世界の覇者 英国諜報機関(新デーン人/旧世代)







英国諜報機関年譜1







この時代は、ブリテン島に於いてイングランド系カトリックを有するデーンロー系デーン人がスコットランド人(アルバ系デーン勢力)、アイルランド人(ノルウェー勢力)と組み
プロテスタントを発明するイングランド系ノルマン人との対決で幕を開ける、が、イングランド系ノルマン人はすぐにプロテスタントを引っさげ、
フランス王国(フランス系ノルマン人)、神聖ローマ帝国、ハプスブルグ家(フランク人)とも攻防を繰り広げることになる
そして、テンプル騎士団を母体とする英国諜報機関はフランスと戦いながらポルトガルにインド航路模索を指示、スペイン王国もすぐにインド航路模索を開始するが
英国諜報機関は英国勢力であるエストマレドゥーラ出身のコルテスなどにスペイン軍同行を指示、スペイン国王ではなく、英国勢力による指揮の下、
スペイン軍はアステカ帝国、インカ帝国を蹂躙、征服する、これをフランス系ノルマン勢力であるラス・カサス(ドミニコ会、フランシスコ会)が批判
インドではイギリス東インド会社・セポイを手先に、そして東アジアでは明の海賊商人・倭寇を手先に地元勢力、またスペイン勢力、オランダ勢力、フランス勢力と敵対した
世界中にカルト、秘密結社を設立し、敵国内に反体制勢力を育成、各地で新規の侵略法「革命」を精力的に企画・演出した
当時の敵対勢力は、カルマル同盟、フランス王国、オランダ王国、スペイン王国、神聖ローマ帝国、ロシア帝国、オスマントルコ帝国、ペルシア王国、明帝国、日本、李氏朝鮮
東南アジア諸王国、イスラム諸王国、オマーン王国、アフリカ諸勢力であった








年代 舞台 できごと 勢力
内実

1463年 マリーン朝
(モロッコ)
カサブランカ占領 ルシタニア分家
vsエフタル(ベルベル人)
英国国内では、権力闘争(薔薇戦争)が起きていたが、ポルトガル分家はせっせと
アフリカに進出
1471年 マリーン朝
(モロッコ)
タンジュール占領 ルシタニア分家
vsエフタル(ベルベル人)
ポルトガルのアフリカ進出に刺激されたスペイン(ハプスブルグ家)は、
ジパングを目指すことになる
1481年 イングランド王国 チューダー朝 ブリテン系デーン人
ノルマン人
vs新デーン人
英国内の諸勢力を排除し、専制君主権が確立
1488年 サン人
コイコイ人
(南アフリカ共和国)
喜望峰到達 ルシタニア分家
vs古代デーン人B
ポルトガルが、インド航路の道標を刻んだことによりアラブ商人を介することなく、
インド、東南アジア諸国との貿易が可能になった、
実際には、BC1200年頃に海の民が大航海時代に出ているので、これらの航路は
既に知られていたのではないか、知らないことにしたのは企業秘密死守か
1490年 コンゴ王国 ポルトガル人大布教団 ルシタニア分家
vsブリテン系デーン人D
豊かだったコンゴは奴隷狩りと称して有能な自国民を白人に取られたため、
数百年後に滅亡する
1494年 ポルトガル王国
カスティーリャ王国
トルデシリャス条約 ルシタニア分家
vsバスク分家A
この条約により、フランスとイギリスが領土獲得の優先権を失ったと言われるが、
実際にはポルトガルの背後には英国(ブリテン系デーン人=ウェールズ人)がおり、
フランスはカトリック教会の背後(ドミニコ会・フランシスコ会)にいたわけで
両者ともじつは、スペインの背後にいたハプスブルグ家と同様、潤っていたと考えられる
1500年 (南アメリカ) ブラジル海岸発見 ルシタニア分家 英国諜報機関ポルトガル分家が発見
1500年 エジプト王国
マムルーク朝
イスラム連合艦隊撃破 ルシタニア分家
vsブリテン系デーン人F2(中)
vsブリテン系デーン人F2(平)
当時のエジプトは中臣氏が支配するキプチャク族出自の奴隷軍人マムルークに
よって支配されていた、モンゴル軍襲来と共に平氏も支配中枢に加わっただろう
1510年 ヒジャプール王国
(インド)
ゴア占領 ルシタニア分家
vsブリテン系デーン人E
英国勢力であるポルトガルはキリスト教会を建設、信者を増やし、ゴアをアジアの
キリスト教布教の本拠地とする、同時に英国諜報機関ゴア分家が設置される
1515年 カスティーリャ王国 スペイン王国誕生 ブルグント分家
ノルマン人
vsバスク分家A
カスティーリャ王国が英国勢力であるアラゴン王国、ナバラ王国を併合、
ハプスブルグ家によって支配され、スペイン王国が誕生
バスク分家Aが支配中枢から排除され、バスク分家Bはイエズス会を結成した
1519年 トラシュカラ王国
(メキシコ)
コルテス侵攻 ルシタニア分家
バスク分家B(イエズス会)
新デーン人
ノルマン人
vsダーナ神族
コルテスはスペイン王国のエストマレドゥーラ州の出身である、同じ州からは南
アメリカを蹂躙した多くのコンキスタドールが輩出されている、有名なピサロもそう
だが、彼らをルシタニア分家と一括したい、なぜならポルトガルと隣接しており、
ローマ帝国時代には一緒くたにルシタニアと呼ばれていたのだ、
ルシタニアは古来からブリテン系デーン人の勢力圏だが、
彼らはスペイン王国の中の異分子勢力と言える、彼らは
トラスカラ王国が標的のアステカ帝国と敵対していることを知るとすぐさまトラスカラ
王国の勢力を味方に引き入れ、アステカ帝国攻略の先鋒とした
1520年 神聖ローマ帝国 「ルター派」 エフタル
vsノルマン人
vsブリテン系デーン人
vsブリテン系デーン人A3(ア)
vs新デーン人
ルターは新デーン人系の聖アウグスティヌス修道会に属していたが
ルター自身は中央アジアに勢力を張ったエフタルの末裔と考えられる
エフタルは新デーン人の一派なので提携は当然だろう
任務は、神聖ローマ帝国からカトリックを駆逐することであった、宗教の布教は、
戦わずして敵に勝つ方法である、新デーン人は、ドイツ地方が欲しかった、しかし
ノルマン人系カトリックの異分子排除、魔女狩りにより、新デーン人勢力は排除され
ドイツではルター派が幅をきかすこともなく、代わりにスカンジナビアに移転
1520年 カルマル同盟 ストックホルムの血浴 エフタル
vsダーナ神族
当時、ダーナ神族がアングル人を操作し、デンマークを支配していた
この「ストックホルムの血浴」はデンマークによるスウェーデン有力者の排除だが、
じつは裏にエフタルが暗躍していた、彼らは、スウェーデン人を虐殺するように
デンマーク側を誘導、デンマークを叩き潰す口実をスウェーデンに与えた
当時の新デーン人にとってカルマル同盟は脅威だったが、カルマル同盟崩壊の先手
として同士であるエフタルが導入された
1521年 アステカ帝国 アステカ帝国滅亡 ルシタニア分家
バスク分家B(イエズス会)
新デーン人
ノルマン人
vsダーナ神族
生粋のスペイン人であるベラスケス提督は、コルテスのメキシコ探検を援助したが
コルテス自身は英国勢力であるため、メキシコの占領と領有を主張した
尚、アステカ人の人身御供が常識となっているが全てウソであり、インデイオを殺し
過ぎた英国勢力が「生贄の風習を持っているような野蛮人なので惨殺しても仕方ない
やつらだったんです」と言い訳しているだけのだ
1523年 カルマル同盟 ヴァーサ王朝 エフタル
vsダーナ神族
エフタルの陰謀により、カルマル同盟は崩壊、新デーン人がダーナ神族に一矢報いた
カタチだが、同時にスウェーデンを独立させたことでロシアに対する牽制にも
つながった
1525年 スイス連邦
フランス王国
「ツヴィングリ派」 ブルグント分家
vsノルマン人
vsブリテン系デーン人
vsブリテン系デーン人A3(ア
vs新デーン人
英国の諜報員ツヴィングリがフランス系ノルマン人の領土であったスイスから
カトリック勢力(フランス系ノルマン)を排除するために設置、だがツヴィングリは
フランス諜報員の精鋭カルヴィン一派に暗殺され改革派の権利を奪われる
1533年 ローマ教皇領
フランス王国
「オラトワール協会」 エフタル
vsノルマン人
vsブリテン系デーン人
vsブリテン系デーン人A3(ア
vs新デーン人
ルター派と関係があったため、エフタルによって作られたカトリック修道会と考えられる
オラトワールは後のユグノー戦争に於いてカルヴィン派と共に戦っている
オラトワールは後にルソーに集団ストーカー攻撃を加える
1534年 イングランド王国
(チューダー朝)
「聖公会(英国国教会)」 ノルマン人
ブリテン系デーン人
vs新デーン人
バチカンの役所に勤務していたこともあるノルマン人諜報員、トマス・クロムウェル
が企図、200年かけて、ノルマン人の先輩ジョン・ウィクリフの念願が叶う
これでノルマン人はカンタベリー司教座を有する新デーン人と対等になった
この時、ノルマン人はブリトン人(ウェールズ人=ブリテン系デーン人)と提携
しかし、聖公会を新デーン人に乗っ取られるとブリトン人は清教徒を組織、
ノルマン人はブリトン人と共に米国に勢力圏を築くが、ノルマン人に会衆派・清教徒を
乗っ取られたブリトン人はノルマン人に離反、モルモン教を組織する
1534年 フランス王国
神聖ローマ帝国
「イエズス会」 バスク分家B(イエズス会)
vsノルマン人
vsブリテン系デーン人
vsブリテン系デーン人A3(ア
vs新デーン人
古来からブリテン系デーン人勢力であるバスク人が組織した修道会
メンバーはみなバスク・ルシタニア出自の神官を兼務する諜報員である
1535年 イングランド王国
(チューダー朝)
トマス・モア処刑 ノルマン人
ブリテン系デーン人
vs新デーン人
カトリックとしての立場から英国王政に批判的であった、つまり新デーン人勢力だった
ため、ブリトン人・ノルマン人勢力に排除された
1536年 フランス王国
スイス連邦
「カルヴィン派」
「長老派」
「メノナイト」
フリース分家
ブルターニュ分家
vsノルマン人
vsブリテン系デーン人
vsブリテン系デーン人A3(ア
vs新デーン人
フリース分家の諜報員であるカルヴィンは新興国、オランダの振興に貢献し、
カルヴィンの一派がオランダを影から支配することになる
更にカルヴィンは生前、ジョン・ノックスと合流し、長老派教会を
スコットランドに設置した。だが、のちに名誉革命によりオランダは英国勢力下に入る
1536年 デンマーク王国 デンマーク=ノルウェー
の宗教改革
エフタル
vsブリテン系デーン人
vsダーナ神族
スウェーデンを支配下に置き、デンマーク勢力の弱体化に成功したエフタルである
が諜報員であるルターが子分のハンス・タウセン、ペーター・バラディウスを
デンマークに派遣、クリスチャン3世を抱きこんでルター派教会を国教とするように
迫るが、ノルマン人系カトリックの反発に合う、その後、めでたく目標は達成したが
スウェーデンの下になることを望まないダーナ神族はデンマーク人を使いは反発、
何度もエフタルのスウェーデン分家と戦闘を演じる
1536年 インカ帝国 マンゴ・インガの反乱 ブリテン系デーン人E(パ)
vs新デーン人
vsルシタニア分家
vsブルグント分家
vsバスク分家B(イエズス会)
vsノルマン人
インカ帝国の帝王、マンゴ・インガが反乱を起こし善戦するが、彼自身がキリスト教徒
であるインディオ女性(カタリナ)と結婚しており、至る所にキリスト教会も建設され
大勢のインディオや兄弟でさえも裏切り者として襲い掛かる中、更に
カタリナとの息子、クシ・ユパンギがキリスト教の洗礼を受け、国民にも強要する
(その後、クシ・ユパンギは異母兄弟のトゥパク・アマルに暗殺される)
※マンゴ・インカの背後にはブリテン系デーン人(パッラヴァ)勢力が控えていた
1538年 インカ帝国 デ・アルマグロ処刑 vsルシタニア分家
vsブルグント分家
インカ侵攻の首領は、ルシタニア分家、エストマレドゥーラ出身のピサロ兄弟であった
が、彼らは、出身地が異なるアルマグロを処刑、利害に相違があるからだ
1539年 明帝国
李氏朝鮮
倭寇、活動再開 ルシタニア分家
バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(華)
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人F2(藤)
vsブリテン系デーン人F2(高)
vs漢民族
50年間、倭寇は明にも朝鮮にも出現せず活動停止状態であったが、ここにきて
いきなり倭寇の活動が活発化する、その原因として考えられるのはもちろん白人
との接触だ、イエズス会が明を訪れたのは1513年であり、日本を
訪れたのは1543年である、ザビエル率いるポルトガル人を日本に導いたのは
ヤジロウという薩摩人であったが彼は大陸人にバハンと呼ばれたいわゆる倭寇
であった、またポルトガル船が種子島に漂着した時、明の大物海賊商人である
王直が同乗、彼は後に平戸に永住、倭寇を指揮する
1540年 イングランド王国
(チューダー朝)
トマス・クロムウェル失脚 ブリテン系デーン人
新デーン人
vsノルマン人
新デーン人の配下であると考えられるトマス・ハワードが宗教改革の大立者
トマス・クロムウェルを排除
裏には新デーン人の策略があり、彼らがブリトン人をだまし、ノルマン人排除に
誘導した可能性がある、目的はブリトン人とノルマン人の対立を演出し、
両勢力を同時に弱体化することだ
1543年 エチオピア帝国 アダル・トルコ軍を打ち破る ルシタニア分家
ブリテン系デーン人C(カ)
vsブリテン系デーン人A3(ビ)
vsブリテン系デーン人C(正)
ルシタニア分家がエチオピアに接触、カトリック勢力に加勢
正教会一派に対抗、正教会一派の背後にはビザンツがいたと考えられる
1544年 李氏朝鮮 甲辰蛇梁の倭変 ルシタニア分家
バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(華)
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人F2(高)
釜山浦倭館が1521年に再開されるが英国勢力として再度倭人が朝鮮で
暴動を起こしたことにより、以来、浦所倭館は釜山浦一箇所のみとなる
※李氏朝鮮=天孫の末裔、ブリテン系デーン人F2(高句麗)
1548年 スペイン王国植民地 ゴンサロ・ピサロ処刑 ブルグント分家
ノルマン人
vsルシタニア分家
ピサロが英国勢力であることを裏付ける出来事が起きた、彼はスペイン本国の
意向を無視し、自分の利益を優先、反乱軍を組織したが逮捕、処刑された
1551年 スペイン王国
神聖ローマ帝国
ローマ教皇領
ラス・カサス執筆活動 ノルマン人
vsルシタニア分家
vs新デーン人
vsブルグント分家
ノルマン人勢力であるドミニコ会の修道士、ラス・カサスがコンキスタドール
聖アウグスティヌス会というルシタニア・新デーン人勢力、ハプスブルグ家、
スペイン軍の強欲を非難するためにインディオの悲惨な待遇を持ち出す
(大多数を味方に付けるため、この類の話は捏造の可能性もある)
1553年 イングランド王国
(チューダー朝)
「ピューリタン(清教徒)」 ブリテン系デーン人
vs新デーン人
vsノルマン人
vsブルターニュ分家
vsダーナ神族
新デーン人勢力であるメアリ1世が、聖公会をカトリックに再統合、それに抵抗する
プロテスタント(ブリトン人・ノルマン人)を徹底的に弾圧
この弾圧を避けるために800人のプロテスタントがジュネーブに亡命
これがピューリタンの興りとされる、このピューリタンの中枢はブリトン人が成していた
1555年 モスクワ大公国 「モスクワ会社」
「聖アンデレ聖公会教会」
ブリテン系デーン人
ノルマン人
vs旧デーン人B2
vs新デーン人
聖公会がロシアに拠点を置いた点、モスクワ会社を設立した点は
一方で正教会排除を企図した宗教改革の一環だったという認識があっただろうか
英国は、この頃、既にロシアが大国になるという確証を持っていたのだろう、
会社を設立し、聖公会の慈善団体まで設け、情報収集にあたっていた
聖公会は、大国ロシアを奪取、或いは同盟し、ブリテン島を支配する新デーン人に
対抗しようと画策したのかもしれない
1555年 李氏朝鮮 倭寇、全羅道襲撃 ルシタニア分家
バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(華)
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人F2(高)
ブリテン系デーン人勢力である倭寇が李氏朝鮮を襲撃、倭寇と言っても内訳は明の
海賊の方が多いという、しかし、両勢力は同じブリテン系デーン人F1に属している
ため、同士である
日本海賊の他にポルトガル人、マレー人、タイ人の海賊が混ざった国際的混成団
であった、ルシタニア分家はマレー人、タイ人の海賊を手なずけた
1556年 ポーランド王国
リトアニア大公国
「ユニテリアン主義」 ブリテン系デーン人F2(藤)
vsブリテン系デーン人F2(中)
vsブリテン系デーン人A2
vsブリテン系デーン人A3(ビ)
ポーランド、リトアニアに於ける宗教改革、明らかにロシア帝国・神聖ローマ帝国に
照準が定まっている、藤原氏はポーランドからノルマン系カトリックをリトアニアからは
リトアニア正教を排除するための拠点を設置した
1562年
〜98年
フランス王国 ユグノー戦争 ブルグント分家
フリース分家
vsブリテン系デーン人A3(ア)
vsブリテン系デーン人A2(ロ)
vsノルマン人
ブリテン系デーン人の系統であるフリース分家・ブルグント分家が主導する改革派は
反体制的な貴族も加わり、カトリックの総本山、フランスに於いて大きな勢力となって
いた、しかし、ノルマン系カトリックがユグノー(改革派教徒)数千人を虐殺
異分子排除、それは古代デーン人が発明した権力維持に不可欠な理念だが、この
理念はデーン人直系の子孫、新デーン人とノルマン人にしか知られていない、
ただ、3000年前に分化したブリテン系デーン人の中にはこの理念が残っている
一派も少なからず存在する(日本人のように)
古代デーン人・旧デーン人は混血が進み、異分子排除・強い侵略の本能は消滅した
1567年 トランシルヴァニア公国 「ユニテリアン教団」 ブリテン系デーン人F2(藤)
vsノルマン人
vsバスク分家B(イエズス会)
vsフリース分家
vsエフタル(ルター派)
トランシルヴァニアに於ける宗教改革、明らかに神聖ローマ帝国に照準が定まって
いる、トランシルヴァニアを拠点にハンガリーからノルマン系カトリックを排除し、
藤原氏の拠点を置くために組織、新デーン人を裏切り、のちに粛清される
バートリ家もユニテリアン信徒だったに違いない
1567年 (フィリピン) 倭寇vsスペイン軍 ブリテン系デーン人F1(華)
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人A3(ブ)
vsノルマン人
「明の海賊、李馬鴻と倭寇、シオコの率いる連合艦隊がスペイン駐屯軍を襲撃駆逐
せんとマニラ湾ロコドシルに上陸、兵力は艦隊62艘、水夫2000人、兵卒2000人
いつのまに、どこで、どうした人達によって準備され編成されたのか分からないが
これだけの組織的行動にはそれ相等の準備が必要である」と歴史家が言っている
いつのまに、どこで、どうした人達、ってデーン人勢力に決まってますよ
ポルトガル(ルシタニア)、イエズス会(バスク人)は古来からのブリテン系デーン人
勢力であり、華僑・倭寇・天孫(日本支配勢力)もブリテン系デーン人の末裔である
1570年以降 スペイン王国 海賊活動 新デーン人
vsブルグント分家
vsノルマン人
西インド諸島のスペイン船や町を襲う海賊活動開始、当時の英国はブリトン人が
支配していたため、不満を抱いていた新デーン人が海賊行為を働いていた
1572年 インカ帝国 トゥパク・アマル処刑 新デーン人
ルシタニア分家
ブルグント分家
バスク分家B(イエズス会)
ノルマン人
vsブリテン系デーン人E(パ)
異母兄弟のクシ・ユパンギが英国勢力である聖アウグスチヌス会の宣教師を
ビルカバンバに招き入れたが、アマルが反発、宣教師を追放する、その後、
クシ・ユパンキを暗殺、帝王に即位し、スペイン軍に対し反乱を起こすが逮捕、クスコ
で処刑され、インカ帝国は滅亡した
※アマルの背後にはブリテン系デーン人Eのパッラヴァ勢力が控えていただろう
1574年 (フィリピン) 倭寇vsスペイン軍 ルシタニア分家
バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(華)
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブルグント分家
vsノルマン人
日明連合の海賊艦隊がマニラ湾のコレヒドールにてスペイン軍を攻略、スペイン
はカトリックだが、バスク勢力であるイエズス会ではなく、ノルマン系カトリック
であるドミニコ会、フランシスコ会の修道士(諜報員)を同乗させていた
1578年 日本 大友宗鱗、日向国侵攻 ルシタニア分家
バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(倭)
ブリテン系デーン人F2(大)
vsブリテン系デーン人F2(藤)
フロイスらポルトガルの英国勢力は宗鱗に日向国(宮崎県)を占領し、そこに
日本とは異なる法制度により統治される都市を建設し、住民は全員キリシタンに
するべきだと指令、つまり、植民地を作れということ
※大友氏は大伴氏の末裔だろうか??
1580年 イングランド王国
(チューダー朝)
「会衆派」 ノルマン人
vsブリテン系デーン人
vs新デーン人
ノルマン人が組織した宗派、創始者のローバート・ブラウンがチューダー朝を批判し、
ノルマン朝縁の地に誕生しているため、会衆派をノルマン系勢力と考える
1580年 ポルトガル王国 イベリア連合 ブルグント分家
ノルマン人
vsルシタニア分家
ブルグント分家、ノルマン人がポルトガル本国を勢力下に置いた
しかし、世界の海に進出していた先までは権力は届かなかったようだ
ルシタニア分家はその後も独自の利益に従って動いていた
1582年 (フィリピン) 倭寇vsスペイン軍 ルシタニア分家
バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(華)
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブルグント分家
vsノルマン人
タイフサと称する日本海賊が北ルソンに上陸、スペイン軍と衝突、歴史家は倭寇の
単独行動として捉えるが、明の海賊と同じく実際には、いわゆる後期倭寇は
ブリテン系デーン人として、祖を同じくするルシタニア分家、バスク分家Bと
華僑・倭寇(ブリテン系デーン人F1)の連合だった
1582年 日本 本能寺の変 ルシタニア分家
バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人F2(藤)
明智光秀はイエズス会勢力(キリシタン)であった、藤原氏の配下の陰陽師(秀吉)
が影で信長を支援していたが、イエズス会も同時に信長を支援、引き抜こうと
考えていた、しかし、扱いやすい光秀を手先として選択したのだろう
それが、イエズス会による信長の暗殺の原因となった
また、イエズス会の支援を受けながら天下を取った暁には白人を排除することを
信長はハナから決定していたのかもしれない、だがそれをイエズス会勢力に知られ
てしまい、イエズス会の意を受けた光秀が信長を討った
どっちにしても、信長の頭脳(秀吉)は安泰のため大きな痛手とはならなかった
イエズス会はスパイを放っていたはずだが、信長が猿と呼ぶ秀吉に操作されていた
とは思いも寄らなかったのだろう(陰陽師に一本)
1587年 ポーランド・リトアニア共和国 ジグムント3世即位 エフタル
vsブリテン系デーン人A2
vsブリテン系デーン人A3(ビ)
vsブリテン系デーン人F2(中)
vs旧デーン人B2
エフタル勢力であり、ヴァーサ朝の家系であるジグムントは当時欧州最大の
王国であったポーランド・リトアニア共和国の王となり、ロシア帝国に何度も侵攻、
モスクワを1610年から2年間占領、ブリテン系デーン人勢力であるイエズス会の
教育を受けたジグムントのロシア侵攻の目的は、全ロシアのカトリック教化であった
1588年 スペイン王国 アマルダの海戦 新デーン人
ブリテン系デーン人
vsノルマン人
vsブルグント分家
海賊上がりの提督、フランシス・ドレイク指揮のもと、大英帝国艦隊がスペイン無敵
艦隊を撃破、海上権が大英帝国に移る
1590年 アユタヤ王朝 ビルマ軍が侵攻 ブリテン系デーン人F1(雲)
vsブリテン系デーン人F2(藤)
vs陰陽師(藤原氏傘下)
日本兵500人がアユタヤを守るためにアユタヤ軍に加勢したが、日本本国の陰陽師
(藤原氏傘下)だろう、モンゴル軍の行く先々で藤原氏・平氏の勢力が生まれたが
アユタヤ朝もそのひとつだったと考えられる、藤原氏の大陸勢力が本国に連絡し、
本国から陰陽師を呼び寄せたのだろう
1592年 明帝国 万暦の三征(ボハイの乱
文禄・慶長の役、楊応龍の乱)
ルシタニア分家
バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(雲)
ブリテン系デーン人F1(華)
ブリテン系デーン人F1(倭)
ブリテン系デーン人F2(平)
ブリテン系デーン人F2(藤)
vs漢民族
タタール人の背後には平氏が控え、秀吉自身は藤原氏傘下の陰陽師であったが
イエズス会とポルトガル人は祖を同じくする者としてタタール人・秀吉に連合を示唆
それが、この「万暦の三征」につながった
藤原氏・平氏は天孫を祖とするが、そもそも天孫がブリテン系デーン人であり
華僑・倭寇もブリテン系デーン人の末裔である
そして、ポルトガル人(ルシタニア分家)、イエズス会(バスク人)も古来からの
ブリテン系デーン人勢力である、つまり、この万暦の三征という事象は、
ひとつの意志のもとに発生した、明王朝を滅亡せんとする壮大な、かつ、人為的な
陰謀であった
イエズス会のルイス・フロイスは秀吉が次のように語ったと伝えている
「シナ人が自分に服従するならばその地に留まろうとも占領しようとも思っていない
ただシナの各地にキリシタン教会を建て、シナ人がみなキリシタンになるように命じた
後には帰国しよう、また日本の半分ないし大部分をキリシタンとさせよう」
コレは秀吉の意志ではなくイエズス会の意志であり、フロイス自身の筆に
よるものだろう、これほどハッキリ英国諜報機関の基本戦略、宗教を侵略装置として
自覚していることを物語る文章も見つからないだろう、どの国の侵略にもこの文章
に宿る理念が根幹に潜む
1593年 (フィリピン) 華人の反乱 バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(華)
vsノルマン人
vsブルグント分家
モルッカ諸島をオランダから奪取するためにマニラ総督自らが指揮するスペイン艦隊
が海上を南進、その際、潘和五をボスとする反乱が船上で勃発、総督は殺害され
船はベトナムに漂着、1595年、報復としてマニラから5000人の華僑が追放された
1594年 明帝国 東林書院再建 バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(華)
vs漢民族
書院とは学校だが、東林書院は儒教の徒でありながらキリスト教宣教師と交流し
また、明海賊の末裔、鄭成功が東林書院で学んでいることもあり、
東林書院は俄然、儒教を模した明に対する反体制勢力育成所だったと考えられる
そのため、明政府も、多数ある書院廃止の意向を示し、両者は何年もの間、対立
しかも東林書院の勢力は中国人キリスト教徒の巣窟、南京を本拠地にしていた
1596年 エチオピア帝国 宗派対立による内戦 ブリテン系デーン人A3(ビ)
ブリテン系デーン人C
vsルシタニア分家
vsバスク分家B(イエズス会)
vsブリテン系デーン人C
カトリックvs正教会による内戦が勃発、王族はあらかたカトリックに改宗したが国民が
許さなかったため、正教会(ビザンツ系)の王を指名し、
裏でカトリック勢力(イエズス会)がエチオピアを支配した
1596年 ポーランド・リトアニア共和国
(ウクライナ)
「ブレスト合同」
「ウクライナ東方教会」
バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人A3(ビ)
vsフリース分家
vs旧デーン人B2
フリース分家の一派であるカルヴィン派がウクライナで勢力を持っていたが、
それに異を唱えたバスク人勢力、イエズス会が東方教会(ビザンツ系)と結託、
あきらかにロシア帝国に照準が定まっている
1597年 日本 26聖人殉教 ブリテン系デーン人F2(藤)
vsブリテン系デーン人F1(倭)
vs陰陽師(毛利氏傘下)
vsバスク分家B
vsノルマン人
長崎に於いて磔になった者が26名、これ以降も隠れキリシタンは磔にされたが
面白いことに英国勢力であるイエズス会やフランス系カトリックのドミニコ会、
フランシスコ会は禁教令を利用して相手の弱体化、自身の勢力拡大を謀っていた
可能性がある
1600年 ムガール帝国
(インド)
「イギリス東インド会社」 ブリテン系デーン人
vsブリテン系デーン人E
ブリトン人を中心にもうひとつの英国勢力として成長していく
1601年 イロコイ連邦
(カナダ)
ビーバー戦争 バスク分家B(イエズス会)
イロコイ分家
vsノルマン人
vsブリテン系デーン人A3(ブ)
vsフリース分家
イエズス会がイロコイ連邦(ブリトン人)崩壊を意図し、部族同士をたきつけて
部族抗争を演出、そこにフランス勢力、オランダ勢力が訪れる、ブリトン人勢力は照準
をフランスに変更、フランスと敵対することをイロコイ連邦に指導、これが100年
続くビーバー戦争に発展
1603年 イングランド王国
(スチュアート朝)
スチュアート朝 ブルターニュ分家
新デーン人
vsブリテン系デーン人
vsノルマン人
スコットランド(ローランド)に拠点を築いたブルターニュ人がスチュアート朝を建てた
1603年 (フィリピン) 華僑虐殺 バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(華)
vsノルマン人
vsブルグント分家
黄江という秘密結社のリーダー格が華僑の組織化を謀り、当局に察知され
スペイン兵により華僑二万人が虐殺された、これでマニラの華僑は500人に減った
が驚くべきことに、数年のうちに一万人台に回復したという
1607年 日本 奴隷購買者破門令 ブリテン系デーン人F2(藤)
vsルシタニア分家
vsバスク分家B(イエズス会)
宣教師達がポルトガル奴隷商人に発布した、という演技を慣行
1608年 イングランド王国
(スチュアート朝)
「清教徒(分離派・非分離派)」 ブリテン系デーン人
vsノルマン人
聖公会と袂を分かったのを分離派(ブリトン人)といい、
もう一方は非分離派(ノルマン人)と呼ばれた
1609年 イングランド王国
(スチュアート朝)
「バプティスト教会」 新デーン人 聖公会を起こした英国諜報機関一派から分離、暖簾分け、のちにアメリカ南部で勢力
拡大、ノルマン人(USA)と衝突
1609年 琉球王国 薩摩藩侵攻 ブリテン系デーン人F2(藤)
vsブリテン系デーン人E
キリシタンの多い薩摩藩が英国の意志の下、ブリテン系デーン人Eが
支配していた琉球を併合した
1610年 アユタヤ王朝 日本人の反乱 ブリテン系デーン人F2(藤)
フリース分家
vs陰陽師(藤原氏傘下)
この当時は大勢の日本人が日本人町を建設、しかし、ソンタムという王が即位した
際、自分たちの配下として使っていたと思われる重臣プラナイワが処刑されたため
日本人(陰陽師)が反乱を起こしたという
本土から来た藤原氏傘下の陰陽師はアユタヤ朝を支配していた大陸系藤原氏と
対立し、アユタヤ朝テイキングオーバーを謀っていたのだろう、か
※鎖国下の当時、国外に出ることを許されたのは陰陽師(諜報員)だけだった
1611年 デンマーク王国 スウェーデン・デンマーク戦争 エフタル
vsダーナ神族
英国に拠点を置く新デーン人の一派エフタルが、デンマーク、ロシア帝国を仮想敵国と
し、バルト海の覇権を奪取する意図のもと、スウェーデン分家を興してから100年
もの間、周到に準備し、ここにきてデンマークを攻撃開始
1613年 ロシア帝国 スウェーデン・ロシア戦争 エフタル
vs旧デーン人B2
英国に拠点を置く新デーン人の一派エフタルが、デンマーク、ロシア帝国を仮想敵国と
し、バルト海の覇権を奪取する意図のもと、スウェーデン分家を興してから100年
もの間、周到に準備し、ここにきてロシアを攻撃開始
1614年 ハンガリー王国 エリザベート・バートリ死去 英国諜報機関
エフタル(ルター派)
vsブリテン系デーン人A3(マ)
vsブルグント分家
神聖ローマ帝国は、1597年に英国商人退去を命じたが、それが引き金となり、英国
諜報機関はハプスブルグ家打倒のためにハンガリーに着目、反体制派を指揮し、
革命を演出するが、バートリの家系の者は誇り高く、英国諜報機関の言いなりに
なるのを拒否したと考えるコトができる、つまり、あの事件は裏切りの報復なのだ
バートリ家の人々は、ハプスブルグ家に反感を抱き、独立を強く希望していたが、
だからといって大英帝国の勢力下に入ることを恥じたのである、それが、この猟奇
事件の企画目的であり、バートリ家の家系が異常なのは近親婚が原因だという
汚名のモトもそこにあるのだろう、第一、エリザベートの事件はあまりに、
ジル・ド・レをハメるためにノルマン人によって作られた事件に酷似している、
この後、バートリ家の勢力が排除されたことにより、ハンガリーはオスマントルコ
勢力に蹂躙された、このトルコによるハンガリー蹂躙も制裁の一環だろう
※英国諜報機関=新デーン人・ブリトン人・ブルターニュ人・ノルマン人
1614年 神聖ローマ帝国 「薔薇十字団」 エフタル
新デーン人
vsブルグント分家
大英帝国の野望、欧州攻略の礎を築く画策、首謀者はオカルトファンに有名な
クリスチャン・ローゼンクロイツ、彼は欧州、とりわけ神聖ローマ帝国の人民を
ノルマン人、ハプスブルグ家の支配から解放する救世主として英国王家を迎え入れ
ようと画策していた
1615年 ポルトガル王国植民地
(モルッカ諸島)
オランダ、モルッカ島占領 フリース分家
vsルシタニア分家
祖を同じくするルシタニア分家(ポルトガル)とフリース分家(オランダ)の争い
1619年 オランダ王国植民地
(ジャカルタ)
福建の華僑を投入 フリース分家
ブリテン系デーン人F1(華)
オランダがジャカルタにバタヴィア城を建設した際、技術者と労務者が福建から送られた
1620年 イングランド王国植民地
(北アメリカ)
メイフラワー号到着 ブリテン系デーン人
vs新デーン人
vsノルマン人
清教徒分離派(ブリトン人)がプリマスに上陸、分離派は新デーン人勢力、
また、非分離派(ノルマン人)と相対していた
1623年 オランダ王国植民地
(モルッカ諸島)
アンボイナ事件 フリース分家
vsブリテン系デーン人
vsブリテン系デーン人F1(倭)
vsルシタニア分家
この事件によりスチュアート朝は東南アジア、日本から撤退したが、じつは
スチュアート朝による陰謀であった
かいつまんで言えば英国人がオランダ人に虐殺されたという事件だが、
結果としてスチュアート朝はオランダから多額の賠償金をせしめている、
しかし、被害者が加害者から賠償金をせしめるなんてことは、じつは、強くなければ
出来ないことだ
オランダ人に殺された人々の内訳はイギリス人、日本人(倭寇)、ポルトガル人
の3者であったが、倭寇、ポルトガル人はブリテン系デーン人の末裔である
イギリス人といってもいろいろあるが、この場合のイギリス人とはブリトン人ではないか
1622年 明帝国 「白蓮教」の乱 ブリテン系デーン人F1(雲)
バスク分家B(イエズス会)
vs漢民族
もともと中国国内に存在したブリテン系デーン人F1(雲)系の宗教団体に
バスク分家B(イエズス会)がテコ入れ、明における反体制勢力を教育、援助、失敗
1629年 ムタパ王国
(グレート・ジンバブエ)
マブラ・ポルトガル同盟軍 ルシタニア分家
ブリテン系デーン人D
vsブリテン系デーン人D
ムタパの裏切り者がポルトガルに加勢を要求、ムタパ王国を制圧
1629年 アユタヤ王朝 山田長政暗殺 フリース分家
ブリテン系デーン人F2(藤)
vs陰陽師(藤原氏傘下)
オランダ側は日本人がスパイであることを認識しており、異分子排除を慣行した
山田長政は、本国藤原氏傘下の陰陽師(諜報員)だろう
1630年 イングランド王国植民地
(北アメリカ)
「マサチューセッツ湾会社」 ノルマン人
vs新デーン人
vsブリテン系デーン人
清教徒非分離派が聖公会の改革に見切りをつけたという口実を作り、アメリカ移転を
決意、彼らは分離派(ブリトン人)の勢力排除を正当化するために
国王から特許状を得て「マサチューセッツ湾会社」を設立
1630年 スペイン王国植民地
(ルソン島)
徳川幕府ルソン遠征 ブリテン系デーン人F2(藤)
vsブルグント分家
vsノルマン人
1597年にも秀吉がルソン遠征を計画したが頓挫、徳川幕府のルソン遠征も計画のみ
で頓挫、これらの作戦の企図には陰陽師によるキリスト教徒排除があるだろう
1631年 明帝国 李自成の乱 バスク分家B(イエズス会)
漢民族反逆派
vs漢民族
黄河支流沿いの山奥出身の李は野蛮であったことから山賊であった可能性がある
彼は野蛮な振る舞いを側近にたしなめられたが、その側近は李を影で操作する
任務を負った英国勢力中国分家の諜報員だろう、李は明を倒し、天下を取るが
その天下も40日で終幕、清軍に壊滅させられる
1632年 アユタヤ王朝 日本人町焼き討ち ブリテン系デーン人F2(藤)
フリース分家
vs陰陽師(藤原氏傘下)
オランダ側は日本人が日本本国のスパイ勢力であることを認識しており、
アユタヤ朝を統括する大陸系藤原氏に陰陽師排除の慣行を打診した
1637年 日本 島原の乱 バスク分家B(イエズス会)
ブリテン系デーン人F1(華)
ブリテン系デーン人F1(倭)
ブリテン系デーン人F2(大)
vsブリテン系デーン人F2(藤)
もちろん、イエズス会が企画した反乱だが、現場では倭寇の一大勢力、
松浦党や平戸・天草の海賊の残党、明の海賊、王直の手下などの大物海賊
が一同に介し、島原の乱の準備や指揮、戦闘に関わっていたと見られる
九州は当時から既に日本領土ではなかったと捉えて良いだろう
1640年 ポルトガル王国 王政復古戦争 フリース分家
ルシタニア分家
vsブルグント分家
フリース分家がルシタニア分家を独立させ、対スチュアート朝戦に備えた、か
1640年 李氏朝鮮 倭館の移転要求 ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人F2(高)
「この頃、後金軍(後の清)が朝鮮半島へ南下しているとの噂がしきりでいつここが
戦乱に巻き込まれるか分かりません、ついては以前、日本軍が築城した釜山城を
改築してそこへ倭館を移し兵器を備えるなどしたい」と後金軍侵攻を口実に釜山を
倭寇勢力の拠点にしたいというブリテン系デーン人F1の狙いが見える
或いは、後金軍(藤原氏大陸勢力)のことを口走るに及び、彼らが本国陰陽師
(藤原氏傘下)だった可能性もある
1649年 イングランド王国
(スチュアート朝)
チャールズ処刑 ブリテン系デーン人
ノルマン人
vsブルターニュ分家
vs新デーン人
スチュアート朝の背後にはブルターニュ人と新デーン人がいたが、ブリトン人勢力
であるクロムウェルが蜂起
1649年 アイルランド王国 クロムウェル上陸 ブリテン系デーン人
vsブリテン系デーン人(ア)
アイルランド人蜂起の裏には、新デーン人の存在があった可能性がある
いつのまにか、新デーン人がケルト教会を傘下に置いたらしい
1650年 イングランド王国
(スチュアート朝)
「クェーカー教会」 ダーナ神族
アングル人
vs新デーン人
vsノルマン人
vsブリテン系デーン人
イングランド本土に拠点を築きたいということで、ダーナ神族がアングル人を指揮し
クェーカーを組織したと考えられる
1650年 スコットランド王国 クロムウェル侵攻 ブリテン系デーン人
ノルマン人
vsブルターニュ分家
vs新デーン人
スコットランド人蜂起の裏には、ダーナ神族の存在があった可能性がある
ダーナ神族はスコットランド(ハイランド)に拠点があり、もともと新デーン人の一派
であったため、アイルランド・スコットランドの蜂起は新デーン人連合による陰謀だった
といえる
1650年 スペイン王国植民地
(メキシコ)
メキシコ独立闘争 ブリテン系デーン人(ア)
新デーン人
vsブルグント分家
vsノルマン人
アイルランド人カトリック教徒、ウィリアム・ランボートが独立宣言文をメキシコシティ中
に貼ってまわった、ランポートの望みは、メキシコがスペインの支配を破り、教会と
国家が完全に分離することであった、これは当然ランポートの意志ではなく、
大英帝国の意志であるが失敗、ランポートは処刑される
1650年
続き
ヤーリバ朝オマーン ポルトガル撃破 ブリテン系デーン人F2(藤)
vsルシタニア分家
17世紀はポルトガルとオマーンが各地で抗争を繰り返していた
1655年 ポーランド・リトアニア共和国 大洪水時代 エフタル(スウェーデン)
vs旧デーン人B2
vsブリテン系デーン人A2
vsブルグント分家
vsダーナ神族
vsフリース分家
vsノルマン人
vsバスク分家B(イエズス会)
ヴァーサ朝の血を引き、イエズス会の教育を受けたジグムント3世は英国諜報機関
ポーランド分家の長ともいえるが大きい権力に目がくらんだのだろう、英国諜報機関
に離反したと推測される、その制裁がスウェーデン王位剥奪だ
その後、離反したポーランド分家に徹底した制裁を加えるため、また、ポーランドを
狙うロシア帝国、神聖ローマ帝国、ハプスブルグ家、デンマーク、オランダなどの
反英国勢力を排除するためにスウェーデンがポーランドに侵攻大洪水時代を招くが、
英国諜報機関スウェーデン分家は奪還に失敗、続きは大北方戦争にもつれこむこと
になる、大北方戦争に於いてはポーランドはハプスブルグ家の同盟者であり
金羊毛騎士団(フランス勢力)の一員でもあるアウグスト2世に指導されロシア帝国と
共にバルト海に於いてスウェーデンと戦闘を演じる
17世紀中葉 トルワ王国
(グレート・ジンバブエ)
ポルトガルの介入 ルシタニア分家
vsブリテン系デーン人E(パ)
ポルトガル軍がトルワ王位継承戦争に介入
1661年 台湾 鄭成功、オランダ追放 ブリテン系デーン人F1(華)
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsフリース分家
明の海賊商人の大物、鄭芝龍と平戸のキリシタン女性、田川松の息子である鄭成功
は英国勢力として台湾からオランダ勢力を排除した、また清の勃興により、東アジア
に於ける覇権を目指す英国諜報機関は明帝国から清の勢力に照準を変更、鄭成功
は明を清の侵略から救うとして「反清復明」を提唱したが果たされることは無かった
1661年 (フィリピン) 鄭成功侵攻 ブリテン系デーン人F1(華)
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブルグント分家
vsノルマン人
鄭成功は、台湾をオランダから奪取した手腕を英国諜報機関に買われ、スペインが
支配するフィリピン奪取の使命を与えられた、危険を感じたスペイン側は華僑の
出国を命じるが、スペイン軍はそれに抗議した華僑3000人を殺害(多分水増し)
1686年には華僑のボス、ティカが報復としてスペイン人区長を襲撃、数百人が死亡
1665年 オランダ王国 第二次英蘭戦争 ブルターニュ分家
新デーン人
vsフリース分家
英国諜報機関が国民の感情を操作し、オランダを憎悪させるために自国にペストを
散布、翌年にはロンドンに火をつけ英国民の戦争感情を鼓舞しようと試みた
1667年 ロシア帝国 「古儀式派」 ブリテン系デーン人A3(ビ)
vs旧デーン人B2
ロシア正教建て直し&組織力強化を図ったニーコン主教の改革に異を唱えた団体、
もちろん英国勢力だ
1670年 ロシア帝国 ドン・コサックの反乱 ブリテン系デーン人F2(平)
ブリテン系デーン人A3(ビ)
vs旧デーン人B2
コサックは何度もロシア帝国に於いて反乱を起こしたが、どこの勢力に属していたの
だろうか、シャレじゃなく、コサックは小作人が語源と考えられる
つまり、コサックは日本勢力(藤原氏、中臣氏、平氏のいずれか)だったのだ
この乱の主役、スチェパン・ラージンは1661年にソロヴェツキー修道院に
巡礼に行っているが、そこは古儀式派と呼ばれるビザンツ系勢力のアジトであった
ラージンはそこから帰還して以降、盗賊団の首領となり、ロシアの政治に反発する
農民や貧民を仲間に入れ、総主教や富豪の船を襲撃することで名を上げた
そして、1670年に反政府の武装蜂起を公然と開始、だが結果的に捕らえられ処刑
された、前年にペルシアを襲撃しているが、武装蜂起のための資金稼ぎだったの
だろう、もちろん、ビザンツ・平氏連合の指揮の下だ
1675年 イングランド王国
(スチュアート朝)
第二期ベドラム 新デーン人
vs知性・異分子
ベドラムで精神的拷問の研究が続けられていたのかもしれない
その集大成、集団ストーカーは英国で生まれたが、狂人(被害者)は見世物にされ
見物客(加害者)が毎日のように訪れたという
1678年 李氏朝鮮 新倭館完成 ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人F2(高)
これより200年にわたる日本人町倭館がスタートする、ここを拠点に日本人は英国
勢力として諜報活動を展開、閔妃などの朝鮮側英国勢力を育成する、こうして
見ると英国諜報機関は華僑には東南アジア(オランダ、スペイン)を、倭寇分家に
は朝鮮をまかせていたといえる
1684年 ムタパ王国 チャンガミレ軍の反乱 ブリテン系デーン人F2(藤)
ブリテン系デーン人E(パ)
vsルシタニア分家
チャンガミレ軍はポルトガル人の交易拠点を順次攻め、ポルトガル商人を追放した
1688年 オランダ王国 名誉革命 新デーン人
フリース分家
vsブリテン系デーン人
vsノルマン人
オランダの真の支配者は王政とキリスト教を駆使しオランダを支配していたが、
大英帝国に王政を奪われた、つまり、オランダ国民とオランダ国土を奪われた、
世界各地にあった植民地もほぼ自動的に大英帝国のモノとなった、オランダの利権
はすべて英国諜報機関の一派に譲渡、分配された
17世紀後半 イングランド王国
(スチュアート朝)
新・魔女狩り(集団
ストーカーシステム機動)
新デーン人
vs英国人
精神的拷問が基調になった集団ストーカーの元型が完成
のちに、分家成立後に輸出、国内の知性(反乱分子)排除のために機能することになる
18世紀 大英帝国 「メソジスト教会」 英国諜報機関 聖公会を起こした英国諜報機関一派から暖簾分け、のちにアメリカ南部で勢力拡大、
アメリカ分家と衝突
18世紀 オスマントルコ帝国
(サウジアラビア)
「ワッハーブ派」 古代デーン人B
vsブリテン系デーン人A3(ビ)
vsブリテン系デーン人F2(藤)
18世紀 フランス王国植民地
(ハイチ)
「ヴードゥー教」 英国諜報機関
ブリテン系デーン人D
vsブリテン系デーン人A3(ブ)
ハイチに於ける反乱分子(英国勢力)育成、フランス勢力排除のために設置、上層部
は全員キリスト教徒、英国勢力下のフランス革命政府により奴隷は解放されるが、
それはあくまでフランス王国からの解放であるつまり、大英帝国の砂糖の世界最大
の生産地所有という悪意が背後に隠れている
1700年 スウェーデン王国 大北方戦争 エフタル(スウェーデン)
vs旧デーン人B2
vsダーナ神族
vsブリテン系デーン人A2
vsスエビ分家
vsザクセン分家
バルト海の覇権、ロシアの封じ込めを目的とした英国諜報機関がスウェーデンの
背後にいた、ロシアはそれに気付いており、英国勢力排除のためにデンマーク、
ノルウェー、ポーランド、ザクセンと組んだ、のちにプロイセンなども連合に
加わる結果スウェーデンは敗北し、英国勢力は排除され、バルト海は
ロシア帝国のものとなる
1701年 イロコイ連邦
(カナダ)
偉大なる和平条約 ブリテン系デーン人
イロコイ分家
vs英国諜報機関
vsブリテン系デーン人A3(ブ)
vsノルマン人
弱体化したイロコイ連邦をよそにここから先、英国勢力とフランス勢力のカナダ
植民地争奪戦が開始される
1703年 ポルトガル王国 メシュエン条約 英国諜報機関
ルシタニア分家
vsフリース分家
大英帝国との従属関係が成立、実際には、裏にいたオランダ諜報機関を排除し
英国諜報機関が新たにポルトガル分家を創設した
1717年 大英帝国 「フリーメイソン」
グランド・ロッジ設立
ブリテン系デーン人
vs英国諜報機関
vsノルマン人
フリーメイソンは石器時代に創設された、ストーンサークルを作るための組織として
スタート、ドルイドが侵略した地の住民の管理を円滑にするために強制的に巨石を
遠くから運んで組み立てるという無意味なことをさせ、反逆の意志を殺いで来た
1724年 ニザム藩王国
(インド)
大英帝国の同盟 英国諜報機関
ブリテン系デーン人E(パ)
vsブリテン系デーン人E(チョ)
vsブリテン系デーン人F2(藤)
英国諜報機関(イエズス会)がムガール帝国内の反体制勢力に接触、独自の領土を
設けることを条件に同盟を結ぶ、英国諜報機関インド分家の一派
1728年 オヨ王国
(ナイジェリア)
ダホメ王国服属 ブリテン系デーン人D(オ)
vsブリテン系デーン人D(ダ)
オヨ王国とダホメ王国はお互い近隣の集落を襲撃しては捕らえた捕虜を奴隷として
白人に売っていた、この時はオヨ王国がダホメ王国の住民を売っただろう
1734年〜
1740年)
13植民地
(アメリカ合衆国)
「大覚醒」 ノルマン人
vs英国諜報機関
対英国勢力のために団結する必要があったため、アメリカ分家の諜報員が全土に
大覚醒を呼びかけた、団結の他に英国勢力に反対勢力として使用されることを阻止
する目的もあった
1740年 タウングー朝ビルマ モン族の反乱 ブリテン系デーン人E(パ)
vsブリテン系デーン人F1(雲)
1721年にビルマにキリスト教が訪れ、タウングー朝の反対勢力モン族を指導、
反乱を起こし、ビルマから独立、しかし17年後に再度ビルマに征服され、英国勢力は
排除された
1745年 大英帝国 ジャコバイトの反乱 ブルターニュ分家
ブリテン系デーン人
vs英国諜報機関
新デーン人が聖公会を乗っ取り、名誉革命によりフリース分家と共にウェールズ人の
中枢を成していたブリテン系デーン人、スチュアート朝の中枢を成していた
ブルターニュ人勢力を排除した、ジャコバイトの乱はウェールズ人・ブルターニュ人に
よる、打倒新デーン人・ブリテン島勢力圏奪還ということができる
のちにジャコバイトは新デーン人と提携し、フランス王国に於いてジャコバン派として
フランス革命を主導、ブルボン家(アテネ人)、ノルマン人勢力を排除
しかし、ジャコバン派のロベスピエールが新デーン人(英国)に離反、独自の利益を
追求するに至り、大英帝国が武力行使を決行する
1765年 ムガール帝国
(インド)
カルカッタの黒い穴 ブリテン系デーン人
vsブリテン系デーン人E(ラ)
全インド攻略の礎を築く画策、フランス勢力の排除、英国諜報機関は英国の一般人
を見殺しにし、ベンガルの悪行を本国で吹聴、国民の戦意を向上させた
1767年 シャム王国アユタヤ朝 ビルマに侵攻 ブリテン系デーン人E(パ)
vsブリテン系デーン人F2(藤)
vsブリテン系デーン人F1(華)
1663年以来、シャムにはフランス系カトリックが根付いており、フランスの勢力下
にあったが、清勢力であるビルマが侵攻、アユタヤ朝は滅びる、その後、英国勢力
である華僑のタクシンがシャム王国トンブリー朝を築く、タクシン王は英国勢力
として、カンボジアやラオスに侵攻する
1770年 ロシア帝国 「スコプチ」 ブリテン系デーン人F2(藤)?
エフタル?
vs旧デーン人B2
大英帝国の野望、ロシア攻略の礎を築く画策、スコプチは信者の去勢という世にも
異常な教義をもつカルトである、あまりにマンガぽいが英国諜報機関はロシア人
全員をスコプチに入信させ全員去勢してロシアを壊滅しようとマジメに画策して
いたのかもしれない、20年続いた大北方戦争の直後ということもあり、
英国諜報機関がスコプチの裏にいたのはあながちデタラメではないだろう
1776年 13植民地
(アメリカ合衆国)
アメリカ合衆国独立 ノルマン人
vs英国諜報機関
vsブリテン系デーン人
英国諜報機関の精鋭の一派が大英帝国に離反、自身の領土を確立したと考えること
ができる独立宣言起草委員会の面々はみなアメリカ生まれだが、諜報員ならば
偽名は当然だろうし、経歴も当然詐称済みだろう、彼らはもともと貴族階級出身の
英国諜報機関の精鋭だったと考えられる、貴族が自由を叫んでも貧困層の共感は
得られないものだ
1778年 フランス王国 ジャン・ジャック・ルソー死去 エフタル(オラトワール)
vs知性
ルソーは英国諜報機関が発明した新魔女狩り、異分子排除システムにより
排除された年、彼の苦闘は「孤独な散歩者の夢想」であきらかになっている
1782年 シャム王国トンブリー朝 チャックリー王朝 ブリテン系デーン人F1(華)
vsブリテン系デーン人F2(藤)
vsブリテン系デーン人F1(華)
アユタヤと華僑の血を引くラーマ1世が、英国勢力でありながら自分の権利を
主張するようになったタクシン王に制裁を加えるため処刑し、チャックリー王朝を築く
1784年 バイエルン王国 「イルミナティ」 英国諜報機関
バスク分家B(イエズス会)
vsスエビ分家
vsボイイ人
バイエルンを本拠地として神聖ローマ帝国、ハプスブルグ家を追撃するために創設
英国勢力系の陰謀組織はイルミナティだけではないが、なぜかイルミナティだけが
世界中で知られるようになる
1787年 フランス王国 フランス革命
(「ジャコバン・クラブ」)
英国諜報機関
ブルターニュ分家
ノルマン人
vsブリテン系デーン人A3(ブ)
英国諜報機関がフランス諜報機関に売国を打診、共同でフランス革命を起こし、
フランスの王政、カトリック利権の無効化を謀る、大英帝国の野望、欧州攻略の
礎を築く画策、ナポレオン排除後、フランスの利権はすべて英国諜報機関の
一派に譲渡、分配された
1788年 ポーランド帝国 ロシア・スウェーデン戦争 旧デーン人B2
vsエフタル(スウェーデン)
スウェーデン分家がロシアに敗戦したことにより、英国勢力は、ポーランドをロシア
勢力に完全に奪われるという形になった
1788年 大英帝国植民地
(オーストラリア)
流刑植民地 英国諜報機関
vsアボリジニ(原始デーン人)
1793年 フランス共和国 ジロンド派追放 ブルターニュ分家
vsノルマン人
vs英国諜報機関
英国勢力のひとり、ロベスピエールが全権掌握、公安委員会、保安委員会、革命
裁判所などの機関を通じて恐怖政治を行なう、エベール派、ダントン派など反対派を
ギロチン台に送り、粛清、この事象は、当初は共同でフランス支配の道筋を立てよう
と約束をしていた英国諜報機関がフランス諜報機関を裏切ったと考えるコトが出来る
1793年 フランス共和国 第一次対仏同盟結成 英国諜報機関
ブルグント分家
スエビ分家
vsブルターニュ分家
9月、大英帝国首相、ピットの呼びかけにより、第一次対仏同盟結成、革命派には
革命政府を演じさせたまま、内部から侵食、更に英国軍をフランス国内に送り込み
反英国勢力を直接一網打尽にした、内部と外部から同時に攻撃を仕掛けるという
古代からデーン人の伝統的な戦法だ、また「フランス革命」の裏に大英帝国の
意志は存在しないという全欧州に対するアピールにもなる
1793年 フランス共和国 ナポレオン、トゥーロン奪還 ノルマン人(帝政フランス)
vs英国諜報機関
フランス諜報員の精鋭であるナポレオンは大英帝国の裏切りを許さず、シッペ返しを
食らわせ、一矢報いたかった
1794年 アメリカ合衆国 ウィスキー謀反 英国諜報機関アメリカ分家
vsノルマン人(USA)
ウィスキー税引き上げを口実に英国勢力がアメリカの酒造業者を指揮、反乱を演出
背後に英国勢力がいたのを知っていたアメリカ側は独立戦争時よりも多い兵数で鎮圧
1794年 アメリカ合衆国 「ベセル教会」 英国諜報機関アメリカ分家
vsノルマン人(USA)
アメリカ初の黒人メソジスト教会、反米勢力育成のために英国勢力により設立
怪しくも同年、ウイスキー謀反という英国勢力主導の反乱が起きている
1794年 フランス共和国 「最高存在の祭典」 ブルターニュ分家
vsノルマン人(帝政フランス)
カトリックに代わる精神支配システムとして試験的に導入、フランス諜報機関の精鋭、
ナポレオンが革命勢力(英国勢力)を排除し、フランス系カトリックの利権を取り戻した
と同時に消滅
1794年 フランス共和国 ロベスピエール処刑 英国諜報機関
vsブルターニュ分家
恐怖政治、ギロチン時代など、英国諜報機関は急ぎすぎたようだ、フランス諜報機関
による英国勢力の排除
1795年 李氏朝鮮 中国人神父密入国 ブリテン系デーン人F1(華)
vsブリテン系デーン人F2(高)
英国勢力である中国人神父が朝鮮に侵入、処刑される
1795年 アメリカ合衆国 「信仰復興(リバイバル)」 ブリテン系デーン人
vs英国諜報機関アメリカ分家
vsノルマン人(USA)
リバイバルに於いてはチャールズ・G・フィニーが重要だとされるが彼は英国勢力
だろう、アメリカを追撃するために奴隷制廃止論を展開していた
1796年 フランス共和国 総裁政府誕生 英国諜報機関
vsブルターニュ分家
vsノルマン人(帝政フランス)
vsブリテン系デーン人A3(ブ)
カトリックは残されたが、永年西欧を支配したノルマン系の支配系統が一部破壊
され、英国の悪意も排除され、フランス諜報機関による政府が誕生
1799年 フランス帝国 ナポレオンのクーデター ノルマン人(帝政フランス)
vs英国諜報機関
一諜報員だったナポレオンは舞台裏に戻るのを好まず、皇帝に即位
だが、諜報員は表舞台に出てはいけないものだ
ナポレオンの栄華と没落は、「彼らは、見えるようになると無力化する」という好例
1799年 オランダ東インド会社
(インドネシア)
オランダ東インド会社解散 英国諜報機関フリース分家
vsフリース分家
名誉革命により、オランダを影で指揮していた支配者は消滅し、本国は英国勢力下
に置かれたが、オランダ東インド会社の利権だけは独立したまま運営されていた
そこへ英国諜報機関オランダ分家が介入し、オランダの旧支配勢力が完全に消滅




























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