ブリテン系デーン人F2の帝国A U

チムール帝国・ムガール帝国・アユタヤ朝・オマーン土候国









ブリテン系デーン人(旧デーン人)



ギリシア(ブリテン系デーン人Aグループ)
シリア・メソポタミア(ブリテン系デーン人Bグループ)
エジプト(ブリテン系デーン人Cグループ)
アフリカ(ブリテン系デーン人Dグループ)
インド・東南アジア(ブリテン系デーン人Eグループ)
東アジア(ブリテン系デーン人Fグループ)
太平洋ポリネシア・大西洋岸南北アメリカ(ブリテン系デーン人Gグループ)


ブリテン系デーン人A=(A1/エトルリア人、A2/ローマ帝国、A3/アテネ市、ビザンツ帝国、突厥帝国、ヴェネツィア共和国、ハザール帝国)
※古代アテネ人勢力圏(キリキア、マッシリア、コルシカ島、サルディーニャ北部、シチリア東部、ポントス王国、ボスポロス王国)
※西ローマ帝国の中枢移転先(モラヴィア王国、ノヴゴロド公国、ポーランド王国、ハプスブルグ家)
※ビザンツ帝国の中枢移転先(突厥帝国、ハザール帝国、ウイグル汗国、ハンガリー王国、ヴェネツィア共和国、モスクワ公国)
※ハザール帝国の中枢移転先(リトアニア公国、アシュケナージ)

ブリテン系デーン人B=(B1/フェニキア人・ペリシテ人・ダン族、B2/新アラム人、B3/新ヒッタイト人)
ブリテン系デーン人C=(C1/エジプト王朝、C2/テーベ・アメン神官団)
ブリテン系デーン人D=(ヨルバ人、マダガスカル島)
ブリテン系デーン人E=(セイロン島、インド南部)

ブリテン系デーン人F1=(F1aA/ミャオ族、楚、太平道、黄巾族、呉、南詔、大理国、白蓮教、F1aB/華僑、F1b/邪馬台国、倭寇)
ブリテン系デーン人F2=(F2aA/皇族、F2aB1/奥州藤原氏・全真教、F2aB2/藤原氏、F2bA/関西平氏、F2bB/関東平氏、
F2cA/粛慎・渤海、女真人・満州人、F2cB/モンゴル人、F2cB1/タタール人、F2cB2/オイラート人、F2d/高句麗・高麗人)

ブリテン系デーン人G=(ポリネシア人/タアネ神、オルメカ人/ユカタン半島)





新デーン人



新デーン人A1a/スカンジナビア系デーン人(ケルト人、ドルイド教ローマ人奴隷、ダキア人)、新デーン人A1b(キンブリ人、テウトニ人)
新デーン人A2/中央アジア系デーン人(A2a/エフタル・ヒョーン人、マッサゲタイ人、パルティア人、A2b/チャガタイ汗国、オゴタイ汗国、チムール帝国)
新デーン人A3/東アジア系デーン人=匈奴(A3a)、フン族(A3b)、鮮卑(A3c)、柔然(B)、吐藩(C1)、唐/天台宗(C2)、契丹/遼(D1)、西夏(D2)
新デーン人A4/アルバ系デーン人(スコットランド・アイルランド系カトリック・アイオナ修道院、ティオティワカン帝国)

新デーン人B1/ゴート人(西ゴート王国)
新デーン人B2/フランク人(フランク王国、ノーサンブリア王国、イースト・アングリア王国、マーシア王国、
エセックス王国、ウェセックス王国、サセックス王国、神聖ローマ帝国、エデッサ王国、エルサレム王国)
新デーン人B3/ロンバルディア人(北イタリア地方、ラテン帝国、ジェノヴァ共和国)

新デーン人A1a/デーンロー系デーン人(ジュート王国・カンタベリー大司教座・デーンロー)
新デーン人A1c/スウェード人(バルト三国、キエフ公国、ロシア、ウクライナ)
新デーン人A1d/ノルウェー人(アイスランド共和国、グリーンランド、トルテカ人)
新デーン人A5/デンマーク人(デンマーク王国・カルマル同盟)

ノルマン人A1/フランス系ノルマン人(ノルマンディー公国、フランス王国、外ヨルダン領、ゼンギ朝シリア、カスティーリャ王国、レオン王国、スイス連邦)
ノルマン人A2/イングランド系ノルマン人+新デーン人A1aA(ノルマン朝、ピサ共和国、ナバラ王国、アラゴン王国)
ノルマン人A3/イタリア系ノルマン人(シチリア・ナポリ王国、アンチオキア王国、トリポリ王国、ラテン帝国)
新デーン人A1aB/反逆派、後にルター派を創設(アルモラヴィド帝国、アルモハード帝国、モロッコ王国、ガーナ王国、ブルガリア帝国)










年代
できごと 勢力 内実
1258年〜
1353年
イル・ハン国 ブリテン系デーン人F2
vsイラン系アーリア人
1270年代 イル・ハン国
イブン・サイード・マグリビー来訪
サイードとは「幸いなる者」の意らしいが、彼の影響でモンゴル人ハーンにサイードを名乗る者が
多く出たのではないか、更にオマーン土候国にもサイードを名乗る者が多く、王朝の名にもなっているため
オマーン、その後継のザンジバルはモンゴル人を指揮していた日本人諜報員(藤原氏の血統)であると考えられる
1277年 イル・ハン国
ビザンツ帝国と同盟
ブリテン系デーン人F2(イ)
ブリテン系デーン人A3(ビ)
vsブリテン系デーン人F2(キ)
vsブリテン系デーン人A3(マ)
イル・ハン国(F2)はビザンツ(A3)と組んだが、マムルーク朝(A3・F2)はキプチャク(F2・A3)と組んだ
ある意味、ブリテン系デーン人勢力内の内乱だった、当時、モンゴル人を指揮していた日本人諜報員(藤原氏
の末裔)がビザンツ、ハザール系の諜報員と組んでユーラシアを統治、ライバルである
ロシア人(コリント人・スウェード人)、新デーン人、ノルマン人、イスラム勢力と敵対していた
1295年 イル・ハン国
イスラム教に改宗
ブリテン系デーン人F2 モンゴル人がイスラム化した
1335年 イル・ハン国
キプチャクが侵攻
ブリテン系デーン人F2(キ)
vsブリテン系デーン人F2(イ)
キプチャクのウズベク・ハンがイル・ハンに侵攻、フレグ王統は消滅したという
1335年〜
1336年
イル・ハン国
アルパ・ケウン即位
イラン系アーリア人
vsブリテン系デーン人F2
アーリア人の血統であるホラーサンの軍隊を率いていたアルパ・ケウンはアーリア人勢力だったのだろう
1353年 イル・ハン国、滅亡




















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