ブリテン系デーン人A2の帝国 T
ローマ帝国/古代デーン人の末裔〜ユダヤ人の帝国「キリスト教」
◆デーン人基本仮名称◆
3万年前〜BC5000年期 古代デーン人(ZZ系デーン人)
BC5000年〜BC3000年期 大航海時代古代デーン人(ZY系デーン人)
BC2000年〜BC500年期 旧デーン人(YZ系デーン人)
BC1300年〜 第二大航海時代ブリテン系旧デーン人(YY系デーン人)
BC500年〜 スカンジナビア系新デーン人(XZ系デーン人)
AD700年〜 第三大航海時代 ブリテン系新デーン人・ヴァイキング(XY系デーン人)
AD900年〜 ノルマン人(XX系デーン人)
◆古代デーン人◆
第一次大航海時代(北極海ルート)
バルト海・ジーラント・スカンジナビア半島東岸(古代デーン人Z1/旧デーン人の先祖)
スカンジナビア半島西岸北岸・古代フィンランド・古代ロシア地方(古代デーン人Z2)=サーミ人、フィン人、スラブ人
シベリア(古代デーン人Z3)=エヴェンキ族、ブリヤート族、モヨロ人
第二次大航海時代(大西洋ルート)
ブリテン島・アイルランド島(古代デーン人Y1/海の民の先祖)
古代フリース地方(古代デーン人Y2a)
古代バスク地方(古代デーン人Y2b)
古代ルシタニア地方(古代デーン人Y2c)
カナリア諸島(古代デーン人Y3)
第三次大航海時代(大西洋・地中海・紅海・ペルシア湾・インド洋・太平洋ルート)
エーゲ海(古代デーン人Aグループ)=地中海・サルディーニャ島・クレタ文明・ヌビア地方・バンツー族
エジプト(古代デーン人Bグループ/地中海ルート)=サハラ帝国・エジプト王朝・テーベ神官国家
アフリカ(古代デーン人Bグループ/アフリカ就航・紅海ルート)=紅海・プント王国・エチオピア帝国・アラビア半島・ベドウィン族
メソポタミア/シュメール人・ヘブライ人(古代デーン人Cグループ/紅海ルート)=ペルシア湾・ウバイド人
インド・東南アジア(古代デーン人Dグループ)=カッチ・ハラッパー・マレー半島・セレベス島
東アジア(古代デーン人Eグループ)=日本東北地方・沖縄・朝鮮半島
南北アメリカ(古代デーン人Fグループ)=南北アメリカ大陸
古代デーン人A(サルディーニャ人、シチリア人、クレタ人、ロードス島、キプロス島、キクラデス諸島、ヌビア人)
古代デーン人B(B1/エジプト王朝、テーベ、B2/ベドウィン・プント王国・エチオピア帝国)
古代デーン人C1(シュメール神官団A/ヘブライ人)=(ユダ王国/C1a、イスラエル王国/C1b、ヒッタイト帝国)
古代デーン人C2(シュメール神官団B)=(カッシート人/C2a、アッシリア帝国/C2b)
古代デーン人C3(アラム人またはエラム人/アフリカ周航ルート)
古代デーン人D(ダーサ人、パニ人、カッチ人、チャンダーラ、デミアル人、ワナ人、タアネ神/ポリネシア人)
古代デーン人E(東北・北海道縄文人、蝦夷・アイヌの先祖)
古代デーン人F(ディネ族/ナバホ族・アパッチ族、イサパ文明、アパラチー族他)
※古代デーン人はピクト人として故国に帰還、新デーン人と対立し、敗北、配下となる
◆旧デーン人◆
・旧デーン人Aグループ・
メソポタミア侵攻第一波(旧デーン人A1/旧アラム人、アッカド人)
第二波(旧デーン人A1/アムル人「バビロニア帝国」、フルリ人「ミタンニ王国」)
シルクロード侵攻第一波(バクトリア・マルギアナ文明、大月氏/旧デーン人A2)
ギリシア侵攻第一波(イオニア人/ケルト人、アケーア人/旧デーン人A3)
第二波(テッサリア人、エオリア人/ケルト人)
エジプト侵攻第一波(ヒクソス人/旧デーン人A4)
・旧デーン人Bグループ・
ギリシア侵攻第三波(ドーリス人/旧デーン人B)
ドーリス人の第一後裔、スパルタ人(旧デーン人B1)
ドーリス人の第二後裔、コリントス人(旧デーン人B2)
シルクロード侵攻第二波(キンメリア人、スキタイ人、サカ人/旧デーン人B3)
・アケーア系デーン人(Aグループ)勢力圏=(テーベ市、アルゴス市/ギリシア、サムニテ王国、カンパニア王国/イタリア南部)
・スパルタ系デーン人(B1)勢力圏=(スパルタ市、クレタ島、ロードス島、リビア、サイス朝エジプト王国)
*コリントス系デーン人(B2)の派閥*
コリントス市・シュラクサ(旧デーン人B2a)
アンチゴノス朝マケドニア(旧デーン人B2b)
セレウコス朝シリア(旧デーン人B2c)
プトレマイオス朝エジプト(旧デーン人B2d)
マウリア朝マガダ(旧デーン人B2e)
※コリントス人中枢移転先(アルメニア王国、キエフ公国、ロシア帝国)
◆ブリテン系デーン人(旧デーン人)◆
ギリシア(ブリテン系デーン人Aグループ)
シリア・メソポタミア(ブリテン系デーン人Bグループ)
エジプト(ブリテン系デーン人Cグループ)
アフリカ(ブリテン系デーン人Dグループ)
インド・東南アジア(ブリテン系デーン人Eグループ)
東アジア(ブリテン系デーン人Fグループ)
大西洋岸南北アメリカ(ブリテン系デーン人Gグループ)
ブリテン系デーン人A=(A1/エトルリア人、A2/ローマ帝国、A3/アテネ市、ビザンツ帝国、突厥帝国、ヴェネツィア共和国、ハザール帝国)
※古代アテネ人勢力圏(キリキア、マッシリア、コルシカ島、サルディーニャ北部、シチリア東部、ポントス王国、ボスポロス王国)
※西ローマ帝国の中枢移転先(モラヴィア王国、ノヴゴロド公国、ポーランド王国、ハプスブルグ家)
※ビザンツ帝国の中枢移転先(突厥帝国、ハザール帝国、ウイグル汗国、ハンガリー王国、ヴェネツィア共和国、モスクワ公国)
※ハザール帝国の中枢移転先(リトアニア公国、アシュケナージ)
ブリテン系デーン人B=(B1/フェニキア人・ペリシテ人・ダン族、B2/新アラム人、B3/新ヒッタイト人)
ブリテン系デーン人C=(C1/エジプト王朝、C2/テーベ・アメン神官団)
ブリテン系デーン人D=(西アフリカ、ヨルバ人、マダガスカル島)
ブリテン系デーン人E=(セイロン島、インド南部)
ブリテン系デーン人F1=(長江系/ミャオ族、楚、太平道、黄巾族、大理国、白蓮教、広東系/華僑、九州系/邪馬台国、新羅、倭寇)
ブリテン系デーン人F2=出雲を本拠地に北アジア(粛慎)、モンゴル高原(東胡)、朝鮮半島(扶余)、中国南部(呉越)に拠点が築かれた
出雲系:古代出雲、百済、任那日本府、大和朝廷(大伴氏、物部氏)
呉越系(広東):呉、越、南越(ベトナム)、南詔国
東胡系(皇族):鮮卑、柔然、北魏(吉備氏)、大和朝廷(中大兄皇子、中臣氏)
粛慎系(藤原氏):渤海、西夏、女真族、金王朝、清王朝
契丹系(平氏):契丹、モンゴル帝国、タタール
扶余系(蘇我氏):高句麗、大和朝廷(蘇我氏、聖徳太子)、高麗、李氏朝鮮
ブリテン系デーン人G=(オルメカ人/ユカタン半島)
◆新デーン人◆
・旧世代・
新デーン人A1/スカンジナビア系(ケルト人、ドルイド教ローマ人奴隷、ダキア人)
新デーン人A2/スカンジナビア系(キンブリ人、テウトニ人)
新デーン人A2/絹道系(エフタル・ヒョーン人=吐藩、マッサゲタイ人)
新デーン人A2/北亜系(匈奴、フン族)
新デーン人A3/ダーナ神族(スコットランド・アイルランド系カトリック・アイオナ修道院、ティオティワカン帝国)
新デーン人B1/ゴート人(西ゴート王国)
新デーン人B2/フランク人(フランク王国、ノーサンブリア王国、イースト・アングリア王国、マーシア王国、
エセックス王国、ウェセックス王国、サセックス王国、神聖ローマ帝国、エデッサ王国、エルサレム王国)
新デーン人B3/ロンバルディア人(北イタリア地方、ラテン帝国、ジェノヴァ共和国)
・新世代・
新デーン人A1/デーンロー系(ケント王国・カンタベリー大司教座・デーンロー)
新デーン人A1/スウェード人+コリントス人(バルト三国、キエフ公国、ウクライナ)
新デーン人A1/ノルウェー人+旧ブリテン系デーン人(アイスランド共和国、グリーンランド、トルテカ人)
新デーン人A1/デンマーク人(デンマーク王国・カルマル同盟)
ノルマン人A1/フランス系ノルマン人(ノルマンディー公国、フランス王国、外ヨルダン領、ゼンギ朝シリア、カスティーリャ王国、レオン王国、スイス連邦)
ノルマン人A2/イングランド系ノルマン人+新デーン人A1aA(ノルマン朝、ピサ共和国、ナバラ王国、アラゴン王国)
ノルマン人A3/イタリア系ノルマン人(シチリア・ナポリ王国、アンチオキア王国、トリポリ王国、ラテン帝国)
新デーン人A1/反逆派、後にルター派を創設(アルモラヴィド帝国、アルモハード帝国、モロッコ王国、ガーナ王国、ブルガリア帝国)
紀元後、この時代はユダヤ人勢力がキリスト教を使ってローマ帝国、マニ教を使ってペルシア帝国蹂躙を試みたが排除された時代であった
また、ペルシア帝国もミスラ教を使い、ローマ帝国蹂躙を謀った
そして、ドルイド教を使っていた新デーン人は旧デーン人勢力(ギリシア系デーン人連合)と結託し当然のようにユダヤ勢力であるキリスト教と敵対、だが
後にデーンから分家したフランク人、ゴート人がデーン人に反旗を翻し、デーン人に対抗するために旧デーン人と結託したと見せかけ、キリスト教とローマ帝国の乗っ取りを謀る
当初、神託を用いてローマ人皇帝を操作し、キリスト教弾圧を指令して優勢だった新旧デーン勢力だが、ローマ軍の要職に就きはじめたフランク人が
直接ローマ皇帝にキリスト教擁護、異教弾圧を指示、ついに新旧デーン勢力(ドルイド教、シビュラの神託)を排除する
410年には、ロ−マ軍がブリタニアから撤退したのを機にデーン人がジュート人を派遣、またフランク人がアングル人、サクソン人を派遣
更に、BC220年からスコットランドに棲みついていたアルバ系デーン人もブリタニア勢力争いに参加、三つどもえのブリタニア争奪戦が開始される
これが、後のヴァイキング(デーン人正規軍登場)時代の幕開けを告げた
そして、旧デーン人勢力はそれぞれビザンツ帝国、ヴェネツィア共和国、カザール帝国を建設した
ローマ帝国の戦い、それは新デーン人(スカンジナビア人)vs旧デーン人(ギリシア系デーン人)の戦いであり
ドルイド教vsキリスト教の戦いであり
キリスト教の中のユダヤ人vsアテネ人(ブリテン系デーン人)の戦いであり
キリスト教の中のアルバ系デーン人vsフランク人、新デーン人の戦いであり
フランク人、ゴート人vs新デーン人の戦いであった
フン族、ケルト人、ローマ人、ユダヤ人などはみなデーン人の盾であった
ペトロ=古代デーン人C1
パオロ=旧デーン人B2
イエス=古代デーン人C1
ステファノ=ブリテン系デーン人A3
年代 |
できごと | 勢力 | 内実 |
---|---|---|---|
BC190年 | アルメニア王国建つ | 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
ローマにコリントを破壊されたコリント人の中枢がアルメニアに移動したと考えられる |
BC146年 | コリントスの戦闘 (アルメニア移住の切欠) |
ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2 |
マケドニアの背後にコリント人がいることを知っていたローマ人はコリントスを完全に破壊したという コリント人は中枢に指揮され、その後、アルメニアに移動したと考えられる |
BC113年 | キンブリ人、テウトニ人侵入 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
初期ゲルマン人(デーン人の分家)を使った新デーン人によるローマ侵略の一環 |
BC105年 | アラウジオの惨劇 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
初期ゲルマン人(デーン人の分家)を使った新デーン人によるローマ侵略の一環 |
BC102年 | アクェセクスティエの戦闘 ヴェルケレの戦闘 |
ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
ローマ軍、キンブリ人、テウトニ人を全滅させる |
BC95年 | アルメニア王国 (コリントスの中枢移転) シリア・レバノンを支配 |
旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A3 |
マケドニア人を支配して一時は世界帝国を築いたコリント人はアルメニア人を支配してレバノン、 シリアという過去の領土を奪還した |
BC87年 | ポセイドニオス旅行 | ブリテン系デーン人A3 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
ストア派の哲学者ということで、アテネ系の諜報員だったと考えられる、彼が新デーン人の勢力圏をくまなく 調査して歩き、その成果がアテネ人によるフランク人の支配、コリント人によるゴート人支配に寄与した 折りしも、キンブリ人・テウトニ人のローマに対する脅威が解決した直後に旅行に出ているのが興味深い |
98年 | 「ゲルマニア」 タキトゥス著 |
ブリテン系デーン人A3 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
この100年ほどでアテネ系の諜報員がゲルマン人勢力圏を調査・研究し、見えない帝国、新デーン人の 存在・勢力圏を発見、新デーン人を叩くべく、新デーン人配下のゲルマン人諸族に蜂起を打診、同時に ローマ帝国撃破を画策出自が明らかでないタキトゥスは明らかに諜報員だろう |
10年代 | ドルイド教禁止 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 vsブリテン系デーン人 |
初代皇帝アウグストゥスがローマ人に限定してドルイド教を禁止した、新デーン人の研究結果だろう これは、ブリテン系デーン人A2vsブリトン人・新デーン人の戦いでもあった |
20年代 前半 |
イエス洗礼を受ける | 古代デーン人C(キ) vsブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C(ユ) |
キリスト教はユダヤ系の諜報員(ヨハネ、十二使徒)によって作られた、目的はローマ帝国制覇 諜報員がキリスト教の頭脳を司り、イエスがキリスト教の顔を司った |
20年代 | ドルイド教排斥 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 vsブリテン系デーン人 |
次代皇帝ティベリウスがドルイド、預言者、まじない師の輩を排斥した |
28年 | イエス・キリスト処刑 | 古代デーン人C(ユ) vs旧デーン人B2 vs古代デーン人C(キ) |
イエスは最初から殺されることになっていた、筋書きの方が先に出来ていたのだ ヨハネ、ペテロ、十二使徒の連中はすべて承知していたが、ただユダだけは 自分が裏切り者の役を与えられていたことを知らなかった |
30年〜 32年 |
ヘレニスト派迫害 | 旧デーン人B2 古代デーン人C vsブリテン系デーン人A3 |
ヘレニストとはギリシャ語を話すユダヤ人(ブリテン系デーン人A3、B連合)が核を成す キリスト教の一派である、彼らはユダヤ本家からのキリスト教強奪を謀った 当初は旧デーン人B2所属の諜報員であったパウロとしてはアテネ系デーン人連合勢力は 排除しなければならなかった |
35年 | ステファーノ処刑 | 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A3 |
ヘレニスト(ブリテン系デーン人A3、B連合)のリーダー、ステファーノは石打の刑に処され、 パウロはそれを直に見届けた |
36年 | 洗礼者ヨハネ処刑 | 旧デーン人B2 vs古代デーン人C |
ユダヤ勢力内の勢力争いの結果だろう、ヘレニストの報復かもしれない |
40年代 | ドルイド教攻撃 | ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 vsブリテン系デーン人 |
4代皇帝クラウディウスはドルイド教を徹底攻撃、ケルト出身のローマ騎士が「ヘビの卵」 と呼ばれるドルイドの護符を懐に入れていたため処刑したという |
43年 | ローマ軍侵攻 | ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人 vsダーナ神族 |
ブリテン島はブリテン系デーン人Aグループの故地であるが、BC220年頃に本家デーン人 の分家、ダーナ神族が侵攻していたため、故地奪還の意味もあった可能性がある |
51年〜 57年 |
パウロの伝道 (コリントスの中枢) |
旧デーン人B2 vs古代デーン人C vsブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
パウロはアルメニアの勢力範囲であるキリキア出身であるが、その点を取ってみれば彼がコリント人 旧デーン人B2の諜報員だったと考えることが出来る、とにかく、ローマ帝国国民がみなキリスト教徒に なったならば、ローマ帝国はキリスト教を背後で操るコリント人のモノになるのだ 宗教の布教、それは侵略は起きていないということだ、侵略の悪意も行為も存在しないがローマ帝国は 隅々まで完全に蹂躙されるということである、つまり、この方法は被支配者の反逆を正当化しないのだ ところで、有能な諜報員パウロを殺されたコリント人はユダヤ人を放棄、ゴート人・スウェード人を使って キリスト教を広め、ローマ帝国制覇、新デーン人制覇をもくろむようになる |
58年 | モナ島侵攻 (ブリテン島) |
ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人 |
当時、ローマ帝国内のドルイド教も問題視されており、根を絶つ必要に迫られていた |
60年 | ブーディカの乱 (ブリテン島) |
ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人 |
ブリテン島は、古来からブリテン系デーン人の支配下にあった、この時、デーン人支配下のイケニ族が ローマ軍に対して蜂起、ブーディカはドルイド教の巫女であったと考えられる もちろん、脇にはデーン直属の吟遊詩人(諜報員)たちが待機し、指揮系統を担っていた |
64年 | 第1回キリスト教徒迫害 | ブリテン系デーン人A2 新デーン人 vs古代デーン人C |
ローマ皇帝が新デーン人勢力であるドルイド教徒を排斥し始めたおり、さらにユダヤ勢力である キリスト教の拡大を懸念した新デーン人がゲルマン人の使徒をネロの下へ派遣、ネロを操る ドルイド教を使ってケルト人を支配していた新デーン人はキリスト教の拡大を懸念していたのだ ドルイド教の吟遊詩人(諜報員)は欧州中に散っており、新デーン人はヨーロッパ最大の 情報網を有していたと考えられる、逆にユダヤ人諜報員は新デーン人のことを把握していなかった |
64年 | ローマ大火 | キリスト教徒の迫害に対するユダヤ側の反応だと考えられる、ネロのせいにされた | |
65年 | ペテロ処刑、パウロ処刑 | ブリテン系デーン人A2 ブリテン系デーン人 新デーン人 vs古代デーン人C |
キリスト教を操るユダヤ勢力の両巨頭が排除されたが、後続がキリスト教を継承 しかし、キリスト教はのちにデーン人に乗っ取られ、世界を席巻することになる |
66年〜 73年 |
ユダヤ戦争 | 古代デーン人C vsブリテン系デーン人A2 |
キリスト教作戦が失敗したユダヤ人がキレた、エッセネ派、パリサイ派、サドカイ派の3つの 勢力があったが、サドカイ派はデーン勢力だった可能性がある、イエスやヨハネが 属していたエッセネ派が消滅し、サドカイ派も消滅したが、本流のパリサイ派が生き残る |
68年 | ネロ自殺 | ネロは、デーンの使い(ゲルマン人)と共謀し、すべてを知っていたため 頭がおかしいことにされ、ゲルマン人に殺されたのだろう |
|
80年 | カレドニア(スコットランド)侵攻 | ブリテン系デーン人A2 vsダーナ神族 |
ローマ軍がいよいよブリテン島に於けるデーン人の本拠地に侵攻 これは、デーン史始まって以来、初の本土(第二だが)侵攻という危機だっただろう |
84年 | モンス・グラウピウスの戦闘 (カレドニア) |
ブリテン系デーン人A2 vsダーナ神族 |
カレドニア人が敗北、ローマ人はブリテン島全土の平定を宣言、ヴォタディニー族(ケルト人) を介し、スコットランドを間接的に支配した、この頃、本家デーンは大陸における 対フランク人、ゴート人対策に追われ、ブリテン島は放置していたと考えられる |
85年 | 第1ダキア戦争 | ブリテン系デーン人 vsブリテン系デーン人A2 |
当然、バックにはブリテン系デーン人の悪意がある |
97年 | 漢帝国遠征 (シルクロード) |
西域諸国支配のため中央アジアに遠征、将軍班超は部下、甘英をローマに遣わすが、 パルチアの商人に騙され、ローマ帝国を目の前にしながらたどり着けず |
|
2世紀 | ゲルマン人大移動 | ブリテン系デーン人A3(ア) 旧デーン人B2 ブリテン系デーン人 ブリテン系デーン人B vsブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
ゲルマン人がアテネ人・コリント人・ブリトン人・フェネキア人などに指揮されローマ帝国領内に侵入 各拠点であるギリシア・マケドニア・ルシタニア・カルタゴをローマ人に破壊された人々による 雪辱戦・報復と考えていい 新デーン人はこれに乗じ、北アジア勢力に連絡し、フン族を呼び寄せたと考えられる |
104年 | 第3ダキア戦争 | ブリテン系デーン人 vsブリテン系デーン人A2 |
162年の第14ゲルマニア戦争に至るまでゲルマン勢力はなぜか沈静化する 多分、デーンは奴隷貿易に励み、次の侵攻まで力と財力を蓄えることに専念したのだろう |
120年代 | ハドリアヌスの長城建設 (カレドニア) |
ブリテン系デーン人A2 vsダーナ神族 |
対ローマ軍の戦闘に際しては本家デーンからの援軍もあったと考えられる |
135年 | ディアスポラ開始 | ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C vsブリテン系デーン人B vsエフタル |
ユダヤ人の流浪生活が始まる、由緒ある正当なユダヤ人と考えられるエッセネ派主導の キリスト教を使ったローマ人・サドカイ派・パリサイ派滅亡作戦は失敗したので故地を脱出 パリサイ派(ブリテン系デーン人B)、サドカイ派(エフタル)も別の拠点を探しにカナンの地を脱出 エッセネ派は原始キリスト教に化け、パリサイ派はドナトゥス派に化け、サドカイ派はエフタルに化けた 意志を失った身体だけのユダヤ人は流離い、例え、異国でもそこにユダヤ人がいれば、 そこはユダヤ人の土地だ、という、キリスト教作戦の逆説的方法を実践しようと考えていただろう |
140年代 | アントニヌスの城壁 (カレドニア) |
ブリテン系デーン人A2 vsダーナ神族 |
対ローマ軍の戦闘に際しては本家デーンからの援軍もあったと考えられる |
150年 | ゴート族移住 | 旧デーン人B2 vs新デーン人 |
コリント人はローマに対する復讐を胸に秘め、新デーン人勢力圏に侵入、ゴート人に新デーン人蜂起を 打診、彼等を配下としてローマに進軍、イベリア半島に西ゴート王国を建てる |
150年 | 「ミトラ教」 | 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
アルメニアを拠点にしていたコリント人がユダヤ人のキリスト教、ブリトン人のドルイド教・シビュラの神託 に対抗しミトラ教を確立、ローマ帝国のテイキングオーバーを試みたのではないか |
160年代 | ローマ軍後退 (カレドニア) |
ブリテン系デーン人A2 vsダーナ神族 |
ローマ人はカレドニアの直接支配を断念 |
166年 | マルコマンニ人侵攻 | ブリテン系デーン人B vsブリテン系デーン人A2 |
フェニキア人に指揮されていたと考えられるクァード族とマルコマンニ族 がドナウ川を渡りアキレイアを一時攻囲、が、駆逐される |
177年 | キリスト教徒リンチ事件 (ガリア) |
ブリテン系デーン人 vs古代デーン人C |
ドルイド教の中心地、ガリア、リヨンに於いてドルイド教徒によるキリスト教徒のリンチが発生 ドルイド教を使って影からガリアを統治していたブリトン人にとって、ユダヤ勢力である キリスト教は脅威であった、ただ、ローマの学者はこれらの動きを認識出来ていなかった |
202年 | セヴェルス帝 キリスト教対策 |
ブリテン系デーン人 新デーン人 ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C |
皇帝はゲルマン人諜報員、または神託などにより操作されているだろう |
212年 | カラカラ帝の布告 | ブリテン系デーン人 新デーン人 ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C |
皇帝はゲルマン人諜報員、または神託などにより操作されているだろう |
224年〜 226年 |
ササン朝ペルシア アルメニア軍が侵攻 |
新デーン人(北亜系) 旧デーン人B2 vsイラン系アーリア人 |
フン族はアルメニア王コスロー1世の指揮の下、イベール人やアルバニア人と共に ササン朝ペルシア攻撃のために進撃した |
234年 | 「マニ教」 | エフタル vsイラン系アーリア人 |
新デーン人で構成されたサドカイ派はディアスポラ後、中央アジアに移転、エフタルとなる その後、グノーシス主義を基調にしたマニ教を作り、ペルシアのテイキングオーバーを計画 ゾロアスター、シャカ、イエスを預言者として認めていた、ということで、のちに、仏教、 キリスト教、ゾロアスター教のテイキングオーバーをも画策していたフシが窺える |
242年 | フランク人侵攻 | ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
アテネ人に指揮されたフランク人がローマに侵攻 |
248年 | キリスト教徒リンチ事件 | ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C |
ネストリウス派、アリウス派はアレクサンドリアで発生したがエッセネ派(正当ユダヤ人)の生き残りでは ないかと考えられる、しかし、のちに、アテネ人主導のカトリック(ベネディクト会)により異端とされる |
250年 | デキウス帝の迫害 | ブリテン系デーン人 新デーン人 vs古代デーン人C vsブリテン系デーン人A3(ア) |
皇帝はゲルマン人諜報員、または神託(ブリトン人の意志)などにより操作されているだろう 勅令を持って全ローマ市民に神々(ブリトン人)への供犠を要求したが、長続きせず、 251年にデキウスの死を持って除かれた、この頃にはアテネ人勢力であるフランク人が ドルイド教対策としてキリスト教を保護し始めたのではないか |
252年 | ササン朝ペルシア アルメニアに侵攻 |
イラン系アーリア人 vs旧デーン人B2 |
ギリシャ時代から、ペルシア人は天敵だったが、昔のように対等に敵対することが出来なかったのは コリント人にとってさぞ屈辱だっただろう |
253年 | フランク人侵攻 | ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人A2 |
ガリア、イスパニア、ラヴェンナまでの北イタリア地方をアルマン族、フランク族が却掠 |
257年 | キリスト教詩人 コモディアスの詩 |
古代デーン人C 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
世の終わりに先立って出現するというローマ帝国の駆逐者としてのゴート人に言及した 何万の軍と共に襲来し、神の指令によってローマ人を打倒するであろう、と |
258年 | キリスト教迫害の勅令 | ブリテン系デーン人 新デーン人 ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C |
ブリトン人は、アテネ人勢力であるフランク人、コリント人勢力であるゴート人が キリスト教を保護していることを突き止めたか、勅令の内容は非常に厳しくなっている |
276年 | フランク人侵攻 | ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人A2 |
ガリア、イスパニア、ラヴェンナまでの北イタリア地方をアルマン族、フランク族が却掠 |
287年 | ローマ帝国 アルメニア奪還 |
ブリテン系デーン人A2 vs旧デーン人B2 |
ギリシャ時代から、ローマ人は天敵だったが、昔のように対等に敵対することが出来なかったのは コリント人にとってさぞ屈辱だっただろう |
301年 | 「アルメニア正教」 | 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
キリスト教を国教に定めた世界初の国となった、そこには領土を死守したいコリント人の強固な意志がある |
4世紀 | フランク人 軍の要職に就く |
ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人 |
コンスタンティヌス1世の治世にフランク人が属州軍司令官や親衛隊長などの要職を得る 対ローマ帝国というよりは対新デーン人の帝国という決意がフランク人の躍進に見える |
4世紀 | フランク人 名誉コンスルの地位を得る |
ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人 |
新デーン人の帝国はローマ帝国制覇と裏切り者のゲルマン諸族制覇の両方を夢見ていたが この件はフランク人の新デーン人に対する牽制となった |
303年 | キリスト教徒大迫害 | ブリテン系デーン人 新デーン人 ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C vsブリテン系デーン人A3(ア) |
260年、ガリエヌス帝の頃にはフランク人がローマ軍の要職に就くことが多くなったためか 緩和政策が成されたが、ここにきて再度、ブリトン人が勢いを盛り返したのだろう |
303年 | カルタゴ市 ドナトゥス派誕生 |
ブリテン系デーン人B vsブリテン系デーン人A3(ア) vs旧デーン人B2 |
アテネ人・コリント人に対抗するため、フェニキア人(パリサイ派)が作った組織と見られる |
311年 | ガレリウスの寛容令 | ブリテン系デーン人A3(ア) 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人 vs新デーン人 vsブリテン系デーン人A2 |
背後にはアテネ人、コリント人諜報員の暗躍があるだろう |
312年 | 対マクセンティウス戦 | ブリテン系デーン人A3(ア) 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
先のガレリウスの寛容令に触発され、東方ではキリスト教擁護派のリキウスが新デーン人勢力 であるマキシミヌス・ダヤと、西方ではキリスト教擁護派のコンスタンティヌスと新デーン人勢力 であるマクセンティウスが敵対、覇権争いが生じた シビュラの神託(新デーン人勢力)がマクセンティウスの勝利を高らかに予言したが、敗北 |
313年 | ミラノの勅令 | ブリテン系デーン人A3(ア) 旧デーン人B2 ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
ついにアテネ人、コリント人がブリトン人に勝利、ドルイド教、シビュラの神託の影響力を排除した |
315〜 336年 |
対異教政策 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C |
ユダヤ人にキリスト教改宗を要請 |
319年 | 対異教政策 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
魔術(ドルイド教)、卜占(シビュラの神託)を禁じる、これに怒った新デーン人は 東方にいる同胞に欧州蹂躙(ローマ帝国)を打診した ※郵便制度はこの当時からあったのだろう、意志を同胞に正確に伝えるために |
325年 | アリウス派、異端認定 | ブリテン系デーン人A3(ア) vs古代デーン人C vs旧デーン人B2 |
ローマ帝国は単なる舞台であった、ユダヤ人、ブリトン人、デーン人、アテネ人、コリント人、フェニキア人 がローマに対する報復・仲間内の権力闘争をめぐって争われた舞台であった コリント人はアテネ人と利害を異にするためにわざわざ異端と認定されたアリウス派に改宗 |
332年〜 338年 |
アルメニア王国 マスクト族侵攻 |
新デーン人(本土系) vs旧デーン人B2 |
マスクト族の王、サネサンがアルメニアの王コスロー3世と戦争、その際、あらゆる種類の 部族から成る軍隊を率いた、その軍勢の中にフン族がホンクの名で登場する |
341年 | ゴート王国 アリウス派に帰依 |
旧デーン人B2 ブリテン系デーン人B 古代デーン人C vsブリテン系デーン人A3(ア) vs新デーン人 |
ドルイド教の勢力下から脱するためにキリスト教に帰依、また、アテネ人と利害を異にする ためにアリウス派に帰依したと考えられる ゴート族の他にゲピード族、ヴァンダル族、アラマン族、ランゴバルド族も帰依したらしい |
341年 | 異教寺院閉鎖 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人 vs新デーン人 vs旧デーン人B2 |
ドルイド教、シビュラの神託の神殿など、ブリトン人・新デーン人の拠点が駆逐された コリント人勢力であるアリウス派の教父も追放された |
350年頃 | ササン朝ペルシア アルメニア軍侵攻 |
新デーン人(フン族) 新デーン人(エフタル) 旧デーン人B2 vsイラン系アーリア人 |
ついにフン族が、アラン族と共にアルメニア王アルシャーク2世の陣中に出現、 ササン朝ペルシアに進撃した |
370年 | フン族 アラン(アーリア)族を撃破 |
新デーン人(フン族) vs新デーン人(エフタル) |
新デーン人は、東方にいる同胞に欧州蹂躙(ローマ帝国)を打診 匈奴は、新デーン人(北亜系)の中枢に導かれ欧州に出現 途中でエフタルの中枢を成していた新デーン人(絹道系)と合流したが、いさかいがあったのか フン族がアラン人を撃破する事態となった |
371年 | 東ゴート王国 フン族侵攻 |
新デーン人(フン族) 新デーン人(エフタル) vs旧デーン人B2 |
ゴート族の臣下の一部(サルマティア系ロソモン族)は王を捨ててフン族の下に投降した 打ち破られた東ゴート族はフン族により滅ぼされ、捕虜になった者は女・子供とも虐殺された 処刑の残酷さは限度を知らなかったという |
380年 | カトリック国教主義宣言 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 vsブリテン系デーン人 vs旧デーン人B2 vs古代デーン人C |
アテネ人は、背後からローマ皇帝を操り、ライバルのコリント人、ユダヤ人、 宿敵のブリトン人・新デーン人の権限行使を廃し、90%制したといえる |
381年 | 異教寺院への参拝禁止 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 vsブリテン系デーン人 vs旧デーン人B2 vs古代デーン人C |
違反者は追放されることが決定、382年、385年、392年には更に厳しくなる |
383年 | 異端・分離派取締規定 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 vsブリテン系デーン人 vs旧デーン人B2 vs古代デーン人C |
フランク人の諜報員は新デーン人がフン族という未知の野蛮人を操作して復讐を企てている 旨を察知したのだろう、これらは国民を固くカトリックに統一することで新デーン人の蹂躙、特に 国内異教徒の反体制勢力としての使用を未然に阻止した上で新デーン人に対抗しようという 下準備といえるだろう |
383年 | ローマ軍vsフン族 (パンノニア) |
ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人(フン族) vs新デーン人(エフタル) |
ローマ軍の長、フランク人バウトはパンノニアにいたフン族、アラン族を攻撃し、ラエチア地方 に進軍するよう仕向けた、当時、ラエチアはアラマン族の部族連合に参加していた ユトゥング族に占領されていた |
389年 | マニ教迫害 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vsエフタル |
テオドシウス大帝がマニ教信者に恥辱を加えた上で処刑 |
390年頃 | カルタゴ市 ペラギウス布教 |
ブリテン系デーン人 vsブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人B |
ブリテン島出身の修道士ペラギウスがカルタゴ市で布教、数十年前からドルイド教や神託を 行なう神官団がフランク勢力であるローマ皇帝により異端の決定を下され、迫害が徹底し 始めた頃であったが、そのためにブリテン系デーン人はドルイド教に見切りを付けたのだろう、 代わりに、フランク人に倣いキリスト教の乗っ取りを謀った、ペラギウスのカルタゴ布教は その一環だったと思われる、しかし、彼はゴート人が襲来すると真っ先に逃げ出したという |
394年 | マクシムス斬首刑 | 新デーン人(フン族) 新デーン人(エフタル) ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人A3(ア) |
ガリア地方出身の雄弁家、マクシムスはフランク族の将軍、アルボカストにより皇帝にされた が、テオドシウスによりミラノ近郊で敗戦、斬首された、テオドシウスはフン族の協力が あったため勝利した、反デーン系ゲルマン勢力撃退のためにローマ帝国側と共闘 |
395年頃 | フン族侵攻 (シリア) |
新デーン人(フン族) 新デーン人(エフタル) vsブリテン系デーン人A2 |
フン族は町を破壊し掠奪しただけでなく住民をも連れ去った |
395年 | ローマ帝国が東西に分裂 | ブリテン系デーン人A3(ビ) vsブリテン系デーン人A2 |
東ゴート勢力が東ローマ帝国を、そして、西ローマ帝国は西ゴート勢力とフランク勢力に 二分されていた |
397年 | フン族侵攻 | 新デーン人(フン族) 新デーン人(エフタル) vsブリテン系デーン人A2 |
シリアとカッパドキアを徹底的に破壊尽くしたため、住民は全滅、エルサレムとテュロスは 敵を迎える準備をし、他の中東諸国は恐怖のとりこになったという |
5世紀 | 西ローマ帝国 ホノリウス即位 |
ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人B ブリテン系デーン人A2 |
テオドシウス1世の息子、ホノリウスはヴァンダル族出身の将軍、スティリコの娘と結婚 |
5世紀 | 東ローマ帝国 テオドシウス2世即位 |
ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 |
テオドシウス2世は、フランク族出身のバウト将軍の娘を母に持つ |
5世紀頃 | アーサー王が欧州征服 | 新デーン人(フン族) 新デーン人(エフタル) vsブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人A3(ア) |
アーサーとはじつはアッチラのことではないだろうか、この当時、欧州を制覇した人々と いえばフン族だからだ、時期的に言ってもアッチラは5世紀に王に即位している |
410年 | 西ローマ帝国 アラリック1世、ローマ占領 |
ブリテン系デーン人A3(ア) 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
ヴァンダル族・フランク族をローマ帝国の中枢に侵入させ、西ゴート族は外から武力で侵攻 反デーン系ゲルマン人連合の協力関係が見える、この時は対デーン戦略のために一致団結 していたが、彼らは後に、再度、敵対することになる |
410年 | ローマ軍撤退 (ブリテン島) |
ブリテン系デーン人 vsブリテン系デーン人A2 |
これを機にブリトン人がアングル人、サクソン人を召還、新デーン人がジュート人を派遣 ブリタニアに於けるポストローマの覇権をめぐり、凌ぎをけずりあうことになる それを見ておもしろくないのは、1000年近く前からブリテン島北部の支配を任されていた ダーナ神族と、古来からのブリテン島の主、ブリテン系デーン人であった |
411年 | カルタゴ市 ドナトゥス派批判 |
ブリテン系デーン人A3(ア) エフタル vsブリテン系デーン人B |
マニ教を作ったエフタルの一味だったと思われる聖アウグスティヌスだが、彼は キリスト教(アテネ勢力)に寝返り、かつての仲間が作ったドナトゥス派(フェニキア人)を非難 |
412年 | カルタゴ市 ドナティスト強制改宗 |
ブリテン系デーン人A3(ア) エフタル vsブリテン系デーン人B |
フェニキア人勢力を、反体制勢力として新デーン人に使用されることを未然に阻止するために 行なったと思われる |
430年 | 東ローマ帝国 フン族と条約締結 |
新デーン人(フン族) 新デーン人(エフタル) vsブリテン系デーン人A3(ビ) |
フン族の勢力は勢いを増したため、テオドシウス2世はフン族と条約を結ばざるを得なくなる 毎年金350ポンドを渡す約束をした |
430年 | カルタゴ市 ヴァンダル人襲来 |
ブリテン系デーン人B vsブリテン系デーン人A3(ア) |
フェニキア人は、古巣のカルタゴをローマ人(当時はアテネ人)から奪取するためにヴァンダル人を投入 |
434年 | 東ローマ帝国vsフン族 | 新デーン人(フン族) 新デーン人(エフタル) vsブリテン系デーン人A3(ビ) |
新デーン人が、東ローマ帝国から口実をつけた上で金品横領 |
436年 | ササン朝ペルシア フン族侵攻 |
新デーン人(フン族) 新デーン人(エフタル) vsイラン系アーリア人 |
新デーン人の意向を受け、ペルシアに目を向けるが、フン族はペルシア軍に敗北、再び欧州に向かう |
445年 | アッティラが王に即位 | 新デーン人 新デーン人(フン族) 新デーン人(エフタル) vsフランク人 vsブリテン系デーン人A2 |
匈奴としてモンゴル高原で日本の天孫勢力と対立していた新デーン人(北亜系)は本家の危機を 耳にし、指揮官としてアッティラ等、騎馬民族を率い、途中でエフタルの中枢を形成していた 同胞の新デーン人(絹道系)と合流、故郷の欧州に帰還 新デーン人連合は、反旗を翻したゲルマン人たち、ローマ人を駆逐するべく、更に最高指揮系統 である新デーン人(本土系)と合流、欧州で戦闘を繰り広げる アッチラは、中央アジアから中央ヨーロッパ、バルカン半島に跨る大帝国を建設、 だが、それは同時に新デーン人の帝国ということでもあった |
450年〜 500年 |
アングル人、サクソン人 ジュート人の侵攻 (ブリテン島) |
ブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
アングル族がイースト・アングリアを、ジュート族はケント地方、サクソン族がエセックス、 ウェセックス地方を占領、ジュート族は新デーン人勢力である |
450年〜 | ケント王国 (ブリテン島) |
新デーン人 vsブリテン系デーン人 |
新デーン人は配下であるジュート人を、後にカンタベリー大主教、ロチェスター大司教の本拠地となる、 カンタベリーを含むケント地方に送り込みケント王国を建設させる ヴァイキング時代にはデーンローのノルマン人を受け入れ、カンタベリー大司教、 ロチェスター大司教はサクソン人キリスト教徒(アルフレッド大王)を自身の勢力として操った |
450年〜 | ノーサンブリア王国 イースト・アングリア王国 マーシア王国 (ブリテン島) |
ブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
さすがにダーナ神族が棲むスコットランドには侵攻出来なかった |
450年〜 | エセックス王国 ウェセックス王国 サセックス王国 (ブリテン島) |
新デーン人 vsブリテン系デーン人 |
さすがにダーナ神族が棲むスコットランドには侵攻出来なかった |
450年〜 | ドゥムノニア王国 |
ブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
ドルイド教、古来からのブリテン島の主、ブリテン系デーン人勢力の国 |
451年 | 西ローマ帝国 カタラウヌムの戦闘 |
旧デーン人B2 ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 vs新デーン人(フン族) vs新デーン人(エフタル) |
西ローマ帝国と合同でフン族を撃退、新デーン人勢力は一時落胆する |
453年 | アッティラ暗殺 | ブリテン系デーン人 vs新デーン人 vs新デーン人(フン族) vs新デーン人(エフタル) |
西ローマ帝国、ゲルマン人連合に敗北したアッティラは、制裁として新デーン人の 刺客に暗殺される、或いはブリトン人が新デーン人の目を盗み、死んだことにして アッチラを拉致、豪傑を迎えることでブリテン系デーン人勢力圏の保護を任せたのではないか それがアーサー王の伝説のネタのモトになったのではないか、どっちにしても フランス語読みのアルチュールはアッチラに似ていなくもない |
476年 | 西ローマ帝国崩壊 | 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
キリスト教でローマ市民の思考を奪ったあと、武力でローマ帝国の支配システムを強奪 |
481年 | フランク人統一 | ブリテン系デーン人A3(ア) vs旧デーン人B2 |
クロヴィスがガリア地方を本拠地にフランク族を統一 |
486年 | シャグリウス領 ソワソンの戦い |
ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人A3(ア) |
ガリア北部を支配していた西ローマ系の軍閥、シャグリウスを撃退 |