ブリテン系デーン人Aグループの帝国 U
ビザンツ帝国・ヴェネツィア共和国・ハザール帝国
突厥帝国・ウイグル
◆ブリテン系デーン人(旧デーン人)◆
ギリシア(ブリテン系デーン人Aグループ)
シリア・メソポタミア(ブリテン系デーン人Bグループ)
エジプト(ブリテン系デーン人Cグループ)
アフリカ(ブリテン系デーン人Dグループ)
インド・東南アジア(ブリテン系デーン人Eグループ)
東アジア(ブリテン系デーン人Fグループ)
大西洋岸南北アメリカ(ブリテン系デーン人Gグループ)
ブリテン系デーン人A=(A1/エトルリア人、A2/ローマ帝国、A3/アテネ市、A3a/ビザンツ帝国、
A3b/ヴェネツィア共和国、A3c/ハザール帝国(アシュケナージ)、A3d/突厥帝国、A3e/ウイグル、A3f/宋)
※アテネ人A3系勢力圏(キリキア、マッシリア、コルシカ島、サルディーニャ北部、シチリア東部、ポントス王国、ボスポロス王国)
ブリテン系デーン人B=(B1/フェニキア人・ペリシテ人・ダン族、B2/新アラム人、B3/新ヒッタイト人)
ブリテン系デーン人C=(C1/エジプト王朝、C2/テーベ・アメン神官団)
ブリテン系デーン人D=(ヨルバ人、マダガスカル島)
ブリテン系デーン人E=(セイロン島、インド南部)
ブリテン系デーン人F1=(F1aA/ミャオ族、楚、太平道、黄巾族、呉、南詔、大理国、白蓮教、F1aB/華僑、F1b/邪馬台国、倭寇)
ブリテン系デーン人F2=(F2aA/皇族、F2aB1/奥州藤原氏・全真教、F2aB2/藤原氏、F2bA/関西平氏、F2bB/関東平氏、
F2cA/粛慎・渤海、女真人・満州人、F2cB/モンゴル人、F2cB1/タタール人、F2cB2/オイラート人、F2d/高句麗・高麗人)
ブリテン系デーン人G=(オルメカ人/ユカタン半島)
◆新デーン人◆
新デーン人A1a/スカンジナビア系デーン人(ケルト人、ドルイド教ローマ人奴隷、ダキア人)、新デーン人A1b(キンブリ人、テウトニ人)
新デーン人A2/中央アジア系デーン人(A2a/エフタル・ヒョーン人、マッサゲタイ人、パルティア人、A2b/チャガタイ汗国、オゴタイ汗国、チムール帝国)
新デーン人A3/東アジア系デーン人=匈奴(A3a)、フン族(A3b)、鮮卑(A3c)、柔然(B)、吐藩(C1)、唐/天台宗(C2)、契丹/遼(D1)、西夏(D2)
新デーン人A4/アルバ系デーン人(スコットランド・アイルランド系カトリック・アイオナ修道院、ティオティワカン帝国)
新デーン人B1/ゴート人(西ゴート王国)
新デーン人B2/フランク人(フランク王国、ノーサンブリア王国、イースト・アングリア王国、マーシア王国、
エセックス王国、ウェセックス王国、サセックス王国、神聖ローマ帝国、エデッサ王国、エルサレム王国)
新デーン人B3/ロンバルディア人(北イタリア地方、ラテン帝国、ジェノヴァ共和国)
新デーン人A1a/デーンロー系デーン人(ジュート王国・カンタベリー大司教座・デーンロー)
新デーン人A1c/スウェード人(バルト三国、キエフ公国、ロシア、ウクライナ)
新デーン人A1d/ノルウェー人(アイスランド共和国、グリーンランド、トルテカ人)
新デーン人A5/デンマーク人(デンマーク王国・カルマル同盟)
ノルマン人A1/フランス系ノルマン人(ノルマンディー公国、フランス王国、外ヨルダン領、ゼンギ朝シリア、カスティーリャ王国、レオン王国、スイス連邦)
ノルマン人A2/イングランド系ノルマン人+新デーン人A1aA(ノルマン朝、ピサ共和国、ナバラ王国、アラゴン王国)
ノルマン人A3/イタリア系ノルマン人(シチリア・ナポリ王国、アンチオキア王国、トリポリ王国、ラテン帝国)
新デーン人A1aB/反逆派、後にルター派を創設(アルモラヴィド帝国、アルモハード帝国、モロッコ王国、ガーナ王国、ブルガリア帝国)
年代 |
できごと | 勢力 | 内実 |
---|---|---|---|
395年 | ローマ帝国が東西に分裂 | ブリテン系デーン人A3 vsフランク人 |
東ゴート勢力が東ローマ帝国を、そして、西ローマ帝国は西ゴート勢力とフランク勢力に 二分されていた |
5世紀 | 東ローマ帝国 テオドシウス2世即位 |
ブリテン系デーン人A3 vsフランク人 |
テオドシウス2世は、フランク族出身のバウト将軍の娘を母に持つ |
430年 | 東ローマ帝国 フン族と条約締結 |
ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 |
フン族の勢力は勢いを増したため、テオドシウス2世はフン族と条約を結ばざるを得なくなる 毎年金350ポンドを渡す約束をしたが、上納金の一部はデーンに贈られただろう |
434年 | 東ローマ帝国vsフン族 | ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 |
反デーン系ゲルマン勢力下にあった東ローマ帝国から口実をつけた上で金品横領 |
552年 | 突厥帝国建つ | ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 vs中国人 |
ブリテン系デーン人A勢力は、新デーン人がユーラシアを支配し、匈奴をフン族として欧州に派遣したことに 危惧し、ユーラシア・シルクロード地域を支配していた新デーン人勢力(匈奴・鮮卑・契丹)に対抗するために 柔然の時代に柔然の支配下にあった反体制勢力であるトルコ人を配下に置き柔然に蜂起させ 突厥帝国の基が出来上がったと考えられる、このトルコ人たちはブリテン系デーン人Aのやり方を学び 後に反逆し、独自のオスマントルコ帝国をイスラム圏に建てる |
560年代 | 突厥帝国 エフタルを破る |
ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 |
新デーン人の中央アジア勢力、エフタルを攻略 |
582年 | 突厥帝国、東西に分裂 | ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 vs中国人 |
|
597年 | 東突厥、2勢力に分裂 | 中国人 vsブリテン系デーン人A3 |
啓民可汗が隋に使節を送り、それが都藍可汗の怒りを買い、東突厥は2つに分裂 歩迦可汗が都藍可汗を暗殺し、啓民可汗と対立、挑戦したが吐谷揮に敗走した |
600年代 | ビザンツ帝国 ササン朝ペルシアが侵攻 |
イラン系アーリア人 vsブリテン系デーン人A3 |
ササン朝ペルシアがシリア、エジプトといったビザンツの穀倉地帯を奪う |
610年 | ビザンツ帝国 イスラム帝国が侵攻 |
イスラム勢力 vsブリテン系デーン人A3 |
ビザンツはシリア、エジプトを奪い返すが、またすぐにシリア、エジプト、更に北アフリカさえも イスラム帝国に奪われた |
630年 | 東西突厥帝国 唐の支配下に |
新デーン人 vsブリテン系デーン人A3 |
新デーン人が宗教勢力として唐の一部を支配し、突厥帝国をも支配下に置いた |
635年 | 第一次ブルガリア帝国 突厥帝国から独立 |
新デーン人 vsブリテン系デーン人A3 |
新デーン人が突厥の反体制勢力であるブルガリア人に接触、裏切りを打診、蜂起させたと思われる |
640年代頃 | ハザール帝国分離 | ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 vsスウェード人 |
ユーラシア・シルクロード地域を支配していた新デーン人勢力(匈奴・鮮卑・契丹)に対抗するために アジア系デーン人に対して突厥帝国、欧州系デーン人に対してハザール帝国が建てられたと考えられる ハザール帝国は、のちのヴァイキング時代にはロシア勢力(スウェード人)と対立 |
653年 | ブルガリア帝国滅亡 | ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 |
ハザール帝国が新デーン人勢力であるブルガリア帝国を滅ぼす |
674年〜 678年 |
イスラム海軍 コンスタンティノープル包囲 |
イスラム勢力 vsブリテン系デーン人A3 |
イスラム海軍は「ギリシャの火」により撃退される、史上初の火炎放射器であり、ナフサ使用のせいで 海中に落ちると更に火力が増したという |
697年 | ヴェネツィア共和国建つ | ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 |
地中海覇権をかけてアテネ、ローマの残党であるブリテン系デーン人Aグループが打ち立てたと考えられる |
718年 | ビザンツ帝国 イスラム海軍を退ける |
ブリテン系デーン人A3 vsイスラム勢力 |
これ以後、イスラム軍の大規模な侵攻はなくなったという |
726年 | ビザンツ帝国 聖像破壊運動 |
ブリテン系デーン人A3 vsノルマン人連合 |
カトリックとの乖離を深めた |
726年 | ヴェネツィア共和国 ドージェ承認 |
ブリテン系デーン人A3 | 最初のドージェ、オルソ・イパートがビザンツに承認される |
730年 | ハザール帝国 ユダヤ教に改宗 |
ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 vsイスラム勢力 |
突厥帝国から分化した別働隊的なビザンツの中枢が現地の遊牧民を従えて建てた帝国 |
735年 | ウマイヤ朝イスラム帝国 ハザールに侵攻 |
イスラム勢力 vsブリテン系デーン人A3 |
|
741年 | 西突厥滅亡 | ブリテン系デーン人A3 vs西突厥 |
ブリテン系デーン人Aはトルコ人の代わりにウイグルを支配下に治めた |
744年 | ウイグル可汗国 | ブリテン系デーン人A3 | 言う事を聞かなくなり分裂したトルコ人に代わり、ウイグル人を支配化に置くことを決めたのではないか 西突厥の中枢がウイグルに移ったことで西突厥は滅亡した可能性がある |
745年 | 東突厥滅亡 | ブリテン系デーン人A3 vs東突厥 |
ブリテン系デーン人Aはトルコ人の代わりにウイグルを支配下に治めた |
755年 | 唐、安史の乱 | ブリテン系デーン人A3 vs中国人 |
突厥からウイグルに乗り換えたブリテン系デーン人Aの中国侵略作戦か |
765年 | 唐、僕固懐恩の反乱 | ブリテン系デーン人A3 vs中国人 |
引き続き、突厥からウイグルに乗り換えたブリテン系デーン人Aの中国侵略作戦か |
778年 | ウイグル可汗国 頓莫賀達干の政変 |
ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 |
新デーン人は古代デーン人の末裔ユダヤ人が作ったマニ教を奪ってソグド人を支配し、 ソグド人によるウイグルの間接支配を画策していたが、ブリテン系デーン人Aがその阻止を試みた |
790年 | ウイグル可汗国 吐蕃討伐 |
ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 |
ウイグルは中央アジアの新デーン人拠点である吐蕃を叩く必要に迫られていたのだろう |
790年代 | ウイグル可汗国 「マニ教」を国教とする |
新デーン人 vsブリテン系デーン人A3 |
新デーン人はブリテン系デーン人Aによる自分達の排除を阻止、マニ教の国教化を実現させ ソグド人による間接支配を完成させたのではないか |
800年代 | 東スラヴ民族 ハザール帝国に貢ぐ (リトアニア公国の前身) |
ブリテン系デーン人A3 vs古代デーン人 |
東スラヴ人はハザール帝国に貢物をしていた、後に東スラヴ人がリトアニア公国を建てるが、貢物をして支配下に あった以上、彼らの背後にはハザールを支配していたブリテン系デーン人Aの中枢が控えていたと考えてもおかしくない つまり、ハザールの中枢がハザール滅亡後にリトアニアニ赴き、東スラヴ人を使いリトアニア公国を建てたのだ ハザールの末裔、アシュケナージはリトアニア・ポーランドを拠点に勢力を拡大したのだろう |
803年 | ヴェネツィア共和国 事実上の独立 |
ブリテン系デーン人A3 | ビザンツ領でありながら事実上独立していることが確認される |
810年 | ヴェネツィア共和国 フランク王国が侵攻 |
フランク人 vsブリテン系デーン人A3 |
ヴェネツィアがフランク王ピピンを退ける |
840年 | ウイグル可汗国滅亡 (マジャール人発生) |
新デーン人 vsブリテン系デーン人A3 |
新デーン人の介入によりウイグルが内部から崩壊したのではないか、ブリテン系デーン人Aを擁する中枢は 各地に離散し、亡命政権を建てたり、一部はマジャール人としてハンガリーに侵攻 |
856年 | 天山ウイグル王国建つ | ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 |
|
867年〜 1057年 |
ビザンツ帝国 マケドニア王朝 |
ブリテン系デーン人A3 | |
868年〜 905年 |
トゥールーン朝独立 | ブリテン系デーン人A3 vsイスラム勢力 |
ハザールの中枢勢力下にあったマムルークが建てた王朝、のちにシーア派が反乱を起こし、アッバス朝が トゥールーン朝を倒した |
872年 | ビザンツ帝国 「小パオロ派教団」壊滅 |
ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 |
8世紀のはじめ、小パオロ派教団はかなりの勢力であったが、ビザンツ帝国との パティラクスの合戦で徹底的に壊滅させられた、この勢力はドルイド教の残党、デーン勢力だった可能性がある |
890年代 | 甘州ウイグル王国建つ | ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 |
吐蕃に亡命し、河西地方屁の居住を許可されるが、30年後にチベット住民を迫害、征圧される |
800年代末 | サーマーン朝 マムルークの採用開始 |
ブリテン系デーン人A3 vsイスラム勢力 |
サーマーン朝がマムルークの採用を開始したが、マムルークのほとんどはハザールが飼いならした キプチャク出身であった、そのため、イスラム勢力中枢にブリテン系デーン人Aの勢力が容易に侵入するようになった |
896年 | マジャール人が パンノニアに侵入 |
ブリテン系デーン人A3 | ウイグルの中枢を成していた人々がウイグルの人々を従え、パンノニアに侵入、ハンガリーの基礎を築く |
900年代前半 | モラヴィア王国滅亡 | ブリテン系デーン人A3 vsブリテン系デーン人A2 |
ビザンツの系統であるマジャール人が西ローマの系統であるモラヴィア王国を破壊 |
944年 | ビザンツ帝国 スウェード人襲撃 |
スウェード人 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A3 |
キエフ公国の大公でリューリクの子にあたるイーゴリ一世がコンスタンチノープルを二度も 襲撃して貢納を条件に和を結ぶ、これ以後、ビザンツ帝国はワリアギの支配下にあったと 考えられる |
955年 | ガズナ朝建つ | ブリテン系デーン人A3 vsイスラム勢力 |
ハザールの中枢勢力下にあったマムルークがサーマーン朝に変わってアフガニスタンを支配 後にサーマーン朝そのものを倒したという |
966年 | ハザール帝国滅亡 スウェード人襲撃 |
スウェード人 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A3 |
キエフは周辺の領域をも征服、当時最も大きいハザール汗国を撃退、キエフ公国となる スラヴ人の背後にいた旧デーン人B2とスウェード人は組んでいたのだろう 旧デーン人B2(コリント人)とブリテン系デーン人A(アテネ人、ローマ人)ギリシア時代からの敵同士だった その後、ハザール人はユダヤ教徒としてロシア、ポーランド、ドイツなどに流入、アシュケナージと呼ばれる |
971年 | ビザンツ帝国 キエフ大公国が侵攻 |
スウェード人 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A3 |
キエフ軍は「ギリシャの火」により撃退される、史上初の火炎放射器であり、ナフサ使用のせいで 海中に落ちると更に火力が増したという |
1000年代 | ヴェネツィア共和国 ダルマチア征服 |
ブリテン系デーン人A3 vs新デーン人 |
アドリア海制海権を確保した |
1000年代 | キプチャク攻勢 (ハザールの中枢移転) |
ブリテン系デーン人A3 | ロシア人(旧デーン人B2・スウェード人)に滅ぼされたハザールの中枢は2手に別れ、キプチャク支配と リトアニア支配に勢力が分化した |
1028年 | 甘州ウイグル王国滅亡 | 新デーン人 vsブリテン系デーン人A3 |
新規新デーン人勢力である西夏が甘州ウイグル王国を破壊 |
1043年 | ビザンツ帝国 キエフ大公国が侵攻 |
スウェード人 旧デーン人B2 vsブリテン系デーン人A3 |
再度退けられる |
1054年 | フォティオスの分離 東西教会の分裂 |
ブリテン系デーン人A3 vsノルマン人 vs新デーン人 |
ヴァイキング・デーン(イギリス・フランス・イタリア)とワリアギ(ロシア・ウクライナ・ビザンツ 帝国)による縄張り争いの線引きだといえる、キリスト教徒ノルマン人の仲間割れ |
1081年 | ビザンツ帝国 イタリア系ノルマン人襲撃 |
ノルマン人 vsブリテン系デーン人A3 |
ノルマン人がビザンツ帝国に遠征、十字軍の前夜祭といえるだろう この時、単独ではビザンツ帝国(ワリアギの領土)にかなわなかったノルマン人が従順な 奴隷であるカトリックのキリスト教徒を使ってビザンツ帝国侵略イスラム圏掠奪を思い ついたと思われる |
1100年代 | ハンガリー王国 領域最大に |
ブリテン系デーン人A3 | アテネの系譜を継ぐビザンツ系(ブリテン系デーン人A3)の一派、突厥、ウイグルと続いた勢力が マジャール人としてハンガリーを拠点にし、スロバキア、スロヴェニア、クロアチア、トランシルヴァニア 等の地域を支配、大ハンガリー時代を築く のちに、モンゴルの中枢(藤原氏の血統である日本系諜報機関)、ハザールの中枢が キプチャクを支配し、ハンガリーに侵入、同化する |
1187年 | 第二次ブルガリア帝国建つ | 新デーン人(反逆派) vsブリテン系デーン人A3 |
新デーン人(反逆派)がビザンツ帝国内の反乱分子、ブルガリア人を指揮、反乱を演出、 ブルガリア帝国を建設させる、ブルガリア人はもともと5世紀頃からデーン勢力であった |
1195年 | ヴェネチア共和国 ピサ襲来 |
英国諜報機関 vsブリテン系デーン人A3 |
ピサの船隊がヴェネチアの反対勢力であるプーラに到着、反乱を指揮したが ヴェネチア船隊に平定される |
1202年 | 第四回十字軍 | フランス諜報機関 ブリテン系デーン人A3(ヴ) vsブリテン系デーン人A3(ビ) vsスウェード人 |
コンスタンティノポリスを陥落させ、略奪・殺戮の限りを尽くしたため最も悪名の高い十字軍 とも呼ばれる、東ローマ帝国を一旦滅亡させたために、十字軍の当初の目的とは逆に この地域のキリスト教国家の力を削ぎ、後のオスマントルコ帝国による東ヨーロッパ支配の 伏線となった |
1204年 | ラテン帝国建つ | イタリア系ノルマン人 ロンバルディア人 英国諜報機関 フランス諜報機関 vsブリテン系デーン人A3 vsスウェード人 |
第四回十字軍がコンスタンチノープルを占領、ラテン帝国を建国、しかし、1261年に奪還 されるロンバルディア人(イタリア系ノルマン人)がギリシャ側を取り、ボードワンはトルコ側 に追いやられた、当時の勢力図が見えてくる、覇者はイタリア系ノルマン人である |
1204年以降 | エピロス専制公国 ニカイア帝国 トレビゾンド帝国 |
ブリテン系デーン人A3 vsノルマン人連合 |
ビザンツ崩壊後に出来た亡命政権国家 |
1205年 | ラテン帝国 アドリアノープルの戦闘 |
イタリア系ノルマン人 ロンバルディア人 vs英国諜報機関 |
イタリア系ノルマン人が、フランドル(英国勢力)出身のボードワン皇帝がブルガリア人 (イタリア系ノルマン人勢力)を軽蔑したというウソを捏造、それを口実にブルガリア軍が 侵攻、皇帝を排除、投獄され、ナゾの死を遂げる(イタリア系による謀殺だろう) |
1223年 | キプチャク勢力圏に モンゴル軍侵入 |
ブリテン系デーン人F2 ブリテン系デーン人A3 |
キプチャクの中枢を担っていたハザール系の人々は同じ祖を持つモンゴル軍と共謀 |
1230年 | ギリシア帝国滅亡 | 新デーン人(反逆派) ブリテン系デーン人A3 vsフランス諜報機関 |
ブルガリアがテサロニカのギリシア帝国を滅ぼす |
1236年 | ブルガリア・ニカイア同盟 | 新デーン人(反逆派) ブリテン系デーン人A3 vsフランス諜報機関 vsイタリア系ノルマン人 vsロンバルディア人 |
ブルガリアとニカイアが同盟し、コンスタンチノープルを陥落 |
1237年 | キプチャク モンゴル軍の攻撃を受ける |
ブリテン系デーン人F2 ブリテン系デーン人A3 |
ハザール系の中枢がモンゴル軍と結び、反対派を排除、ロシア、欧州に進撃の準備をする 一部は奴隷としてエジプトに売られたが、中には奴隷を演じた諜報員が潜んでおり、後にマムルーク朝を建てる |
1243年 | キプチャク汗国建設 (キエフ大公国) |
ブリテン系デーン人F2 vsロシア人 |
ハザール帝国を滅ぼしたロシア人に危惧を抱いていたビザンツの援護と言える |
1200年代半ば | クン人(キプチャク) ハンガリー平原に侵入 |
ブリテン系デーン人F2 ブリテン系デーン人A3(ハ) vsブリテン系デーン人A3(ウ) |
マジャール人が大ハンガリーを築いたのちに、モンゴルの中枢(藤原氏の血統である日本系諜報機関)、 ハザールの中枢がキプチャクを支配し、ハンガリーに侵入、同化する |
1258年 | セルジュークトルコ滅亡 イル汗国建つ |
ブリテン系デーン人F2 vsイスラム勢力 |
ビザンツのイスラム勢力に対する懸念の払拭といえる |
1258年〜 1299年 |
ヴェネチア共和国 ジェノヴァと衝突 |
ブリテン系デーン人A3 vsイタリア系ノルマン人 vsロンバルディア人 |
ヴェネツィアはブリテン系デーン人A勢力としてジェノヴァと地中海覇権をめぐって戦ったが それが同胞のビザンツに対する牽制ともなった可能性がある |
1258年 | アッバース朝 イスラム帝国消滅 |
ブリテン系デーン人F2 vsイスラム勢力 |
ビザンツのイスラム勢力に対する懸念の払拭といえる |
1261年 | ビザンツ帝国復活 | ブリテン系デーン人A3 ブリテン系デーン人F2 vsノルマン人連合 vs新デーン人(反逆派) vsイスラム勢力 vsロシア諜報機関 |
祖を同じくするブリテン系デーン人F2が背後にいるモンゴル軍、新デーン人が背後にいるブルガリア軍 祖を同じくするヴェネツィア軍がビザンツを援護した形になっている アテネ人と祖(ブリテン系デーン人)を同じくする日本人(藤原氏の末裔)がモンゴル軍を指揮し、 ビザンツの敵を一掃、ビザンツ帝国の返り咲きに手を貸した、またヴェネツィアは地中海覇権をめぐって ノルマン人連合勢力の一画を排除した 一方では、新デーン人(反逆派)がブルガリア人を指揮し、ノルマン連合と対立しており、 ビザンツ復活に手を貸していたが、モンゴル軍によって排除された ビザンツ(ブリテン系デーン人Aグループ)は新デーン人の力を欲しなかったのだ |
1265年 | キプチャク汗国、ノガイ ブルガリア遠征 |
ブリテン系デーン人F2 vs新デーン人(反逆派) |
当時、ブルガリアはイタリア系ノルマン勢力としてビザンツを攻撃していた、やはり元寇はビザンツ帝国援護の 性格も一方で備えていたといえる |
1266年 | キプチャク汗国、ベルゲ ミカエル8世の女と結婚 |
ブリテン系デーン人F2 ブリテン系デーン人A3 |
キプチャク汗国のベルゲ・ハーンがビザンチン帝国の王、ミカエル8世の女と結婚した、 つまり双方はお互いをブリテン系デーン人勢力と認識していた |
1280年 | キプチャク汗国 ブルガリア服属す |
ブリテン系デーン人F2 vs新デーン人(反逆派) |
当時、ブルガリアは新デーン人(反逆派)勢力としてビザンツを攻撃していた、やはり元寇はビザンツ帝国援護の 性格も一方で備えていたといえる |
1310年 | ヴェネチア共和国 クーデター発生 |
ブリテン系デーン人A3 vs英国諜報機関 |
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1335年 | ヴェネチア共和国 十人委員会常設 |
ブリテン系デーン人A3 vs英国諜報機関 |
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1350年〜 1381年 |
ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争 | ブリテン系デーン人F2 vsイタリア系ノルマン人 vsロンバルディア人 |
ヴェネツィアが勝利 |
1355年 | ヴェネチア共和国 クーデター発生 |
ブリテン系デーン人A3 vs英国諜報機関 |
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1391年 | ビザンツ帝国滅亡 | イスラム勢力 vsブリテン系デーン人A3 |
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1453年 | オスマントルコ帝国 コンスタンティノープル陥落 |
イスラム勢力 vsブリテン系デーン人A3 |
これ以後、ブリテン系デーン人Aの牙城存続はヴェネツィアとアシュケナージに託された |
1508年 | カンブレー同盟戦争 | フランス諜報機関 ハプスブルグ家 vsブリテン系デーン人A3 |
ヴェネツィアが西欧諸国のほとんどを敵にまわした戦争 |
1538年 | プレヴェザの海戦 | イスラム勢力 vsブリテン系デーン人A3 |
オスマントルコ帝国に敗北 |
1613年〜 1619年 |
オーストリアと戦争 | ハプスブルグ家 vsブリテン系デーン人A3 |
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1797年 | ナポレオンに降伏 | ナポレオン・ポナパルト vsブリテン系デーン人A3 |