デーン人地図















ネアンデルタール時代


ぼくはデーン人の祖先をネアンデルタール人だと推測している、つまり彼らはぼくらとは異なる人類である
50万年前、アフリカを出て中東・欧州に根付いた彼らは、現在、デーン人(英米勢力)として、ぼくら現生人類を支配し、糧を得ているが、
彼らは、既に当初から別の人類を支配して糧を得る生活を送っていた可能性がある
彼らは、ピテカントロプスというぼくらとはまた別の異なる人類と生活圏を共有し、支配下に置いていたと考えられるのだ
彼らはピテカントロプスの人々を宗教で支配し、現在のデーン人にも見られる本能、世界支配を胸に世界各地の行脚に同行させた

コーカソイドとは、デーン人のような唯一のネアンデルタールの直系、またアーリア人・中東・北アフリカ人のようにネアンデルタールと現生人類との混血
現ヨーロッパ人のようなデーン人と現生人類との混血、と一言にコーカソイドと言ってもいろいろな要素があると考えられる

世界の4大文明が誕生した裏にはデーン人が関わっていた可能性がある、英米人・現アボリジニの直系の祖であるネアンデルタール人は
エジプト、メソポタミア、インダス、はるばる黄河と、すべての文明発祥の地に出現している(化石が発見されている)
だが、それならなぜネアンデルタール人が辿り着いた最終地点であるオーストラリアでは文明が生まれなかったのだろうか?
それは、彼ら自身では何も作り出せないからだ、彼らが築いてきた文明・帝国はすべて現生人類に作らせてきたものだ
オーストラリアには、寄生して文明を作らせる現生人類は存在しなかったのだ…!







古代デーン人第一次大航海時代


あるとき、デーン人が支配していた現生人類が船を開発した、
この新しい道具を見たデーン人は自身の征服本能に火がついたのを覚え、大航海時代を開始、爆発的に世界進出が進んだ発端になったと考えられる
古代デーン人は第一次大航海時代にバルト海を探検、更に北上し、北極海ルートを開発、シベリアを周航、日本にまで達した
バルト海ルートでは、現地に残ったデーン人はフィン人、スラヴ人となり、スカンジアビア北部に残ったデーン人はサーミ人となった
北極海ルートでは、オビ川を遡り、中央アジアにアンドロノヴォ文化を築き、エニセイ川・レナ川などを遡り、奥地に侵入
神官・シャーマンとして、現地で生活していたモンゴロイドを支配
混血を繰り返し、太平洋に出て、北海道に達し、アイヌ人となった可能性がある







古代デーン人第二次大航海時代


古代デーン人は、大西洋に出て、それまで個人単位でブリテン島に赴き、村落を作っていたが
ここにきて、デーン人が組織的にブリテン島に進出、ブリトン人(ブリテン系デーン人)の祖となった
その後、後代になって英国諜報機関の一部を成す、フリース、ブルターニュ、バスク、ルシタニアの地域を勢力圏として獲得した







古代デーン人第三次大航海時代


古代デーン人は、地中海ルート・アフリカ周航ルートに分化、一方はシュメール人となり、一方はエラム人となった
シュメール人はインドで留まったが、エラム人はその後も台湾を領有し、現地人と共に太平洋に乗り出し、ポリネシア人の祖となった
また、彼らは東アジアをも席巻し、長江勢力と蝦夷勢力の2つの大きな勢力を残した
更に、ほとんど蝦夷となった航海部隊は、アリューシャン列島を周航、アラスカに到達、ディネ族としてナバホ族、アパッチ族を生み出した







古代デーン人第三次大航海時代


数千年かけた古代デーン人は、ピクト人として故郷に帰還、だが、その時は既に新デーン人がスカンジナビアを支配し、
ブリトン人がブリテン島を支配していたため、スコットランドに赴き、ダーナ神族の傭兵として収まった
マヤの話をしたピクト人はダーナ神族と共に、ブリトン人の支配下にあったマヤに侵攻、ティオティワカン帝国を建てる







旧デーン人の侵攻ルート


旧デーン人は基本的に陸路で各地に赴いたが、欧州・中東・アジアにそれぞれ拠点を置き、部隊を派遣していた
その3つの拠点がダルダニア・クルド人地域・バクトリアだった、後代にはウクライナがキンメリア人・スキタイ人の拠点となった
ダルダニアからはミケーネ文明を作ったアケーア人(akaダナーン人・ミケーネ人)、スパルタ人・コリントス人(akaコリント人)の祖であるドーリス人(akaドーリア人)
クルド人地域からは、アッカド帝国を建てたアッカド人、バビロン帝国を建てたアムル人(akaアモリ人)
バクトリア地域からは、東方に出撃した大月氏、インドに進出し、カンボージャ・リッチャヴィ国家・仏教・ジャイナ教を建てた人々が出た
後にスパルタ人・コリントス人が力をつけ、スパルタ人は北アフリカ=インド=中央アジアに、コリントス人は中央アジア=欧州=ロシアに広大な勢力圏を打ち立てる







ブリテン系デーン人大航海時代 地中海ルート

ブリテン系デーン人大航海時代 アフリカ周航ルート



ブリテン系デーン人は海の民としてオリエントに侵攻、この時、事前に諜報員がオリエントの状況を調査し、ヒッタイトの脅威など、本丸に連絡していたのだろう
彼らはその上で作戦を練り、陰謀を張ったおかげでヒッタイト帝国を滅亡させることが出来た
つまり、宗教を用い、ヒッタイト勢力内に反体制勢力を育て、蜂起を演出したのだ
これには旧デーン人系のアケーア人(ミケーネ人)も加担した、しかし、それにもかかわらずこの海の民は、同盟者であったはずのアケーア人を攻撃
ミケーネ文明を崩壊させ、自分たちはギリシャにアテネ市を建設、地中海に覇を唱えることになる
海の民はオリエントで3つに分化、一方はアテネ・エトルリア・古代ローマ、一方はフェニキア・シリア、一方はナイル川を遡り、
テーベを支配していた古代デーン人勢力を排除、アメン神官国家を樹立

アフリカを周航した一派は、オリエント地方を素通りし、インド洋の拠点としてランカー島、東アジアの拠点として九州を占領、随時、周囲に侵攻する
海の民は日本では天孫として登場、彼らはまず九州の松浦半島に拠点を築き、そこからそれぞれ長江、出雲、日向、河内に進出
長江系は古代デーン人を殲滅し、或いは混合し、ミャオ族を共同で支配、出雲系も現地を支配していた古代デーン人と混合
日向系は天孫降臨として、その後に神武天皇を生み、神武東征時に河内に進出した物部氏と対立、平定、その後、黒龍江を遡り、北アジアに覇を唱える
興味深いことに、天孫族に関係する名は、すべてブリテン島に存在する名ばかりだ、中臣(チュウシン=CHUSIN)、大伴(ダイバン=DIVAN)、
物部(モノ、ノベ=MONO・NOBLE)、ニニギ(NEE、GEE)、ニギハヤヒ(NEE、GEE、HAYA、HEE)
この中でIBE(忌部)氏だけはナイジェリアを起源としている、つまり、彼ら天孫がアフリカを周航して日本に訪れたことを意味している
IBE氏はもともとブリテン系デーン人で海の民の勢力の一端を担っていたと思われるが、西アフリカ駐留時、
シャーマンとしての地位を築き、力をつけたのだろう、そしてIBE氏はそのまま天孫に同行し、日本に於いても神官・祭司として活躍した
NEE、GEEという名の諜報員で構成されたニニギの部隊はCHUSIN、DIVAN、IBEという神官を兼務する諜報員の精鋭を同行させ
一方、NEE、GEE、HAYA、HEEという名の諜報員で構成されたニギハヤヒの部隊はMONOという名の貴族を同行させていたのだろう







ブリテン系デーン人大航海時代 大西洋ルート


船舶建造技術に長けていたデーン人(発明者は現生人類)は個人の漁師でさえ船を操り、バルト海・大西洋を我が物顔で
行ったり来たりしていたと考えられる、この時、彼らの内の数人がアメリカ大陸を発見、
その報告がデーン人の中枢に達し、組織的な船団がアメリカに派遣された、それがブリテン系デーン人大航海時代・大西洋ルートだ
彼らは攻勢を極めていたオルメカ文明を破壊し、すぐ隣にマヤ文明を建てた
ところで、デーン人にはものづくりの本能が備わっていない、つまり、実際には彼らがマヤ文明を建設したわけではない
どんな優れた文明・強大な帝国にも、影にはデーン人が暗躍しているが、文明を作るのはいつでも現生人類である
デーン人は、ものづくりに長けた現生人類を宗教で支配し、強権でしばりつけ、現生人類に優れた道具・都市を建設させ、陰でその恩恵にあずかっているのだ
デーン人は古来から、自分たちに寄与するものづくりに長けた現生人類を育成・保護し、リーダーの素質がある現生人類は徹底的に排除してきた







新デーン人/旧世代





新デーン人/新世代




















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