古代戦争 デーン人vsアーリア人



古代インド亜大陸・イラン高原に於けるデーン人の足跡








◆デーン人基本仮名称◆


3万年前〜BC5000年期 古代デーン人(ZZ系デーン人)
BC5000年〜BC3000年期 大航海時代古代デーン人(ZY系デーン人)
BC2000年〜BC500年期 旧デーン人(YZ系デーン人)
BC1300年〜 第二大航海時代ブリテン系旧デーン人(YY系デーン人)
BC500年〜 スカンジナビア系新デーン人(XZ系デーン人)
AD700年〜 第三大航海時代 ブリテン系新デーン人・ヴァイキング(XY系デーン人)
AD900年〜 ノルマン人(XX系デーン人)




◆古代デーン人◆



第一次大航海時代(北極海ルート)

バルト海・ジーラント・スカンジナビア半島東岸(古代デーン人Z1/旧デーン人の先祖)
スカンジナビア半島西岸北岸・古代フィンランド・古代ロシア地方(古代デーン人Z2)=サーミ人
シベリア(古代デーン人Z3)=エヴェンキ族、ブリヤート族


第二次大航海時代(大西洋ルート)

ブリテン島・アイルランド島(古代デーン人Y1/海の民の先祖)
古代フリース地方(古代デーン人Y2a)
古代バスク地方(古代デーン人Y2b)
古代ルシタニア地方(古代デーン人Y2c)
カナリア諸島(古代デーン人Y3)


第三次大航海時代(大西洋・地中海・紅海・ペルシア湾・インド洋・太平洋ルート)

エーゲ海(古代デーン人Aグループ)=地中海・サルディーニャ島・エーゲ海
エジプト・アフリカ(古代デーン人Bグループ)=エジプト・テーベ・ヌビア・アフリカ大陸・紅海・ベドウィン族
メソポタミア/シュメール人・ヘブライ人(古代デーン人Cグループ)=ペルシア湾・ウバイド人
インド・東南アジア(古代デーン人Dグループ)=カッチ・ハラッパー・マレー半島・セレベス島
東アジア(古代デーン人Eグループ)=日本東北地方・沖縄・朝鮮半島
南北アメリカ(古代デーン人Fグループ)=南北アメリカ大陸


古代デーン人A(サルディーニャ人、シチリア人、クレタ人、ロードス島、キプロス島、キクラデス諸島)
古代デーン人B(B1a/テーベ、B1b/ヌビア、B2/ベドウィン・プント王国、B3/エジプト王朝)
古代デーン人C1(シュメール神官団A/ヘブライ人)=(ユダヤ人/C1a、イスラエル人/C1b)
古代デーン人C2(シュメール神官団B)=(カッシート人/C2a、アッシリア人/C2b)
古代デーン人D(ダーサ人、パニ人、カッチ人、チャンダーラ、デミアル人、ワナ人、ポリネシア人)
古代デーン人E(東北・北海道縄文人、蝦夷・アイヌの先祖)
古代デーン人F(ディネ族/ナバホ族・アパッチ族、イサパ文明、アパラチー族他)


※古代デーン人はピクト人として故国に帰還、新デーン人と対立し、敗北、配下となる





◆旧デーン人◆



旧デーン人がメソポタミアに派遣した支配下勢力第一波(旧デーン人A1/旧アラム人、アッカド人)
第二波(旧デーン人A2/アモリ人「バビロニア帝国」、フルリ人「ミタンニ王国」)

旧デーン人がギリシアに派遣した勢力第一波(イオニア人、アケーア人/旧デーン人A3)
第二波(テッサリア人、エオリア人)
第三波(ドーリス人/旧デーン人B)


・アケーア系デーン人(Aグループ)勢力圏=(テーベ市、アルゴス市/ギリシア、サムニテ王国、カンパニア王国/イタリア南部)


※ギリシア系旧デーン人Bグループ(B1/スパルタ市、B2/コリント市、B3/ポカイア市)


・スパルタ系デーン人(B1)勢力圏=(スパルタ市、クレタ島、ロードス島、リビア、サイス朝エジプト王国)


*コリント系デーン人(B2)の派閥*

コリント・シュラクサ(旧デーン人B2a)
アンチゴノス朝マケドニア(旧デーン人B2b)
セレウコス朝シリア(旧デーン人B2c)
プトレマイオス朝エジプト(旧デーン人B2d)
マウリア朝マガダ(旧デーン人B2e)


旧デーン人がエジプトに派遣した支配下勢力(ヒクソス人/旧デーン人C1)
旧デーン人が東アジアに差し向けた勢力(旧デーン人C2/殷を建設、その後滅亡)

旧デーン人がアーリア人に差し向けた勢力(キンメリア人/D1、スキタイ人/D2)
のちにキンメリア人、スキタイ人のどちらかがネパール地方に赴きカピラバストゥ王国を建設、仏教を作り出した
旧デーン人支配下の中央アジア勢力:エナレエス(占い師)、アラン人、マゴス神官団





◆ブリテン系デーン人(旧デーン人)◆



ギリシア(ブリテン系デーン人Aグループ)
シリア・メソポタミア(ブリテン系デーン人Bグループ)
エジプト(ブリテン系デーン人Cグループ)
アフリカ(ブリテン系デーン人Dグループ)
インド・東南アジア(ブリテン系デーン人Eグループ)
東アジア(ブリテン系デーン人Fグループ)
大西洋岸南北アメリカ(ブリテン系デーン人Gグループ)


ブリテン系デーン人A=(A1/エトルリア人、A2/ローマ帝国、A3/アテネ市、A3a/ビザンツ帝国、
A3b/ヴェネツィア共和国、A3c/ハザール帝国(アシュケナージ)、A3d/突厥帝国、A3e/ウイグル、A3f/宋)
※アテネ人A3系勢力圏(キリキア、マッシリア、コルシカ島、サルディーニャ北部、シチリア東部、ポントス王国、ボスポロス王国)

ブリテン系デーン人B=(B1/フェニキア人・ペリシテ人・ダン族、B2/新アラム人、B3/新ヒッタイト人)
ブリテン系デーン人C=(C1/エジプト王朝、C2/テーベ・アメン神官団)
ブリテン系デーン人D=(ヨルバ人、マダガスカル島)
ブリテン系デーン人E=(セイロン島、インド南部)

ブリテン系デーン人F1=(F1aA/ミャオ族、楚、太平道、黄巾族、呉、南詔、大理国、白蓮教、F1aB/華僑、F1b/邪馬台国、倭寇)
ブリテン系デーン人F2=(F2aA/皇族、F2aB1/奥州藤原氏・全真教、F2aB2/藤原氏、F2bA/関西平氏、F2bB/関東平氏、
F2cA/粛慎・渤海、女真人・満州人、F2cB/モンゴル人、F2cB1/タタール人、F2cB2/オイラート人、F2d/高句麗・高麗人)

ブリテン系デーン人G=(オルメカ人/ユカタン半島)





新デーン人



新デーン人A1a/スカンジナビア系デーン人(ケルト人、ドルイド教ローマ人奴隷、ダキア人)、新デーン人A1b(キンブリ人、テウトニ人)
新デーン人A2/中央アジア系デーン人(A2a/エフタル・ヒョーン人、マッサゲタイ人、パルティア人、A2b/チャガタイ汗国、オゴタイ汗国、チムール帝国)
新デーン人A3/東アジア系デーン人=匈奴(A3a)、フン族(A3b)、鮮卑(A3c)、柔然(B)、吐藩(C1)、唐/天台宗(C2)、契丹/遼(D1)、西夏(D2)
新デーン人A4/アルバ系デーン人(スコットランド・アイルランド系カトリック・アイオナ修道院、ティオティワカン帝国)

新デーン人B1/ゴート人(西ゴート王国)
新デーン人B2/フランク人(フランク王国、ノーサンブリア王国、イースト・アングリア王国、マーシア王国、
エセックス王国、ウェセックス王国、サセックス王国、神聖ローマ帝国、エデッサ王国、エルサレム王国)
新デーン人B3/ロンバルディア人(北イタリア地方、ラテン帝国、ジェノヴァ共和国)

新デーン人A1a/デーンロー系デーン人(ジュート王国・カンタベリー大司教座・デーンロー)
新デーン人A1c/スウェード人(バルト三国、キエフ公国、ロシア、ウクライナ)
新デーン人A1d/ノルウェー人(アイスランド共和国、グリーンランド、トルテカ人)
新デーン人A5/デンマーク人(デンマーク王国・カルマル同盟)

ノルマン人A1/フランス系ノルマン人(ノルマンディー公国、フランス王国、外ヨルダン領、ゼンギ朝シリア、カスティーリャ王国、レオン王国、スイス連邦)
ノルマン人A2/イングランド系ノルマン人+新デーン人A1aA(ノルマン朝、ピサ共和国、ナバラ王国、アラゴン王国)
ノルマン人A3/イタリア系ノルマン人(シチリア・ナポリ王国、アンチオキア王国、トリポリ王国、ラテン帝国)
新デーン人A1aB/反逆派、後にルター派を創設(アルモラヴィド帝国、アルモハード帝国、モロッコ王国、ガーナ王国、ブルガリア帝国)




●中央アジア●


旧デーン人支配下の勢力:キンメリア人、スキタイ人、エナレエス(占い師)、アラン人、エフタル(ヒョーン人)、マゴス神官団



アーリア人は白人ではなかったのではないか、アーリア人は、インド=ヨーロッパ語族とも言われているが、ケルト人と居住地域が隣接していた場合
接触があるたびに単語などは入り込んできたが、実際には文法は全く異なるのではないかと考えられる
デーン人は、もともと隣接地域に暮らしていたアーリア人に対し、ドルイド教布教のために勢力圏にたびたび現れ
BC3000年頃、戦闘も辞さない強制的なデーン人の態度に嫌気が差したアーリア人はデーン人・ケルト人連合と戦い
移住を決意、アーリア人は中央アジアに居を移したものと考えられる
その後、BC1000年頃にギリシア系デーン人が黒海周辺に植民市を築いていたが、ギリシア系デーン人は
現地の遊牧民をドルイド教仕込みの宗教で飼いならし、アーリア人に戦闘を挑んでいたと思われる
マゴス神官団なる組織がメディア王国、ゾロアスター教、ペルシア帝国の乗っ取りを謀ったりもしたがイスラム教のおかげで危機を脱した









年代

できごと 勢力 内実
BC6000年頃 イラン高原、インダス高原の境界
地域で農耕開始
現生人類(インダス)
BC4000年頃 銅の使用・ロクロの使用 現生人類(インダス)
BC3300年頃 古代デーン人大航海時代
(アフリカ周航ルート)
ハラッパー文化期
古代デーン人D
vs現生人類(インダス)
アフリカを周航してインダス川に到達したエラム人がインダスに拠点を築いたと考えられる
BC3200年頃 エラム王国
(原エラム時代)
古代デーン人C
(アフリカ周航ルート)
インダスを拠点にしながらシュメール人と貿易を行い、メソポタミアを知ったエラム人は、メソポタミアに
拠点を築くことを画策、それがエラム王国だった
その後、インダスのことを知ったシュメール人はカッチに入植、拠点としたのではないか
BC3000年頃 古代デーン人大航海時代
カッチ入植
(地中海ルート)
古代デーン人D
vs現生人類(インダス)
シュメール人はインダス河河口にあるカッチ(グジャラート州)に移民、カッチは変わった土地で
乾季になると地続きになり、雨季になると湿地帯が広がり、大陸と切り離されるのだ
シュメール人はそこを拠点にし、ハラッパー、シュメールの住民と貿易を行なった
BC2600年〜
BC2000年
ハラッパー文化、放棄 古代デーン人D
vs古代デーン人D
エラム人(インダス系)の一部は東アジアに向かった可能性がある、それは波状的に行われ
最終的にハラッパーにいた人々は東アジア、またはエラム王国勢力圏(カナン)に散ったのではないか
BC2500年〜
BC1800年
モヘンジョ=ダロ建設 古代デーン人D シュメール人(インダス系)がモヘンジョダロを建てた可能性がある、ここを拠点に本拠地と貿易を
続けていたのではないか
BC2000年頃 アーリア人
中央アジアに移住
アーリア人
BC1800年頃 インダス文明諸都市衰退 古代デーン人D
vs現生人類(インダス)
ハラッパー文化と同様にインダス文明衰退の裏にデーン人の暗躍があったか?推測の域を出ないが
BC1500年頃 アーリア人
西北インドに移住開始
インド系アーリア人
BC1500年頃 「前期ヴェーダ時代」 インド系アーリア人
アーリア人、パンジャブに侵入
ダーサ人に遭遇
インド系アーリア人
vs古代デーン人D
名前の響きからデーン人の可能性がある、デーン人は他の地域ではダヌ、ダナーン、デニエン、エン、
ダーナなどと呼ばれているのだが、とにかく、大航海時代以来、彼らは離島に拠点を置き何度もインドを
来訪している、後のチャンダーラなどの反アーリア人系先住民を検証すれば、デーン人がインダス文明を
破壊し、現地人をドルイド教化していた可能性は否定できない
BC15世紀頃 アーリア人
イラン高原に出現
イラン系アーリア人 チャリオットを駆ってイラン高原に出現した
BC1100年頃 十王戦争
クル王国(十六大国)
インド系アーリア人 インド系アーリア人の部族が古代デーン人の部族とそれぞれ連合し、戦争をした
結果、敵同士だったバーラタ族がプール族と連合、クル王国が建国される
十六大国が勢力を拡大する時期よりも古い時代にガンジス川上流域で一大勢力を築いたという
BC1000年頃 「前期ヴェーダ時代」後半 インド系アーリア人
vs古代デーン人D
「リグ・ヴェーダ」によると先住民の中のパニ人と呼ばれる種族は富裕であるが貪欲でアーリアの神を祀らず
時には家畜を盗むこともあったと言う、このパニ人がインダス文明時代に活躍していた商人の末裔であった
可能性があるという、パニ人はデーン人に支配されていた人々だろうか?パニ人がどういう宗教を
信仰していたか分かれば確実だが… とにかく悪名高さがデーン人を想起させる、しかし想像の域を出ず
BC1000年頃 ガンジス河流域に移動
「後期ヴェーダ時代」
インド系アーリア人
BC1000年頃 コーサラ王国(十六大国) 古代デーン人D
(シュメール人)
インド系アーリア人による王国と考えられる、コーサラ国は十六大国の中でも最も有力な国の1つであり、
マガダとガンジス川流域の覇権を争ったという、それは、旧デーン人勢力であるシャカ族が
コーサラ王国の勢力圏に住んでいたことからも分かる、伝統的なデーン人の戦法である
BC1000年頃 海の民がインド洋に出現
セイロン島に入植
ランカー島ラーヴァナ神のモデル
インド系アーリア人
vsブリテン系デーン人E
ランカー島(セイロン島)に住んでいたラーヴァナ神はデーン人を連想させる、ある程度、史実の寓話化と
いえるのではないか、伝説によるとラーヴァナは征服戦争に乗り出し、インディラ神にも勝利したという
BC9世紀頃 キンメリア人、出陣
ウクライナ平原に出現
旧デーン人
vsイラン系アーリア人
霧深い黒海北岸に住まい、冥界への入り口を守護する人々とされている、とギリシアの文献に記されている
点が幻の種族、キンメリア人とギリシア系デーン人との関係を臭わせるに充分だろう
BC9世紀頃 マガダ王国(十六大国) ブリテン系デーン人E
vs古代デーン人D
もともとは古代デーン人の国だったらしい、そこへインド系アーリア人が侵入、自分達をバラモンと称し
古代デーン人の権力者をクシャトリアと呼び、格下に置いたと考えられる
BC8世紀頃 「バラモン教」 インド系アーリア人
vs古代デーン人D(シュ)
vsブリテン系デーン人E
インド系アーリア人は、古代デーン人がインダス文明時代に到来し、先住民をドルイド教で支配していた
ことを認識していた、古代デーン人が先住民を反体制勢力として使用することを阻止するため、
古代デーン人の力を封印するため、インド系アーリア人賢者が厳しいカースト制を敷いた可能性がある
混血バラモン出現 ブリテン系デーン人E
vsインド系アーリア人
先住民(古代デーン勢力)の中からバラモンと自称する者が出始めた
ガンジスのバラモンは彼らのことをバラモンと自称するに過ぎない者、として蔑視した
BC700年代 ヴァッサ王国(十六大国) イラン系アーリア人 クル王国の分流だという、つまりイラン系アーリア人の国
最終的にアヴァンティ王国に吸収されたという
BC675年 ペルシア王国 イラン系アーリア人
vsブリテン系デーン人B
ブリテン系デーン人Bグループは3手に分かれてそれぞれフェニキア人、アラム人、新ヒッタイト人を影から
支配した、その一派、アラム人に従属していたペルシア人はアラム人に対して蜂起、ペルシア王国を成立
BC672年 第一次メディア王国 旧デーン人(絹道系)
vsイラン系アーリア人
メディア人の族長、フラワルティシュがスキタイ人(旧デーン人)の助力を得て建国
BC660年 「ゾロアスター教」 イラン系アーリア人
vs旧デーン人(絹道系)
BC653年 スキタイ王
アッシリアと同盟
旧デーン人
古代デーン人C2
vsイラン系アーリア人
メディア人の同盟者だったスキタイ人が裏切り、アッシリアと同盟、メディア王国を滅ぼす
BC625年 第二次メディア王国 イラン系アーリア人
vs旧デーン人(絹道系)
フラワルティシュの息子、フヴァ・フシュトラがスキタイ人を駆逐、第二次メディア王国を建てた
フシュトラはやがてイラン高原西北部、メソポタミア平原北部(アッシリア)を支配する大国に成長
更にカスピ海沿岸のイラン高原北部を征圧、小アジア、メソポタミア、イラン高原を支配する広域国家を樹立
BC600年代 シャカの故郷
カピラヴァストゥの語源
迦毘利(カピリ)出現
旧デーン人(絹道系)
vsインド系アーリア人
vs古代デーン人D
vsブリテン系デーン人E
迦毘利(カピリ)、もしくは迦毘羅(カピラ)は釈迦が生まれる以前に存在した仙人であり、現在のヒンドゥー教
サーンキヤ学派(数論外道)の祖とされる人物である、カピリという名は「黄色の頭」の意であり、
その名の通り金髪であったという、彼がデーン人であったのは間違いが無い
オリエント、イラン高原に留まっていた旧デーン人勢力が遂にインド亜大陸に登場
バビロニア帝国を築いたアラム人、ミケーネ文明を建てたアケーア人、ギリシャのスパルタ人、
アレクサンドル大王を育てたコリント人、エジプトを一時期征圧したヒクソス人、シルクロードを開発し
中国で陰陽道を建て、朝鮮、日本をも席巻した旧デーン人勢力の血統だ
BC600年代 アーリア社会最下層
「チャンダーラ」発生
インド系アーリア人
vs古代デーン人D
アーリア人に征服された先住民に由来しているというチャンダーラ、バラモンは彼らをデーン勢力として
懸念していた可能性がある、そのために社会最下層として封じ込める必要があった
チャンダーラはそれとわかる印を身につけて歩くことを強制された、という
そうすることで集団ストーカー(異分子排除)などを防止することが出来たと考えられるし、
チャンダーラの多くは森に起源があった、そこからしてドルイド教を連想させるが、彼らは呪術を持つ者と見ら
れており、古代の文献にはチャンダーラの呪術に関する話がさまざまに語られているという
樹木崇拝(樫木)、蛇神崇拝(蛇の卵)、精霊崇拝(妖精伝説)など、容易にドルイド教が連想される
BC600年代 ガナ・サンガ国の興亡
リッチャヴィ共和国(十六大国)
シューラセーナ共和国(十六大国)
マッラ共和国(十六大国)
旧デーン人(絹道系)
vsイラン系アーリア人
北インドにはマハージャナパタ(大国)と呼ばれる国家郡が割拠し、十六大国と称されていた
それらの国々は、部族共和制(ガナ・サンガ)を執る国と、王制を採る国に大別できた
当時のガナ・サンガ国の代表的存在はリッチャヴィ族の国であったが、彼らは先住農耕民の有力部族であり
クシャトリアを自称していたと言う、彼らはデーン勢力ではないか、なぜなら彼らはドルイド教と同じく、
樹木崇拝、蛇神崇拝を行なっていたからだ
BC600年代 ヒヤオナ人vsゾロアスター 旧デーン人(絹道系)
vsイラン系アーリア人
ヒヤオナ人は、ゾロアスターのスピターマ家と対立した部族、デーン人が影でヒヤオナ人を操り
ゾロアスター教の殲滅、または乗っ取りを企んでいたものと考えられる
スキタイ人の宗教
「エナレエス」
旧デーン人(絹道系)
vsイラン系アーリア人
菩提樹の皮を用い、生殖能力を失って女性化した男性「おとこおんな」が担う占い師であるというが、
アーリア人系の宗教との類似点が見出せないと言う点がドルイド教との関連を匂わせている
BC559年 アケメネス朝ペルシア帝国 イラン系アーリア人
vs旧デーン人(絹道系)
ペルシア帝国はメディア王国であり、メディア王国はペルシア帝国であった
つまり、イラン系アーリア人の国家に変わりはなかった
「マゴス神官団」 旧デーン人(絹道系)
vsイラン系アーリア人
マゴス神官団はメディア王国時代から受け継いだ宗教集団だった、ペルシアには明確な宗教が存在
しなかったためにそのまま引き継いだと言われるが、神官団に取り付くのはデーン人の十八番である
それを裏付けるように、マゴス人の習慣がある、父子相承で記憶する呪文、がそのひとつだが
ドルイド教を容易に連想させるものである
とにかく、デーン勢力と考えられるマゴス人はアーリア人の宗教であるゾロアスター教に執り憑き、汚染して
いた可能性がある、その後にペルシアの賢者がイスラム教を創ったのは英断であった
現代インドのゾロアスター教財閥の多くはマゴス神官団の教義を継承した末裔が創立したものであるという
BC538年 ペルシア帝国
バビロニア王国に侵攻
イラン系アーリア人
vs旧デーン人A2
BC530年 マッサゲタイ族との戦闘 イラン系アーリア人
vs旧デーン人(絹道系)
ペルシア帝国のクル王が中央アジアのマッサゲタイ族の国に侵攻したが、マッサゲタイ人は女王に
率いられて世界初の大帝国の創始者を討ち取った
BC525年 ペルシア帝国
エジプトに侵攻
イラン系アーリア人
vsエジプト系デーン人連合
vsギリシア系デーン人連合
マハーバーラタ戦争以来、約2000年ぶりにアーリア人とデーン人が戦火を交える
BC500〜
479年
ペルシア帝国
ギリシアに侵攻
イラン系アーリア人
vsギリシア系デーン人連合
マハーバーラタ戦争以来、約2000年ぶりにアーリア人とデーン人が戦火を交える
BC6世紀頃 アンガ王国(十六大国) 古代デーン人 ジャイナ教の文献によると、アンガ国の部族はインド系アーリア人であった、しかし「マハーバーラタ」
ダルマ・シャーストラ文献によると、アンガの人々は野蛮人と見なされるムレーッチャの子孫であるとされる
ムレーッチャとは古代デーン人の末裔ではないか?南インドやビルマとの貿易で栄えた、という
BC6世紀頃 カーシー王国(十六大国) インド系アーリア人 BC6世紀頃に古代デーン人系の王国であるマガダから独立し、シャカの登場する時代の直前までは
インドで最強だったという、しかし、再度マガダ王国に吸収された
BC6世紀頃 パンチャーラ王国(十六大国) インド系アーリア人 もともとアーリア系であったが、後に共和制を取るようになったという
その際に、古代デーン人勢力になった可能性がある
マツヤ王国(十六大国) インド系アーリア人
アッサカ王国(十六大国) インド系アーリア人
アヴァンティ王国(十六大国) インド系アーリア人
BC6世紀頃 ガンダーラ王国(十六大国) 古代デーン人D ガンダーラはヴェーダ時代、カブール河岸からインダス河口までをその疆域としていた、その領域は
ペシャワール渓谷として知られている、のちの時代にガンダーラ人はインダス河を越え、パキスタンの
パンジャーブ州北西部をも領土に含めた、ペルシアと中央アジアの重要な交通路であったガンダーラは
国際的な商業都市として繁栄したという
BC6世紀頃 カンボージャ王国(十六大国) 旧デーン人(絹道系) インドの文献にはカンボージャ人は粗暴で野蛮な人々であると伝えられていること、そして
碑文などの記述される際、必ず隣国のガンダーラ王国と併置されていることから、両者には関係があった
と言われているが、ガンダーラは古代デーン人勢力と考えられるので、旧デーン人はいつか乗っ取ろうと
考えていたのだろう、この後、この地方はペルシア、イスラム帝国に侵攻されたが、その時にカンボージャの
旧デーン人勢力は海を渡り、東南アジアに赴き、クメール王朝を建てたと考えられる
BC400年代 新思想家郡「六十二見」 旧デーン人(絹道系)
vsインド系アーリア人
東方の地に興った「非正統派」の宗教運動は正統派(バラモン)の弱点を突き、下層民を加えた大きなうねり
となって展開したという、明らかにインド系アーリア人を追撃したいデーン勢力だろう
BC400年代 「仏教」 旧デーン人(絹道系)
vsインド系アーリア人
旧デーン人がシルクロードを通り、送り込んだ諜報員がシャカに仏教を作らせた
仏教とは欧州の覇者、デーン人によるインド亜大陸征圧、アジア全土征圧だった
この頃に起きたスカンジナビア本土での世代交代により、仏教も旧デーン人から新デーン人に継承された
BC400年代 「六師外道」 旧デーン人(絹道系)
vsインド系アーリア人
ブッダとは相容れない考えを抱く六人の思想家という意味だという、ブッダももともとデーン勢力であったが
ブッダは真の人間の解放を希求していたため、自覚のない反デーン勢力として認知されていたのではないか
六師外道の中にはジャイナ教の開祖、ヴァルダマーナがいた、彼もデーン勢力なのだろう
リッチャヴィ国の滅亡 インド系アーリア人
vs旧デーン人(絹道系)
リッチャヴィ人は大国のマガダ王国と戦って一歩も退かなかったと言う、ブッダ曰く、彼らの強い理由は
しばしば集会を開き多数が集まること、共同して行動すること、伝統的な法を破らず新たな方を
求めないこと、古老を敬い彼らの言葉を聞くこと、一族の女性に強制や暴力を加えないこと、
祠廟を崇め供物を絶やさないこと優れた出家者を迎え入れ保護すること、だという、これらを見ると
ドルイド教との共通点を見出すことができる
BC468年 「ジャイナ教」 旧デーン人(絹道系)
vsインド系アーリア人
ジャイナ教徒は小売商や金融業を営んだ、ジャイナ教徒の商人はインド全域の都市に住み、それぞれの
地の実業界で大きな力を持っているという、印矯の祖と言えるだろうか?
BC350年 ナンダ朝マガダ王国 旧デーン人(絹道系)
vs古代デーン人D
vsインド系アーリア人
マハーパドマは北インドにおけるクシャトリア出身の古い王朝を次々に滅ぼした、恐ろしいシュードラの王
として伝えられている、また、ヴェーダの権威を認めない自由思想家や新宗教家たちを保護したという
これらの記述から、インドに腰を据え、全インドの蹂躙を画策していた旧デーン人がアーリア人との苦闘
の中やっと手に入れた王朝だと考えられる
BC330年 アレクサンドロス大王
ペルシア帝国滅亡
旧デーン人B2グループ
vsイラン系アーリア人
ギリシア系デーン人が二大アーリア人勢力圏に侵入を画策、まずペルシア帝国を滅ぼした
BC326年 アレクサンドロス大王
インダス河を渡る
旧デーン人B2グループ
vsインド系アーリア人
アレクサンドロスやマケドニア人の背後にいた旧デーン人B2グループ(コリント系ドーリス人)は
古代デーン人から聞いたインドの話を耳に挟んでいたものと考えられる
BC322年 マウリヤ朝マガダ王国
(スパルタの中枢移転)
旧デーン人B1
vsインド系アーリア人
アレクサンドロス大王に行軍していた旧デーン人B2グループ(コリント系ドーリス人)が反体制派の下層民を
味方に付け、古来からのインド系デーン人に代わり、全インドを統一、新しく興した王朝だと考えられる
インド統一とは言え、南方は手付かずだったと言うが、古来から古代デーン人の勢力圏なのだろう
マケドニア本国(旧デーン人B2a)、セレウコス朝シリア(旧デーン人B2b)、
プトレマイオス朝エジプト(旧デーン人B2c)、マウリヤ朝マガダ王国(旧デーン人B2d)と仮称する
BC305年 セレウコス軍
マウリヤ朝に侵攻
旧デーン人B2
vs旧デーン人B1
旧デーン人Bグループ同士の勢力争い、最終的にB2dグループがアフガニスタンを入手し、B2bグループは
500頭の象を入手、シリアは後に象部隊を用いて西アジアの覇権をかけたイプソスの戦いに於いて勝利
BC290年 カリンガ王国
(ジャイナ教)
旧デーン人(絹道系) 十六大国のひとつ、チェティ王国の分家をカンボージャの旧デーン人の中枢が支援して
東方に移動する途中で建てた国と考えられる、その根拠は彼らが遠方の国々と交易を行ない強大な
海洋王国として栄えたという点だ
また、彼らはマガダ王国を攻撃し、インド・グリーク朝のギリシャ人軍団を退けている
BC268年 マウリヤ朝マガダ王国
アショーカ王即位
旧デーン人B1
vs旧デーン人B2
アショーカ王は、ジャイナ教を利用する勢力と利害を異にするために仏教に帰依したと考えられる
BC260年 マウリヤ朝マガダ王国
カリンガ国に侵攻
旧デーン人B1
vs旧デーン人(絹道系)
アショーカ王(というかカウティリヤ)は非暴力の政治を行うことを決意する、同時に仏教に帰依した
アテネの民主主義と同様、アショーカの非暴力主義は後の大英帝国、アメリカ合衆国の先駆というべきだ
BC256年 グレコ・バクトリア王国
(スパルタの中枢移転)
旧デーン人B1
vs旧デーン人B2
セレウコス朝(旧デーン人B2bA)に蜂起し、独立したコリント系ギリシア人(旧デーン人B2bB)国家
BC250年 インド・グリーク朝 旧デーン人(絹道系)
vs旧デーン人B1
旧デーン人(スカンジナビア系)がギリシャ人軍団を正統な所有者(旧デーン人B2・コリント人)から
乗っ取ったのだろう、このギリシャ人たちは本家旧デーン人勢力なのだ
インド・グリーク朝が同胞のカリンガ王国に侵攻したこともあったが深刻な戦闘には発展しなかった
BC242年 マウリヤ朝マガダ王国
「ダルマの勅令」
旧デーン人B1
vs旧デーン人勢力
vs古代デーン人勢力
彼は、ダルマをギリシア(旧デーン人勢力圏)、セイロン(古代デーン人勢力圏)に輸出し、勢力圏拡大を
狙った、従来のデーン人の戦法の踏襲だが、仏教はもともと強制性の低い宗教なので、
いかんせん、カウティリヤ(諜報員)の狙いは外れたといっていい
BC230年 サータヴァーハナ帝国 インド系アーリア人
古代デーン人D
vs旧デーン人(絹道系)
vsギリシャ人
vsブリテン系デーン人E
インド系アーリア人が新規のデーン人勢力に対抗するために古代デーン人と提携したと考えられる
非アーリア人であるアーンドラ人は古代デーン人の血統だと考えられるが、彼らは、
インド系アーリア人勢力であるバラモン教を信仰することを申し出、その見返りに帝国建設を要求、
新規デーン人勢力に対抗するためにお互いが妥協したのではないか
BC3世紀頃 サルマタイ人、ウクライナ平原
コーカサス山脈に出現
イラン系アーリア人
vsブリテン系デーン人A
西アジアへ侵攻するよりもローマ帝国北辺を脅かした、主にハンガリー平原でローマ帝国軍と交戦
状況によってはローマ帝国の傭兵にもなったという
BC3世紀頃 「実利論(アルタ・シャーストラ)」
カウティリヤ著
旧デーン人B1
(スパルタの中枢)
デーン人直伝の領土を獲得し維持する方法が記されている、つまり、ドルイドがひた隠しにしてきた秘法だ
2つほどの例が書かれているが、モロにその後のヴァイキングやアメリカ軍が使用してきた戦法である
BC3世紀頃 パルティア人
イラン高原に出現
イラン系アーリア人
vsブリテン系デーン人A
226年〜
651年
ササン朝ペルシア イラン系アーリア人
420年 エフタル出現 新デーン人
vsイラン系アーリア人
エフタル人はヒョーン人とも呼ばれ1000年前にゾロアスターと対立したヒヤオナ人と同一視されているが、
まさかその頃の部族が延々と存続して5世紀に再度、姿を現すはずがない、とは学者の弁
また、ゾロアスター教神官団は、ゾロアスター教根絶のためにいにしえのヒヤオナ人が復活したと考えた
ヒヤオナ人は実際には裏に旧デーン人が陣取っていたものと考えられる
490年 エフタル、ササン朝を属国化
更にインド亜大陸に侵攻
旧デーン人C2
vsイラン系アーリア人
vsインド系アーリア人
アーリア人勢力圏をモノにしたいデーン人の悪意に他ならない、エフタルの意志は新デーン人の意志である
567年 エフタル滅亡 イラン系アーリア人
トルコ人
vs新デーン人
イラン系アーリア人、テュルク人の現生人類連合が新デーン人グループに勝利
651年 ササン朝ペルシア滅亡 イスラム勢力
vsイラン系アーリア人
実際にはペルシアの賢人がオリエント地方保護のためにイスラム教を発明したと考えられる
































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