テンプル騎士団・黒死病 百年戦争とジャンヌ・ダルク
◆デーン人基本仮名称◆
3万年前〜BC5000年期 古代デーン人(ZZ系デーン人)
BC5000年〜BC3000年期 大航海時代古代デーン人(ZY系デーン人)
BC2000年〜BC500年期 旧デーン人(YZ系デーン人)
BC1300年〜 第二大航海時代ブリテン系旧デーン人(YY系デーン人)
BC500年〜 スカンジナビア系新デーン人(XZ系デーン人)
AD700年〜 第三大航海時代 ブリテン系新デーン人・ヴァイキング(XY系デーン人)
AD900年〜 ノルマン人(XX系デーン人)
◆新デーン人◆
新デーン人A1a/スカンジナビア系デーン人(ケルト人、ドルイド教ローマ人奴隷、ダキア人)、新デーン人A1b(キンブリ人、テウトニ人)
新デーン人A2/中央アジア系デーン人(A2a/エフタル・ヒョーン人、マッサゲタイ人、パルティア人、A2b/チャガタイ汗国、オゴタイ汗国、チムール帝国)
新デーン人A3/東アジア系デーン人=匈奴(A3a)、フン族(A3b)、鮮卑(A3c)、柔然(B)、吐藩(C1)、唐/天台宗(C2)、契丹(D1)、西夏(D2)
新デーン人A4/アルバ系デーン人(スコットランド・アイルランド系カトリック・アイオナ修道院、ティオティワカン帝国)
新デーン人B1/ゴート人(西ゴート王国)
新デーン人B2/フランク人(フランク王国、ノーサンブリア王国、イースト・アングリア王国、マーシア王国、
エセックス王国、ウェセックス王国、サセックス王国、神聖ローマ帝国、エデッサ王国、エルサレム王国)
新デーン人B3/ロンバルディア人(北イタリア地方、ラテン帝国、ジェノヴァ共和国)
新デーン人A1a/デーンロー系デーン人(ジュート王国・カンタベリー大司教座・デーンロー)
新デーン人A1c/スウェード人(バルト三国、キエフ公国、ウクライナ)
新デーン人A1d/ノルウェー人(アイスランド共和国、グリーンランド、トルテカ人)
新デーン人A5/デンマーク人(デンマーク王国・カルマル同盟)
ノルマン人A1/フランス系ノルマン人(ノルマンディー公国・クリュニー修道会、外ヨルダン領、ゼンギ朝シリア、カスティーリャ王国、レオン王国、スイス連邦)
ノルマン人A2/イングランド系ノルマン人(ノルマン朝、ピサ共和国、ナバラ王国、アラゴン王国)
ノルマン人A3/イタリア系ノルマン人(シチリア・ナポリ王国、ブルガリア人、アンチオキア王国、トリポリ王国、ラテン帝国)
年代 |
舞台 | できごと | 勢力 | 内実 |
---|---|---|---|---|
824年 | フランク王国 | ナバラ王国建国 | デーン勢力 vsフランク勢力 |
折りしもヴァイキングとしてデーン人がフランク王国を蹂躙していた頃、明らかにデーン人は バスク人を扇動、フランク王国に対する反乱を演出、バスク人は後に英国勢力となる |
844年 | セビーリャ王国 (スペイン) |
ハスタインとビヨルンの遠征 | 対イスラム勢力 | セビリャの城壁を破壊、ヴァイキングが世界制覇の野望を完遂させるためにはイスラム圏 との接触は不可欠だった、この頃ヴァイキングは欧州に於いては連戦連勝であったが イスラム圏に歯が立たなかった、それはおそらくイスラム圏には自分達の利益に貢献する 者(裏切り者、売国奴)がいなかったためだろう |
910年 | アストゥリアス王国 | レオン王国建国 | フランス系ノルマン人 ゴート人 vsイスラム勢力 |
フランス系ノルマン人がゴート人勢力であるアストゥリアス王国を支援 勢力圏が拡大し、レオンに遷都、レオン王国が誕生する |
934年 | カスティーリャ伯領 | カスティーリャ王国統合 | フランス系ノルマン人 ゴート人 vsイスラム勢力 |
レオン王国の最前線がカスティーリャと呼ばれ、各要塞を統合したのがカスティーリャ王国 となった、フランス系ノルマン人に支援され、961年にはレオ王国から独立 |
1035年 | ナバラ王国 | アラゴン王国誕生 | イングランド系ノルマン人 vsイスラム勢力 |
英国勢力であるナバラ王サンチョ3世が領土分割し、庶子ラミロ1世にアラゴン地域を分与した |
1037年 | レオン王国 | カスティーリャ王国と連合 | イングランド系ノルマン人 vsゴート勢力 |
デーン勢力であるナバラ王国の支配下にあったカスティーリャ王国がレオン王国に侵攻 勝利し、レオン王国と連合を組む、イベリア半島に一大英国勢力が誕生したことになる |
1137年 | アラゴン王国 | アラゴン連合王国成立 | イングランド系ノルマン人 イタリア系ノルマン人 vsフランス系ノルマン人 |
イタリア系ノルマン人がシチリア王国を英国勢力と共同統治、フランス系ノルマン人に対抗する 構えを見せ、サルディニア島、アテネも領有、どれも後の英国勢力であるのが興味深い |
1206年 | カスティーリャ王国 レオン王国 |
「ドミニコ修道会」 | 対神聖ローマ帝国勢力 対イングランド系ノルマン人 |
対神聖ローマ帝国(イベリア半島)のために組織されたフランス系ノルマン人勢力 スペインに於けるフランス系ノルマン人勢力強化のため、そして、イングランド系ノルマン人 勢力排除のために設置、異端審問、魔女狩りを開始する、ノルマンディーに於ける 異分子排除システムのコラモール・ド・ハローを深化させたもの |
1230年 | レオン王国 | カスティーリャ王国と連合 | ゴート人 vsイングランド系ノルマン人 |
ゴート勢力であるレオン王国が主導でカスティーリャ王国と連合を組む これでカスティーリャ王国は反英国勢力となった |
1337年 | フランス王国 | エドワード3世の挑戦状送付 | イングランド系ノルマン人 vsフランス系ノルマン人 |
100年戦争は、 |
1338年 | フランス王国 | フランドル諸都市の反乱 | ||
1347〜 1351年 |
欧州諸国 | 黒死病(ペスト流行) | ||
1348年 | 欧州諸国 | 「十字教団」 | ||
1357年 | フランス王国 | ポワティエの戦闘 | ||
1358年 | フランス王国 | ジャックリーの反乱 | イングランド系ノルマン人 vsフランス系ノルマン人 |
|
1371年 | カスティーリャ王国 | ラロシェルの戦闘 | ||
1378年 | イングランド王国 | カトリック教会批判 | イングランド系ノルマン人 vs新デーン人 vsフランス系ノルマン人 |
|
1381年 | イングランド王国 | ワット・タイラーの一揆 | イングランド系ノルマン人 vs新デーン人 vsフランス系ノルマン人 |
|
1385年 | カスティーリャ王国 | アヴィス朝ポルトガル王国 | イングランド系ノルマン人 新デーン人 vsスペイン人 |
|
1403年 | 神聖ローマ帝国 | ヤン・フス、宗教改革を企図 | イングランド系ノルマン人 新デーン人 vs神聖ローマ帝国 |
|
1410年 | ドイツ騎士団領 | グルンヴァルトの戦闘 | ||
1419〜 1434年 |
ボヘミア王国 ポーランド王国 神聖ローマ帝国 |
フス戦争 | イングランド系ノルマン人 新デーン人 vs神聖ローマ帝国 |
|
1431年 | フランス王国 | ジャンヌ・ダルク処刑 | イングランド系ノルマン人 新デーン人 vsフランス系ノルマン人 |
ジャンヌ・ダルクは存在しなかった、単なる情報操作だった、目的はフランス軍の戦意 高揚であり、英国軍の戦意喪失であった、しかし、ジャンヌが存在しないのなら 英国はどうやってジャンヌを逮捕したのか?それは簡単です「捕まえた」とウソをついたのです おもしろいことに、ジャンヌのおかげで戴冠できたはずのシャルル7世はジャンヌ逮捕の報 を聞いても身代金を払いこともせず、解放を要求することもせず、見殺しにしました これが、ジャンヌが存在しなかったという動かぬ証拠です 「英国のヤツラめ、ジャンヌを逮捕しただと?あいつらに、イヤ、英国だけじゃない、この世の 誰にもジャンヌを逮捕できるはずなんか無い、なぜなら、ジャンヌ・ダルクなんて少女は 存在しないのだから、俺達の情報操作、大ウソなんだから… そうだヤツラはジャンヌが 存在しない証拠をつかんだんだ、ウソにはウソを、か… そのくせに身代金なんか要求しや がって、存在しない人質に身代金なんか払えるか!バカにしやがって!」とシャルル7世は 憤慨したことでしょう、一方、ジル・ド・レも「一杯食わせたつもりが逆に一杯食わされたな はははは」と大笑いしたのではないでしょうか |
1440年 | ブルターニュ公国 | ジル・ド・レ処刑 | イングランド系ノルマン人 vs新デーン人 vsフランス系ノルマン人 |
英軍が前年にブルターニュ侵攻に失敗したのが引き金となり、ブルターニュの領主であった ジルドレを風評により少年殺しの変態殺人鬼に仕立て上げ、ジルを怒らせてキリスト教会に 殴りこませ、その狼藉を口実に逮捕、その後、残酷な拷問により証言をでっち上げ、カタチ だけの裁判で有罪とし、処刑・排除、二年後、英軍は改めてブルターニュに侵攻する |