◆何ちゃって歴史観◆
英国諜報機関が世界に残した爪あと
(新世代]帝国)
見ての通り全世界に及んでいる
強い国相手には反体制勢力を育くむ足場としてカルト教団を設立し、革命派を育て、内部から侵食し、
弱い国相手にはあからさまに武力行使し、不平等条約を押し付け、強制的に植民地化する
英国諜報機関(BIG−X)の分家
1338年: フランドル諸都市(英国が世界侵略を開始した創成期から参加、のちにベルギー分家となる)X-FRANDERS14
1357年: ナバラ王国(バスク人が住む小王国、のちに英国勢力であるイエズス会が結成された時にザビエルが分家諜報員として参加)X-NABARA14
1385年: ポルトガル(カスティーリャを仮想敵国として想定した英国はポルトガルに分家を設置、のちの大航海時代には分家が力をつけ、本国に離反するが、制裁を加えられた)X-PORTUGAL14
1385年:エストマレドゥーラ州(スペイン王国の中の英国勢力として設置され、スペイン軍に交じりアメリカ大陸を席巻した)X-SPAIN14
1519年: トラスカラ王国: (対アステカ帝国のために設置、裏切り者のインデイオの巣窟、メキシコ分家の祖)X-MEXICO16
1523年: スウェーデン(対ロシア、デンマークを仮想敵国と想定、諜報員を送り込み分家、分家はスウェーデン本土、のちにノルウェーをいただいた)X-SWEDEN16
1525年: スイス(スイスは神聖ローマ帝国、フランス系カトリックに支配されていたがその支配から解放するために設置)X-SWISS16
1533年: タリャン人(白人をピラコチャと呼び、インカ帝国の王をミスリードした、ペルー分家の祖)X-PERU16
1536年: デンマーク(ルター派が国教となった時点で分家となったがしばらくスウェーデン分家と対立を続けた)X-DENMARK16
1539年: 倭寇(松浦党の倭寇たちは明の海賊商人、英国諜報機関と結び、東アジア制覇に尽力する、華僑や日本分家の祖)X-WAKO16
1567年: トランシルヴァニア(神聖ローマ帝国、ハプスブルグ家に照準を定め、トランシルヴァニアに分家を設置、分家諜報員のバートリ家が離反、制裁を加えられる)X-TRANSILVANIA16
1587年: ポーランド(対ロシア帝国、神聖ローマ帝国牽制のために設置されたがのちに離反、スウェーデン分家に制裁を加えられる)X-POLAND16
1600年: ゴア(セポイや、キリスト教徒から諜報員を選抜、分家、インド分家の諜報員たちはバラモンとも対等に話しができた)X-GOA17
1661年: 台湾(対清帝国、東南アジア勢力、フランス系カトリック勢力、フィリピンのスペイン勢力掃討のために設置された)X-TAIWAN17
1688年: オランダ(分家以後はケンカ無し、分家がオランダ本土とインドネシアをいただいた)X-NETHERLAND17
1724年: ニザム藩王国(対マラータ同盟、シーク教国、マイソール王国、ムガール帝国のために設置、のちにパキスタンとバングラデシュを勝手に独立させる)X-NIZAM18
1740年: モン族(ビルマに於ける英国勢力)X-MON18
1776年: アメリカ(英国諜報機関の精鋭一派が英国本国に離反、勝手に北米植民地を独立させる、20世紀に和解)X-AMERICA18
年代 | 舞台 |
できごと | 勢力 | 歴史上はああ言われているが、じつは… |
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1337年 | フランス王国 | エドワード3世の挑戦状送付 | 対フランス王政 対フランス諜報機関 |
100年戦争は、英国王政、聖ラザロ騎士団 vs フランス王政、カトリック教会、 聖ヨハネ騎士団という感じか |
1338年 | フランス王国 | フランドル諸都市の反乱 | 英国王政 英国諜報機関 神聖ローマ帝国勢力 フランドル諸都市勢力 vsフランス王政 vsフランス諜報機関 |
100年戦争は英国世界制覇の野望の第一段階であった、フランス国内の フランドル諸都市を英国勢力下に置き、フランスに対してフランク王国東西分裂 以来の怨恨をもつ神聖ローマ帝国を引き入れ、戦闘を開始したが、敗北 |
1347年〜 1351年 |
(ヨーロッパ諸国) | 黒死病(ペスト流行) | 英国諜報機関 vs神聖ローマ帝国勢力 vsフランス王政 vsフランス系カトリック教会 vsフランス諜報機関 |
ペストで全滅した町の市民や、惨殺したユダヤ人たちからブン盗った資金を
元手に、英国諜報機関は世界制覇の野望を実行に移すことができたのでは ないか。ペスト流行という事象の裏には欧州に於ける土地(英国勢力の拠点) の確保、仲間の復讐、反対勢力(フランス系ノルマン)の排除、金品強奪 (世界制覇の資金集め)というイングランド系ノルマン人の目的があった |
1348年 | (ヨーロッパ諸国) | 「十字教団」 | 英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
カトリックを乗っ取るために創設された英国勢力の一派だろう 後に多く作られる反体制勢力育成を企図した英国系秘密結社の元型か |
1357年 | フランス王国 | ポワティエの戦い | 対フランス王政 対フランス諜報機関 |
エティエンヌ・マルセルは英国諜報員だったと思われる、この時期、英国はバスク人 の国、小国ナバラ王国に分家を置き、反フランス勢力として育てたが、1357年に ポワティエの戦いに勝利し、フランス王、ジャン二世を捕虜にすると諜報員、 エティエンヌが動き、英国と同盟を結んだナバラ王カルロスニ世をフランス王に 据えようと画策したが失敗 |
1358年 | フランス王国 | ジャックリーの反乱 | 対フランス王政 対フランス諜報機関 |
この一揆も英国諜報機関に扇動された感があるが、失敗している、なぜなら、この 時期の英国諜報員たちはフランス王政を打倒することしか考えていなかったからだ 後年のウィクリフのように、武力ではなく、カトリック教会を排除すればフランスに 勝てるという認識はまだ持っていなかった、ただ、一揆を模し、敵を内部から侵食 しようとする方法は白眉だ、これを起点とし、新規の侵略法「革命」開発に至るのだろう |
1371年 | カスティーリャ王国 | ラロシェルの戦 | 対フランス王政勢力 対フランク系諜報機関 |
英国海軍はカスティーリャ海軍に敗北、彼らは世界制覇の夢はまだ遠いことを悟り、 まずカスティーリャ王国の無力化を試みるカスティーリャ王国に反発している ポルトガル勢力を抱き込み、自分達の手足として操作しカスティーリャ王国を 内部から侵食するのである |
1378年 | イングランド王国 | カトリック教会批判 | イングランド系ノルマン人 vsデーンロー系デーン人 |
学者の肩書きを持つ騎士団員、英国諜報機関の精鋭であるジョン・ウィクリフ (イングランド系ノルマン人勢力)は、力が互角なのに英国がなぜフランスに勝てない のかを分析、結果として、武力が問題なのではなく(もちろん手段としては必要だが) カトリックの影響力から脱することが出来ればフランスに対して勝利を収めること も夢じゃない、ということを悟る |
1381年 | イングランド王国 | ワット・タイラーの一揆 | イングランド系ノルマン人 vsデーンロー系デーン人 |
ウィクリフに心酔していたジョン・ボール神父(イングランド系ノルマン人勢力)が一揆 の精神的指導者だったとされているが、彼はウィクリフ配下の諜報員だろう タイラーら農民軍(イングランド系ノルマン人勢力)はカンタベリ司祭(デーンロー系 デーン人勢力)を惨殺しているが、これがウィクリフが自分の理論を実践してみた あかしと言える、失敗はしたが、のちの英国特有の諜報戦略の基礎を見ることができる |
1385年 | カスティーリヤ王国 | アヴィス朝(ポルトガル) | 対フランス王政勢力 対神聖ローマ帝国勢力 対カスティーリャ勢力 |
この頃、大英帝国はフランスとの100年戦争の真っ只中にあったが、同時に欧州 侵略を模索、カスティーリャ王国の反体制派ポルトガルに目をつけ、支援、 カスティーリャから独立させ、永久同盟を結び、英国諜報機関ポルトガル分家を置く |
1403年 | 神聖ローマ帝国 | フス、宗教改革を企図 | 対神聖ローマ帝国勢力 対フランス系カトリック教会 |
英国諜報機関が諜報員ジョン・フスを神聖ローマ帝国に派遣、あきらかにウィクリフが 手がけたジャックリーの反乱、ワット・タイラーの反乱を改良している、そして、英国 諜報機関の精鋭、トマス・クロムウエルが手がけたその後の宗教改革の前哨戦といえる |
1410年 | ドイツ騎士団領 | グルンヴァルトの戦い | 対ドイツ騎士団 | ポーランド、リトアニア連合軍がドイツ騎士団と戦闘中、ボヘミアから来た7000人の フス派義勇兵がポーランド側についた、フス派は英国諜報機関が、ハンザ同盟、 バルト海覇権がらみで対ドイツ騎士団、対神聖ローマ帝国対ロシア、対デンマーク 対カトリック教会(フランス系ノルマン)勢力を仮想敵国として想定して創造した 組織であり英国諜報機関は、スウェーデンより以前に、ポーランド分家の設立を 画策していたと考えられる |
1419年〜 1434年 |
ホヘミア王国 ポーランド王国 神聖ローマ帝国 |
フス戦争 | 対ボヘミア王国勢力 対ポーランド王国勢力 対神聖ローマ帝国勢力 対フランス系カトリック教会 |
新兵器マスケット銃、戦車と充実した軍事力を背景に十字軍を何度も撃退したが、 1439年に敗北英国による欧州侵略の一環、この失敗をバネに英国の一大陰謀 作戦、宗教改革へと進むことになる |
1431年 | フランス王国 | ジャンヌ・ダルク処刑 | 対フランス諜報機関 | ジャンヌ・ダルクは存在しなかった、単なる情報操作だった、目的はフランス軍の戦意 高揚であり、英国軍の戦意喪失であった、しかし、ジャンヌが存在しないのなら 英国はどうやってジャンヌを逮捕したのか?それは簡単です、「捕まえた」とウソを ついたのです、おもしろいことに、ジャンヌのおかげで戴冠できたシャルル7世は ジャンヌ逮捕の報を聞いても身代金を払うこともせず、解放を要求するコトもせず、 ただ無視しました、これが、ジャンヌが存在しなかったという動かぬ証拠です 「英国のヤツラめ、ジャンヌを逮捕しただと?あいつらに、イヤ、英国だけじゃない、 この世の誰にもジャンヌを逮捕できるはずなんかない、なぜならジャンヌ・ダルク なんて少女は存在しないのだから俺達の情報操作、大ウソなんだから… そうだ ヤツラはジャンヌが存在しない証拠をつかんだんだ、ウソにはウソを、か… その上で身代金なんか要求してきやがって、存在しない人質に身代金なんか 払えるか!俺はバカじゃねえぞ!」とシャルル7世は憤慨したことでしょう、 ジル・ド・レも「一杯食わせたつもりが逆に一杯食わされたな、ははは」と大笑い したのではないでしょうか ※いわゆるプロパガンダの祖 |
1440年 | ブルターニュ公国 | ジル・ド・レ処刑 | 対ブルターニュ勢力 | 英軍が前年にブルターニュ侵攻に失敗したのが引き金となり、ブルターニュの領主で あった、ジル・ド・レを風評により少年殺しの殺人鬼に仕立てあげ、ジルを怒らせて キリスト教会に殴りこませ逮捕、その後、残酷な拷問により証言をでっち上げ、カタチ だけの裁判で有罪として処刑、排除、二年後、英軍は改めてブルターニュに侵攻する |
1463年 | マリーン朝 (モロッコ) |
カサブランカ占領 | 英国諜報機関ポルトガル分家 vsイスラム教勢力 |
英国国内では、権力闘争(薔薇戦争)が起きていたが、ポルトガル分家はせっせと アフリカに進出 |
1471年 | マリーン朝 (モロッコ) |
タンジュール占領 | 英国諜報機関ポルトガル分家 vsイスラム教勢力 |
ポルトガルのアフリカ進出に刺激されたスペイン(ハプスブルグ家勢力)は、 ジパングを目指すことになる |
1481年 | イングランド王国 | チューダー朝 | 対英国内諸勢力 | 英国内の諸勢力を排除し、専制君主権が確立 |
1488年 | サン人 コイコイ人 (南アフリカ共和国) |
喜望峰到達 | ポルトガルが、インド航路の道標を刻んだことによりアラブ商人を介することなく、 インド、東南アジア諸国との貿易が可能になった |
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1490年 | コンゴ王国 | ポルトガル人大布教団 | 英国諜報機関ポルトガル分家 vsコンゴ勢力 |
豊かだったコンゴは奴隷狩りと称して有能な自国民を白人に取られたため、 数百年後に滅亡する |
1494年 | ポルトガル王国 カスティーリャ王国 |
トルデシリャス条約 | 対フランス系カトリック教会 対神聖ローマ帝国勢力 対ハプスブルグ家勢力 |
この条約により、フランスとイギリスが領土獲得の優先権を失ったと言われるが、 実際にはポルトガルの背後には英国がおり、フランスはカトリック教会の背後に いたわけで両者ともじつは、スペインの背後にいたハプスブルグ家、神聖ローマ帝国 勢力と同様、潤っていたと考えられる |
1500年 | (南アメリカ) | ブラジル海岸発見 | 英国諜報機関ポルトガル分家が発見 | |
1500年 | エジプト王国 | イスラム連合艦隊撃破 | 英国諜報機関ポルトガル分家 vsイスラム勢力 |
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1510年 | ヒジャプール王国 (インド) |
ゴア占領 | 英国諜報機関ポルトガル分家 vsインド勢力 |
英国勢力であるポルトガルはキリスト教会を建設、信者を増やし、ゴアをアジアの キリスト教布教の本拠地とする、同時に英国諜報機関ゴア分家が設置される |
1515年 | カスティーリャ王国 | スペイン王国誕生 | ハプスブルグ家勢力 vs英国諜報機関 |
カスティーリャ王国が英国勢力であるアラゴン王国、ナバラ王国を併合、 ハプスブルグ家によって支配され、スペイン王国が誕生 |
1519年 | トラシュカラ王国 (メキシコ) |
コルテス侵攻 | 英国諜報機関 エストマレドゥーラ分家 vsアステカ帝国勢力 |
コルテスはスペイン王国のエストマレドゥーラ州の出身である、同じ州からは南 アメリカを蹂躙した多くのコンキスタドールが輩出されている、有名なピサロもそう だが彼らは英国勢力だろう、なぜならエストマレドゥーラは英国勢力である ポルトガルと隣接しており、ローマ帝国時代には一緒くたにルシタニアと呼ばれ ていた、彼らはスペイン王国の中の英国勢力と言える、ということでコルテスの 戦法がノルマン人特有の伝統的戦法に酷似しているのは当然だろう トラスカラ王国が標的のアステカ帝国と敵対していることを知るとすぐさまトラスカラ 王国の勢力を味方に引き入れ、アステカ帝国攻略の先鋒とした |
1520年 | 神聖ローマ帝国 | 「ルーテル派教会」 | 対フランス系カトリック教会 | 英国諜報機関の諜報員は当時、世界中にいたが、ルターもその精鋭のひとりで あった、英国諜報機関の精鋭トマス・クロムウェルによって与えられた彼の 任務は、神聖ローマ帝国からカトリックを駆逐することであった宗教の布教は、 戦わずして敵に勝つ方法である、英国は、神聖ローマ帝国が欲しかった、しかし 、フランス系カトリックの異分子排除、魔女狩りにより、英国勢力は排除され、 ドイツではルター派が幅をきかすこともなく、代わりにスカンジナビアの国土、 国民保護のため、英国諜報機関スウェーデン分家が採用プロテスタントが 同時期に発生しているのは偶然ではなく、あきらかに英国諜報機関の意志が 背後に隠れているだろう |
1520年 | カルマル同盟 | ストックホルムの血浴 | 対デンマーク勢力 (バルト海覇権) |
デンマークによるスウェーデン有力者の排除、じつは裏に英国諜報機関が暗躍して いた可能性がある、彼らは、デンマーク側を操作してスウェーデン人を虐殺させ、 デンマークを叩き潰す口実をスウェーデンに与えたと考えられる、当時の英国に とってカルマル同盟は脅威だった可能性があるのだ、ノルマン人はデンマーク人 とは先祖が共通だがデンマークを無力化するため、そして、のちのちバルト海の 覇者となるロシアに対抗するために先を見越してスウェーデンに肩入れしたと 考えられる |
1521年 | アステカ帝国 | アステカ帝国滅亡 | 英国諜報機関 エストマレドゥーラ分家 vsアステカ帝国勢力 |
生粋のスペイン人であるベラスケス提督は、コルテスのメキシコ探検を援助したが コルテス自身は英国勢力であるため、メキシコの占領と領有を主張した 尚、アステカ人の人身御供が常識となっているが全てウソであり、インデイオを殺し 過ぎた英国勢力が「生贄の風習を持っているような野蛮人なので惨殺しても仕方ない やつらだったんです」と言い訳しているだけのだ |
1523年 | カルマル同盟 | ヴァーサ王朝 | 対デンマーク勢力 (バルト海覇権) |
英国諜報機関の陰謀により、カルマル同盟は崩壊、英国がデンマークに一矢報いた カタチだが、同時にスウェーデンを独立させたことでロシアに対する牽制にも つながった、もちろん裏に英国諜報機関がいた証拠は無いが、どうも一連の動きは 英国諜報機関によって仕組まれているとしか思えない、のちのち、大英帝国は スウェーデンと良く組んだ点から見ても、スウェーデンとはヴァーサ朝以来の つながりがあると思われる、大北方戦争(スウェーデンvsロシア帝国、デンマーク、 ノルウェー、ポーランド、ザクセン)も実際は、大英帝国vsロシア帝国の代理戦争 だったフシが窺える |
1525年 | スイス連邦 フランス王国 |
「改革派教会」 | 対フランス系カトリック教会 | 英国の諜報員ツヴィングリがフランス系ノルマン人の領土であったスイスから カトリック勢力(フランス系ノルマン)を排除するために設置、だがツヴィングリは フランス諜報員の精鋭カルヴィン一派に暗殺され改革派の権利を奪われる |
1533年 | ローマ教皇領 | 「オラトワール協会」 | 対フランス系カトリック教会 | イエズス会と共に英国勢力によって作られたカトリック修道会と考えられる オラトワールは後のユグノー戦争に於いてカルヴィン派と共に戦っている フランク諜報員であるカルヴィンは英国諜報員のツヴィングリから改革派システムを 奪い、英国勢力とフランス勢力を相手にしながら自身の覇権を主張したが、それは それで英国は、いつでも改革派の乗っ取りが可能なようにオラトワール協会を 接近させたのだろう、オラトワールは後にルソーに集団ストーカー攻撃を加える |
1534年 | イングランド王国 | 「聖公会(英国国教会)」 | イングランド系ノルマン人 vsアルバ系カトリック教会 vsデーンロー系カトリック教会 vsフランス系カトリック教会 |
バチカンの役所に勤務していたこともある英国諜報機関の精鋭、トマス・クロムウェル が企図、200年かけて、ジョン・ウィクリフの念願叶う、これで英国はフランスと 対等になった、またアルバ系、デーンロー系カトリックとも利害を異にすることができた |
1534年 | フランス王国 神聖ローマ帝国 |
「イエズス会」 | イングランド系ノルマン人 vsアルバ系カトリック教会 vsデーンロー系カトリック教会 vsフランス系カトリック教会 |
怪しくも、聖公会が発足した同じ年に設立されています、興味深いですね、これは あきらかに英国諜報機関が作ったローマ・カトリック、フランス系カトリックと利害を異 にする勢力と言っていいだろう、設立メンバーも過去、英国勢力であったナバラ王国と 関係が深いバスク人(ザビエル等)、14世紀以来の英国勢力であるポルトガル王国 の出身者等が関わっている点が興味深いだろう |
1535年 | イングランド王国 | トマス・モア処刑 | 対フランス諜報機関 | カトリックとしての立場から英国王政に批判的であった |
1536年 | フランス王国 スイス連邦 |
「カルヴィン派教会」 「長老派」 「メノナイト」 |
カルヴィン勢力 アルバ系デーン人 vsフランス系カトリック教会 vs英国諜報機関 |
フランス諜報機関の精鋭、カルヴィンがフランス諜報機関を裏切り、自身の利益を 追及するためにツヴィングリが築いた改革派を強奪。フランス王国での自身の覇権 を唱えるためにカトリック勢力(フランス系ノルマン人)排除を慣行するが、かつての 仲間の著しい反撃(ユグノー戦争)に合う。カルヴィン亡き後、カルヴィンの子分たち が目標を変更。14世紀から英国勢力であったフランドル地方を有する ネーデルラントに侵入。新興国、オランダの振興に貢献し、カルヴィンの一派が オランダを影から支配することになる。更にカルヴィンは生前、英国諜報機関に邪険 にされたジョン・ノックスと合流し、反英国勢力(オランダ勢力)長老派教会を スコットランドに設置した。だが、のちに名誉革命によりオランダは英国勢力下に 入り、1707年に改革派も長老派も英国勢力に組み込まれる。 |
1536年 | デンマーク王国 | デンマーク=ノルウェー の宗教改革 |
対デンマーク王国勢力 対フランス系カトリック教会 |
スウェーデンを支配下に置き、デンマーク勢力の弱体化に成功した英国勢力である が英国諜報員であるルターが子分のハンス・タウセン、ペーター・バラディウスを デンマークに派遣、クリスチャン3世を抱きこんでルター派教会を国教とするように 迫るが、フランス系カトリックの反発に合う、その後、めでたく目標は達成したが スウェーデンの下になることを望まないデンマークは反発、何度もスウェーデン分家 と戦闘を演じる |
1536年 | インカ帝国 | マンゴ・インガの反乱 | インカ帝国勢力 vs英国諜報機関 エストマレドゥーラ分家 vsフランス系カトリック教会 vsスペイン軍 |
インカ帝国の帝王、マンゴ・インガが反乱を起こし善戦するが、彼自身がキリスト教徒 であるインディオ女性(カタリナ)と結婚しており、至る所にキリスト教会も建設され 大勢のインディオや兄弟でさえも裏切り者として襲い掛かる中、更に カタリナとの息子、クシ・ユパンギがキリスト教の洗礼を受け、国民にも強要するが、 クシ・ユパンギは異母兄弟のトゥパク・アマルに暗殺される |
1538年 | インカ帝国 | デ・アルマグロ処刑 | 英国諜報機関 エストマレドゥーラ分家 vsスペイン軍勢力 |
インカ侵攻の首領は、英国勢力であるエストマレドゥーラ出身のピサロ兄弟であった が、彼らは、出身地が異なるアルマグロを処刑、利害に相違があるからだ |
1539年 | 明帝国 李氏朝鮮 |
倭寇、活動再開 | 英国諜報機関華僑分家 英国諜報機関倭寇分家 vs明帝国勢力 英s李氏朝鮮勢力 (東アジア覇権) |
50年間、倭寇は明にも朝鮮にも出現せず活動停止状態であったが、ここにきて いきなり倭寇の活動が活発化する、その原因として考えられるのはもちろん白人 との接触だ、英国勢力であるイエズス会が明を訪れたのは1513年であり、日本を 訪れたのは1543年である、ザビエル率いるポルトガル人を日本に導いたのは ヤジロウという薩摩人であったが彼は大陸人にバハンと呼ばれたいわゆる倭寇 であった、またポルトガル船が種子島に漂着した時、明の大物海賊商人である 王直が同乗、彼は後に平戸に永住、倭寇を指揮する |
1540年 | イングランド王国 | トマス・クロムウェル失脚 | 対フランス諜報機関 | フランス諜報機関の構成員であると考えられるトマス・ハワードが宗教改革の大立者 トマス・クロムウェルを排除 |
1543年 | エチオピア帝国 | アダル・トルコ軍を打ち破る | 英国諜報機関ポルトガル分家 エチオピア帝国勢力 vsオスマントルコ帝国勢力 vsイスラム教勢力 |
英国諜報機関ポルトガル分家がエチオピアに接触、加勢 |
1544年 | 李氏朝鮮 | 甲辰蛇梁の倭変 |
英国諜報機関倭寇分家 vs李氏朝鮮勢力 |
釜山浦倭館が1521年に再開されるが英国勢力として再度倭人が朝鮮で 暴動を起こしたことにより、以来、浦所倭館は釜山浦一箇所のみとなる |
1548年 | スペイン王国植民地 | ゴンサロ・ピサロ処刑 | スペイン王政 神聖ローマ帝国勢力 vs英国諜報機関 エストマレドゥーラ分家 |
ピサロが英国勢力であることを裏付ける出来事が起きた、彼はスペイン本国の 意向を無視し、自分の利益を優先、反乱軍を組織したが逮捕、処刑された |
1551年 | スペイン王国 神聖ローマ帝国 ローマ教皇領 |
ラス・カサス執筆活動 | フランス系カトリック教会 vs英国勢力 vsスペイン勢力 vs神聖ローマ帝国勢力 |
フランス系カトリック勢力であるドミニコ会の修道士、ラス・カサスがコンキスタドール 聖アウグスティヌス会という英国勢力、ハプスブルグ家勢力、スペイン軍の強欲を 非難するためにインディオの悲惨な待遇を持ち出す |
1553年 | イングランド王国 | 「ピューリタン(清教徒)」 | 英国旧勢力 vs英国新規勢力 |
メアリ1世が聖公会をカトリックに再統合、それに抵抗するプロテスタントを徹底的に 弾圧、この弾圧を避けるために800人のプロテスタントがジュネーブに亡命 これがピューリタンの興りとされる |
1555年 | モスクワ大公国 | 「モスクワ会社」 「聖アンデレ聖公会教会」 |
対ロシア王政 対ロシア正教会勢力 対ロシア諜報機関 |
しかし英国諜報機関がロシアで聖公会を広めようとした点は、モスクワ会社設立は 一方で正教会排除を企図した宗教改革の一環だったという認識があったという ことだろう、ここからスコプチ、古儀式派、救済同盟、ナロードニキ運動を担った 人材が輩出される。英国は、この頃、既にロシアが大国になるという確証を 持っていたのでしょう、会社を設立し、聖公会の慈善団体まで設け、情報収集に あたっていたと考えられます |
1555年 | 李氏朝鮮 | 倭寇、全羅道襲撃 | 英国諜報機関華僑分家 英国諜報機関倭寇分家 vs李氏朝鮮勢力 |
英国勢力である倭寇が李氏朝鮮を襲撃、倭寇と言っても内訳は明の海賊の方が 多く、日本海賊の他にポルトガル人、マレー人、タイ人の海賊が混ざった国際的 混成団であった、英国はマレー人、タイ人の海賊を手なずけ、日本同様本国を 支配下に置いたものと見られる |
1556年 | ポーランド王国 リトアニア大公国 |
「ユニテリアン主義」 | 対フランス系カトリック教会 対ハプスブルグ家勢力 |
ポーランド、リトアニアに於ける宗教改革、明らかにロシア帝国、神聖ローマ帝国に 照準が定まっている、ポーランドからフランス系カトリックをリトアニアからは リトアニア正教を排除し英国諜報機関の分家を置くために設置 |
1562年 〜98年 |
フランス王国 | ユグノー戦争 | 対フランス系カトリック教会 | フランス諜報機関を裏切ったカルヴィン一派が背後で糸を引いていた改革派教会は 反体制的な貴族も加わり、カトリックの総本山、フランスに於いて大きな勢力となって いたがカトリックがユグノー(改革派教徒)数千人を虐殺、 異分子排除、それはノルマン人が発明した権力維持に不可欠な理念だが、この 理念はノルマン人の子孫、英国諜報機関とフランス諜報機関にしか知られていない |
1567年 | トランシルヴァニア公国 | 「ユニテリアン教団」 | 対フランス系カトリック教会 対ハプスブルグ家勢力 |
トランシルヴァニアに於ける宗教改革、明らかに神聖ローマ帝国に照準が定まって いる、トランシルヴァニアを拠点にハンガリーからフランス系カトリックを排除し、 英国諜報機関の分家を置くために設置、英国諜報機関を裏切り、のちに粛清される バートリ家もユニテリアン信徒だったに違いない |
1567年 | (フィリピン) | 倭寇vsスペイン軍 | 英国諜報機関華僑分家 英国諜報機関倭寇分家 vsスペイン王政 vsハプスブルグ家勢力 vsフランス系カトリック教会 |
「明の海賊、李馬鴻と倭寇、シオコの率いる連合艦隊がスペイン駐屯軍を襲撃駆逐 せんとマニラ湾ロコドシルに上陸、兵力は艦隊62艘、水夫2000人、兵卒2000人 いつのまに、どこで、どうした人達によって準備され編成されたのか分からないが これだけの組織的行動にはそれ相等の準備が必要である」と歴史家が言っているが いつのまに、どこで、どうした人達、って英国勢力に決まってますよ ポルトガル、バスク人は14世紀からの英国勢力であり、イエズス会はポルトガル人 バスク人で構成されているのだが、ザビエルなどは諜報員の精鋭と言えるでしょう 倭寇(九州海賊)、明の海賊商人は日本分家や中国分家の祖なのでしょう |
1570年以降 | スペイン王国 | 海賊活動 | 対ハプスブルグ家勢力 |
西インド諸島のスペイン船や町を襲う海賊活動開始 |
1572年 | インカ帝国 | トゥパク・アマル処刑 | 英国諜報機関 エストマレドゥーラ分家 vsインカ帝国勢力 |
異母兄弟のクシ・ユパンギが英国勢力である聖アウグスチヌス会の宣教師を ビルカバンバに招き入れたが、アマルが反発、宣教師を追放する、その後、 クシ・ユパンキを暗殺、帝王に即位し、スペイン軍に対し反乱を起こすが逮捕、クスコ で処刑され、インカ帝国は滅亡した |
1574年 | (フィリピン) | 倭寇vsスペイン軍 | 英国諜報機関華僑分家 英国諜報機関倭寇分家 vsスペイン王政 vsフランス系カトリック教会 |
日明連合の海賊艦隊がマニラ湾のコレヒドールにてスペイン軍を攻略、スペイン はカトリックだが、彼らは英国勢力であるイエズス会ではなく、フランス系カトリック であるドミニコ会、フランシスコ会の修道士(諜報員)を同乗させていた |
1578年 | 日本 | 宗鱗、日向国侵攻 | 英国諜報機関日本分家 vs日本勢力 |
フロイスらポルトガルの英国勢力は宗鱗に日向国(宮崎県)を占領し、そこに 日本とは異なる法制度により統治される都市を建設し、住民は全員キリシタンに するべきだと指令、つまり、植民地を作れということ |
1580年 | イングランド王国 | 「会衆派教会」 | 対聖公会 | 聖公会を興した英国諜報機関から暖簾分け、英国王政、聖公会を否定し、清教徒 革命を起こし、英国諜報機関の覇権を唱え、ピューリタンを自称した英国諜報機関 の精鋭オリバー・クロムウェルがもともと会衆派であることから、アメリカに渡り 英国諜報機関を裏切った英国諜報機関アメリカ分家の精鋭の多くはここから輩出 されたと考えられる |
1580年 | ポルトガル王国 | イベリア連合 | スペイン・ハプスブルグ勢力 vs英国諜報機関ポルトガル分家 |
スペイン、ハプスブルグ家はポルトガルを押さえればフィリピンでの統治も安泰と 考えたが、ポルトガル、イエズス会、倭寇、華僑の元締めは英国だった…! |
1582年 | (フィリピン) | 倭寇vsスペイン軍 | 英国諜報機関華僑分家 英国諜報機関倭寇分家 vsスペイン王政 vsハプスブルグ家勢力 vsフランス系カトリック教会 |
タイフサと称する日本海賊が北ルソンに上陸、スペイン軍と衝突、歴史家は倭寇の 単独行動として捉えるが、明の海賊と同じく実際には、いわゆる後期倭寇は 英国勢力であった外国の英国諜報機関分家の常として、彼らはキリスト教徒で あり、傭兵でもあったのだ |
1582年 | 日本 | 本能寺の変 | 英国諜報機関日本分家 vs織田信長勢力 |
織田信長と明智光秀は共に英国勢力(キリシタン)であった、英国勢力は信長を支援 したが、信長は最初から天下を取った暁には白人を排除することを決定していた、 だがそれを英国勢力に知られてしまい、英国勢力の意を受けた光秀が信長を討った |
1587年 | ポーランド・リトアニア共和国 | ジグムント3世即位 | 対ロシア帝国勢力 | 英国勢力であるスウェーデン・ヴァーサ朝の家系であるジグムントは当時欧州最大の 王国であったポーランド・リトアニア共和国の王となり、ロシア帝国に何度も侵攻、 モスクワを1610年から2年間占領、英国勢力であるイエズス会の教育を受けた ジグムントのロシア侵攻の本来の目的はイングランド系カトリック布教、全ロシアの カトリック教化であったがイエズス会はイングランド系ノルマン勢力であるため、 それはロシア帝国の英国支配を意味していた |
1588年 | スペイン王国 | アマルダの海戦 | 対ハプスブルグ家勢力(海上権) | 海賊上がりの提督、フランシス・ドレイク指揮のもと、大英帝国艦隊がスペイン無敵 艦隊を撃破、海上権が大英帝国に移る |
1590年 | アユタヤ王朝 | ビルマ軍侵攻 | 英国諜報機関倭寇分家 vsビルマ軍 |
日本兵500人がアユタヤを守るためにアユタヤ軍に加勢したが、英国勢力の 倭寇だろう、つまり、英国の利益に貢献する行為だった |
1592年 | 明帝国 | 万暦の三征(ボハイの乱 文禄・慶長の役、楊応龍の乱) |
英国諜報機関華僑分家 英国諜報機関倭寇分家 vs明帝国勢力 |
タタール人や秀吉自身(キリシタン大名はともかく)が操作されていたかは定かでは ないが明帝国滅亡に照準を絞った英国諜報機関主導の陰謀であるのは間違い が無い、第一、文禄の役に於いて、キリシタン大名や倭寇(九州海賊)の ほとんどが前線に赴いたがそれは彼らの意志ではなく、白人の意志に他ならない また、イエズス会のルイス・フロイスは秀吉が次のように語ったと伝えている 「シナ人が自分に服従するならばその地に留まろうとも占領しようとも思っていない ただシナの各地にキリシタン教会を建て、シナ人がみなキリシタンになるように命じた 後には帰国しよう、また日本の半分ないし大部分をキリシタンとさせよう」 コレは秀吉の意志ではなく英国諜報機関の意志である、フロイス自身の筆に よるものだろう、これほどハッキリ英国諜報機関の基本戦略、宗教を侵略装置として 自覚していることを物語る文章も見つからないだろう、どの国の侵略にもこの文章 に宿る理念が根幹に潜む、イエズス会は倭寇のことを明の海賊に聞いた時から 倭寇(反体制勢力)を使って東アジアを征服することを考えていたのだろう |
1593年 | (フィリピン) | 華人の反乱 | 英国諜報機関華僑分家 vsスペイン勢力 |
モルッカ諸島をオランダから奪取するためにマニラ総督自らが指揮するスペイン艦隊 が海上を南進、その際、潘和五をボスとする反乱が船上で勃発、総督は殺害され 船はベトナムに漂着、1595年、報復としてマニラから5000人の華僑が追放された |
1594年 | 明帝国 | 東林書院再建 | 対明帝国勢力 | 書院とは学校だが、東林書院は儒教の徒でありながらキリスト教宣教師と交流し また、英国勢力、明海賊の末裔、鄭成功が東林書院で学んでいる こともあり、東林書院は俄然、儒教を模した英国勢力育成所だったと考えられる そのため、明政府も、多数ある書院廃止の意向を示し、両者は何年もの間、対立し しかも東林書院の勢力は中国人キリスト教徒の巣窟、南京を本拠地にしていた |
1596年 | エチオピア帝国 | 宗派対立による内戦 | カトリック教会勢力 vsエチオピア正教勢力 |
カトリックvs正教会による内戦が勃発、王族はあらかたカトリックに改宗したが国民が 許さなかったため、正教会の王を指名し、裏でカトリック勢力(英国勢力)が エチオピアを支配した |
1596年 | ポーランド・リトアニア共和国 (ウクライナ) |
「ブレスト合同」 「ウクライナ東方教会」 |
対カルヴィン派勢力 対フランス系カトリック教会 |
フランス諜報機関の一派であるカルヴィン派がウクライナで勢力を持っていたが、 それに異を唱えたイングランド系カトリック勢力、イエズス会が東方教会と結託、 あきらかにロシア帝国に照準が定まっている |
1597年 | 日本 | 26聖人殉教 | 英国系カトリック教会 vsフランス系カトリック教会 |
長崎に於いて磔になった者が26名、これ以降も隠れキリシタンは磔にされたが 面白いことに英国勢力であるイエズス会やフランス系カトリックのドミニコ会、 フランシスコ会は禁教令を利用して相手の弱体化、自身の勢力拡大を謀っていた |
1600年 | ムガール帝国 (インド) |
「イギリス東インド会社」 | 対ムガール帝国勢力 対オランダ諜報機関 |
もうひとつの英国勢力として成長していく |
1601年 | イロコイ連邦 (カナダ) |
ビーバー戦争 | 英国勢力 vsフランス勢力 vsオランダ勢力 |
英国勢力であるイエズス会がイロコイ連邦崩壊を意図し、部族同士をたきつけて 部族抗争を演出、そこにフランス勢力、オランダ勢力が訪れる、英国勢力は照準を フランスに変更、イロコイ連邦にフランスと敵対することを指導し、これが100年 続くビーバー戦争に発展 |
1603年 | (フィリピン) | 華僑虐殺 | スペイン勢力 vs英国諜報機関中国分家 |
黄江という秘密結社のリーダー格が華僑の組織化を謀り、当局に察知され スペイン兵により華僑二万人が虐殺された、これでマニラの華僑は500人に減った が驚くべきことに、数年のうちに一万人台に回復した |
1607年 | 日本 | 奴隷購買者破門令 | 英国諜報機関ポルトガル分家 vs日本人 |
宣教師達がポルトガル奴隷商人に発布した、という演技を慣行 |
1608年 | イングランド王国 | 「清教徒(分離派・非分離派)」 | 英国旧勢力 vs英国新規勢力 |
聖公会と袂を分かったのを分離派といい、もう一方は非分離派と呼ばれた |
1609年 | イングランド王国 | 「バプティスト教会」 | 対聖公会 対会衆派 |
聖公会を起こした英国諜報機関一派から分離、暖簾分け、のちにアメリカ南部で勢力 拡大、アメリカ分家と衝突 |
1609年 | 琉球王国 | 薩摩藩侵攻 | 対明帝国勢力 | キリシタンの多い薩摩藩が英国の意志の下、琉球を併合したのか |
1610年 | アユタヤ王朝 | 日本人の反乱 | 英国諜報機関倭寇分家 vsアユタヤ勢力 |
この当時は大勢の日本人が日本人町を建設、しかし、ソンタムという王が即位した 際、英国勢力であると思われる重臣、プラナイワが処刑されたため日本人が 反乱を起こした |
1611年 | デンマーク王国 | スウェーデン・デンマーク戦争 | 英国諜報機関スウェーデン分家 vsデンマーク勢力 |
英国が、デンマーク、ロシア帝国を仮想敵国とし、バルト海の覇権を奪取する意図の もと、スウェーデン分家を興してから100年もの間、周到に準備し、スウェーデン 分家が本家の指令により、ついにデンマークを攻撃開始 |
1613年 | ロシア帝国 | スウェーデン・ロシア戦争 | 英国諜報機関スウェーデン分家 vsロシア帝国勢力 |
英国が、デンマーク、ロシア帝国を仮想敵国とし、バルト海の覇権を奪取する意図の もと、スウェーデン分家を興してから100年もの間、周到に準備し、スウェーデン 分家が本家の指令により、ついにロシア帝国を攻撃開始 |
1614年 | ハンガリー王国 | エリザベート・バートリ死去 | 対トランシルヴァニア独立勢力 対ハンガリー独立勢力 |
神聖ローマ帝国は、1597年に英国商人退去を命じたが、それが引き金となり、英国 諜報機関はハプスブルグ家打倒のためにハンガリーに着目、反体制派を指揮し、 革命を演出するが、バートリの家系の者は誇り高く、大英帝国の言いなりになるのを 拒否したと考えるコトができる、つまり、あの事件は裏切りの報復なのだ バートリ家の人々は、ハプスブルグ家に反感を抱き、独立を強く希望していたが、 だからといって大英帝国の勢力下に入ることを恥じたのである、それが、この猟奇 事件の企画目的であり、バートリ家の家系が異常なのは近親婚が原因だという 汚名のモトもそこにあるのだろう、第一、エリザベートの事件はあまりに、 ジル・ド・レをハメるために英国諜報機関によって作られた事件に酷似している、 この後、バートリ家の勢力が排除されたことにより、ハンガリーはオスマントルコ 勢力に蹂躙された |
1614年 | 神聖ローマ帝国 | 「薔薇十字団」 | 対ハプスブルグ家勢力 対神聖ローマ帝国勢力 対フランス系カトリック教会 |
大英帝国の野望、欧州攻略の礎を築く画策、首謀者はオカルトファンに有名な クリスチャン・ローゼンクロイツ、彼は欧州、とりわけ神聖ローマ帝国の人民を カトリック、ハプスブルグ家の支配から解放する救世主として英国王家を迎え入れ ようと画策していた |
1615年 | ポルトガル王国植民地 (モルッカ諸島) |
オランダ、モルッカ島占領 | 英国諜報機関ポルトガル分家 vsオランダ諜報機関 |
英国勢力とオランダの勢力争い |
1619年 | オランダ王国植民地 (ジャカルタ) |
福建の華僑を投入 | 英国諜報機関中国分家 vsオランダ諜報機関 |
オランダがジャカルタにバタヴィア城を建設した際、技術者と労務者が福建から送られた |
1620年 | イングランド王国植民地 (北アメリカ) |
メイフラワー号到着 | 英国旧勢力 vs英国新規勢力 |
清教徒分離派がプリマスに上陸、分離派は新規の英国勢力であり、旧来の英国 勢力、または非分離派とは相対していた |
1623年 | オランダ王国植民地 (モルッカ諸島) |
アンボイナ事件 | 対オランダ諜報機関 | この事件により大英帝国は東南アジア、日本から撤退したが、じつは英国諜報機関 による陰謀であった、かいつまんで言えば英国人がオランダ人に虐殺されたという 事件だが、結果として大英帝国はオランダから多額の賠償金をせしめている、が、 被害者が加害者から賠償金をせしめるなんてことは、じつは、強くなければ出来ない ことだ、陰謀に於いては「結果」は、じつは「目的」ということがあるのだ、ところ で、オランダ人に殺された人々の内訳はイギリス人、日本人(倭寇)、ポルトガル人 の3者であったが、倭寇は16世紀、そしてポルトガルは14世紀からの英国勢力である |
1622年 | 明帝国 | 「白蓮教」の乱 | 対明帝国勢力 | もともと中国国内に存在した宗教団体に英国諜報機関がテコ入れ、清における 反体制勢力を教育、援助、失敗 |
1629年 | ムタパ王国 (グレート・ジンバブエ) |
マブラ・ポルトガル同盟軍 | 英国諜報機関ポルトガル分家 vsムタパ勢力 |
ムタパの裏切り者がポルトガルに加勢を要求、ムタパ王国を制圧 |
1629年 | アユタヤ王朝 | 山田長政暗殺 | オランダ諜報機関 vs英国諜報機関倭寇分家 |
オランダ側は日本人が英国勢力であることを認識しており、英国勢力排除を慣行した |
1630年 | イングランド王国植民地 (北アメリカ) |
「マサチューセッツ湾会社」 | 英国旧勢力 vs英国新規勢力 |
清教徒非分離派が聖公会の改革に見切りをつけたという口実を作り、アメリカ侵攻を 決意、彼らは旧勢力の手先として分離派、他の欧州勢力排除を正当化するために 国王から特許状を得て「マサチューセッツ湾会社」を設立 |
1630年 | スペイン王国植民地 (ルソン島) |
徳川幕府ルソン遠征 | 対スペイン軍 | 1597年にも秀吉がルソン遠征を計画したが頓挫、徳川幕府のルソン遠征も計画のみ で頓挫、これらは中央の意志ではなく、英国の意志を宿したキリシタン大名の意志だろう |
1631年 | 明帝国 | 李自成の乱 | 対明帝国勢力 | 黄河支流沿いの山奥出身の李は野蛮であったことから山賊であった可能性がある 彼は野蛮な振る舞いを側近にたしなめられたが、その側近は李を影で操作する 任務を負った英国勢力中国分家の諜報員だろう、李は明を倒し、天下を取るが その天下も40日で終幕、清軍に壊滅させられる |
1632年 | アユタヤ王朝 | 日本人町焼き討ち | オランダ諜報機関 vs英国諜報機関倭寇分家 |
オランダ側は日本人が英国勢力であることを認識しており、英国勢力排除を慣行した |
1637年 | 日本 | 島原の乱 | 対江戸幕府勢力 | もちろん、英国勢力であったイエズス会が企画した反乱だが、現場では倭寇の一大 勢力、松浦党や平戸、天草の海賊の残党、明の海賊、王直の手下などの大物海賊 が島原の乱の準備や指揮、戦闘に関わっていたと見られる 九州は当時から既に大英帝国の領土だったと捉えて良いだろう |
1640年 | ポルトガル王国 | 王政復古戦争 | オランダ諜報機関 vs英国諜報機関 |
オランダ諜報機関がポルトガルを独立させ、対英国諜報機関に備えた オランダ諜報員はポルトガルを押さえればアジアで自由が効くと考えたが、実際には イエズス会の教会はアジアのあちこちにあり、華僑や倭寇も英国勢力だった |
1640年 | 李氏朝鮮 | 倭館の移転要求 | 英国諜報機関倭寇勢力 vs李氏朝鮮勢力 |
「この頃、後金軍(後の清)が朝鮮半島へ南下しているとの噂がしきりでいつここが 戦乱に巻き込まれるか分かりません、ついては以前、日本軍が築城した釜山城を 改築してそこへ倭館を移し兵器を備えるなどしたい」と後金軍侵攻を口実に釜山を 英国勢力の拠点にしたいという英国勢力の狙いが見える |
1649年 | イングランド王国 | チャールズ処刑 | 対英国王政 対英国国教会勢力 |
英国、フランスなど、ヴァイキングが支配系統の基礎を作った国では、貴族(王族、 諸侯)、聖職者、諜報機関が中枢を成しており、ノルマン人を祖とする人々が代々 システムの役職に従事してきたが、ここにきて英国諜報機関の精鋭、 オリバー・クロムウェルが反逆、これ以来王政は演じられるようになった |
1649年 | アイルランド王国 | クロムウェル上陸 | 対フランス系カトリック教会 対フランス諜報機関 |
アイルランド人蜂起の裏にはカトリックの元締めであるフランス諜報機関の存在があった |
1650年 | イングランド王国 | 「クェーカー教会」 | 対聖公会 対会衆派 |
聖公会を起こした英国諜報機関一派から分離、暖簾分けした |
1650年 | スコットランド王国 | クロムウェル侵攻 | 対長老派教会 対オランダ諜報機関 |
スコットランド人蜂起の裏には同じカルヴィン派であるオランダ諜報機関の存在があった |
1650年 | スペイン王国植民地 (メキシコ) |
メキシコ独立闘争 | 対ハプスブルグ家勢力 対フランス系カトリック教会 |
アイルランド人カトリック教徒、ウィリアム・ランボートが独立宣言文をメキシコシティ中 に貼ってまわった、ランポートの望みは、メキシコがスペインの支配を破り、教会と 国家が完全に分離することであった、これは当然ランポートの意志ではなく、 大英帝国の意志であるが失敗、ランポートは処刑される |
1650年 | ヤーリバ朝オマーン | ポルトガル撃破 | 英国諜報機関ポルトガル分家 vsオマーン勢力 |
17世紀はポルトガルとオマーンが各地で抗争を繰り返していた |
1655年 | ポーランド・リトアニア共和国 | 大洪水時代 | 英国諜報機関スウェーデン分家 ロシア諜報機関 vs英国諜報機関ポーランド分家 vs神聖ローマ帝国勢力 vsハプスブルグ家勢力 vsデンマーク王国勢力 vsオランダ諜報機関 vsフランス系カトリック教会 |
ヴァーサ朝の血を引き、イエズス会の教育を受けたジグムント3世は英国諜報機関 ポーランド分家の長ともいえるが大きい権力に目がくらんだのだろう、英国諜報機関 に離反したと推測される、その制裁がスウェーデン王位剥奪だ その後、離反したポーランド分家に徹底した制裁を加えるため、また、ポーランドを 狙うロシア帝国、神聖ローマ帝国、ハプスブルグ家、デンマーク、オランダなどの 反英国勢力を排除するためにスウェーデンがポーランドに侵攻大洪水時代を招くが、 英国諜報機関スウェーデン分家は奪還に失敗、続きは大北方戦争にもつれこむこと になる、大北方戦争に於いてはポーランドはハプスブルグ家の同盟者であり 金羊毛騎士団(フランス勢力)の一員でもあるアウグスト2世に指導されロシア帝国と 共にバルト海に於いてスウェーデンと戦闘を演じる |
17世紀中葉 | トルワ王国 (グレート・ジンバブエ) |
ポルトガルの介入 | 英国諜報機関ポルトガル分家 vsトルワ勢力 |
ポルトガル軍がトルワ王位継承戦争に介入 |
1661年 | 台湾 | 鄭成功、オランダ追放 | 英国諜報機関中国分家 vsオランダ諜報機関 |
明の海賊商人の大物、鄭芝龍と平戸のキリシタン女性、田川松の息子である鄭成功 は英国勢力として台湾からオランダ勢力を排除した、また清の勃興により、東アジア に於ける覇権を目指す英国諜報機関は明帝国から清の勢力に照準を変更、鄭成功 は明を清の侵略から救うとして「反清復明」を提唱したが果たされることは無かった |
1661年 | (フィリピン) | 鄭成功侵攻 | 英国諜報機関中国分家 vsスペイン勢力 |
鄭成功は、台湾をオランダから奪取した手腕を英国諜報機関に買われ、スペインが 支配するフィリピン奪取の使命を与えられた、危険を感じたスペイン側は華僑の 出国を命じるが、スペイン軍はそれに抗議した華僑3000人を殺害(多分水増し) 1686年には華僑のボス、ティカが報復としてスペイン人区長を襲撃、数百人が死亡 |
1665年 | オランダ王国 | 第二次英蘭戦争 | 対オランダ王政 対オランダ諜報機関 |
英国諜報機関が国民の感情を操作し、オランダを憎悪させるために自国にペストを 散布、翌年にはロンドンに火をつけ英国民の戦争感情を鼓舞しようと試みた |
1667年 | ロシア帝国 | 「古儀式派」 | 対ロシア帝政 対ロシア正教会勢力 対ロシア諜報機関 |
ロシア正教建て直し&組織力強化を図ったニーコン主教の改革に異を唱えた団体、 もちろん英国勢力だ |
1670年 | ロシア帝国 | ドン・コサックの反乱 | 対ロシア帝政 対ロシア正教会勢力 対ロシア諜報機関 |
コサックは何度もロシア帝国に於いて反乱を起こしたが英国勢力だったのだろう この乱の主役、スチェパン・ラージンは1661年にソロヴェツキー修道院に 巡礼に行っているが、そこは古儀式派と呼ばれる英国勢力のアジトであった ラージンはそこから帰還して以降、盗賊団の首領となり、ロシアの政治に反発する 農民や貧民を仲間に入れ、総主教や富豪の船を襲撃することで名を上げた そして、1670年に反政府の武装蜂起を公然と開始、だが結果的に捕らえられ処刑 された、前年にペルシアを襲撃しているが、武装蜂起のための資金稼ぎだったの だろう、もちろん、英国諜報機関の指揮の下だ |
1675年 | イングランド王国 | 第二期ベドラム | 対知性、異分子 | ベドラムで精神的拷問の研究が続けられていたのかもしれない その集大成、集団ストーカーは英国で生まれたが、狂人(被害者)は見世物にされ 見物客(加害者)が毎日のように訪れたという |
1678年 | 李氏朝鮮 | 新倭館完成 | 英国諜報機関倭寇分家 vs李氏朝鮮勢力 |
これより200年にわたる日本人町倭館がスタートする、ここを拠点に日本人は英国 勢力として諜報活動を展開、閔妃などの朝鮮側英国勢力を育成する、こうして 見ると英国諜報機関は華僑には東南アジア(オランダ、スペイン)を、倭寇分家に は朝鮮をまかせていたといえる |
1684年 | ムタパ王国 | チャンガミレ軍の反乱 | 英国諜報機関ポルトガル分家 vsチャンガミレ勢力 |
チャンガミレ軍はポルトガル人の交易拠点を順次攻め、ポルトガル商人を追放した |
1688年 | オランダ王国 | 名誉革命 | 対オランダ王政 対オランダ諜報機関 |
オランダの真の支配者は王政とキリスト教を駆使しオランダを支配していたが、 大英帝国に王政を奪われた、つまり、オランダ国民とオランダ国土を奪われた、 世界各地にあった植民地もほぼ自動的に大英帝国のモノとなった、オランダの利権 はすべて英国諜報機関の一派に譲渡、分配された |
17世紀後半 | イングランド王国 | 新・魔女狩り(集団 ストーカーシステム機動) |
対英国人 | 精神的拷問が基調になった集団ストーカーの元型が完成 のちに、分家成立後に輸出、国内の知性(反乱分子)排除のために機能することになる |
18世紀 | イングランド王国 | 「メソジスト教会」 | 対聖公会 対会衆派 |
聖公会を起こした英国諜報機関一派から暖簾分け、のちにアメリカ南部で勢力拡大、 アメリカ分家と衝突 |
18世紀 | オスマントルコ帝国 (サウジアラビア) |
「ワッハーブ派」 | 対オスマントルコ帝国勢力 対スンニ派勢力 対ペルシャ帝国勢力 対シーア派勢力 |
英国諜報機関がスンニ派を模してオスマントルコ帝国勢力排除のために設置、 のちにインドのシーク教徒排除も慣行するが失敗、英国諜報機関サウジ分家が ワッハーブ派を採用 |
18世紀 | フランス王国植民地 (ハイチ) |
「ヴードゥー教」 | 対フランス王政 対フランス系カトリック教会 対フランス諜報機関 |
ハイチに於ける反乱分子(英国勢力)育成、フランス勢力排除のために設置、上層部 は全員キリスト教徒、英国勢力下のフランス革命政府により奴隷は解放されるが、 それはあくまでフランス王国からの解放であるつまり、大英帝国の砂糖の世界最大 の生産地所有という悪意が背後に隠れている |
1700年 | スウェーデン王国 | 大北方戦争 | 対ロシア諜報機関 対ロシア帝国勢力 |
バルト海の覇権、ロシアの封じ込めを目的とした英国諜報機関がスウェーデンの 背後にいた、ロシアはそれに気付いており、英国勢力排除のためにデンマーク、 ノルウェー、ポーランド、ザクセンと組んだ、のちにプロイセンなども連合に 加わる結果スウェーデンは敗北し、英国勢力は排除され、バルト海は ロシア帝国のものとなる |
1701年 | イロコイ連邦 (カナダ) |
偉大なる和平条約 | 英国諜報機関 vsフランス諜報機関 |
弱体化したイロコイ連邦をよそにここから先、英国勢力とフランス勢力のカナダ 植民地争奪戦が開始される |
1703年 | ポルトガル王国 | メシュエン条約 | 対オランダ諜報機関 | 大英帝国との従属関係が成立、実際には、裏にいたオランダ諜報機関を排除し 英国諜報機関が新たにポルトガル分家を創設した |
1717年 | イングランド王国 | 「フリーメイソン」 グランド・ロッジ設立 |
英国諜報機関 vs支配者層 |
フリーメイソンは石器時代に創設された、ストーンサークルを作るための組織として スタート、ドルイドが侵略した地の住民の管理を円滑にするために強制的に巨石を 遠くから運んで組み立てるという無意味なことをさせ、反逆の意志を殺いで来た |
1724年 | ニザム藩王国 (インド) |
大英帝国の同盟 | 英国諜報機関ニザム分家 vsマラータ同盟 vsシーク教国 vsマイソール王国 vsムガール帝国 |
英国諜報機関(イエズス会)がムガール帝国内の反体制勢力に接触、独自の領土を 設けることを条件に同盟を結ぶ、英国諜報機関インド分家の一派 |
1728年 | オヨ王国 (ナイジェリア) |
ダホメ王国服属 | 対ダホメ王国 | オヨ王国とダホメ王国はお互い近隣の集落を襲撃しては捕らえた捕虜を奴隷として 白人に売っていた、この時はオヨ王国がダホメ王国の住民を売っただろう |
1734年〜 1740年) |
13植民地 (アメリカ合衆国) |
「大覚醒」 | 英国諜報機関アメリカ分家 vs英国諜報機関 |
対英国勢力のために団結する必要があったため、アメリカ分家の諜報員が全土に 大覚醒を呼びかけた、団結の他に英国勢力に反対勢力として使用されることを阻止 する目的もあった |
1740年 | タウングー朝ビルマ | モン族の反乱 | 英国諜報機関モン分家 vsタウンギー朝勢力 |
1721年にビルマにキリスト教が訪れ、タウングー朝の反対勢力モン族を指導、 反乱を起こし、ビルマから独立、しかし17年後に再度ビルマに征服され、英国勢力は 排除された |
1745年 | イングランド王国 | ジャコバイトの反乱 | フランス諜報機関 フランス系カトリック教会 vs英国諜報機関 |
フランス諜報機関は同じく反英国的立場をとるオランダ諜報機関と共にイングランド 侵攻を計画、それがアイルランド市民の蜂起、スコットランド市民の蜂起であった、 が、精鋭クロムウェルが見事に両勢力を撃退、しかも同胞のオランダは名誉革命 により英国勢力下に置かれたのだが、ジャコバイトの反乱はフランス諜報機関が フランス系カトリック教徒を動員し、イングランドに仕掛けた独自の陰謀であった、 のちに英国勢力、ジャコバン派がフランス革命をひき起こすが、ジャコバイトと ジャコバン、シャレているようです、同時に英国の強い報復の意志が感じられます |
1765年 | ムガール帝国 (インド) |
カルカッタの黒い穴 | 対ベンガル太守勢力 対フランス諜報機関 |
全インド攻略の礎を築く画策、フランス勢力の排除、英国諜報機関は英国の一般人 を見殺しにし、ベンガルの悪行を本国で吹聴、国民の戦意を向上させた |
1767年 | シャム王国アユタヤ朝 | ビルマ侵攻 | 清帝国勢力 ビルマ勢力 vsフランス系勢力 |
1663年以来、シャムにはフランス系カトリックが根付いており、フランスの勢力下 にあったが、清勢力であるビルマが侵攻、アユタヤ朝は滅びる、その後、英国勢力 である華僑のタクシンがシャム王国トンブリー朝を築く、タクシン王は英国勢力 として、カンボジアやラオスに侵攻する |
1770年 | ロシア帝国 | 「スコプチ」 | 対ロシア帝政 対ロシア正教会勢力 対ロシア諜報機関 |
大英帝国の野望、ロシア攻略の礎を築く画策、スコプチは信者の去勢という世にも 異常な教義をもつカルトである、あまりにマンガぽいが英国諜報機関はロシア人 全員をスコプチに入信させ全員去勢してロシアを壊滅しようとマジメに画策して いたのかもしれない、20年続いた大北方戦争の直後ということもあり、 英国諜報機関がスコプチの裏にいたのはあながちデタラメではないだろう |
1776年 | 13植民地 (アメリカ合衆国) |
アメリカ合衆国独立 | 英国諜報機関 vs英国諜報機関アメリカ分家 |
英国諜報機関の精鋭の一派が大英帝国に離反、自身の領土を確立したと考えること ができる独立宣言起草委員会の面々はみなアメリカ生まれだが、諜報員ならば 偽名は当然だろうし、経歴も当然詐称済みだろう、彼らはもともと貴族階級出身の 英国諜報機関の精鋭だったと考えられる、貴族が自由を叫んでも貧困層の共感は 得られないものだ |
1778年 | フランス王国 | ジャン・ジャック・ルソー死去 | 対知性 | ルソーは英国諜報機関が発明した新魔女狩り、異分子排除システムにより 排除された年、彼の苦闘は「孤独な散歩者の夢想」であきらかになっている |
1782年 | シャム王国トンブリー朝 | チャックリー王朝 | 新英国勢力 vs旧英国勢力 |
アユタヤと華僑の血を引くラーマ1世が、英国勢力でありながら自分の権利を 主張するようになったタクシン王に制裁を加えるため処刑し、チャックリー王朝を築く |
1784年 | バイエルン王国 | 「イルミナティ」 | 英国諜報機関バイエルン分家 vsバイエルン勢力 vs神聖ローマ帝国勢力 vsハプスブルグ家勢力 |
バイエルンを本拠地として神聖ローマ帝国、ハプスブルグ家を追撃するために創設 英国勢力系の陰謀組織はイルミナティだけではないが、なぜかイルミナティだけが 世界中で知られるようになる |
1787年 | フランス王国 | フランス革命 (「ジャコバン・クラブ」) |
対フランス王政 対フランス系カトリック教会 |
英国諜報機関がフランス諜報機関に売国を打診、共同でフランス革命を起こし、 フランスの王政、カトリック利権の無効化を謀る、大英帝国の野望、欧州攻略の 礎を築く画策、ナポレオン排除後、フランスの利権はすべて英国諜報機関の 一派に譲渡、分配された |
1788年 | ポーランド帝国 | ロシア・スウェーデン戦争 | 英国諜報機関スウェーデン分家 vsロシア帝国勢力 |
スウェーデン分家がロシアに敗戦したことにより、英国勢力は、ポーランドをロシア 勢力に完全に奪われるという形になった |
1788年 | 大英帝国植民地 (オーストラリア) |
流刑植民地 | 対アボリジニ | |
1793年 | フランス共和国 | ジロンド派追放 | 対フランス諜報機関 | 英国勢力のひとり、ロベスピエールが全権掌握、公安委員会、保安委員会、革命 裁判所などの機関を通じて恐怖政治を行なう、エベール派、ダントン派など反対派を ギロチン台に送り、粛清、この事象は、当初は共同でフランス支配の道筋を立てよう と約束をしていた英国諜報機関がフランス諜報機関を裏切ったと考えるコトが出来る |
1793年 | フランス共和国 | 第一次対仏同盟結成 | 対フランス諜報機関 | 9月、大英帝国首相、ピットの呼びかけにより、第一次対仏同盟結成、革命派には 革命政府を演じさせたまま、内部から侵食、更に英国軍をフランス国内に送り込み 反英国勢力を直接一網打尽にした、内部と外部から同時に攻撃を仕掛けるという 古代からデーン人の伝統的な戦法だ、また「フランス革命」の裏に大英帝国の 意志は存在しないという全欧州に対するアピールにもなる |
1793年 | フランス共和国 | ナポレオン、トゥーロン奪還 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
フランス諜報員の精鋭であるナポレオンは大英帝国の裏切りを許さず、シッペ返しを 食らわせ、一矢報いたかった |
1794年 | アメリカ合衆国 | ウィスキー謀反 | 対英国諜報機関アメリカ分家 | ウィスキー税引き上げを口実に英国勢力がアメリカの酒造業者を指揮、反乱を演出 背後に英国勢力がいたのを知っていたアメリカ側は独立戦争時よりも多い兵数で鎮圧 |
1794年 | アメリカ合衆国 | 「ベセル教会」 | 対英国諜報機関アメリカ分家 | アメリカ初の黒人メソジスト教会、反米勢力育成のために英国勢力により設立 怪しくも同年、ウイスキー謀反という英国勢力主導の反乱が起きている |
1794年 | フランス共和国 | 「最高存在の祭典」 | 対フランス系カトリック教会 | カトリックに代わる精神支配システムとして試験的に導入、フランス諜報機関の精鋭、 ナポレオンが革命勢力(英国勢力)を排除し、フランス系カトリックの利権を取り戻した と同時に消滅 |
1794年 | フランス共和国 | ロベスピエール処刑 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
恐怖政治、ギロチン時代など、英国諜報機関は急ぎすぎたようだ、フランス諜報機関 による英国勢力の排除 |
1795年 | 李氏朝鮮 | 中国人神父密入国 | 英国諜報機関中国分家 vs李氏朝鮮勢力 |
英国勢力である中国人神父が朝鮮に侵入、処刑される |
1795年 | アメリカ合衆国 | 「信仰復興(リバイバル)」 | 対英国諜報機関アメリカ分家 | リバイバルに於いてはチャールズ・G・フィニーが重要だとされるが彼は英国勢力 だろう、アメリカを追撃するために奴隷制廃止論を展開していた |
1796年 | フランス共和国 | 総裁政府誕生 | フランス諜報機関 vs英国諜報機関 |
カトリックは残されたが、永年西欧を支配したノルマン系の支配系統が一部破壊 され、英国の悪意も排除され、フランス諜報機関による政府が誕生 |
1799年 | フランス帝国 | ナポレオンのクーデター | フランス諜報機関の精鋭 ナポレオン一派 vsフランス諜報機関 |
一諜報員だったナポレオンは舞台裏に戻るのを好まず、仲間の諜報員たちを裏切る この当時、ナポレオンは英国諜報機関、フランス諜報機関に狙われていたと 考えられる、1813年にはナポレオンに抵抗する解放戦線が開始されるが フランス軍内部に於いても英国諜報機関、裏切り者に制裁を加えようと企む フランス諜報機関の悪意が潜んでおり、内部からも蝕まれていく、諜報員は表舞台 に出てはいけないのだ、彼らは見えるようになると無力化するという好例 |
1799年 | オランダ東インド会社 (インドネシア) |
オランダ東インド会社解散 | 英国諜報機関オランダ分家 vsオランダ東インド会社 |
名誉革命により、オランダを影で指揮していた支配者は消滅し、本国は英国勢力下 に置かれたが、オランダ東インド会社の利権だけは独立したまま運営されていた そこへ英国諜報機関オランダ分家が介入し、オランダの旧支配勢力が完全に消滅 |