ポルトガル王国〜ブラジル帝国

英国諜報機関ルシタニア分家の帝国












新デーン人



・旧世代・

新デーン人A1/スカンジナビア系(ケルト人、ドルイド教ローマ人奴隷、ダキア人)
新デーン人A2/スカンジナビア系(キンブリ人、テウトニ人)
新デーン人A2/絹道系(エフタル・ヒョーン人=吐藩、マッサゲタイ人)
新デーン人A2/北亜系(匈奴、フン族)
新デーン人A3/ダーナ神族(スコットランド・アイルランド系カトリック・アイオナ修道院、ティオティワカン帝国)

新デーン人B1/ゴート人(西ゴート王国)
新デーン人B2/フランク人(フランク王国、ノーサンブリア王国、イースト・アングリア王国、マーシア王国、
エセックス王国、ウェセックス王国、サセックス王国、神聖ローマ帝国、エデッサ王国、エルサレム王国)
新デーン人B3/ロンバルディア人(北イタリア地方、ラテン帝国、ジェノヴァ共和国)



・新世代・

新デーン人A1/デーンロー系(ケント王国・カンタベリー大司教座・デーンロー)
新デーン人A1/スウェード人+コリントス人(バルト三国、キエフ公国、ウクライナ)
新デーン人A1/ノルウェー人+旧ブリテン系デーン人(アイスランド共和国、グリーンランド、トルテカ人)
新デーン人A1/デンマーク人(デンマーク王国・カルマル同盟)

ノルマン人A1/フランス系ノルマン人(ノルマンディー公国、フランス王国、外ヨルダン領、ゼンギ朝シリア、カスティーリャ王国、レオン王国、スイス連邦)
ノルマン人A2/イングランド系ノルマン人+新デーン人A1aA(ノルマン朝、ピサ共和国、ナバラ王国、アラゴン王国)
ノルマン人A3/イタリア系ノルマン人(シチリア・ナポリ王国、アンチオキア王国、トリポリ王国、ラテン帝国)
新デーン人A1/反逆派、後にルター派を創設(アルモラヴィド帝国、アルモハード帝国、モロッコ王国、ガーナ王国、ブルガリア帝国)



・新デーン人A1aとノルマン人A2(英国諜報機関)の勢力分化と発展・


英国諜報機関(ノルマン人A2a+新デーン人A1aA)「聖公会」
英国諜報機関(ノルマン人A2a+新デーン人A1aA)「イエズス会」
※過去の宗教組織:「シトー修道会」「クレルヴォー修道会」

英国諜報機関(新デーン人A1aB)「ルター派教会」
英国諜報機関(新デーン人A1aB)「オラトワール協会」
英国諜報機関(新デーン人A1aB)「クェ−カー」
※過去の宗教組織:「アルビ派」「聖アウグスチノ修道会」

英国諜報機関(ノルマン人A2b)「改宗派教会」
英国諜報機関(ノルマンA2b)「アナバプティスト・メノナイト・ピューリタン清教徒=会衆派」
英国諜報機関(ノルマン人A2b+新デーン人A4)「長老派」

英国諜報機関(ノルマン人A2c)「バプティスト」
英国諜報機関(ノルマン人A2d)「メソジスト」












年代
できごと 勢力 内実
1385年〜
1580年
ポルトガル王国
アヴィス朝
英国諜報機関(本家)
英国諜報機関ルシタニア分家
英国諜報機関ルシタニア分家の根幹を成すルシタニアは古来からデーン人勢力下にあったが
ここで正式に英国勢力としてルシタニア分家が成立
1386年 ウィンザー条約
イギリスと永久同盟
英国諜報機関(本家)
英国諜報機関ルシタニア分家
改めて永久同盟を締結している
1463年 マリーン朝(モロッコ)
カサブランカ占領
英国諜報機関ルシタニア分家
vs新デーン人(反逆派)
英国国内では、権力闘争(薔薇戦争)が起きていたが、ポルトガル分家はせっせとアフリカに進出
1471年 マリーン朝(モロッコ)
タンジュール占領
英国諜報機関ルシタニア分家
vs新デーン人(反逆派)
ポルトガルのアフリカ進出に刺激されたスペイン(英国諜報機関ナバラ分家A)は、ジパングを目指すことになる
1488年 喜望峰到達
(南アフリカ共和国)
英国諜報機関ルシタニア分家 ポルトガルが、インド航路の道標を刻んだことによりアラブ商人を介することなく、
インド、東南アジア諸国との貿易が可能になった
1490年 コンゴ王国
ポルトガル人大布教団
英国諜報機関ルシタニア分家
vs古代デーン人
豊かだったコンゴは奴隷狩りと称して有能な自国民を白人に取られたため、数百年後に滅亡する
1494年 トルデシリャス条約 英国諜報機関ルシタニア分家
英国諜報機関ナバラ分家B
vs英国諜報機関ナバラ分家A
vsフランス諜報機関
vsノルマン人A2b
この条約により、フランスとイギリスが領土獲得の優先権を失ったと言われるが、
実際にはポルトガルの背後には英国がおり、フランスはカトリック教会の背後に
いたわけで両者ともじつは、スペインの背後にいたハプスブルグ家、神聖ローマ帝国
勢力と同様、潤っていたと考えられる
1500年 ブラジル海岸発見
(南アメリカ)
英国諜報機関ルシタニア分家 英国諜報機関ルシタニア分家が発見
1500年 マムルーク朝
イスラム連合艦隊敗北
英国諜報機関ルシタニア分家
vsブリテン系デーン人A3
vsブリテン系デーン人F2
エジプトのマムルーク朝は、モンゴル来寇の際の置き土産だ、モンゴル軍を指揮していた藤原氏・平氏
の諜報員たち、更にキプチャク族を指揮していたハザール系諜報員たちが共同でエジプトに侵入
エジプトに新規の支配系統を打ち立て、マムルーク朝が建てられたのだ
つまり、モンゴル帝国の正確な範図は諜報員が陰謀で打ち立てた勢力圏、中東・東欧までをも含んで
いたのだが、そのマムルーク朝にポルトガル海軍が挑戦、エジプトが敗北した
1510年 ヒジャプール王国(インド)
ゴア占領
英国諜報機関ルシタニア分家
vsインド勢力
英国勢力であるポルトガルはキリスト教会を建設、信者を増やし、ゴアをアジアの
キリスト教布教の本拠地とする、同時に英国諜報機関ゴア分家が設置される
1519年 トラシュカラ王国(メキシコ)
エルナン・コルテス侵攻
英国諜報機関ルシタニア分家
英国諜報機関トラシュカラ分家
vsアステカ帝国勢力
コルテスはスペイン王国のエストマレドゥーラ州の出身である、同じ州からは南アメリカを蹂躙した多くの
コンキスタドールが輩出されている、有名なピサロもそうだが彼らは英国勢力だろう、なぜなら
エストマレドゥーラは英国勢力であるポルトガルと隣接しており、ローマ帝国時代には一緒くたにルシタニア
と呼ばれていた、彼らはスペイン王国の中の英国勢力と言える、ということでコルテスの戦法がデーン人特有
の伝統的戦法に酷似しているのは当然だろう
トラスカラ王国が標的のアステカ帝国と敵対していることを知るとすぐさまトラスカラ王国の勢力を味方に
引き入れ、アステカ帝国攻略の先鋒とした
1521年 アステカ帝国滅亡 英国諜報機関ルシタニア分家
英国諜報機関トラシュカラ分家
vsアステカ帝国勢力
生粋のスペイン人であるベラスケス提督は、コルテスのメキシコ探検を援助したが
コルテス自身は英国勢力であるため、メキシコの占領と領有を主張した
尚、アステカ人の人身御供が常識となっているが全てウソであり、インデイオを殺し
過ぎた英国勢力が「生贄の風習を持っているような野蛮人なので惨殺しても仕方ない
やつらだったんです」と言い訳しているだけのだ
1536年 インカ帝国
マンゴ・インガの反乱
英国諜報機関ルシタニア分家
英国諜報機関インカ分家
新デーン人(反逆派)
フランス諜報機関
vsアステカ帝国勢力
インカ帝国の帝王、マンゴ・インガが反乱を起こし善戦するが、彼自身がキリスト教徒である
インディオ女性(カタリナ)と結婚しており、至る所にキリスト教会も建設され、大勢のインディオや兄弟
でさえも裏切り者として襲い掛かる中、更にカタリナとの息子、クシ・ユパンギがキリスト教の洗礼を受け、
国民にも強要するが、クシ・ユパンギは異母兄弟のトゥパク・アマルに暗殺される
1538年 インカ帝国
デ・アルマグロ処刑
英国諜報機関ルシタニア分家
新デーン人(反逆派)
フランス諜報機関
vs英国諜報機関ナバラ分家A
インカ侵攻の首領は、英国勢力であるエストマレドゥーラ出身のピサロ兄弟であった
が、彼らは、出身地が異なるアルマグロを処刑、利害に相違があるからだ
1548年 南米スペイン王国植民地
ゴンサロ・ピサロ処刑
英国諜報機関ナバラ分家A
vs英国諜報機関ルシタニア分家
ピサロが英国勢力であることを裏付ける出来事が起きた、彼はスペイン本国の
意向を無視し、自分の利益を優先、反乱軍を組織したが逮捕、処刑された
1551年 ラス・カサス執筆活動 フランス諜報機関
vs英国諜報機関ルシタニア分家
フランス系カトリック勢力であるドミニコ会の修道士、ラス・カサスがコンキスタドール
聖アウグスティヌス会という英国勢力、ハプスブルグ家勢力、スペイン軍の強欲を
非難するためにインディオの悲惨な待遇を持ち出す
1572年 インカ帝国
トゥパク・アマル処刑
英国諜報機関ルシタニア分家
英国諜報機関インカ分家
vsインカ帝国勢力
異母兄弟のクシ・ユパンギが英国勢力である聖アウグスチヌス会の宣教師をビルカバンバに招き入れ
たが、アマルが反発、宣教師を追放する、その後、クシ・ユパンキを暗殺、帝王に即位し、
スペイン軍に対し反乱を起こすが逮捕、クスコで処刑され、インカ帝国は滅亡した
1570年代 逃亡奴隷集落キロンボ
(ブラジル)
英国諜報機関ルシタニア分家
vs英国諜報機関ナバラ分家A
当時、ポルトガル本国はスペイン支配化にあり、アジア・アフリカまではスペインの支配の手が届かなかった
ものの、ブラジルはスペインの支配化に入ったのだろう、そのため、ルシタニア分家は奴隷の逃亡を手伝い
奥地に集落を建設させ、反スペイン勢力として育成した
1580年 ポルトガル王国
イベリア連合
(スペイン勢力下に入る)
ブリテン系デーン人A2
英国諜報機関ナバラ分家A
フランス諜報機関
vs英国諜報機関ルシタニア分家
vs英国諜報機関ナバラ分家B
スペイン、ハプスブルグ家はポルトガルを押さえればフィリピンでの統治も安泰と考えたが、イエズス会、
倭寇、華僑はポルトガル同様、独立した英国勢力だったためそれほど効果は無かった
反スペイン勢力弱体化作戦はほとんど失敗だったといえる
1600年代 パルマーレス共和国
(ブラジル)
英国諜報機関ルシタニア分家
英国諜報機関マルーン分家
vs英国諜報機関ナバラ分家A
ブラジル北東部の逃亡奴隷によって作られた逃亡奴隷による共和国、パルマーレスのキロンボでは
2万人以上の自由な男と女と子供が、不死身であると信じられていたズンビ(Zumbi)によって統治されていた
ルシタニア分家による、スペインからブラジル奪還をするための反体制勢力の育成・温存といえる
1615年 オランダ王国
モルッカ島占領
ノルマン人A2b(蘭)
vs英国諜報機関ルシタニア分家
本国とその近辺はスペイン勢力下に下がったが植民地に於いてはまだルシタニア分家の天下だった
しかし、そのポルトガル植民地にオランダが侵攻、モルッカ諸島を占拠された
1623年 アンボイナ事件 英国諜報機関(本家)
英国諜報機関ルシタニア分家
英国諜報機関ナバラ分家B
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsノルマン人A2b(蘭)
この事件により大英帝国は東南アジア、日本から撤退したが、じつは英国諜報機関
による陰謀であった、かいつまんで言えば英国人がオランダ人に虐殺されたという
事件だが、結果として大英帝国はオランダから多額の賠償金をせしめている、が、
被害者が加害者から賠償金をせしめるなんてことは、じつは、強くなければ出来ない
ことだ、陰謀に於いては「結果」は、じつは「目的」ということがあるのだ、ところ
で、オランダ人に殺された人々の内訳はイギリス人、日本人(倭寇)、ポルトガル人
の3者であったが、倭寇は16世紀、そしてポルトガルは14世紀からの英国勢力である
1629年 ムタパ王国
マブラ・ポルトガル同盟軍
英国諜報機関ルシタニア分家
vs古代デーン人
ムタパの裏切り者がポルトガルに加勢を要求、ムタパ王国を制圧
当時、本国はスペイン勢力化にあったが植民地では独自に活動していたと考えられる
1640年 ポルトガル王国
王政復古戦争
(オランダ勢力下に入る)
ノルマン人A2b(蘭)
vs英国諜報機関ルシタニア分家
vs英国諜報機関ナバラ分家A
オランダ諜報機関はポルトガルを独立させ、支配下に置くことでアジアを手中にしたつもりだったが
実際には、イエズス会、華僑、倭寇も抑えなければ、アジアに覇を唱えていないも同然だった
この王政復古戦争の企画はアンボイナ事件がきっかけになっているだろう
1650年 ヤーリバ朝オマーン
ポルトガル撃破
ブリテン系デーン人F2
vs英国諜報機関ルシタニア分家
モンゴル侵攻の際、神官階級である藤原氏の子孫がイスラム教に介入し、オマーンを支配していたと
考えられるが、そのオマーンがポルトガル軍を撃破した
17世紀中葉 トルワ王国
ポルトガルの介入
英国諜報機関ルシタニア分家
vs古代デーン人
ポルトガル軍がトルワ王位継承戦争に介入
1695年 パルマーレス共和国滅亡 ノルマン人A2b(蘭)
vs英国諜報機関ルシタニア分家
vs英国諜報機関マルーン分家
パルマーレスは100年近く独立国家として栄えたが、ポルトガル政府(当時はオランダ勢力)は
キロンボを植民地体制への脅威とみなし、ポルトガル軍の攻撃によってパルマーレスは消滅した
1703年 ポルトガル王国
メシュエン条約
(英国勢力下に戻る)
英国諜報機関
英国諜報機関ルシタニア分家
大英帝国との従属関係が成立、実際には、当時、ポルトガルの裏にいたオランダ諜報機関を排除し
英国諜報機関が新たにポルトガル分家を創設した事象といえる































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