ブリテン系デーン人F1の帝国

雲南(ミャオ族)・楚・五斗米道・太平道/黄巾族・邪馬台国・新羅













◆デーン人基本仮名称◆


3万年前〜BC5000年期 古代デーン人(ZZ系デーン人)
BC5000年〜BC3000年期 大航海時代古代デーン人(ZY系デーン人)
BC2000年〜BC500年期 旧デーン人(YZ系デーン人)
BC1300年〜 第二大航海時代ブリテン系旧デーン人(YY系デーン人)
BC500年〜 スカンジナビア系新デーン人(XZ系デーン人)
AD700年〜 第三大航海時代 ブリテン系新デーン人・ヴァイキング(XY系デーン人)
AD900年〜 ノルマン人(XX系デーン人)






天皇=デーンの王?
デーン人は、漢字が完成する以前に東アジアに到来したわけだが、「天」はデーンを意味するのか?

中国春秋時代に於ける楚、ミャオ族、倭人(九州人)、日本人はブリテン系デーン人に支配されていた
ブリテン系デーン人は欧州ではアテネ(アテネ系植民都市)、エトルリア、古代ローマ、フェニキア、エジプトの影にいた人々だった
ブリテン系デーン人は旧デーン人に属し、新デーン人(ヴァイキング)とは同じ血統だが時代が異なる





◆古代デーン人◆



第一次大航海時代(北極海ルート)

バルト海・ジーラント・スカンジナビア半島東岸(古代デーン人Z1/旧デーン人の先祖)
スカンジナビア半島西岸北岸・古代フィンランド・古代ロシア地方(古代デーン人Z2)=サーミ人、フィン人、スラブ人
シベリア(古代デーン人Z3)=エヴェンキ族、ブリヤート族、モヨロ人


第二次大航海時代(大西洋ルート)

ブリテン島・アイルランド島(古代デーン人Y1/海の民の先祖)
古代フリース地方(古代デーン人Y2a)
古代バスク地方(古代デーン人Y2b)
古代ルシタニア地方(古代デーン人Y2c)
カナリア諸島(古代デーン人Y3)


第三次大航海時代(大西洋・地中海・紅海・ペルシア湾・インド洋・太平洋ルート)

エーゲ海(古代デーン人Aグループ)=地中海・サルディーニャ島・クレタ文明・ヌビア地方・バンツー族
エジプト(古代デーン人Bグループ/地中海ルート)=サハラ帝国・エジプト王朝・テーベ神官国家
アフリカ(古代デーン人Bグループ/アフリカ就航・紅海ルート)=紅海・プント王国・エチオピア帝国・アラビア半島・ベドウィン族
メソポタミア/シュメール人・ヘブライ人(古代デーン人Cグループ/紅海ルート)=ペルシア湾・ウバイド人
インド・東南アジア(古代デーン人Dグループ)=カッチ・ハラッパー・マレー半島・セレベス島
東アジア(古代デーン人Eグループ)=日本東北地方・沖縄・朝鮮半島
南北アメリカ(古代デーン人Fグループ)=南北アメリカ大陸


古代デーン人A(サルディーニャ人、シチリア人、クレタ人、ロードス島、キプロス島、キクラデス諸島、ヌビア人)
古代デーン人B(B1/エジプト王朝、テーベ、B2/ベドウィン・プント王国・エチオピア帝国)
古代デーン人C1(シュメール神官団A/ヘブライ人)=(ユダ王国/C1a、イスラエル王国/C1b、ヒッタイト帝国)
古代デーン人C2(シュメール神官団B)=(カッシート人/C2a、アッシリア帝国/C2b)
古代デーン人D(ダーサ人、パニ人、カッチ人、チャンダーラ、デミアル人、ワナ人、タアネ神/ポリネシア人)
古代デーン人E(東北・北海道縄文人、蝦夷・アイヌの先祖)
古代デーン人F(ディネ族/ナバホ族・アパッチ族、イサパ文明、アパラチー族他)


※古代デーン人はピクト人として故国に帰還、新デーン人と対立し、敗北、配下となる





旧デーン人



・旧デーン人Aグループ・

メソポタミア侵攻第一波(旧デーン人A1/旧アラム人、アッカド人)
第二波(旧デーン人A1/アムル人「バビロニア帝国」、フルリ人「ミタンニ王国」)

シルクロード侵攻第一波(バクトリア・マルギアナ文明、大月氏/旧デーン人A2)

ギリシア侵攻第一波(イオニア人/ケルト人、アケーア人/旧デーン人A3)
第二波(テッサリア人、エオリア人/ケルト人)

エジプト侵攻第一波(ヒクソス人/旧デーン人A4)


・旧デーン人Bグループ・

ギリシア侵攻第三波(ドーリス人/旧デーン人B)

ドーリス人の第一後裔、スパルタ人(旧デーン人B1)
ドーリス人の第二後裔、コリントス人(旧デーン人B2)

シルクロード侵攻第二波(キンメリア人、スキタイ人、サカ人/旧デーン人B3)



・アケーア系デーン人(Aグループ)勢力圏=(テーベ市、アルゴス市/ギリシア、サムニテ王国、カンパニア王国/イタリア南部)


・スパルタ系デーン人(B1)勢力圏=(スパルタ市、クレタ島、ロードス島、リビア、サイス朝エジプト王国)


*コリントス系デーン人(B2)の派閥*

コリントス市・シュラクサ(旧デーン人B2a)
アンチゴノス朝マケドニア(旧デーン人B2b)
セレウコス朝シリア(旧デーン人B2c)
プトレマイオス朝エジプト(旧デーン人B2d)
マウリア朝マガダ(旧デーン人B2e)

※コリントス人中枢移転先(アルメニア王国、キエフ公国、ロシア帝国)





ブリテン系デーン人(旧デーン人)



ギリシア(ブリテン系デーン人Aグループ)
シリア・メソポタミア(ブリテン系デーン人Bグループ)
エジプト(ブリテン系デーン人Cグループ)
アフリカ(ブリテン系デーン人Dグループ)
インド・東南アジア(ブリテン系デーン人Eグループ)
東アジア(ブリテン系デーン人Fグループ)
大西洋岸南北アメリカ(ブリテン系デーン人Gグループ)


ブリテン系デーン人A=(A1/エトルリア人、A2/ローマ帝国、A3/アテネ市、ビザンツ帝国、突厥帝国、ヴェネツィア共和国、ハザール帝国)

※古代アテネ人勢力圏(キリキア、マッシリア、コルシカ島、サルディーニャ北部、シチリア東部、ポントス王国、ボスポロス王国)
※西ローマ帝国の中枢移転先(モラヴィア王国、ノヴゴロド公国、ポーランド王国、ハプスブルグ家)
※ビザンツ帝国の中枢移転先(突厥帝国、ハザール帝国、ウイグル汗国、ハンガリー王国、ヴェネツィア共和国、モスクワ公国)
※ハザール帝国の中枢移転先(リトアニア公国、アシュケナージ)

ブリテン系デーン人B=(B1/フェニキア人・ペリシテ人・ダン族、B2/新アラム人、B3/新ヒッタイト人)
ブリテン系デーン人C=(C1/エジプト王朝、C2/テーベ・アメン神官団)
ブリテン系デーン人D=(西アフリカ、ヨルバ人、マダガスカル島)
ブリテン系デーン人E=(セイロン島、インド南部)

ブリテン系デーン人F1=(長江系/ミャオ族、楚、太平道、黄巾族、大理国、白蓮教、広東系/華僑、九州系/邪馬台国、新羅、倭寇)

ブリテン系デーン人F2=出雲を本拠地に北アジア(粛慎)、モンゴル高原(東胡)、朝鮮半島(扶余)、中国南部(呉越)に拠点が築かれた

出雲系:古代出雲、百済、任那日本府、大和朝廷(大伴氏、物部氏)
呉越系(広東):呉、越、南越(ベトナム)、南詔国
東胡系(皇族):鮮卑、柔然、北魏(吉備氏)、大和朝廷(中大兄皇子、中臣氏)
粛慎系(藤原氏):渤海、西夏、女真族、金王朝、清王朝
契丹系(平氏):契丹、モンゴル帝国、タタール
扶余系(蘇我氏):高句麗、大和朝廷(蘇我氏、聖徳太子)、高麗、李氏朝鮮


ブリテン系デーン人G=(オルメカ人/ユカタン半島)

















年代

できごと 勢力 内実
BC1200年〜 天孫邇邇藝命降臨命令
(高天原=ブリテン島)
ブリテン系デーン人 下界に降臨とは、海の民の第一次大航海時代のことを示唆しているかもしれない
BC1200年〜 海の民、ブリテン島を出発
海の民、エトルリアに入植
海の民、古代ローマに入植
ブリテン系デーン人 後に、ブリテン系デーン人Aグループが旧デーン人グループを退け、地中海覇権を手中にする
BC1050年 殷王朝滅亡
周王朝
中国人
vs旧デーン人(北亜系)
デーン人勢力を排した、初の中国人王朝と考えられる
BC1000年代 古代デーン人E(長江系)
vs中国人
BC800年代 海の民、九州に入植
松浦半島を拠点とする
ブリテン系デーン人F 海の民が九州を占領、後に九州を拠点に2手に別れ、神武東征と長江上流勢力に勢力が分化
BC771年 海の民
長江流域・雲南に侵攻
ブリテン系デーン人F1
vs古代デーン人E(長江系)
ブリテン系デーン人F1が、古代デーン人Eの勢力圏、長江流域、雲南省に侵攻、古代デーン人Eの配下である
ミャオ族を乗っ取り、長江上流に拠点を築く、現地人のミャオ族を支配、楚などの国家、
宗教団体を築き、随時、中国人に挑戦する、雲は天を意味する、つまり、神々の種族を自称するデーン人を
デーン人の国と言う意味を込めて雲南と名付けられたのだろう
ブリテン系デーン人に敗れた古代デーン人は彼らの勢力に取り込まれ、のちに、独自にテン国を建てたりする
BC771年 春秋戦国時代 ブリテン系デーン人F1
vs中国人
地中海で海の民の侵攻があってから300年後、あの海の民の一派がアフリカ、インド、東南アジアをめぐり
ついに東アジアに到来した、彼らは長江を遡り、ミャオ族を支配下に置いていた古代デーン人E勢力を
駆逐し、ミャオ族を乗っ取り、反体制勢力として育成
BC710年 楚の北進 ブリテン系デーン人F1
vs中国人
楚は早くから南方で勢力を拡大していたが、春秋になってから蔡・鄭が会合を行い、楚の台頭を懸念していた
楚は旧デーン人(海の民の一派)が海路で到着、長江を遡り、奥地に定住した、彼らは、
ミャオ族をドルイド教亜流の宗教により支配、楚を建国させ、背後に鎮座しながら他の正統中国人国家に
挑戦したと考えられるこのブリテン系デーン人の一派が後の白蓮教、太平天国の乱、華僑、
タイ王国の大元になったと考えられる
BC601年
呉越と同盟
ブリテン系デーン人F1
ブリテン系デーン人F2(呉)
vs中国人
楚は呉越と同盟を組み、南方を固めた
BC597年 ヒツの戦闘 ブリテン系デーン人F1
vs中国人
晋が大敗北、斉・魯・鄭・陳・宋などの中原の諸侯がみな楚に従い、晋は威厳を喪失
楚軍の大勝利、これ以降、天下の覇権は晋から楚へと移り、楚の荘王の威光が大陸を覆うことになる
BC500年代 「儒教」 中国人
C403年 三晋、それぞれ自立
戦国時代
BC278年 テン建国 古代デーン人E(長江)
vsブリテン系デーン人F1
vs中国人
「テン」は中国読みで「dian」と読み、デーンを容易に連想させる、デーン勢力の楚が建国、デーン人のために
創ったと思われる、この近辺(現雲南省)から後の英国勢力であるタイ人を輩出している
BC250年代 匈奴 新デーン人(北亜系)
vs中国人
スカンジナビアの新デーン人が後にキンメリア人、スキタイ人を育成し、アーリア人と戦わせたように
吐藩、匈奴を育成して中国に仕向けた
BC223年 楚、滅亡 中国人
vsブリテン系デーン人F1
秦により滅亡
BC221年 秦王朝 中国人 デーン人勢力を排した、第二の中国人王朝と考えられる、しかし支配期間は短かった
BC215年 秦王朝
匈奴を討つ
中国人
vs新デーン人(北亜系)
長城の修築始まる
BC209年 陳勝、楚王と称す ブリテン系デーン人F1
vs中国人
BC206年 秦、滅亡 ブリテン系デーン人F1
vs中国人
項羽、西楚の覇王と称す
BC205年 項羽、懐王を殺す 中国人
vsブリテン系デーン人F1
漢王劉邦、項羽を討つ
BC202年 漢王朝 中国人
vsブリテン系デーン人F1
デーン人勢力を排した、第三の中国人王朝と考えられる
BC182年 匈奴
漢に侵攻
新デーン人(北亜系)
vs中国人
劉邦、匈奴に敗戦
BC154年 漢王朝
呉楚七国の乱
ブリテン系デーン人F2(出)
ブリテン系デーン人F1(長)
vs中国人
ブリテン系デーン人が合同で漢の反乱分子、劉氏を立て、背後で操作しながら漢王朝に対して反乱を企画演出
「五斗米道/天師道」 ブリテン系デーン人F1
vs中国人
F1勢力は、楚を駆使して中国全土を支配する夢を一時断念し、宗教を使って中国を支配する試みを行なった
漢に宗教王国を建てる
BC50年 倭人
辺境に侵攻
ブリテン系デーン人F1
vs朝鮮人
倭人が新羅に侵攻、ブリテン系デーン人F1グループからF1b勢力(邪馬台国、倭寇)が分家
倭人とは対馬、壱岐、松浦半島の倭寇か?こんな昔からデーン勢力だったのか?
105年 高句麗
遼東に侵攻
ブリテン系デーン人F2(高)
vs中国人
109年 南匈奴、鮮卑
漢に侵攻
新デーン人(北亜系)
ブリテン系デーン人F2(皇)
vs中国人
122年 新羅
倭人襲来の風評
ブリテン系デーン人F1
vs朝鮮人
倭人が大挙して襲来するという噂が都に立ち、人々が山や谷に避難
132年 漢王朝
鮮卑を撃破
中国人
vsブリテン系デーン人F2(皇)
173年 新羅
卑弥呼が使いを派遣
ブリテン系デーン人F1
vs朝鮮人
卑弥呼はドルイド教の巫女だったのか?邪馬台国とは倭寇の本拠地、対馬、壱岐、松浦半島にあった
のではないか邪馬台国は、デーン人が影からドルイド教の巫女、卑弥呼を使って支配した古代倭寇の国だった
しかも、F1bグループ(中国系)が倭寇を支配していたので、邪馬台国は「天皇が治める日本」とは異種の
「もうひとつの日本」と言えるかもしれない
184年 黄巾の乱「太平道」 ブリテン系デーン人F1
vs中国人
楚を率いていたブリテン系デーン人F1グループは200年近く大人しくしていたが、その間、キリスト教激似の
新興宗教を作り、反体制勢力を育成していたと考えられる、教祖の張角は中国北部の出身といわれているが、
それは誤誘導で実際にはブリテン系デーン人F1の本拠地、雲南近辺の出身と考えられる
193年 倭国に大飢饉 ブリテン系デーン人F1
vs朝鮮人
食を求めて千余人の倭人が新羅に侵入、いかにもなデーン的戦略です
222年 ブリテン系デーン人F2(呉)
vs中国人
呉の王は、黄巾族(デーン人勢力)の配下になり、魏、蜀と戦った
232年 新羅
倭人が都を包囲
ブリテン系デーン人F1
vs朝鮮人
本来の日本人はこんなに好戦的な人々ではなかったはずだ、倭人の背後に侵略的な人々の意志が隠れていた
279年 晋の武帝、呉を討つ 中国人
新デーン人(北亜系)
vsブリテン系デーン人F1
晋の武帝は匈奴と組み、呉を討った、ある意味、新デーン人vsブリテン系デーン人の戦闘でもあった
391年
百済、新羅を撃破
ブリテン系デーン人F1
vs朝鮮人
楚、黄巾族の戦力としての起用を断念したブリテン系デーン人F1が影で指揮する倭寇が朝鮮半島に
覇を唱える
400年〜
404年

高句麗に侵攻
ブリテン系デーン人F1
vsブリテン系デーン人F2
朝鮮半島をめぐるデーン系中国分家(倭寇)、日本分家(高句麗)の戦いと言える、両者の朝鮮での戦闘の間、
大陸は静かなものだった
この頃、高句麗系朝鮮人、満州人の祖が渡来人として日本(F2a)に来訪したと考えられる
523年 六鎮の乱
(武川鎮軍閥)
ブリテン系デーン人F2(天)
新デーン人(北亜系)
vsブリテン系デーン人F2(天・吉)
北魏が柔然の侵攻を防ぐために匈奴、鮮卑の有力豪族を選抜、六鎮を設置して北方警備に当たらせた
当初は優遇もされていたが、遷都が原因で六鎮の乱が発生、この反乱に参加した鎮の中でも、懐朔鎮出身
で東魏の実権を掌握し北斉を建てた高歓、また、武川鎮出身の有力者は、武川鎮軍閥と呼ばれ、西魏、
北周、隋から唐に至る変遷の中で、各王朝の中核となる権力集団として君臨した、北周の宇文泰、隋の
楊堅、唐の李淵といった各王朝の創始者はいずれも武川鎮の有力者一族の出身である、という
532年 新羅
伽耶の金官国割譲
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人F2(出)
551年 新羅
高句麗の10郡割譲
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人F2(高)
582年 突厥帝国
隋に侵攻
ブリテン系デーン人A3
vsブリテン系デーン人F2(天・柔)
589年 隋王朝 ブリテン系デーン人F2(天・柔)
vs中国人
598年 高句麗
隋に侵攻
ブリテン系デーン人F2(高)
vsブリテン系デーン人F2(天・柔)
618年 唐王朝 ブリテン系デーン人F2(天・鮮)
vs中国人
627年 百済
新羅に侵攻
ブリテン系デーン人F2(出)
vsブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人F2(天・鮮)
新羅が唐に救援を求める、百済と唐は同じブリテン系デーン人F2勢力が中枢に張っていたが
利害を異にして対立していたため、唐は新羅に加勢
638年 吐蕃
唐に侵攻
新デーン人(絹道系)
vsブリテン系デーン人F2(天・鮮)
唐は中国人による第五の王朝だったと考えられるが、新デーン人勢力の吐蕃が侵攻し、中枢に巣食った
と思われる
644年 第一次高句麗遠征 ブリテン系デーン人F2(天・鮮)
vsブリテン系デーン人F2(高)
663年 白村江の戦闘 ブリテン系デーン人F2(天・鮮)
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人F2(出)
出雲軍が百済に加勢したが、唐が百済を滅ぼし、出雲は朝鮮半島の拠点を喪失した
668年
高句麗を滅ぼす
ブリテン系デーン人F2(天・鮮)
vsブリテン系デーン人F2(高)
675年 新羅
百済を併合
ブリテン系デーン人F1(倭)
vsブリテン系デーン人F2(出)
以前は同盟を組んでいたが、松浦半島勢力が出雲の朝鮮勢力、百済を併合した
702年 新羅、聖徳王 ブリテン系デーン人F1(倭) この後、朝鮮半島では200年間、比較的穏やかな時代が続く
732年 渤海
唐と紛争
ブリテン系デーン人F2(天・鮮)
vsブリテン系デーン人F2(藤)
759年 日本
新羅討伐の議
ブリテン系デーン人F2(天)
vsブリテン系デーン人F1(倭)
768年 新羅
貴族の反乱の初め
ブリテン系デーン人F2
vsブリテン系デーン人F1(倭)
「日本、新羅討伐の議」とはこのことであったか?だとすればデーン人のやり方は立派に継承されている
この後も、定期的に王を自称する貴族の反乱が起きている
815年 新羅
農民暴動頻発
ブリテン系デーン人F2
vsブリテン系デーン人F1(倭)
貴族の乱と共に農民の乱の裏には日本がいただろう、シチリア奴隷戦争などの方法を踏襲している
859年 南詔建つ ブリテン系デーン人F1
vs中国人
ブリテン系デーン人F1aが700年ぶりに出現、本拠地の雲南地方に反中国国家を建設
859年
農民の乱頻発
ブリテン系デーン人F2
vsブリテン系デーン人F2(天・鮮)
貴族の乱と共に農民の乱の裏には南詔がいただろう、シチリア奴隷戦争などの方法を踏襲している
901年 大長和国建つ ブリテン系デーン人F1
vs中国人
ブリテン系デーン人F1a系列の反中国国家が成立
902年 十国分裂時代 ブリテン系デーン人F1
vs中国人
呉、復活
907年 唐、滅亡
vsブリテン系デーン人F2(天・鮮)
927年 楚、復活 ブリテン系デーン人F1
vs中国人
936年 高麗
朝鮮半島統一
ブリテン系デーン人F2(高)
vsブリテン系デーン人F1(倭)
高句麗の残党が復活、新羅と後百済を滅ぼした
936年 後唐の石敬瑾、契丹に
救援を求む
ブリテン系デーン人F2(平)
vs中国人
937年 大理国 ブリテン系デーン人F1
vs中国人
雲南に大理国建つ
946年 ブリテン系デーン人F2(平)
vs中国人
契丹、後晋を滅ぼし、国号を遼と改める
981年
ウイグルに使節派遣
中国人
ブリテン系デーン人A3
宋の背後にはギリシア系デーン人がいた可能性がある
ウイグルに使節を派遣したことがその事実を暗に示唆している
986年
宋に侵攻
ブリテン系デーン人F2(平)
vs中国人
997年 高麗
九州に侵攻
ブリテン系デーン人F2
vsブリテン系デーン人F1
当時から九州は日本ではなかった、中国系デーン人(ブリテン系デーン人F1b)に支配さていたのだ、
日本(F2a)は同士の高麗(F2c)に指示し、九州を攻めさせた
1019年 女真
九州侵攻
ブリテン系デーン人F2
vsブリテン系デーン人F1
当時から九州は日本ではなかった、中国系デーン人(ブリテン系デーン人F1b)に支配さていたのだ、
日本(F2a)は同士の女真(F2b)に指示し、九州を攻めさせた
1028年
ウイグルに侵攻
新デーン人(北亜系)
vsブリテン系デーン人A3
新デーン人が李元昊を抱き込み、ギリシア系デーン人の本拠地ウイグルを攻めさせた
1050年 西夏
契丹と共同で宋侵攻
新デーン人(北亜系)
vsブリテン系デーン人A3
西夏、契丹が同じ新デーン人勢力であることが窺える
1081年 西夏内乱 ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人(北亜系)
旧デーン人が西夏の内乱を演出したと考えられる、戦法が思い切りデーン人流を貫いている
1096年 西夏
宋侵攻
新デーン人(北亜系)
vsブリテン系デーン人A3
1127年
大楚国を創らせる
ブリテン系デーン人F1
ブリテン系デーン人F2
ブリテン系デーン人F2b勢力が、ブリテン系デーン人F1aを助けて楚を復活させるが35日で消滅
1166年 「白蓮教」 ブリテン系デーン人F1
vs中国人
1219年 チンギス・ハーン、西征 ブリテン系デーン人F2
vs各地反デーン勢力
同胞であるビザンツを救うためにイスラム勢力、ロシア勢力の打倒のために出陣したが、チンギス・ハーンは
それを自覚していなかった、それはあくまでもブリテン系デーン人F2bの意志であった
1220年 南宋・西夏連合
金に敗北
ブリテン系デーン人F2
vs新デーン人(北亜系)
vsブリテン系デーン人A3
1222年 日蓮生誕
「日蓮宗・法華経」
ブリテン系デーン人F1
vs日本人
房総半島の端に生まれた日蓮、この小さな漁村は大陸系デーン人との出先機関であったのか?
とにかく、デーン勢力である日蓮が源氏縁の地に生まれたという話はブリテン系デーン人F2a勢力の
日本人武士に対する怨恨・復讐心を感じさせる
とにかく、既存の宗派に属する武士に対抗する反体制勢力育成のために法華経は編み出されたと考えられる






























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