新デーン人の帝国A U フン帝国
聖ヨハネ騎士団・テンプル騎士団・ピサ共和国・マルタ騎士団
年代 |
舞台 | できごと | 勢力 | 内実 |
1095年 | セルジュークトルコ帝国 ビザンツ帝国 |
クレルモン公会議十字軍宣言 | フランス諜報機関 英国諜報機関 vsイスラム教勢力 |
主にフランス系ノルマン人が自分達の意志を「神の意志」と称し、ライバルのスウェード人の 領土、ビザンツの領土を自分たちのものにせんと、またイスラムの冨を自分たちのものに せんと配下のローマ法皇を操作し、大勢の奴隷をキリストの兵士と呼び、ここに史上初の キリスト教による神の名の下による残虐行為行脚、百鬼夜行が開始されることになる 十字軍はある意味、旧デーン勢力と新規ノルマン勢力による連合であった |
1095年〜 1291年 |
セルジュークトルコ帝国 | 第一回十字軍 | 英国諜報機関 フランス諜報機関 イタリア系ノルマン人 神聖ローマ帝国勢力 vsイスラム教勢力 |
彼らはキリスト教布教による新規の侵略法を認識していたが、イスラム教徒をいまさら キリスト教徒に改宗させることは不可能だろうと踏んだに違いない、あと、できることと 言えば、既に改宗済みのキリスト教徒(欧州の民)を大量にイスラム圏に送り込み、 定住させることだった、そのために十字軍の構成は、完全武装の戦闘員は全体の 1/6に過ぎず、残りは非武装の貧者であり、定員以外の非戦闘員を加えると数万人の 民衆が参加した、子連れの親子、若い夫婦、商人、職人、売春婦、民衆を率いる 聖職者、騎士団と共に時には皇帝までもが行軍に参加、それはまるで、国家が丸ごと 移動しているかのようだっただろう |
1096年 | セルジュークトルコ帝国 | 隠者ピエールの民衆十字軍 | 新デーン人(反逆派) vsフランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vsイスラム教勢力 |
フランス系ノルマン人主導の十字軍が気に入らず、イングランド系ノルマン人が独自の やり方で軍隊を組織した |
1098年 | フランス王国 | 「シトー修道会」 | 英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
おりしも十字軍開始前夜だが、ノルマンディーに残った仲間の残党であるフランス系ノルマン人 勢力(クリュニー修道会)との利害を異にし、独自の利益を追求するためにシトー修道会を設置 した。ナポレオンを皇帝の座から引きずり下ろすまで長年続くことになる、イングランド王国 vsフランス王国の構図は、本質的には新ノルマン勢力vs旧ノルマン勢力の闘いということが出来る |
1098年〜 1146年 |
セルジュークトルコ帝国 | エデッサ国(十字軍国家) | 神聖ローマ帝国勢力 vsフランス諜報機関 vs英国諜報機関 vsイタリア系ノルマン人 vsイスラム教勢力 |
ゴドフロワの弟ボードワンはエルサレム解放の約束を忘れ去ったのか、エデッサへ向かい まったく聖地解放とは無関係な征服に従事していた、このエデッサ領有は現地の キリスト教徒アルメニア人の好意によって初めて実現したにもかかわらずボードワンは そのアルメニア人首長の協力を利用した後、謀略によって亡き者にし、その地位を奪い、 みずからエデッサ伯の称号をとった |
1098年〜 1263年 |
セルジュークトルコ帝国 | アンチオキア国(十字軍国家) | イタリア系ノルマン人 vs英国諜報機関 vsフランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vsイスラム教勢力 |
裏切り者の内通によってアンチオキアは陥落したが、裏切りをそそのかしたのはボヘモンド候 (ノルマン系南イタリア人)であったのちに、彼がアンチオキアの領主となる |
1099年〜 1187年 |
セルジュークトルコ帝国 ファティマ朝エジプト |
エルサレム王国(十字軍国家) | 神聖ローマ帝国勢力 vsフランス諜報機関 vs英国諜報機関 vsイタリア系ノルマン人 vsイスラム教勢力 |
6月7日、エルサレムを一望する郊外に到達、セルジュークトルコ領、ファチマ朝エジプト領 を通過したにも関わらず、どの砦も友好的に彼らを迎え、食料を供給し、道案内までつける ほど親切であった… にもかかわらず、巡礼者たちは戦士に早代わりし、市民を大量に虐殺 異教徒の家財を奪い、集団殺戮を欲しいままにし、エルサレムを占領した |
11世紀頃 | 欧州諸都市 | 糞の街パリ | 欧州の新しい支配者であるヴァイキングを祖とするノルマン人貴族は偉大な先人、ローマ人 が帝国時代に建設した下水設備を廃れるにまかせパリなどの市民は窓から糞尿を捨て、 公道で排泄を行うようになる。結果、パリは「糞の街」と呼ばれトイレ事情は19世紀に なるまで向上することは無かった。この惨状はイギリススペイン、ドイツなどでも同様 であり、疫病の温床となった。異邦の地での略奪行為に明け暮れたノルマン人は領内 では自分の利得に反する行動、言動をする者に対し、異端審判による排除を繰り返した。 それはのちに魔女狩りに発展するが、排水設備等の必要性に気づく知性を持つ有用な 人々を抹殺したのが原因で窓からうんこを投げる行為は19世紀までやむことがなかった。 すべてはノルマン人の貪欲なまでの強欲に端を発しているが有用な人々の淘汰は優勢な 人々の淘汰でもあり、結果バカだけが残ったことがこの悲惨な結果を招いているといえる。 |
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12世紀 | セルジュークトルコ帝国 (パレスチナ) |
「カルメル修道会」 | フランス諜報機関 vsイスラム教勢力 |
十字軍国家内に於けるイスラム勢力排除のために、パレスチナに新たなキリスト教修道会を発足 |
1100年 | ノルマン朝イングランド | ウィリアム2世死去 (ノルマン人A2b勢力台頭) |
ノルマン人A2b vs英国諜報機関 |
ウィリアム2世は狩猟場で亡くなるが、あきらかに陰謀だろう、その後、すぐに弟の ヘンリー1世が即位している |
1101年 | フランス王国 | ローマ法皇パスカリス2世 (第二回十字軍) |
神聖ローマ帝国勢力 フランス諜報機関 イタリア系ノルマン人 vsイスラム教勢力 |
ウルバヌス2世の後継者、パスカリス2世はクリュニー会の修道士として教会刷新運動では ユーグ・ド・クリュニーを助け十字軍歓説ではウルバヌスに勝るとも劣らない活動経歴を もっていたという、クリュニー会修道士ということでノルマン勢力に間違いありません、 イタリア系ノルマン人勢力であるロンバルディア人も一大軍団を組織 |
1102年〜 1289年 |
セルジュークトルコ帝国 | トリポリ国(十字軍国家) | イタリア系ノルマン人 ゴート人 vsイスラム勢力 |
トゥルーズ伯レーモンド候はゴート系勢力であったが、ジェノヴァはイタリア系ノルマン人勢力 であった、そのため、その後にアンチオキアがトリポリを統合した |
1106年 | ノルマン朝イングランド | ノルマンディー公ロベール死去 | ノルマン人A2b vs英国諜報機関 |
第一回十字軍に参加して不在だった長兄のロベールは帰国し、イングランド王位を主張して イングランドに侵攻したが阻止され、ヘンリー1世の王位を認め、ノルマンディーに帰還、 ところがヘンリー1世がノルマンディーに侵攻し、ロベールを捕らえ、ウェールズのカーディフ 城に幽閉し、目をくりぬいて殺し、ノルマンディーを手中にしたという |
1108年 | フランス王国 | 「クレルヴォー修道会」 | 英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
フランス系ノルマン人勢力であるクリュニー修道会の影響下から脱し、独自の利益を追求 するためイングランド系ノルマン人が設置、フランス系ノルマン勢力である聖ヨハネ騎士団 に対抗し、テンプル騎士団を結成。イングランド国内に於いてはノルマン朝と利害を異に する旧英国勢力、サクソン貴族、デーン貴族の排除に努め、大陸に於いては対フランス系 ノルマン人勢力との抗争に明け暮れたが、フランス系ノルマン人主導の異端審判により テンプル騎士団は壊滅する |
1113年 | ローマ教皇領 | 「聖ヨハネ騎士団」 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 vsイタリア系ノルマン人 vs神聖ローマ帝国勢力 vsイスラム教勢力 |
支配者直々の命を実行するための謀略専門部隊、現在のCIAみたいなもん 騎士団といい、修道院といい、諜報機関、医療機関、宗教団体はこの頃から三位一体であった |
1118年〜 1147年 |
セルジュークトルコ帝国 | 外ヨルダン領(十字軍国家) | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 vsイタリア系ノルマン人 vs神聖ローマ帝国勢力 vsイスラム教勢力 |
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1120年 | ノルマン朝イングランド | ホワイトシップの遭難 | 英国諜報機関 vsノルマン人A2b |
ヘンリー1世は王位継承権を持つ嫡子ウィリアムを遭難事故で亡くすが、非常に陰謀めいて いる、娘のマティルダを後継者に指名したが、彼女は従兄弟のスティーヴンスティーヴンと 王位を争い、英国は無政府状態に陥る、英国諜報機関(ノルマン人A2a+新デーン人) と反乱組のノルマン人A2bの対立が見える |
1126年 | セルジュークトルコ帝国 (シリア) |
ゼンギ朝 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 vsイタリア系ノルマン人 vs神聖ローマ帝国勢力 vsイスラム教勢力 |
ノルマン人の混血イマード・アッディン・ゼンギ(フランス系ノルマン勢力)がアレッポの 後継者となる、ノルマン人はゼンギを使いダマスクス(イスラム勢力)攻略を試みる |
1128年 | ローマ教皇領 | 「テンプル騎士団」 | ノルマン人A2b 英国諜報機関 vsイスラム教勢力 vsフランス諜報機関 |
フランス系ノルマン人が十字軍の輪を乱し始めたため、イスラム圏に於ける 英国勢力確保のためにノルマン人A2bが主導で結成 |
1135年 | ピサ共和国 | ベルナルドウス ピサ会議の主導者 |
英国諜報機関 vsイタリア系ノルマン人 |
英国勢力であるクレルヴォー修道会のベルナルドウスがピサ会議の主導者になり、教皇 アナクレトウス2世に対抗してインノケンティウス2世の権利を主張した、英国勢力は イタリア系ノルマン勢力であるジェノヴァを攻略したかった |
1139年 | (シリア) | ダマスクス併合計画 | フランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vsイスラム教勢力 |
ゼンギは十字軍国家の奪回を目指したといわれるがすべてフランク人勢力圏、またイタリア系 ノルマン勢力圏であり、フランス系ノルマン人の悪意があるのがわかる ゼンギのシリア統一という意志はノルマン人のモノだが、それを証明するようにダマスクス (イスラム勢力)側は独自のイスラム統一政策があった |
1147年 | フランス王国 | 「アルビ派」改宗強制 | フランス諜報機関 英国諜報機関 vsアルバ系デーン人 vs新デーン人(反逆派) vsノルマン人A2b |
ノルマン人連合が反乱組勢力に話を付けようとするが反乱組勢力はまったく耳を 貸さず、のちにアルビジョワ十字軍が派遣されることになる 反乱組勢力は5世紀からなじみであるロンバルディア人とイタリア系ノルマン人を組み合わせ ボゴミリ派教団を指揮させ、自分達はアルビジョワでアルビ派を結成する、アルビは 古代ブリテン島の呼び名であり、古来からデーン勢力の大陸に於ける拠点だったのだろう 反乱組勢力の誇りをかけた異議の申し出を新規デーン勢力は聞かず、この闘争は のちに異端審問へとつながっていく |
1147年 | セルジュークトルコ帝国 | 第二回十字軍 | 英国諜報機関 神聖ローマ帝国勢力 vsフランス諜報機関 |
ゼンギ(フランス系ノルマン人)がエデッサ伯領(フランク人)を占領、これにイスラム勢力は シリア統一は近いと喜んだが、じつは十字軍同士の勢力争いでしかなかった 一方で、ゼンギのエデッサ伯領侵攻は、非情にも キリスト教国に第二回十字軍の口実(イスラム教徒虐殺の口実)を作ったといえる |
1148年 | セルジュークトルコ帝国 (シリア) |
エデッサ伯領喪失 | 神聖ローマ帝国勢力 vsフランス諜報機関 |
ダマスクスはエルサレム王国(フランク勢力)と同盟関係にあり、共同でアレッポ(フランス系 ノルマン人)進出を阻止していると考えていたが、周辺のトルコ諸族が来襲、 (フランス系ノルマン人勢力が撃破された、これはじつはのちの 名将サラディンによる演出ではなかったか、彼はノルマン人のやり方を傍で学んでいたのだ |
1154年 | アンジュー帝国 (イングランド) |
プランタジネット朝 (ノルマン人A2bの天下) |
ノルマン人A2b vs英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
ノルマン人A2bがイングランド王国全土、アイルランド全土、フランス王国の半分を領土化した |
1163年〜 1167年 |
ファティマ朝エジプト | エジプト遠征 | 対イスラム教勢力 | ゼンギの息子ヌーレディン(フランス系ノルマン人勢力)とエルサレム王国国王ボードワン (フランク人勢力)は有利だったにも拘らず、最後の戦闘ですべてを失う |
1167年 | 神聖ローマ帝国 (イタリア) |
ロンバルディア都市同盟 | イタリア系ノルマン人 ロンバルディア人 vs神聖ローマ帝国勢力 |
ロンバルディア人の背後にはイタリア系ノルマン人がいる、ノルマン人がシチリア王国を 築いてから100年経っているが神聖ローマ帝国を仮想敵国と想定して入念に準備したのだろう |
1176年 | 神聖ローマ帝国 (イタリア) |
レニャノの戦 | イタリア系ノルマン人 ロンバルディア人 vs神聖ローマ帝国勢力 |
フリードリヒ1世、ロンバルディア同盟軍(イタリア系ノルマン人)に惨敗 |
1187年 | ビザンツ帝国 | 第二次ブルガリア帝国建つ | 新デーン人(反逆派) vsブリテン系デーン人A |
新デーン人(反逆派)がビザンツ帝国内の反乱分子、ブルガリア人を指揮、反乱を演出、 ブルガリア帝国を建設させる、ブルガリア人はもともと5世紀頃からデーン勢力であった |
1187年 | アイユーブ朝 | ハッティンの戦闘 | イスラム教勢力 vsキリスト教徒勢力 |
ヌーレディンの配下のサラディンはペルシャかトルコの諜報員か、ヌーレディンがフランス系 ノルマン人勢力と見抜いた上で、常にそばで観察、充分に準備した上で反旗を翻したのだろう |
1189年 | アイユーブ朝 | 第三回十字軍 | 対イスラム教勢力 | アイユーブ朝の始祖であり「イスラムの擁護者」と目されたサラディンにより征服された聖地 エルサレムをキリスト教諸国が奪還するために開始された |
1191年 | ビザンツ帝国 (キプロス島) |
リチャード獅子王占領 | 英国諜報機関 vsイスラム教勢力 vsブリテン系デーン人A3 |
将来、イスラム圏を攻撃する時のための拠点として確保 |
1195年 | ヴェネチア共和国 | ピサ襲来 | 英国諜報機関 vsブリテン系デーン人A3 |
ピサの船隊がヴェネチアの反対勢力であるプーラに到着、反乱を指揮したが ヴェネチア船隊に平定される |
1199年 | ジェノヴァ共和国 | ピサ襲来 | 英国諜報機関 vsイタリア系ノルマン人 vsロンバルディア人 |
ピサがジェノヴァの港を封鎖、ヴェネチア艦隊に撃破される、1206年に終戦、ピサは アドリア海を諦める代わりにヴェネチアと組み、ジェノヴァと対抗する |
13世紀 | ロンバルディア都市同盟 | 「ボゴミリ派教団」伝道 | イタリア系ノルマン人 ロンバルディア人 vsフランク人 |
デーン勢力であったボゴミリ派をイタリア系ノルマン人が継承、対神聖ローマ帝国勢力として育成 |
1202年 | ビザンツ帝国 | 第四回十字軍 | フランス諜報機関 ブリテン系デーン人A(ヴ) vsブリテン系デーン人A(ビ) |
コンスタンティノポリスを陥落させ、略奪・殺戮の限りを尽くしたため最も悪名の高い十字軍 とも呼ばれる、東ローマ帝国を一旦滅亡させたために、十字軍の当初の目的とは逆に この地域のキリスト教国家の力を削ぎ、後のオスマントルコ帝国による東ヨーロッパ支配の 伏線となった |
1204年 | ビザンツ帝国 | ラテン帝国建つ | イタリア系ノルマン人 ロンバルディア人 英国諜報機関 フランス諜報機関 vsブリテン系デーン人A |
第四回十字軍がコンスタンチノープルを占領、ラテン帝国を建国、しかし、1261年に奪還 されるロンバルディア人(イタリア系ノルマン人)がギリシャ側を取り、ボードワンはトルコ側 に追いやられた、当時の勢力図が見えてくる、覇者はイタリア系ノルマン人である |
1204年以降 | エピロス専制公国 ニカイア帝国 トレビゾンド帝国 |
亡命政権建つ | ブリテン系デーン人A vsノルマン人連合 |
ビザンツ崩壊後に出来た亡命政権国家 |
1205年 | ラテン帝国 | アドリアノープルの戦闘 | イタリア系ノルマン人 ロンバルディア人 vs英国諜報機関 |
イタリア系ノルマン人が、フランドル(英国勢力)出身のボードワン皇帝がブルガリア人 (イタリア系ノルマン人勢力)を軽蔑したというウソを捏造、それを口実にブルガリア軍が 侵攻、皇帝を排除、投獄され、ナゾの死を遂げる(イタリア系による謀殺だろう) |
1205年 | アテネ公国 | アテネ公国建つ | フランス諜報機関 vsブリテン系デーン人A3 |
第四回十字軍に於いてブルゴーニュ伯軍の騎士を務めていたオトン・ド・ラ・ロシュが アテネ公国を建てる |
1206年 | カスティーリャ王国 レオン王国 |
「ドミニコ修道会」 | フランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vs英国諜報機関 |
対神聖ローマ帝国(イベリア半島)のために組織されたフランス系ノルマン人勢力 スペインに於けるフランス系ノルマン人勢力強化のため、そして、イングランド系ノルマン人 勢力排除のために設置、異端審問、魔女狩りを開始する、ノルマンディーに於ける 異分子排除システムのコラモール・ド・ハローを深化させたもの |
1206年 | (イタリア) | 「フランシスコ修道会」 | フランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vs英国諜報機関 |
対神聖ローマ帝国(イタリア地方)のために組織されたフランス系ノルマン人勢力 イタリアに於けるフランス系ノルマン人勢力強化のため、そして、イングランド系ノルマン人 勢力排除のために設置、異端審問、魔女狩りを開始する、ノルマンディーに於ける 異分子排除システム、クラモール・ド・ハローを深化させたもの |
1209年 | フランス王国 | 初期アルビジョワ十字軍 | フランス諜報機関 vs新デーン人(反逆派) vsイタリア系ノルマン人 |
旧フランス系ノルマン人勢力であるドミニコ修道会、新イングランド系ノルマン人勢力である シトー修道会、クレルモン修道会が動員され、旧デーン勢力駆逐が開始される 新規デーン勢力の攻撃は容赦のないモノであった |
1212年 | フランス王国 | 少年十字軍 | 対知性、異分子 | 小さい内に芽を摘めということで将来有望(権力にとって脅威)な少年少女が選別され 丸で追放されるように欧州を追い立てられ、落ち延びた先のジェノヴァ(英国勢力)では 異常な者を見るような目で見られ、無視され、みな野垂れ死に、または奴隷として売られ、 だが、運の良かった少年達はイスラム圏で優遇され、助けられた |
1217年 | アイユーブ朝 | 第五回十字軍 | 対イスラム教勢力 | アイユーブ朝の本拠地、エジプトの攻略を目指しダミエッタの占領に成功したが、カイロ攻略 に失敗し占領地を返却して撤退した |
1223年 | フランス王国 | プランタジネット家との抗争 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
フィリップ2世がイングランド王家の大陸領土の大部分を回収し、北フランス諸侯の勢力を 抑えブービーヌの戦いにより、神聖ローマ帝国、イングランドに対する優位を確立し、 さらにアルビジョア十字軍を利用して南仏やブルゴーニュにまで王権を及ぼす契機を作った |
1225年 | フランス王国 | 後期アルビジョワ十字軍 | フランス諜報機関 英国諜報機関 vs新デーン人(反逆派) vsイタリア系ノルマン人 |
旧デーン勢力はある程度駆逐された、イタリア系ノルマン人の本拠地であったシチリア王国も イベリアの新興国アラゴン王国によりシチリアを奪われてしまうが、イタリア南部はナポリ王国 として、新イングランド系ノルマン人勢力、アンジュー家によって保護される この後にはアルビ系、デーンロー系デーン人がスコットランドを拠点にし、アイルランドを拠点に するノルウェー人と共にイングランドと攻防を続け、更にイングランド勢力はフランス系ノルマン人 勢力ともフランス革命、ナポレオン排除まで争い続けることになる |
1228年 | アイユーブ朝 | 第六回十字軍 | 対イスラム教勢力 | 神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世が、破門されたまま遠征した十字軍で、戦闘はほとんど 行わず、交渉によりエルサレムを取り戻すことに成功した |
1229年〜 1244年 |
アイユーブ朝 | エルサレム王国(十字軍国家) | 対イスラム教勢力 | |
1230年 | ラテン帝国 | ギリシア帝国滅亡 | 新デーン人(反逆派) ブリテン系デーン人A vsフランス諜報機関 |
ブルガリアがテサロニカのギリシア帝国を滅ぼす |
1233年〜 | フランス王国 | 異端審判 (集団ストーカーの原型) |
フランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vs英国諜報機関 |
カタリ派等の異端を撲滅するために異端審問が始まる当初は、南フランスで自分の権利 を主張した者に対する制裁の面もあった |
1236年 | ラテン帝国 | ブルガリア・ニカイア同盟 | 新デーン人(反逆派) ブリテン系デーン人A vsフランス諜報機関 vsイタリア系ノルマン人 vsロンバルディア人 |
ブルガリアとニカイアが同盟し、コンスタンチノープルを陥落 |
1241年 | ポーランド王国 ハンガリー王国 |
ワールシュタットの戦闘 | 新デーン人(反逆派) ブリテン系デーン人F2 vsフランス諜報機関 vs英国諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 |
東欧に亡命した英国人貴族(新デーン人)がモンゴル軍を案内し、手引きしたと 言われている、実際には新デーン人は先祖が過去にフン族をアジアから誘導して フランク人、ゴート人に制裁を加えるために雇ったことを知っていたのだろう ということで、新デーン人は二匹目のドジョウを決め込んだ 東方の強国、中国も手を焼く軍団ならフランク人、ノルマン人など欧州もろとも葬り去って くれるだろうと考えたと思われるが、当時の欧州各都市は下水設備が崩壊しており、市民は 窓から排泄物を捨てていたため、うんこだらけだった、つまり、新デーン人の 期待をよそにモンゴル軍は大量のウンコを目にし欧州侵攻を諦めたのではないかと思われる |
1241年 | ドイツ騎士団領 | 「ハンザ同盟」 | 神聖ローマ帝国勢力 vsデンマーク人 vs英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
ノルマン人と同じゲルマン民族であるドイツ人が経済的共栄圏をバルト海に建設、その 影響力はロンドンからのヴゴロドにまで及んでいた 秘かにバルト海覇権奪取を目論んでいた英国諜報機関はドイツ騎士団弱体化を念頭に 置き、対カトリック教会のために創設したフス派の軍団をドイツ騎士団領に差し向け、 ポーランド、リトアニア、ボヘミアといった反ドイツ騎士団諸勢力に合流させた そして、ドイツ騎士団が無力化したあとは対ロシア、デンマーク、ハプスブルグ家を 仮想敵国に想定し、ポーランドに英国諜報機関の分家を設置しようと考えていたが、失敗 |
1245年 | モンゴル帝国 | フランシスコ会、ドミニコ会 の修道士派遣 |
フランス諜報機関 vs新デーン人(反逆派) vsブリテン系デーン人F2 |
イングランド系ノルマン人はかつてのデーンがフン族を呼び寄せた時のルートを使い モンゴル軍を欧州に誘導、神聖ローマ帝国とフランス王国滅亡を試みたが、当時の 欧州の諸都市はすべてウンコだらけだったため、ウンコに驚いたモンゴル軍は退却 ということで欧州は助かったのだった、そこで、フランス系ノルマン人がフランシスコ会 とドミニコ会の諜報員をモンゴル帝国に派遣、協定を結び、共同でイングアンド系 ノルマン人に対抗することを画策した |
1245年 | モンゴル帝国 | プラノ・カルピニ訪問 | フランス諜報機関 vs新デーン人(反逆派) vsブリテン系デーン人F2 |
フランス系ノルマン人の命によりモンゴル帝国にカトリックを宣教しようとはるばる訪問したが 成果は出ず、1年後にリヨンに帰り着いた |
1248年 | アイユーブ朝 | 第七回十字軍 | フランス諜報機関 vsイスラム教勢力 |
フランス国王ルイ9世が主導した十字軍、アイユーブ朝エジプトを攻撃したが、敗北して捕虜 となり、占領地を全て放棄した上に莫大な身代金を支払って撤退した |
13世紀半ば | ローマ教皇領 | 「聖アウグスチノ修道会」 | 新デーン人(反逆派) vsフランス諜報機関 |
新デーン人(反逆派)勢力、のちにルターを輩出 |
1260年 | マムルーク朝 | ダマスクス攻略戦 | ブリテン系デーン人F2 ブリテン系デーン人A3 vsフランス諜報機関 |
ボエモン候(フランス系ノルマン人勢力)がアルメニア軍(アルメニア正教)、モンゴル帝国軍 (ネストリウス派)と同盟し、ダマスクスを攻略 |
1260年 | (イタリア) | 「イエス・キリストの弟子教団」 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
フランス諜報機関勢力であるドミニコ会主導で鞭打ち運動を展開、イングランド系 ノルマン人がジプシーを使っていたがフランス諜報機関は代わりにカルトを作り、 市民の目をこちらに集めた上で勢力圏を巡回していたものと思われる |
1261年 | ビザンツ帝国 | ビザンツ帝国復活 | ブリテン系デーン人A3 ブリテン系デーン人F2 vsノルマン人連合 vs新デーン人(反逆派) vsイスラム勢力 vsロシア勢力 |
アテネ人と祖(ブリテン系デーン人)を同じくする日本人(藤原氏の末裔)がモンゴル軍を指揮し、 ビザンツの敵を一掃、ビザンツ帝国の返り咲きに手を貸した 一方では、新デーン人(反逆派)がブルガリア人を指揮し、ノルマン連合と対立しており、 ビザンツ復活に手を貸していたが、モンゴル軍によって排除された ビザンツ(ブリテン系デーン人Aグループ)は新デーン人の力を欲しなかったのだ |
1265年 | ブルガリア帝国 | モンゴル軍が侵攻 | ブリテン系デーン人A3 ブリテン系デーン人F2 vs新デーン人(反逆派) |
ビザンツの返り咲きに協力した新デーン人は驚いただろう、信用されていなかったのだ |
1270年 | マムルーク朝 | 第八回十字軍 | 対イスラム教勢力 | フランス国王ルイ9世が主導した十字軍、イスラム教国チュニジアを攻撃したが、飲み水の 劣化や熱さにより病気がはびこり、ルイ9世も死去したため、撤退した |
1284年 | ピサ共和国 | ジェノヴァに敗北 | イタリア系ノルマン人 vs英国諜報機関 |
英国勢力が地中海に於ける権利をイタリア系ノルマン人勢力であるジェノヴァと ロンバルディア人勢力であるヴェネチアに奪われる |
1291年 | 神聖ローマ帝国 | スイス原初同盟結成 | フランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vsハプスブルグ家勢力 |
スイスの農民を中心に神聖ローマ帝国から独立するために結成されたが実際にはスイスを 手に入れたいフランス系ノルマン人勢力が現地人を動員し、独立を演出した |
1293年 | モンゴル帝国 | モンテ・コルヴィノ訪問 | フランス諜報機関 vs新デーン人(反逆派) vsブリテン系デーン人F2 |
フランス系ノルマン勢力であるフランシスコ会の修道士(諜報員)コルヴィノがハンバリクに 教会を建設、数千人のモンゴル人に洗礼を施した |
1269年 | (イタリア) | 鞭打ち運動再燃 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
今日の慈善活動団体の基礎を築いたといわれる、お布施の変形系である「寄付」という集金 手段が発明されたのだ |
1307年 | フランス王国 | 異端審問官ベルナール・ギー | フランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vs英国諜報機関 |
ドミニコ会士、1307年〜1324年まで南フランスのトゥールーズ地方の異端審問官として 熱狂的な活躍をし、南フランスにうごめいていたカタリ派の異端を撲滅した、魔女狩りの 口火を切ったヨハネス22世に重用され異端審問制の発展に大きく貢献した |
1307年 | モンゴル帝国 | 6名の司教を派遣 | フランス諜報機関 vs新デーン人(反逆派) vsブリテン系デーン人F2 |
モンゴル帝国に誕生したハンバリクの大司教に仕えるべき6名の司教をローマ教皇が派遣 |
1312年 | フランス王国 | テンプル騎士団解散 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
フィリップ4世は団長ジャック・ド・モレーを他の指導者たちと共に残虐な拷問で偽りの罪を 自白させ、焼いたモレーは刑場で自白を撤回し、「神は我々の死を復讐したまうであろう」 と叫んだという、これが、じつは「ペスト大流行」の口火になってはいないだろうか? |
1313年 | モンゴル帝国 | コルヴィノ宣教 | フランス諜報機関 vs新デーン人(反逆派) vsブリテン系デーン人F2 |
モンゴル帝国は広大でたくさんの人種がいたが、コルヴィノはモンゴルに対する反体制派を 育成するつもりで流刑囚、アラン人、ロシア人、アルメニア人などにも洗礼を与えた |
1318年 | フランス王国 | 魔女狩り解禁令 (集団ストーカーの原型) |
フランス諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vs英国諜報機関 |
ヨハネス22世の教書によって決定的となった |