ブリテン系デーン人〜ノルウェー分家の帝国
ノルウェー王国・ダブリン市












年代

できごと 勢力 内実
980年代 デンマーク人
イングランドを襲撃
新デーン人
ダーナ神族
デンマーク人
vsノルマン人
宗教勢力は新デーン人勢力下にあったが、王室にはノルマン人の后が迎えられ、ノルマン人
勢力になりつつあったため、新デーン人がダーナ神族に協力を打診、ダーナ神族は配下の
デンマーク人をブリテン島に導入、デンマーク人がブリテン島に襲来するようになる
994年 デンマーク・ノルウェー連合
ロンドン、ケントを襲撃
ダーナ神族
デンマーク人
vsジュート人
vs新デーン人
ダーナ神族はデンマーク人を傭兵として使い、敵勢力を駆逐していったと考えられる
ダーナ神族は、同胞の新デーン人支配下にある、ブリテン島キリスト教の聖地、
カンタベリー制覇を狙ってきた
1002年 エセルレッド2世が
デンマーク人を虐殺
新デーン人A5
新デーン人
vsノルマン人
エセルレッド2世はノルマン勢力だったため、イングランドに拠点を移していた新デーン人が配下のデンマーク人を
使ってイングランドを攻撃させ、そのじつ、ノルマン勢力を排除していた可能性がある
この後、エセルレッド2世はノルマンディー公国に亡命するが、その直前にデーン人虐殺の嫌疑が掛けられて
いたが、それはエセルレッド2世排除のために作られた口実だったのかもしれない
1016年〜
1035年
クヌード帝国建つ 新デーン人
デンマーク諜報機関A
ノルウェー人
vsノルマン人
vsアルバ系デーン人
vsフランク人
この当時、デーン勢力は、1000年前からアルバ(スコットランド)に潜んでいたアルバ系デーン人、
デーンローの新デーン人、ノルマンディー公国のノルマン人、デンマーク王国のデンマーク人に
分かれていたと思われる、この内、新デーン人、デンマーク人がノルウェー人と連合し、ノルマン人に対し
敵対する意志を見せた、かつての同胞であったノルマン人の台頭を意識しているのだ、このデーン連合により
クヌート帝国が創建される
※歴史上ではデーンロー及びイングランドに於けるデーン勢力は無力化したとされるが
じつは、彼らは背後に隠れていただけなのだ
1041年 ウスターの乱
(イングランド王国)
デンマーク諜報機関A
新デーン人
vs反新デーン人勢力
ウスターシャーには反新デーン人勢力の拠点があったと考えられる、そうでもなければ
ウスターを徹底的に破壊したりはしないだろう、或いは、その反新デーン人勢力の背後にはノルマン人の
意志があった可能性もある
1058年 シュレースヴィヒ公国 デンマーク諜報機関A
1157年 グラーテ・ヘーゼの戦闘 デンマーク諜報機関A
vsフランク人
ヴァルデマー1世とスヴェン3世(ドイツ勢力)の争い
1157年 デンマーク王国
ヴァルデマー1世即位
デンマーク諜報機関A
vsフランク人
vs新デーン人
vsノルマン人
クヌート帝国崩壊後に王位継承を巡って混乱が続いた
1159年 リューベック市建設 ドイツ人 のちのハンザ同盟の拠点
1191年 エルサレムのドイツ人の
聖母マリア病院修道会認可
デンマーク諜報機関C ドイツ騎士団の前身
1199年 ドイツ騎士団認可 デンマーク諜報機関C
1200年代 デンマーク王国
ホルシュタイン占領
デンマーク諜報機関A
vsドイツ人
1211年 ドイツ騎士団
ハンガリーに招かれる
デンマーク諜報機関C
1225年 ドイツ騎士団
ハンガリーから追放
フランス諜報機関
vsデンマーク諜報機関C
1237年 ドイツ騎士団
リヴォニア帯剣騎士団を吸収
デンマーク諜報機関C
vs英国諜報機関ラトビア分家
1230年 ドイツ騎士団領建つ デンマーク諜報機関C
vsプロイセン人
プロイセン人を征服して作った国家
1238年 エルブロンク
ドミニコ会修道院建設
フランス諜報機関
vsデンマーク諜報機関C
フランス諜報機関(ドミニコ会)が対ドイツ騎士団のためにエルブロンクに修道院を建設
1242年 ドイツ騎士団
ノヴゴロド公国に侵攻
デンマーク諜報機関C
vsブリテン系デーン人A2
vsスウェード人
ドイツ騎士団がノヴゴロドに侵攻したがアレクサンドル・ネフスキーに撃退された
1346年 デンマーク王国
エストニア公国を売却
デンマーク諜報機関A
デンマーク諜報機関C
1358年 ハンザ都市同盟成立 デンマーク諜報機関B 都市そのものが商人ハンザの組合に加入することで外地商人の組合である商人ハンザと、
商人の本国都市の同盟である都市ハンザが統合されたという
1370年 デンマーク王国
ハンザ都市同盟と戦闘
デンマーク諜報機関A
vsデンマーク諜報機関B
ハンザ同盟の中枢にいたデンマーク諜報機関BがAに反逆したため、制裁を加えようとデンマーク諜報機関A
が攻撃を加えたのだろう、しかし、デンマークは撃退される
1397年 カルマル同盟成立 デンマーク諜報機関A
スウェーデン人
ノルウェー人
vsデンマーク諜報機関B
デンマーク諜報機関Bに対抗してデンマークがカルマル同盟をスウェーデン、ノルウェーと結ぶ
1410年 タンネンベルクの戦闘 ブリテン系デーン人A2
フランス諜報機関
vsデンマーク諜報機関C
ドイツ騎士団敗北
1435年 デンマーク王国
ハンザ都市同盟と戦闘
デンマーク諜報機関A
vsデンマーク諜報機関B
ハンザ同盟の中枢にいたデンマーク諜報機関BがAに反逆したため、制裁を加えようとデンマーク諜報機関A
が攻撃を加えたのだろう、しかし、デンマークは撃退される
1440年 プロシア連合 フランス諜報機関
vsデンマーク諜報機関C
ドミニコ会が、ドイツ騎士団に対する反体制派創設の目的でプロシア連合を設立
1448年 オルデンブルク朝
デンマーク王国
デンマーク諜報機関 ホルシュタインのオルデンブルク伯が王に即位、デンマークはヨーロッパの強国として君臨することになる
1454年〜 十三年戦争 ブリテン系デーン人A2
フランス諜報機関
vsデンマーク諜報機関C
ドイツ騎士団弱体化
1460年 カルマル同盟組み入れ
シュレースヴィヒ公国
ホルシュタイン公国
デンマーク諜報機関A もともとのデンマーク勢力圏をカルマル同盟に組み入れた
1474年 ホルシュタイン公国 デンマーク諜報機関A
vsデンマーク諜報機関B
1520年 ストックホルムの血浴 新デーン人(反逆派)
英国諜報機関スウェーデン分家
vsデンマーク諜報機関A
1523年 カルマル同盟崩壊
ヴァーサ朝建つ
新デーン人(反逆派)
英国諜報機関スウェーデン分家
vsデンマーク諜報機関A
1500年代 ハンザ同盟活動停止
1523年 ドイツ騎士団
ルター派に改宗
新デーン人(反対派)
デンマーク諜報機関C
総長ブランデンブルクがマルティン・ルターに面会し、感銘を受けたという、この後、同調する団員と共に
ルター派に改宗、同調しなかったドイツ騎士団の残党は追放された
新デーン人の一派であるデンマーク人が新デーン人(反逆派)が作ったルター派に興味を持ったのは
おもしろい、ドイツ騎士団の一部は英国諜報機関スウェーデン分家にも参加しただろう
追放された団員はハプスブルグ家のもとで維持されたという
1616年 デンマーク東インド会社
デンマーク海上帝国
デンマーク諜報機関
1669年 ハンザ同盟終焉
1800年 武装中立同盟 ロシア諜報機関
デンマーク諜報機関
vs英国諜報機関
ロシア帝国に誘われ、大英帝国と袂を分かったが、それが原因でイギリス艦隊の侵攻を受け、
デンマーク艦隊が撃破された


























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