ダルダニア人の帝国〜ギリシア人・スキタイ人の祖
トロイ(イリヤス)・ダルダニア王国・ヴェネツィア共和国
















年代

できごと 勢力 内実
BC4000年? 第三次古代デーン人大航海時代
地中海ルート
サルディーニャ島発見、植民開始
古代デーン人 古代デーン人が第三次大航海時代に出発、地中海、アフリカ方面に分岐、地中海方面に進出した
一派はひとつの島を発見、南方デーン拠点という意味を込めサルディーニャと名付けた
サルディーニャも後に英国諜報機関のいち勢力としてイタリア統一の先鋒となった
BC3650年〜
BC1900年
ミノア文明、前宮殿時代 古代デーン人 古代デーン人がクレタ島を支配、現地人や同行させたケルト人に作らせた文明
BC2500年? 旧デーン人、スコーネ出発
ダルダニアに移住
旧デーン人
BC2000年 イオニア人の南下 旧デーン人 ダルダニア人が地中海侵攻を計画、まず、本隊のアケーア人侵攻の前段階として配下の
イオニア人を大量にギリシアに派遣
アケーア人の現地人に対する発言力確保のために予めイオニア人を居住させることを計画していた
BC1800年 ミケーネ文明 旧デーン人A3(ミケーネ人)
vs古代デーン人
ダルダニアからやって来たアケーア人(別名ダナーン)が古代デーン人が築いたエーゲ海文明を破壊
自身の文明、ミケーネ文明を建設
※ミケーネ人=アケーア人・ダナーン人
BC1400年 クレタ文明破壊 旧デーン人A3
vs古代デーン人
アケーア人(旧デーン人)が古代デーン人の文明であるクレタ文明を破壊
ダルダニア(トロイ)
アナトリア半島に移住
旧デーン人
BC1350年 「エレウシスの秘儀」 旧デーン人A3
vs古代デーン人
秘密主義であるため、ドルイド教を連想させる、陸沿いでやって来たデーン人によるギリシア化した
ドルイド教と言える、当然、異分子排除等も行なわれていたと考えられる
BC1200年 テッサリア人
エオリア人南下
旧デーン人A3
vs古代デーン人
植民地に於いて簡単に勢力を拡大したい、ということで故郷から配下のケルト人部族を召喚
単純だが、このおかげで現地人に対してアケーア人の発言力が増大、現地人の発言力は消滅した
BC1200年 トロイ戦争 ブリテン系デーン人
旧デーン人A3
vs旧デーン人
BC1150年 ミケーネ文明崩壊 ブリテン系デーン人
vs旧デーン人A3
海の民(ブリテン系デーン人)は本家デーン人と共闘したが、後に対立したのだろう
アケーア人は海の民にあっさりと敗北したようだ
BC1100年 ドーリス人南下 旧デーン人B スカンジナビア系デーン人が海の民の行動に怒り、ドーリス人を派遣
ドーリス人の動きには、明らかにギリシアに於けるアケーア人敗退、ブリテン系デーン人の勝利
が反映されている、つまり、ドーリス人がスパルタを築いた目的は海の民からのギリシア奪還に他ならない
BC10世紀頃 スパルタ市建設
「クリュプティア」発動
旧デーン人B1 ドーリス人が建設、反アテネ(ブリテン系デーン人)勢力、アケーア人をペリオイコイという身分に落とし
他の現生人類の子孫をヘイロータイとして奴隷扱いをした
また、ヘイロータイの反乱を防止するためにクリュプティアという異分子排除を慣行した
BC9世紀 コリントス市建設 旧デーン人B2 ドーリス人が建設、反アテネ(ブリテン系デーン人)勢力
後にアレクサンドル大王を操作、地中海、オリエント地方の覇者となる
BC700年代〜
BC200年代
スキタイ人
ダルダニアを出発
スカンジナビアから中央アジアに出撃した旧デーン人のアジア征服第二波
スキタイ人はのちにギリシア系デーン人、ブリテン系デーン人Aと結んだと考えられる
そのため、同胞であるキンメリア人と敵対したのだろう
BC653年 スキタイ、アッシリアと同盟 メディア人の同盟者だったスキタイ人が裏切り、アッシリアと同盟、メディア王国を滅ぼす
BC4世紀 バルディリス王
ダルダニア地方を統一
旧デーン人
vs旧デーン人B2
バルディリス王の指揮の下、ダルダニア人はマケドニア人・モラシア人を何度も撃破したという
※旧デーン人=ダルダニア人、旧デーン人B2=コリントス人
BC395年 コリントス戦争 旧デーン人B1
vsブリテン系デーン人A3
vs旧デーン人Aグループ
vs旧デーン人B2
アテネ(ブリテン系デーン人A3)、テーバイ(旧デーン人A1)、アルゴス(旧デーン人A2)、
コリントス(旧デーン人B2)勢力vsスパルタ(旧デーン人B1)の戦いであった
BC392年〜
BC391年
ダルダニア王国
マケドニアに傀儡政権樹立
旧デーン人
vs旧デーン人B2
バルディリス王治世下のダルダニアは強大であり、マケドニアに傀儡政権を築くほどであった
BC372年 マケドニア傀儡政権
ディオニソス1世と同盟
旧デーン人
vs旧デーン人B2
ダルダニアのマケドニア傀儡政権がシラキュースのディオニソス1世と同盟し、モラシアに侵攻した
BC359年 ダルダニア王国
マケドニア王国に勝利
旧デーン人
vs旧デーン人B2
マケドニアのペルディカス3世を殺し、ダルダニアが勝利した
BC358年 マケドニア王国
フィリップ2世即位
旧デーン人
vs旧デーン人B2
フィリップ2世がダルダニア王の娘、または姪と結婚したが、その隙に軍隊の整備を行った
エリゴン谷の戦い 旧デーン人
vs旧デーン人B2
ダルダニアとマケドニアの戦闘
BC356年 マケドニア王国
ギリシア干渉
旧デーン人B2(マ)
vs旧デーン人B1
vs旧デーン人A3
vsブリテン系デーン人A3
マケドニア人を従えたコリント人の他のギリシア系デーン人に対する挑戦
コリント人はスパルタ人もだが、数十年前までは同盟を組んでいたアテネ人、テーバイ人をも攻撃した
BC336年 アレクサンドロス大王、東征 旧デーン人B2(マ)
vsイラン系アーリア人
コリント人諜報機関配下のアレクサンドル大王が東方に進撃
BC334年 ダルダニア王国
アンチゴノス朝マケドニアに侵攻
旧デーン人
vs旧デーン人B2
クレイトス王がイリリアの同盟部族と共にアレキサンダー大王治世下のマケドニアに侵攻した
ダルダニア人は、いくつかの都市を落としたが、最終的にアレキサンダー大王に撃退された
BC280年 アンチゴノス朝マケドニア
ケルト人撃破
旧デーン人
旧デーン人B2
vsブリテン系デーン人
ブリテン系デーン人がマスターを務めるケルト人が、マケドニアに侵攻、ダルダニア人が援助を要請したが
時の王、プトレミーに拒否された
ダルダニア自身もケルト人侵攻には悩まされたが、ケルト人が北方に帰還する時、背後から攻撃したという
BC231年 イリリアの女王テウタ 新デーン人
vs旧デーン人
当時から新デーン人は、ギリシア地方に進出・拠点を持っていた可能性がある
女王テウタは、名前からして新デーン人をマスターとするテウトニ人と関係があるかもしれない
テウタが最初に行った施策は、イリリアの沿岸に入植していたギリシア人の植民都市を制圧することであった
テウタはエピダムノス(現ドゥラス)を攻撃して、陥落させると町を要塞化した、南のフォエニケはテウタに降伏した
その間にテウタ配下のイリリア船団は、リサンを本拠地に置くと共にサランダ沖にあって、ローマの商船の
通行を妨害、積荷を略奪した、これらの行為はテウタ自身が深く関与して、テウタによる海賊行為は、
南はイオニア海、西はイタリア沿岸部にまで及んでおり、アドリア海一帯にも恐れられた
BC229年 ダルダニア王国
マケドニア王国に侵攻
旧デーン人
vs旧デーン人B2
デミトリウス2世を撃退したという
BC201年 ダルダニア王国
ローマ共和国に協力
旧デーン人
ブリテン系デーン人A2
vs旧デーン人B2
ダルダニアの王バトーは、イリリア・アサマニアの王と共にローマに協力、マケドニア包囲網を構成した
BC190年 アルメニア王国建つ 旧デーン人B2
vsブリテン系デーン人A
ローマにコリントを破壊されたコリント人の中枢がアルメニアに移動したと考えられる
BC183年 フィリップ5世
バスタルナエ人と同盟
旧デーン人B2
新デーン人
vs旧デーン人
マケドニアは常にダルダニアの侵攻に晒されていたが、それを終わらせるためにゲルマン人(バスタルナエ族)と
同盟を締結、当時のゲルマン人のマスターは新デーン人だったと考えられる
コリント人と同じく、新デーン人にとっても旧デーン人は敵であり、ダルダニアは押さえたい要所だっただろう
この作戦の指揮官、フィリップ5世が死去したため、マケドニア側は作戦を中止したが、バスタルナエ人は作戦を
独自に慣行、一時はダルダニアを占拠したかに見えたが、軍の大半が帰還したため、作戦は失敗した
BC177年 ダルダニア王国
ローマ共和国に密告
旧デーン人
vs旧デーン人B2
ダルダニア人は、マケドニアが再度、バスタルナエ人と組もうとしている旨をローマに密告したが、ローマ側は
その事実の裏づけが取れなかったという、ダルダニアはローマをたきつけてマケドニア滅亡を画策したのだろう
BC168年 ローマ共和国
イリリアに侵攻
ブリテン系デーン人A2
vs旧デーン人
ローマ人がイリリア地方に侵攻、その際、ダルダニアも一部が占拠され、ローマ人による都市が建設された
トラキア人・イリリア人がダルダニアに移住した、という
BC146年 コリントスの戦闘 ブリテン系デーン人A
vs旧デーン人B2
マケドニアの背後にコリント人がいることを知っていたローマ人はコリントスを完全に破壊したという
コリント人は中枢に指揮され、その後、アルメニアに移動したと考えられる
BC95年 アルメニア王国
(コリントスの中枢移転)
シリア・レバノンを支配
旧デーン人B2
vsブリテン系デーン人A3
マケドニア人を支配して一時は世界帝国を築いたコリント人はアルメニア人を支配してレバノン、シリアという
過去の領土を奪還した
BC88年 ダルダニア王国
マケドニア地方に侵攻
旧デーン人
vsブリテン系デーン人A2
マケドニア人のマスターであったコリント人は、既にアルメニアに中枢を移転していたが、
ダルダニア人は、スコルディシ人・マエディ人と共にローマ共和国の領土となったマケドニアに侵攻した
BC28年 ローマ共和国
ダルダニア統治権喪失
ブリテン系デーン人A2
vs旧デーン人
この時にダルダニアは統治権を完全に喪失したという
6年 ローマ共和国
ダルダニアを完全制覇
ブリテン系デーン人A2
vs旧デーン人
この時にダルダニアは完全にローマの支配下になり、どの地域よりも早くラテン語が普及したという
87年 ダルダニア消滅 ブリテン系デーン人A2
vs旧デーン人
ダルダニアは、モエシア地方の一地方として治められた
284年 ダルダニア県 イリリア地方出身のディオクレティアヌス皇帝が、ダルダニアをモエシアから切り離し、独立した県として配置
395年 ローマ帝国が東西に分裂 ブリテン系デーン人A3(ビ)
vsブリテン系デーン人A3(ア)
東ゴート勢力が東ローマ帝国を、そして、西ローマ帝国は西ゴート勢力とフランク勢力に二分されていた
この時から、ダルダニアはビザンツ統治下に入る
552年 突厥帝国建つ ブリテン系デーン人A3(ビ)
ブリテン系デーン人F2(中)
ブリテン系デーン人F2(物)
vs新デーン人
vs漢民族
ブリテン系デーン人A勢力は、新デーン人がユーラシアを支配し、匈奴をフン族として欧州に派遣したことに
危惧し、ユーラシア・シルクロード地域を支配していた新デーン人勢力(匈奴・鮮卑・契丹)に対抗するために
柔然の時代に柔然の支配下にあった反体制勢力であるトルコ人を配下に置き柔然に蜂起させ
突厥帝国の基が出来上がったと考えられる、このトルコ人たちはブリテン系デーン人Aのやり方を学び
後に反逆し、独自のオスマントルコ帝国をイスラム圏に建てる
600年代 ビザンツ帝国
ササン朝ペルシアが侵攻
イラン系アーリア人
vsブリテン系デーン人A3
ササン朝ペルシアがシリア、エジプトといったビザンツの穀倉地帯を奪う
610年 ビザンツ帝国
イスラム帝国が侵攻
イスラム勢力
vsブリテン系デーン人A3
ビザンツはシリア、エジプトを奪い返すが、またすぐにシリア、エジプト、更に北アフリカさえも
イスラム帝国に奪われた
640年代頃 ハザール帝国分離 ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
vsスウェード人
ユーラシア・シルクロード地域を支配していた新デーン人勢力(匈奴・鮮卑・契丹)に対抗するために
アジア系デーン人に対して突厥帝国、欧州系デーン人に対してハザール帝国が建てられたと考えられる
ハザール帝国は、のちのヴァイキング時代にはロシア勢力(スウェード人)と対立
653年 ブルガリア帝国滅亡 ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
ハザール帝国が新デーン人勢力であるブルガリア帝国を滅ぼす
697年 ヴェネツィア共和国建つ ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
地中海覇権をかけてアテネ、ローマの残党であるブリテン系デーン人Aグループが打ち立てたと考えられる
726年 ヴェネツィア共和国
ドージェ承認
ブリテン系デーン人A3 最初のドージェ、オルソ・イパートがビザンツに承認される
730年 ハザール帝国
ユダヤ教に改宗
ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
vsイスラム勢力
突厥帝国から分化した別働隊的なビザンツの中枢が現地の遊牧民を従えて建てた帝国
800年代 東スラヴ民族
ハザール帝国に貢ぐ
(リトアニア公国の前身)
ブリテン系デーン人A3
vs古代デーン人
東スラヴ人はハザール帝国に貢物をしていた、後に東スラヴ人がリトアニア公国を建てるが、貢物をして支配下に
あった以上、彼らの背後にはハザールを支配していたブリテン系デーン人Aの中枢が控えていたと考えてもおかしくない
つまり、ハザールの中枢がハザール滅亡後にリトアニアニ赴き、東スラヴ人を使いリトアニア公国を建てたのだ
ハザールの末裔、アシュケナージはリトアニア・ポーランドを拠点に勢力を拡大したのだろう
803年 ヴェネツィア共和国
事実上の独立
ブリテン系デーン人A3 ビザンツ領でありながら事実上独立していることが確認される
872年 ビザンツ帝国
「小パオロ派教団」壊滅
ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
8世紀のはじめ、小パオロ派教団はかなりの勢力であったが、ビザンツ帝国との
パティラクスの合戦で徹底的に壊滅させられた、この勢力はドルイド教の残党、デーン勢力だった可能性がある
896年 マジャール人が
パンノニアに侵入
ブリテン系デーン人A3 ウイグルの中枢を成していた人々がウイグルの人々を従え、パンノニアに侵入、ハンガリーの基礎を築く
966年 ハザール帝国滅亡
スウェード人襲撃
スウェード人
旧デーン人B2
vsブリテン系デーン人A3
キエフは周辺の領域をも征服、当時最も大きいハザール汗国を撃退、キエフ公国となる
スラヴ人の背後にいた旧デーン人B2とスウェード人は組んでいたのだろう
旧デーン人B2(コリント人)とブリテン系デーン人A(アテネ人、ローマ人)ギリシア時代からの敵同士だった
その後、ハザール人はユダヤ教徒としてロシア、ポーランド、ドイツなどに流入、アシュケナージと呼ばれる
971年 ビザンツ帝国
キエフ大公国が侵攻
スウェード人
旧デーン人B2
vsブリテン系デーン人A3
キエフ軍は「ギリシャの火」により撃退される、史上初の火炎放射器であり、ナフサ使用のせいで
海中に落ちると更に火力が増したという
1000年代 ヴェネツィア共和国
ダルマチア征服
ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
アドリア海制海権を確保した
1000年代 キプチャク攻勢
(ハザールの中枢移転)
ブリテン系デーン人A3 ロシア人(旧デーン人B2・スウェード人)に滅ぼされたハザールの中枢は2手に別れ、キプチャク支配と
リトアニア支配に勢力が分化した
1043年 ビザンツ帝国
キエフ大公国が侵攻
スウェード人
旧デーン人B2
vsブリテン系デーン人A3
再度退けられる
1054年 フォティオスの分離
東西教会の分裂
ブリテン系デーン人A3
vsノルマン人
vs新デーン人
ヴァイキング・デーン(イギリス・フランス・イタリア)とワリアギ(ロシア・ウクライナ・ビザンツ
帝国)による縄張り争いの線引きだといえる、キリスト教徒ノルマン人の仲間割れ
1081年 ビザンツ帝国
イタリア系ノルマン人襲撃
ノルマン人
vsブリテン系デーン人A3
ノルマン人がビザンツ帝国に遠征、十字軍の前夜祭といえるだろう
この時、単独ではビザンツ帝国(ワリアギの領土)にかなわなかったノルマン人が従順な
奴隷であるカトリックのキリスト教徒を使ってビザンツ帝国侵略イスラム圏掠奪を思い
ついたと思われる
1100年代 ハンガリー王国
領域最大に
ブリテン系デーン人A3 アテネの系譜を継ぐビザンツ系(ブリテン系デーン人A3)の一派、突厥、ウイグルと続いた勢力が
マジャール人としてハンガリーを拠点にし、スロバキア、スロヴェニア、クロアチア、トランシルヴァニア
等の地域を支配、大ハンガリー時代を築く
のちに、モンゴルの中枢(藤原氏の血統である日本系諜報機関)、ハザールの中枢が
キプチャクを支配し、ハンガリーに侵入、同化する
1187年 第二次ブルガリア帝国建つ 新デーン人(反逆派)
vsブリテン系デーン人A3
新デーン人(反逆派)がビザンツ帝国内の反乱分子、ブルガリア人を指揮、反乱を演出、
ブルガリア帝国を建設させる、ブルガリア人はもともと5世紀頃からデーン勢力であった
1195年 ヴェネチア共和国
ピサ襲来
英国諜報機関
vsブリテン系デーン人A3
ピサの船隊がヴェネチアの反対勢力であるプーラに到着、反乱を指揮したが
ヴェネチア船隊に平定される
1202年 第四回十字軍 フランス諜報機関
ブリテン系デーン人A3(ヴ)
vsブリテン系デーン人A3(ビ)
vsスウェード人
コンスタンティノポリスを陥落させ、略奪・殺戮の限りを尽くしたため最も悪名の高い十字軍
とも呼ばれる、東ローマ帝国を一旦滅亡させたために、十字軍の当初の目的とは逆に
この地域のキリスト教国家の力を削ぎ、後のオスマントルコ帝国による東ヨーロッパ支配の
伏線となった
1204年 ラテン帝国建つ イタリア系ノルマン人
ロンバルディア人
英国諜報機関
フランス諜報機関
vsブリテン系デーン人A3
vsスウェード人
第四回十字軍がコンスタンチノープルを占領、ラテン帝国を建国、しかし、1261年に奪還
されるロンバルディア人(イタリア系ノルマン人)がギリシャ側を取り、ボードワンはトルコ側
に追いやられた、当時の勢力図が見えてくる、覇者はイタリア系ノルマン人である
1204年以降 エピロス専制公国
ニカイア帝国
トレビゾンド帝国
ブリテン系デーン人A3
vsノルマン人連合
ビザンツ崩壊後に出来た亡命政権国家
1205年 ラテン帝国
アドリアノープルの戦闘
イタリア系ノルマン人
ロンバルディア人
vs英国諜報機関
イタリア系ノルマン人が、フランドル(英国勢力)出身のボードワン皇帝がブルガリア人
(イタリア系ノルマン人勢力)を軽蔑したというウソを捏造、それを口実にブルガリア軍が
侵攻、皇帝を排除、投獄され、ナゾの死を遂げる(イタリア系による謀殺だろう)
1223年 キプチャク勢力圏に
モンゴル軍侵入
ブリテン系デーン人F2
ブリテン系デーン人A3
キプチャクの中枢を担っていたハザール系の人々は同じ祖を持つモンゴル軍と共謀
1230年 ギリシア帝国滅亡 新デーン人(反逆派)
ブリテン系デーン人A3
vsフランス諜報機関
ブルガリアがテサロニカのギリシア帝国を滅ぼす
1236年 ブルガリア・ニカイア同盟 新デーン人(反逆派)
ブリテン系デーン人A3
vsフランス諜報機関
vsイタリア系ノルマン人
vsロンバルディア人
ブルガリアとニカイアが同盟し、コンスタンチノープルを陥落
1237年 キプチャク
モンゴル軍の攻撃を受ける
ブリテン系デーン人F2
ブリテン系デーン人A3
ハザール系の中枢がモンゴル軍と結び、反対派を排除、ロシア、欧州に進撃の準備をする
一部は奴隷としてエジプトに売られたが、中には奴隷を演じた諜報員が潜んでおり、後にマムルーク朝を建てる
1243年 キプチャク汗国建設
(キエフ大公国)
ブリテン系デーン人F2
vsロシア人
ハザール帝国を滅ぼしたロシア人に危惧を抱いていたビザンツの援護と言える
1200年代半ば クン人(キプチャク)
ハンガリー平原に侵入
ブリテン系デーン人F2
ブリテン系デーン人A3(ハ)
vsブリテン系デーン人A3(ウ)
マジャール人が大ハンガリーを築いたのちに、モンゴルの中枢(藤原氏の血統である日本系諜報機関)、
ハザールの中枢がキプチャクを支配し、ハンガリーに侵入、同化する
1258年〜
1299年
ヴェネチア共和国
ジェノヴァと衝突
ブリテン系デーン人A3
vsイタリア系ノルマン人
vsロンバルディア人
ヴェネツィアはブリテン系デーン人A勢力としてジェノヴァと地中海覇権をめぐって戦ったが
それが同胞のビザンツに対する牽制ともなった可能性がある
1261年 ビザンツ帝国復活 ブリテン系デーン人A3
ブリテン系デーン人F2
vsノルマン人連合
vs新デーン人(反逆派)
vsイスラム勢力
vsロシア諜報機関
祖を同じくするブリテン系デーン人F2が背後にいるモンゴル軍、新デーン人が背後にいるブルガリア軍
祖を同じくするヴェネツィア軍がビザンツを援護した形になっている
アテネ人と祖(ブリテン系デーン人)を同じくする日本人(藤原氏の末裔)がモンゴル軍を指揮し、
ビザンツの敵を一掃、ビザンツ帝国の返り咲きに手を貸した、またヴェネツィアは地中海覇権をめぐって
ノルマン人連合勢力の一画を排除した
一方では、新デーン人(反逆派)がブルガリア人を指揮し、ノルマン連合と対立しており、
ビザンツ復活に手を貸していたが、モンゴル軍によって排除された
ビザンツ(ブリテン系デーン人Aグループ)は新デーン人の力を欲しなかったのだ
1266年 キプチャク汗国、ベルゲ
ミカエル8世の女と結婚
ブリテン系デーン人F2
ブリテン系デーン人A3
キプチャク汗国のベルゲ・ハーンがビザンチン帝国の王、ミカエル8世の女と結婚した、
つまり双方はお互いをブリテン系デーン人勢力と認識していた
1310年 ヴェネチア共和国
クーデター発生
ブリテン系デーン人A3
vs英国諜報機関
1335年 ヴェネチア共和国
十人委員会常設
ブリテン系デーン人A3
vs英国諜報機関
1350年〜
1381年
ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争 ブリテン系デーン人F2
vsイタリア系ノルマン人
vsロンバルディア人
ヴェネツィアが勝利
1355年 ヴェネチア共和国
クーデター発生
ブリテン系デーン人A3
vs英国諜報機関
1391年 ビザンツ帝国滅亡 イスラム勢力
vsブリテン系デーン人A3
1453年 オスマントルコ帝国
コンスタンティノープル陥落
イスラム勢力
vsブリテン系デーン人A3
これ以後、ブリテン系デーン人Aの牙城存続はヴェネツィアとアシュケナージに託された
1508年 カンブレー同盟戦争 フランス諜報機関
ハプスブルグ家
vsブリテン系デーン人A3
ヴェネツィアが西欧諸国のほとんどを敵にまわした戦争
1538年 プレヴェザの海戦 イスラム勢力
vsブリテン系デーン人A3
オスマントルコ帝国に敗北
1613年〜
1619年
オーストリアと戦争 ハプスブルグ家
vsブリテン系デーン人A3
1797年 ナポレオンに降伏 ナポレオン・ポナパルト
vsブリテン系デーン人A3






































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