古代ローマの起源 アテネ人と地中海覇権
ギリシア系デーン人大戦争
◆デーン人基本仮名称◆
3万年前〜BC5000年期 古代デーン人(ZZ系デーン人)
BC5000年〜BC3000年期 大航海時代古代デーン人(ZY系デーン人)
BC2000年〜BC500年期 旧デーン人(YZ系デーン人)
BC1300年〜 第二大航海時代ブリテン系旧デーン人(YY系デーン人)
BC500年〜 スカンジナビア系新デーン人(XZ系デーン人)
AD700年〜 第三大航海時代 ブリテン系新デーン人・ヴァイキング(XY系デーン人)
AD900年〜 ノルマン人(XX系デーン人)
◆古代デーン人◆
第一次大航海時代(北極海ルート)
バルト海・ジーラント・スカンジナビア半島東岸(古代デーン人Z1/旧デーン人の先祖)
スカンジナビア半島西岸北岸・古代フィンランド・古代ロシア地方(古代デーン人Z2)=サーミ人、フィン人、スラブ人
シベリア(古代デーン人Z3)=エヴェンキ族、ブリヤート族、モヨロ人
第二次大航海時代(大西洋ルート)
ブリテン島・アイルランド島(古代デーン人Y1/海の民の先祖)
古代フリース地方(古代デーン人Y2a)
古代バスク地方(古代デーン人Y2b)
古代ルシタニア地方(古代デーン人Y2c)
カナリア諸島(古代デーン人Y3)
第三次大航海時代(大西洋・地中海・紅海・ペルシア湾・インド洋・太平洋ルート)
エーゲ海(古代デーン人Aグループ)=地中海・サルディーニャ島・クレタ文明・ヌビア地方・バンツー族
エジプト(古代デーン人Bグループ/地中海ルート)=サハラ帝国・エジプト王朝・テーベ神官国家
アフリカ(古代デーン人Bグループ/アフリカ就航ルート)=紅海・プント王国・エチオピア帝国・アラビア半島・ベドウィン族
メソポタミア/シュメール人・ヘブライ人(古代デーン人Cグループ)=ペルシア湾・ウバイド人
インド・東南アジア(古代デーン人Dグループ)=カッチ・ハラッパー・マレー半島・セレベス島
東アジア(古代デーン人Eグループ)=日本東北地方・沖縄・朝鮮半島
南北アメリカ(古代デーン人Fグループ)=南北アメリカ大陸
古代デーン人A(サルディーニャ人、シチリア人、クレタ人、ロードス島、キプロス島、キクラデス諸島、ヌビア人)
古代デーン人B(B1/エジプト王朝、テーベ、B2/ベドウィン・プント王国・エチオピア帝国)
古代デーン人C1(シュメール神官団A/ヘブライ人)=(ユダ王国/C1a、イスラエル王国/C1b、ヒッタイト帝国)
古代デーン人C2(シュメール神官団B)=(カッシート人/C2a、アッシリア帝国/C2b)
古代デーン人D(ダーサ人、パニ人、カッチ人、チャンダーラ、デミアル人、ワナ人、ポリネシア人)
古代デーン人E(東北・北海道縄文人、蝦夷・アイヌの先祖)
古代デーン人F(ディネ族/ナバホ族・アパッチ族、イサパ文明、アパラチー族他)
※古代デーン人はピクト人として故国に帰還、新デーン人と対立し、敗北、配下となる
◆旧デーン人◆
旧デーン人がメソポタミアに派遣した支配下勢力第一波(旧デーン人A1/旧アラム人、アッカド人)
第二波(旧デーン人A2/アモリ人「バビロニア帝国」、フルリ人「ミタンニ王国」)
旧デーン人がギリシアに派遣した勢力第一波(イオニア人、アケーア人/旧デーン人A3)
第二波(テッサリア人、エオリア人)
第三波(ドーリス人/旧デーン人B)
・アケーア系デーン人(Aグループ)勢力圏=(テーベ市、アルゴス市/ギリシア、サムニテ王国、カンパニア王国/イタリア南部)
※ギリシア系旧デーン人Bグループ(B1/スパルタ、B2/コリント、B3/ポカイア)
・スパルタ系デーン人(B1)勢力圏=(スパルタ市、クレタ島、ロードス島、リビア、サイス朝エジプト王国)
*コリント系デーン人(B2)の派閥*
コリント・シュラクサ(旧デーン人B2a)
アンチゴノス朝マケドニア(旧デーン人B2b)
セレウコス朝シリア(旧デーン人B2c)
プトレマイオス朝エジプト(旧デーン人B2d)
マウリア朝マガダ(旧デーン人B2e)
※コリント人中枢移転先(アルメニア王国、キエフ公国、ロシア帝国)
旧デーン人がエジプトに派遣した支配下勢力(ヒクソス/旧デーン人C1)
旧デーン人が東アジアに差し向けた勢力(旧デーン人C2/殷を建設、その後滅亡)
旧デーン人がアーリア人に差し向けた勢力(キンメリア人/D1、スキタイ人/D2)
旧デーン人支配下の中央アジア勢力:エナレエス(占い師)、アラン人、マゴス神官団
◆ブリテン系デーン人(旧デーン人)◆
ギリシア(ブリテン系デーン人Aグループ)
シリア・メソポタミア(ブリテン系デーン人Bグループ)
エジプト(ブリテン系デーン人Cグループ)
アフリカ(ブリテン系デーン人Dグループ)
インド・東南アジア(ブリテン系デーン人Eグループ)
東アジア(ブリテン系デーン人Fグループ)
太平洋ポリネシア・大西洋岸南北アメリカ(ブリテン系デーン人Gグループ)
ブリテン系デーン人A=(A1/エトルリア人、A2/ローマ帝国、A3/アテネ市、ビザンツ帝国、突厥帝国、ヴェネツィア共和国、ハザール帝国)
※古代アテネ人勢力圏(キリキア、マッシリア、コルシカ島、サルディーニャ北部、シチリア東部、ポントス王国、ボスポロス王国)
※西ローマ帝国の中枢移転先(モラヴィア王国、ノヴゴロド公国、ポーランド王国、ハプスブルグ家)
※ビザンツ帝国の中枢移転先(突厥帝国、ハザール帝国、ウイグル汗国、ハンガリー王国、ヴェネツィア共和国、モスクワ公国)
※ハザール帝国の中枢移転先(リトアニア公国、アシュケナージ)
ブリテン系デーン人B=(B1/フェニキア人・ペリシテ人・ダン族、B2/新アラム人、B3/新ヒッタイト人)
ブリテン系デーン人C=(C1/エジプト王朝、C2/テーベ・アメン神官団)
ブリテン系デーン人D=(ヨルバ人、マダガスカル島)
ブリテン系デーン人E=(セイロン島、インド南部)
ブリテン系デーン人F1=(F1aA/ミャオ族、楚、太平道、黄巾族、呉、南詔、大理国、白蓮教、F1aB/華僑、F1b/邪馬台国、倭寇)
ブリテン系デーン人F2=(F2aA/皇族、F2aB1/奥州藤原氏・全真教、F2aB2/藤原氏、F2bA/関西平氏、F2bB/関東平氏、
F2cA/粛慎・渤海、女真人・満州人、F2cB/モンゴル人、F2cB1/タタール人、F2cB2/オイラート人、F2d/高句麗・高麗人)
ブリテン系デーン人G=(ポリネシア人/タアネ神、オルメカ人/ユカタン半島)
◆新デーン人◆
新デーン人A1a/スカンジナビア系デーン人(ケルト人、ドルイド教ローマ人奴隷、ダキア人)、新デーン人A1b(キンブリ人、テウトニ人)
新デーン人A2/中央アジア系デーン人(A2a/エフタル・ヒョーン人、マッサゲタイ人、パルティア人、A2b/チャガタイ汗国、オゴタイ汗国、チムール帝国)
新デーン人A3/東アジア系デーン人=匈奴(A3a)、フン族(A3b)、鮮卑(A3c)、柔然(B)、吐藩(C1)、唐/天台宗(C2)、契丹/遼(D1)、西夏(D2)
新デーン人A4/アルバ系デーン人(スコットランド・アイルランド系カトリック・アイオナ修道院、ティオティワカン帝国)
新デーン人B1/ゴート人(西ゴート王国)
新デーン人B2/フランク人(フランク王国、ノーサンブリア王国、イースト・アングリア王国、マーシア王国、
エセックス王国、ウェセックス王国、サセックス王国、神聖ローマ帝国、エデッサ王国、エルサレム王国)
新デーン人B3/ロンバルディア人(北イタリア地方、ラテン帝国、ジェノヴァ共和国)
新デーン人A1a/デーンロー系デーン人(ジュート王国・カンタベリー大司教座・デーンロー)
新デーン人A1c/スウェード人(バルト三国、キエフ公国、ロシア、ウクライナ)
新デーン人A1d/ノルウェー人(アイスランド共和国、グリーンランド、トルテカ人)
新デーン人A5/デンマーク人(デンマーク王国・カルマル同盟)
ノルマン人A1/フランス系ノルマン人(ノルマンディー公国、フランス王国、外ヨルダン領、ゼンギ朝シリア、カスティーリャ王国、レオン王国、スイス連邦)
ノルマン人A2/イングランド系ノルマン人+新デーン人A1aA(ノルマン朝、ピサ共和国、ナバラ王国、アラゴン王国)
ノルマン人A3/イタリア系ノルマン人(シチリア・ナポリ王国、アンチオキア王国、トリポリ王国、ラテン帝国)
新デーン人A1aB/反逆派、後にルター派を創設(アルモラヴィド帝国、アルモハード帝国、モロッコ王国、ガーナ王国、ブルガリア帝国)
年代 |
出来事 | 勢力 | 内実 |
---|---|---|---|
BC1200年〜 | 海の民、ブリテン島を出発 海の民、エトルリアに入植 海の民、古代ローマに入植 |
ブリテン系デーン人 | 後に、ブリテン系デーン人Aグループが旧デーン人グループを退け、地中海覇権を手中にする |
BC1200年頃 | 海の民、オリエント地方に侵入 | ブリテン系デーン人 | ブリテン島を出発したブリテン系デーン人連合は先発隊の本家デーン人と合流し、アナトリアを 征圧するためにトロイア戦争を敢行、ヒッタイト帝国を滅亡させた |
BC1150年 | 海の民、ミケーネ文明を破壊 | ブリテン系デーン人 vs旧デーン人A3 |
海の民はアケーア人(ミケーネ人)を裏切り、ミケーネ文明を破壊、アテネ市を築き、地中海に覇を唱える |
? | アテネ市建設 | ブリテン系デーン人A3 | ブリテン系デーン人勢力である海の民が本家デーン人勢力であるアケーア人勢力を駆逐し、 ギリシアを牽引し地中海に覇を唱えたアテネが成立する |
BC1100年頃 | エトルリア文化 | ブリテン系デーン人A1 | アナトリア、ギリシアに向かう途中でオリエントに於ける勢力圏として確保 |
BC753年 | ローマ建国 | ブリテン系デーン人A2 | トロイヤ戦争、ヒッタイト帝国、シリア、ミケーネ文明を破壊したブリテン系デーン人Aグループの血統が 建国、ブリテン系デーン人A3グループがアテネ、A1がエトルリアを取ったのでA2グループは オリエントに於ける勢力圏として古代ローマ市を選択 |
8世紀 | アケーア人、イタリア、シチリアに 植民都市建設 |
旧デーン人A3グループ | ギリシアは、単にオリエントに覇権を唱えるためにデーン人が築いた一時拠点というところか |
8世紀 | アテネ人、マッシリア、シチリア アナトリアに植民都市建設 |
ブリテン系デーン人A1 | ギリシアは、単にオリエントに覇権を唱えるためにデーン人が築いた一時拠点というところか |
8世紀 | ドーリス人、クレタ島、リビア に植民都市建設 |
旧デーン人Bグループ | ギリシアは、単にオリエントに覇権を唱えるためにデーン人が築いた一時拠点というところか |
8世紀 | フェニキア人、北アフリカ イベリアに植民都市建設 |
ブリテン系デーン人B1 | フェニキア、カルタゴは、単にオリエントに覇権を唱えるためにデーン人が築いた一時拠点というところか 上記のギリシア植民都市とフェニキアの植民都市を併せると丁度、 後年のローマ帝国の範図と重なる点が興味深い |
BC534年 | アラリアの海戦 | ブリテン系デーン人A3 vsブリテン系デーン人A1 |
エトルリア(ブリテン系デーン人A1)がギリシア(ブリテン系デーン人A3)に勝利し、コルシカ島を占拠 ブリテン系デーン人Aグループ内の勢力争い |
BC509年 | ローマ、共和政治開始 | ブリテン系デーン人A1 vsブリテン系デーン人A2 |
アテネに民主主義を導入したブリテン系デーン人A1がA2に対抗してローマに共和制を築き、 A2勢力を排除した |
BC6世紀 | エトルリア、カルタゴと同盟 | ブリテン系デーン人A1 ブリテン系デーン人B vs旧デーン人A |
カルタゴを築いたフェニキア人の背後にはブリテン系デーン人Bグループがいたが、エトルリアの背後にいる 同族、ブリテン系デーン人Aグループ(アテネ人)が連携 |
BC397年 | 聖なる移住(ウェル・サクルム) | 新デーン人 vsブリテン系デーン人A2 |
ローマ人の台頭に懸念を示した新デーン人はドルイド教ケルト人を使い、ローマに侵攻させた 「聖なる移住」はもちろん侵攻の口実である |
BC396年 | ローマ、ヴェイイ占領 (エトルリア衰退の初め) |
ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人A1 |
ブリテン系デーン人Aグループ内の反乱をA2が征圧した |
BC390年 | ガリア人、ローマ侵攻 | 新デーン人 vsブリテン系デーン人A2 |
「分家ごときの分際で」ということでローマ(ブリテン系デーン人A2)に対し、スカンジナビアの本家デーン人が 支配下のドルイド教ケルト人軍団(ガリア人)を出陣させる |
BC354年 | ローマ・サムニテ同盟 | 旧デーン人A ブリテン系デーン人A2 |
ローマの背後にいたブリテン系デーン人A2が南イタリアを制覇していたアケーア人 (本家デーン人Aグループ)と同盟を結ぶ |
BC343〜 341年 |
第一サムニテ戦争 | 旧デーン人A vsブリテン系デーン人A2 |
ローマの背後にいたブリテン系デーン人A2がサムニテ人を支配していたアケーア人 (本家デーン人Aグループ)と対立 |
BC336年 | カンパニア征服 | 旧デーン人A3 vsブリテン系デーン人A2 |
ローマの背後にいたブリテン系デーン人A2がカンパニアを支配していたアケーア人 (本家デーン人Aグループ)と対立勝利を勝ち取る |
BC335年 | ケルト人、 アレキサンダー大王に謁見 |
新デーン人 vs旧デーン人B2グループ |
|
BC326〜 304年 |
第二サムニテ戦争 | 旧デーン人A3 vsブリテン系デーン人A2 |
ローマの背後にいたブリテン系デーン人A2がサムニテ人を支配していたアケーア人 (本家デーン人Aグループ)と対立 |
BC317年 | シラクサvsカルタゴ戦争 | 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人B |
本家デーン人B2勢力(コリント)が背後にいるシラクサの僭主アガトクレスが全シチリア制覇を企て、 ブリテン系デーン人Bが背後にいるカルタゴと戦闘を交える |
BC312年 | エトルリア諸市と交戦 | ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人A1 |
ブリテン系デーン人Aグループ内の勢力争い |
BC298〜 290年 |
第三サムニテ戦争 | 旧デーン人A3 vsブリテン系デーン人A2 |
ローマの背後にいたブリテン系デーン人A2がサムニテ人を支配していたアケーア人 (本家デーン人A3グループ)と対立 |
BC280年 | ヘラクレアの戦闘 | ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人A3 vs旧デーン人B1 |
スパルタ人(本家デーン人B1)が背後にいたタレントゥム国がテーベ人(本家デーン人A3)が背後にいた ヘラクレアのピュロス王に援軍を要請、ピュロスはローマ軍と戦い、辛くも勝利した |
BC279年 | デルポイの戦闘 | 新デーン人 vs旧デーン人B2グループ |
新デーン人勢力であるケルト人は大いに掠奪し、財宝を持ち帰ったが、トラキアに残った別の部隊は BC277年にマケドニア王(旧デーン人B2グループ)ゴナタスに征伐された |
BC272年 | タレントゥム占領 ローマ、イタリア半島を統一 |
ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人A3 vs旧デーン人B1 |
本家デーン人連合とブリテン系デーン人Aグループのイタリアに於ける全面戦争だったと考えるコトが出来る |
BC264年 | 第一ポエニ戦争 | ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人B1 |
ギリシア時代から永年の因縁だった本家デーン人勢力に勝利した後、オリエントに覇を唱える邪魔者は 同族であるブリテン系デーン人Bが背後にいるフェニキア人勢力(カルタゴ)であった |
BC229〜 228年 |
第一イリリア戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B1 |
ローマは、スパルタ系ドーリス人(本家デーン人B1)が背後にいるイリリアに戦闘を仕掛けた |
BC225年 | テラモンの戦闘 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
スカンジナビアの本家デーン人がガリア人(ドルイド教ケルト人)をローマに蹂躙させたが敗北した ガリア人敗れる、つまり、デーン人のローマ攻略の夢は一時潰えることになる、彼らは ここで一旦ケルト人を主力とした戦力に見切りをつけ、ローマの奴隷(ドルイド教徒)、 新規の戦力としてゲルマン人を使うことにする、この後、デーン人は100年間沈黙を 決め込むが、その間、綿密な計画を練りシミュレーションを行い、指揮系統を築き上げていたと考えられる |
BC220〜 130年頃 |
ダーナ神族侵攻 | 新デーン人 vs旧ブリテン系デーン人 |
この頃、ローマを蹂躙する準備に追われていたが、対ローマの一環としてローマに奪われる 前に、と伝説の王ヌアザを首領にデーン人の正規軍がブリテン島、アイルランドに遠征 していたと考えられる、DANEは英語読みではデーンとなるが、フランス語ではダーヌ、 ダーン、ラテン語ではダーネとなる、それがアイルランドではダーナとなったというところだろう |
BC220〜 130年頃 |
第一次マー・トゥーレスの戦闘 | 新デーン人 vs旧ブリテン系デーン人 |
ダーナ神族が先住民フォモール族と同盟を締結、フォルボルグ族に勝利 デーン人はドルイド教で5000年以上前からブリテン島、アイルランドのケルト人を支配 していたが、デーン人がローマとの決戦に備えじきじきに手綱を引きなおしにやってきたということか |
BC220〜 130年頃 |
第二次マー・トゥーレスの戦闘 | 新デーン人 vs旧ブリテン系デーン人 |
同盟者であったフォモール族と対立するようになり、ヌアザは王位をルーに譲り、フォモール族 と戦闘を開始、勝利を収める、こうして見ると反対勢力がたくさん育っていたということか |
BC220〜 130年頃 |
ミレー族(ルシタニア人)到来 | 新デーン人 vs旧ブリテン系デーン人 |
ブリテン島が新デーン人に蹂躙されたことを知ったブリテン系デーン人、特にフェニキア人(Bグループ)が ブリテン島に赴き、ダーナ神族と戦火を交えたのではないか その結果、ダーナ神族はアイルランドを捨ててスコットランドに移った |
BC220〜 130年頃 |
影の国(アルバ) | 新デーン人 | アルバ(スコットランド)にあるとされる影の国、それはデーン人の要塞ではなかったか そこには伝説の女戦士スカサバがおり、後継者の戦闘要員を教育していたという ローマ攻撃を見据え、デーン正規軍出撃の準備、指揮官の養成をしていたと考えられる |
BC219年 | 第二イリリア戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B1 |
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BC218〜 201年 |
第二ポエニ戦争 | ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人B1 vs新デーン人 |
ブリテン系デーン人B1が背後にいるカルタゴ(ハンニバル)がガリア人 (スカンジナビア系デーン人)と組んだ戦争 |
BC215〜 205年 |
第一マケドニア戦争 | ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人B1 vs旧デーン人B2 |
ブリテン系デーン人Bグループ(フェニキア人ハンニバル)がシラクサ、マケドニア (本家デーン人B2勢力)と同盟を結ぶ |
BC214年 | シチリア戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2 |
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BC212年 | ローマ、ギリシア同盟 | ブリテン系デーン人A2 旧デーン人Aグループ 旧デーン人Bグループ vs旧デーン人B2 |
ローマがマケドニア(本家デーン人B2)に対抗し、エトリア(本家デーン人A)、スパルタ(本家デーン人B1)、 アテネ、メッセニア(本家デーン人Bグループ)と結ぶ |
BC202年 | ザマの決戦 | ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人B1 |
スキピオ、ハンニバルを破る |
BC200〜 197年 |
第二マケドニア戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2 |
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BC192年 | ローマvsアンチオコス朝シリア | ブリテン系デーン人A2 旧デーン人Aグループ 旧デーン人B1 vs旧デーン人B2 |
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? | 「アタルガティス教」 | 旧デーン人B2グループ vsブリテン系デーン人A2 |
シリアの女神を信仰する宗教だが、ドルイド教の息がかかっており、デーン勢力として信徒のひとり、 エウヌスがシチリアにて奴隷の反乱を扇動することになる、彼は女神の名の下に神託や予言を 行なったが、女神は彼を王と宣言したという、デーンは自分の意志を神の意志と称するわけで、 シチリア奴隷戦争はブリテン系デーン人A1aに対するデーン人B2グループの蜂起だった |
BC186年 | エトルリア都市国家郡 「ディオニソス崇拝」弾圧 |
ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人A1 |
ブリテン系デーン人A2がブリテン系デーン人A1の動きを封じるために弾圧したのだろう |
BC171〜 168年 |
第三マケドニア戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2 |
マケドニア滅亡、BC149年に再度ローマに対し蜂起するが完全に征圧され、ローマの属州となった |
BC157年 | ルシタニア首長ヴィリヤツスの 対ローマ解放運動 |
ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 vsブリテン系デーン人B |
ルシタニアの背後にはブリテン系デーン人Bがいたが、スカンジナビアの本家デーン人が ドルイド教ケルト人などと連携させ、援護していた可能性がある |
BC146年 | カルタゴ市破壊 コリント市破壊 |
ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人B |
ローマの背後にいたブリテン系デーン人A1aはマケドニアの背後にコリント人(本家デーン人B2) がいることを知っていたそのためにコリント市を破壊する必要があった 同じくフェニキア人(ブリテン系デーン人B)の本拠地となっていたカルタゴ市も破壊する必要があった |
BC143年 | ルシタニア戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
本家や先祖のことも忘れて全て自分で作りあげた顔をしているローマ(ブリテン系デーン人Aグループ)に目に ものを見せようと、スカンジナビアの新デーン人はドルイド教を駆使し、ローマの滅亡を画策するようになる |
BC135年 | 第一次シチリア奴隷戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
ドルイド教の奴隷を使った新デーン人によるローマ侵略の一環 |
BC113年 | キンブリ人、テウトニ人侵入 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
初期ゲルマン人(デーン人の分家)を使った新デーン人によるローマ侵略の一環 |
BC105年 | アラウジオの惨劇 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
初期ゲルマン人(デーン人の分家)を使った新デーン人によるローマ侵略の一環 |
BC103年 | 第二次シチリア奴隷戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
ドルイド教の奴隷を使った新デーン人によるローマ侵略の一環 |
BC102年 | アクェセクスティエの戦闘 ヴェルケレの戦闘 |
ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
ローマ軍、キンブリ人、テウトニ人を全滅させる |
BC91〜 88年 |
同盟都市(ソキイ)戦争 | ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人A1 vs新デーン人 |
団結したエトルリア人(ブリテン系デーン人A1e)に蜂起され、危険回避のためにローマ人 (ブリテン系デーン人A1a)は譲歩、エトルリア人がローマ市民権を獲得、しかしローマでは マリウス派(民衆派、つまりデーン勢力)とスラ派(閥族派)が対立する血みどろの権力闘争を繰り広げた、 その中、エトルリア人は当然のようにマリウス派に参加した |
BC88年 | 第一次ミトリダテス戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs反逆A2グループ |
旧ブリテン系デーン人Aグループの旧植民都市(ポントス王国)が蜂起 背後には新デーン人の援助の可能性もある |
BC83年 | 第二次ミトリダテス戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs反逆A2グループ |
旧ブリテン系デーン人Aグループの旧植民都市(ポントス王国)が蜂起 背後には新デーン人の援助の可能性もある |
BC74年〜 | 第三次ミトリダテス戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs反逆A2グループ |
旧ブリテン系デーン人Aグループの旧植民都市(ポントス王国)が蜂起 背後には新デーン人の援助の可能性もある |
BC71〜 | スパルタクスの大乱 (第三次奴隷戦争) |
ブリテン系デーン人A2 vs反逆A2グループ vs新デーン人 |
あきらかにポントス王国の件にからんでいる、ドルイド教徒の奴隷、キンブリ人の残党などを合流させ 反逆A1グループを本家デーン人が影から支援している |
BC67年 | 地中海全域の海賊を討伐 キリキア併合 |
ブリテン系デーン人A2 vs反逆A2グループ |
旧ブリテン系デーン人Aグループの植民都市が蜂起 |
BC58〜 51年 |
ガリア戦争 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
カエサルはギリシア系デーン人に支配されている自覚はなかったと思うが神託はギリシア系デーン人 の意志なので、自覚無しに支配されていた可能性がある |
BC44年 | カエサル暗殺 | ブリテン系デーン人A2 vsユリウス・カエサル |
カエサルはローマがギリシア系デーン人の国であることを自覚していなかった、そして 自分の考え通りに、神託を無視したりしてローマを運営しようとしていたために暗殺された |
BC32年 | ローマ元老院、 クレオパトラに宣戦 |
ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2 |
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BC31年 | アクチウム沖海戦 | ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2 |
コリントが背後にいたマケドニアが残した3つの帝国の内の最後の砦、エジプトを手に入れた ブリテン系デーン人Aグループは目出度く、オリエント地方の覇者となった |