ブリテン系デーン人F1の帝国A U 「島原の乱」
英国諜報機関と華僑・倭寇連合
戦国武将と宗教
天孫系
浅井長政・藤原氏北家
上杉謙信・曹洞宗
大内義長・曹洞宗
島津義久・曹洞宗
豊臣秀吉・吉田神道
前田利家・曹洞宗
反天孫系
織田信長・日蓮宗
有馬晴信・イエズス会
今川義元・臨済宗妙心寺派
大村純忠・イエズス会
木曽義元・真言宗智山派(松浦半島)
斉藤道三・日蓮宗
伊達政宗・フランシスコ会
長宗我部元親・臨済宗天龍寺派
北条氏政・桓武平氏
細川政元・臨済宗妙心寺派
松平清康・浄土宗
武田信玄・臨済宗妙心寺派
毛利元就・臨済宗大徳寺派
徳川家康・浄土宗
年代 |
できごと | 勢力 | 内実 |
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1223年 1226年 |
倭寇、初登場 倭寇、高麗沿岸を荒らす |
ブリテン系デーン人F1(倭) vsブリテン系デーン人F2(高) |
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1274年 | 文永の役 | ブリテン系デーン人F2連合 vsブリテン系デーン人F1(倭) vsブリテン系デーン人F2(大) |
当時の九州は日本ではなかった、長江上流に拠点を置くF1勢力の日本拠点だった、本州勢力の流れを組む 蒙古軍は日本征伐というよりは九州征伐のつもりだったに違いない、だが神風により失敗 |
1281年 | 弘安の役 | ブリテン系デーン人F2連合 vsブリテン系デーン人F1(倭) vsブリテン系デーン人F2(大) |
当時の九州は日本ではなかった、長江上流に拠点を置くF1勢力の日本拠点だった、本州勢力の流れを組む 蒙古軍は日本征伐というよりは九州征伐のつもりだったに違いない、だが神風により再度失敗 F1勢力である日蓮は元寇を利用し、本州に多くの信者を獲得した |
1336年 | 足利尊氏、室町幕府を開く | ブリテン系デーン人F2(藤) vsブリテン系デーン人F2(大) |
鎌倉幕府滅亡後に京都に成立した後醍醐天皇の建武政権から離反した足利尊氏は、持明院統の光厳上皇 の院宣を受け、建武3年(1336年)6月に京都を確保すると光厳上皇を奉じて入京、尊氏は武家政権の 構築に着手するが、後醍醐天皇は叡山に逃れて抵抗していたという |
1336年〜 1392年 |
南北朝時代 | ブリテン系デーン人F2(大) vsブリテン系デーン人F2(藤) |
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1336年 | 懐良親王、征西大将軍任命 (大伴氏の後裔勢力) |
ブリテン系デーン人F2(大) vsブリテン系デーン人F2(藤) |
後醍醐天皇は、各地に自分の皇子を派遣し、味方の勢力を築こうと考え、建武3年(1336年)にまだ 幼い懐良親王を征西大将軍に任命し、九州に向かわせることにした、親王は五条頼元らに補佐 されて四国伊予国(現・松山市)へ渡り、当地の宇都宮貞秦や瀬戸内海の海賊衆である熊野水軍の 援助を得て数年間滞在したという、ある意味、大伴氏後裔勢力の九州攻略というところか |
1377年 | 南九州国人一揆 | ブリテン系デーン人F2(大) ブリテン系デーン人F1(倭) vsブリテン系デーン人F2(藤) |
九州勢力の勝ち、幕府勢力の負け |
1399年 | 応永の乱 | ||
1426年 | 近江馬借一揆 | ||
1428年 | 山城の正長士一揆 | ||
1439年 | 永享の乱 | ||
1447年 | 山城西岡の徳政一揆 | ||
1451年 | 奈良の徳政一揆 | ||
1454年 | 享徳の大一揆 | ||
1467年〜 1477年 |
応仁の乱 | ブリテン系デーン人F2(吉) | 細川氏(妙心寺派、信濃)、山名氏(南禅寺派、信濃)は共に臨済宗、吉備氏の後裔勢力 |
1488年 | 一向一揆 | ブリテン系デーン人F2(藤) | |
1497年 | 本願寺蓮如 猛威を振るう |
ブリテン系デーン人F2(藤) | |
1539年 | 倭寇、活動再開 | 英国諜報機関ポルトガル分家 ブリテン系デーン人F1a ブリテン系デーン人F1b vs明王朝 vs李氏朝鮮 |
50年間、倭寇は明にも朝鮮にも出現せず活動停止状態であったが、ここにきていきなり倭寇の活動が活発化 する、その原因として考えられるのはもちろんイエズス会との接触だ、英国勢力であるイエズス会が明を 訪れたのは1513年であり、日本を訪れたのは1543年である、ザビエル率いるポルトガル人を日本に導いたのは ヤジロウという薩摩人であったが彼は大陸人にバハンと呼ばれたいわゆる倭寇であった、またポルトガル船が 種子島に漂着した時、明の大物海賊商人である王直が同乗、彼は後に平戸に永住、倭寇を指揮する 旧来のブリテン系デーン人勢力と新規ブリテン系デーン人(イギリス人)の同盟だ |
1543年 | ポルトガル人 種子島に来る |
英国諜報機関ポルトガル分家 ブリテン系デーン人F1a vs日本人 vsブリテン系デーン人F2bB |
ポルトガルはF1勢力に導かれ、彼らの勢力圏、九州に到着 |
1549年 | フランシスコ・ザビエル キリスト教布教 |
英国諜報機関ポルトガル分家 ブリテン系デーン人F1a ブリテン系デーン人F1b vs日本人 vsブリテン系デーン人F2bB |
ザビエルがF1勢力に導かれ、彼らの勢力圏、九州に到着、F2勢力圏(本州)にキリスト教を布教しようと画策 貧乏人をキリスト教徒にして反体制勢力として育成しF2勢力を討つのだ |
1555年 | 倭寇、南京襲撃 倭寇、全羅道襲撃 |
英国諜報機関ポルトガル分家 ブリテン系デーン人F1a ブリテン系デーン人F1b vs李氏朝鮮 |
ブリテン系デーン人F1b勢力が、F1a勢力の拠点、南京奪還を企図した |
1567年 | 倭寇vsスペイン軍 | 「明の海賊、李馬鴻と倭寇、シオコの率いる連合艦隊がスペイン駐屯軍を襲撃駆逐せんとマニラ湾ロコドシル に上陸、兵力は艦隊62艘、水夫2000人、兵卒2000人、いつのまに、どこで、どうした人達によって準備され 編成されたのか分からないがこれだけの組織的行動にはそれ相等の準備が必要である」と歴史家が 言っているがいつのまに、どこで、どうした人達、って英国勢力に決まってますよ ポルトガル、バスク人は14世紀からの英国勢力であり、イエズス会はポルトガル人、バスク人で構成 されているのだが、ザビエルなどは諜報員の精鋭と言えるでしょう 倭寇(九州海賊)、明の海賊商人は日本分家や中国分家の祖なのでしょう |
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1574年 | 倭寇vsスペイン軍 | 日明連合の海賊艦隊がマニラ湾のコレヒドールにてスペイン軍を攻略、スペインはカトリックだが、彼らは 英国勢力であるイエズス会ではなく、フランス系カトリックであるドミニコ会、フランシスコ会の修道士 (諜報員)を同乗させていた |