中南米スペイン王国植民地を奪取せよ
新規の侵略法「革命」を発明







◆デーン人基本仮名称◆


3万年前〜BC5000年期 古代デーン人(ZZ系デーン人)
BC5000年〜BC3000年期 大航海時代古代デーン人(ZY系デーン人)
BC2000年〜BC500年期 旧デーン人(YZ系デーン人)
BC1300年〜 第二大航海時代ブリテン系旧デーン人(YY系デーン人)
BC500年〜 スカンジナビア系新デーン人(XZ系デーン人)
AD700年〜 第三大航海時代 ブリテン系新デーン人・ヴァイキング(XY系デーン人)
AD900年〜 ノルマン人(XX系デーン人)









年代

できごと 勢力 内実
マヤの預言者、チラム・バラム ノルウェー人 「われらの王イツァーよ、来たれ、兄ともたのむタントゥンの人々よ、来たれ、東のかなたからやって来る汝ら
の賓客髭を蓄え、髪の印を持った使者を迎えよ」
この予言は的中することになるが、この預言者、バラムは多分もともとデーン人であり、本土と連絡を
取っていたと考えられる、つまり、この予言は従来の予言・予想ではなく、予定・予告であった
1517年 エルナンデス・デ・コルドバ
ユカタン半島発見
英国諜報機関ルシタニア分家
フランス諜報機関
スペイン・ハプスブルグ家
1519年 征服者エルナン・コルテス
メキシコ上陸
英国諜報機関ルシタニア分家
1523年 ペドロ・デ・アルバラード
グアテマラ上陸
英国諜報機関ルシタニア分家
vsマヤ人
エストマレドゥーラ出身のアルバラードは英国勢力だった、キチェー王国、カクチケル王国が支配下に
入り、先住民の抵抗はほぼ終わりを告げた
1528年 マヤ北部地域征服 英国諜報機関ルシタニア分家
vsマヤ人
エストマレドゥーラ州の近郊、サラマンカ出身のフランシスコ・デ・モンテーホが指揮のもと開始
しかし、ユカタン半島征服は容易に進まなかった、おまけにマヤ人の側も防戦一方という戦い方では
なかった夜陰に乗じてスペイン人を襲い、ワナや待ち伏せを仕掛けるなど、現代にも通じるジャングルの
ゲリラ戦法をとっていたという
1542年 州都メリダ建設 英国諜報機関ルシタニア分家
vsマヤ人
苦心の末にようやく州都メリダを建設するが16世紀の間は反乱が相次いだという
1712年 ツェルタル人反乱 英国諜報機関マヤ分家
vs英国諜報機関ナバラ分家A
1810年 五月革命
(アルゼンチン)
英国諜報機関アルゼンチン分家
vs英国諜報機関ナバラ分家A
スペインからの解放と自由貿易を求めたポルテーニョは1810年5月25日五月革命を起こし、
ブエノスアイレスは自治を宣言したが、ラ・プラタ副王領のパラグアイバンダ・オリエンタル
アルト・ペルーコルドバはブエノスアイレス主導の自治に賛成しなかった。このためブエノスアイレス
政府は各地に軍を送り、コルドバを併合することには成功したが、1811年のマヌエル・ベルグラーノ将軍
のパラグアイ攻略は失敗した
1811年 パラグアイ共和国独立 英国諜報機関ナバラ分家A
vs
1847年 ユカテク・マヤ蜂起
「カスタ戦争」
英国諜報機関マヤ分家
vsアメリカ諜報機関
1850年代 キンタナ・ロー州
「語る十字架」の奇跡
1860年 ユカテク・マヤ再度蜂起 英国諜報機関マヤ分家
vsアメリカ諜報機関
1864年〜
1870年
パラグアイ戦争 アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルがパラグアイと戦火を交えた
1868年 ツェルタル人反乱 英国諜報機関マヤ分家
vsアメリカ諜報機関
1994年にもツェルタル人、ツォツィル人が結成したサパティスタ民族解放軍が反乱
メキシコの権力に対する抵抗運動が続いている、これは英国諜報機関vsアメリカ諜報機関の戦いといえる
1910年 キンタナ・ロー地域蜂起 英国諜報機関マヤ分家
vsアメリカ諜報機関


























































inserted by FC2 system