ブリテン系デーン人Aグループの帝国 U

ビザンツ帝国・ヴェネツィア共和国・ハザール帝国
突厥帝国・ウイグル









◆ブリテン系デーン人(旧デーン人)◆



ギリシア(ブリテン系デーン人Aグループ)
シリア・メソポタミア(ブリテン系デーン人Bグループ)
エジプト(ブリテン系デーン人Cグループ)
アフリカ(ブリテン系デーン人Dグループ)
インド・東南アジア(ブリテン系デーン人Eグループ)
東アジア(ブリテン系デーン人Fグループ)
大西洋岸南北アメリカ(ブリテン系デーン人Gグループ)


ブリテン系デーン人A=(A1/エトルリア人、A2/ローマ帝国、A3/アテネ市、A3a/ビザンツ帝国、
A3b/ヴェネツィア共和国、A3c/ハザール帝国(アシュケナージ)、A3d/突厥帝国、A3e/ウイグル、A3f/宋)
※アテネ人A3系勢力圏(キリキア、マッシリア、コルシカ島、サルディーニャ北部、シチリア東部、ポントス王国、ボスポロス王国)

ブリテン系デーン人B=(B1/フェニキア人・ペリシテ人・ダン族、B2/新アラム人、B3/新ヒッタイト人)
ブリテン系デーン人C=(C1/エジプト王朝、C2/テーベ・アメン神官団)
ブリテン系デーン人D=(ヨルバ人、マダガスカル島)
ブリテン系デーン人E=(セイロン島、インド南部)


ブリテン系デーン人F1=(F1aA/ミャオ族、楚、太平道、黄巾族、呉、南詔、大理国、白蓮教、F1aB/華僑、F1b/邪馬台国、倭寇)
ブリテン系デーン人F2=(F2aA/皇族、F2aB1/奥州藤原氏・全真教、F2aB2/藤原氏、F2bA/関西平氏、F2bB/関東平氏、
F2cA/粛慎・渤海、女真人・満州人、F2cB/モンゴル人、F2cB1/タタール人、F2cB2/オイラート人、F2d/高句麗・高麗人)

ブリテン系デーン人G=(オルメカ人/ユカタン半島)





◆新デーン人◆



新デーン人A1a/スカンジナビア系デーン人(ケルト人、ドルイド教ローマ人奴隷、ダキア人)、新デーン人A1b(キンブリ人、テウトニ人)
新デーン人A2/中央アジア系デーン人(A2a/エフタル・ヒョーン人、マッサゲタイ人、パルティア人、A2b/チャガタイ汗国、オゴタイ汗国、チムール帝国)
新デーン人A3/東アジア系デーン人=匈奴(A3a)、フン族(A3b)、鮮卑(A3c)、柔然(B)、吐藩(C1)、唐/天台宗(C2)、契丹/遼(D1)、西夏(D2)
新デーン人A4/アルバ系デーン人(スコットランド・アイルランド系カトリック・アイオナ修道院、ティオティワカン帝国)

新デーン人B1/ゴート人(西ゴート王国)
新デーン人B2/フランク人(フランク王国、ノーサンブリア王国、イースト・アングリア王国、マーシア王国、
エセックス王国、ウェセックス王国、サセックス王国、神聖ローマ帝国、エデッサ王国、エルサレム王国)
新デーン人B3/ロンバルディア人(北イタリア地方、ラテン帝国、ジェノヴァ共和国)

新デーン人A1a/デーンロー系デーン人(ジュート王国・カンタベリー大司教座・デーンロー)
新デーン人A1c/スウェード人(バルト三国、キエフ公国、ロシア、ウクライナ)
新デーン人A1d/ノルウェー人(アイスランド共和国、グリーンランド、トルテカ人)
新デーン人A5/デンマーク人(デンマーク王国・カルマル同盟)

ノルマン人A1/フランス系ノルマン人(ノルマンディー公国、フランス王国、外ヨルダン領、ゼンギ朝シリア、カスティーリャ王国、レオン王国、スイス連邦)
ノルマン人A2/イングランド系ノルマン人+新デーン人A1aA(ノルマン朝、ピサ共和国、ナバラ王国、アラゴン王国)
ノルマン人A3/イタリア系ノルマン人(シチリア・ナポリ王国、アンチオキア王国、トリポリ王国、ラテン帝国)
新デーン人A1aB/反逆派、後にルター派を創設(アルモラヴィド帝国、アルモハード帝国、モロッコ王国、ガーナ王国、ブルガリア帝国)










年代
できごと 勢力 内実
395年 ローマ帝国が東西に分裂 ブリテン系デーン人A3
vsフランク人
東ゴート勢力が東ローマ帝国を、そして、西ローマ帝国は西ゴート勢力とフランク勢力に
二分されていた
5世紀 東ローマ帝国
テオドシウス2世即位
ブリテン系デーン人A3
vsフランク人
テオドシウス2世は、フランク族出身のバウト将軍の娘を母に持つ
430年 東ローマ帝国
フン族と条約締結
ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
フン族の勢力は勢いを増したため、テオドシウス2世はフン族と条約を結ばざるを得なくなる
毎年金350ポンドを渡す約束をしたが、上納金の一部はデーンに贈られただろう
434年 東ローマ帝国vsフン族 ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
反デーン系ゲルマン勢力下にあった東ローマ帝国から口実をつけた上で金品横領
552年 突厥帝国建つ ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
vs中国人
ブリテン系デーン人A勢力は、新デーン人がユーラシアを支配し、匈奴をフン族として欧州に派遣したことに
危惧し、ユーラシア・シルクロード地域を支配していた新デーン人勢力(匈奴・鮮卑・契丹)に対抗するために
柔然の時代に柔然の支配下にあった反体制勢力であるトルコ人を配下に置き柔然に蜂起させ
突厥帝国の基が出来上がったと考えられる、このトルコ人たちはブリテン系デーン人Aのやり方を学び
後に反逆し、独自のオスマントルコ帝国をイスラム圏に建てる
560年代 突厥帝国
エフタルを破る
ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
新デーン人の中央アジア勢力、エフタルを攻略
582年 突厥帝国、東西に分裂 ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
vs中国人
597年 東突厥、2勢力に分裂 中国人
vsブリテン系デーン人A3
啓民可汗が隋に使節を送り、それが都藍可汗の怒りを買い、東突厥は2つに分裂
歩迦可汗が都藍可汗を暗殺し、啓民可汗と対立、挑戦したが吐谷揮に敗走した
600年代 ビザンツ帝国
ササン朝ペルシアが侵攻
イラン系アーリア人
vsブリテン系デーン人A3
ササン朝ペルシアがシリア、エジプトといったビザンツの穀倉地帯を奪う
610年 ビザンツ帝国
イスラム帝国が侵攻
イスラム勢力
vsブリテン系デーン人A3
ビザンツはシリア、エジプトを奪い返すが、またすぐにシリア、エジプト、更に北アフリカさえも
イスラム帝国に奪われた
630年 東西突厥帝国
唐の支配下に
新デーン人
vsブリテン系デーン人A3
新デーン人が宗教勢力として唐の一部を支配し、突厥帝国をも支配下に置いた
635年 第一次ブルガリア帝国
突厥帝国から独立
新デーン人
vsブリテン系デーン人A3
新デーン人が突厥の反体制勢力であるブルガリア人に接触、裏切りを打診、蜂起させたと思われる
640年代頃 ハザール帝国分離 ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
vsスウェード人
ユーラシア・シルクロード地域を支配していた新デーン人勢力(匈奴・鮮卑・契丹)に対抗するために
アジア系デーン人に対して突厥帝国、欧州系デーン人に対してハザール帝国が建てられたと考えられる
ハザール帝国は、のちのヴァイキング時代にはロシア勢力(スウェード人)と対立
653年 ブルガリア帝国滅亡 ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
ハザール帝国が新デーン人勢力であるブルガリア帝国を滅ぼす
674年〜
678年
イスラム海軍
コンスタンティノープル包囲
イスラム勢力
vsブリテン系デーン人A3
イスラム海軍は「ギリシャの火」により撃退される、史上初の火炎放射器であり、ナフサ使用のせいで
海中に落ちると更に火力が増したという
697年 ヴェネツィア共和国建つ ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
地中海覇権をかけてアテネ、ローマの残党であるブリテン系デーン人Aグループが打ち立てたと考えられる
718年 ビザンツ帝国
イスラム海軍を退ける
ブリテン系デーン人A3
vsイスラム勢力
これ以後、イスラム軍の大規模な侵攻はなくなったという
726年 ビザンツ帝国
聖像破壊運動
ブリテン系デーン人A3
vsノルマン人連合
カトリックとの乖離を深めた
726年 ヴェネツィア共和国
ドージェ承認
ブリテン系デーン人A3 最初のドージェ、オルソ・イパートがビザンツに承認される
730年 ハザール帝国
ユダヤ教に改宗
ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
vsイスラム勢力
突厥帝国から分化した別働隊的なビザンツの中枢が現地の遊牧民を従えて建てた帝国
735年 ウマイヤ朝イスラム帝国
ハザールに侵攻
イスラム勢力
vsブリテン系デーン人A3
741年 西突厥滅亡 ブリテン系デーン人A3
vs西突厥
ブリテン系デーン人Aはトルコ人の代わりにウイグルを支配下に治めた
744年 ウイグル可汗国 ブリテン系デーン人A3 言う事を聞かなくなり分裂したトルコ人に代わり、ウイグル人を支配化に置くことを決めたのではないか
西突厥の中枢がウイグルに移ったことで西突厥は滅亡した可能性がある
745年 東突厥滅亡 ブリテン系デーン人A3
vs東突厥
ブリテン系デーン人Aはトルコ人の代わりにウイグルを支配下に治めた
755年 唐、安史の乱 ブリテン系デーン人A3
vs中国人
突厥からウイグルに乗り換えたブリテン系デーン人Aの中国侵略作戦か
765年 唐、僕固懐恩の反乱 ブリテン系デーン人A3
vs中国人
引き続き、突厥からウイグルに乗り換えたブリテン系デーン人Aの中国侵略作戦か
778年 ウイグル可汗国
頓莫賀達干の政変
ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
新デーン人は古代デーン人の末裔ユダヤ人が作ったマニ教を奪ってソグド人を支配し、
ソグド人によるウイグルの間接支配を画策していたが、ブリテン系デーン人Aがその阻止を試みた
790年 ウイグル可汗国
吐蕃討伐
ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
ウイグルは中央アジアの新デーン人拠点である吐蕃を叩く必要に迫られていたのだろう
790年代 ウイグル可汗国
「マニ教」を国教とする
新デーン人
vsブリテン系デーン人A3
新デーン人はブリテン系デーン人Aによる自分達の排除を阻止、マニ教の国教化を実現させ
ソグド人による間接支配を完成させたのではないか
800年代 東スラヴ民族
ハザール帝国に貢ぐ
(リトアニア公国の前身)
ブリテン系デーン人A3
vs古代デーン人
東スラヴ人はハザール帝国に貢物をしていた、後に東スラヴ人がリトアニア公国を建てるが、貢物をして支配下に
あった以上、彼らの背後にはハザールを支配していたブリテン系デーン人Aの中枢が控えていたと考えてもおかしくない
つまり、ハザールの中枢がハザール滅亡後にリトアニアニ赴き、東スラヴ人を使いリトアニア公国を建てたのだ
ハザールの末裔、アシュケナージはリトアニア・ポーランドを拠点に勢力を拡大したのだろう
803年 ヴェネツィア共和国
事実上の独立
ブリテン系デーン人A3 ビザンツ領でありながら事実上独立していることが確認される
810年 ヴェネツィア共和国
フランク王国が侵攻
フランク人
vsブリテン系デーン人A3
ヴェネツィアがフランク王ピピンを退ける
840年 ウイグル可汗国滅亡
(マジャール人発生)
新デーン人
vsブリテン系デーン人A3
新デーン人の介入によりウイグルが内部から崩壊したのではないか、ブリテン系デーン人Aを擁する中枢は
各地に離散し、亡命政権を建てたり、一部はマジャール人としてハンガリーに侵攻
856年 天山ウイグル王国建つ ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
867年〜
1057年
ビザンツ帝国
マケドニア王朝
ブリテン系デーン人A3
868年〜
905年
トゥールーン朝独立 ブリテン系デーン人A3
vsイスラム勢力
ハザールの中枢勢力下にあったマムルークが建てた王朝、のちにシーア派が反乱を起こし、アッバス朝が
トゥールーン朝を倒した
872年 ビザンツ帝国
「小パオロ派教団」壊滅
ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
8世紀のはじめ、小パオロ派教団はかなりの勢力であったが、ビザンツ帝国との
パティラクスの合戦で徹底的に壊滅させられた、この勢力はドルイド教の残党、デーン勢力だった可能性がある
890年代 甘州ウイグル王国建つ ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
吐蕃に亡命し、河西地方屁の居住を許可されるが、30年後にチベット住民を迫害、征圧される
800年代末 サーマーン朝
マムルークの採用開始
ブリテン系デーン人A3
vsイスラム勢力
サーマーン朝がマムルークの採用を開始したが、マムルークのほとんどはハザールが飼いならした
キプチャク出身であった、そのため、イスラム勢力中枢にブリテン系デーン人Aの勢力が容易に侵入するようになった
896年 マジャール人が
パンノニアに侵入
ブリテン系デーン人A3 ウイグルの中枢を成していた人々がウイグルの人々を従え、パンノニアに侵入、ハンガリーの基礎を築く
900年代前半 モラヴィア王国滅亡 ブリテン系デーン人A3
vsブリテン系デーン人A2
ビザンツの系統であるマジャール人が西ローマの系統であるモラヴィア王国を破壊
944年 ビザンツ帝国
スウェード人襲撃
スウェード人
旧デーン人B2
vsブリテン系デーン人A3
キエフ公国の大公でリューリクの子にあたるイーゴリ一世がコンスタンチノープルを二度も
襲撃して貢納を条件に和を結ぶ、これ以後、ビザンツ帝国はワリアギの支配下にあったと
考えられる
955年 ガズナ朝建つ ブリテン系デーン人A3
vsイスラム勢力
ハザールの中枢勢力下にあったマムルークがサーマーン朝に変わってアフガニスタンを支配
後にサーマーン朝そのものを倒したという
966年 ハザール帝国滅亡
スウェード人襲撃
スウェード人
旧デーン人B2
vsブリテン系デーン人A3
キエフは周辺の領域をも征服、当時最も大きいハザール汗国を撃退、キエフ公国となる
スラヴ人の背後にいた旧デーン人B2とスウェード人は組んでいたのだろう
旧デーン人B2(コリント人)とブリテン系デーン人A(アテネ人、ローマ人)ギリシア時代からの敵同士だった
その後、ハザール人はユダヤ教徒としてロシア、ポーランド、ドイツなどに流入、アシュケナージと呼ばれる
971年 ビザンツ帝国
キエフ大公国が侵攻
スウェード人
旧デーン人B2
vsブリテン系デーン人A3
キエフ軍は「ギリシャの火」により撃退される、史上初の火炎放射器であり、ナフサ使用のせいで
海中に落ちると更に火力が増したという
1000年代 ヴェネツィア共和国
ダルマチア征服
ブリテン系デーン人A3
vs新デーン人
アドリア海制海権を確保した
1000年代 キプチャク攻勢
(ハザールの中枢移転)
ブリテン系デーン人A3 ロシア人(旧デーン人B2・スウェード人)に滅ぼされたハザールの中枢は2手に別れ、キプチャク支配と
リトアニア支配に勢力が分化した
1028年 甘州ウイグル王国滅亡 新デーン人
vsブリテン系デーン人A3
新規新デーン人勢力である西夏が甘州ウイグル王国を破壊
1043年 ビザンツ帝国
キエフ大公国が侵攻
スウェード人
旧デーン人B2
vsブリテン系デーン人A3
再度退けられる
1054年 フォティオスの分離
東西教会の分裂
ブリテン系デーン人A3
vsノルマン人
vs新デーン人
ヴァイキング・デーン(イギリス・フランス・イタリア)とワリアギ(ロシア・ウクライナ・ビザンツ
帝国)による縄張り争いの線引きだといえる、キリスト教徒ノルマン人の仲間割れ
1081年 ビザンツ帝国
イタリア系ノルマン人襲撃
ノルマン人
vsブリテン系デーン人A3
ノルマン人がビザンツ帝国に遠征、十字軍の前夜祭といえるだろう
この時、単独ではビザンツ帝国(ワリアギの領土)にかなわなかったノルマン人が従順な
奴隷であるカトリックのキリスト教徒を使ってビザンツ帝国侵略イスラム圏掠奪を思い
ついたと思われる
1100年代 ハンガリー王国
領域最大に
ブリテン系デーン人A3 アテネの系譜を継ぐビザンツ系(ブリテン系デーン人A3)の一派、突厥、ウイグルと続いた勢力が
マジャール人としてハンガリーを拠点にし、スロバキア、スロヴェニア、クロアチア、トランシルヴァニア
等の地域を支配、大ハンガリー時代を築く
のちに、モンゴルの中枢(藤原氏の血統である日本系諜報機関)、ハザールの中枢が
キプチャクを支配し、ハンガリーに侵入、同化する
1187年 第二次ブルガリア帝国建つ 新デーン人(反逆派)
vsブリテン系デーン人A3
新デーン人(反逆派)がビザンツ帝国内の反乱分子、ブルガリア人を指揮、反乱を演出、
ブルガリア帝国を建設させる、ブルガリア人はもともと5世紀頃からデーン勢力であった
1195年 ヴェネチア共和国
ピサ襲来
英国諜報機関
vsブリテン系デーン人A3
ピサの船隊がヴェネチアの反対勢力であるプーラに到着、反乱を指揮したが
ヴェネチア船隊に平定される
1202年 第四回十字軍 フランス諜報機関
ブリテン系デーン人A3(ヴ)
vsブリテン系デーン人A3(ビ)
vsスウェード人
コンスタンティノポリスを陥落させ、略奪・殺戮の限りを尽くしたため最も悪名の高い十字軍
とも呼ばれる、東ローマ帝国を一旦滅亡させたために、十字軍の当初の目的とは逆に
この地域のキリスト教国家の力を削ぎ、後のオスマントルコ帝国による東ヨーロッパ支配の
伏線となった
1204年 ラテン帝国建つ イタリア系ノルマン人
ロンバルディア人
英国諜報機関
フランス諜報機関
vsブリテン系デーン人A3
vsスウェード人
第四回十字軍がコンスタンチノープルを占領、ラテン帝国を建国、しかし、1261年に奪還
されるロンバルディア人(イタリア系ノルマン人)がギリシャ側を取り、ボードワンはトルコ側
に追いやられた、当時の勢力図が見えてくる、覇者はイタリア系ノルマン人である
1204年以降 エピロス専制公国
ニカイア帝国
トレビゾンド帝国
ブリテン系デーン人A3
vsノルマン人連合
ビザンツ崩壊後に出来た亡命政権国家
1205年 ラテン帝国
アドリアノープルの戦闘
イタリア系ノルマン人
ロンバルディア人
vs英国諜報機関
イタリア系ノルマン人が、フランドル(英国勢力)出身のボードワン皇帝がブルガリア人
(イタリア系ノルマン人勢力)を軽蔑したというウソを捏造、それを口実にブルガリア軍が
侵攻、皇帝を排除、投獄され、ナゾの死を遂げる(イタリア系による謀殺だろう)
1223年 キプチャク勢力圏に
モンゴル軍侵入
ブリテン系デーン人F2
ブリテン系デーン人A3
キプチャクの中枢を担っていたハザール系の人々は同じ祖を持つモンゴル軍と共謀
1230年 ギリシア帝国滅亡 新デーン人(反逆派)
ブリテン系デーン人A3
vsフランス諜報機関
ブルガリアがテサロニカのギリシア帝国を滅ぼす
1236年 ブルガリア・ニカイア同盟 新デーン人(反逆派)
ブリテン系デーン人A3
vsフランス諜報機関
vsイタリア系ノルマン人
vsロンバルディア人
ブルガリアとニカイアが同盟し、コンスタンチノープルを陥落
1237年 キプチャク
モンゴル軍の攻撃を受ける
ブリテン系デーン人F2
ブリテン系デーン人A3
ハザール系の中枢がモンゴル軍と結び、反対派を排除、ロシア、欧州に進撃の準備をする
一部は奴隷としてエジプトに売られたが、中には奴隷を演じた諜報員が潜んでおり、後にマムルーク朝を建てる
1243年 キプチャク汗国建設
(キエフ大公国)
ブリテン系デーン人F2
vsロシア人
ハザール帝国を滅ぼしたロシア人に危惧を抱いていたビザンツの援護と言える
1200年代半ば クン人(キプチャク)
ハンガリー平原に侵入
ブリテン系デーン人F2
ブリテン系デーン人A3(ハ)
vsブリテン系デーン人A3(ウ)
マジャール人が大ハンガリーを築いたのちに、モンゴルの中枢(藤原氏の血統である日本系諜報機関)、
ハザールの中枢がキプチャクを支配し、ハンガリーに侵入、同化する
1258年 セルジュークトルコ滅亡
イル汗国建つ
ブリテン系デーン人F2
vsイスラム勢力
ビザンツのイスラム勢力に対する懸念の払拭といえる
1258年〜
1299年
ヴェネチア共和国
ジェノヴァと衝突
ブリテン系デーン人A3
vsイタリア系ノルマン人
vsロンバルディア人
ヴェネツィアはブリテン系デーン人A勢力としてジェノヴァと地中海覇権をめぐって戦ったが
それが同胞のビザンツに対する牽制ともなった可能性がある
1258年 アッバース朝
イスラム帝国消滅
ブリテン系デーン人F2
vsイスラム勢力
ビザンツのイスラム勢力に対する懸念の払拭といえる
1261年 ビザンツ帝国復活 ブリテン系デーン人A3
ブリテン系デーン人F2
vsノルマン人連合
vs新デーン人(反逆派)
vsイスラム勢力
vsロシア諜報機関
祖を同じくするブリテン系デーン人F2が背後にいるモンゴル軍、新デーン人が背後にいるブルガリア軍
祖を同じくするヴェネツィア軍がビザンツを援護した形になっている
アテネ人と祖(ブリテン系デーン人)を同じくする日本人(藤原氏の末裔)がモンゴル軍を指揮し、
ビザンツの敵を一掃、ビザンツ帝国の返り咲きに手を貸した、またヴェネツィアは地中海覇権をめぐって
ノルマン人連合勢力の一画を排除した
一方では、新デーン人(反逆派)がブルガリア人を指揮し、ノルマン連合と対立しており、
ビザンツ復活に手を貸していたが、モンゴル軍によって排除された
ビザンツ(ブリテン系デーン人Aグループ)は新デーン人の力を欲しなかったのだ
1265年 キプチャク汗国、ノガイ
ブルガリア遠征
ブリテン系デーン人F2
vs新デーン人(反逆派)
当時、ブルガリアはイタリア系ノルマン勢力としてビザンツを攻撃していた、やはり元寇はビザンツ帝国援護の
性格も一方で備えていたといえる
1266年 キプチャク汗国、ベルゲ
ミカエル8世の女と結婚
ブリテン系デーン人F2
ブリテン系デーン人A3
キプチャク汗国のベルゲ・ハーンがビザンチン帝国の王、ミカエル8世の女と結婚した、
つまり双方はお互いをブリテン系デーン人勢力と認識していた
1280年 キプチャク汗国
ブルガリア服属す
ブリテン系デーン人F2
vs新デーン人(反逆派)
当時、ブルガリアは新デーン人(反逆派)勢力としてビザンツを攻撃していた、やはり元寇はビザンツ帝国援護の
性格も一方で備えていたといえる
1310年 ヴェネチア共和国
クーデター発生
ブリテン系デーン人A3
vs英国諜報機関
1335年 ヴェネチア共和国
十人委員会常設
ブリテン系デーン人A3
vs英国諜報機関
1350年〜
1381年
ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争 ブリテン系デーン人F2
vsイタリア系ノルマン人
vsロンバルディア人
ヴェネツィアが勝利
1355年 ヴェネチア共和国
クーデター発生
ブリテン系デーン人A3
vs英国諜報機関
1391年 ビザンツ帝国滅亡 イスラム勢力
vsブリテン系デーン人A3
1453年 オスマントルコ帝国
コンスタンティノープル陥落
イスラム勢力
vsブリテン系デーン人A3
これ以後、ブリテン系デーン人Aの牙城存続はヴェネツィアとアシュケナージに託された
1508年 カンブレー同盟戦争 フランス諜報機関
ハプスブルグ家
vsブリテン系デーン人A3
ヴェネツィアが西欧諸国のほとんどを敵にまわした戦争
1538年 プレヴェザの海戦 イスラム勢力
vsブリテン系デーン人A3
オスマントルコ帝国に敗北
1613年〜
1619年
オーストリアと戦争 ハプスブルグ家
vsブリテン系デーン人A3
1797年 ナポレオンに降伏 ナポレオン・ポナパルト
vsブリテン系デーン人A3

















































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