ノルマン人の帝国@ V
フランス諜報機関の精鋭 ナポレオン・ポナパルト
フランス帝国・第二帝政フランス
年代 |
できごと | 勢力 | 内実 |
1688年 | 名誉革命 | 英国諜報機関 オランダ諜報機関 vsノルマン人A2b |
ノルマン人A2b勢力の本拠地が英国諜報機関に奪われ、ノルマン人A2b勢力はアメリカ大陸に拠点を築く しか道がなくなることになる |
1689年 | ウィリアマイト戦争 (ジャコバイト運動) |
フランス諜報機関 アルバ系デーン人 アイルランド人 vs英国諜報機関 |
オランダを傘下に置いたイングランドに危惧を示し、フランス諜報機関がスコットランドのアルバ系デーン人の 一派とアイルランド人に反逆を打診、ジャコバイト運動が始まる ジャコバイトがジャコバン(フランス革命)の由来となる |
1690年 | ボイン川の戦闘 | ||
1696年 | ウィリアム3世暗殺未遂事件 | ||
1707年 | イングランド・スコットランド 合同法 |
英国諜報機関 vsアルバ系デーン人 |
英国諜報機関はアルバ系デーン人勢力を平定 |
1715年 | 1715年の乱 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
|
1722年 | アタベリ陰謀事件 | ||
1745年 | 1745年の乱 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
|
1786年 | 首飾り事件 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 vsフランス王制 vsフランス系カトリック教会 |
この事件により、マリー・アントワネットを批判する口実が出来、フランス革命の引き金がひかれる。 事件を起こしたロアン枢機卿とジャンヌ・ド・ラ・モットは英国の勢力下にあるのだろう。ジャンヌは亡命先の イギリスで事件にまつわる「回想録」を出版。そんなおり、不審死を遂げる。「回想録」には英国諜報機関にとって いろいろ不都合なことが書かれていたと推測できる |
1789年 | 「国民衛兵」を組織 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 vsフランス王制 vsフランス系カトリック教会 |
パリ市民は、議会とパリを守るために市民による軍隊、「国民衛兵」を組織 英仏両諜報機関による指示、約1000年続いたノルマン貴族による支配系統破壊が目的 |
1789年 | バスチーユ襲撃 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 vsフランス王制 vsフランス系カトリック教会 |
市民は貯蔵されていた火薬を手に入れる。なぜ彼らにこのことが知られていたのだろうか、それはもちろん 諜報機関が背後にいる証だ |
1789年 | ヴェルサイユ宮殿に向かい パンを要求 |
英国諜報機関 フランス諜報機関 vsフランス王制 vsフランス系カトリック教会 |
バスチーユ襲撃の英雄マイヤールが数千人の主婦を率いてヴェルサイユ宮殿に向かい、パンを要求 マイヤールが何者なのか詳細が無いが、あきらかに英仏、どちらかの諜報員だろう |
1789年 | ジャコバン・クラブ発足 | 英国諜報機関 | ブルジョア市民はジロンド派を支持し、下層市民はジャコバン派を支持していた(英国諜報機関は いつでも下層民が好きだ。ということで、ジャコバン派の意志は大英帝国の意志であるということがわかる |
1789年 | 教会財産の国有化 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 vsフランス系カトリック教会 |
英国諜報機関によるフランス国民の精神的土壌、カトリック破壊の意志が見える |
1790年 | ハイチの奴隷を一部解放 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 vsフランス王制 vsフランス系カトリック教会 |
英国勢力下にあった革命政府による奴隷解放はあくまでフランス支配からの解放である。 つまり、砂糖の世界的一大生産地所有という、大英帝国の意志が見え隠れする |
1790年 | 聖職者市民化法 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 vsフランス系カトリック教会 |
大英帝国永年の夢、カトリックの無力化 |
1791年 | ピルニッツ宣言 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vsハプスブルグ家勢力 |
欧州の君主連合がピルニッツ宣言、神聖ローマ帝国勢力の大英帝国勢力増大懸念 |
1792年 | オーストリア、プロシア フランス侵攻 |
英国諜報機関 フランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vsハプスブルグ家勢力 |
|
1792年 | ジロンド派内閣が宣戦 | フランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vsハプスブルグ家勢力 |
プロイセン軍がパリに迫ると、政府は祖国の危機を全土に訴え、「フランス国民よ、祖国を守れ、 革命を守れ」と檄を飛ばした。これに応えてフランス全土 で義勇兵が組織され、パリに集結した(せっかく手に入れたフランスを英国勢力が手放すはずが無い |
1792年 | 反革命容疑者を虐殺 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 |
アベイ監獄で民衆が多数の反革命容疑者を虐殺、英国諜報機関が指揮していると思われる |
1792年 | 国民公会、王権廃止を決議 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 vsフランス王制 |
英国諜報機関がフランスに王手 |
1793年 | ルイ16世処刑 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 vsフランス王制 |
ルイ16世の最後の言葉「人民よわたしは無実のうちに死ぬ、わたしは敵を許そう」(敵とは大英帝国だろう |
1793年 | ジャコバン派が ジロンド派議員を逮捕、追放 |
英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
ロベスピエールが全権掌握。公安委員会、保安委員会、革命裁判所などの機関を通じて恐怖政治を行なう。 エベール派、ダントン派など反対派をギロチン台に送り、粛清(この事象は、当初は共同でフランス支配の 道筋を立てようと約束をしていた英国諜報機関がフランス諜報機関を裏切ったと考えるコトが出来る |
1793年 | 国民総動員令可決 | 英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
|
1793年 | 反革命容疑者法を制定 | 英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
国民公会、反革命容疑者法を制定、ギロチン時代開始、英国勢力によるフランス勢力排除 |
1793年 | 英国首相、ピットの呼びかけ 第一次対仏同盟結成 |
英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
これにより、飼いならした革命派にまかせることもなく、英国軍をフランス国内に直接送り込み、 要所を破壊、または確保する口実が出来るし、またフランス革命の裏に大英帝国の意志は存在しない という全欧州に対するアピールにもなる |
1793年 | ロラン夫人処刑 | 英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
最後の言葉「自由よ、汝の名に於いていかに多くの犯罪が行なわれたことか」(大英帝国は神の名の下に、 ではなく、自由の名の下に殺人を正当化した |
1793年 | ナポレオンが軍港 トゥーロンを奪還 |
フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
フランス諜報員であるナポレオンは大英帝国の裏切りを許さず、シッペ返しを食らわせ、一矢報いたかった |
1794年 | 全植民地で奴隷制を廃止 | 英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
大英帝国はフランス支配を破棄し、フランスの植民地をすべて自分のモノにすることができる |
1794年 | ヴァントーズ法を可決 | 英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
反革命者の全財産を没収し、貧民に 分配するヴァントーズ法を可決 英国諜報機関は下層民の扱い方を良く心得ている、これは同時にフランス有力者の無力化でもある |
1794年 | 「最高存在の祭典」 | 英国諜報機関 vsフランス諜報機関 vsフランス系カトリック教会 |
ノルマン貴族による精神支配装置、カトリックに替わる大英帝国による新たな精神支配装置、 最高存在の祭典、これは失敗に終わる、世界各地に大英帝国が創ったカルトの元型といえる |
1794年 | プレリアル法が可決 | 英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
反革命派を根絶やしたいがため、裁判の迅速化を謀るプレリアル法が可決 もちろん英国諜報機関の指示だろう |
1794年 | ロベスピエール処刑 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
英国諜報機関は急ぎすぎたようだ、フランス諜報機関による英国勢力の排除 |
1794年 | ロベスピエール派の嫌疑を 掛けられていたナポレオン釈放 |
フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
ナポレオンはフランス側の諜報員であり、ジャコバン派の情報を得るためにロベスピエールに接近した |
1794年 | ジャコバン修道院閉鎖 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
諜報員は昔から修道院に根付き、謀を企み、秘かに軍事訓練も行なっていた |
1795年 | 国民公会、礼拝の自由を 回復する法令を承認 |
フランス諜報機関 フランス系カトリック教会 vs英国諜報機関 |
フランス諜報機関が英国勢力排除に成功したことがうかがえる |
1795年 | 民衆が国民公会に乱入 軍隊により鎮圧 |
英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
ジャコバン憲法の実施と食料を要求する民衆が国民公会に乱入、軍隊により鎮圧 フランス勢力が英国勢力を鎮圧 |
1795年 | 王党派のパリ市民が国民公会 を襲撃、ナポレオンが鎮圧 |
フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
フランス諜報機関がノルマン貴族の勢力を排除 |
1795年 | 総裁政府樹立 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
カトリックは残されたが、永年西欧を支配したノルマン系の支配系統が一部破壊され、 英国の悪意も排除され、フランス諜報機関による政府が誕生 |
1796年 | 第一次イタリア遠征 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
英国諜報機関による欧州支配の夢は一時頓挫するが、その意志をフランス諜報機関が 受け継ぎ、欧州各地に軍を送り出す、その発端 |
1799年 | ナポレオンのクーデター | ナポレオン vsフランス諜報機関 |
一諜報員だったナポレオンは舞台裏に戻るのを好まず仲間の諜報員たちを裏切る |
1800年 | ナポレオン暗殺未遂 | フランス諜報機関 vsナポレオン |
古来から西欧を支配してきたノルマン貴族の勢力下にある王党派によるもの、この当時、 ナポレオンは英国諜報機関、フランス諜報機関、ノルマン系配下の諜報機関に狙われていたと考えられる |
1804年 | ブルボン家のアンガン公銃殺 | ナポレオン vsフランス諜報機関 |
ナポレオンを消してアンガン公をフランス王に据えようとした王党派の陰謀に対し、ナポレオンが先手を討つ |
1804年 | ナポレオン皇帝の戴冠式 | ナポレオン vsフランス諜報機関 |
|
1805年 | ロシア皇帝アレクサンドル1世 オーストリア皇帝フランツ2世 の連合軍を撃破 |
ナポレオン vsロシア勢力 vsハプスブルグ家勢力 |
チェコのアウステルリッツでロシア皇帝アレクサンドル1世とオーストリア皇帝フランツ2世の連合軍を撃破 |
1812年 | ボロディノ会戦に勝利 | ナポレオン vsロシア勢力 |
モスクワ入城、大英帝国を除く全欧州を制圧 ナポレオンが諜報員の精鋭、優秀な謀略家としての才能を開花させたのか、はたまた英国諜報機関が 油断させるために持ち上げたのか |
1813年 | ナポレオンに抵抗する 解放戦争開始 |
英国諜報機関 フランス諜報機関 vsナポレオン |
フランス軍内部に於いても英国諜報機関、裏切り者に制裁を加えようと企むフランス諜報機関の悪意が潜んでおり、 内部からも蝕まれていく、諜報員は表舞台に出てはいけないのだ、彼らは見えるようになると無力化するという好例 |
1814年 | ナポレオン退位 エルバ島に流刑 |
英国諜報機関 vsナポレオン |
ついに大英帝国が武力により、ナポレオンだけでなく、どさくさにまぎれて共に戦ってきた フランス諜報員たちを殺害、排除、フランスを手に入れた |
1814年 | 王政復古 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 |
英国諜報機関は共通の敵であるナポレオンを倒すためにフランス諜報機関と手を組んだ。そして、その見返りとして フランス諜報機関は王政を復活させることに成功、だが、のちに英国諜報機関により王政は廃止され、 英国諜報機関がフランス政府を操り、今日に至っていると考える、カトリックの利権はフランス諜報機関に残された |