AD1927年 鈴木商店 東京渡辺銀行破綻、台湾銀行の新規融資打ち切りのため事業停止に追い込まれた

■AD1996年 鈴木氏 鈴木宗男、第66代北海道開発丁長官、第35代沖縄開発庁長官に就任





35 聖なる船人エウボイア人 ルーベン族編



@ルーベン族


■BC15世紀 エウボイア人 エウボイア島からイスラエルに移住、現地人にフェニキア文字のひとつアルパを冠する(ルーベン族)
※ルーベンもアルパもエウロペに由来している可能性がある

■BC13世紀 ルーベン族 イスラエル12支族に参加(イスラエル王国)

■BC701年頃 ルーベン族 フェニキア人の東西移住計画に参加(フェニキア人の大航海時代)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、マカオから黄河流域に到着(残留者:フェニキア人、ルーベン族、ダン族)

■BC7世紀 ルーベン族 韓万、晋に参加(韓氏、三晋)
※ハンの名の由来はルーベン

■BC573年 韓氏 韓厥、正卿・中軍の将となり、韓氏が力を持ち始める

■BC453年 韓氏 韓虎、趙氏・魏氏と共に知氏を滅ぼす

■BC424年 韓氏 韓啓章、第11代君主の座に就く

■BC408年 韓氏 韓虔、第12代君主の座に就く

■BC403年 韓氏 韓虔、三晋から分離独立(韓)

■BC399年 韓氏 韓取、第13代君主の座に就く

■BC272年 韓氏 韓然、第21代君主の座に就く

■BC238年 韓氏 韓安、第22代君主の座に就く

■BC230年 韓氏B 韓安の子が「劉邦」を称する(劉氏)
※リューバン、ハンの名の由来はルーベン

■BC230年 韓氏A 韓の首都新鄭が陥落

■BC226年 韓氏A 韓王安、秦に蜂起するが反乱は鎮圧され、処刑(韓滅亡)

■BC226年 韓氏A 韓滅亡を機に、古代中原を脱出してソマリアに移住

■BC2世紀 韓氏A ソマリアで再会した魯、韓、衛の三者が連合(ラハンウェイン族)
※ラハンウェインの名の由来は「魯韓衛」の組み合わせ

■BC206年 劉氏 劉邦、太祖高帝を称し、漢の初代皇帝に即位(前漢)
※漢の名の由来はルーベン、或いは韓

■BC195年 劉氏 恵帝、漢の第2代皇帝に即位

■BC188年 劉氏 少帝恭、漢の第3代皇帝に即位

■BC184年 劉氏 少帝弘、漢の第4代皇帝に即位

■BC180年 劉氏 太宗文帝、漢の第5代皇帝に即位

■BC48年 劉氏B タリム盆地に軍事基地建設(高昌)

■AD8年 劉氏A 新台頭を機に、タリムの植民地高昌に移住(ウイグル人)
※ウイグルの名の由来はヤハウェ

■AD8年 劉氏C 新台頭を機に、現カンボジアに移住(扶南国)
※フナンの名の由来はハイナン

■AD25年 劉氏D 世祖光武帝、漢の第16代皇帝に即位(後漢)

■AD57年 劉氏D 顕宗明帝、漢の第17代皇帝に即位

■AD75年 劉氏D 粛宗章帝、漢の第18代皇帝に即位

■AD1世紀 劉氏A ウイグルからチベットに移住(ボン教)
※ボンの名の由来はハン

■AD146年 劉氏D 威宗桓帝、漢の第26代皇帝に即位

■AD167年 劉氏D 霊帝、漢の第27代皇帝に即位

■AD189年 劉氏D 懐王、漢の第28代皇帝に即位

■AD189年 劉氏D 献帝、漢の第29代皇帝に即位

■AD220年 劉氏B 漢滅亡を機に、高昌から日本に移住(東漢氏、西漢氏)

■AD220年 劉氏D 漢滅亡を機に、中原から朝鮮半島に移住(三韓)

■AD220年 劉氏D 司馬氏の一部と連合(馬韓)

■AD220年 劉氏D 秦氏の一部と連合(秦韓)

■AD220年 劉氏D 吉備国から来た香夜氏の狗邪国と連合(弁韓)
※狗邪、伽耶の名の由来は香夜

■AD4世紀 ウイグル人 高昌を中心に勢力伸張

■AD7世紀 東漢氏 大伴智仙に接近、自身の血統を打ち立てる(大伴咋女生誕)

■AD7世紀 東漢氏 大伴咋女が中臣御食子に接近、自身の血統を打ち立てる(中臣鎌足生誕)

■AD7世紀 中臣氏 中臣鎌足、天智天皇から藤原姓を賜る(藤原氏)
※フジワラの名の由来はカシュガル

■AD7世紀 東漢氏 蘇我黒麻呂に接近、自身の血統を打ち立てる(蘇我連子生誕)

■AD7世紀 東漢氏 蘇我連子の娘、娼子が藤原不比等に接近(藤原四兄弟)

■AD680年 藤原氏 藤原武智麻呂生誕(南家)

■AD681年 藤原氏 藤原房前生誕(北家)

■AD694年 藤原氏 藤原宇合生誕(式家)

■AD695年 藤原氏 異母兄弟、藤原麻呂生誕(京家)

■AD7世紀 中臣氏 藤原房前に中臣氏の血統が接近、北家を乗っ取る(魚名流、山蔭流)

■AD710年 藤原氏 パッラヴァ人の春日神社を乗っ取る(春日大社)
※カスガの名の由来はカシュガル

■AD737年 藤原氏 天然痘流行により、藤原四兄弟死去
※藤原四兄弟の氏族が日本を脱出してモンゴル高原に移住

■AD737年 藤原氏 藤原四兄弟の氏族、満州に移住(野人女直)
※ウェジ、ワルカの名の由来はフジワラ

■AD737年 藤原武智麻呂 孫の世代、良因、真従、許人麿、長川、真作、河主、弓主、川合、真書、瀧麻呂、主後、広河らがモンゴルに移住(ジャムラット族)
※ジャムラットの名の由来はタケチマロ

■AD737年 藤原房前 子、鳥養、孫の世代、塩麻呂らがモンゴルに移住(ボルチン族)
※ボルチンの名の由来は房前の音読みボウゼン

■AD737年 藤原宇合 子、清成、蔵下麻呂、孫の世代、安継らがモンゴルに移住(ウガン族)
※ウガンの名の由来は宇合の音読みウゴウ

■AD737年 藤原麻呂 子、綱執、勝人らがモンゴルに移住

■AD755年 藤原蔵下麻呂 子、宗継、綱主、八綱、清綱らがモンゴルに移住

■AD8世紀 劉氏 チベットに仏教伝来、ボン教団が仏教を取り入れる(ニンマ派)

■AD805年 東漢氏 最澄、唐から日本に帰還(比叡山、天台宗)

■AD824年 天台宗 義真、初代天台座主に就任

■AD833年 天台宗 円澄、第2代天台座主に就任

■AD864年 天台宗 安慧、第3代天台座主に就任

■AD868年 天台宗 円珍、第4代天台座主に就任

■AD946年 天台宗 延昌、第15代天台座主に就任

■AD966年 天台宗 良源、第18代天台座主に就任

■AD1014年 天台宗 慶円、第24代天台座主に就任

■AD1019年 天台宗 明求、第25代天台座主に就任

■AD1048年 天台宗 明尊、第29代天台座主に就任
※これ以降、天台座主が建州女直に奪われる

■AD11世紀 天台宗 延暦寺、不入権承認(南都北嶺)

■AD12世紀 ウイグル人 モンゴル軍の征西に同行、タリム盆地からペルシアに移住

■AD13世紀 ウイグル人 サフィー・アッディーンがスーフィー教団設立(サファヴィー教団)
※サファヴィーの名の由来はヤハウェ

■AD1501年 サファヴィー教団 イスマイール1世、初代シャーに即位(サファヴィー朝)

■AD1524年 サファヴィー教団 タフマースブ1世、第2代シャーに即位

■AD1576年 サファヴィー教団 イスマイール2世、第3代シャーに即位

■AD1694年 サファヴィー教団 スルターン・フセイン、第9代シャーに即位

■AD1703年 サファヴィー教団B ムハマッド・イブン・アブド・アル・ワッハーブ生誕

■AD1722年 サファヴィー教団A タフマースブ2世、第10代シャーに即位

■AD1732年 サファヴィー教団A アッバース3世、第11代シャーに即位

■AD1736年 サファヴィー教団B サファヴィー朝滅亡を機に、イランからアラビア半島に移住(ワッハーブ派)
※ワッハーブの名の由来はサハヴィー、或いはヤハウェ

■AD1749年 サファヴィー教団A スレイマン2世、第13代シャーに即位

■AD1750年 サファヴィー教団A イスマイール3世、第14代シャーに即位

■AD1773年 ワッハーブ派 アブド・アラー・イブン・ムハマッド・イブン・ムハマッド・イブン・アブド・アル・ワッハーブ、教団指導者に就任

■AD1860年 ワッハーブ派 アブド・アル・ラティフ・イブン・アブド・アル・ラーマン、教団指導者に就任

■AD1950年代 ワッハーブ派 ムハマッド・イブン・イブラヒム・アル・アッシュ・シーク、教団指導者に就任

■AD1986年 劉氏D 大川隆法、幸福の科学発足記念座談会が開かれる(幸福の科学)
※隆法の名の由来は劉邦の可能性がある

■AD1991年 劉氏D 大川隆法、「信仰の勝利」でエル・カンターレ宣言

■AD2009年 劉氏D 大川隆法、幸福実現党を創立

■AD2010年 劉氏D 大川隆法、幸福の科学学園中学校高等学校を開校



Aベナン人


■AD7年 劉氏C 漢滅亡を機に、現カンボジアに移住(扶南国)
※フナンの名の由来はハイナン

■AD1世紀 劉氏C 柳葉、初代扶南国王に即位

■AD1世紀 劉氏C 混テン、第2代扶南国王に即位

■AD2世紀 劉氏C 混盤況、第3代扶南国王に即位

■AD2世紀 劉氏C 盤盤、第4代扶南国王に即位

■AD230年頃 劉氏C 范金生、第6代扶南国王に即位

■AD243年頃 劉氏C 范長、第8代扶南国王に即位

■AD245年 劉氏C 范尋、第9代扶南国王に即位

■AD420年 劉氏C 僑陳如、第13代扶南国王に即位

■AD430年 劉氏C 持梨陀跋摩、第14代扶南国王に即位

■AD484年 劉氏C 僑陳如闍耶跋摩、第17代扶南国王に即位

■AD514年 劉氏C 留チ跋摩、第18代扶南国王に即位

■AD545年 劉氏C 扶南国滅亡を機に、現カンボジアから西アフリカに移住(フォン人)
※フォンの名の由来はルーベン

■AD12世紀 フォン人 現ナイジェリアでエド人と連合

■AD1180年 フォン人 エワカ1世、初代ベニン国王に即位(ベニン王国)
※ベナンの名の由来はフナン

■AD1246年 フォン人 ウワクーアヘン、第2代ベニン国王に即位

■AD1250年 フォン人 ヘンミヘン、第3代ベニン国王に即位

■AD1397年 フォン人 オロビル、第10代ベニン国王に即位

■AD1434年 フォン人 ウワイフォクン、第11代ベニン国王に即位

■AD1440年 フォン人 エウアレ、初代ベニン皇帝に即位(ベニン帝国)

■AD1473年 フォン人 エゾチ、第2代ベニン皇帝に即位

■AD1475年 フォン人 オルア、第3代ベニン皇帝に即位

■AD1473年 フォン人 エゾチ、第2代ベニン皇帝に即位

■AD17世紀 トルワ人 ジンバブエから現ナイジェリアに移住、一部フォン人と連合(ダホメー王国)
※ダホメーの名の由来は出羽

■AD17世紀 フォン人B 優秀な人材がアカン人によって拉致され、奴隷として白人に売り払われた(奴隷狩り)

■AD17世紀 フォン人B 奴隷商人の手により北米大陸、西インド諸島に輸出された

■AD18世紀 フォン人B フランソワ・マッカンダル生誕(ブードゥー教)

■AD1791年 フォン人B ヴードゥーの司祭に率いられ、黒人奴隷がフランス人に蜂起(ハイチ革命)

■AD1802年 フォン人B トゥーサン・ルーヴェルチュール、シャルル・ルクレールの軍によって反乱が鎮圧されて逮捕・獄死

■AD1804年 フォン人B ジャン・ジャック・デサリーヌ、イギリスの支援でフランス軍を駆逐(ハイチ帝国)

■AD1806年 ムラート アレクサンドル・ペション、デサリーヌを暗殺後、初代大統領に就任(ハイチ共和国)

■AD1811年 フォン人B アンリ・クリストフ、北部ハイチが南部ハイチから分離(ハイチ王国)

■AD1816年 フォン人A エオセムウェンデ、第22代ベニン皇帝に即位

■AD1821年 ムラート ジャン・ピエール・ボワイエ、ハイチを統一後、第2代ハイチ大統領に就任

■AD1848年 フォン人A アドロ、第23代ベニン皇帝に即位

■AD1868年 フォン人B W・E・B・デュボイス生誕(全米黒人地位向上協会)

■AD1888年 フォン人A オヴォンラムウェン・ノグバイシ、第24代ベニン皇帝に即位

■AD1897年 フォン人A オヴォンラムウェン・ノグバイシ、イギリスによりカラバルに流刑

■AD1910年 全米黒人地位向上協会 フランセス・ブラスコール、会長に就任

■AD1915年 ハイチ人 債務返済を口実にアメリカ海兵隊がハイチに上陸、占領した

■AD1917年 全米黒人地位向上協会 ジャイムズ・ウェルドン・ジョンソン、会長に就任

■AD1929年 フォン人B マーティン・ルーサー・キングJr生誕

■AD1955年 全米黒人地位向上協会 ロイ・ウィルキンス、会長に就任

■AD1958年 ハイチ人 第40代ハイチ大統領フランソワ・デュヴァリエが独裁者に転じ、警察や国家財政を私物化した

■AD1959年 ハイチ人 フランソワ・デュヴァリエ、秘密警察を母体にした準軍組織を創設(トントン・マクート)

■AD1963年 フォン人B マーティン・ルーサー・キングJr、リンカーン記念堂の前で演説を行う(ワシントン大行進)

■AD1964年 アメリカ人 リンドン・B・ジョンソン、法に於ける人種差別を撤廃(公民権法)

■AD1968年 フォン人B マーティン・ルーサー・キングJr、ジェイムズ・アール・レイに撃たれる(キング牧師暗殺)

■AD1971年 ハイチ人 ジャン=クロード・デュヴァリエ、第33代ハイチ大統領に就任

■AD1988年 ハイチ人 マーシャル・セレスティン、初代ハイチ首相に就任

■AD1991年 ハイチ人 ジャン=ベルトラン・アリステッド、第34代ハイチ大統領に就任

■AD1991年 ハイチ人 ルネ・プレヴァル、第2代ハイチ首相に就任

■AD1991年 ハイチ人 ジャン=ジャック・オノラ、第3代ハイチ首相に就任

■AD1992年 ハイチ人 マルク・バザン、第4代ハイチ首相に就任

■AD1996年 ハイチ人 ルネ・プレヴァル、第38代ハイチ大統領に就任

■AD2011年 ハイチ人 ミシェル・マルティリ、第44代ハイチ大統領に就任

■AD2011年 ハイチ人 ギャリー・コニーユ、第15代ハイチ首相に就任

■AD2012年 ハイチ人 ローラン・ラモス、第16代ハイチ首相に就任

■AD2013年 全米黒人地位向上協会 ロレイン・ミラー、会長に就任

■AD2014年 全米黒人地位向上協会 コーネル・ウィリアム・ブルックス、会長に就任




B野人女直


■AD737年 藤原氏 天然痘流行により、藤原四兄弟死去
※藤原四兄弟の氏族が日本を脱出してモンゴル高原に移住

■AD737年 藤原氏 藤原四兄弟の氏族、満州に移住(野人女直)
※ウェジ、ワルカの名の由来はフジワラ

■AD1234年 野人女直/コルカA モンゴル軍の侵攻と金王朝の滅亡を機に、チベットに移住

■AD1357年 野人女直/コルカA ツォンカパ・ロサンタクパ生誕(ゲルク派)
※ゲルクの名の由来はコルカ

■AD1409年 ゲルク派 ツォンカパ・ロサンタクパ、初代ガンデン・ティパに就任

■AD15世紀 ゲルク派 カプチュ・タルマリンチェン、第2代ガンデン・ティパに就任

■AD15世紀 ゲルク派 ゲレクペルサン、第3代ガンデン・ティパに就任

■AD15世紀 ゲルク派 レクパゲンツァン、第4代ガンデン・ティパに就任

■AD15世紀 ゲルク派 ロドチューキョン、第5代ガンデン・ティパに就任

■AD1596年 野人女直/コルカA 清の侵攻を機に、コルカがネパールに移住(ゴルカ族)
※コルカの名の由来はワルカ

■AD1596年 野人女直/コルカB ネパールから更に祖を同じくするフォン人を追って西アフリカに移住

■AD1599年 ゴルカ族 ドラヴィヤ・シャー、初代ゴルカ王に即位(ゴルカ王国)

■AD1743年 ゴルカ族 プリトゥビ・ナラヤン・シャー、第10代ゴルカ王に即位

■AD1768年 ゴルカ族 プリトゥビ・ナラヤン・シャー、シャー王朝初代王位に就く(シャー王朝)

■AD1775年 ゴルカ族 プラタープ・シンハ・シャー、シャー王朝第2代王位に就く

■AD1777年 ゴルカ族 ラナ・バハドゥール・シャー、シャー王朝第3代王位に就く

■AD1815年 ゴルカ族 ギルバン・ユッダ・ビクラム・シャー、イギリス東インド会社と交戦(グルカ戦争)

■AD1951年 ゴルカ族A トリブバン・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ、亡命先のインドからネパールに帰還(立憲君主制採用)

■AD1960年 ゴルカ族A マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ、コイララ首相ら政党指導者を逮捕した(国王のクーデター)

■AD1960年 ゲルク派 ポミ・チャンパ・ルンドゥブ・リンポチェ、中国政府により主任に任命(ガンデン寺民主管理委員会)

■AD1962年 ゴルカ族A マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ、政党を禁止などを定めた新憲法を公布(パンチャヤット制)

■AD1965年 ゲルク派 トゥプテン・ルントクナム・ギャルティンレー、第97代ガンデン・ティパに就任(リン・リンポチェ)

■AD1972年 ゴルカ族A ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ、シャー王朝第10代王位に就く

■AD1975年 野人女直/コルカB マチュー・ケレク、初代ベナン人民共和国大統領に就任(ベナン人民共和国)
※ケレクの名の由来はコルカ

■AD1988年 ゲルク派 ポミ・チャンパ・ルンドゥブ・リンポチェ、チベットに残留した僧侶たちが任命(ガンデン・ティパ代理)

■AD1990年 野人女直/コルカB マチュー・ケレク、初代ベナン共和国大統領に就任(ベナン共和国)

■AD1990年 ゴルカ族A ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ、民主化運動に押されて内閣を復活させる

■AD1991年 野人女直/コルカB ニセフォール・ソグロ、第2代ベナン共和国大統領に就任

■AD1994年 ゲルク派 ロサンニマ、第100代ガンデン・ティパに就任

■AD1996年 野人女直/コルカB マチュー・ケレク、第3代ベナン共和国大統領に就任

■AD2001年 ゴルカ族A ビレンドラ国王をはじめ、シャー王家構成員の多くが死亡(ネパール王族殺害事件)

■AD2001年 ゴルカ族A ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ、シャー王朝第11代王位に就く

■AD2001年 ゴルカ族A ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ、シャー王朝第12代王位に就く

■AD2003年 ゲルク派 ルンリク・ナムギャル、第101代ガンデン・ティパに就任

■AD2005年 ゴルカ族A ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ、政府の実権を掌握

■AD2006年 ゴルカ族A ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ、彼の治世はロクタントラ・アンドランによって終焉

■AD2006年 野人女直/コルカB ヤイ・ボニ、第4代ベナン共和国大統領に就任

■AD2008年 ゴルカ族A 制憲議会が第一回会議で連邦共和制を宣言(シャー朝滅亡)

■AD2009年 ゲルク派 トゥプテン・ニマ、第102代ガンデン・ティパに就任(リゾン・リンポチェ)



・フォン人/ブラジル(パルマーレス国)
・フォン人/ハイチ(ヴードゥー教・ハイチ革命・ハイチ帝国・トントンマクート)
・フォン人/東インド諸島(スリナム・パナマ・ジャマイカ)
・フォン人/アフリカ(シェラレオネ)

・ブラックセミノール(フロリダ州・オクラマハ州・テキサス州・バハマ・メキシコ北部)

・黒人メソジスト神官団/アフリカ帰還組(リベリア自由国・キンバング教会金韓国・カーキ教)
・黒人カトリック神官団/北アメリカ(全国黒人カトリック会議)

・黒人バプティスト神官団/北アメリカ(デクスターアヴェニュー教会・南部キリスト教指導者会議・マルコムX・ブラックパンサー党)
・黒人バプティスト神官団/カリブ諸島(トリニダードトバゴ共和国)
・黒人バプティスト神官団/ガイアナ共和国(人民国民会議)




@マゴス


■BC701年頃 マゴ家 フェニキア人の東西移住計画に参加(フェニキア人の大航海時代)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、アラビア半島からイランに到着(残留者:フェニキア人、マゴ家、ガド族、ペリシテ人、マナセ族、アッカド人、ウルクのシュメール人)

■BC7世紀 マゴ家 イランに移住、マゴス神官団としてメディア人と連合(メディア王国/BC625年)

■BC550年 マゴスA メディア王国滅亡を機に、メディア人を率いてアラビア半島に移住

■BC550年 マゴスB メディア王国滅亡を機に、ペルシア人支配下に入りゾロアスター教の神官を司る

■BC550年 マゴスA 現地人にフェニキア文字のひとつランブダを冠する(マコラバ/メッカ)
※マコラバの名の由来はマゴスとランブダの組み合わせ

■BC6世紀 マゴスA メディア人を率いてアラビア半島からイスラエルに移住、モディン村を建設(ミディアン人)

■BC6世紀 マゴスA メディア人を率いてイスラエルから黒海に移住、マコラバがスキタイ人と連合(スクラブ人)

■BC6世紀 メディア人 メディア人は国海でシェルデン人と連合(サルマタイ人)

■BC6世紀 マゴスA 黒海からスワヒリに移住、現地人にフェニキア文字のひとつザインを冠する(アザニアー人)
※アザニアーの名の由来はザイン

■BC6世紀 マゴスA スクラブ人を率いてスワヒリからマダガスカルに移住(サカラバ人)
※サカラバの名の由来はスクラブ

■BC6世紀 マゴスA メディア人を率いて地中海からブリテン島に進出(マン島)
※マンの名の由来はアメン

■BC6世紀 マゴスA メディア人を率いてマン島からアイルランドに移住(ミード王国/AD1世紀)
※ミードの名の由来はメディア

■BC6世紀 マゴスA 現地人にフェニキア文字のひとつデルタを冠する(タラの丘)

■BC6世紀 マゴスA マン島からアイルランドに移住(マンスター王国/AD4世紀) 

■BC6世紀 マゴスA メディア人を率いてアイルランドと現メキシコ間を頻繁に往来する(タラスカ王国/AD1300年頃)
※タラスカの名の由来はタラとスクラブの組み合わせ

■BC6世紀 マゴスA 現グアナファト州に移住、「カエルのいる所」と命名(グアナファト)

■BC140年 ミディアン人 モディン村の司祭マタティアがセレウコス朝に対して蜂起、ユダヤ人の王朝を開く(ハスモン朝)

■AD1世紀 マゴスA シモン・マグス、サマリアに生誕(グノーシス主義)
※マグスの名の由来はマゴス

■AD1世紀 マゴスA イスラエルからアイルランドに移住

■AD2世紀 マゴスA マグ・ナオダト、ハイ・キングに即位(マンスター王国)

■AD226年 マゴスB サーサーン朝建設を機に、イランから現鹿児島に移住(馬越氏)
※馬越の名の由来はマゴス

■AD226年 マゴスB サーサーン朝建設を機に、イランから畿内に移住(牧氏、三木氏、真木氏)
※牧、三木の名の由来はマギ

■AD?世紀 馬越氏 現鹿児島から三河国に移住(三河牧野氏)
※牧野の名の由来はマギ

■AD?世紀 牧氏 畿内から三河国に移住(三河牧氏)

■AD?世紀 牧氏 三河国から駿河国に移住(駿河牧氏)

■AD?世紀 真木氏 三河国から越後に移住

■AD10世紀 三河牧野氏 三河国から越前国に移住、藤原利仁に接近、自身の血統を打ち立てる(越前牧野氏)

■AD10世紀 三河牧野氏 利仁の次男、藤原叙用に接近、自身の血統を打ち立てる(越前斉藤氏)

■AD1160年代 牧氏 牧宗親、平頼盛に仕える

■AD1180年代 牧氏 牧の方、夫北条時政が執権から廃され、夫婦共に出家させられた(牧氏事件)

■AD12世紀 牧氏 三河国から常陸国に移住、八田知家に接近し、自身の血統を打ち立てる(茂木氏)
※茂木の名の由来はマギ

■AD1300年 タラスカ人 ツィンツンツァンを首都にアステカ帝国に対して対立し続けた(タラスカ王国)

■AD14世紀 越前斉藤氏 越前国から美濃国に移住(美濃斉藤氏)

■AD1494年 美濃斉藤氏 戦国武将、斉藤道三生誕

■AD1522年 タラスカ人 タンガシュアン2世、スペイン人の侵攻に対し10万の兵に武器を収めるよう命じる(タラスカ王国滅亡)

■AD1582年 美濃斉藤氏 斉藤利三、山崎の戦いを機に氏族を率いて日本を脱出し、オマーンに移住

■AD16世紀 美濃斉藤氏 斉藤利三、後室の稲葉安と息子の三存、先妻の息子の利康、七兵衛を率いてオマーンに移住

■AD16世紀 美濃斉藤氏 斉藤三存、現地人に母の名を冠して王家を形成(ナバハニ家)
※ナバハニの名の由来は稲葉安(イナバアン)

■AD16世紀 美濃斉藤氏 斉藤利康、斉藤七兵衛が王家を形成(ブーサイード家)
※ブーサイードの名の由来は斉藤

■AD1618年 三河牧野氏 7万4千石の譜代大名として、三河国から越後国長岡藩に入封

■AD1624年 マンスター人 ジョージ・フォックス生誕

■AD1648年 マンスター人 ジョージ・フォックス、フレンド会の結成(クエーカー)

■AD1650年 マンスター人 ジョージ・フォックス、神を冒涜したとして投獄

■AD1666年 クエーカー メアリ・ダイアー、ボストンで絞首刑に処された最後の殉教者

■AD1681年 クエーカー ウィリアム・ペン、クエーカー安住の地として建設(ペンシルヴァニア)

■AD1688年 ナバハニ家 ブワナ・ムクー、パテ王国初代スルタンに就任(ナバハニ朝)
※ムクーの名の由来は遠い先祖の名「マゴ」

■AD1698年 ナバハニ家 ヤアリバ朝オマーン王国と連合し、ポルトガルをスワヒリから駆逐

■AD1744年 ブーサイード家 初代イマーム、アーメッド・ビン・サイード、ポルトガルの搾取に対して蜂起(ブーサイード朝)

■AD1804年 ブーサイード家 サイイド・サイード、オマーン王国第5代スルタンに即位

■AD1812年 ナバハニ家 モンバサ島民と連合し、ラム島に侵攻(シェラの戦い)

■AD1827年 デーン人 エリアス・ヒックス、普遍的救済の信仰を提唱したためクエーカーを追放された(ヒックス派)

■AD1840年 ブーサイード家 サイイド・サイード、ザンジバルに遷都(ザンジバル帝国)

■AD1844年 馬越氏 馬越恭平生誕、備中国出身、ビール王と呼ばれた(大日本麦酒株式会社)

■AD1848年 馬越氏 馬越三郎生誕、阿波国出身、後に新撰組に参加

■AD1946年 三木氏 御木徳近、佐賀県で教団再建(パーフェクト・リバティー教団)

■AD1956年 牧氏 牧喜之助、岡田茂吉が没すると世界救世教から分離・独立(救世主教)



Aアザニアー人


■BC6世紀 マゴス 黒海からスワヒリに移住、現地人にフェニキア文字のひとつザインを冠する(アザニアー人)

■BC6世紀 アザニアー人 東アフリカ沿岸部を勢力下に置き、フェニキア文字のひとつランブダを冠した港町を建設(港町ラプタ)
※ラプタの名の由来はランブダ

■BC6世紀 アザニアー人 ラプタから現ラム島に移住(ラム島)
※ラムの名の由来はランブダ

■BC6世紀 アザニアー人 ラプタから現パテ島に移住(パテ島)
※パテの名の由来はランブダ

■BC6世紀 アザニアー人 ラプタから現ウングジャ島に移住(ウングジャ島)
※ウングジャの名の由来はランブダ

■BC1世紀 アザニアー人 イラン、北アフリカから来たフェニキア人の進出を機に、スワヒリから北ベトナムに移住(ジン族/キン族)
※ジンの名の由来はザイン

■BC1世紀 キン族 ビン人が九州で結成したフェニキア人の軍事集団に参加(倭人)

■BC50年 倭人/キン族 倭人を称し、九州から朝鮮半島に出撃

■AD1世紀 アザニアー人 現ザンジバル、パテ島を拠点に海賊として活動していた旨が記されている(エリトゥラー海案内記)

■AD8年 倭人/キン族 王莽、前漢最後の皇帝より禅譲を受けて建てた(新)
※新の名の由来はジン

■AD23年 倭人/キン族 赤眉・緑林の乱が起こり、新滅亡(昆陽の戦い)

■AD65年 倭人/キン族 中国から朝鮮半島に移動、新羅に足場を得る(金アッチ)

■AD193年 倭人/キン族 倭人と共に大陸に進撃(倭国大飢饉)

■AD232年 倭人/キン族 魏を建国した倭人の本部隊から分離、単独で新羅に向かい、首都を包囲した

■AD262年 倭人/キン族 味スウ尼師今、新羅の第13代王に即位(金氏王統)

■AD602年 金氏A 第29代新羅王、武烈王生誕(統一新羅)

■AD663年 金氏A 唐と連合し、百済と倭国の連合に勝利する(白村江の戦い)

■AD663年 金氏B ジャワ島に向かった百済人の残党を追跡し、ジャワ島に移住

■AD663年 金氏B サンタヌ、シャイレーンドラ朝初代王位に即位(シャイレーンドラ王家)
※シャイレーンドラの名の由来はシンラとアーンドラの組み合わせ

■AD674年 シャイレーンドラ王家 ダプンタ・セレンドラ、シャイレーンドラ朝第2代王位に即位

■AD674年 シャイレーンドラ王家 シマ女王、シャイレーンドラ朝第3代王位に即位

■AD717年 シャイレーンドラ王家 サンジャヤ、シャイレーンドラ朝第6代王位に即位

■AD752年 シャイレーンドラ王家 サンジャヤ、ジャワ島からスマトラ島に移住、アーンドラ人と連合(シャイレーンドラ朝)
※シャイレーンドラの名の由来はシンラとアーンドラの組み合わせ

■AD792年 シャイレーンドラ王家 ダラニンドラ、大乗仏教を保護し、寺院を建立する(ボロブドゥール寺院)

■AD812年 シャイレーンドラ王家 サマラトゥンガ、シャイレーンドラ朝第10代王位に即位

■AD832年 シャイレーンドラ王家 サマラトゥンガ、パラル王朝に服属後、ジャワ島に移住(シャイレーンドラ朝消滅)

■AD935年 金氏A 高麗の侵攻により滅亡(新羅滅亡)

■AD935年 金氏C 新羅滅亡を機に、朝鮮半島から満州に移住

■AD935年 金氏D 新羅滅亡を機に、唐の李王家の後を追い、朝鮮半島からヨーロッパに移住

■AD935年 金氏E 新羅滅亡を機に、朝鮮半島から日本・諏訪国に移住(神氏/金刺氏)
※神の名の由来はジン、金刺の名の由来はキンとジョシンの組み合わせ

■AD10世紀 神氏 諏訪氏の氏族と連合、フェニキア人の軍事集団を結成(諏訪神党)

■AD10世紀 金氏D 第56代新羅国王敬順王の氏族がリトアニアに到着、唐の李王家と共にリトアニア人を支配下に置く

■AD10世紀 李氏 昭宗、パレモナスを称して初代リトアニア公の座に就く(パレモナス朝)
※パレモナスの名の由来は「八(Ba)」と「李敏(LiMin)」の組み合わせ

■AD10世紀 金氏D ギムプタス、第3代リトアニア公の座に就く
※ギムプタスの名の由来は金プタス

■AD10世紀 パテ島民 キルワ王国の支配下に置かれる

■AD1115年 金氏C 阿骨打、遼に蜂起して満州に新王朝を開く(金朝)

■AD1125年 金氏C 呉乞買、宋に侵攻(靖康の変)

■AD1125年〜1234年 金氏C 呉乞買、南宋に侵攻(宋金戦争)

■AD1164年 金氏C 世宗、南宋と和約を結び、契丹の蜂起を平定(大定の治)

■AD1180年 神氏 諏訪神党を率いて木曽義仲に協力(治承・寿永の乱)

■AD1203年 パテ島民 キルワ王国の支配下から独立

■AD1206年 金氏C 章宗、チンギス・ハーンを間接的に援助(モンゴル統一)

■AD1222年 シャイレーンドラ王家 ケン・アロク、クディリ王国を倒し、初代シンガサリ王に即位(シンガサリ王国)
※シンガサリの名の由来は朝鮮語「神可殺」

■AD1224年 ドイツ騎士団/ジュート人 プロイセン征服(ドイツ騎士団国家)

■AD1224年 金氏D ドイツ騎士団の侵攻を機に、リトアニアから朝鮮半島に帰還

■AD1227年 シンガサリ王家 アヌサパティ、第2代シンガサリ王に即位

■AD1234年 金氏C オゴディ・ハーンの金朝侵攻を機に、現タイに移住(金朝滅亡)

■AD1234年 金氏D 金台瑞、朝鮮半島に帰還、全州に移住(全州金氏)

■AD1248年 シンガサリ王家 ヴィスヌーワルダーナ、第4代シンガサリ王に即位

■AD1268年 シンガサリ王家 ケルタネガラ、第5代シンガサリ王に即位

■AD13世紀 金氏C 現ムアンスパンブリーに定住(スパンブリー国)
※スパンブリーの名の由来はタイ語「金の街」

■AD1247年 三浦氏 宝治合戦を機に泰村の氏族が日本からジャワ島に移住

■AD1292年 シンガサリ王家 クディリ王家の残党の蜂起により崩壊(シンガサリ王国滅亡)

■AD1292年 シンガサリ王家 シンガサリ王国滅亡を機に、ジャワ島からマレー半島に移住
※シンガプーラの名の由来はシンガサリとプールの組み合わせ

■AD1292年 三浦氏 モンゴル軍のジャワ侵攻を退ける(元軍のジャワ遠征)

■AD1293年 三浦氏 ラデン・ヴィジャヤが王に即位(マジャパヒト王国)
※マジャパヒトの名の由来は真のジャワの人、ラデンの名の由来は関東に点在する雷電神社、或いは大雷電命

■AD1335年 神氏 諏訪神党と共に北条高時の遺児、時行を擁立し、建武新政軍に蜂起(中先代の乱)

■AD1337年 文間氏 文間胤往が氏族を率いて相馬氏と共に日本を脱出、スワヒリに移住(片瀬川の戦い)

■AD14世紀 文間氏 現タンザニアのモンバサ島に移住(モンバサ)
※モンバサの名の由来は文間

■AD14世紀 シンガサリ王家 マレー半島に王国を開く(シンガプーラ王国)

■AD14世紀 シンガサリ王家 一部がシンガプーラ王国から現アッサム地方に移住

■AD1348年 スパンブリー王家 疫病流行を機に、スパンブリーから現アユタヤに移住

■AD1351年 スパンブリー王家 ラーマーティボーディー1世、王国を建設(アユタヤ王朝)
※アユタヤの名の由来は金を意味する満州語「アルチュフ」

■AD1355年 神氏 諏訪神党と共に宗良親王を擁立して蜂起(桔梗ヶ原の戦い)

■AD1369年 アユタヤ王家 ラーメースワン、アユタヤ朝第2代王位に即位

■AD1370年 アユタヤ王家 ポーロマラーチャーティラート1世、アユタヤ朝第3代王位に即位

■AD1388年 アユタヤ王家 トーンラン、アユタヤ朝第4代王位に即位

■AD15世紀 神氏 関東から近江国に移住

■AD15世紀 神氏 浅井氏の祖、浅井重政生誕(浅井氏)
※アザイの名の由来はザイン、或いはアザニアー

■AD1545年 浅井氏 第3代当主、浅井長政生誕

■AD1560年代 浅井氏 浅井長政、織田信長と同盟を結ぶ

■AD1570年 浅井氏 浅井長政、信長との同盟破棄

■AD1573年 浅井氏 浅井長政、信長軍に包囲され自害(小谷城の戦い)

■AD1582年 朱氏 万暦の三征を機に、万暦帝が氏族を率いてオマーンに移住(ヤアリバ朝)
※ヤアリバの名の由来はウァンリ

■AD1603年 シンガサリ王家 スーセングパー、第20代アホム国王に即位し、アホム王国を乗っ取る

■AD1636年 ラム島民 ポルトガルの搾取に対して蜂起

■AD1641年 シンガサリ王家 スラムパー、第21代アホム国王に即位

■AD1644年 シンガサリ王家 スティングパー、第22代アホム国王に即位

■AD1646年 朱氏 紹武帝、氏族を率いて中国からオマーンに移住(マズルイ家)
※マズルイの名の由来は「真」と武帝の本名「ズ・ユイエ」の組み合わせ

■AD1656年 アユタヤ王家 ラーマーティボーディー3世、アユタヤ朝第30代王位に即位

■AD1688年 アユタヤ王家 ペートラーチャー、アユタヤ朝第31代王位に即位

■AD1703年 アユタヤ王家 サンペット8世、アユタヤ朝第32代王位に即位

■AD1709年 アユタヤ王家 サンペット9世、アユタヤ朝第33代王位に即位

■AD1733年 アユタヤ王家 ポーロマラーチャーティラート3世、ジュンガルの残党がトンブリー朝を開く(アユタヤ朝滅亡)

■AD1733年 アユタヤ王家 タイから朝鮮半島に移住(全羅道沿海流民の暴動)

■AD1738年 アユタヤ王家 現地人を指揮し、李氏朝鮮に対して蜂起(平安道人民蜂起)

■AD1767年 アユタヤ王家 朝鮮半島から現江蘇省に移住、ムエタイを駆使(大刀会)

■AD18世紀後半 マズルイ家 モンバサ島を支配下に置いてオマーンから独立

■AD1819年 シンガサリ王家 チャンドラカーンタ・シンガ、第42代アホム国王に即位

■AD1821年 シンガサリ王家 ジョゲスラウ・シンガ、第43代アホム国王に即位

■AD1833年 シンガサリ王家 プランダー・シンガ、第44代アホム国王に即位

■AD1946年 全州金氏 金日成、初代委員長に就任(北朝鮮臨時人民委員会)

■AD1948年 全州金氏 金日成、国家建設(朝鮮民主主義人民共和国)

■AD1950年 全州金氏 朝鮮人民軍南進を機に戦争勃発(朝鮮戦争)

■AD1953年 全州金氏 38度線に軍事境界線制定(朝鮮戦争休戦協定)

■AD1964年 大刀会 大山倍達、中国大陸で暴れた過去を継承しているため実戦に拘る(極真会館)

■AD1994年 全州金氏 金正日、朝鮮民主主義人民共和国第2代最高指導者に就任

■AD2011年 全州金氏 金正恩、朝鮮民主主義人民共和国第3代最高指導者に就任




Bコナート人


■BC6世紀 マゴス 現グアナファト州に移住、「カエルのいる所」と命名(グアナファト)

■BC6世紀 グアナファト人 ユカタン半島と現コナート間を頻繁に往来(コナート)
※コナートの名の由来はグアナファト

■BC4世紀 コナート人 アイルランドに進出してきたフィル・ボルグ族の片割れベルガエ族と連合(カンタブリア人)
※カンタブリアの名の由来はケネディとベルガエの組み合わせ

■BC3世紀 カンタブリア人 アイルランドからイベリア半島に移住(カンタブリア)

■AD29年 カンタブリア人 ローマ軍がカンタブリアに侵攻したため、交戦(カンタブリア戦争)

■AD29年 カンタブリア人 カンタブリア戦争での敗北を機に、ブリテン島に移住(カンタベリー)
※カンタベリーの名の由来はカンタブリア

■AD116年 コナート人 コン・ケチャタハ、ハイ・キングに即位(コナート王国)

■AD357年 コナート人 イオチャド・マグメドン、ハイ・キングに即位

■AD5世紀 コナート人 ユトランド半島からブリテン島に来たジュート人と連合(ケント王国)
※ケントの名の由来はカンタブリア、或いはコナート

■AD8世紀 ケント人 マーシア王国に服属

■AD9世紀 ケント人 ウェセックス王国併合を機にストラスクライドに移住(ケネディ氏A)
※ケネディの名の由来はケント

■AD9世紀 コナート人 アイルランド南部マンスター周辺に進出(ケネディ氏B)
※ケネディの名の由来はコナート

■AD913年 コナート人 カタル・マック・チョコバル王、マンスター王国の侵攻を機にアイスランドに亡命

■AD930年代 アイスランド人 マヤ人、コナート人を率いてユトランド半島に移住

■AD936年 コナート人 カタル・マック・チョコバル王、デンマーク王に即位(ハーデクヌーズ1世)
※ハーデクヌーズの名の由来は「コナートのカタル」

■AD940年 コナート人 ハーデクヌーズ1世の息子ゴーム、デンマーク王に即位(ゴーム・デン・ガムレ家)

■AD1028年 コナート人 クヌーズ1世がデンマーク王、イングランド王、ノルウェー王を兼務し、北海帝国を築く(クヌード帝国)
※クヌーズ、クヌードの名の由来はコナート

■AD1185年 ケネディ氏A ヘンリー・ケネディ、ギャロウェイで蜂起

■AD13世紀 ケネディ氏A ギャロウェイでの蜂起以降、ストラスクライド周辺を影響下に置く

■AD13世紀 ケネディ氏A ストラスクライド周辺からダルリアタ、アルスターに進出

■AD1738年 ケネディ氏B ジョン・ケネディ、アイルランド南部の農村に生誕

■AD1770年 ケネディ氏B ジェームズ・ケネディ、アイルランド南部の農村に生誕

■AD1823年 ケネディ氏B パトリック・ケネディ、アイルランド南部の農村に生誕

■AD1848年 ケネディ氏B パトリック・ケネディ、アメリカ移民としてアイルランドからボストンに移住(ケネディ家)

■AD1852年 ケネディ氏B ジョン・ペンドルトン・ケネディ、第21代アメリカ合衆国海軍長官に就任

■AD1858年 ケネディ家 パトリック・ジョセフ・ケネディ、ボストンに生誕

■AD1888年 ケネディ家 ジョセフ・P・ケネディSr、ボストンに生誕

■AD1915年 ケネディ家 ジョセフ・P・ケネディJr生誕

■AD1917年 ケネディ家 ジョン・F・ケネディ生誕

■AD1925年 ケネディ家 ロバート・ケネディ生誕

■AD1930年 ケネディ氏B デヴィッド・M・ケネディ、第60代アメリカ合衆国財務長官に就任

■AD1932年 ケネディ家 エドワード・ケネディ生誕

■AD1934年 ケネディ家 ジョセフ・P・ケネディSr、初代証券取引委員会委員長就任

■AD1936年 ケネディ家 ジョセフ・P・ケネディSr、連邦海事委員会委員長就任

■AD1938年 ケネディ家 ジョセフ・P・ケネディSr、在イギリス大使に就任

■AD1940年 コナート人 リバプールにジョン・レノン生誕

■AD1952年 ケネディ家 ジョン・F・ケネディ、上院議員に

■AD1961年 ケネディ家 ジョン・F・ケネディ、第35代アメリカ大統領に就任

■AD1962年 コナート人 ジョン・レノン、ビートルズ1stアルバム発表(プリーズ・プリーズ・ミー)

■AD1963年 ケネディ家 ジョン・F・ケネディ、ダラス遊説中にオズワルドによって暗殺

■AD1966年 コナート人 ジョンの発言により、ビートルズのレコードが燃やされる(キリスト教発言)

■AD1968年 ケネディ家 ロバート・ケネディ、サーハン・サーハンによって暗殺

■AD1969年 コナート人 ジョン・レノン、オノ・ヨーコと平和を訴えるパフォーマンス慣行(ベッド・イン)

■AD1970年 コナート人 ジョン・レノン、ビートルズ解散

■AD1970年 コナート人 ジョン・レノン、シングル「イマジン」発表(B面ワーキング・クラス・ヒーロー)

■AD1980年 コナート人 ジョン・レノン、マーク・チャップマンにより暗殺

■AD2013年 ケネディ家 キャロライン・ケネディ、第40代駐日アメリカ合衆国大使に就任




■BC33世紀 ティカル人 セイバル人、ユート族、セロス人と共にモハス平原、ユカタン半島からアイルランドに帰還(ヒベルニア)
※ヒベルニアの名の由来はセイバル

■BC33世紀 ティカル人 アイルランド東部ミースの小高い丘の上に建設(ニューグレンジ)

■BC32世紀 ティカル人 ハミ人、メトセラ族、スバル人、エノク族、セト族、ヤレド族、セロス人と連合、北極海探検隊を結成

■BC32世紀 ティカル人 オビ河上流に移住、現ケメロヴォ州ショリア山中に巨石建造物を建設

■BC32世紀 ティカル人 オビ河上流から南下、インダス流域に到達(サッカラ)
※サッカラの名の由来はティカル

■BC32世紀 ティカル人 アイルランドからインダス流域に進出していたセイバル人、ユート族と合流、モヘンジョダロ、ハラッパーに都市を建設(インダス文明)



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