アテネ人・コリント人・ブリトン人の復讐 A
中世スカンジナビア 新デーン人の反撃
◆旧デーン人◆
・旧デーン人Aグループ・
メソポタミア侵攻第一波(旧デーン人A1/旧アラム人、アッカド人)
第二波(旧デーン人A1/アムル人「バビロニア帝国」、フルリ人「ミタンニ王国」)
シルクロード侵攻第一波(バクトリア・マルギアナ文明、大月氏/旧デーン人A2)
ギリシア侵攻第一波(イオニア人/ケルト人、アケーア人/旧デーン人A3)
第二波(テッサリア人、エオリア人/ケルト人)
エジプト侵攻第一波(ヒクソス人/旧デーン人A4)
・旧デーン人Bグループ・
ギリシア侵攻第三波(ドーリス人/旧デーン人B)
ドーリス人の第一後裔、スパルタ人(旧デーン人B1)
ドーリス人の第二後裔、コリントス人(旧デーン人B2)
シルクロード侵攻第二波(キンメリア人、スキタイ人、サカ人/旧デーン人B3)
・アケーア系デーン人(Aグループ)勢力圏=(テーベ市、アルゴス市/ギリシア、サムニテ王国、カンパニア王国/イタリア南部)
・スパルタ系デーン人(B1)勢力圏=(スパルタ市、クレタ島、ロードス島、リビア、サイス朝エジプト王国)
*コリントス系デーン人(B2)の派閥*
コリントス市・シュラクサ(旧デーン人B2a)
アンチゴノス朝マケドニア(旧デーン人B2b)
セレウコス朝シリア(旧デーン人B2c)
プトレマイオス朝エジプト(旧デーン人B2d)
マウリア朝マガダ(旧デーン人B2e)
※コリントス人中枢移転先(アルメニア王国、キエフ公国、ロシア帝国)
◆ブリテン系デーン人(旧デーン人)◆
ギリシア(ブリテン系デーン人Aグループ)
シリア・メソポタミア(ブリテン系デーン人Bグループ)
エジプト(ブリテン系デーン人Cグループ)
アフリカ(ブリテン系デーン人Dグループ)
インド・東南アジア(ブリテン系デーン人Eグループ)
東アジア(ブリテン系デーン人Fグループ)
大西洋岸南北アメリカ(ブリテン系デーン人Gグループ)
ブリテン系デーン人A=(A1/エトルリア人、A2/ローマ帝国、A3/アテネ市、ビザンツ帝国、突厥帝国、ヴェネツィア共和国、ハザール帝国)
※古代アテネ人勢力圏(キリキア、マッシリア、コルシカ島、サルディーニャ北部、シチリア東部、ポントス王国、ボスポロス王国)
※西ローマ帝国の中枢移転先(モラヴィア王国、ノヴゴロド公国、ポーランド王国、ハプスブルグ家)
※ビザンツ帝国の中枢移転先(突厥帝国、ハザール帝国、ウイグル汗国、ハンガリー王国、ヴェネツィア共和国、モスクワ公国)
※ハザール帝国の中枢移転先(リトアニア公国、アシュケナージ)
ブリテン系デーン人B=(B1/フェニキア人・ペリシテ人・ダン族、B2/新アラム人、B3/新ヒッタイト人)
ブリテン系デーン人C=(C1/エジプト王朝、C2/テーベ・アメン神官団)
ブリテン系デーン人D=(西アフリカ、ヨルバ人、マダガスカル島)
ブリテン系デーン人E=(セイロン島、インド南部)
ブリテン系デーン人F1=(長江系/ミャオ族、楚、太平道、黄巾族、大理国、白蓮教、広東系/華僑、九州系/邪馬台国、新羅、倭寇)
ブリテン系デーン人F2=出雲を本拠地に北アジア(粛慎)、モンゴル高原(東胡)、朝鮮半島(扶余)、中国南部(呉越)に拠点が築かれた
出雲系:古代出雲、百済、任那日本府、大和朝廷(大伴氏、物部氏)
呉越系(広東):呉、越、南越(ベトナム)、南詔国
東胡系(皇族):鮮卑、柔然、北魏(吉備氏)、大和朝廷(中大兄皇子、中臣氏)
粛慎系(藤原氏):渤海、西夏、女真族、金王朝、清王朝
契丹系(平氏):契丹、モンゴル帝国、タタール
扶余系(蘇我氏):高句麗、大和朝廷(蘇我氏、聖徳太子)、高麗、李氏朝鮮
ブリテン系デーン人G=(オルメカ人/ユカタン半島)
◆新デーン人◆
・旧世代・
新デーン人A1/スカンジナビア系(ケルト人、ドルイド教ローマ人奴隷、ダキア人)
新デーン人A2/スカンジナビア系(キンブリ人、テウトニ人)
新デーン人A2/絹道系(エフタル・ヒョーン人=吐藩、マッサゲタイ人)
新デーン人A2/北亜系(匈奴、フン族)
新デーン人A3/ダーナ神族(スコットランド・アイルランド系カトリック・アイオナ修道院、ティオティワカン帝国)
・新世代・
新デーン人A1/デーンロー系(ケント王国・カンタベリー大司教座・デーンロー)
新デーン人A1/スウェード人+コリントス人(バルト三国、キエフ公国、ウクライナ)
新デーン人A1/ノルウェー人+旧ブリテン系デーン人(アイスランド共和国、グリーンランド、トルテカ人)
新デーン人A1/デンマーク人(デンマーク王国・カルマル同盟)
ノルマン人A1/フランス系ノルマン人(ノルマンディー公国、フランス王国、外ヨルダン領、ゼンギ朝シリア、カスティーリャ王国、レオン王国、スイス連邦)
ノルマン人A2/イングランド系ノルマン人+新デーン人A1aA(ノルマン朝、ピサ共和国、ナバラ王国、アラゴン王国)
ノルマン人A3/イタリア系ノルマン人(シチリア・ナポリ王国、アンチオキア王国、トリポリ王国、ラテン帝国)
新デーン人A1/反逆派、後にルター派を創設(アルモラヴィド帝国、アルモハード帝国、モロッコ王国、ガーナ王国、ブルガリア帝国)
・デーンマスター・
サルマタイ人=スパルタ人(旧デーン人B1)
アラン人=スパルタ人(旧デーン人B1)
ゴート人=コリント人(旧デーン人B2)
ゲピード人=コリント人(旧デーン人B2)
スウェード人=コリント人(旧デーン人B2)
フランク人=アテネ人(ブリテン系デーン人A3)
アラマンニ人=アテネ人(ブリテン系デーン人A3)
バタヴィ人=アテネ人(ブリテン系デーン人A3)
アングル人=アテネ人(ブリテン系デーン人A3)
サクソン人=アテネ人(ブリテン系デーン人A3)
ヴァンダル人(スウェーデン・ヴェンデル)=フェニキア人(ブリテン系デーン人B)
マルコマンニ人=フェニキア人(ブリテン系デーン人B)
ブルグント人(バルト海・ボーンホルム島)=ブリテン系デーン人
フリース人=ブリテン系デーン人
バイエルン人=ブリテン系デーン人
スウェビ人=ブリテン系デーン人
ノルウェー人=ブリテン系デーン人
ジュート人=新デーン人
ロンバルディア人=新デーン人
年代 |
できごと | 勢力 | 内実 |
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? | キンブル王国 | 新デーン人 | |
BC113年 | キンブリ人・テウトニ人侵入 | 新デーン人 vsブリテン系デーン人A2 |
初期ゲルマン人(デーン人の分家)を使った新デーン人によるローマ侵略の一環 |
BC87年 | ポセイドニオス旅行 | ブリテン系デーン人A3 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
ストア派の哲学者ということで、アテネ系の諜報員だったと考えられる、彼が新デーン人の勢力圏をくまなく 調査して歩き、その成果がアテネ人によるフランク人の支配、コリント人によるゴート人支配に寄与した 折りしも、キンブリ人・テウトニ人のローマに対する脅威が解決した直後に旅行に出ているのが興味深い |
05年 | ローマ艦隊 バルト海に出撃 |
ブリテン系デーン人A2 vs新デーン人 |
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98年 | 「ゲルマニア」 タキトゥス著 |
ブリテン系デーン人A3 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A2 |
この100年ほどでアテネ系の諜報員がゲルマン人勢力圏を調査・研究し、見えない帝国、新デーン人の 存在・勢力圏を発見、新デーン人を叩くべく、新デーン人配下のゲルマン人諸族に蜂起を打診、同時に ローマ帝国撃破を画策出自が明らかでないタキトゥスは明らかに諜報員だろう |
00年〜 300年頃 |
スヴェーリエ王国 | 旧デーン人B2 vs新デーン人 |
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ゴート王国 | 旧デーン人B2 vs新デーン人 |
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デーン王国 | 新デーン人 | ||
ジュート王国 | 新デーン人 | ||
ヘールル王国 | ブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
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300年頃 | ブルグント人失踪 (ボーンホルム島) |
ブリテン系デーン人 vs新デーン人 |
当時、「ブルグント族の島」を意味するボーンホルム島から突如人々の姿が消えたという 実際には、コリント系のゴート人、アテネ系のアラマンニ人と敵対した関係から ブリテン系デーン人の中枢がブルグント人のもとに訪れ、同盟を打診した可能性がある |
400年代頃 | ハロード人・ヴァルン人 ユトランド半島に侵攻 |
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700年頃 | フランク王国 ノルマン人出現 |
新デーン人(本土系) vsブリテン系デーン人A3(フ) vsブリテン系デーン人 vsダーナ神族 |
フランク勢力、サクソン人がケント王国に侵攻したため、カンタベリー、ロチェスター というブリテン島キリスト教拠点(新デーン人/本土系))を奪われるのでは、という懸念を抱き 手始めにフランク王国偵察のため、ドナウ川河口に新デーン人(本土系)が直々に出現 ここに、隠れ続けていた新デーン人(本土系)がダーナ神族、海の民以来、 ヴァイキング・ノルマン人として歴史の表舞台に登場することになる ※ノルマン人とはフランク人が始めた呼び名であり、新デーン人(本土系)と同一である |
744年 | ランゴバルト王国 フランク王国侵攻 |
ブリテン系デーン人A3(フ) vsロンバルディア人 |
ランゴバルドの首都、パヴィアを占領、デーン勢力であったランゴバルト人は壊滅 |
755年 | フランク王国 ピピンの寄進 |
ブリテン系デーン人A3(フ) vsロンバルディア人 vsブリテン系デーン人 vs新デーン人(本土系) vsダーナ神族 |
新デーン人勢力であるランゴバルト王国のアイストゥルフスと戦い、ラヴェンナを奪ってローマ教皇 ステファヌス3世にに献上、ピピンの寄進と呼ばれ、後の教皇領の元となった フランス系ノルマン人がクリュニー修道会を作るまでは、ローマ教皇領はフランク勢力圏にあった |
789年 | ヴァイキング侵攻 (ブリテン島) |
新デーン人(本土系) vsブリテン系デーン人 vsブリテン系デーン人A3(ア) vsダーナ神族 vsブリテン系デーン人A3(サ |
新デーン人の正規軍、ヴァイキングがブリテン島のサクソン人(フランク勢力)、裏切り者の ダーナ神族、古来からのブリテン島の主・ブリテン系デーン人及び、同盟者のアングル人 排除のために襲来 |
800年 | フランク王国 シャルルマーニュ大帝戴冠 |
ブリテン系デーン人A3(フ) vsロンバルディア人 vsブリテン系デーン人 vs新デーン人(本土系) vsダーナ神族 |
フランク人が欧州の覇者として君臨、デーンはこれを見てどう思ったことだろう この当時、スカンジナビアではデーンから新しくスウェード人とノルウェー人が分家 デーン人は直々にフランク王国、アングロサクソン諸国を討ち取ることを計画、 ノルウェー人には西方、スウェード人には東方を制圧することを指令した ここに、世界を征圧する契機となったヴァイキング時代が始まる |
856年 | アイスランド発見 | ブリテン系デーン人 ノルウェー人 |
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872年 | ノールゲ王国 (ブリテン系デーン人中枢移転) |
ブリテン系デーン人 ノルウェー人 |
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