覇王の系譜・その終焉 ブリテン系デーン人の落日
ブルターニュ・アイルランド
年代 |
できごと | 勢力 | 内実 |
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BC4500年? | 第二次古代デーン人大航海時代 大西洋ルート ブリテン島発見、植民開始 |
古代デーン人 | デーン人がブリテン島を発見、入植、そこを拠点にアイルランド、フリース地方、ブルターニュ地方、 バスク地方、古代ルシタニア地方を占領、入植、その後も英国諜報機関の勢力として継承される |
BC4000年頃 | 巨石文明 (ストーンヘンジ・ドルメン) |
古代デーン人 | 現代人が見ても、良くこんなデカイ石を、いったい何のために…と思ってしまうのだが、当時の人々(ケルト人) にとっても無意味なことだっただろう どういうことかと言えばストーンサークルは、結果としてはドルイドの権威誇示の意味があったが過程としては、 意図的に遠い場所から巨石を運ばせ、無理やり立てる、つまり無意味なことを強制して被支配者達の反逆心を 殺ぎたい、というデーン人の思惑があったのだ無意味なことを強制して反逆心を殺ぐ、 現在の創価学会や各カルトと同じですね |
BC3000年頃 | タラの丘(アイルランドの聖地) | 古代デーン人 | 古代デーン人はブリテン島入植と同時にアイルランドに入植しただろう アイルランドの聖地、タラの丘はその後に作られたと考えられる |
BC1500年代 | タラ王国 ハイ・キングの祭壇 |
古代デーン人 | 「タラの王」が遙か昔から王権の聖地であったという資料が数多く残っている、またルーグは マー・トゥーラ(モイツラ)の合戦時に大宴会が行われていたトゥアザー・デ・ダナーンのタラの王宮を 訪ねており、ミレー族(ミレシウスの息子たち)は女神エリウ達と出会った後、ダーナ神族の三人の王 とタラで会っているという |
BC1200年〜 | 海の民、ブリテン島を出発 海の民、エトルリアに入植 海の民、古代ローマに入植 |
ブリテン系デーン人 | ブリテン系デーン人が世界に向けて進撃開始 |
BC1200年 | 海の民、アケーア人と連合 トロイア戦争、ヒッタイト帝国滅亡 |
ブリテン系デーン人 旧デーン人A3 vs古代デーン人 |
彼らは連合してアナトリア沿岸に拠点を築き、古代デーン人勢力である内陸のヒッタイト帝国を滅ぼした |
BC1185年 | 海の民、 ラムセス3世に挑戦 |
ブリテン系デーン人C vs古代デーン人 |
ラムセス3世に退けられ、パレスチナに入植、ペリシテ人となり、古代デーン人勢力であるヘブライ人と対立する |
BC1150年 | 海の民、 ミケーネ文明を破壊 |
ブリテン系デーン人A vs旧デーン人A3 |
海の民はアケーア人(ミケーネ人)を裏切り、ミケーネ文明を破壊、アテネ市を築き、地中海に覇を唱える |
? | 海の民、シリア沿岸に入植 フェニキア人を支配 |
ブリテン系デーン人B vs古代デーン人 |
海の民はフェニキア人を伴い、地中海アフリカ沿岸を支配、カルタゴ市を作る |
BC1100年? | 海の民、インド洋に到達 セイロン島に入植 |
ブリテン系デーン人E | 海の民が、ランカー島の悪魔としてラーマーヤナに記録される |
BC1000年頃 | 海の民、オルメカ文明破壊 アメリカ大陸大西洋岸ルート |
ブリテン系デーン人G | 海の民が地中海に侵攻、ヒッタイト帝国を滅ぼし、シリアを破壊し、ラムセス朝エジプトに挑戦した このブリテン系デーン人Aグループとは別に、Gグループが南アメリカ大西洋岸に侵攻した |
BC800年代 | 海の民、 九州を占領、入植 |
ブリテン系デーン人F | 海の民が九州を占領、後に九州を拠点に2手に別れ、本州出雲地方、長江上流勢力に勢力が分化 これが神武天皇の東征伝説を生んだ |
BC771年 | 海の民、 雲南に潜伏、拠点を築く |
ブリテン系デーン人F1 | ブリテン系デーン人F1が長江を遡り、雲南省に拠点を築く、現地人のミャオ族を支配、楚などの国家、宗教団体を 築き、随時、中国人に挑戦する、雲は天を意味する、つまり、神々の種族を自称するデーン人を デーン人の国と言う意味を込めて雲南と名付けられたのだろう |
BC700年代 | 海の民、 出雲に到着、拠点を築く |
ブリテン系デーン人F2 | 古代デーン人の伝説を頼りに航海したのか、インド洋のカッチ、あるいはバリ島を出発した彼らはちゃんと日本に到着、 古代デーン人が残した縄文人ドルイド教徒を継承し日本神話を創る、雲は天を意味する、つまり、神々の種族を 自称するデーン人のことだ、デーン人の国と言う意味を込めて出雲と名付けられたのだろう |
BC700年代 | 西アフリカ各地で鉄の生産 ノク文化 |
ブリテン系デーン人D | 実際には、海の民はBC1150年頃には西アフリカに達していたが、アフリカに残留した海の民が少数派だった ため、数百年ほど遅れて西アフリカに鉄文化が広まり始めたのではないか |
BC220年頃 | ダーナ神族 ブリテン島、アイルランドに侵攻 |
新デーン人 vsブリテン系デーン人 |
新デーン人の勢力であるダーナ神族がブリテン島に侵攻、ブリテン系デーン人と戦闘を繰り広げる ブリテン系デーン人はアテネ、ローマ帝国、フェニキア、ビザンツ、雲南地方、日本皇族の祖である |
BC200年頃? | 第三次古代デーン人大航海時代 故国スカンジナビアに帰還 新デーン人と敵対、ピクト人となる |
古代デーン人 vs新デーン人 vsダーナ神族 |
そして4000年近い旅を終えた彼らは、故国スカンジナビア南部にたどり着きますが、そこは既に新デーン人の
勢力下にありました、ブリテン島・アイルランドもアルバ系デーン人の本拠地となっていたため、彼らは スコットランド北部に赴き、アルバ系デーン人と対立したが敗北し、支配下に置かれた 彼らはローマ人にピクト人と呼ばれました、大航海時代に出発した頃のデーン人は金髪・碧眼の白人で サーミ人に近い感じだったと思われますが数千年もの間、世界の海を旅し、数世代に渡って行く先々に滞在し、 各地で混血を繰り返した彼らはピクト人としてカレドニアに到達した時には白人とは違う風貌になっていたと 考えられます、なぜ彼らは、世界を征服する意志、自分がデーン人であること、スカンジナビアから来たこと、等を 忘れることがなかったか、それはひとえにドルイド教のような強制的な宗教の力が成せる技でしょう |
60年 | ブーティカの乱 | ブリテン系デーン人A vsブリテン系デーン人 |
ローマの支配層は自身がブリテン系デーン人であることを自覚していたが、カエサルやローマ軍兵士は何の 自覚もなかっただろう、彼らはドルイド教徒の振る舞いを恐ろしく思ったという |
? | 第一次ブリトン人大陸移動 | ブリテン系デーン人A2 vsブリテン系デーン人 |
海の民を輩出し、永年、ブリテン島を支配してきたブリテン系デーン人が同胞といえるローマ人 (ブリテン系デーン人A2)勢力に侵攻され、この頃からブリテン系デーン人中枢の一部が波状的に大陸へ逃亡 ブルターニュ地方を根城とする ブリテン島に残ったブリテン系デーン人中枢の一部はウェールズ地方、アイルランドを勢力圏として維持 |
433年 | 聖パトリック アイルランド来島 |
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450年〜 500年 |
アングル人、サクソン人 ジュート人の侵攻 |
新デーン人 フランク人 vsブリテン系デーン人 |
アングル族がイースト・アングリアを、ジュート族はケント地方、サクソン族がエセックス、ウェセックス地方を占領、 ジュート族はデーン勢力であり、ブリタニアのドルイド教信者と組み、フランク人の手先、アングロサクソン族の到来を 阻止するために派遣されたのだろう |
450年〜 | ケント王国 | 新デーン人 vsフランク人 vsブリテン系デーン人 |
ドルイド教ケルト人勢力の戦力としての機能に見切りを付けたデーン人はデーン勢力であるジュート人を、後に カンタベリー大主教、ロチェスター大司教の本拠地となる、カンタベリーを含むケント地方に送り込み ケント王国を建設させる また、ヴァイキング時代にはデーンローのデーン人を受け入れ、カンタベリー大司教、ロチェスター大司教は デーン勢力としてアルフレッド大王を操ったと考えられる |
450年〜 | ノーサンブリア王国 イースト・アングリア王国 マーシア王国 |
フランク人 vsブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
ローマ軍も手こずったドルイド教、デーン勢力の本拠地でフランク勢力のアングル人が健闘 だが、さすがにブリテン系デーン人の最後の砦、ウェールズ、アイルランド、ダーナ神族が棲むスコットランドには 侵攻出来なかった |
450年〜 | エセックス王国 ウェセックス王国 サセックス王国 |
フランク人 vsブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
ローマ軍も手こずったドルイド教、デーン勢力の本拠地でフランク勢力のアングル人が健闘 だが、さすがにブリテン系デーン人の最後の砦、ウェールズ、アイルランド、ダーナ神族が棲むスコットランドには 侵攻出来なかった |
? | 第二次ブリトン人大陸移動 | 新デーン人 フランク人 vsブリテン系デーン人 |
海の民を輩出し、永年、ブリテン島を支配してきたブリテン系デーン人が新規勢力のフランク人、新デーン人勢力 に侵攻され、ブリテン系デーン人中枢の一部が波状的に大陸へ逃亡、ブルターニュ地方を根城とする ブリテン島に残ったブリテン系デーン人中枢の一部はウェールズ地方、アイルランドを勢力圏として維持 ブリテン系デーン人はエトルリア人、アテネ人、フェニキア人、ローマ帝国、ビザンツ、日本皇族、藤原氏、平氏、 ミャオ族、華僑、アシュケナージの祖である |
? | イストラド・クルト王国 (ストラスクライド) |
ブリテン系デーン人 vsダーナ神族 vs新デーン人 |
ローマ支配後のスコットランド南部、イングランド北部にブリトン人の国が建てられた ブリテン系デーン人が新デーン人に対抗するために建てられたか |
743年〜 | ミーズ王国(アイルランド) | ブリテン系デーン人 | |
793年 | ヴァイキング リンディスファーン修道院襲撃 |
新デーン人 vsフランク人 vsブリテン系デーン人 vsダーナ神族 |
ヴァイキングがリンディスファーン修道院を襲撃、偶然のようだが明らかに目的があって ヴァイキングはこの修道院を攻撃しているだろう、じつはブリテン島の主、ブリテン系デーン人とアルバ系デーン人 (ダーナ神族)の連合がフランク勢力であるアングル人と組んだのだ、その象徴がリンディスファーン修道院の 建立だった、ゆえに、新デーン人はブリテン島旧勢力を滅ぼさねばならなかった |
845年 | ブルターニュ王国建つ | ブリテン系デーン人 vsフランク人 |
中世初期、ブルターニュは三つの王国に分断されていた、ドムノニア(Domnonia)、コルヌアイユ(Cornouaille)、 ブロ・ワロック(Bro Waroc'h)である。、すぐに三つの王国は、ブルターニュ公国に併合された 最初の合同したブルターニュ王国は、ブルターニュ公ノミノエ(Nominoe)によって建国された、この時、 ブルトン軍はシャルル2世勢力をバロンの戦い(ルドン近郊のブルターニュ東部、国境付近)で打ち破った |
850年 | 新デーン人 アイルランド襲撃 |
新デーン人 vsノルウェー人 vsブリテン系デーン人 |
「黒い異邦人(デーン)」がダブリンを襲撃、しかし、新規デーン勢力であるノルウェー人がブリテン島の主である ブリテン系デーン人と組みアイルランドを掌握、新デーン人に反逆、怒った新デーン人がダブリンに襲来 |
851年 | ジャングランの戦闘 | ブリテン系デーン人 vsフランク人 |
フランク軍は、ジャングランの戦いでブルターニュ公エリスポエ(Erispoe)軍によって敗退を喫した こうしてシャルル2世はブルターニュの独立を承認した |
851年 | 新デーン人対ノルウェー人 (宗教戦争) |
新デーン人 vsノルウェー人 vsブリテン系デーン人 |
ダブリン北80キロにあるカーリングフォードでノルウェー人と新デーン人が激烈な戦闘を 演じ、5000人のノルウェー人が殺害されたという、ブリテン系デーン人がドルイド教を駆使しアイルランド人を 支配してきたが、アイルランド人が新デーン人に従ったのは、新デーン人がドルイド教を乗っ取った 或いは、ドルイド教徒をキリスト教に改宗させたのだろう、ある種の宗教戦争、アイルランドに対する十字軍といえる |
851年 | ノルウェー人逆襲 | ノルウェー人 ブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
ノルウェーからオーラフという首領が救援に駆けつけ、ダブリンを再び占領、これを最後に 新デーン人をアイルランドから駆逐、以降18年間、ダブリンはオーラフに支配され、ライムリック は弟イヴァルの支配下に置かれた、オーラフがノルウェーに帰還するとイヴァルがダブリンも支配した |
870年 | 新デーン人 デーンローを築く ユトランドからブリテン島へ拠点移動 |
新デーン人 vsフランク人 vsブリテン系デーン人 vsノルウェー人 vsダーナ神族 |
ジュート王国はブリテン島に於ける傀儡国だったが、アルバ系デーン人、フランク人、新勢力のノルマン人牽制、 及び、ブリテン島利権保護のために新デーン人はデーンローを築き、戦闘部隊の精鋭を駐留させた アングロサクソンの王、アルフレッドはデーンの意志を神の意志と信じ、新デーン人のために他のデーン勢力と戦った |
875年 | 新デーン人 アイルランド襲撃 |
新デーン人 vsノルウェー人 vsブリテン系デーン人 |
ハーフダンなるデーンの首領がアイルランドに侵攻 |
876年 | アイルランドのノルウェー人 ドーセットシャ上陸 |
ノルウェー人 ブリテン系デーン人 vsサクソン人 |
アイルランドにいたノルウェー人がドーセットシャに上陸した際、新デーン人は協力を打診、だがその実、 デーン勢力下にあるイングランドを守るためにノルウェー人に接近、誤誘導を行なう 歴史上では、878年にヴァイキング軍が大敗し、新デーン人はウェセックス王国制覇を永久に断念、 イーストアングリアに落ち着いたように見せかけた |
885年 | ケント王国 ノルウェー人が侵攻 |
ノルウェー人 ブリテン系デーン人 vsジュート人 vs新デーン人 |
ノルウェー人ヴァイキングの背後に控えていたブリテン系デーン人が新デーン人が支配するケント王国に挑戦 |
892年 | ウェセックス王国 ノルウェー人が侵攻 |
ノルウェー人 ブリテン系デーン人 vsサクソン人 |
ノルウェー人ヴァイキングの背後に控えていたブリテン系デーン人がサクソン人が支配するウェセツクス王国に挑戦 |
900年以降 | ソルウェー湾 ノルウェー人が侵攻 |
ノルウェー人 ブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
ノルウェー人ヴァイキングを操り、改めてブリテン島に覇を唱えたブリテン系デーン人が攻勢に出た アイルランドに植民したノルウェー人ヴァイキングがブリテン島に侵攻、北に向かって湖水地方を襲った |
901年 | ケルト人、アイルランド奪還 | 新デーン人 vsノルウェー人 vsブリテン系デーン人 |
イヴァンの息子が暗殺され、指導者を失ったノルウェー人は動揺し、その間、アイルランド側 の蜂起が行なわれた、アイルランド人蜂起の裏には当然、新デーン人がいた |
913年 | ノルウェー人 アイルランド襲撃 |
ノルウェー人 ブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
ノルウェー人が再度出現、四年間の戦闘の末に支配権を確立、980年まで維持 |
918年 | ノルウェー人 ヨーク王国襲撃 |
ノルウェー人 ブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
ノルウェー人が改めて新デーン人勢力圏に侵攻 |
937年 | ブルナンバラの戦闘 | 新デーン人 vsノルウェー人 vsブリテン系デーン人 vsダーナ神族 |
アルバ王国(ダーナ神族)、ダブリン王国(ブリテン系デーン人+ノルウェー人)、イストラド・クルト王国 (ブリテン系デーン人)の連合がイングランド王国(新デーン人)に挑んだが、敗北した |
954年 | ノルウェー人勢力排除 | ダーナ神族 新デーン人 vsノルウェー人 vsブリテン系デーン人 |
スコットランド王(ダーナ神族)が巧みな手段でノルウェー人のアイルランド植民地を手に入れ、ノルウェー人が 占領したヨークシャもノーサンブリア王国(新デーン人勢力)に併合された |
980年 | タラの会戦 | ノルウェー人 ブリテン系デーン人 vsダーナ神族 |
ダブリン王オーラフ(ノルウェー人+ブリテン系デーン人)はミーズ王(ダーナ神族)と特別な関係を 持ったが両家の不和が彼の没落の原因となったとされている、実際にはオラフの没落の 原因はキリスト教に改宗していなかったことだ、オーラフ王はアイルランド側に敗北し、彼の 根拠地ダブリンも炎上、ヘブリディーズ諸島のアイオーナ僧院に退いた |
1014年 | クロンターフの戦闘 | ノルウェー人 ブリテン系デーン人 vsダーナ神族 |
アルバ系デーン人が背後で糸を引くブリアン王はアイルランドの文化的振興のために尽力し、 ウェールズとスコットランドも支配したが、改宗したノルウェー人が反体制派である レンスター家に反逆を演じさせ、クロンスターで武力衝突が発生、その結果、 シグトゥリゥグ(ノルウェー人)が改めてその後20年間、アイルランドの支配権を確立した |