ギリシア文明 スパルタ人・コリント人編
年代 | できごと | 勢力 | 内実 |
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BC5000年? | 第一次古代デーン人大航海時代 バルト海探検、北極海ルート スカンジナビア南部植民開始 |
古代デーン人 | 古代デーン人はケルト人に高性能の船を作らせ、ユトランド半島から大航海時代へと出発した 第一次大航海時代ではデーン人はバルト海を北上し、スカンジナビア半島を発見、南部に植民 更にスカンジナビアを北上し、北部に植民、サーミ人の祖先となる、更に北上した一派は北極海を就航 各地に寄ってドルイド教を伝授しながらシベリアにまで到達、各地にシャーマン文化が残る |
BC4500年? | 第二次古代デーン人大航海時代 大西洋ルート ブリテン島発見、植民開始 |
古代デーン人 | デーン人がブリテン島を発見、入植、そこを拠点にアイルランド、フリース地方、ブルターニュ地方、 バスク地方、古代ルシタニア地方を占領、入植、その後も英国諜報機関の勢力として継承される |
BC4200年頃 | エジプト原始王朝時代 | 現生人類 | |
BC4000年頃 | キクラデス文明 | 現生人類 | |
BC4000年? | 第三次古代デーン人大航海時代 地中海ルート サルディーニャ島発見、植民開始 |
古代デーン人 | 古代デーン人が第三次大航海時代に出発、地中海、アフリカ方面に分岐、地中海方面に進出した 一派はひとつの島を発見、南方デーン拠点という意味を込めサルディーニャと名付けた サルディーニャも後に英国諜報機関のいち勢力としてイタリア統一の先鋒となった |
BC3650年〜 BC1900年 |
ミノア文明、前宮殿時代 | 古代デーン人 | 古代デーン人がクレタ島を支配、現地人や同行させたケルト人に作らせた文明 |
BC3000年? | クレタ島の古代デーン人 ナイルを遡り、テーベ、更に 上流のヌビアにも植民 |
古代デーン人 | エジプト人勢力圏を迂回し、ナイル河を遡り、テーベ辺りに拠点を築き、アメン神官国家の元型を築く 更にナイルを上昇し、ドルイド教を布教、ヌビア人を支配する |
BC2000年 | イオニア人の南下 | イオニア人(ドルイド教ケルト人) vs古代デーン人 |
スカンジナビア系デーン人が地中海侵攻を計画、まず、本隊のアケーア人侵攻の前段階として配下の イオニア人を大量にギリシアに派遣 アケーア人の現地人に対する発言力確保のために予めイオニア人を居住させることを計画していた |
BC1900年〜 BC1700年 |
ミノア文明、古宮殿時代 | 古代デーン人 | 古代デーン人がクレタ島を支配、現地人や同行させたケルト人に作らせた文明 |
BC1800年 | ミケーネ文明 | 旧デーン人A3 vs古代デーン人 |
陸伝いでやって来たアケーア人(別名ダナーン)が古代デーン人が築いたエーゲ海文明を破壊 自身の文明、ミケーネ文明を建設 |
BC1700年〜 BC1425年 |
ミノア文明、新宮殿時代 | 古代デーン人 | 古代デーン人がクレタ島を支配、現地人や同行させたケルト人に作らせた文明 |
BC1400年 | クレタ文明破壊 | 旧デーン人A3 vs古代デーン人 |
アケーア人(デーン人)が古代デーン人の文明であるクレタ文明を破壊 |
BC1350年 | 「エレウシスの秘儀」 | 旧デーン人A3 vs古代デーン人 |
秘密主義であるため、ドルイド教を連想させる、陸沿いでやって来たデーン人によるギリシア化した ドルイド教と言える、当然、異分子排除等も行なわれていたと考えられる |
BC1200年 | テッサリア人 エオリア人南下 |
ドルイド教ケルト人 | 植民地に於いて簡単に勢力を拡大したい、ということで故郷から配下のケルト人部族を召喚 単純だが、このおかげで現地人に対してアケーア人の発言力が増大、現地人の発言力は消滅した |
? | テーバイ建設 | エオリア人(ドルイド教ケルト人) | 背後にはアケーア人(ダナーン)がいた |
? | アルゴス建設 | 旧デーン人A3 | アケーア人にとっては重要な要塞であったが、海の民蹂躙後は不要となってしまう |
? | 「オリンポス12神崇拝」 | ブリテン系デーン人Aグループ | デーン人の諜報機関は細分化されており、充分な歴史もあった、彼らはそれぞれ ゼウス教、アポロン教、ポセイドン教など一神教の宗教を信仰していた、何処の土地で何の神が信仰されて いるかで、どのデーン人諜報機関が何処の土地を支配しているかがわかる仕組み |
? | 「シビュラの神託」 | ブリテン系デーン人Aグループ | 自分の意志を神の意志と称する方法はこの頃に海の民により、ギリシアに輸入されたと考えられる |
BC1200年頃 | トロイア戦争 | ブリテン系デーン人Aグループ 旧デーン人A3 |
海沿いでやってきた海の民が陸沿いでやってきたアケーア人と連合を組み ヒッタイト帝国等、アナトリアを制覇するための拠点としてトロイアを襲撃したと考えられる |
BC1150年 | ミケーネ文明崩壊 | ブリテン系デーン人Aグループ vs旧デーン人A3 |
海の民(ブリテン系デーン人)は本家デーン人と共闘したが、後に対立したのだろう アケーア人は海の民にあっさりと敗北したようだ |
? | アテネ建設 | ブリテン系デーン人A3 | ブリテン系デーン人勢力である海の民が本家デーン人勢力であるアケーア人勢力を駆逐し、 ギリシアを牽引し地中海に覇を唱えたアテネが成立する |
? | メガラ建設 | ブリテン系デーン人A3 | |
BC1100年 | ドーリス人南下 | 旧デーン人B | スカンジナビア系デーン人が海の民の行動に怒り、ドーリス人を派遣 ドーリス人の動きには、明らかにギリシアに於けるアケーア人敗退、ブリテン系デーン人の勝利 が反映されている、つまり、ドーリス人がスパルタを築いた目的は海の民からのギリシア奪還に他ならない |
BC1000〜 800年頃 |
暗黒時代 | ブリテン系デーン人Aグループ vs旧デーン人B |
この頃はブリテン系デーン人Aグループと本家デーン人Bグループの熾烈な戦闘、現生人類に対する 戦闘が繰り広げられていたと考えられる、その結果として後に諸ポリスが成立する |
BC10世紀頃 | スパルタ建設 「クリュプティア」発動 |
旧デーン人B1 | ドーリス人が建設、反アテネ(ブリテン系デーン人)勢力、アケーア人をペリオイコイという身分に落とし 他の現生人類の子孫をヘイロータイとして奴隷扱いをした また、ヘイロータイの反乱を防止するためにクリュプティアという異分子排除を慣行した |
BC10世紀頃 | リンドス建設 | 旧デーン人Bグループ | |
BC985年 | リビア人オソルコンが王に即位 | 旧デーン人B1 (スパルタ人) |
新デーン人が背後でケルト人を支配していたように旧デーン人B1も背後でリビア人を支配 エジプトに侵入させ、警察組織を作らせた上でリビア人警察に蜂起させ、エジプト人王朝を倒した 元来、デーン人とは表に出るよりも裏に隠れて間接支配を行なうことを心がけた人々であった |
BC950年 | 第22王朝、 リビア人によるサイス朝 |
旧デーン人B1 (スパルタ人) |
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BC9世紀 | コリントス建設 | 旧デーン人B2 | ドーリス人が建設、反アテネ(ブリテン系デーン人)勢力 後にアレクサンドル大王を操作、地中海、オリエント地方の覇者となる |
BC9世紀 | ポカイア建設 | 旧デーン人B3 | ドーリス人が建設、反アテネ(ブリテン系デーン人)勢力 |
? | クニドス建設 | 旧デーン人Bグループ | |
? | ハリカルナッソス建設 | 旧デーン人Bグループ | |
BC800年頃 | 諸ポリス郡乱立 | ブリテン系デーン人Aグループ 旧デーン人B |
アテネ系ポリス:アテネ、メガラ、クマエ(イタリア)、 |
BC8世紀 | ギリシア植民都市 | ブリテン系デーン人Aグループ 旧デーン人B1 vsブリテン系デーン人Bグループ |
ギリシアに於ける2つのデーン人勢力、アテネ人、スパルタ人、そしてカナアンを拠点とするもうひとつの デーン人勢力、フェニキア人が地中海、黒海で勢力を振るった |
BC8世紀 | カメイロス建設 | 旧デーン人B1 | |
BC8世紀 | 吟遊詩人ホメロス | ブリテン系デーン人Aグループ vs旧デーン人B1 |
スパルタ全盛の時代、アテネ人は誰がギリシアの支配者かを人民に知らしめるために諜報員、ホメロス を使い、トロイ戦争などの物語を語らせた、情報操作の祖か |
BC776年 | 古代オリンピック | 旧デーン人B1 | ドーリス人が建設したエーリスの都市オリンピアで古代オリンピックの第一回大会が開催 |
BC743年 | 第一メッセニア戦争 | 旧デーン人B1 vs旧デーン人A3 |
アケーア人が背後で支配していたピュロス王国をスパルタが侵攻、広大な領土を手中にし、 アケーア人が支配していた現生人類の末裔、ペラスゴイ人などはヘイロータイの身分に落とされたが ドーリス人と同じデーン人であるアケーア人はペリオイコイという中間的な身分に置かれた |
BC734年 | シュラクサ建設 (シチリア) |
旧デーン人B2 | コリントスのドーリス人が建設 反アテネ(ブリテン系デーン人)勢力 |
BC685年 | 第二メッセニア戦争 | 旧デーン人B1 vs旧デーン人A3 |
クリュプティアの目を掻い潜りアケーア人がヘイロータイと接触、反乱を企図した 彼らは、旧アケーア勢力であるアルゴス、アルカディアと同盟を結び、ドーリス人に対し蜂起した アケーア人の背後にはブリテン系デーン人Aグループが控えていた可能性もある |
BC654年 | アブデラ建設 | イオニア人 | ヘラクレスが作ったとされる、反アテネ(ブリテン系デーン人)勢力 |
BC632年 | キュロンの陰謀 | ブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人B2 |
メガラの僭主の娘を嫁にしていたキュロンは、アテネで僭主になろうとしてアクロポリスを占領したが ドルイド教らしき市民に取り囲まれ、兵糧攻めにあった そこで、何とか脱出し、アテネ神殿に駆け込み擁護を請うが、アルコーンであったメガクレスが助けると 約束しながら、裏切り、キュロン一味を皆殺しにしたという |
BC630年 | キュレネ建設 (リビア) |
ブリテン系デーン人Aグループ | ブリテン系デーン人Aグループがティラ島に住む現生人類を背後で操作しキュレネに派遣 |
BC621年 | ドラコンの立法 | ブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人B2 |
大多数の罪に死刑を摘要した、異端や異分子を速やかに排除する目的があったと考えられる つまり、何の罪もない異分子に罪を着せようという前提があった |
BC6世紀 | 「オルペウス教」 | 新デーン人 | 冥界から戻った吟遊詩人オルペウスが教祖と言われる、冥界とはドルイド教の聖地(欧州)では ないか、同じく冥界から戻ったといわれるディオニュソスもじつはドルイド教の修行に行き、 ドルイドの吟遊詩人としてギリシアに帰り、崇拝されるようになったと考えられる この頃、新デーン人が台頭してきた、つまり、オルペウスは新デーン人の手先だろう |
BC6世紀 | 「ピタゴラス教団」 | 新デーン人 vs旧デーン人A3 |
ギリシャやローマでは、新デーン人のスパイが多く潜入、奴隷を演じながら情報収集をしていた そのうちの一人がピタゴラスの下で働きながらドルイド教をゲタエ人に説いていたという ゲタエ人を反ギリシャ勢力として育成しようという新デーンの悪意を確認することができる ピタゴラスもオルペウスのように欧州に行き、ドルイド教の修行を積んだ後に帰郷、自分の 教団を作り、名声を得たのだろう、記録を残さなかった点もドルイドの影響か この頃、新デーン人が台頭してきた、つまり、ピタゴラスは新デーン人の手先だろう |
BC6世紀 | 反ピタゴラス派の反乱 | 新デーン人 vs旧デーン人A3 |
ピタゴラスはデーン勢力であったがピタゴラス自身や弟子たちがギリシアの支配中枢に 深く関与するようになり、力を付けた彼らが神官団、シビュラの巫女(デーン勢力)の指示に 背くことが多くなったのだろう、それが発端になり、彼の排除を企図していたデーン勢力は キュロンという若者をピタゴラスに弟子入りさせたがピタゴラスは拒否、これを口実に攻撃の 準備をしていた市民(デーン勢力)が蜂起、ピタゴラスは追放され、自分を賛美、支持して いた人々がいる地方に逃げ延びても冷たくあしらわれる、それがデーンによる異分子排除 を想起させるが、やがてどこに行っても無視され続けたピタゴラス一行は自滅する |
BC6世紀 | ペロポネソス同盟 | 旧デーン人B1 | スパルタを盟主として発起した同盟 |
BC6世紀 | エピダウロス建設 (クロアチア) |
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BC594年 | ソロンの改革 | ブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人B2 |
自分を自由だと思う者は逃亡しないし、反抗しない、戦わない、民主主義にはそういう面がある 権力者の責任をすべて弱者に押し付けるのだ、そしてその行為さえ正当化される また、人類平等という考えを根付かせることが出来ればバカを保護し、知性を淘汰する口実を得られるのだ また、当時は本家デーン人B2勢力が推し進める僭主制に対抗する目的があった |
BC590年 | ケルキラ建設 | イオニア人 | 反アテネ(ブリテン系デーン人)勢力 |
BC580年 | アポロニア建設 | 旧デーン人B1 イオニア人 |
反アテネ(ブリテン系デーン人)勢力 |
BC575年 | アンプリアス建設 | イオニア人 | 反アテネ(ブリテン系デーン人)勢力 |
BC560年 | ペイシストラトスが アテネの僭主に |
ブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人B2 |
ペイシストラトスは「棍棒持ち」という親衛隊を結成、これを使ってアテネの僭主となったが、すぐに 平野党、海岸党にアテネから追放された |
BC550年 | ペイシストラトスが 再度アテネの僭主に |
ブリテン系デーン人A1 vs旧デーン人B2 |
ペイシストラトスは陰謀を用いて返り咲いた、しかし、彼が嫁(妹)に冷たいという口実でメガクレスが 共同の敵と共にペイシストラトスを再度追放 |
BC540年 | ペイシストラトスが 三度アテネの僭主に |
ブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人B2 |
二度目に追放されたペイシストラトスはマケドニアに赴き、傭兵を雇い、10年後にマラトンに上陸、 迎え撃つアテネ軍を破って市内に進撃し、三度僭主になる ここで、僭主制は本家デーン人B2勢力(コリント)が背後にいたということがわかる |
BC538年 | ヴェーリア建設 (イタリア、カンパーニア州) |
イオニア人 | 哲学者ゼノンを輩出 |
BC510年 | アテネから僭主制追放 | ブリテン系デーン人A3 旧デーン人B1 vs旧デーン人B2 |
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BC500年代 | クレイステネスの改革 | ブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人B1 |
僭主制が打倒され、スパルタ軍が撤退すると貴族と平民の対立が表面化した、海岸党はエガクレスの子 クレイステネス(A1勢力)が率い、平野党はイサゴラス(本家デーン人B1勢力)が率いていた スパルタはイサゴラスとその仲間300人を中心とする寡頭政治を打ち立てようとしたが、民衆はこれに反撃 してスパルタ軍を追い出し、クレイステネスは仲間と共に民衆の指導者となった |
? | オストラキスモス制度 | ブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人B1 vs旧デーン人B2 vs旧デーン人A3 |
市民団が欲すれば毎年、いかなる市民をも10年間の国外追放に処することが出来た この場合も、口実は作られただろう、異分子を追放する意志ありきで作られた制度というわけだ |
BC506年 | 民主制アテネ成立 スパルタの介入 |
ブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人B1 |
スパルタはペロポネソス同盟を借り入れしアッティカに侵入したがアテネ軍と一戦を交えることもなく退却 |
BC500〜 479年 |
ペルシア戦争 | イラン系アーリア人 vsギリシア系デーン人連合 |
現生人類の急先鋒アーリア人がデーン人に一矢報いた |
BC5世紀 | アセノヴグラト建設 | トラキア人 | 現ブルガリア中部、トラキア人によって作られた |
BC5世紀 | アンティーブ建設 | アテネ系のギリシア人が発見し、フェニキア人が植民したガリアへの入り口 | |
BC477年 | デロス同盟 | ブリテン系デーン人Aグループ | |
BC465年 | アンフィポリス建設 | ブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人B |
アテネが植民市を建設し、10000人ほどが入植したがみなトラキア人(本家デーン勢力)に虐殺された |
BC464年 | 第三メッセニア戦争 | 旧デーン人B1 vs旧デーン人A3 vsブリテン系デーン人A3 |
地震に乗じ、アテネが介入し、再度、ヘイロータイがスパルタに対し蜂起した |
BC438年 | ボスポロス王国 (黒海北部) |
イオニア人 ブリテン系デーン人A3 |
紀元前7世紀頃からイオニアのミレトスから植民者が送り込まれて築かれた黒海北部で交易を行なった王国 後のハザール帝国の元型だろう |
BC431年 | ペロポネソス戦争 | 旧デーン人Bグループ 旧デーン人Aグループ vsブリテン系デーン人A3 vsペルシア帝国 |
この時にはギリシアの本家デーン勢力が連合し、アテネと敵対していた ペルシア帝国を味方につけたアテネが優勢だったが、アテネの勢いに懸念を示したペルシア帝国は スパルタ側につき、アテネを覇者の座から引き摺り下ろし、テーバイ、コリントスの本家デーン人連合、 特にスパルタがギリシアの覇者となった |
BC415年 | プロタゴラス不敬罪 | ブリテン系デーン人A3 vs知性 |
神々の存在を認めることが出来ないという彼の議論は愛国的なアテネ市民の訴訟提起を呼び起こした |
BC403年 | 民主派が30人僭主打倒 民主政復活 |
ブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人B2 |
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BC401年 | ギュムリ建設 (アルメニア) |
レーニンを輩出 | |
BC4世紀 | マケドニア王国攻勢 | 旧デーン人B2 (コリント人) |
スパルタとは別の本家デーン人B2(コリント人)勢力がマケドニアを影から主導した |
BC4世紀 | グレコ・バクトリア建設 (アフガニスタン) |
旧デーン人B2 | アフガニスタンのクンドゥズ州あたりにアレクサンドル大王の頃に作られた |
BC399年 | ソクラテス自殺 | ブリテン系デーン人A3 vs知性 |
文献に記録された中で最古の集団ストーカー被害者、ドルイド教の息がかかった シビュラの巫女たちに翻弄され、奴隷(ドルイド教徒)に監視され、ドルイド教女性と結婚した ためデーン人の悪意を宿した妻から精神的虐待を受ける、曰く「良妻を持てば幸福に なれるし悪妻を持てば哲学者になれる」 ソクラテスは死刑判決を受けたが自殺、結局、ギリシアは精神的にデーン人に支配されていた |
BC395年 | コリントス戦争 | 旧デーン人B1 vsブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人Aグループ vs旧デーン人B2 |
アテネ(ブリテン系デーン人A3)、テーバイ(旧デーン人A1)、アルゴス(旧デーン人A2)、 コリントス(旧デーン人B2)勢力vsスパルタ(旧デーン人B1)の戦いであった |
BC390年 | アンコーナ建設 (イタリア中西部) |
旧デーン人B2 | シュラクサのドーリス人が建設した植民市 |
BC371年 | スパルタ軍敗戦 | 旧デーン人B1 vsブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人Aグループ |
ブリテン系デーン人A3が背後にいると思しきテーバイに敗戦したスパルタはギリシアの覇権を失う |
BC356年 | マケドニア王国、 ギリシア干渉 |
旧デーン人B2(マ) vs旧デーン人B1 vs旧デーン人A3 vsブリテン系デーン人A3 |
マケドニア人を従えたコリント人の他のギリシア系デーン人に対する挑戦 コリント人はスパルタ人もだが、数十年前までは同盟を組んでいたアテネ人、テーバイ人をも攻撃した |
BC356年 | エフェソス建設 (トルコ西部) |
ブリテン系デーン人A3 | |
BC338年 | カイロネイアの戦争 | 旧デーン人B2(マ) vsブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人A3 |
スパルタ追撃の時には同盟を結んだマケドニアだが、アテネ・テーバイ(アケーア人)連合軍に勝利した |
BC336年 | アレクサンドロス大王、東征 | 旧デーン人B2(マ) vsイラン系アーリア人 |
コリント人諜報機関配下のアレクサンドル大王が東方に進撃 |
BC331年 | メガロポリスの戦い | 旧デーン人B2(マ) vs旧デーン人B1 |
反マケドニアの姿勢を貫きコリントス同盟に参加しなかったスパルタがマケドニアに対し反旗を翻すが 退けられる |
BC330年 | ペルシア帝国滅亡 | 旧デーン人B2(マ) vsイラン系アーリア人 |
コリント人は精鋭アレクサンドル大王を配下にペルシア帝国に侵攻、征服、オリエント地方に デーン人帝国を築く |
BC317年 | マウリア朝マガダ王国 | 旧デーン人B2(印) | コリント人諜報機関がインドに侵入、反体制勢力を援護・指揮、マウリア朝を建てる アレクサンドロス大王に行軍していた旧デーン人B2グループ(コリント系ドーリス人)が反体制派の 下層民を味方に付け、古来からのインド系デーン人に代わり、全インドを統一、新しく興した王朝 インド統一とは言え、南方は手付かずだったと言うが、古来から古代デーン人の勢力圏なのだろう |
BC305年 | セレウコス朝シリア | 旧デーン人B2(セ) | アレクサンドル大王死後、3つの王国に分裂した |
BC305年 | プトレマイオス朝エジプト | 旧デーン人B2(プ) | アレクサンドル大王死後、3つの王国に分裂した |
BC3世紀 | アゾフ建設 | ブリテン系デーン人A3 vsイオニア人 |
ボスポロス王国から来たイオニア人がドン河河口に植民都市を築いたがボスポロス王に焼かれた このイオニア人は旧イオニア人でありアケーア人勢力であっただろう |
BC294年 | アンチゴノス朝マケドニア アテネ占領 |
旧デーン人B2(マ) vsブリテン系デーン人A3 |
アレクサンドル大王死後、3つの王国に分裂した |
BC281年 | ポントス王国 (黒海南部) |
ブリテン系デーン人A3 | 第三次奴隷戦争を指揮するブリテン系デーン人A勢力の諜報員の精鋭スパルタクスを輩出 |
BC277年 | アンチゴノス朝マケドニア ケルト人撃破 |
旧デーン人B2(マ) vs新デーン人 |
ヴァイキングの祖、新デーン人が本格的な攻撃開始、この時は旧デーン人勢力であるコリント人に敗北 |
BC267年 | クレモニデス戦争 | ブリテン系デーン人A3 旧デーン人B2(プ) vs旧デーン人B2(マ) |
アテネがプトレマイオス朝エジプトと結び、マケドニアと戦う |
BC258年 | アンチゴノス朝マケドニア プトレマイオスを破る |
旧デーン人B2(マ) vs旧デーン人B2(プ) |
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BC256年 | グレコ・バクトリア王国 | 旧デーン人B2(セ) vs旧デーン人B2(バ) |
セレウコス朝(旧デーン人B2)に蜂起し、独立したコリント系ギリシア人(旧デーン人B2)国家 |
BC221年 | セラシアの戦闘 | 旧デーン人B2(マ) vs旧デーン人B1 |
アンチゴノス、スパルタ王クレオメネス3世を破る |
BC220年 | ギリシア同盟戦争 | ブリテン系デーン人A3 vs旧デーン人B2(マ) vs旧デーン人A3 |
マケドニアがアケーア同盟を援助し、エトリア同盟と戦う、多分、エトリアの裏にはローマがいた つまり、マケドニアvsローマの戦いだった、5年後のマケドニア戦争の発端なのだ |
BC215年 | 第一次マケドニア戦争 | ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人B1 vs旧デーン人B2(マ) |
ローマ、カルタゴと交戦、ハンニバルがマケドニアのフィリップ、シュラクサのヒエロニモスと同盟 |
BC197年 | キノスケファレの戦闘 | ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2(マ) |
マケドニア大敗、コリント人(旧デーン人B2勢力)の栄光、地に堕つ |
BC192年 | マグネシアの戦闘 | ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2(マ) |
ギリシア諸連邦がローマに協力、シリア、小アジアの地を失う |
BC168年 | ピドナの戦闘 | ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2(マ) |
マケドニア滅亡、コリント人(旧デーン人B2勢力)の栄光、地に堕つ |
BC146年 | ローマ、コリント市破壊 マケドニア、属州となる |
ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2 |
ローマがマケドニアの本拠地、コリント市を破壊、ギリシア、マケドニアがローマの属州となる ブリテン系デーン人Aグループの勝利、旧デーン人グループ、地中海覇権敗退 コリント人(旧デーン人B2勢力)の栄光、地に堕つ、この時、コリントスの中枢はアルメニアに移転 その後、キエフに移転し、ロシア帝国の祖となる |