第一次シルクロード帝国
バクトリア・マルギアナ文明・大月氏〜旧デーン人編















年代

できごと 勢力 内実
BC800年代 キンメリア人
ユトランド半島を出発
旧デーン人 スカンジナビアから中央アジアに出撃した旧デーン人のアジア征服第一波
BC722年〜
BC715年
キンメリア人
ウラルトゥ王国に侵攻
旧デーン人
キンメリア人
メディア人などと連合
旧デーン人
イラン系アーリア人
vs古代デーン人
キンメリア人はメディア人、マンネア人、サケルディア人と連合し、アッシリア帝国と戦闘
BC700年代〜
BC200年代
スキタイ人
ユトランド半島を出発
旧デーン人 スカンジナビアから中央アジアに出撃した旧デーン人のアジア征服第二波
スキタイ人はのちにギリシア系デーン人、ブリテン系デーン人Aと結んだと考えられる
そのため、同胞であるキンメリア人と敵対したのだろう
BC672年 第一次メディア王国 旧デーン人
vsイラン系アーリア人
メディア人の族長、フラワルティシュがスキタイ人(旧デーン人)の助力を得て建国
BC670年〜
BC650年
キンメリア人
アナトリアへ移動
旧デーン人
vsブリテン系デーン人B
キンメリア人はブリテン系デーン人B勢力のリディア王国、フリギア王国を攻撃
BC653年 スキタイ、アッシリアと同盟 旧デーン人
古代デーン人C2
vsイラン系アーリア人
メディア人の同盟者だったスキタイ人が裏切り、アッシリアと同盟、メディア王国を滅ぼす
BC652年 キンメリア人
リディア王国破壊
旧デーン人
vsブリテン系デーン人B
旧デーン人がブリテン系デーン人B勢力を撃破
BC637年 キンメリア人
スキタイ・アッシリア連合
と戦う
旧デーン人
vs旧デーン人
vsブリテン系デーン人A
vs古代デーン人
同じ旧デーン人勢力であるはずのキンメリア人とスキタイ人が敵対、スキタイ人は古代デーン人勢力
であるアッシリア帝国と組み、キンメリア人を撃破した
スキタイ人は旧デーン人を裏切り、ブリテン系デーン人A(アテネ勢力)と結んだと考えられる
BC625年 第二次メディア王国 イラン系アーリア人
vs旧デーン人
フラワルティシュの息子、フヴァ・フシュトラがスキタイ人を駆逐、第二次メディア王国を建てた
フシュトラはやがてイラン高原西北部、メソポタミア平原北部(アッシリア)を支配する大国に成長
更にカスピ海沿岸のイラン高原北部を征圧、小アジア、メソポタミア、イラン高原を支配する広域国家を樹立
BC600年代 シャカの故郷
カピラヴァストゥの語源
迦毘利(カピリ)出現
旧デーン人
vsインド系アーリア人
迦毘利(カピリ)、もしくは迦毘羅(カピラ)は釈迦が生まれる以前に存在した仙人であり、現在のヒンドゥー教
サーンキヤ学派(数論外道)の祖とされる人物である、カピリという名は「黄色の頭」の意であり、その名の通り
金髪であったという、完全に旧デーン人(サカ人?)の諜報員だろう
カピラバストゥ王国建つ 旧デーン人
vsインド系アーリア人
キンメリア人、スキタイ人に同行していた旧デーン人の宗教組織が創った国と思われる
のちに仏教の祖となるシャカが誕生する
?〜
BC500年代
サカ人出現
(スキタイ人の一派)
旧デーン人
vsインド系アーリア人
旧デーン人がサカ人のデーンマスターだと考えられる、一部はのちにペルシア軍に従軍したが
一部のサカ人はペルシアと敵対し続けたという
また、サカ人はその発音から仏教を作ったシャカ族と同族とも考えられている
?〜
BC500年代
ソグド人出現 旧デーン人
vsインド系アーリア人
旧デーン人がソグド人のデーンマスターだと考えられる
BC522年〜
BC486年
ダリウス大帝の
スキタイ遠征
スキタイ人は焦土作戦によりペルシア軍を撤退させたという
BC550年 アケメネス朝ペルシア帝国建つ イラン系アーリア人
vs旧デーン人
ペルシア人がオリエント地方を統一した
BC490年 マラトンの戦闘 イラン系アーリア人
旧デーン人
vsブリテン系デーン人A
旧デーン人勢力(スカンジナビア)であるサカ人がペルシア軍に従軍し、アテネ人(ブリテン系デーン人)
のギリシア連合と戦う、この時点では旧デーン人系ギリシア勢力は参加していない
BC479年 プラタイアの戦闘 イラン系アーリア人
旧デーン人
vsブリテン系デーン人A
vs旧デーン人B1
vs旧デーン人B2
旧デーン人勢力(スカンジナビア)であるサカ人がペルシア軍に従軍し、アテネ人(ブリテン系デーン人)
のギリシア連合と戦う、この時点ではスパルタ、コリントなどの旧デーン人系ギリシア勢力が参加している
BC400年代 「仏教」 旧デーン人
vsインド系アーリア人
旧デーン人がシルクロードを通り、送り込んだ諜報員がシャカに仏教を作らせた
仏教とは欧州の覇者、デーン人によるインド亜大陸征圧、アジア全土征圧だった
この頃に起きたスカンジナビア本土での世代交代により、仏教も旧デーン人から新デーン人に継承された
BC400年代 「六師外道」 新デーン人
vs旧デーン人
ブッダとは相容れない考えを抱く六人の思想家という意味だという、ブッダももともとデーン勢力であったが
ブッダは真の人間の解放を希求していたため、自覚のない反デーン勢力として認知されていたのではないか
六師外道の中にはジャイナ教の開祖、ヴァルダマーナがいた、彼もデーン勢力なのだろう
BC490年 マラトンの戦闘 イラン系アーリア人
旧デーン人
vsブリテン系デーン人A
旧デーン人勢力(スカンジナビア)であるサカ人がペルシア軍に従軍し、アテネ人(ブリテン系デーン人)
のギリシア連合と戦う、この時点では旧デーン人系ギリシア勢力は参加していない
BC479年 プラタイアの戦闘 イラン系アーリア人
旧デーン人
vsブリテン系デーン人A
vs旧デーン人B1
vs旧デーン人B2
旧デーン人勢力(スカンジナビア)であるサカ人がペルシア軍に従軍し、アテネ人(ブリテン系デーン人)
のギリシア連合と戦う、この時点ではスパルタ、コリントなどの旧デーン人系ギリシア勢力が参加している
BC334年 サカ人
アレクサンドロス大王と対峙
旧デーン人B2
vs旧デーン人
アショーカ王
仏教を国教に
BC200年代 大月氏、東アジア
中央アジアに出現
旧デーン人 中央アジアの旧デーン人勢力の残党だと考えられる、彼らは新デーン人勢力の匈奴に敗れる
BC283年頃 「根本分裂」 ブリテン系デーン人E
vs旧デーン人
ひとつだった組織が大衆部と上座部に分裂、これにはブリテン系デーン人Eの介入があったのではないか
上座部はスリランカで成功し、今でも残っているという
BC250年代 匈奴、活躍始まる 新デーン人
vs中国人
スカンジナビアの新デーン人が後にキンメリア人、スキタイ人を育成し、アーリア人と戦わせたように
吐藩、匈奴を育成して中国に仕向けた、ユーラシア平原に新デーン人登場
BC3世紀頃 スリランカに仏教が伝わる 旧デーン人
vsブリテン系デーン人E
BC170年代 大月氏
匈奴に敗北
新デーン人(北亜系)
vs旧デーン人(北亜系)
旧デーン人が北アジアを支配していたが新デーン人勢力の匈奴に敗北
大月氏は中央アジアに移動、勢力圏が縮小する、ユーラシア平原に新デーン人登場
BC170年代 大月氏
イシク湖周辺に敗走
サカ族を駆逐
旧デーン人(北亜系)
vs旧デーン人(絹道系)
大月氏が同胞であり、同じ旧デーン人勢力のサカ族を駆逐
BC170年代 烏孫
大月氏を襲撃
新デーン人(北亜系)
vs旧デーン人(北亜系)
匈奴の一派が大月氏を襲撃
BC170年代 大月氏
ソグディアナに落ち着く
旧デーン人(北亜系)
vs旧デーン人(絹道系)
BC140年代 張騫使節団
大月氏を目指す
中国人
旧デーン人(北亜系)
vs新デーン人(北亜系)
漢帝国の張騫が匈奴と対抗するために大月氏と同盟を結ぶべく大月氏を目指したが
途中で匈奴に囚われ、大月氏に辿りつくも、同盟を断わられる
1世紀頃〜
375年頃
クシャーナ朝建つ 旧デーン人(北亜系) 大月氏の中枢を成していた諜報機関がクシャーナ朝を建てたと考えられる
1世紀 中国に仏教が伝わる 旧デーン人(絹道系)
vs中国人
100年代 「浄土教」の経典
無量寿経、阿弥陀経
ブリテン系デーン人E
vs旧デーン人(絹道系)
南インド出身のナーガールジュナ(龍樹)はブリテン系デーン人E勢力と考えられる
3世紀 「初期大乗経典」
中観派の基礎ができる
般若経、維摩経、法華経、無量寿経
ブリテン系デーン人E
vs旧デーン人(絹道系)
南インド出身のナーガールジュナ(龍樹)は日本では八宗(天台、真言、浄土、真宗本願寺派、真宗大谷派
臨済、曹洞、日蓮)の祖師とされる、真言宗では真言八祖のひとりで浄土真宗の七高僧とされるという
日本はブリテン系デーン人F2に支配されているため、同胞であるブリテン系デーン人Eが乗っ取った
仏教を取り入れたということか
4世紀 朝鮮に仏教が伝わる 旧デーン人(絹道系)
vs朝鮮人
400年代〜 曇鸞
「中国浄土教」
新デーン人 曇鸞は匈奴の勢力圏近辺で誕生していることから新デーン人勢力の可能性がある
5世紀 「中期大乗経典」
瑜伽行唯識学派が生まれる
勝鬘経、涅槃経、解深密経
大乗阿毘達磨経
新デーン人
vs旧デーン人
ガンダーラ出身の無着は新デーン人勢力と考えられる、瑜伽行とはヨガのことだが、ヨガのような修行は
諜報員育成のための訓練と考えていいだろう、修験道と同じだ
560年代〜
「天台宗」
ブリテン系デーン人F2(天・呉) 天台宗の開祖、智は湖南省出身なのでブリテン系デーン人F1勢力の可能性がある
6世紀 「後期大乗経典」
楞伽経、大乗密厳経
ブリテン系デーン人E
vs旧デーン人
楞伽経ではシャカがランカー島のラーヴァナ(ブリテン系デーン人E)と語るという
510年〜
520年代
エフタル王、ミヒラクラ
仏教弾圧
新デーン人
vs旧デーン人
北インド・ガンダーラを治めていたミヒラクラが仏教を弾圧し、13世紀にはインドから消えたという
538年 日本に仏教が伝わる 旧デーン人
vsブリテン系デーン人F2
7世紀 密教の成立
「大日経」「金剛頂経」
インド系アーリア人
vs旧デーン人
ヒンドゥー教などのアーリア人勢力が仏教乗っ取り或いは壊滅のために介入したかもしれない
7世紀前半 吐蕃に仏教が伝わる 旧デーン人
vs新デーン人
816年 「真言宗」
高野山金剛峯寺開設
ブリテン系デーン人F2 空海が中国の密教を基本にした日本の仏教
11世紀 ビルマに仏教が伝わる
13世紀 タイに仏教が伝わる 旧デーン人
vsブリテン系デーン人F1
13世紀〜
16世紀
モンゴルにチベット仏教が伝わる 新デーン人
vsブリテン系デーン人F2
17世紀 カスピ海北岸に仏教が伝わる
18世紀 南シベリアに仏教が伝わる

















































inserted by FC2 system