アテネ人・コリント人の復讐
ゲルマン人大移動とフン族襲来〜新デーン人の内乱
新デーン人 フランク人・ゴート人の蜂起
フランク人の歴史はローマ帝国後期の歴史でもあった
◆デーン人基本仮名称◆
3万年前〜BC5000年期 古代デーン人(ZZ系デーン人)
BC5000年〜BC3000年期 大航海時代古代デーン人(ZY系デーン人)
BC2000年〜BC500年期 旧デーン人(YZ系デーン人)
BC1300年〜 第二大航海時代ブリテン系旧デーン人(YY系デーン人)
BC500年〜 スカンジナビア系新デーン人(XZ系デーン人)
AD700年〜 第三大航海時代 ブリテン系新デーン人・ヴァイキング(XY系デーン人)
AD900年〜 ノルマン人(XX系デーン人)
◆古代デーン人◆
第一次大航海時代(北極海ルート)
バルト海・ジーラント・スカンジナビア半島東岸(古代デーン人Z1/旧デーン人の先祖)
スカンジナビア半島西岸北岸・古代フィンランド・古代ロシア地方(古代デーン人Z2)=サーミ人、フィン人、スラブ人
シベリア(古代デーン人Z3)=エヴェンキ族、ブリヤート族、モヨロ人
第二次大航海時代(大西洋ルート)
ブリテン島・アイルランド島(古代デーン人Y1/海の民の先祖)
古代フリース地方(古代デーン人Y2a)
古代バスク地方(古代デーン人Y2b)
古代ルシタニア地方(古代デーン人Y2c)
カナリア諸島(古代デーン人Y3)
第三次大航海時代(大西洋・地中海・紅海・ペルシア湾・インド洋・太平洋ルート)
エーゲ海(古代デーン人Aグループ)=地中海・サルディーニャ島・クレタ文明・ヌビア地方・バンツー族
エジプト(古代デーン人Bグループ/地中海ルート)=サハラ帝国・エジプト王朝・テーベ神官国家
アフリカ(古代デーン人Bグループ/アフリカ就航・紅海ルート)=紅海・プント王国・エチオピア帝国・アラビア半島・ベドウィン族
メソポタミア/シュメール人・ヘブライ人(古代デーン人Cグループ/紅海ルート)=ペルシア湾・ウバイド人
インド・東南アジア(古代デーン人Dグループ)=カッチ・ハラッパー・マレー半島・セレベス島
東アジア(古代デーン人Eグループ)=日本東北地方・沖縄・朝鮮半島
南北アメリカ(古代デーン人Fグループ)=南北アメリカ大陸
古代デーン人A(サルディーニャ人、シチリア人、クレタ人、ロードス島、キプロス島、キクラデス諸島、ヌビア人)
古代デーン人B(B1/エジプト王朝、テーベ、B2/ベドウィン・プント王国・エチオピア帝国)
古代デーン人C1(シュメール神官団A/ヘブライ人)=(ユダ王国/C1a、イスラエル王国/C1b、ヒッタイト帝国)
古代デーン人C2(シュメール神官団B)=(カッシート人/C2a、アッシリア帝国/C2b)
古代デーン人D(ダーサ人、パニ人、カッチ人、チャンダーラ、デミアル人、ワナ人、タアネ神/ポリネシア人)
古代デーン人E(東北・北海道縄文人、蝦夷・アイヌの先祖)
古代デーン人F(ディネ族/ナバホ族・アパッチ族、イサパ文明、アパラチー族他)
※古代デーン人はピクト人として故国に帰還、新デーン人と対立し、敗北、配下となる
◆旧デーン人◆
・旧デーン人Aグループ・
メソポタミア侵攻第一波(旧デーン人A1/旧アラム人、アッカド人)
第二波(旧デーン人A1/アムル人「バビロニア帝国」、フルリ人「ミタンニ王国」)
シルクロード侵攻第一波(バクトリア・マルギアナ文明、大月氏/旧デーン人A2)
ギリシア侵攻第一波(イオニア人/ケルト人、アケーア人/旧デーン人A3)
第二波(テッサリア人、エオリア人/ケルト人)
エジプト侵攻第一波(ヒクソス人/旧デーン人A4)
・旧デーン人Bグループ・
ギリシア侵攻第三波(ドーリス人/旧デーン人B)
ドーリス人の第一後裔、スパルタ人(旧デーン人B1)
ドーリス人の第二後裔、コリントス人(旧デーン人B2)
シルクロード侵攻第二波(キンメリア人、スキタイ人、サカ人/旧デーン人B3)
・アケーア系デーン人(Aグループ)勢力圏=(テーベ市、アルゴス市/ギリシア、サムニテ王国、カンパニア王国/イタリア南部)
・スパルタ系デーン人(B1)勢力圏=(スパルタ市、クレタ島、ロードス島、リビア、サイス朝エジプト王国)
*コリントス系デーン人(B2)の派閥*
コリントス市・シュラクサ(旧デーン人B2a)
アンチゴノス朝マケドニア(旧デーン人B2b)
セレウコス朝シリア(旧デーン人B2c)
プトレマイオス朝エジプト(旧デーン人B2d)
マウリア朝マガダ(旧デーン人B2e)
※コリントス人中枢移転先(アルメニア王国、キエフ公国、ロシア帝国)
◆ブリテン系デーン人(旧デーン人)◆
ギリシア(ブリテン系デーン人Aグループ)
シリア・メソポタミア(ブリテン系デーン人Bグループ)
エジプト(ブリテン系デーン人Cグループ)
アフリカ(ブリテン系デーン人Dグループ)
インド・東南アジア(ブリテン系デーン人Eグループ)
東アジア(ブリテン系デーン人Fグループ)
大西洋岸南北アメリカ(ブリテン系デーン人Gグループ)
ブリテン系デーン人A=(A1/エトルリア人、A2/ローマ帝国、A3/アテネ市、ビザンツ帝国、突厥帝国、ヴェネツィア共和国、ハザール帝国)
※古代アテネ人勢力圏(キリキア、マッシリア、コルシカ島、サルディーニャ北部、シチリア東部、ポントス王国、ボスポロス王国)
※西ローマ帝国の中枢移転先(モラヴィア王国、ノヴゴロド公国、ポーランド王国、ハプスブルグ家)
※ビザンツ帝国の中枢移転先(突厥帝国、ハザール帝国、ウイグル汗国、ハンガリー王国、ヴェネツィア共和国、モスクワ公国)
※ハザール帝国の中枢移転先(リトアニア公国、アシュケナージ)
ブリテン系デーン人B=(B1/フェニキア人・ペリシテ人・ダン族、B2/新アラム人、B3/新ヒッタイト人)
ブリテン系デーン人C=(C1/エジプト王朝、C2/テーベ・アメン神官団)
ブリテン系デーン人D=(西アフリカ、ヨルバ人、マダガスカル島)
ブリテン系デーン人E=(セイロン島、インド南部)
ブリテン系デーン人F1=(長江系/ミャオ族、楚、太平道、黄巾族、大理国、白蓮教、広東系/華僑、九州系/邪馬台国、新羅、倭寇)
ブリテン系デーン人F2=出雲を本拠地に北アジア(粛慎)、モンゴル高原(東胡)、朝鮮半島(扶余)、中国南部(呉越)に拠点が築かれた
出雲系:古代出雲、百済、任那日本府、大和朝廷(大伴氏、物部氏)
呉越系(広東):呉、越、南越(ベトナム)、南詔国
東胡系(皇族):鮮卑、柔然、北魏(吉備氏)、大和朝廷(中大兄皇子、中臣氏)
粛慎系(藤原氏):渤海、西夏、女真族、金王朝、清王朝
契丹系(平氏):契丹、モンゴル帝国、タタール
扶余系(蘇我氏):高句麗、大和朝廷(蘇我氏、聖徳太子)、高麗、李氏朝鮮
ブリテン系デーン人G=(オルメカ人/ユカタン半島)
◆新デーン人◆
・旧世代・
新デーン人A1/スカンジナビア系(ケルト人、ドルイド教ローマ人奴隷、ダキア人)
新デーン人A2/スカンジナビア系(キンブリ人、テウトニ人)
新デーン人A2/絹道系(エフタル・ヒョーン人=吐藩、マッサゲタイ人)
新デーン人A2/北亜系(匈奴、フン族)
新デーン人A3/ダーナ神族(スコットランド・アイルランド系カトリック・アイオナ修道院、ティオティワカン帝国)
・新世代・
新デーン人A1/デーンロー系(ケント王国・カンタベリー大司教座・デーンロー)
新デーン人A1/スウェード人+コリントス人(バルト三国、キエフ公国、ウクライナ)
新デーン人A1/ノルウェー人+旧ブリテン系デーン人(アイスランド共和国、グリーンランド、トルテカ人)
新デーン人A1/デンマーク人(デンマーク王国・カルマル同盟)
ノルマン人A1/フランス系ノルマン人(ノルマンディー公国、フランス王国、外ヨルダン領、ゼンギ朝シリア、カスティーリャ王国、レオン王国、スイス連邦)
ノルマン人A2/イングランド系ノルマン人+新デーン人A1aA(ノルマン朝、ピサ共和国、ナバラ王国、アラゴン王国)
ノルマン人A3/イタリア系ノルマン人(シチリア・ナポリ王国、アンチオキア王国、トリポリ王国、ラテン帝国)
新デーン人A1/反逆派、後にルター派を創設(アルモラヴィド帝国、アルモハード帝国、モロッコ王国、ガーナ王国、ブルガリア帝国)
・デーンマスター・
サルマタイ人=スパルタ人(旧デーン人B1)
アラン人=スパルタ人(旧デーン人B1)
ゴート人=コリント人(旧デーン人B2)
ゲピード人=コリント人(旧デーン人B2)
スウェード人=コリント人(旧デーン人B2)
フランク人=アテネ人(ブリテン系デーン人A3)
アラマンニ人=アテネ人(ブリテン系デーン人A3)
バタヴィ人=アテネ人(ブリテン系デーン人A3)
アングル人=アテネ人(ブリテン系デーン人A3)
サクソン人=アテネ人(ブリテン系デーン人A3)
ヴァンダル人(スウェーデン・ヴェンデル)=フェニキア人(ブリテン系デーン人B)
マルコマンニ人=フェニキア人(ブリテン系デーン人B)
ブルグント人(バルト海・ボーンホルム島)=ブリテン系デーン人
フリース人=ブリテン系デーン人
バイエルン人=ブリテン系デーン人
スウェビ人=ブリテン系デーン人
ノルウェー人=ブリテン系デーン人
ジュート人=新デーン人
ロンバルディア人=新デーン人
年代 |
できごと | 勢力 | 内実 |
---|---|---|---|
BC120年頃 | ヴァンダル人移住 (ポーランド) |
ブリテン系デーン人B vsブリテン系デーン人A2 |
ヴァンダル族は、バルト海を渡ってポーランドに到着し、シレジアに定住するようになったと推測されている |
BC9年 | 大ドルスス マルコマンニ人を攻撃 |
ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人B |
|
150年 | ゴート族移住 (黒海) |
旧デーン人B2 vs新デーン人(本土系) |
反デーン系ゲルマン勢力の台頭を告げる一派、ゴート族が勢力を拡大 |
150年 | 「ミトラ教」 | 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
コリント人がユダヤ人のキリスト教、新デーン人のドルイド教・シビュラの神託に対抗し ミトラ教を確立、ローマ帝国のテイキングオーバーを試みた |
160年代 | ローマ軍後退 (カレドニア) |
ブリテン系デーン人A2 vsダーナ神族 |
ローマ人はカレドニアの直接支配を断念、たぶん新デーン人が腕によりをかけた 陰謀を駆使したのだろう |
166年 | マルコマンニ戦争 | ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人B vs旧デーン人B2 |
紀元2世紀、マルコマンニはクアディ・ヴァンダル・サルマタイといった周辺の民族と同盟関係を結び、 ローマと敵対するようになった |
177年 | キリスト教徒リンチ事件 (ガリア) |
ブリテン系デーン人 vs古代デーン人C |
ドルイド教の中心地、ガリア、リヨンに於いてドルイド教徒によるキリスト教徒のリンチが発生 ドルイド教を使って影から欧州を統治していた新デーン人にとって、ユダヤ勢力である キリスト教は脅威であった、ただ、ローマの学者はこれらの動きを認識出来ていなかった |
202年 | セヴェルス帝のキリスト教対策 | ブリテン系デーン人 ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C |
皇帝はゲルマン人諜報員、または神託(新デーン人の意志)などにより操作されているだろう |
212年 | カラカラ帝の布告 | ブリテン系デーン人 ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C |
皇帝はゲルマン人諜報員、または神託(新デーン人の意志)などにより操作されているだろう |
220年頃 | ゴート人、東西に分裂 | 旧デーン人B2 | |
224年〜 226年 |
ササン朝ペルシア アルメニア軍が侵攻 |
新デーン人(北亜系) 旧デーン人B2 vsイラン系アーリア人 |
フン族はアルメニア王コスロー1世の指揮の下、イベール人やアルバニア人と共に ササン朝ペルシア攻撃のために進撃した |
242年 | フランク人侵攻 | ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人 vsブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
ガリア、イスパニア、ラヴェンナまでの北イタリア地方をアルマン族、フランク族が却掠 |
248年 | キリスト教徒リンチ事件 (アレクサンドリア) |
新デーン人(本土系) vs古代デーン人C |
アレクサンドリア(エジプト)も新デーン人(ドルイド教)の勢力圏であった証だ |
250年 | デキウス帝の迫害 | 新デーン人(本土系) vs古代デーン人C vsブリテン系デーン人A3(ア) |
皇帝はゲルマン人諜報員、または神託(新デーン人の意志)などにより操作されているだろう 勅令を持って全ローマ市民に神々(新デーン人)への供犠を要求したが、長続きせず、 251年にデキウスの死を持って除かれた、この頃には反新デーン人勢力であるフランク人が 対新デーン人、ドルイド教対策としてキリスト教を保護し始めたのではないか |
251年 | ゴート人 ローマ軍撃破 |
旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
|
257年 | キリスト教詩人コモディアスの詩 | 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
世の終わりに先立って出現するというローマ帝国の駆逐者としてのゴート人に言及した 何万の軍と共に襲来し、神の指令によってローマ人を打倒するであろう、と |
258年 | キリスト教迫害の勅令 | 新デーン人(本土系) ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C |
新デーン人は反新デーン人勢力であるフランク人、ゴート人がキリスト教を保護していることを 突き止めたのだろう、勅令の内容は非常に厳しくなっている |
276年 | フランク人侵攻 | ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人A2 |
ガリア、イスパニア、ラヴェンナまでの北イタリア地方をアルマン族、フランク族が却掠 |
4世紀 | フランク人が軍の要職に就く | ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
コンスタンティヌス1世の治世にフランク人が属州軍司令官や親衛隊長などの要職を得る 対ローマ帝国というよりは対新デーン人の帝国という決意がフランク人の躍進に見える |
4世紀 | フランク人が名誉コンスルの 地位を得る |
ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
新デーン人の帝国はローマ帝国制覇と裏切り者のゲルマン諸族制覇の両方を夢見ていたが この件はフランク人の新デーン人に対する牽制となった |
300年頃 | ブルグント人失踪 (ボーンホルム島) |
当時、「ブルグント族の島」を意味するボーンホルム島から突如人々の姿が消えたという 実際には、コリント系のゴート人、アテネ系のアラマンニ人と敵対した関係から スパルタ人の中枢がブルグント人のもとに訪れ、同盟を打診した可能性がある |
|
303年 | キリスト教徒大迫害 | 新デーン人(本土系) ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C vsブリテン系デーン人A3(ア) |
260年、ガリエヌス帝の頃にはフランク人がローマ軍の要職に就くことが多くなったためか 緩和政策が成されたが、ここにきて再度、新デーン人が勢いを盛り返したのだろう |
303年 | ドナトゥス派誕生 (カルタゴ市) |
古代デーン人C vsブリテン系デーン人A3(ア) vs旧デーン人B2 |
キリスト教を乗っ取ったゲルマン人に対抗するため、本家本元のユダヤ人が作った組織 と見られる |
311年 | ガレリウスの寛容令 | ブリテン系デーン人A3(ア) 旧デーン人B2 vs新デーン人(本土系) vsブリテン系デーン人A2 |
背後にはフランク人、ゴート人諜報員の暗躍があるだろう |
312年 | 対マクセンティウス戦 | ブリテン系デーン人A3(ア) 旧デーン人B2 vs新デーン人(本土系) |
先のガレリウスの寛容令に触発され、東方ではキリスト教擁護派のリキウスが新デーン人勢力 であるマキシミヌス・ダヤと、西方ではキリスト教擁護派のコンスタンティヌスと新デーン人勢力 であるマクセンティウスが敵対、覇権争いが生じた シビュラの神託(新デーン人勢力)がマクセンティウスの勝利を高らかに予言したが、敗北 |
313年 | ミラノの勅令 | ブリテン系デーン人A3(ア) 旧デーン人B2 ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人(本土系) |
ついにフランク人、ゴート人がデーン人に勝利、ドルイド教、シビュラの神託の影響力を排除した |
315〜 336年 |
対異教政策 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人D |
ユダヤ人にキリスト教改宗を要請 |
319年 | 対異教政策 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人(本土系) |
魔術(ドルイド教)、卜占(シビュラの神託)を禁じる、これに怒った新デーン人(本土系)は 東方にいる同胞に欧州蹂躙(ローマ帝国)・裏切り者(フランク人)の駆逐を打診した ※郵便制度はこの当時からあったのだろう、意志を同胞に正確に伝えるために |
325年 | アリウス派、異端認定 | ブリテン系デーン人A3(ア) vs旧デーン人B2 |
ローマ帝国は単なる舞台であった、ユダヤ人、デーン人、フランク人、ゴート人、 時にはペルシア人が権力闘争をめぐって争われた舞台であった ゴート人はフランク人と利害を異にするためにわざわざ異端と認定されたアリウス派に改宗 |
332年〜 338年 |
マスクト族侵攻 | 新デーン人(本土系) vs旧デーン人B2 |
マスクト族の王、サネサンがアルメニアの王コスロー3世と戦争、その際、あらゆる種類の 部族から成る軍隊を率いた、その軍勢の中にフン族がホンクの名で登場する |
341年 | アリウス派に帰依 | 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A3(ア) vs新デーン人(本土系) |
ドルイド教の勢力下から脱するためにキリスト教に帰依、また、フランク人と利害を異にする ためにアリウス派に帰依したと考えられる ゴート族の他にゲピード族、ヴァンダル族、アラマン族、ランゴバルド族も帰依したらしい |
341年 | 異教寺院閉鎖 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人(本土系) vs旧デーン人B2 |
ドルイド教、シビュラの神託の神殿など、新デーン人(本土系)の拠点が駆逐された ゴート人勢力であるアリウス派の教父も追放された |
350年頃 | ササン朝ペルシア アルメニア軍が侵攻 |
新デーン人(北亜系) 新デーン人(絹道系) 旧デーン人B2 vsイラン系アーリア人 |
ついにフン族が、アラン族と共にアルメニア王アルシャーク2世の陣中に出現、 ササン朝ペルシアに進撃した |
370年 | フン族 アラン(アーリア)族を撃破 |
新デーン人(北亜系) vs新デーン人(絹道系) |
新デーン人は、東方にいる同胞に欧州蹂躙(ローマ帝国)・裏切り者(フランク人)の駆逐を打診 匈奴は、新デーン人(北亜系)の中枢に導かれ欧州に出現 途中でエフタルの中枢を成していた新デーン人(絹道系)と合流したが、いさかいがあったのか フン族がアラン人を撃破する事態となった |
371年 | 東ゴート王国 フン族が侵攻 |
新デーン人(北亜系) 新デーン人(絹道系) vs旧デーン人B2 |
ゴート族の臣下の一部(サルマティア系ロソモン族)は王を捨ててフン族の下に投降した 打ち破られた東ゴート族はフン族により滅ぼされ、捕虜になった者は女・子供とも虐殺された 処刑の残酷さは限度を知らなかったという 新デーン人勢力による反デーン系ゲルマン勢力の制裁だ |
380年 | カトリック国教主義宣言 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人(本土系) vs旧デーン人B2 vs古代デーン人C |
フランク人は、背後からローマ皇帝を操り、ライバルのゴート人、ユダヤ人、 宿敵の新デーン人の権限行使を廃し、90%制したといえる |
381年 | 異教寺院への参拝禁止 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人(本土系) vs旧デーン人B2 vs古代デーン人C |
違反者は追放されることが決定、382年、385年、392年には更に厳しくなる |
383年 | 異端・分離派取締規定 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人(本土系) vs旧デーン人B2 vs古代デーン人C |
フランク人の諜報員は新デーン人がフン族という未知の野蛮人を操作して復讐を企てている 旨を察知したのだろう、これらは国民を固くカトリックに統一することで新デーン人の蹂躙、特に 国内異教徒の反体制勢力としての使用を未然に阻止した上で新デーン人に対抗しようという 下準備といえるだろう |
383年 | ローマ軍vsフン族 | ブリテン系デーン人A3 ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人(北亜系) vs新デーン人(絹道系) |
ローマ軍の長、フランク人バウトはパンノニアにいたフン族、アラン族を攻撃し、ラエチア地方 に進軍するよう仕向けた、当時、ラエチアはアラマン族の部族連合に参加していた ユトゥング族に占領されていた |
389年 | 「マニ教」迫害 | ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C |
テオドシウス大帝がマニ教信者に恥辱を加えた上で処刑 |
390年頃 | ペラギウス布教 (カルタゴ市) |
ブリテン系デーン人 vsブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人A2 vs古代デーン人C |
ブリテン島出身の修道士ペラギウスがカルタゴ市で布教、数十年前からドルイド教や神託を 行なう神官団がフランク勢力であるローマ皇帝により異端の決定を下され、迫害が徹底し 始めた頃であったが、そのためにブリテン系デーン人はドルイド教に見切りを付けたのだろう、 代わりに、フランク人に倣いキリスト教の乗っ取りを謀った、ペラギウスのカルタゴ布教は その一環だったと思われる、しかし、彼はゴート人が襲来すると真っ先に逃げ出したという |
394年 | マクシムス斬首刑 | 新デーン人(北亜系) 新デーン人(絹道系) ブリテン系デーン人A2 vsフランク人 |
ガリア地方出身の雄弁家、マクシムスはフランク族の将軍、アルボカストにより皇帝にされた が、テオドシウスによりミラノ近郊で敗戦、斬首された、テオドシウスはフン族の協力が あったため勝利した、反デーン系ゲルマン勢力撃退のためにローマ帝国側と共闘 |
395年頃 | フン族侵攻 (シリア) |
新デーン人(北亜系) 新デーン人(絹道系) vsブリテン系デーン人B |
フン族は町を破壊し掠奪しただけでなく住民をも連れ去った |
395年 | ローマ帝国が東西に分裂 | ブリテン系デーン人A3 vsブリテン系デーン人A2 |
東ゴート勢力が東ローマ帝国を、そして、西ローマ帝国は西ゴート勢力とフランク勢力に 二分されていた |
397年 | フン族 オリエントに侵攻 |
新デーン人(北亜系) 新デーン人(絹道系) vsブリテン系デーン人A vsブリテン系デーン人B |
シリアとカッパドキアを徹底的に破壊尽くしたため、住民は全滅、エルサレムとテュロスは 敵を迎える準備をし、他の中東諸国は恐怖のとりこになったという |
5世紀 | 西ローマ帝国 ホノリウス即位 |
ブリテン系デーン人B vsブリテン系デーン人A2 |
テオドシウス1世の息子、ホノリウスはヴァンダル族出身の将軍、スティリコの娘と結婚 |
5世紀 | 東ローマ帝国 テオドシウス2世即位 |
ブリテン系デーン人A3 vsブリテン系デーン人A2 |
テオドシウス2世は、フランク族出身のバウト将軍の娘を母に持つ |
5世紀頃 | アーサー王が欧州征服 | 新デーン人(北亜系) 新デーン人(絹道系) vsブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人A3(ア) |
アーサーとはじつはアッチラのことではないだろうか、この当時、欧州を制覇した人々と いえばフン族だからだ、時期的に言ってもアッチラは5世紀に王に即位している |
409年 | ヴァンダル人 イベリア半島に侵攻 |
アラン族がポルトガルとカルタヘナ一帯を領有し、ヴァンダル族はガリシアとアンダルシアを得た しかし、スエビ人がガリシアの一部を支配し続け、また西ゴート人がローマ帝国からフランス南部 の土地を受け取る前にスペインに侵入し、ヴァンダル族やアラン族との紛争の原因となっていた |
|
410年 | アラリック1世、ローマ占領 | ブリテン系デーン人A3(ア) 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
ヴァンダル族・フランク族をローマ帝国の中枢に侵入させ、西ゴート族は外から武力で侵攻 反デーン系ゲルマン人連合の協力関係が見える、この時は対デーン戦略のために一致団結 していたが、彼らは後に、再度、敵対することになる |
410年 | ローマ軍撤退 (ブリタニア) |
ブリテン系デーン人 vsブリテン系デーン人A2 |
これを機にブリトン人がアングル人、サクソン人を召喚、新デーン人(本土系)がジュート人を派遣 ブリタニアに於けるポストローマの覇権をめぐり、凌ぎをけずることになる それを見ておもしろくないのは、1000年近く前からブリテン島北部の支配を任されていたダーナ神族 |
411年 | 第一ブルグント王国 | ブリテン系デーン人 ブルグント分家 |
フォエデラティ(ローマ帝国の同盟者)としての新しい地位にもかかわらず、ブルグント族 はローマのガリア・ベルギカ北部地域を襲撃し、436年にローマの将軍アエティウス(Aetius)がフン族 の傭兵を呼び入れると、冷酷にもそれらの地域を滅ぼした |
411年 | 「ドナトゥス派」批判 (カルタゴ市) |
ブリテン系デーン人A2 新デーン人(絹道系) vsブリテン系デーン人B |
マニ教を作ったエフタル系諜報員の一味だったと思われる聖アウグスティヌスだが、彼は キリスト教(フランク勢力)に寝返り、かつての仲間が作ったドナトゥス派 (ブリテン系デーン人・フェニキア人)を非難 |
412年 | ドナティスト強制改宗 (カルタゴ市) |
ブリテン系デーン人A2 新デーン人(絹道系) vsブリテン系デーン人B |
ドナトゥス(フェニキア)勢力を、反体制勢力として新デーン人に使用されることを未然に阻止するために 或いは、フェニキア勢力のヴァンダル人に加勢することを阻止するために行なったと思われる |
429年 | ヴァンダル人 カルタゴ市に侵攻 |
ブリテン系デーン人B 旧デーン人B2 vs新デーン人(絹道系) vsブリテン系デーン人A3(ア) |
ジブラルタル海峡を渡り、アフリカ沿岸をカルタゴに向かって東方に移動しはじめた、435年に、 ローマ帝国は北アフリカのいくつかの領土を彼らに与えたが、439年、ヴァンダル族は自らカルタゴを 占領した、ゲイセリックはここにヴァンダル族とアラン人からなるヴァンダル王国を建国した、この王国 は地中海における一大勢力となり、シチリア島、サルディニア島、コルシカ島、バレアレス諸島を征服 ヴァンダル人はフェニキア人に、アラン人はコリント人に支配されていた |
430年 | 東ローマ帝国 フン族と条約締結 |
新デーン人(北亜系) 新デーン人(絹道系) vsブリテン系デーン人A3(ビ) |
フン族の勢力は勢いを増したため、テオドシウス2世はフン族と条約を結ばざるを得なくなる 毎年金350ポンドを渡す約束をした |
434年 | 東ローマ帝国vsフン族 | 新デーン人(北亜系) 新デーン人(絹道系) vsブリテン系デーン人A3 |
ブリテン系デーン人A3勢力下にあった東ローマ帝国から口実をつけた上で金品横領 |
436年 | ササン朝ペルシア フン族が侵攻 |
新デーン人(北亜系) 新デーン人(絹道系) vsイラン系アーリア人 |
新デーン人(本土系)の意向を受け、ローマ帝国、反デーン系ゲルマン人征伐を停止、 ペルシアに目を向けるが、フン族はペルシア軍に敗北、再び欧州に向かう |
445年 | アッティラが王に即位 | 新デーン人(本土系) 新デーン人(北亜系) 新デーン人(絹道系) vsブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人A2 |
匈奴としてモンゴル高原で日本の天孫勢力と対立していた新デーン人(北亜系)は本家の危機を 耳にし、指揮官としてアッティラ等、騎馬民族を率い、途中でエフタルの中枢を形成していた 同胞の新デーン人(絹道系)と合流、故郷の欧州に帰還 新デーン人連合は、反旗を翻したゲルマン人たち、ローマ人を駆逐するべく、更に最高指揮系統 である新デーン人(本土系)と合流、欧州で戦闘を繰り広げる アッチラは、中央アジアから中央ヨーロッパ、バルカン半島に跨る大帝国を建設、 だが、それは同時に新デーン人の帝国ということでもあった |
450年〜 500年 |
アングル人、サクソン人 ジュート人の侵攻 (ブリタニア) |
新デーン人(本土系) vsブリテン系デーン人 |
アングル族がイースト・アングリアを、ジュート族はケント地方、サクソン族がエセックス、 ウェセックス地方を占領、ジュート族は新デーン人勢力である |
450年〜 | ケント王国 (ブリタニア) |
新デーン人(本土系) vsブリテン系デーン人 |
ドルイド教ケルト人勢力の戦力としての機能に見切りを付けた新デーン人は配下である ジュート人を、後にカンタベリー大主教、ロチェスター大司教の本拠地となる、 カンタベリーを含むケント地方に送り込みケント王国を建設させる ヴァイキング時代にはデーンローの新デーン人を受け入れ、カンタベリー大司教、 ロチェスター大司教は新デーン人勢力としてアルフレッド大王を操った |
450年〜 | ノーサンブリア王国 イースト・アングリア王国 マーシア王国(ブリタニア) |
ブリテン系デーン人 vs新デーン人(本土系) |
ローマ軍も手こずったドルイド教、ブリテン系デーン人の本拠地でブリトン勢力のアングル人が健闘 だが、さすがにダーナ神族が棲むスコットランドには侵攻出来なかった |
450年〜 | エセックス王国 ウェセックス王国 サセックス王国(ブリタニア) |
ブリテン系デーン人 vs新デーン人(本土系) |
ローマ軍も手こずったドルイド教、ブリテン系デーン人の本拠地でブリトン勢力のサクソン人が健闘 だが、さすがにダーナ神族が棲むスコットランドには侵攻出来なかった |
450年〜 | ドゥムノニア王国 (ブリタニア) |
ブリテン系デーン人 vs新デーン人(本土系) |
ドルイド教、古来からのブリテン島の主、ブリテン系デーン人勢力の国 |
451年 | カタラウヌムの戦闘 | 旧デーン人B2 ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人(本土系) vs新デーン人(北亜系) vs新デーン人(絹道系) |
西ローマ帝国と合同でフン族を撃退、新デーン人勢力は一時落胆する |
453年 | アッティラ暗殺 | ブリテン系デーン人 vs新デーン人(本土系) vs新デーン人(北亜系) vs新デーン人(絹道系) |
西ローマ帝国、反デーン系ゲルマン人連合に敗北したアッティラは制裁として新デーン人の 刺客に暗殺される、或いはブリテン系デーン人が本家の目を盗み、死んだことにして アッチラを拉致、豪傑を迎えることでブリテン系デーン人勢力圏の保護を任せたのではないか それがアーサー王の伝説のネタのモトになったのではないか、どっちにしても フランス語読みのアルチュールはアッチラに似ていなくもない |
468年 | ヴァンダル王国 ビザンツ帝国艦隊撃破 |
ブリテン系デーン人B vsブリテン系デーン人A3 |
455年にはローマを占領し、468年には彼らを征服するために派遣されたバシリスクス率いる ビザンツ帝国艦隊を壊滅させた、477年、ゲイセリックが死去するとその息子フネリックが王 となった、彼の治世には、ミトラ教とカトリック教会への迫害があったことで有名である ヴァンダル人はフェニキア人、ミトラ教はコリント人、カトリックはアテネ人の配下にあった |
476年 | 西ローマ帝国崩壊 | 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
コリント人の配下であるゴート人が、キリスト教でローマ市民の思考を奪ったあと、武力で ローマ帝国の支配システムを強奪、新デーン人勢力に対抗する手立て、全てが完成 |
481年 | フランク人統一 | ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人 vs旧デーン人B2 |
クロヴィスがガリア地方(ブリトン人勢力圏)を本拠地にフランク族(アテネ勢力)を統一 新デーン人にとってローマ帝国以外の初の脅威となる |
486年 | ソワソンの戦い (シャグリウス領) |
ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人A3(ア) |
ガリア北部を支配していた西ローマ系の軍閥、シャグリウスを撃退 |
493年 | フランク王国 テオドリックとアウドフレド結婚 |
ブリテン系デーン人A3(ア) ブリテン系デーン人A3 |
クロヴィスは妹のアウドフレドを東ローマ帝国のテオドリック大王に嫁がせ、同盟を固める つまり、これは同じブリテン系デーン人A3勢力であるアテネ系とビザンツ系の同盟だった この時点でのフランク族の敵は新デーン人勢力と西ゴート勢力であった |
496年 | フランク王国 クローヴィス、カトリックに改宗 |
ブリテン系デーン人A3(ア) vs旧デーン人B2 vs新デーン人 |
フランク人は、カトリックに改宗することで、新デーン人やゴート人との利害を異にした |
499年 | ベイドン山の戦闘 (ブリタニア) |
ブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
古来からのブリテン島の主、ブリテン系デーン人勢力のブリタニア軍がサクソン軍を 打ち破ったという、このとき、既にサクソン人はブリトン人を裏切り、 キリスト教徒(新デーン人勢力)になっていたと考えられる |
500年 | ブルグントと戦闘 | ブリテン系デーン人A3(ア) vsブルグント分家 |
ブルグント人(ブリトン勢力)などの少数派のゲルマン人もすべて支配下に置くことで欧州を統一し、 新デーン人や西ゴート族(コリント系)との戦闘に備えようとした |
500年頃 | 太陽神寺院を破壊 「ベネディクト修道院」 |
ブリテン系デーン人A3(ア) vs旧デーン人B2 vs新デーン人 |
ベネディクト修道院を建てたベネディクトゥスがモンテ・カシーノの太陽神寺院を破壊し 跡地に修道院を建てた、パラチンのアポロン大神殿も破壊され、聖セバスティアヌス教会が 建設された、新デーン人勢力の排除とアテネ人勢力の台頭が告げられた |
507年 | 西ゴート王国 フランク人に敗北 |
ブリテン系デーン人A3(ア) vs旧デーン人B2 |
アテネ系のフランク人が、コリント系の西ゴート王国の王、アラリック2世を撃破 |
533年 | ヴァンダル戦争 | ブリテン系デーン人A3 vsブリテン系デーン人B |
この戦争はユスティアヌス1世による西方再征服戦争の最初の戦いであり、東ローマ帝国軍の速やか なる勝利に終わった、ヴァンダル王国は滅亡し、北アフリカにおけるローマ帝国の支配が再建された この戦争は、ビザンツ人対フェニキア人の戦争でもあった |
543年 | 聖コルンバ布教 (アイルランド) |
ブリテン系デーン人 ルシタニア分家 vs新デーン人 |
新デーン人(本土系)がドルイド教に見切りを付けたのを見て、更にフランク人がキリスト教を 使うのを見ていたいルシタニア分家は彼らに倣い、ある意味懸念を抱き、本格的に自分達も、と 我流のキリスト教教会を設立、ブリトン人が援助したと考えられる |
563年 | アイオナ修道院建立 (カレドニア) |
ブリテン系デーン人 ルシタニア分家 vsダーナ神族 vs新デーン人 |
新デーン人は、このブリトン人・ルシタニア分家連合の動きと自分達のブリテン島での拠点(ケント王国) をアイルランド勢力(ルシタニア分家)に奪われたことを危惧し、同胞のダーナ神族援護のために 正規軍ヴァイキングを出陣させることになる |
568年 | ランゴバルト人 アヴァール人と連合 (ドナウ盆地) |
ロンバルディア人 新デーン人(絹道系) |
のちにフランク人(神聖ローマ帝国)相手にロンバルディア人としてノルマン人と共闘する ランゴバルト族は新デーン人の配下であると考えられる そして、ランゴバルトと連合したアヴァール族はフン族に代わる新たな新デーン人勢力であり、 或いは、エフタル・教オプションの中枢を成していた新デーン人の仮称ではないか |
585年 | スエビ王国 西ゴート王国に併合 |
旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人 vsスエビ分家 |
フランク人(アテネ系)に敗れた西ゴート人(コリント系)はイベリア半島に侵入、 少数派のゲルマン人スウェビー族(ブリトン系)を配下に治める |
589年 | 西ゴート王国 レカルド1世、アタナシウス派に改宗 |
旧デーン人B2 ブリテン系デーン人A3(ア) |
ゴート人(コリント)の王がアラナシウス派に帰依することでフランク人(アテネ)傘下に入った |
597年 | ケント王国 アウグスティヌス布教 |
新デーン人 vsブリテン系デーン人A3(ア) |
ブリテン系デーン人が独自のキリスト教会を設置したため、自分達も独自のキリスト教会 をということで、ケント王国(カンタベリー、ロチェスター)に大聖堂を建設することを思案、 カルタゴ(当時はランゴバルト王国)で活動していたアウグスティヌス(デーン勢力)を呼んだと思われる |
6世紀 | 聖コルンバヌス伝道 (ヨーロッパ) |
ブリテン系デーン人 ルシタニア分家 vs新デーン人 vsブリテン系デーン人A3(ア) |
アイルランド(ルシタニア分家)勢力であるコルンバヌスが西ヨーロッパ(フランク王国、西ゴート王国、 ランゴバルト王国)に赴き、ブリテン系デーン勢力圏拡大を謀る |
621年 | 西ゴート王国統一 | 旧デーン人B2 vs新デーン人(本土系) vsブリテン系デーン人A3(ア) |
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635年 | リンディスファーン修道院建立 (ノーサンブリア王国) |
ブリテン系デーン人 ルシタニア分家 アングル人 vs新デーン人 vsサクソン人 |
古来からのブリテン島の主、ブリテン系デーン人とルシタニア分家がアングル人と結ぼうとしている ため、危機感を感じた新デーン人は、正規軍であるヴァイキングを投入決定 先ず最初にリンディスファーン寺院を襲撃させた |
694年 | ケント王国 ウェセックス王国が侵攻 |
ブリテン系デーン人 サクソン人 vs新デーン人 vsジュート人 |
新デーン人勢力であったはずのサクソン人が反逆、ブリトン人と組んだ まず新デーン人(本土系)勢力であるジュート人の国、ケント王国を乗っ取ろうと画策 |
697年 | ランゴバルト王国 ヴェネツィア初代ドージェ選立 |
ロンバルディア人 ブリテン系デーン人A3 vsブリテン系デーン人A3(ア) |
ヴェネツィアはランゴバルト(旧デーン勢力)勢力であったか? |
700年頃 | フランク王国 ノルマン人出現 |
新デーン人 vsブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人 vsダーナ神族 |
手始めにフランク王国偵察のため、ドナウ川河口に新デーン人(新世代)が直々に出現 ここに、隠れ続けていたノルマン人がヴァイキングとして歴史の表舞台に登場することになる ※ノルマン人とはフランク人が始めた呼び名であり、デーンローのデーン人と同一である |
8世紀 | アングル人対サクソン人 | ブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
アングル人はブリトン人と組んでいたため、新デーン人勢力であるサクソン人と対立 基本的にはアングル人・ブリトン人vsキリスト教徒サクソン人・新デーン人という構図が認められていた |
710年 | ウェセックス王国 コーンウォールの戦闘 |
新デーン人 vsブリテン系デーン人 |
新デーン人勢力であるサクソン人がウェールス(ブリトン人勢力)に侵攻、勝利する |
711年 | 西ゴート王国 ウマイヤ朝が侵攻 |
イスラム勢力 vs旧デーン人B2 |
イスラム帝国、ウマイヤ朝の軍が侵攻、西ゴート王国(コリント系)は滅亡する |
722年 | ウマイヤ朝 アストゥリアス王国 |
旧デーン人B2 vsイスラム勢力 |
イスラム勢力により西ゴート王国は滅びたがイベリア北西部にゴート貴族ペラーヨが落ち延び 現地人アストゥリアス族(ケルト人)と結び、アストゥリアス王国を建設 |
744年 | ランゴバルト王国 フランク王国が侵攻 |
ブリテン系デーン人A3(ア) vsロンバルディア人 |
ランゴバルドの首都、パヴィアを占領、デーン勢力であったランゴバルト人は壊滅 |
755年 | フランク王国 ピピンの寄進 |
ブリテン系デーン人A3(ア) vsロンバルディア人 vsブリテン系デーン人 vs新デーン人 vsダーナ神族 |
新デーン人勢力であるランゴバルト王国のアイストゥルフスと戦い、ラヴェンナを奪ってローマ教皇 ステファヌス3世にに献上、ピピンの寄進と呼ばれ、後の教皇領の元となった フランス系ノルマン人がクリュニー修道会を作るまでは、ローマ教皇領はフランク勢力圏にあった |
759年 | フランク王国 ナルボンヌ奪還 |
ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人 |
|
788年 | フランク王国 バイエルン族攻略 |
ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人 |
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789年 | ヴァイキング侵攻 (ブリテン島) |
新デーン人(本土系) vsブリテン系デーン人 vsブリテン系デーン人A3(ア) vsダーナ神族 vsブリテン系デーン人A3(サ) |
新デーン人の正規軍、ヴァイキングがブリテン島のサクソン人(フランク勢力)、裏切り者の ダーナ神族、古来からのブリテン島の主・ブリテン系デーン人及び、同盟者のアングル人 排除のために襲来 |
791年 | フランク王国 アヴァール人、侵攻 |
新デーン人(絹道系) vsブリテン系デーン人A3(ア) |
旧デーン勢力、最後のあがき、だが、あがきも空しく796年にはアヴァール王国が滅亡 デーン勢力はすぐにデーン正規軍(ヴァイキング)を欧州各地に投入する |
795年 | ウマイヤ朝 (スペイン辺境領) |
イスラム勢力 vs旧デーン人B2 |
イスラム勢力に蹂躙される |
800年 | フランク王国 シャルルマーニュ大帝戴冠 |
ブリテン系デーン人A3(ア) vsロンバルディア人 vsブリテン系デーン人 vs新デーン人 vsダーナ神族 |
フランク人(アテネ)が欧州の覇者として君臨、デーンはこれを見てどう思ったことだろう この当時、スカンジナビアのスコーネではデーン人の系統から新しくノルマン人が登場 ノルマン人は、直々にフランク王国を討ち取ることを計画、ブリテン島ではケント王国に拠点を置く 新デーン人(旧世代)と組んだが、後に反逆、独自にデーンローを築く この動きに呼応し、ブリトン人はノルウェー人を指揮し、アイルランドに侵攻、ルシタニア分家と対立 しながら新デーン人(旧世代)勢力下に置かれた古巣、ブリテン島奪還を模索、 一方、西ゴート王国を喪失したコリント人は新たにスウェード人を指揮、ロシアに勢力圏を築く ここに、いわゆる「ヴァイキング時代」が始まる |
804年 | フランク王国 ザクセン戦争 |
ブリテン系デーン人A3(ア) vsブリテン系デーン人 vsザクセン分家 |
シャルルマーニュ大帝(アテネ)がブリテン系デーン人の配下にいたザクセン人を服属させる |