古代メソアメリカに於けるデーン人の足跡
アトランティス人と呼ばれたブリタニア系デーン人
神官という役職はトルテカ人が導入したという、背後には神を輸出する人々、デーン人がいただろう
◆デーン人基本仮名称◆
3万年前〜BC5000年期 古代デーン人(ZZ系デーン人)
BC5000年〜BC3000年期 大航海時代古代デーン人(ZY系デーン人)
BC2000年〜BC500年期 旧デーン人(YZ系デーン人)
BC1300年〜 第二大航海時代ブリテン系旧デーン人(YY系デーン人)
BC500年〜 スカンジナビア系新デーン人(XZ系デーン人)
AD700年〜 第三大航海時代 ブリテン系新デーン人・ヴァイキング(XY系デーン人)
AD900年〜 ノルマン人(XX系デーン人)
◆古代デーン人◆
第三次大航海時代(大西洋・地中海・紅海・ペルシア湾・インド洋・太平洋ルート)
エーゲ海(古代デーン人Aグループ)=地中海・サルディーニャ島・エーゲ海
エジプト・アフリカ(古代デーン人Bグループ)=エジプト・テーベ・ヌビア・アフリカ大陸・紅海・ベドウィン族
メソポタミア/シュメール人・ヘブライ人(古代デーン人Cグループ)=ペルシア湾・ウバイド人
インド・東南アジア(古代デーン人Dグループ)=カッチ・ハラッパー・マレー半島・セレベス島
東アジア(古代デーン人Eグループ)=日本東北地方・沖縄・朝鮮半島
南北アメリカ(古代デーン人Fグループ)=南北アメリカ大陸
古代デーン人A(サルディーニャ人、シチリア人、クレタ人、ロードス島、キプロス島、キクラデス諸島)
古代デーン人B(B1a/テーベ、B1b/ヌビア、B2/ベドウィン・プント王国、B3/エジプト王朝)
古代デーン人C1(シュメール神官団A/ヘブライ人)=(ユダヤ人/C1a、イスラエル人/C1b)
古代デーン人C2(シュメール神官団B)=(カッシート人/C2a、アッシリア人/C2b)
古代デーン人D(ダーサ人、パニ人、カッチ人、チャンダーラ、デミアル人、ワナ人)
古代デーン人E(東北・北海道縄文人、蝦夷・アイヌの先祖)
古代デーン人F(ディネ族/ナバホ族・アパッチ族、イサパ文明、アパラチー族他)
◆ブリテン系デーン人(旧デーン人)◆
ギリシア(ブリテン系デーン人Aグループ)
シリア・メソポタミア(ブリテン系デーン人Bグループ)
エジプト(ブリテン系デーン人Cグループ)
アフリカ(ブリテン系デーン人Dグループ)
インド・東南アジア(ブリテン系デーン人Eグループ)
東アジア(ブリテン系デーン人Fグループ)
太平洋ポリネシア・大西洋岸南北アメリカ(ブリテン系デーン人Gグループ)
ブリテン系デーン人A=(A1/エトルリア人、A2/ローマ帝国、A3/アテネ市、A3a/ビザンツ帝国、A3b/ヴェネツィア共和国、A3c/ハザール帝国)
※アテネ人A3系勢力圏(キリキア、マッシリア、コルシカ島、サルディーニャ北部、シチリア東部、ポントス王国、ボスポロス王国)
ブリテン系デーン人B=(B1/フェニキア人・ペリシテ人・ダン族、B2/新アラム人、B3/新ヒッタイト人)
ブリテン系デーン人C=(C1/エジプト王朝、C2/テーベ・アメン神官団)
ブリテン系デーン人D=(ヨルバ人、マダガスカル島)
ブリテン系デーン人E=(セイロン島、インド南部)
ブリテン系デーン人F1=(F1aA/ミャオ族、楚、太平道、黄巾族、呉、南詔、大理国、白蓮教、F1aB/華僑、F1b/邪馬台国、倭寇)
ブリテン系デーン人F2=(F2aA/皇族、F2aB1/奥州藤原氏・全真教、F2aB2/藤原氏、F2bA/関西平氏、F2bB/関東平氏、
F2cA/粛慎・渤海、女真人・満州人、F2cB/モンゴル人、F2cB1/タタール人、F2cB2/オイラート人、F2d/高句麗・高麗人)
ブリテン系デーン人G=(ポリネシア人/タアネ神、オルメカ人/ユカタン半島)
◆新デーン人◆
新デーン人A1a/スカンジナビア系デーン人(ケルト人、ドルイド教ローマ人奴隷、ダキア人)、新デーン人A1b(キンブリ人、テウトニ人)
新デーン人A2/中央アジア系デーン人(A2a/エフタル・ヒョーン人、マッサゲタイ人、パルティア人、A2b/チャガタイ汗国、オゴタイ汗国、チムール帝国)
新デーン人A3/東アジア系デーン人=匈奴(A3a)、フン族(A3b)、鮮卑(A3c)、柔然(B)、吐藩(C1)、唐/天台宗(C2)、契丹(D1)、西夏(D2)
新デーン人A4/アルバ系デーン人(スコットランド・アイルランド系カトリック・アイオナ修道院、ティオティワカン帝国)
新デーン人B1/ゴート人(西ゴート王国)
新デーン人B2/フランク人(フランク王国、ノーサンブリア王国、イースト・アングリア王国、マーシア王国、
エセックス王国、ウェセックス王国、サセックス王国、神聖ローマ帝国、エデッサ王国、エルサレム王国)
新デーン人B3/ロンバルディア人(北イタリア地方、ラテン帝国、ジェノヴァ共和国)
新デーン人A1a/デーンロー系デーン人(ジュート王国・カンタベリー大司教座・デーンロー)
新デーン人A1c/スウェード人(バルト三国、キエフ公国、ウクライナ)
新デーン人A1d/ノルウェー人(アイスランド共和国、グリーンランド、トルテカ人)
新デーン人A5/デンマーク人(デンマーク王国・カルマル同盟)
ノルマン人A1/フランス系ノルマン人(ノルマンディー公国・クリュニー修道会、外ヨルダン領、ゼンギ朝シリア、カスティーリャ王国、レオン王国、スイス連邦)
ノルマン人A2/イングランド系ノルマン人(ノルマン朝、ピサ共和国、ナバラ王国、アラゴン王国)
ノルマン人A3/イタリア系ノルマン人(シチリア・ナポリ王国、ブルガリア人、アンチオキア王国、トリポリ王国、ラテン帝国)
◆メソアメリカで暗躍したと考えられるデーン人勢力◆
古代デーン人Fグループ
ブリテン系デーン人Gグループ(旧デーン人)
アルバ系デーン人/新デーン人A4
ノルウェー人/新デーン人A1dA
アイスランド人/新デーン人A1dB
英国諜報機関エストマレドゥーラ分家/ノルマン人A2a+新デーン人A1aA
フランス諜報機関・フランシスコ修道会/ノルマン人A1
神聖ローマ帝国・ハプスブルグ家/新デーン人B2
年代 | できごと |
勢力 | 内実 |
---|---|---|---|
BC9000年頃 | 最初のアメリカ人 | 現生人類 | 現生人類が南米大陸の南端にまで達した |
BC9000年〜 BC7500年 |
ロウ・ハ期 | 現生人類 | 移動生活を送るマイクロバンドの野営跡の遺跡発見 |
BC5000年頃 | 古代デーン人 第一次大航海時代 第二次大航海時代 |
古代デーン人 | 古代デーン人がバルト海、スカンジナビアを探検、スカンジナビア南部に拠点を移す また、その後にブリテン島・アイルランドを発見し、入植する、そして彼らが海の民の祖となる |
BC4000年頃 | 古代デーン人 第三次大航海時代 |
古代デーン人 | 古代デーン人が世界を又に駆けた第三次大航海時代が開始する 彼らがアメリカ大陸(アラスカ、カナダ)に到達するのは2500年後である |
BC3000年頃 | グアテマラ トウモロコシの栽培化 |
現生人類 | |
BC2000年頃 | 原マヤ語を話す集団発生 | 現生人類 | グアテマラ西部とチアパス高原に出現したという |
BC1800年〜 BC250年頃 |
先古典期前期 マヤ文明の村落 |
現生人類 | きわめて効率の良い農耕の採用によってマヤ地域一体に人口稠密な村落が出現した |
BC1700年〜 BC1500年頃 |
マヤ文明、ロコーナ期 | 現生人類 | 土器製作技術の複雑化、ロッカースタンピング技法に加えてスリップで光沢あるピンク色に仕上げる彩色法も工夫された |
BC1500年〜 BC1400年頃 |
マヤ文明、オコス期 | 現生人類 | 殆どの面でロコーナ期を引き継いでいるが縄目による土器の装飾という要素が加わる |
BC1500年頃 | 古代デーン人大航海時代 北米大陸に到達 |
古代デーン人 | アラスカ、カナダ北西部、南西部にかけて存在するディネ(dene)という原住民はデーンに由来しているだろう 古代デーン人は日本列島、東北地方に植民し、関西地方蹂躙の準備をしながら他の一派は、更に冒険の旅に出る べく準備をしていただろう、数百年後に彼らは出発し、シベリア、アリューシャン列島、アラスカ、カナダと順に到達し シャーマン文化を残した、古代デーン人はディネの一派を戦士として育成し、アパッチ族、ナバホ族として 北アメリカに侵攻、他の原住民勢力と対立させ、3000年も前に北米大陸に於いてデーン勢力圏拡大を謀った |
BC1400年 | オルメカ文明勃興 (サン・ロレンソ) |
現生人類 | |
BC1200年 | 海の民、ブリテン島出発 地中海侵攻 |
ブリテン系デーン人 | 海の民が地中海に侵攻、ヒッタイト帝国を滅ぼし、シリアを破壊し、ラムセス朝エジプトに挑戦した このブリテン系デーン人Aグループとは別に、Gグループが南アメリカ大西洋岸に侵攻した |
BC1000年 | オルメカ文明の中心地 (サン・ロレンソ)崩壊 |
ブリテン系デーン人? | オルメカ文明が何者かによって破壊されたという、ちょうど、海の民(ブリテン系デーン人)が地中海.地方に侵攻した 時期(BC1200年代)と重なる |
BC1000年〜 BC700年頃 |
マヤ文明、スウェージー・ ブレーデン期 |
現生人類 | ポップコーン用のトウモロコシの小さな穂軸の他、ヤムイモ、ココヤム、マニオクなどの根茎類が含まれていた |
BC900年〜 BC400年頃 |
コパン、先古典期中期 ウィール期「オルメカ化」 |
ブリテン系デーン人? | 先古典期前期の終わり頃にオルメカ化していった、オルメカに似た刻文土器が製作されオルメカ的な石造モニュメント まで創られた、この擬似オルメカ現象はコパン谷にも波及していた |
BC750年頃 | 先古典期中期 マヤ文明の都市ナクベ |
ブリテン系デーン人? | 以前の村の建物を覆うようにして高さ18mに及ぶ大規模な基壇や建物が建てられた |
BC700年〜 BC400年頃 |
マヤ文明、マモム期 | ブリテン系デーン人? | マヤ低地では古い神殿を覆うようにその上に新しい神殿を築いていた |
? | 中期オルメカ文明の中心地 (ラ・ベンタ) |
ブリテン系デーン人? | サン・ロレンソに侵攻した旧デーン人たちが支持者の現地人を連れてラ・ベンタに移ったのだろうか? |
BC300年〜 AD250年 |
先古典期後期マヤ文明 | ブリテン系デーン人? | マヤ低地の古典期文明は洗練された暦を持ち、独特の文字を使用していた、石灰岩の石組みで持ち送り式の 天井がある部屋を持つピラミッド神殿や宮殿を造った |
BC500年頃 | 古代デーン人大航海時代 中南米太平洋岸に到達 |
古代デーン人? | カナダ北西部を拠点とし、南下、北米太平洋岸を順に下り、シャーマン文化を残したと考えられる |
BC300年頃 | ナクベ遺跡、最大の建造物 | ブリテン系デーン人? | 先古典期後期のはじめに先古典期中期の基壇を覆って建てられたもの |
BC220年頃 | ダーナ神族、ブリテン島 アイルランド急襲 |
ダーナ神族 | ローマ共和国との戦いにしばし休戦をとった新デーン人の一派がスカンジナビアを出発、来るローマとの次回戦に 備え、第二の領土であるブリテン島、アイルランドの手綱を締めにダーナ神族(後のアルバ系デーン人)が急襲 |
BC200年〜 BC50年頃 |
イサパ文明(太平洋岸) | 古代デーン人? ポリネシア人? |
イサパ様式を特徴付けるのは洗練された芸術様式であり、それはベラクルス州の海岸地帯にあるトレスサポテスから グアテマラの太平洋岸の平野部、更にはマヤ高地のグアテマラシティー周辺まで広い範囲に渡って分布する 石彫モニュメントに見出すことが出来るという、また表面に川原石を張った土盛りの神殿マウンドが80以上もある 土盛りの墓は日本の古墳を連想させるが、古代デーン人が陸伝いに1000年ほどかけて南米までたどり着いた のだろうか?それとも、ミクロネシア・ポリネシアの人々がたどり着いて造った文明だろうか? |
? | 古代デーン人大航海時代 フエゴ諸島に到達 |
古代デーン人? | ヤーガン族にシャーマン文化を残したと考えられる、この後、大西洋岸を北上しながらシャーマン文化を伝え続けた |
BC200年〜 600年頃 |
軍事大国ティオティワカン | ダーナ神族 | マヤ低地がティオティワカンに侵略された、ティオティワカンは宗教都市であり、「神々の都市」という意味を持っていた 後にこの地を訪れたアステカ人が命名したという、白い神、ケツアルコアトルも崇拝されていた この時期にブリテン島に侵攻したダーナ神族がそのままユカタン半島にまで足を伸ばした、だろうか? ※デーン人以上に好戦的な民族はいないという考えだけで、他に確証は無いのだが |
? | 古代デーン人大航海時代 フロリダ半島に到達 |
古代デーン人? | BC4000年頃にブリテン島を出発し、アフリカ、紅海、ペルシア湾、インド洋、東南アジア、日本海、シベリア 南北アメリカ太平洋岸、フエゴ諸島、北上して南北アメリカ大西洋岸と旅してきた古代デーン人の最終到達地点か? 当時のフロリダ半島に住んでいたアパラチ族に古墳文化を伝授したと考えられるが、ブリテン系デーン人の 勢力圏と考えられるユカタン半島付近は迂回したのだろう |
200年頃 | 「羽毛ある蛇の神殿」建設 | ダーナ神族 | 200人もの生贄が捧げられたという、これはデーン人の発想ではないか? ※デーン人以上に好戦的な民族はいないという考えだけで、他に確証は無いのだが |
250年〜 900年 |
輝けるマヤ文明 古典期前期 |
現生人類 | |
378年 | 偉大なジャガーの足の死 シヤフ・カック到着 |
ダーナ神族 vsブリテン系デーン人? |
ティオティワカンによる征服王朝がはじまったという |
300年代 | コツマルワパ文明 | ピピル人はいつも謎の民族とされたという | |
400年頃 | マヤ文明、エスペランサ期 マヤ高地がティオティワカン の支配下に |
ダーナ神族 vsブリテン系デーン人? |
|
600年頃 | ティオティワカンが破壊される | ブリテン系デーン人? vsダーナ神族 |
|
600年頃 | マヤ文明、ツアコル期終焉 | ブリテン系デーン人? | マヤ文明が開花し、石造神殿や宮殿が所狭しとひしめきあっていた |
684年 | 「十字の神殿」 カン・バラム2世即位 |
ダーナ神族 | アルバ系デーン人が本土と連絡を取り、後続部隊として、新手のアルバ系デーン人や配下のピクト人の部隊の 派遣を要請したのではないか?アルバ系デーン人はこの頃、ちょうどキリスト教にはまっていた 「十字の神殿」創造ということで、アイルランド系カトリックの祖、アルバ系デーン人の関与が窺える |
735年 | ドス・ピラスが セイバルに侵攻 |
?? | どっちがどっちかわからないが、アルバ系デーン人とブリテン系デーン人の戦いではないか? |
751年〜 790年 |
マヤ文明崩壊 | ダーナ神族 vsブリテン系デーン人? |
長期に渡り維持されてきた国家間の同盟は崩れ、相互の交易も衰退し、隣接する都市国家のあいだで抗争が増加 |
760年〜 830年 |
ドス・ピラス、アグアテカで 防御柵の遺構発見 |
ダーナ神族 ピクト人? vsブリテン系デーン人? |
この頃には多くの宮殿、神殿は防御施設を造るために石材を剥がされて瓦礫の山と化し、住民は防御柵内側の 粗末な萱葺きの家を密集させて敵襲に脅えながら暮らしていた、という とっくの昔に本土と連絡を断っていたブリテン系デーン人と違い、本土と連絡を取っていたアルバ系デーン人が ピクト人(古代デーン人の子孫)などを派遣させ、ブリテン系デーン人勢力を駆逐した、のではないか? |
815年 | ノルウェー人、 アイスランド到達 |
ノルウェー人ヴァイキング、アイスランドに入植、北アメリカ侵攻の拠点となる | |
820年 | コパン王朝終焉 | ?? | |
844年 | ノルウェー人、スペインに南下 | ノルウェー人 | カディスとセビーリャを掠奪、ノルウェー人は更に北アフリカにまで南下した この時に、彼らは北アフリカを拠点にユカタン半島にまで足を運んだ、だろうか? ※デーン人以上に好戦的な民族はいないという考えだけで、他に確証は無いのだが |
849年 | セイバル マヤ文明、古典期終末期 |
ノルウェー人? | パシオン川流域の大規模都市であったセイバルは古典期後期に小規模な国家ドス・ピラスに敗戦していたが その痛手からは復興していた しかし、古典期終末期にどこか遠くからやって来た戦士(或いは武装交易者)によって支配されてしまったという 時期から言うと、欧州ではヴァイキング時代の真っ只中であったが、西方ルートに向かったノルウェー人が 北アメリカを経由してマヤにまでたどり着いたのだろうか? ※デーン人以上に好戦的な民族はいないという考えだけで、他に確証は無いのだが |
10世紀頃 | コツマルワパ文明崩壊 | ノルウェー人? | |
900年頃 | トルテカ人戦士集団が ユカタン半島を支配 |
ノルウェー人? | トピルツィン王はケツァルコアトル「羽毛ある蛇」と呼ばれていたが、ケツァルコアトルは白い神と呼ばれている ということは、西方ルートに向かったデーン人の可能性がある ※デーン人以上に好戦的な民族はいないという考えだけで、他に確証は無いのだが |
905年 | ユカタン半島古典期終末期 独特の建築様式発生 |
||
982年 | ヴァイキングの首長エイリク グリーンランドに到達 |
アイスランド人? | アイスランド人ヴァイキング、エイリクはグリーンランドだけでなく、ユカタン半島の豊かな文明も発見したのではないか しかし、親方のデーン人の貪欲さを考慮、仲間にさえユカタン半島のことは何ひとつ語らなかったのではないか? この時に、25隻のうち、10隻は消えたと歴史に記されているが、その10隻はユカタン半島に向かったのではないか? |
987年 | ククルカンが西方から到来 チチェンイツアーに新都市建設 |
ノルウェー人? | このククルカンはユカタン半島を正統な支配者から奪い取りチチェンイツァーに新しい都を建設したという トルテカ人の戦い方は残虐であったというが、ヴァイキングを連想させる ※デーン人以上に好戦的な民族はいないという考えだけで、他に確証は無いのだが チャックモール像等はトルテカ人が創ったが彼らが行なった生贄の儀式もじつは異分子排除であった可能性がある |
992年 | エイリクの息子、赤毛のレイヴ グリーンランド出発 |
アイスランド人? | マルクランド、ヴィーンランドを発見、帰還したレイヴはこの件を報告、弟のトールヴァルドが 探検に出発、インディアンと戦闘を演じたという、この時にしっかりユカタン半島攻略の拠点を築いたことだろう |
1020年 | トルフィン・カールフセニ アメリカ大陸へ向かう |
アイスランド人? | 目的は入植であったが、到着した冬に食料が不足しキリスト教徒と異教徒の間の対立が悪化 インディアンと交易をしていたが、争いが勃発、この地に定住することは危険と判断しグリーンランドへ引き返したという しかし、実際にはこの後も何度もユカタン半島へ赴いたのではないか |
1156年 | トルテカの首都 トゥーラ破壊 |
アイスランド人? vsノルウェー人 |
後発のアイスランド人(ノルウェー人)が先発のノルウェー系ヴァイキングと一戦交えた可能性がある |
1200年頃 | イツァー人が移動 | ノルウェー人? vsアイスランド人? |
マヤ人に嫌われていたイツァー人はトルテカ人と同じデーン人の一派だった可能性がある イツァー人がマヤ人に嫌われていた理由はイツァー人が勢力圏争いに負け、トルテカ人が勝った、その上で マヤ人はトルテカ人の支配下にいたと考えられる |
1224年 | 首都チチェン・イツァー放棄 | アイスランド人? vsノルウェー人 |
トルテカ人はこの後、消えてしまったという |
1263年頃 | イツァー人が都市 マヤパンを建設 |
アイスランド人? | イツァー人は異国人、ペテン師の無頼漢などと呼ばれ、イツァー人の軍事指導者であったカックパカル(火の楯)は 「われわれの言葉をデタラメに話す人」と呼ばれていたということからユカタン出身ではなかった、という そして、彼らを導いたのは偉大なトルテカ王と同じ、ククルカンという称号を持つ者だった、という |
1441年〜 1461年頃 |
マヤパン滅亡 | ノルウェー人? vsアイスランド人? |
マヤパンのフナク・ケエル王が魔術でチチェン・イツァーの王、チャク・シブ・チャクをたぶらかされてイサマル王の 花嫁を誘拐した、という口実にイツァー人が報復を受け、チチェン・イツァーを逃げ出したという また、マヤパンのココム一族も皆殺しになり、栄光の都、マヤパンは破壊されたという イツァー人勢力が攻撃を受けたわけだが、イツァー人はアイスランド人勢力だったわけで、首謀者はノルウェー人、か? 追放されたイツァー人はその後も命脈を保ち、ペテン・イツァー湖にタヤサルという都市を築いた |
1524年 | エルナン・コルテス タヤサル王に会う |
英国諜報機関ルシタニア分家 vsアイスランド人? |
過去、アイスランドのヴァイキングが支配していたと考えられるイツァー人の一派、タヤサル王国のカネク王に コルテスが接触、丁重なもてなしを受けたという、スペインは、懐柔できないまま残った最後のマヤの国に対して 宣教師を差し向け、マヤ人を説得しようと試みたが無駄だったという |
1695年 | フランシスコ修道会 タヤサル王国に宣教 |
フランス諜報機関 vsアイスランド人? |
フランシスコ修道会の修道士、改宗したマヤ人キリスト教徒がカネクの王国を訪れたが、周囲の雰囲気は敵意に 満ちたものであり、カヌーの大船団が楔形の隊形を組んで出現したという、交渉は決裂したが 2年後にスペイン人が軍事的な成功を収めたという、自覚していたかしていなかったは分からないが、新旧デーン人 のユカタン半島に於ける勢力図の交替・刷新ということでもあっただろう |