アダム族の歴史@

名前を知って歴史を知る。この方法でアダム族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。ギリシアからエジプトに移住したアカイア人の一族がピュートーンに因んでアダムを称した。ピュートーンがユートン、ユトム、ウトムと転化していったのだ。「アダム」の名はヘリオポリスの神アトゥム、エドム人に受け継がれ、ドルイド教、トロイア、賀茂氏、エトルリア人、アテネ人などの支流を輩出し、最終的にはソクラテス、ユリウス・カエサル、コンスタンティヌス1世、初代カリフのアブー・バクル、オットマン1世、徳川家康、皇帝ナポレオンなどの偉人を輩出した。北極海ルートではイウヌを由来とするアイヌ人を輩出している。


@アダム族


■BC一万年 アケーア人 地母神ガイアを祀る神官団から分離独立、デルポイ神託所の番人を務める(蛇の怪物ピュートーン)

■BC一万年 アケーア人D エラム人、アイオリス人と対立し、ギリシアからエジプトに移住(アダム族)
※アダムの名の由来はピュートーン 

■BC一万年 アダム族 現ヘリオポリスに聖地を建設(イウヌ/ヘリオポリス)

■BC一万年 アダム族 ヘリオポリスにて蛇神を祀る(蛇神アトゥム)
※アトゥムの名の由来はアダム

■BC八千年 エノク族 アダム族の後裔エノクが、氏族を率いてイウヌからバルト海に移住

■BC八千年 ノア族 バルト海にエノクの曾孫ノアが誕生

■BC八千年 セム族 兄弟の氏族ハム族、ヤペテ族がノア族、エノク族を率いてバルト海からイウヌに移住

■BC五千年 アダム族 セム族、アベル族、エノス族、ヤペテ族、ベドウィン族と連合、イウヌにて北極海探検隊を結成

■BC五千年 アダム族 北極海ルートを介し、ペチョラ河流域に移住(イズマ族)
※イズマの名の由来はアダム

■BC五千年 アダム族 北極海ルートを介し、太平洋側に出て北海道に移住(アイヌ人)
※アイヌの名の由来はイウヌ

■BC31世紀 アイオリス人 首長ネメス、ギリシアからエジプトに侵攻(エジプト第1王朝)

■BC31世紀 アダム族 ネメス侵攻を機に、エジプトから現ヨルダンに移住(エドム人、エドム王国)
※エドムの名の由来はアトゥム

■BC31世紀 アダム族 ネメス侵攻を機に、エジプトからアナトリア西岸に移住(イオニア人)
※イオニアの名の由来はイオヌ

■BC31世紀 エドム人B エドム王国からメソポタミアに移住(蛇の女神ティアマト)

■BC31世紀 エドム人C シュシャン人とメソポタミアで出会い、神官団を結成(ドルイド教)
※ドルイドの名の由来は、デルポイとエドムの組み合わせ

■BC31世紀 エドム人C シュシャン人の船団に同行し、メソポタミアから東西に移住(ドルイド教団の大航海時代) 

■BC10世紀 エドム人B アッシリア帝国の影響力拡大のため、メソポタミアからヒッタイト帝国に移住(蛇神ラップ)

■BC10世紀 エドム人D アッシリア帝国の影響力拡大のため、メソポタミアからアビニシアに移住(ダマト王国)
※ダマトの名はティアマトを由来にしている

■BC10世紀 エドム人D アビシニアからイタリアに移住、フルリ人と連合(エトルリア人)
※エトルリアの名はエドとルリの組み合わせ

■BC6世紀 イオニア人 アテネ人に敗北、エウボイア島からコーカサスに移住(コルキス、グルジア王国)
※コルキスの名の由来はハルキス

■BC6世紀 イオニア人 アテネ人に敗北したのを機にエウボイア島からアビシニアに移住、エドム人と連合(アムハラ人)
※アムハラの名の由来はダマトとハルキスの組み合わせ

■BC37年 エドム人A ヘロデがハスモン朝を倒す(ヘロデ朝)

■AD41年 エドム人A ヘロデ大王の死後、イスラエルがローマ直轄領に(ユダヤ戦争/AD66年)

■AD1世紀 エドム人A ヘロデ朝の中枢、イスラエルを脱出(ディアスポラ)

■AD1世紀 エドム人A ヘロデ朝の中枢、イスラエルからエチオピアに移住、アムハラ人に参加

■AD1世紀 エドム人A ヘロデ朝の中枢、イスラエルからイタリアに移住(フィレンツェ)
※フィレンツェの名の由来はヘロデ

■AD9世紀 陸奥安倍氏 ジャワ島からアビシニアに移住、アムハラ人と連合(エチオピア人)
※エチオピアの由来はアムハラ人の祖エドと、アベの組み合わせ

■AD9世紀 エチオピア人 エチオピアから現ナイジェリアに移住、エドム人が分離(エド人)

■AD978年 グルジア人 アブハジア王国、アルメニアを併合、統一国家建設(グルジア王国)

■AD1115年 エドム人A ヘロデ朝の残党が共和制を執り、寡頭政治を行う(フィレッツェ共和国)

■AD1137年 ザガワ族 エチオピアに帝国を建設(ザグウェ朝エチオピア帝国)
※ザグウェの名の由来はザガワ

■AD1189年 アイヌ人 モヨロ人の案内により奥州藤原氏、出羽修験道教団と共にアメリカ大陸に向かう

■AD12世紀 エド人 現ナイジェリアでベナン人と連合(ベニン王国)

■AD12世紀 アイヌ人 クスコ王国に至る途上、一部がアラスカに残留(イヌピアト)

■AD12世紀 イヌピアト アラスカからカナダに移住(イヌイット)

■AD12世紀 アイヌ人 奥州藤原氏、出羽修験道教団と共にクスコ王国に到達、ケチュア族と連合(インカ人)

■AD12世紀 アイヌ人 ケチュア族と共に太陽神を創造(太陽神ピラコチャ)
※ピラコチャの名の由来はアイヌ語のピリカ(善き)とケチュアの組み合わせ

■AD1262年 エチオピア人 ヘロデ朝の残党がザガワ族を退け、イクノ・アムラクがエチオピア皇帝に即位(ソロモン朝エチオピア帝国)

■AD1438年 インカ人 サパ・インカ・パチャテク・クシ・ユパンキが遠征開始(インカ帝国)
※パチャテクのパチャの由来はフジワラ

■AD1569年 エドム人A メディチ家と連合(トスカーナ大公国)

■AD1572年 アイヌ人、奥州藤原氏、出羽修験道教団 トゥパク・アマル処刑を機にインカから北海道に帰還(シュムクル)

■AD16世紀 エチオピア人 イスラム勢力が台頭、一部がトスカーナに移住(ボナパルト家)
※ボナパルトの名の由来は「ブオノ(良い)+ヘロデ」

■AD1648年 シュムクル アイヌ人の残留組メナシクルと対立

■AD1669年 シュムクル アイヌ人を指揮し松前藩と交戦(シャクシャインの戦い)

■AD1769年 ポナパルト家 ナポレオン・ポナパルト生誕

■AD1798年 ポナパルト家 ナポレオン率いる5万人に及ぶフランス軍がアレクサンドリアに上陸(エジプト遠征)
※イギリス牽制と共に先祖の故地奪還でもあった

■AD1801年 ポナパルト家 ナポレオン・ポナパルト、トスカーナ公国を廃止、傀儡国家を設置(エトルリア王国)
※エトルリア王国の設置はナポレオンが自身の出自を認識していたため

■AD1804年 ポナパルト家 ナポレオン・ポナパルト、フランス皇帝に即位(第一帝政)

■AD1805年 ポナパルト家 ナポレオン・ポナパルト、トラファルガーの海戦で英国軍に完敗

■AD1805年 ポナパルト家 ナポレオン・ポナパルト、オーストリア軍、ロシア軍と交戦(アウステルリッツの戦い)

■AD1812年 ポナパルト家 ナポレオン・ポナパルト、ロシアに侵攻(ロシア遠征)

■AD1814年 ポナパルト家 ナポレオン・ポナパルト、首都パリ陥落(王政復古)

■AD1815年 ポナパルト家 ナポレオン・ポナパルト、エルバ島を脱出してパリに帰還、復位(百日天下)

■AD1815年 ポナパルト家 ナポレオン・ポナパルト、イギリス・プロイセンの連合軍に敗北(ワーテルローの戦い)

■AD1821年 ポナパルト家 ナポレオン・ポナパルト、幽閉先のセントヘレナ島で死去

■AD1878年 グルジア人 ヨシフ・スターリン生誕

■AD1889年 ソロモン朝 メネリク2世、エチオピア皇帝に即位

■AD1922年 グルジア人 ヨシフ・スターリン、ソビエト社会主義共和国連邦連邦共産党書記長に就任

■AD1930年 ソロモン朝 ハイレ・セラシェ1世、エチオピア皇帝に即位

■AD1930年 アイヌ人 北海道居住のアイヌの組織結成(北海道アイヌ協会)

■AD1941年 グルジア人 ヨシフ・スターリン、ソビエト社会主義共和国連邦人民委員会議議長に就任

■AD1941年 グルジア人 ヨシフ・スターリン、ソビエト社会主義共和国連邦国家防衛委員会議長に就任

■AD1941年 ソロモン朝 ハイレ・セラシェ1世、亡命先のイギリスから帰国

■AD1961年 アイヌ人 北海道アイヌ協会を改名(北海道ウタリ協会)

■AD1974年 エチオピア人 アマン・アンドム、エチオピア臨時軍事評議会議長に就任

■AD1987年 エチオピア人 メンギスツ・ハイレ・マリアム、エチオピア人民民主共和国大統領に就任

■AD1991年 エチオピア人 タスファレ・ギブレ・キダン、エチオピア大統領に就任

■AD1991年 エチオピア人 タスファレ・ギブレ・キダン、エチオピア大統領に就任

■AD1995年 エチオピア人 ネガソ・ギダダ、エチオピア連邦民主共和国大統領に就任

■AD2009年 アイヌ人 北海道ウタリ協会を再度改名(北海道アイヌ協会)

■AD2011年 アイヌ人 萱野志朗、政治団体を結成(アイヌ民族党)

■AD2013年 グルジア人 ギオルギ・マルグヴェラシヴィリ、第4代グルジア大統領に就任




Aエトルリア人


■BC10世紀 エドム人 アビシニアからイタリアに移住、フルリ人と連合(エトルリア人)
※エトルリアの名はエドムとフルリの組み合わせ

■BC8世紀 エトルリア人 エトルリアの都市国家繁栄

■BC8世紀 イオニア人 アナトリアからエウボイア島に移住(ハルキス)

■BC710年頃 イオニア人 ハルキスと、エレトリアのエウボイア人が交戦(レラントス戦争)

■BC616年 エトルリア人 タルクィニウス・プリスクスがローマ王に即位(王政ローマ第5王)

■BC579年 エトルリア人 セルウィウス・トゥッリウスがローマ王に即位(王政ローマ第6王)

■BC535年 エトルリア人 タルクィニウス・スペルブスがローマ王に即位(王政ローマ第7王)

■BC509年 プルトゥス家 ルキウス・ユニウス・ブルトゥスがエトルリア人を追放、王政を覆す(元老院、ローマ共和国)

■BC3世紀 エトルリア人A ローマ共和国の勢力伸張を機にガリアに移住(ヘルウェティイ族)
※ヘルウェティィの名の由来はフルリとエドムの組み合わせ

■BC91年〜88年 エトルリア人B 市民権を要求してローマに蜂起、マリウス派に参加(同盟市戦争)

■BC1世紀 ヘルウェティイ族 スエビ族の攻撃を受ける

■BC58年 ヘルウェティイ族 ダルマチア移住の途上、カエサルに通行許可を求めたが拒絶される(ガリア戦争)

■BC58年 ヘルウェティイ族A 6割が殺害され、2割が捕虜になった中、残りが中央アジアに移住(ボーロヴェッツ族)
※ボーロヴェッツの名の由来はヘルウェティイ

■BC52年 ヘルウェティイ族B ウェルキンゲトリクスのローマに対する蜂起に賛同(ゲルゴヴィアの戦い)

■AD9世紀 ボーロヴェッツ族 クマン人と中央アジアで連合、征西に同行

■AD9世紀 クマン人 中央アジアからビザンツ治世下のアナトリアに移住(コムネノス家)
※コムネノスの名の由来は熊野

■AD9世紀 ボーロヴェッツ族 クマン人から分離独立し、アナトリア半島からアドリア海に移住(クロアチア人)
※クロアチアの名の由来はボーロヴェッツ、自称はフルヴァティ

■AD845年 クロアチア人 トルピミル1世、初代クロアチア公に就任

■AD879年 クロアチア人 ヴラニミル、ダルマチア・クロアチア公に就任

■AD879年 クロアチア人 ヴラニミル、ローマ教皇がクロアチアを独立国家として承認

■AD890年代 クロアチア人 トミスラヴ1世、フランク王国やマジャール人を撃破

■AD924年 クロアチア人 トミスラヴ1世、パンノニアとダルマチアに於けるクロアチア人の統一を果たす(クロアチア王国)

■AD926年 クロアチア人 トミスラヴ1世、ビザンツ帝国と同盟してブルガリア軍を撃退

■AD1058年 クロアチア人 クレシミール4世、クロアチア王国が繁栄

■AD1102年 アールパード家 カールマーン1世、内紛を鎮圧してクロアチアを占領

■AD1242年 モンゴル人 クロアチアがモンゴル軍によって破壊(モンゴルのクロアチア侵攻)

■AD1573年 クロアチア人 マティヤ・グーベッツ、農民を率いてハプスブルグ家に蜂起

■AD1671年 クロアチア人 フラーニョ・フランコパン、クロアチア総督ズリンスキと組んで蜂起(ズリンスキ=フランコパンの反乱)

■AD1808年 クロアチア人 ナポレオンがダルマチア沿岸を征服、翌年クロアチアもフランスの支配下に

■AD1815年 クロアチア人 フランス帝国解体に伴い、ハプスブルグ家の支配下に

■AD1848年 クロアチア人 ヨシップ・イェラチッチ、クロアチア総督に就任(民族の要求)

■AD1850年 クロアチア人 ヨシプ・シュトロシュマイエルらクロアチア国民党、南スラヴ統一を主張

■AD1905年 クロアチア人 クロアチア政治家がセルビア政治家に協力を呼びかけた(クロアチア・セルビア人連合宣言)

■AD1910年 クロアチア人 カトリック教徒を中心にクロアチア民族連合が結成される

■AD1918年 セルビア人 アレクサンドル・カラジョルシェヴィッチ、南スラヴ人単一国家樹立を宣言(ユーゴスラヴィア王国)

■AD1941年 クロアチア人 アンテ・パベリッチ、元首に就任、第二次大戦時には枢軸国に参加(クロアチア独立国)

■AD1944年 クロアチア人 イヴァン・シュバシッチ、チトー=シュバシッチ協定を結ぶ(ユーゴスラビア連邦人民共和国)

■AD1970年 クロアチア人 ザグレブ大学の生徒が大規模なデモを行う(クロアチアの春)

■AD1990年 クロアチア人 フラニョ・トゥジマン、初代クロアチア大統領に就任(クロアチア共和国)

■AD1991年 クロアチア人 独立宣言、反対するセルビア人と対立(クロアチア紛争)

■AD1995年 デーン人 NATO軍がセルビア勢力に対して大規模な空爆を展開

■AD2000年 クロアチア人 スティエパン・メシッチ、第2代クロアチア大統領に就任

■AD2010年 クロアチア人 イヴォ・ヨシポヴィッチ、第3代クロアチア大統領に就任




アダム族の歴史A

名前を知って歴史を知る。この方法でアダム族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。古代ブリトン、ガリア産の印象が強いドルイド教はじつは中東で生まれ、エドム人とエラム人(シュシャン人)によって結成されたと仮定している。名前の由来はデルポイとエドムの組み合わせである。両者はドルイド教団として東西に大航海時代を行った。ダルダニア人は、ドルイド教団の西方ルートの産物であり、ダルダニア人からはトロイア人、ダルマチア人(達磨)、ユリウス家、タイム家などが輩出されている。

Aダルダニア人


■BC31世紀 エドム人 ドルイド教団の神官として西方ルートに及ぶ(ドルイド教団の大航海時代)

■BC31世紀 エドム人 メソポタミアからソマリアに移住(ダロッド族)
※ダロッドの名の由来はドルイド

■BC31世紀 エドム人 ソマリアからダルダニアに移住(ダルダニア人)
※ダルダニアの由来はドルイド

■BC31世紀 ダルダニア人 ダルダニアからアナトリア西岸に移住(トロイア)

■BC31世紀 ダルダニア人 ダルダニアでメディア人と連合、アドリア海沿岸に移住(ダルマチア人)

■BC31世紀 ダルマチア人 アドリア海から現タリム盆地に移住(タリム人)

■BC1200年 アカイワシャ人 海の民シェルデン人、チェケル人を率いてトロイアに侵攻(トロイア戦争)

■BC1200年 トロイア人 トロイアの王族アイネイアース、トロイアからラティウムに移住

■BC12世紀 トロイア人 トロイア滅亡を機に、アナトリア半島からガンジス流域に移住(ドルヒユ族)
※ドルヒユの名の由来はトロイア

■BC12世紀 ドルヒユ族 ガンジス流域から日本に進出、現静岡県に移住(登呂遺跡)
※登呂の地名の由来はトロイア、住居が消滅しても名称だけは継承されていた

■BC12世紀 ドルヒユ族 プール、ブリグ、マツヤ、パルシュ、ダーサ、パニ、アリナ、アヌ、バラーナと連合、バーラタ、トリツと交戦(十王戦争)

■BC1179年 トロイア人 アイネイアースの息子アスカニオスがアルバ・ロンガの王に即位(アルバ・ロンガ)

■BC6世紀 キンメリア人 モンゴルへの帰途、タリム盆地に侵入

■BC6世紀 タリム人 タリム盆地から故地ダルダニアに帰還、一部はコラサンに残留(タリム人の大移動)

■BC392年 ダルダニア人 新興国マケドニアに侵入し、傀儡を王に据えてマケドニアを支配

■BC385年 ダルダニア人 バルディリス王が部族を統一(ダルダニア王国)

■BC334年 ダルダニア人 バルディリス王がイリュリア人部族を率いてマケドニアに侵攻

■BC327年 タリム人 カレリア人の東西移住計画に参加(コラサン民族の大移動)

■BC3世紀 タリム人 アラビア半島に移住したコラサン民族の氏族集団「クライシュ族」に参加(タイム家)
※タイムの名の由来はタリム

■BC88年 ダルダニア人 スコルディシ族、マエディ族を率いてローマ領マケドニアに侵攻

■AD3世紀 ダルダニア人 貴族エウトロピウスが、ダルダニアからローマに移住

■AD250年 ダルダニア人 エウトロピウスの息子コンスタンティウス・クロルス生誕(第二代西ローマ皇帝)

■AD272年 ダルダニア人 コンスタンティウス1世の息子コンスタンティヌス生誕(コンスタンティヌス朝)

■AD324年 ダルダニア人 コンスタンティヌス1世、東西ローマを統一

■AD4世紀 ダルマチア人A ゲルマン民族の台頭を機に、ダルマチアからインドに移住(達磨)
※達磨の名の由来はダルマチア

■AD4世紀 ダルマチア人B インドからジャワ島に移住、アンコール人と連合(タルマヌガラ王国)
※タルマヌガラの名の由来はダルマチアとアンコールの組み合わせ

■AD520年 ダルマチア人C 達磨が中国に渡り、禅宗を伝える(嵩山少林寺)

■AD632年 タイム家 ムハンマドの教友アブー・バクル、初代正統カリフに(イスラム帝国)

■AD1896年 ダロッド族 サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン、イギリスに蜂起(ダラーウィーシュ国)

■AD1920年 ダロッド族 サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン死去(ダラーウィーシュ国消滅)

■AD1967年 ダロッド族 アブディラシッド・アリー・シェルマルケ、第2代ソマリア共和国大統領に就任

■AD1969年 ダロッド族 モハメド・シアド・バーレ、第3代ソマリア民主共和国大統領に就任

■AD2004年 ダロッド族 アブドゥラヒ・ユスフ、第6代ソマリア暫定連邦政府大統領に就任

■AD2009年 ダロッド族 オマル・アブドラシド・アリ・シルマルケ、第4代ソマリア暫定政府首相に就任

■AD2009年 ダロッド族 アブドゥルラフマン・モハムード・ファロレ、第6代プントランド大統領に就任










アダム族の歴史B

名前を知って歴史を知る。この方法でアダム族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。アイオリス人によってエジプトを追放されたエドム人はエジプトを奪還すべく、ヘブライ人と組んでアマルナ宗教改革を企画した。だが、改革の失敗により、ギリシアに移住したのがアテナイ人の始まりと仮定している。


Bアテネ人


■BC14世紀 エドム人 エドム王国からエジプト、アマルナに移住(太陽神アテン)

■BC1346年 アメンホテプ4世 テーベからアマルナに遷都(アマルナ宗教改革)
※ネフェルティティの背後にはエドム人とヘブライ人がいた

■BC1333年 エドム人 太陽神アメン復帰のためエジプトから脱出、ギリシアに移住(アテネ)
※アテネの名の由来は太陽神アテン

■BC1333年 エドム人 太陽神アメン復帰のためエジプトから脱出、アラビア半島に移住(タヌーフ族、アデン)
※タヌーフ、アデンの名の由来は太陽神アテン

■BC14世紀 アテネ人 下半身が蛇と伝えられる伝説の王がアテーナイの初代王に即位(ケクロプス)

■BC650年頃 アテネ人 ドラコン生誕(立法者ドラコン)

■BC639年 アテネ人 ソロン生誕(ソロンの改革)

■BC595年〜BC585年 アテネ人 メガラに勝利(第一次神聖戦争)

■BC6世紀頃 アケーア人 アルクメオン家がクレイステネスを輩出(民主主義改革)

■BC6世紀頃 アケーア人 クレイステネスが五百人評議会、将軍職、陶片追放制度確立(アテネ民主制の基礎確立)

■BC510年頃 アケーア人 クレイステネスがスパルタと組んで僭主ヒッピアス追放

■BC5世紀 アケーア人 徳を説く見返りに金銭を要求、カルトの原型(ソフィスト)

■BC480年 アテネ人 アテネ海軍がペルシア海軍を撃破(サラミスの海戦)

■BC478年 アテネ人 アテネを中心に結成した軍事同盟(デロス同盟)

■BC469年 アテネ人 ソクラテス生誕

■BC461年 アテネ人 コリントス人との関係が悪化(第一次ペロポネソス戦争)

■BC449年 アテネ人 フォキス人と組んでデルポイに侵攻(第二次神聖戦争)

■BC431年 アテネ人 スパルタ人率いるペロポネソス同盟と交戦(第二次ペロポネソス戦争)

■BC427年 アテネ人 アテネ最後の王コドロスの血統、プラトン生誕

■BC415年 アテネ人 シチリアに遠征(シチリア戦争)

■BC404年 アテネ人 穀物生産地と港をスパルタ人に押さえられ、降伏(ペロポネソス戦争終結)

■BC404年 ダン族 アテネ内部に潜むダン族(タナー家)など親スパルタの有力者を中心に寡頭政政権成立(三十人政権)

■BC399年 ソクラテス 三十人政権のひとりタナー家アニュトス、ソフィストの陰謀により処刑(ソクラテスの弁明)

■BC395年 アテネ人 コリントス人、テーバイ人、アルゴス人と連合、スパルタに侵攻(コリントス戦争)

■BC378年 アテネ人 第二次海上同盟結成

■BC357年 アテネ人 テーバイ人と激戦を繰り広げる(同盟市戦争)

■BC338年 アテネ人 テーバイ人と同盟を組むがマケドニア人に敗北(ヘラス同盟)

■BC267年 アテネ人 スパルタ人と連合、マケドニア軍と交戦(クレモニデス戦争)

■BC3世紀 アテネ人A マケドニア人の台頭を機に、ギリシアからイスラエルに移住(エッセネ派)
※エッセネの名の由来はアテネ

■AD3世紀 タヌーフ族 アデンからアラビア半島を横切り、メソポタミアに北上(ラフム王国)
※ラフムの由来はティアマトが生んだ11の魔物、ラハム

■AD313年 アテネ人B ドナトゥスがアテネからカルタゴに侵入、司教に収まる
※ドナトゥスの名の由来はアテネ

■AD395年 アテネ人B 西ゴート人がギリシアに侵攻、アテネから北アフリカに移住しドナトゥスに合流(ドナトゥス派)

■AD411年 ドナトゥス派 アウグスティヌスが批判(カルタゴ会議)

■AD414年 ドナトゥス派 異端宣告、及び市民権を剥奪される(皇帝ホノリウスの統一令)

■AD414年 アテネ人 ドナトゥス派の残党が北アフリカから日本に移住

■AD953年 アテネ人 源宛に接近、自身の血統を打ち立てる(源綱生誕、嵯峨源氏)

■AD?年 アテネ人 源綱、母方の郷里、摂津国西成郡渡辺に居住し改姓(渡辺綱、渡辺氏)
※渡辺の名の由来は「アテナイ」と「辺り」の組み合わせ

■AD?年 渡辺氏 渡辺競生誕(渡辺党)

■AD1156年 渡辺氏 渡辺競、源頼政に従って出陣(保元の乱)

■AD11??年 渡辺氏 渡辺勝生誕

■AD1511年 渡辺氏 渡辺通生誕

■AD1523年 渡辺氏 渡辺勝、15人の家臣のひとりとして毛利元就家督相続の起請文に署名

■AD1524年 渡辺氏 渡辺勝、尼子氏と結んで元就の弟を擁立、蜂起したが殺害された

■AD1524年 渡辺氏 渡辺通、父殺害後、山内直通のもとに逃亡するが、許されて元就の家臣に納まる

■AD1534年 渡辺氏 渡辺長生誕

■AD1543年 渡辺氏 渡辺長、父死去後、跡を継いで元就に仕えた(第一次月山富田城の戦い)

■AD1562年 渡辺氏 渡辺了生誕

■AD1582年 渡辺氏 渡辺了、羽柴秀吉に仕える

■AD1585年 渡辺氏 渡辺了、秀勝死去に伴って浪人に

■AD1588年 渡辺氏 渡辺長、毛利輝元に従って上洛、秀吉から豊臣姓を賜る

■AD1926年 渡辺氏 渡邉恒雄生誕

■AD1950年 渡辺氏 渡邉恒雄、読売新聞に入社

■AD1991年 渡辺氏 渡邉恒雄、読売新聞社長に就任




アダム族の歴史B

名前を知って歴史を知る。この方法でアダム族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。アイオリス人によってエジプトを追放されたエドム人はエジプトを奪還すべく、ヘブライ人と組んでアマルナ宗教改革を企画した。だが、改革の失敗により、ギリシアに移住したのがアテナイ人の始まりと仮定している。


C賀茂氏

■BC31世紀 エドム人 ドルイド教団の神官としてメソポタミアを発し、東方ルートに及ぶ(ドルイド教団の大航海時代)

■BC31世紀 エドム人 ドルイド教のエドム人神官にはカモ、イナバ、カガ、ジョカの氏族がいた
※いずれの姓も現代エジプトに残っている

■BC31世紀 エドム人 ソマリアからインドに移住、エノク族と連合(蛇神ナーガ)
※ナーガの名の由来はエノク

■BC31世紀 エドム人 ドルイド教の神官カモの氏族 ナーガ族から独立(悪魔ナムチ)

■BC31世紀 エドム人 ドルイド教の神官カモ、イナバ、ジョカ、カガの氏族がインドから台湾に到達(パイワン族、卑南文化)

■BC31世紀 エドム人A ドルイド教の神官ジョカの氏族、台湾から長江に移住(伏義とジョカ)

■BC31世紀 エドム人B ドルイド教の神官カモの氏族、台湾から現島根県に移住(出雲国、賀茂氏)
※出雲の名の由来はエドム

■BC31世紀 エドム人C ドルイド教の神官イナバの氏族、台湾から現島根県に移住(因幡国、因幡氏)

■BC31世紀 エドム人D ドルイド教の神官カガの氏族、台湾から現石川県に移住(加賀国、加賀氏)

■BC31世紀 ミャオ族 神農(シュメール人)に敗北した蚩尤(ミャオ族)が出雲国に侵攻(スサノオのヤマタノオロチ退治)
※スサノオの名の由来はシュシャン人の王

■BC31世紀 エドム人E 台湾から現フィリピン、セブ島に移住(海竜バクナワ)

■BC21世紀 エドム人E セブ島からパラオ諸島に移住(蛇神カマイリス、蛇神ツラン、蛇神マガレゲル)

■BC21世紀 エドム人E パラオ諸島からニューギニア島に移住(アスマット族、蛇神イナヴィ)

■BC21世紀 エドム人E ニューギニア島から現ニューブリテン島に移住(カイア)

■BC21世紀 エドム人E ニューギニア島から現ニューアイルランド島に移住(ティヌアト)
※ティヌアトの名の由来はティアマトと考えられる

■BC21世紀 エドム人E ニューギニア島からオーストラリア北部に移住(虹蛇エインガナ)

■BC21世紀 エドム人E ニューギニア島からオーストラリア北部に移住(虹蛇タイパン)

■BC21世紀 エドム人E オーストラリア北部から南部に移住(怪物クッディムドラ)
※ティアマンティ川に棲む怪物、川の名はティアマトに由来している

■BC13世紀 エドム人E ニューギニア島からソロモン諸島に移住(蛇神アグヌア)

■BC11世紀 エドム人E ソロモン諸島からバヌアツに移住(蛇神マツヒクツヒキ)

■BC900年頃 エドム人E バヌアツからフィジーに移住(蛇神ンデンゲイ)

■BC7世紀 多氏 マカオから北九州、瀬戸内海に移住、出雲国に侵攻(大国主命)

■BC3世紀 賀茂氏 多氏、倭人と共に瀬戸内海を経由して大和地方に向かう

■BC3世紀 賀茂氏 倭人と連合、大和から現和泉に移住(和泉国)
※イズミの名の由来はイズモ、和泉の表記は倭人(和)と出雲(泉)の組み合わせ

■BC3世紀 賀茂氏 多氏と共に出雲から大和に移住、物部氏と連合(三輪山、大物主命)

■BC3世紀 賀茂氏A 多氏、倭人と連合、国家を建設(大和国)
※ヤマトの名の由来はティアマト、大和の表記は多氏(大)と倭人(和)の組み合わせ

■BC3世紀 賀茂氏B 明日香村でイッサカル族と連合、畿内から現山梨県に移住(巨摩)
※巨摩の名の由来は賀茂

■AD3世紀 賀茂氏C 中臣氏、蘇我氏の台頭を機に、多氏のジャワ島移住計画に参加(大和人の大航海時代)
※ジャワの名の由来は大和の音読み

■AD645年 賀茂氏B カイン族、イッサカル族と共に甲斐国からモンゴル高原に移住(カイ)

■AD7世紀 賀茂氏B フェニキア人の軍事集団、オグズ24氏族に参加(オットマン家)
※オットマンの名の由来はエドム

■AD7世紀 賀茂氏A 役小角生誕(修験道)

■AD7世紀 賀茂氏B カイン族、イッサカル族と共にモンゴル高原からユカタン半島に移住(オトミ人)
※オトミ人の名の由来はエドム

■AD717年 賀茂氏C 多氏と共にジャワ島に王国を建設(マタラム王国)
※マタラムの名の由来はヤマト

■AD929年 賀茂氏C マタラム王国滅亡を機に、ジャワ島から現千葉県・鴨川市に移住(鴨川)

■AD10世紀 賀茂氏C 現千葉県から武蔵国に移住(江戸郷)
※江戸の名の由来はエドム

■AD1189年 出羽修験道教団 奥州藤原氏、アイヌ人と共に日本を脱出(奥州藤原氏滅亡)

■AD11世紀 出羽修験道教団 現ペルーに移住、クスコのケチュア族と連合(インカ帝国)

■AD11世紀 出羽修験道教団 ウルバンバ川渓谷に移住、修験の修行施設を建設(マチュ・ピチュ)

■AD11世紀 賀茂氏C 秩父重綱に接近、自身の血統を打ち立てる(江戸重継生誕)

■AD11世紀 賀茂氏C 秩父重継、武蔵国江戸郷を相続、江戸四郎を自称(江戸氏)

■AD1180年 江戸氏 江戸重長、当初は頼朝と対立したが後に和解、鎌倉幕府御家人となった

■AD1189年 江戸氏 江戸重長、奥州合戦に従軍、坂東八ヶ国の大福長者と呼ばれた

■AD1219年 坂東八平氏 北条時宗の執権政治開始を機に、千葉氏、江戸氏、土肥氏が北九州に移住

■AD1229年 オットマン家 オスマン1世、アナトリア半島に移住(オスマン・トルコ帝国)

■AD13世紀 江戸氏 松浦半島、壱岐に移住(江戸氏、鴨打氏)

■AD1353年 オットマン家 オルハン、ヨーロッパ侵攻を開始

■AD14世紀 江戸氏A 鎌倉幕府滅亡を機に、関東から先祖の地三河国加茂郡に移住(松平郷)
※松平の名の由来はマタラム

■AD1352年 江戸氏B 江戸長門、足利尊氏に従い、参陣

■AD1358年 江戸氏B 江戸高重、矢口渡しで新田義興を謀殺

■AD1360年 江戸氏A 松平信重、家督を継ぐ(松平氏)

■AD13??年 松平氏 松平親氏生誕、初代当主に

■AD13??年 松平氏 松平泰親生誕、第2代当主に

■AD14??年 松平氏 松平信光生誕、第3代当主に

■AD1405年 オットマン家 バヤズィト1世、一時、チムール帝国軍に敗北するが復活

■AD1405年 オットマン家 バヤズィト1世、ヨーロッパの連合軍を破る(ヴァルナの戦い)

■AD1453年 オットマン家 メフメト1世、コンスタンチノープルを陥落(ビザンツ帝国滅亡)

■AD1511年 松平氏 松平清康生誕、第7代当主に

■AD1517年 オットマン家 セリム1世、エジプトを占領(マムルーク朝滅亡)

■AD1526年 松平氏 松平広忠生誕、第8代当主に

■AD1526年 オットマン家 スレイマン1世、オーストリア帝国に侵攻

■AD1529年 松平家 松平清康、三河統一

■AD1543年 松平氏 松平元康生誕、第9代当主に

■AD1568年 江戸氏B 江戸勝忠、家康の家臣になり、世田谷喜多見に所領を安堵される(喜多見氏)
※喜多見の名の由来はハタミ

■AD1603年 徳川家 徳川家康、偉大な先祖の名「エドム」を冠し、幕府を開く(江戸幕府)

■AD1605年 徳川家 徳川秀忠、第2代征夷大将軍に

■AD1623年 徳川家 徳川家光、第3代征夷大将軍に

■AD1651年 徳川家 徳川家綱、第4代征夷大将軍に

■AD1671年 徳川家 徳川家綱、伊達家の勢力伸張を懸念し、陰謀により排除(伊達騒動)

■AD1680年 徳川家 徳川綱吉、第5代征夷大将軍に

■AD1684年 徳川綱吉 日本版魔女狩りを企画(生類憐みの令)
※動物虐待の事実があるないに拘らず、動物虐待の罪を着せてそれを口実に敵対勢力を排除する

■AD1703年 徳川家 徳川綱吉、塩による莫大な利益を背景にした赤穂藩の勢力伸張を懸念し、陰謀により排除(元禄赤穂事件)

■AD1709年 徳川家 徳川家宣、第6代征夷大将軍に

■AD1713年 徳川家 徳川家継、第7代征夷大将軍に

■AD1760年 徳川家 徳川家治、第8代征夷大将軍に

■AD1837年 徳川家 徳川家慶、第12代征夷大将軍に

■AD1853年 徳川家 徳川家定、代13代征夷大将軍に

■AD1867年 一橋徳川家 徳川慶喜、大政奉還、王政復古(江戸幕府滅亡)

■AD1914年 オットマン家 メフメト5世、オーストリア帝国、プロイセン帝国と連合(第一次世界大戦)


ジョカ氏


■BC31世紀 エドム人 ドルイド教団の神官としてメソポタミアを発し、東方ルートに及ぶ(ドルイド教団の大航海時代)

■BC31世紀 エドム人 ドルイド教のエドム人神官にはカモ、イナバ、カガ、ジョカの氏族がいた
※いずれの姓も現代エジプトに残っている

■BC31世紀 エドム人 ソマリアからインドに移住、エノク族と連合(蛇神ナーガ)
※ナーガの名の由来はエノク

■BC31世紀 エドム人 ドルイド教の神官カモ、イナバ、ジョカ、カガの氏族がインドから台湾に到達(パイワン族、卑南文化)

■BC31世紀 ジョカ氏 台湾から長江に移住、蛇神ジョカを祀って現地人を支配下に置く
※2千年後にブギス族が来るまでこの時点ではただの蛇神ジョカ

■BC7世紀 ジョカ氏 ブギス族がスラウェシ島から長江に移住、連合する(伏義とジョカ)

■BC7世紀 ジョカ氏 ブギス族と共に長江から現河北省石家荘市に移住、「フッキの故地」と呼ばれる(趙氏)
※趙の名の由来はジョカ

■BC7世紀頃 趙氏 趙夙、初代君主の座に就く(趙)

■BC7世紀頃 趙氏 趙衰、第2代君主の座に就く

■BC7世紀頃 趙氏 趙盾、第3代君主の座に就く

■BC7世紀頃 趙氏 趙括、第4代君主の座に就く

■BC7世紀頃 趙氏 趙武、第5代君主の座に就く

■BC7世紀頃 趙氏 趙成、第6代君主の座に就く

■BC516年 趙氏 趙鞅、第7代君主の座に就く

■BC298年 趙氏 趙何、第16代君主の座に就く

■BC265年 趙氏 趙丹、第17代君主の座に就く

■BC260年 趙氏 趙丹、秦の将軍、白起に大敗(長平の戦い)

■BC244年 趙氏 趙偃、第18代君主の座に就く

■BC235年 趙氏 趙遷、第19代君主の座に就く

■BC228年 趙氏 趙遷、秦の侵攻により邯鄲が陥落(趙滅亡)

■BC227年 趙氏 趙嘉、代に逃亡して政権を建てる

■BC227年 趙氏 趙嘉、第20代君主の座に就く

■BC222年 趙氏 趙嘉、秦の侵攻により代の政権も燕と共に完全に滅亡した

■AD960年 趙氏 趙匡胤、後周恭帝より禅譲を受ける(北宋)

■AD963年 趙氏 趙匡胤、楚を滅ぼす

■AD976年 趙氏 趙光義、第2代宋帝国皇帝の座に就く

■AD979年 趙氏 趙光義、北漢を滅ぼして中国を統一

■AD997年 趙氏 真宗、第3代宋帝国皇帝の座に就く

■AD1022年 趙氏 仁宗、第4代宋帝国皇帝の座に就く

■AD1063年 趙氏 英宗、第5代宋帝国皇帝の座に就く

■AD1100年 趙氏 微宗、第8代宋帝国皇帝の座に就く

■AD1118年 趙氏 微宗、金に使者を送り、遼を挟み撃ちする盟約を結ぶ(海上の盟)

■AD1125年 趙氏 欽宗、第9代宋帝国皇帝の座に就く

■AD1127年 趙氏 欽宗、微宗と共に金に連行され北宋滅亡(靖康の変)

■AD1127年 趙氏 趙構、南京で初代南宋帝国皇帝に即位(南宋)

■AD1161年 趙氏 高宗、第2代南宋帝国皇帝に即位

■AD1189年 趙氏 光宗、第3代南宋帝国皇帝に即位

■AD1234年 趙氏 理宗、モンゴルと連合して金を攻撃(金滅亡)

■AD1235年 趙氏 理宗、モンゴルの大軍が宋に侵攻

■AD1274年 趙氏 恭帝、第7代南宋帝国皇帝に即位

■AD1276年 趙氏 恭帝、バヤン率いるモンゴル軍に臨安を占領される(南宋滅亡)

■AD1279年 趙氏 衛王、徹底抗戦するも、崖山の戦いで南宋が滅びる

■AD1279年 趙氏 端宗、衛王の氏族がモンゴル軍の征西に同行、中国から現リトアニアに移住

■AD1351年 趙氏 リトアニア大公アルギルダスに接近、自身の血統を打ち立てる(ヨガイラ生誕)
※ヨガイラの本名は「趙ガイラ」

■AD1377年 趙氏 ヨガイラ、リトアニア大公に就任(ヤギェヴォ家)

■AD1386年 ヤギェヴォ家 ヨガイラ、ヴワディスワフ2世としてポーランド王に即位(ポーランド・リトアニア連合)

■AD1434年 ヤギェヴォ家 ヴワディスワフ3世、ヤギェヴォ朝第2代ポーランド王に即位

■AD1440年 ヤギェヴォ家 ヴワディスワフ3世、ウラースロー1世としてハンガリー王に即位(ハンガリー王国)

■AD1447年 ヤギェヴォ家 カジミェシュ4世、ヤギェヴォ朝第3代ポーランド王に即位

■AD1471年 ヤギェヴォ家 ウラースロー2世、ヴラジスラフ・ヤゲロンスキーとしてボヘミア王に即位

■AD1490年 ヤギェヴォ家 ウラースロー2世、ハンガリー王に即位

■AD1492年 ヤギェヴォ家 ヤン1世、ヤギェヴォ朝第4代ポーランド王に即位

■AD1501年 ヤギェヴォ家 アレクサンデル、ヤギェヴォ朝第5代ポーランド王に即位

■AD1506年 ヤギェヴォ家 ジグムント1世、ヤギェヴォ朝第6代ポーランド王に即位

■AD1516年 ヤギェヴォ家 ラヨシュ2世、ハンガリー王に即位

■AD1516年 ヤギェヴォ家 ラヨシュ2世、ルドヴィーク・ヤゲロンスキーとしてボヘミア王に即位

■AD1548年 ヤギェヴォ家 ジグモント2世、ヤギェヴォ朝第7代ポーランド王に即位

■AD1572年 ヤギェヴォ家 ジグムント2世、御家断絶(ヤギェヴォ朝消滅)

■AD1572年 ヤギェヴォ家 御家断絶を機に、ヤギェヴォ家の氏族が金氏、閔氏を率いて中国に帰還
※リトアニア帰りの氏族がアジアの共産党勢力となる

■AD1921年 コミンテルン 陳独秀、毛沢東らが各地で結成していた共産主義組織を糾合(中国共産党)

■AD1927年 中国共産党 中国国民党との第一次国共合作を解消(南京事件)

■AD1949年 中国共産党 毛沢東、建国宣言(中華人民共和国)

■AD1954年 中国共産党 毛沢東、初代中華人民共和国主席に就任

■AD1954年 中国共産党 周恩来、初代国務院総理に就任

■AD1980年 中国共産党 趙紫陽、第2代国務院総理に就任

■AD1981年 中国共産党 ケ小平、第三代中国共産党中央軍事委員会主席に就任

■AD1993年 中国共産党 江沢民、第5代中華人民共和国主席に就任

■AD2003年 中国共産党 胡錦濤、第6代中華人民共和国主席に就任

■AD2003年 中国共産党 温家宝、第6代国務院総理に就任

■AD2013年 中国共産党 習近平、第7代中華人民共和国主席に就任

■AD2013年 中国共産党 李克強、第7代国務院総理に就任


A加賀氏


■BC31世紀 エドム人 ドルイド教団の神官としてメソポタミアを発し、東方ルートに及ぶ(ドルイド教団の大航海時代)

■BC31世紀 エドム人 ドルイド教のエドム人神官にはカモ、イナバ、カガ、ジョカの氏族がいた
※いずれの姓も現代エジプトに残っている

■BC31世紀 エドム人 カガの一部がシュメールに残留(ウンサンギガ)
※ウンサンギガの名の由来はエジプト語「ウンサン/人間」と「ギガ/カガ」の組み合わせ

■BC31世紀 エドム人 ドルイド教の神官カガの氏族、台湾から現石川県に移住(加賀国、加賀氏)

■AD3世紀 大和人 ジャワ島を出発し、太平洋を横断、ユカタン半島に移住(残留者:久米氏、加賀氏、吉備氏)

■AD3世紀 加賀氏 マヤに定住、ククルカンを祀る
※ククルカンは古代日本語「蛇/カガ」「拝む/ウガン」の組み合わせ

■AD4世紀 マヤ人 ティオティワカンの侵攻を機に、東方移住を計画(マヤ人の大航海時代)

■AD4世紀 マヤ人 ユカタン半島からブリテン島、先発隊の土地デヴォンに移住(残留者:マヤ人、加賀氏、久米氏、吉備氏、キンブリ人、ポラン族、ルス人)

■AD4世紀 加賀氏 現デヴォンからエセックスに移住(COOK姓)
※COOKの名の由来はククルカン

■AD4世紀 加賀氏 現デヴォンからアイルランド・ミードに移住(REAGAN姓)
※REAGANの名の由来はククルカン

■AD4世紀 マヤ人 ユカタン半島から太平洋を横断し、ジャワ島に到着(残留者:久米氏、加賀氏、マヤ人)

■AD4世紀 加賀氏A ジャワ島から日本に移住

■AD4世紀 加賀氏B マヤ人と共に北方領土に移住(歯舞諸島)
※歯舞の名の由来は加賀とマヤの組み合わせ

■AD628年 マゴ家 マーシアの属国化を機に、倭人、ジュート人と共にウィッチェ王国から太平洋・トンガ島に移住

■AD7世紀前半 加賀氏D ユカタン半島通過中のマゴ家と合流、旅に参加する

■AD7世紀前半 加賀氏D 倭人、ジュート人、マゴ家と共にグアム島から日本に到達、現千葉県に移住(九十九里浜)
※九十九里の名の由来はククルカン

■AD7世紀前半 加賀氏D 日本に残留するが、ジュート人は日本に残留せずに西方に向かう

■AD7世紀 加賀氏A 故地の加賀に帰還し、白山の神「白山比淘蜷_」を祀る(菊理媛神)
※ククリ媛の名の由来はククルカン

■AD7世紀 加賀氏A 加賀国から現栃木県に移住(足利荘)
※足利の名の由来はデルポイとカガの組み合わせ

■AD7世紀 加賀氏C ジャワ島からベトナムに移住(曲氏)
※クックの名の由来は加賀

■AD906年 曲氏 曲承裕、ベトナム帝王に即位

■AD10世紀 曲氏 曲、ベトナム帝王に即位

■AD10世紀 曲氏 曲承美、ベトナム帝王に即位

■AD11世紀 加賀氏D 藤原政則に接近し、自身の血統を打ち立てる(菊池則隆生誕、菊池氏)
※菊池の名の由来は「ククルカンの池」

■AD12世紀 加賀氏 平清幹に接近、自身の血統を打ち立てる(平成幹の妹生誕)

■AD12世紀 加賀氏 平成幹の妹、源義光に接近、自身の血統と打ち立てる(源義清生誕)

■AD1127年 加賀氏 義清の子、源義康生誕(足利氏)

■AD1143年 加賀氏 源義清の息子、加賀美遠光生誕(加賀美氏)

■AD1156年 足利氏 初代当主足利義康、平清盛や源義朝と共に挙兵(保元の乱)

■AD1180年 足利氏 第2代当主足利義兼、頼朝の挙兵に参加、源氏将軍家の一門的地位を得る(御門葉)

■AD1189年 足利氏 第3代当主足利義氏生誕、上総・三河の守護を務める

■AD1216年 足利氏 第4代当主足利泰氏生誕、後に出家

■AD1221年 小笠原氏 承久の乱を機に、長清の子息たちが源有雅を率いて東西移住を計画(加賀美氏の大航海時代)

■AD1221年 小笠原氏 東方ルートに及び、現アッサム地方に移住(アッサム)
※アッサムの名の由来は小笠原氏に縁がある浅間

■AD1221年 小笠原氏 西方ルートに及び、ユカタン半島に移住(ココム家)
※父加賀美遠光の姓を冠した

■AD1260年 足利氏 第6代当主足利家時生誕、後に自害

■AD1305年 足利氏 第8代当主足利尊氏生誕

■AD1333年 足利氏 足利尊氏、蜂起した後醍醐天皇に従うが後に離反(建武の新政)

■AD1338年 足利氏 足利尊氏、一旦九州に下ったものの上洛して京都を制圧、光明天皇を擁立して征夷大将軍に(室町幕府)

■AD1358年 足利氏 足利義栓、第2代征夷大将軍に

■AD1368年 足利氏 足利義満、第3代征夷大将軍に

■AD1397年 足利氏 足利義満、舎利殿を中心とする山荘を造営(金閣寺)

■AD1432年 足利氏 ザビエルが「坂東の大学」と呼んだ(足利学校)

■AD1441年 ココム家 マヤパン滅亡を機に日本に帰還

■AD1449年 足利氏 足利義政、第8代征夷大将軍に

■AD1546年 足利氏 足利義輝、第13代征夷大将軍に

■AD1548年 足利氏 足利義輝、伊達晴宗・伊達稙宗と修好

■AD1558年 足利氏 足利義輝、武田晴信・長尾影虎と修好

■AD1560年 足利氏 足利義輝、島津貴久・大友義鎮・毛利元就・尼子晴久と修好

■AD1563年 足利氏 足利義輝、毛利元就・大友宗麟と修好

■AD1564年 足利氏 足利義輝、上杉影虎・北条氏政・武田晴信と修好

■AD1568年 足利氏 足利義昭、信長に擁立されて上洛、第15代征夷大将軍に

■AD1585年 足利氏 足利義昭、秀吉に大名として認められ貴人として余生を送った(室町幕府消滅)

■AD1573年 ココム家 加賀美氏に接近、自身の血統と打ち立てる(加賀美正光生誕)

■AD16世紀 ココム家 加賀美正光、加賀美から各務に改名(各務氏)
※各務の名の由来はココム

■AD1728年 クック姓 ジェームス・クック生誕

■AD1766年 クック姓 ジェームス・クック、王立協会によって南太平洋に派遣される

■AD1769年 クック姓 ジェームス・クック、タヒチに到着

■AD1769年 クック姓 ジェームス・クック、タヒチ人トゥパイアの助力でタスマニア島に到達

■AD1770年 クック姓 ジェームス・クック、オーストラリア大陸発見

■AD1778年 クック姓 ジェームス・クック、ハワイ島発見後、島民に殺害される

■AD1818年 レーガン姓 ジョン・レーガン生誕

■AD1861年 レーガン姓 ジョン・レーガン、アメリカ連合国郵政長官に就任

■AD1865年 レーガン姓 ジョン・レーガン、アメリカ連合国財務長官に就任

■AD1891年 レーガン姓 ジョン・レーガン、テキサス州鉄道委員会議長に就任

■AD1897年 レーガン姓 ジョン・レーガン、歴史の重要性を意識(テキサス州歴史教会)

■AD1911年 レーガン姓 ロナルド・レーガン生誕

■AD1937年 レーガン姓 ロナルド・レーガン、ハリウッド映画「LOVE IS ON THE AIR」で初主演

■AD1964年 レーガン姓 ロナルド・レーガン、ドン・シーゲル監督作品「殺人者たち」に出演、リー・マーヴィン、ジョン・カサヴェテスと競演

■AD1967年 レーガン姓 ロナルド・レーガン、第33代カリフォルニア州知事に就任

■AD1981年 レーガン姓 ロナルド・レーガン、第40代アメリカ合衆国大統領に就任
※レーガンは優れた司会者である、プロデューサー・ディレクターはデーン人

■AD1981年 デーン人 ジョージ・H・W・ブッシュ、第40代アメリカ合衆国副大統領に就任
※デーン人の副大統領がレーガンを指揮下に置いていた

■AD1981年 レーガン姓 ロナルド・レーガン、大統領就任69日後に狂人ジョン・ヒンクリーに狙撃される
※極秘裏に交わした取り決めに反し自由に動く予兆をレーガンの行動・言動に感じ取り、デーン人が手綱を引き締めた、「69」という数字はレーガンが大統領に就任した年齢を示唆する

■AD198?年 レーガン姓 ロナルド・レーガン、「エルサルバドル死守」を掲げて極右民兵組織、「汚い戦争」を支援(レーガン・ドクトリン)
※全てはデーン人の意志

■AD1984年 レーガン姓 ロナルド・レーガン、「私はただいまソ連を永遠に葬り去る法案に署名しました。爆撃は5分後に始まります」発言
※レーガンは役者として大統領を演じているに過ぎない、脚本はブッシュ氏、デーン人のロシアに対する妬みを基調にした激しい憎悪を感じる

■AD1987年 レーガン姓 ロナルド・レーガン、ゴルバチョフをワシントンに招く(中距離核戦略全廃条約)
※デーン人と同盟者のコサックの交流に過ぎない



カイン族の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でカイン族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。聖書に於いてカインがアベルを殺害したために東方に追放された旨の説話が伝えられているが、それは真実だったのだ。カイン族は現ミャンマーに辿り着き、少数民族カレン族、或いはそのままのカイン族として知られている。大英帝国がビルマを狙っていた際、カイン族はイギリス人によってビルマ人に敵対するように指導され、ビルマが大英帝国の支配下に落ちた際、華僑、タミール人などと共に間接支配を任されていた過去がある。尚、甲斐という名からわかるように、彼らは日本にも来た可能性がある。


■BC八千年 カイン族 エデンの東に追放、イウヌから現ミャンマーに移住(カイン族、カレン族、ラカイン族)

■BC八千年 カイン族 現ミャンマーから現台湾に移住(ルカイ族)

■BC八千年 カイン族 現台湾からパプア・ニューギニアに移住(ガイン族)

■BC7世紀 カイン族 現台湾から現山梨県に移住(甲斐国)
※甲斐の名の由来はカイン

■BC7世紀 カイン族 賀茂氏、イッサカル族が畿内から現山梨県に移住、連合(巨摩、甲斐銚子塚古墳)
※巨摩の名の由来は賀茂

■AD645年 カイン族 賀茂氏、イッサカル族と共に甲斐国からモンゴル高原に移住(カイ)

■AD7世紀 カイン族 賀茂氏、イッサカル族と共にモンゴル高原からユカタン半島に移住

■AD7世紀 カイン族 ユカタン半島からスコットランドに移住(ピクト人/カイト)

■AD7世紀 カイト スコットランドに「カイン」「カイト」を由来にする姓が発祥(マッケイ、マッコイ)

■AD12世紀 菊池氏 菊池武村が一族の内紛から甲斐国に逃れ、カイン族と交わる

■AD1338年 菊池氏 菊池重村が足利尊氏に従い、九州に下向(甲斐氏)

■AD14世紀 甲斐氏 室町幕府成立時、甲斐教光が斯波氏の執事として入京

■AD14世紀 甲斐氏 甲斐将教が越前、尾張、遠江の守護代に

■AD1467年 甲斐氏 甲斐敏光が西軍に参加するが、朝倉考景の寝返りにより越前での基盤を喪失(応仁の乱)

■AD15世紀 甲斐氏 今川氏の遠江侵攻を機に消滅

■AD1517年 甲斐氏 甲斐親宣が重臣として阿蘇氏を補佐

■AD1541年 甲斐氏 甲斐親直が御船房行を攻めて御船城主になり、日向、豊後、薩摩に拡大

■AD1852年 カレン族 第二次英ミン戦争以降、大英帝国がカレン族キリスト教徒を支配階級に徴用

■AD1948年 カレン族 ミャンマー独立時、ミャンマー政権に敵対(カレン民族同盟)
※19世紀には背後にイギリスがいたがその後、CIAが継承か

■AD1948年 カレン民族同盟 軍事部門が分派(カレン民族解放軍)
※19世紀には背後にイギリスがいたがその後、CIAが継承か

■AD1976年 カレン民族同盟 ボー・ミャ議長が最高指導者として君臨

■AD1988年 カレン民族同盟 ミャンマー軍事政権に対する反政府暴動

■AD1992年 ミャンマー人 ミャンマー軍事政権が多くの少数武装勢力と停戦に合意

■AD1994年 カレン民族解放軍 キリスト教の指導者に不満を持ち、分派(民主カレン仏教徒軍)

■AD2010年 民主カレン仏教徒軍 ミャンマー軍事政権との関係が急変、軍事衝突が発生




アベル族の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でアベル族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。アベル族はセム族らと共に北極海、アメリカルートに参加し、各地に後裔を残している。彼らの子孫で最も成功した種族はバビロニア人であろう。彼らはユカタン半島に「アベル」の名に因んだ都市「セイバル」を建設した。その後、セイバル人はハム族の後裔ティカル人、セト族などと共にオリエントに帰還し、アメリカ大陸で培った技術を持ち込んだ。ここでは、北極に向かった一派と、オリエントに残留した一派の歴史について記している。


■BC八千年 アベル族A カイン族と交戦し敗北、イウヌからアビシニアに移住(アファル人)
※アファルの名の由来はアベル

■BC八千年 アベル族B セム族、ダン族、アケーア人と共にイウヌから紅海、インドを経由してニューギニアに移住(アベラム族)
※アベラムの名の由来はアベル

■BC五千年 アベル族C エドム人、セム族、エノス族、ヤペテ族、ベドウィン族と連合、イウヌにて北極海探検隊を結成

■BC五千年 アベル族C 北極海ルートを介し、オビ河上流に移住

■BC五千年 アベル族C 北極海ルートを介し、レナ河上流に移住(ブリヤート族)
※ブリヤートの名の由来はアベル

■BC五千年 アベル族C 北極海ルートを介し、インジギルカ河流域に移住(エヴェンキ族)

■BC五千年 アベル族C ベーリング海峡に到達し、アメリカ大陸太平洋岸を南下

■BC五千年 アベル族D 北アメリカ北西部沿岸に定住(ベラ・ベラ族、ベラ・クーラ族)

■BC五千年 アベル族E 北アメリカ北西部沿岸からカリフォルニア沿岸に移住(イバイ族、ワポ族、フーパ族)

■BC五千年 アベル族F カリフォルニア沿岸から北アメリカ南西部に移住(ホピ族)
※ホピの名の由来はアベル

■BC五千年 アベル族G 北アメリカ南西部からユカタン半島に移住(セイバル)
※セイバルの名の由来はアベル

■BC五千年 アベル族G ユカタン半島から北アメリカ大西洋岸を北上、故地のバルト海に帰還

■BC五千年 アベル族G バルト海から故地ヘリオポリスに帰還、アダム族の系統にアメリカ大陸発見を伝える

■BC五千年 アベル族G マンディンカ人、セト族、ノア族、メトセラ族を率いて地中海からユカタン半島に移住

■BC32世紀 セイバル人 2つの支流部族がユカタン半島に都市を建設(ベリーズ、パレンケ)
※ベリーズ、パレンケの名の由来はセイバル

■BC32世紀 アベル族C 神々の集団アヌンナキに率いられ中央アジアからシリアに移住(都市国家エブラ)
※エブラの名の由来はアベル

■BC2240年頃 アベル族C アッカド人の侵攻を機にエブラからカナンに移住、天空神を祀る(天空神バアル)
※バアルの名の由来はアベル

■BC1850年頃 アベル族C カナンからシリア、エブラに帰還(エブラ第二期繁栄期)

■BC1650年頃 アベル族C ヒッタイト帝国の侵攻を期にエブラを放棄し、イスラエルに移住(エフライム族)
※エフライムの名の由来はエブラ

■BC13世紀 エフライム族 イスラエル12支族に参加(イスラエル王国)

■BC9世紀 アベル族C カナンからカルタゴに移住(バアル信仰)

■BC701年頃 エフライム族 フェニキア人の東西移住計画に参加(フェニキア人の大航海時代)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、現ポメラニアからスカンジナビア半島に到着(残留者:フェニキア人、エフライム族、ダン族)

■BC7世紀 エフライム族 バルト海からフィンランドに移住

■BC7世紀 カレリア人 北極海ルートでオビ河上流に及び、現コラサンに移住

■BC7世紀 エフライム族 カレリア人と共に北極海ルートに参加、クリミア半島に移住(クリミア)
※クリミアの名の由来はエフライム

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、ジャワ島からマカオに到着(残留者:マゴ家、テーバイ人、ポエニ人、ルーベン族、レビ族、アシェル族、ガド族、イッサカル族、ウルクのシュメール人、アッカド人、ダン族、エフライム族)

■BC7世紀 マゴ家 マゴ家の船団、マカオから日向国に到着(残留者:マゴ家、アシェル族、ガド族、アッカド人、エフライム族)

■BC7世紀 エフライム族 日向国から現千葉県に移住(阿比留氏)
※阿比留の名の由来はエフライムの祖アベル

■BC7世紀 エフライム族 一部が美濃、飛騨に移住後、尾張国造となる(尾張氏)
※尾張の名の由来はエフライ

■AD113年 尾張氏 熱田神宮大宮司を代々務める(熱田神宮)

■AD1090年 尾張氏 藤原季兼に接近、藤原南家に自身の血統を打ち立てる

■AD1114年 尾張氏 藤原季範に熱田神宮大宮司職を譲る、以降、熱田大宮司は藤原氏の世襲になる

■AD12世紀 尾張氏 藤原季範の3女として生誕、後に清和源氏に自身の血統を打ち立てる(由良御前)

■AD1147年 尾張氏 由良御前と源義朝の間に3男誕生(源頼朝)

■AD1152年 尾張氏 由良御前と源義朝の間に5男誕生(源希義)

■AD1159年 尾張氏 由良御前と源義朝の間に9男誕生(源義経)

■AD1185年 源希義 討ち取られたとされるが、実際には土佐国からモンゴル高原に移住

■AD1188年 源義経 討ち取られたとされるが、奥州藤原氏と共にアメリカに向かう、その途中、黒竜江に残留を希望した

■AD1192年 源頼朝 坂東八平氏と連合、武士による政権樹立(鎌倉幕府)

■AD1219年 源希義、源義経 兄弟がモンゴル高原で再会、チンギス・ハーンのモンゴル軍征西に参加する

■AD13世紀 源希義 現ルーマニアに進出、ワラキアに移住(ヴラド家の祖)
※ヴラドの名の由来には「浦戸」で平家に受けた仕打ちに対する怨念が込められている

■AD13世紀 源義経 現ルーマニアに進出、トランシルヴァニアに移住(バートリ家の祖)
※バートリの名の由来には「馬取」で兄頼朝に受けた仕打ちに対する怨念が込められている

■AD1430年 バートリ家 バートリ・イシュトヴァーン5世生誕(トランシルヴァニア公)

■AD1431年 ヴラド家 ヴラド・ツェペシュ生誕(ワラキア公ヴラド3世)

■AD1435年 バートリ家 バートリ・ミクローシュ生誕、後にハンガリーの司教に

■AD1459年 ヴラド家 ヴラド・ツェペシュ、ワラキア領内の大貴族を打倒、オスマン帝国に対する貢納を拒否

■AD1462年 ヴラド家 ヴラド・ツェペシュ、見せしめに大量のオスマン帝国兵を串刺しにし、メフメト2世をワラキアから撤退させる

■AD1476年 ヴラド家 ヴラド・ツェペシュ、12年に及ぶ幽閉から解放され返り咲くが、ブカレスト近郊で戦死

■AD1533年 バートリ家 バートリ・イシュトヴァーン9世生誕、後にポーランド王に即位

■AD1555年 バートリ家 バートリ・イシュトヴァーン12世生誕、後にハンガリー司法官に

■AD1560年 バートリ家 バートリ・エリザベート生誕(血の伯爵夫人)

■AD1562年 バートリ家 バートリ・アンドラーシュ生誕、後にカトリック教会の枢機卿、ドラゴン騎士団総長に就任

■AD1572年 バートリ家 バートリ・ジグモント生誕、トランシルヴァニア公を退き、引き換えにオポーレ公の座を得る

■AD1610年 バートリ家 バートリ・エリザベート、バートリ家滅亡を画策するジルシン族、ルター派の罠にはめられ、猟奇殺人鬼の汚名を着せられる

■AD1611年 バートリ家 バートリ・エリザベート、扉と窓を漆喰で塗り固められたチェイテ城の寝室に幽閉された

■AD1614年 バートリ家 バートリ・エリザベート死去

■AD1858年 ルーマニア人 ワラキア・モルダヴィア連合侯国成立を機に源希義、源義経の血統を継ぐルーマニア人が日本に帰還

■AD1871年 ルーマニア人 渡辺長松に接近、自身の血統を打ち立てる(渡辺長七生誕)

■AD1877年 ルーマニア人 渡辺長七、牧口善太夫の養子となる

■AD1893年 ルーマニア人 渡辺長七、牧口常三郎に改名
※常三郎の名の由来はルーマニア語「CHOSA/選択」「VRU/欲する」の組み合わせ

■AD1903年 ルーマニア人 牧口常三郎、「人生地理学」発刊

■AD1918年 ルーマニア人 ソ連によるコサック殲滅を機に、平家の血統を継ぐルーマニア人が日本に帰還

■AD1920年 海西女直/ハダ 戸田甚一、真宗王国の加賀から出てきて東京の牧口常三郎を訪問

■AD1921年 海西女直/ハダ 戸田甚一、牧口常三郎の発案で戸田城聖に改名
※城聖の名の由来はルーマニア語「CHOSEI/選択」

■AD1928年 ルーマニア人 牧口常三郎、日蓮の教義に感銘を受ける

■AD1928年 ルーマニア人 子之吉に接近、自身の血統を打ち立てる(池田大作生誕)

■AD1930年 ルーマニア人 牧口常三郎、「創価教育学体系」発刊(創価教育学会)
※創価の名の由来はルーマニア語「衝撃」

■AD1941年 ルーマニア人 牧口常三郎、特高の監視下で「大善生活実験証明座談会」を開催

■AD1943年 ルーマニア人 牧口常三郎、治安維持法違反及び不敬罪の容疑で下田警察署に連行

■AD1944年 ルーマニア人 牧口常三郎、巣鴨プリズンで栄養失調の為に死去

■AD1946年 海西女直/ハダ 戸田城聖、創価教育学会を改名(創価学会)

■AD1951年 海西女直/ハダ 戸田城聖、全国の浄土真宗信徒、約1/3、数百万人を一気に創価学会に入信させる

■AD1960年 建州女直/ワンギヤ 池田大作、創価学会第三代会長に就任




セト族の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でセト族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。こうして見ると、真のユダヤ人とはユダ族を輩出したセト族の系統だと考えられるが、当のセト族は関心がないように見える。「ユダヤ」の名称はもはや称号と化しているが、その称号を手中にせんと、エドム人の系統スファラディ(アベル族の系統サバエ人)、アシュケナジム(メトセラ族の系統アシェル族、セム族の系統シメオン族)が、アケーア人の系統シェルデン人(ベニヤミン族)、デーン人(ダン族)と対立している。



■BC五千年 セト族 アベル族の案内でセト族、ノア族、メトセラ族、マンディンカ人と共に地中海からユカタン半島に移住

■BC五千年 セト族 単独でユカタン半島から太平洋側に出て北上、北アメリカ西海岸に移住(ユート族/ユテ族)
※ユート、ユテの名の由来はセト

■BC五千年 ユート族 北米西海岸とユカタン半島を頻繁に往来

■BC33世紀 ユート族 ティカル人、セイバル人、セロス人と共にモハス平原、ユカタン半島からアイルランドに帰還(ヒベルニア)
※ヒベルニアの名の由来はセイバル

■BC32世紀 ユート族 セイバル人、ティカル人と共にアイルランドを経由して地中海に帰還

■BC32世紀 ユート族 セイバル人、ティカル人と共に地中海からインダス流域に移住(インダス文明)

■BC32世紀 ユート族A インダスからエジプト、現テーベに移住(ワセト)
※ワセトの名の由来はセト

■BC32世紀 ユート族B 現テーベからヘルモポリスに移住(月の神トート/ジェフウティ)
※ジェフウティの名の由来はセト

■BC32世紀 ユート族C ヘリモポリスから現レバノンに移住(シドン/サイドゥーン)
※サイドゥーンの名の由来はジェフウティ

■BC32世紀 ユート族D 現テーベからヘリオポリスに移住(セト神)

■BC32世紀 ユート族B ティカル人、メトセラ族、ハム族、スバル人、エノク族、ヤレド族、セロス人と連合、北極海探検隊を結成

■BC32世紀 ユート族B 北極海ルートを介し、オビ河上流に移住、神々の集団アヌンナキに参加(トゥトゥ)
※トゥトゥの名の由来はトート

■BC26世紀 ユート族D レメク族を誘ってバルト海からカナリア諸島に移住(セトとラーの太陽船の説話)

■BC26世紀 ユート族D 太陽神ラーを祀るレメク族と共にカナリア諸島からエジプトに移住(ヘリオポリス支配)

■BC2133年 ユート族A カナン族のワセト進出を機にインドに移住(シンド)
※シンドの名の由来はユート

■BC11世紀 ユート族B フェニキア人の侵攻を機にエジプトからオアハカ盆地に移住(サポテカ文明/他称)

■BC11世紀 ユート族B オアハカ盆地にてトトの名を土地に冠する(トトテペック)

■BC701年頃 シドン人 フェニキア人の東西移住計画に参加(フェニキア人の大航海時代)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、イベリア半島からライン河畔に到着(残留者:カルタゴ人、フリギア人、シドン人)

■BC7世紀 シドン人 ライン河畔から現バーガンディー地方に移住(シトー修道会/1098年)

■BC4世紀 ユート族B オアハカ盆地を統一(山上都市モンテ・アルバン/他称)

■AD380年 ローマ帝国 エジプトの神殿、神像を破壊(テオドシウス大帝、キリスト教を国教に)

■AD380年 ユート族 トートを祀っていた神官氏族がナザレ人と連合、エジプトからアラビア半島に移住(ナジュド)
※ナジュドの名の由来はノアとセトの組み合わせ

■AD1098年 シドン人 ベネディクト修道会から分離、新規の修道会結成(シトー修道会)
※シトーの名の由来はシドン

■AD1115年 シドン人 シトーから分離、クレルヴォーのベルナールが修道会結成(クレルヴォー修道会)

■AD18世紀 シドン人 フランス革命を機に、フランスからアラビア半島に移住(ラシード家)
※ラシードの名の由来はシドン

■AD1836年 ラシード家 ハーイルを首都に国家建設(ジャバル・シャンマル王国)

■AD1849年 モルモン教 現ユタ州に到達、ユテ族と連合

■AD1853年 ユテ族 モルモン教に入信

■AD1865年 ユテ族 合衆国内部のアケーア人の血統が、モルモン教とユテ族を対立に導いた(ブラックホーク戦争)

■AD19世紀 シドン人 フランス革命後、アラビア半島からフランスに帰還(厳律シトー会)




Aユダヤ人


■BC2133年 ユート族A カナン族のワセト進出を機にイスラエルに移住(ユダ族)
※ユダの名の由来はユート

■BC20世紀 ユダ族 イスラエルでユダヤ教の思想、教義を育む(ユダヤ教)

■BC13世紀 ユダ族 イスラエル12支族に参加(イスラエル王国)

■BC993年頃 ユダ族 イスラエル王国分裂(ユダ王国)

■BC670年頃 ユダ族 クシュ人の東西移住計画に参加(クシュ人の大航海時代)

■BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、アラビア半島からセイロン島に到着(残留者:クシュ人、ルカ人、オルフェウス教団、ユダ族)

■BC7世紀 ユダ族A セイロン島からインドに移住(チェディ王国)
※チェディの名の由来はユダ

■BC7世紀 クシュ人 クシュ人の船団、イベリア半島からバルト海に到着(残留者:ユダ族、ベニヤミン族、ルカ人)

■BC7世紀 ユダ族A バルト海到着後、ユトランド半島に移住(ジュート人/テウトニ人)
※ジュート、テウトニ共に名の由来はユダ、ジューダ

■BC113年 テウトニ人 キンブリ人と共にローマ領内に侵攻(キンブリ・テウトニ戦争)

■BC1世紀 テウトニ人A 敗北を機にユカタン半島に進出、現メキシコに移住(テオテナンゴ)

■BC1世紀 テウトニ人B 敗北を機にユトランド半島に移住

■AD135年 ユダ族B ディアスポラによりイスラエルからアラビア半島に移住(アル・アジド)
※アジドの名の由来はユダ、ジューダ

■AD135年 ユダ族B ディアスポラによりイスラエルからユトランド半島に移住、先発隊ジュート人に合流

■AD2世紀 ユダ族B 一部がユトランドからユカタン半島に移住(太陽神キニチ・アハウ)
※アハウの名の由来はヤハウェ

■AD2世紀 ユダ族B ユカタン半島から現メキシコに移住(ショチカルコ、カカシュトラ)

■AD3世紀 イェマック 北アメリカからブリテン島に移住(残留者:多氏、倭人、大伴氏、ラコタ族、マゴ家、百済人、ラーオ族、陳氏)

■AD5世紀 ジュート人A ユトランド半島からブリテン島に移住、カンタブリア人の王国建設に参加(ケント王国)
※ケントの名の由来はカンタ

■AD5世紀 ジュート人B 一部がケント王国からウェールズ地方に移住

■AD6世紀 ジュート人B 百済人と連合、現ダービーシャーに移住(ペクサエテ王国)
※ペクサエテの名の由来は百済とジュートの組み合わせ

■AD6世紀 ジュート人B ラーオ族、陳氏と連合、現ダービーシャーに移住(ウレオチェンサエテ王国)
※ウレオチェンサエテの名の由来はラーオ、陳、ジュートの組み合わせ

■AD656年 ジュート人B マゴ家と連合、現ケンチェスターに移住(マゴンサエテ王国)
※マゴンサエテの名の由来はマゴとジュートの組み合わせ

■AD9世紀 ジュート人A ウェセックス王国侵攻を機に、ケント人と共にブリテン島を離れる(ケント王国消滅)

■AD1081年 ジュート人B デハイバース王国に移住、リース・アプ・チューダーがデハイバース国王に即位(テューダー家)
※テューダーの名の由来はジュート、テューダー家には正統派ユダヤ人と天孫族の血が流れている

■AD12世紀 ジュート人A ブリテン島からドイツに移住、テウトニ人Bと騎士団を結成(ドイツ騎士団)
※チュートンの名の由来はジュート、或いはテウトニ

■AD12世紀 ドイツ騎士団 中欧アジアの騎馬民族フン族、サルマタイ人の残党が騎士として参加

■AD1210年 ドイツ騎士団/テウトニ人 アンドラーシュ2世の招きに応じ、ハンガリーに移住(プルツェンラントを所領に)

■AD1224年 ドイツ騎士団/ジュート人 プロイセン征服(ドイツ騎士団国家)

■AD1225年 ドイツ騎士団/テウトニ人 プルツェンラントの分離独立を謀り、アンドラーシュ2世の逆鱗に触れる(トランシルヴァニア追放)

■AD1225年 ドイツ騎士団/テウトニ人 マゾフシェ公コンラート1世に招かれ、ポーランドに移住しジュート人と合流(クルムラント防衛)

■AD1237年 ドイツ騎士団 リヴォニア帯剣騎士団を吸収(ラトビア征服事業)

■AD14世紀 ドイツ騎士団 ハンザ同盟と連合、穀物を輸出(ドイツ騎士団国最盛期)

■AD1400年頃 テューダー家 オーウェン・テューダー生誕、ヘンリー7世の祖父

■AD1410年 ドイツ騎士団 「グルンヴァルトの戦い」に敗北後、衰退(ドイツ騎士団国消滅)

■AD1452年 テューダー家 エドマンド・テューダー、リッチモンド伯に

■AD1485年 テューダー家 ヘンリー・テューダー、ヨーク朝を倒し、ヘンリー7世としてイングランド国王に即位(テューダー朝)

■AD1491年 テューダー家 ヘンリー8世生誕

■AD15世紀 ジュート人 ドイツ騎士団国消滅を機に、バルト海からユカタン半島に進出、ショチカルコに移住

■AD1532年〜1537年 テューダー家 ヘンリー8世、イングランド国教会の創設に関わる法令を発布(聖公会)

■AD1532年〜1537年 テューダー家 ヘンリー8世、アングル人のトマス・クランマーをカンタベリー大司教に就ける

■AD1532年〜1537年 デーン人 ロチェスター司教ジョン・フィッシャー、ヘンリー8世の改革に反対したため、処刑された

■AD1536年 デーン人 アン・ブーリン、自身の血統を打ち立てる目的でヘンリー8世に接近するが処刑された
※ブーリン姓はデーン人由来

■AD1540年 イースト・アングリア人 第五王妃となるキャサリン・ハワードをヘンリー8世に接近させる

■AD1543年 イースト・アングリア人 第六王妃となるキャサリン・パーをヘンリー8世に接近させる

■AD1547年 テューダー家 エドワード6世、イングランド国王に即位

■AD1553年 テューダー家 メアリー1世、イングランド女王に即位

■AD1558年 テューダー家 エリザベス1世、イングランド女王に即位、アングル人のウォルシングハム、ノルマン人のベーコン、マーシア人のダドリー、デーン人のセシルが脇を固める

■AD1582年 テューダー家 エリザベス1世、ジェラルド・フィッツジェラルドが指揮するマンスターの反乱鎮圧のためにアイルランドに侵攻
※母方の血、デーン人の成せる業か

■AD1585年 テューダー家 エリザベス1世、オランダ人を軍事的に援助することを約束(ノンサッチ条約)
※母方の血、デーン人の成せる業か

■AD1588年 テューダー家 エリザベス1世、デヴォン人のフランシス・ドレイクがスペイン無敵艦隊を撃破(アルマダの海戦)

■AD1589年 テューダー家 エリザベス1世、ユグノーであるアンリ4世がフランス国王に即位すると彼に援軍を派遣
※母方の血、デーン人の成せる業か

■AD1603年 テューダー家 スチュアート朝成立を機に、ブリテン島からアラビア半島に移住

■AD1603年 テューダー家 アナイザ族に参加、アラビア半島中部ディルイーヤを支配(サウード家)
※サウードの名の由来はテューダー

■AD1744年 サウード家 ムハンマド・イブン=サウード、ワッハーブ派と連合し勢力伸張(第一次サウード王国)

■AD1818年 アルバニア人 ムハマンド・アリーの子息イブラヒーム・パシャがナジュドに侵攻(第一次サウード王国滅亡)

■AD1824年 サウード家 リヤドに移転、ラシード家と敵対する(第二次サウード王国)

■AD1932年 サウード家 リヤドをラシード家から奪還、ナジュドで建国(サウジアラビア王国)

■AD1953年 サウード家 サウード・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール・サウード、第2代サウジアラビア国王に即位

■AD1964年 サウード家 ファイサル・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール・サウード、第3代サウジアラビア国王に即位

■AD1975年 サウード家 ハーリド・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール・サウード、第4代サウジアラビア国王に即位

■AD1982年 サウード家 ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール・サウード、第5代サウジアラビア国王に即位

■AD2005年 サウード家 アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード、第6代サウジアラビア国王に即位


西郷氏・東郷氏


■AD628年 マゴ家 マーシアの属国化を機に、倭人、ジュート人と共にウィッチェ王国から太平洋・トンガ島に移住

■AD7世紀前半 マゴ家 ユカタン半島通過中に加賀氏の一部と合流、旅に参加する

■AD7世紀前半 マゴ家 倭人、ジュート人、加賀氏と共にトンガ島を発って北上を開始

■AD7世紀前半 マゴ家 倭人、ジュート人、加賀氏と共にトンガ島から太平洋を北上、ハワイ島を発見(ハワイ)
※ハワイの名の由来はウイッチェ

■AD7世紀前半 ジュート人A 一部がハワイ島に残留

■AD7世紀前半 マゴ家 倭人、ジュート人、加賀氏と共にハワイ島から日本に向かう途中、グアム島を発見(グアム)
※グアムの名の由来は日本語「神」

■AD7世紀前半 マゴ家 倭人、ジュート人、加賀氏と共にグアム島から日本に到達、現千葉県に移住(九十九里浜)
※九十九里の名の由来はククルカン

■AD7世紀前半 加賀氏 日本に残留するが、ジュート人は日本に残留せずに西方に向かう

■AD7世紀 加賀氏A 故地の加賀に帰還し、白山の神「白山比淘蜷_」を祀る(菊理媛神)
※ククリ媛の名の由来はククルカン

■AD7世紀前半 ジュート人B 日本からアラビア半島南部、現イエメンに移住

■AD7世紀前半 マゴ家 倭人と共にグアム島から満州に移住し靺鞨と連合、2勢力に分離(粟末靺鞨)

■AD698年 粟末靺鞨 大祚栄、震国を建設(渤海国)
※ボハイの名の由来はハワイ

■AD819年 ジュート人B ムハンマド・イブン・ジャード、ジャード朝初代君主に即位(ジャード朝)
※ジャードの名の由来はジュート

■AD859年 ジュート人B イブラヒム・イブン・ムハンマド、ジャード朝第2代君主に即位

■AD926年 渤海人 契丹の侵攻により滅亡、東丹国として再編(渤海国滅亡)

■AD930年 渤海人A 東丹国消滅を機に、満州から沖縄本島に移住

■AD937年 渤海人B 南詔国滅亡を機に西方に向かうタイ族やジャワ人と連合、現ジンバブエに移住

■AD981年 ジュート人B ジャード・イブン・イシャク、ジャード朝第5代君主に即位

■AD1012年 ジュート人B イブラヒム、ジャード朝第6代君主に即位

■AD1018年 ジュート人B イブラヒム、ジャード朝滅亡を機に東方帰還を目指す

■AD1019年 渤海人C 女真を称し、沖縄から九州に侵攻(刀伊の賊)

■AD11世紀 加賀氏B 藤原政則に接近し、自身の血統を打ち立てる(菊池則隆生誕、菊池氏)
※菊池の名の由来は「ククルカンの池」

■AD11世紀 ジュート人B アラビア半島からジャワ島に到着、ジャワ人と連合する

■AD11世紀 ジュート人B ジャワ人と共にジャワ島から沖縄本島に移住

■AD11世紀 ジュート人B 一部が更に沖縄本島から日本に移住

■AD11世紀 ジュート人B 菊池則隆に接近、自身の血統を打ち立てる(西郷政隆生誕、西郷氏)
※西郷の名の由来は「西のジュート」

■AD1100年代 渤海人C 九州から京都に移住して藤原家保に接近、女児誕生

■AD1131年 渤海人C 藤原家保の娘、藤原忠宗に接近(中山忠親生誕、中山家)
※中山の名の由来は女真

■AD1187年 渤海人A ジャワ人と連合、沖縄に王朝を開く(舜天王統)
※舜天の名の由来はジャワ

■AD13世紀 渤海人B マプングプエを退けて王国を建設(グレート・ジンバブエ王国)
※ジンバブエの名の由来は「新ボハイ」

■AD1260年 マゴ家 天孫氏を称して渤海人から分離・独立、沖縄に王朝を開く(英祖王統)

■AD13世紀 ジュート人A ハワイ島に残留していた人々が日本に移住、相模国に上陸

■AD13世紀 ジュート人A 渋谷重国に接近、自身の血統を打ち立てる(東郷実重生誕、東郷氏)
※東郷の名の由来は「東のジュート」

■AD1350年 ジュート人B 察度、浦添の英祖王統を滅ぼす(察度王統/中山王国)
※中山の名の由来は女真、察度の名の由来はジュート

■AD1828年 西郷氏 西郷隆盛生誕

■AD1843年 西郷氏 西郷従道生誕

■AD1848年 東郷氏 東郷平八郎生誕

■AD1862年 東郷氏 東郷平八郎、薩英戦争に従軍

■AD1864年 西郷氏 西郷隆盛、征長軍参謀に任命される(第一次長州征伐)

■AD1866年 西郷氏 西郷隆盛、桂小五郎と薩長提携六ヶ条を密約(薩長同盟)

■AD1867年 西郷氏 西郷隆盛、坂本龍馬らと会した(薩土盟約)

■AD1867年 西郷氏 西郷隆盛、大政奉還と王政復古(明治維新)

■AD1873年 西郷氏 西郷隆盛、征韓論を巡って下野(明治六年政変)

■AD1874年 西郷氏 西郷従道、台湾藩地事務都督に就任、台湾出兵を準備

■AD1877年 海西女直 山縣有朋、薩摩の「隠れ念仏」の信者と通じ、火薬庫を襲わせ、隆盛を排除する口実を作る

■AD1877年 西郷氏 西郷隆盛、薩摩軍の一大隊が鹿児島から先発(西南戦争)

■AD1893年 東郷氏 東郷平八郎、邦人保護を理由に巡洋艦「浪速」他2隻をハワイに派遣

■AD1894年 東郷氏 東郷平八郎、「浪速」の艦長を務め、豊島沖海戦等で活躍(日清戦争)

■AD1904年 東郷氏 東郷平八郎、旗艦「三笠」に座乗して旅順港の攻撃他を指揮(日露戦争)




エノス族の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でエノス族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。古代の神官氏族による北極海ルートを介した北極・シベリアの探検は、仮定してみたものの漠然としたものであった。そのため、エノス族とネネツ人の名に共通点を発見したことは、興味深い驚きであった。また、オナシス家がエノス族直系の後裔という可能性も出てきた。

■BC八千年 エノス族A エジプト、イウヌから現トラキアに移住(エノス)

■BC五千年 エノス族B エドム人、セム族、アベル族、ヤペテ族、ベドウィン族と連合、北極海探検隊を結成

■BC五千年 エノス族B 北極海ルートを介し、ペチョラ河流域に移住(ネネツ人)
※ネネツ人の名の由来はエノス

■BC32世紀 ネネツ人 アッシリア人などの台頭を機にペチョラ河流域からヨーロッパに移住(ウォネース族)

■BC26世紀 エノス族A 現トラキアからメソポタミアに移住、アヌンナキの神々に対抗して神を祀る(アン)
※アンの名の由来はエノス

■BC26世紀 エノス族A 現トラキアからメソポタミアに移住、アヌンナキの神々に対抗して月の神を祀る(ナンナ)
※ナンナの名の由来はアン

■BC26世紀 エノス族A 現トラキアからメソポタミアに移住、アヌンナキの神々に対抗して金星の神を祀る(イナンナ)
※イナンナの名の由来はナンナ

■BC26世紀 エノス族A ヤレド族やアヌンナキの神々と連合、月の神ナンナを守護神として祀る(ウル第一王朝)
※ナンナの名の由来はアヌンナキ

■BC22世紀 エノス族A 引き続き、ヤレド族やアヌンナキの神々と連合(ウル第三王朝)

■BC2004年頃 エノス族A エラム人の侵攻を機に、ギリシアに移住(ウル第三王朝滅亡)

■BC2004年頃 エノス族A ギリシアでヘレネス人に接触、女神を祀る(ヴィーナス)
※ヴィーナスの名の由来はエノス

■BC21世紀 エノス族B 北極海を抜けてアメリカ大陸に進出、北米太平洋岸を南下してコロラド流域に移住(アナサジ族)
※アナサジの名の由来はエノス

■BC21世紀 エノス族B 北極海を抜けて南下、日本列島に移住

■BC1200年頃 アナサジ族 遊牧的な狩猟採集で暮らしていたとされ、後代の学者にバスケットメーカーT期と呼ばれる(アナサジ文化)

■BC700年頃 アナサジ族 カボチャとトウモロコシの耕作が確認されており、後代の学者にバスケットメーカーU期と呼ばれる

■BC2世紀 ウォネース族 ライン河畔でアングル人と連合(インガエウォネース族)
※インガエウォネースの名の由来はアングルとウォネースの組み合わせ

■BC70年 エノス族B 現栃木県に移住(那須国造)
※那須の名の由来はエノス

■BC1世紀 ウォネース族 バルト海でエストニア人と連合(イスタエウォネース族)

■BC?世紀 ウォネース族 バルト海からイスラエルに移住(洗礼者ヨハネス)
※ヨハネスの名の由来はウォネース

■AD?世紀 ウォネース族 洗礼者ヨハネス、イエスに洗礼を授ける

■AD?世紀 ウォネース族 洗礼者ヨハネス、国王ヘロデにより斬首

■AD?世紀 ウォネース族 洗礼者ヨハネスの斬首を機に、氏族がイスラエルから太平洋に移住(バヌアツ島)
※バヌアツの名の由来はヨハネス

■AD1世紀 エノス族A キリスト教を基調に新規の宗教を発想、独自の主張を展開(グノーシス主義)
※グノーシスの名の由来はエノス

■AD400年頃 アナサジ族 大規模な竪穴式住居が散見され、後代の学者にバスケットメーカーV期と呼ばれる

■AD6世紀 インガエウォネース族A ゲルマニア消滅を機に、故地シベリアに帰還(エネツ人)

■AD6世紀 インガエウォネース族B ゲルマニア消滅を機に、イングランドに移住(エノス姓)

■AD6世紀 エノス姓B イングランドからドイツに移住

■AD6世紀 エノス姓C イングランドからスコットランドに移住(イネス姓)

■AD6世紀 エノス姓D イングランドからアラビア半島に移住(アナイザ族)
※アナイザの由来はエノス

■AD6世紀 エノス姓E アラビア半島から日本に移住

■AD12世紀 エノス姓E 須藤宗資に接近、自身の血統を打ち立てる(那須資隆生誕、那須氏)
※那須の名の由来はエノス

■AD1169年 那須氏 那須資隆の子、那須与一生誕

■AD1185年 那須氏 那須与一、「屋島の戦い」で活躍

■AD15世紀 那須氏 室町時代、有力大名のひとつとして関東で屋形号を称することを許された(関東八屋形)

■AD15世紀 アナイザ族 オスマン・トルコ帝国の治世下、オアシス都市を中心にアラビア北西部に君臨

■AD15世紀 アナイザ族 ナジュド北部、アル・カシームに移住

■AD15世紀 エネツ人 モスクワ公国勢力伸張を機に、ペチョラ河流域からヨーロッパに移住(イェニシェ)

■AD1514年 那須氏 上那須氏が内紛によって滅亡

■AD16世紀 那須氏 下那須氏の那須資房が那須氏を統一、宇都宮氏、佐竹氏との抗争に明け暮れる

■AD1603年 アナイザ族 アラビア半島に移住したテューダー家が参加、後にアラビア半島中部ディルイーヤを支配(サウード家)
※サウードの名の由来はテューダー

■AD18世紀 イェニシェ ドイツを中心にハサミ研ぎ師、籠職人、奇術師として欧州に居住地を拡大

■AD1827年 エノス姓A トルーマン・エノス、ニューヨーク州上院議員に

■AD1834年 エノス姓A ベンジャミン・エノス、マディスン郡の職員に就任

■AD1842年 エノス姓A ベンジャミン・エノス、ニューヨーク州議会に就任

■AD1845年 エノス姓A ベンジャミン・エノス、ニューヨーク州出納係に就任

■AD1903年 エノス姓B ハンス・ヨナス生誕、後に哲学者に

■AD1906年 エノス姓A アリストテレス・オナシス生誕、20世紀最大の海運王に(オナシス家)
※オナシスの名の由来はエノス

■AD1920年代 エノス姓B ハンス・ヨナス、実存主義者マルティン・ハイデガーに師事

■AD1922年 オナシス家 アリストテレス・オナシス、ギリシアに移住(スミルナの大火)

■AD1923年 オナシス家 アリストテレス・オナシス、ブエノス・アイレスに移住

■AD1929年 ネネツ人 ネネツ民族管区が形成される

■AD1936年 ネネツ人 ナリヤン・マルが建設される

■AD1948年 オナシス家 アレクサンダー・オナシス生誕

■AD1950年 オナシス家 クリスティーナ・オナシス生誕

■AD1954年 オナシス家 アリストテレス・オナシス、FBIに起訴されて有罪を宣告され、7百万ドルの支払いを命じられる

■AD1955年 エノス姓B ハンス・ヨナス、ニューヨークで教鞭をとる

■AD1957年 オナシス家 アリストテレス・オナシス、ギリシア国営航空会社を買収(オリンピック航空)

■AD1962年 イネス姓 ニール・イネス、ボンゾ・ドッグ・ドーダー・バンドに加入

■AD1973年 イェニシェ 画家ウォルター・ウェグミューラー、プログレ・ロック作品「タロット」発表

■AD1975年 イネス姓 ニール・イネス、モンティ・パイソンの映画「ホーリー・グレイル」に出演

■AD1975年 イネス姓 ニール・イネス、エリック・アイドルと「ザ・ラットルズ」を結成

■AD1975年 イェニシェ 小説家マリエラ・メール、トスカーナで活動

■AD1977年 ネネツ人 ネネツ民族管区がネネツ自治管区に改称

■AD1978年 イェニシェ ステファン・アイハー、スイスでミュージシャンとしてレコード・デビュー

■AD1979年 エノス姓B ハンス・ヨナス、著作「グノーシスの宗教:異邦の神のメッセージとキリスト教の起源」を発刊
※グノーシスに対する関心は先祖の血がなぜる技か

■AD1984年 エノス姓B ハンス・ヨナス、著作「規範としての責任性」を発刊

■AD1985年 オナシス家 アシーナ・オナシス・デ・ミランダ生誕

■AD1999年 エノス姓A ジョン・エノス3世、「セックス&ザ・シティ」に出演

■AD2002年 エノス姓A ジョン・エノス3世、ラリー・コーエン脚本、ジョエル・シューマッハ監督「フォーン・ブース」に出演

■AD2006年 イェニシェ 小説家トーマス・ソートナー、オーストリアやヴェニスで活動



ヤレド族の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でヤレド族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。ヤレドはアダムから数えて5代目であり、マハラレルの息子と伝えられている。古代の神官氏族による北極海ルートを介した北極・シベリアの探検は、仮定してみたものの漠然としたものであった。そのため、ヤレド族とアリュート族の名に共通点を発見したことは、興味深い驚きであった。また、ヤレドの名とシュメールの都市エリドゥにつながりを発見したことで、シュメール文明はソマリアから来たセム族、ヤぺテ族、オリエントに残留したヤレド族、ノア族、そして北極から来たエノク族、メトセラ族、スバル人など、アダム族の血統が共同で形成した文明であることがわかった。


@ヤレド族


■BC五千年 ヤレド族A メソポタミアに都市国家を建設(エリドゥ)
※エリドゥの名の由来はヤレド

■BC五千年 ヤレド族A メソポタミアからイスラエルに移住(ヨルダン川)
※ヨルダンの名の由来はヤレド

■BC32世紀 ヤレド族B ティカル人、メトセラ族、ハミ人、スバル人、エノク族、セト族、セロス人と連合、北極海探検隊を結成

■BC32世紀 ヤレド族B 北極海ルートを介し、ペチョラ河上流に移住(アルタイ人)
※アルタイの名の由来はヤレド

■BC32世紀 ヤレド族B 北極海ルートを介して樺太に移住(ウィルタ族)
※ウィルタの名の由来はヤレド

■BC32世紀 ヤレド族B 樺太からアリューシャン列島に移住(アリュート族)
※アリュートの名の由来はヤレド

■BC32世紀 ウィルタ族 樺太から黒龍江流域に移住(ウルチ族)
※ウルチの名の由来はウィルタ

■BC32世紀 ヤレド族A 神々の集団アヌンナキがメソポタミアに移住、エリドゥを占拠される

■BC32世紀 ウルチ族 トラキア人と対立し、オロチ族を率いて樺太からメソポタミアに移住(ヤレド族の大航海時代)

■BC32世紀 ウルチ族 メソポタミアに移住、都市国家を建設(ウルク)
※ウルクの名の由来はウルチ

■BC32世紀 ウィルタ族 メソポタミアに移住、都市国家を建設(ウル)
※ウルの名の由来はウィルタ

■BC29世紀 アリュート族 アリューシャン列島を発って北極海ルートを逆行し、レナ河上流に移住(アーリア人)
※アーリアの名の由来はアリュート

■BC29世紀 オロチ族 アリュート人に誘われて樺太からレナ河に移住(オロチョン族)
※オロチョンの名の由来はオロチ

■BC2050年 ヤレド族A ユカタン勢力のオリエントに於ける勢力伸張を機にエリドゥを放棄、西方に移住

■BC21世紀 ヤレド族A メソポタミアからウガリットに移住(最高神エル)

■BC21世紀 ヤレド族A エノク族と共にメソポタミアからインドに移住(ガルダ)

■BC21世紀 ヤレド族A エノク族と共にインドから古代中原に移住(魯/ルウ)
※ルウの名の由来はヤレド、或いはエリドゥ

■BC21世紀 ヤレド族A エノク族と共にメソポタミアから黒海に移住(ワラキア)

■BC12世紀 アーリア人 シベリアからインドに移住、一部が分離・独立(アリナ族)
※アリナの名の由来はアーリア

■BC12世紀 アリナ族 プール、ブリグ、マツヤ、ドルヒユ、パルシュ、ダーサ、パニ、アヌ、バラーナと連合、バーラタ、トリツと交戦(十王戦争)

■BC12世紀 アリナ族 十王戦争敗北を機に、インドからヒッタイト帝国に移住(太陽の女神アリンナ)
※アリンナの名の由来はアリナ

■BC552年 ヤレド族A 魯国に孔子生誕(儒教)
※儒教の名の由来はシュメール

■BC330年 ペルシア人 ダリウス大帝、暗殺(ペルシア帝国滅亡)

■BC330年 アーリア人A ペルシア帝国滅亡を機にタタ族を率いてイランからモンゴル高原に移住、キンメリア人と連合(匈奴)

■BC3世紀 アーリア人B 一部がパルニ人と連合、ヨーロッパに移住(アルウェルニ族)

■BC52年 アルウェルニ族 族長ウェルキンゲトリクスがローマに蜂起、カエサルに敗北(アレシアの戦い)

■AD1世紀 アーリア人A キンメリア人と対立、匈奴が2勢力に分割(北匈奴、南匈奴)

■AD1世紀 アーリア人A 南匈奴は鮮卑などと連合、一部は征西(アラン人)
※アラン人の名の由来はアリンナ

■AD2世紀 アラン人 匈奴時代の同僚、フン族と共にヨーロッパに侵入(ゲルマン民族大移動)

■AD2世紀 アラン人A コーカサスに一部残留

■AD409年 アラン人B 中央アジアからイベリア半島に移住(アラン王国)

■AD526年 アラン人B ヴァンダル族と連合、北アフリカに移住(ヴァンダル王国)

■AD6世紀 アラン人A コーカサスの残留組が国家建設(アラニア人、アラニア王国)

■AD629年 アラニア人 ビザンツ帝国と同盟締結、両者の交流からキリスト教が普及(アラブ・東ローマ戦争)

■AD642年 アラニア人 ビザンツ帝国と同盟締結、両者の交流からキリスト教が普及(アラブ・ハザール戦争)

■AD925年 アストゥリアス家 レオン王国のペルス家台頭を機に、アラン人Bを率いてイベリア半島からコーカサスに向かう

■AD925年 アストゥリアス家 コーカサスに向かう途中、アドリア海でドゥクリャ人と合流

■AD925年 アストゥリアス家 アラン人、ドゥクリャ人と共にアラニア王国に移住(アス人、オセット人)
※アス、オセットの名の由来はアストゥリアス

■AD925年 アラン人B 祖を同じくするアラニア王国の残党と合流(イロン人、オセット人)
※イロンの名の由来はアラン

■AD925年 ドゥクリャ人 アラニア王国に移住、オセット人に参加(ディゴル人、オセット人)
※ディゴルの名の由来はドゥクリャ

■AD1239年 アラニア人 モンゴル軍が国土を蹂躙(アラニア王国消滅)

■AD1817年 オセット人 チェチェン、イングーシ、ダゲスタンがロシアに併合(コーカサス戦争)

■AD1922年 オセット人 ロシア革命後、オセチアが南北に二分され、南オセチアがグルジアに編入(南オセチア自治州)

■AD1924年 オセット人 北オセチアはソ連に編入(北オセチア自治州)

■AD1936年 オセット人 北オセチア自治州が北オセチア自治ソビエト社会主義共和国に昇格

■AD1989年 オセット人 公用語がグルジア語に決定されたのを機に、南オセチアが自治共和国制を要請

■AD1990年 オセット人 グルジア最高会議により南オセチアの自治権を無効化される

■AD1991年 オセット人 ソ連崩壊を機に、北オセチア自治州共和国を改称(オセチア・アラニア共和国)

■AD1991年 オセット人 ガムサフルディア大統領の親衛隊と警官隊がオセチア人に対する弾圧を開始

■AD1992年 オセット人 北オセチアがイングーシ共和国と武力衝突(オセチア・イングーシ紛争)

■AD1993年 オセット人 最高会議が憲法を採択、南オセチア最初の大統領選挙が行われた(南オセチア共和国)

■AD1998年 オセット人 アレクサンドル・ザソコフ、初代北オセチア大統領に就任

■AD2001年 オセット人 エドゥアルド・ココイトゥイ、第2代南オセチア大統領に就任

■AD2005年 オセット人 タイムラズ・マムスロフ、第2代北オセチア大統領に就任

■AD2008年 オセット人 グルジアのミハイル・サアカシュヴィリ大統領が南オセチアに侵攻(南オセチア紛争)




Aシュメール人


■BC32世紀 ウルチ族 トラキア人と対立し、オロチ族を率いて樺太からメソポタミアに移住(ヤレド族の大航海時代)

■BC32世紀 オロチ族 樺太から出雲国に移住、賀茂氏と連合(ヤマタノオロチ)
※ヤマタノオロチの名の由来はティアマトとオロチの組み合わせ

■BC32世紀 ウルチ族 メソポタミアに移住、都市国家を建設(ウルク)
※ウルクの名の由来はウルチ

■BC32世紀 オロチ族 メソポタミアに移住、都市国家を建設(ウル)
※ウルの名の由来はオロチ

■BC32世紀 ウルチ族 ウルクから東方に移住、都市国家を建設(ラガシュ)
※ラガシュの名の由来はウルク

■BC32世紀 ウルチ族 ラガシュから東方に移住、都市国家を建設(スーサ)
※スーサの名の由来はラガシュ

■BC31世紀 エラム人 支族が集団でブリテン島を出撃し、メソポタミアに侵攻(エラム王国)

■BC31世紀 エラム人 スーサをエラム王国の首都に

■BC31世紀 シュメール人A ラガシュ、スーサのシュメール人が東方に帰還(シュメール人の大航海時代)

■BC31世紀 シュメール人A ラガシュのシュメール人が現グジャラートに移住(牡牛信仰)
※グジャラートの名の由来はラガシュ

■BC31世紀 シュメール人A インドから出雲国に移住、賀茂氏と連合(ヤマタノオロチ)
※ヤマタノオロチの名の由来はティアマトとオロチの組み合わせ

■BC31世紀 シュメール人A 古代中原に移住、牛頭の神を祀る(神農)

■BC31世紀 シュシャン人 エラム人の支流メオ族を中心に現台湾から雲南に移住(ミャオ族)
※蚩尤の名の由来はシュシャンのシュ

■BC31世紀 ミャオ族、長江で牛頭の神を祀る(蚩尤)

■BC31世紀 ミャオ族 蚩尤が神農に敗北、長江から満州に移住(粛慎)
※スーシェン(粛慎)の名の由来はシュシャン、マンジュの名の由来はミャオ、メオ

■BC31世紀 ミャオ族 蚩尤が神農に敗北、出雲国に侵攻(スサノオのヤマタノオロチ退治の伝説)

■BC31世紀 シュメール人A スサノオを称するミャオ族の侵攻を機に、出雲国から樺太に帰還(オロチ族)
※オロチの名の由来はウルチ

■BC26世紀 シュメール人A グジャラートからガンジス上流に移住(コーサラ王国)
※コーサラの名の由来はグジャラート

■BC26世紀 シュメール人A グジャラートからメソポタミアに帰還(キシュ)
※キシュの名の由来はグジャラート

■BC26世紀 シュメール人A キシュからヌビアに移住(クシュ人)
※クシュの名の由来はキシュ

■BC26世紀 クシュ人 レメク族と連合(ケルマ王国)

■BC1046年 シュメール人A 武王が「牧野の戦い」で殷を倒し、古代中原に王朝を開く(周)
※周の名の由来はシュメール

■BC1042年 シュメール人A 成王が即位

■BC1020年 シュメール人A 康王が即位

■BC11世紀 シュメール人A 周公旦の子が成王に封じられて成立(魯)

■BC11世紀 シュメール人A 成王が弟を唐に封じ、後に改名(晋)

■BC841年 シュメール人A 一時期、周に共和制が施行される

■BC827年 シュメール人A 宣王が即位

■BC781年 シュメール人A 幽王が即位、BC771年に西周滅亡

■BC771年 シュメール人A 平王が即位、現在の洛陽に遷都(東周)

■BC701年頃 シュメール人B フェニキア人の東西移住計画に参加(フェニキア人の大航海時代)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、ライン河畔から現ポメラニアに到着(残留者:ポエニ人、ウルクのシュメール人、カナンのシュメール人、ビュブロス人、ルーベン族、レビ族、ガド族)

■BC7世紀 カナンのシュメール人 ボイイ族と連合、バルト海沿岸に移住(ポメラニア人)
※ポメラニアの名の由来はボイイとシュメールの組み合わせ

■BC7世紀 ポメラニア人 現ポーランドからアイルランドに移住(フォモール人)
※フォモールの名の由来はポメラニア

■BC7世紀 フォモール人 アイルランドに最高神エルの信仰を持ち込む(大地の女神エリウ)
※エリウの名の由来はエル

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 地中海から現ラトビアに移住(金星の神アウセクリス)

■BC7世紀 ボイイ族 ボイイ族の船団、北米大平原地方からユカタン半島に到着(残留者:ボイイ族、ビュブロス人、イッサカル族、ウルクのシュメール人、フリギア人)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 ユカタン半島に月の神を祀る(月の神イシュ・チュル)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、アラビア半島からイランに到着(残留者:フェニキア人、マゴ家、ガド族、ペリシテ人、マナセ族、アッカド人、ウルクのシュメール人)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 ペリシテ人、フェニキア人と共に王国を建設(ベーシュタード王国)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 ベーシュタード王国、三代目の王を輩出(タフムーラス王)
※タフムーラスの名の由来はシュメール

■BC7世紀 タフムーラスの氏族 イランに都市を建設(シーラーズ)
※シーラーズの名の由来はサラスヴァティー

■BC7世紀 タフムーラスの氏族 ダキア人の支族タタと連合(スピタマ家)
※スピタマの名の由来はサンピとタフムーラスの組み合わせ

■BC7世紀 スピタマ家 ゾロアスター生誕(ゾロアスター教)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、インダス流域からガンジス流域に到着(残留者:フェニキア人、ガド族、イッサカル族、ウルクのシュメール人)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 イランからインド東海岸に移住(スーマ王国、マラ王国)
※スーマ、マラの名の由来はシュメール

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、ジャワ島からマカオに到着(残留者:マゴ家、テーバイ人、ポエニ人、ルーベン族、レビ族、アシェル族、ガド族、イッサカル族、ウルクのシュメール人、アッカド人、ダン族、エフライム族)

■BC7世紀 ウルクのシュメール人 マカオから雲南に移住(古蜀、アウラック国)
※アウラックの名の由来はウルク

■BC632年 シュメール人A 晋の文公、楚を討つ(城ボクの戦い)

■BC6世紀 フォモール人 パーホロン族がアイルランドに侵攻するが、撃退
※パーホロンの名の由来はヘブライ

■BC6世紀 フォモール人 ネメズ族がアイルランドに侵攻するが、撃退
※ネメズの名の由来はメディア

■BC6世紀 フォモール人 フィル・ボルグ族がアイルランドに侵攻するが、撃退
※フィル・ボルグの名の由来はヘレネスとベルガエの組み合わせ

■BC6世紀 フォモール人 ダーナ神族がアイルランド侵攻するが、撃退
※ダーナの名の由来はダン、デーン

■BC597年 シュメール人A 晋の景公、楚に大敗を喫する(ヒツの戦い)

■BC552年 シュメール人A 魯に孔子生誕(儒教)
※儒教の名の由来はシュメール

■BC575年 シュメール人A 晋が楚に勝利、覇権を取り戻す(エン陵の戦い)

■BC5世紀頃 フォモール人 フィル・ボルグ族と対立するがダーナ神族と連合し、勝利する(第一次マー・トゥーレスの戦い)

■BC5世紀頃 フォモール人 アイルランドの支配権を手に入れるが、後にダーナ神族と対立、追放される(第二次マー・トゥーレスの戦い)

■BC5世紀 ボイイ族 シュメール人と分離、アイルランドから現ボヘミアに移住(ボヘミア)
※ボヘミアの名の由来はボイイ

■BC5世紀 カナンのシュメール人 ボイイ族と分離、アイルランドから現ボヘミアに移住(モラヴィア)
※モラヴィアの名の由来はシュメール

■BC5世紀頃 モラヴィア人 一部が再度アイルランドに移住、ダーナ神族を追放(ミレー族)

■BC453年 シュメール人A 趙、韓、魏の3者が晋の領土を分け合う(晋陽の戦い)

■BC376年 シュメール人A 韓魏の連合軍に攻め込まれ、陥落(晋消滅)

■BC327年 スーマ人 アレクサンドル大王のインダス侵攻を機にインドに来たガンダーラ人、カンボージャ人と連合

■BC3世紀 スーマ人 ガンダーラ人、カンボージャ人と共にインドから日本に移住(神戸、須磨)
※須磨の名の由来はスーマ、神戸の名の由来はカンボージャとガンダーラ

■BC3世紀 ウルクのシュメール人 現カンボジアから樺太に帰還、ウィルタ族と連合(オロク族)
※オロクの名の由来はウルク

■BC249年 シュメール人A 魯が楚に併合(魯滅亡)

■BC249年 シュメール人A 魯滅亡を機に、古代中原を脱出してソマリアに移住

■BC240年 シュメール人A 衛が秦によって事実上の滅亡

■AD226年 タフムーラスの氏族 サーサーン朝成立を機に、シーラーズからスワヒリに移住(シラジ人)
※シラジの名の由来はシーラーズ

■AD226年 タフムーラスの氏族 サーサーン朝成立を機に、シーラーズからブリテン島に移住(マーシア人)
※マーシア、メルシアの名の由来はタフムーラス

■AD226年 タフムーラスの氏族 ブリテン島からユトランド半島に移住(シュレースヴィヒ)
※シュレースヴィヒの名の由来はサラスヴァティー

■BC209年 シュメール人A 衛君角、秦の二世皇帝に廃されて滅亡(衛滅亡)

■BC209年 シュメール人A 衛滅亡を機に、古代中原を脱出してソマリアに移住

■BC2世紀 シュメール人A ソマリアで再会した魯、韓、衛の三者が連合(ラハンウェイン族)
※ラハンウェインの名の由来は「魯韓衛」の組み合わせ

■AD527年 マーシア人 初代マーシア王クレオダ、タムウォースに城砦を築く(マーシア王国)
※タムウォースの名の由来はタフムーラス

■AD606年 マーシア人 チェルル、第3代マーシア国王に即位

■AD623年頃 カナンのシュメール人 フォモール人の末裔と考えられる首長サモが現モラヴィアに建国(サモ王国)
※サモの名の由来はシュメール

■AD633年 マーシア人 ペンダ、第4代マーシア国王に即位

■AD633年 マーシア人 ペンダ、イングランド中部の覇権をかけてノーサンブリアと対立(ハットフィールド・チェイスの戦い)

■AD642年 マーシア人 ペンダ、イングランド中部の覇権をかけてノーサンブリアと対立(マスターフィールドの戦い)

■AD655年 マーシア人 ペンダ、ウェンウッドで敗北、ノーサンブリアの傘下に入る

■AD658年 マーシア人 ウルフヘレ、第6代マーシア国王に即位

■AD825年 マーシア人 エクバート率いるウェセックス軍に敗北(エランダンの戦い)

■AD825年 マーシア人 エクバートによるイングランド統一を機に、ブリテン島から故地への帰還を目指す

■AD825年 マーシア人A 黒海に到着、祖を同じくするアラニア王国に移住(カバルド族)
※カバルドの名の由来は宿敵エクバート

■AD825年 マーシア人B 黒海に到着、ドナウを遡り、祖を同じくするモラヴィアに移住

■AD830年 マーシア人B モイミール1世、初代モラヴィア国王に即位(大モラヴィア王国)

■AD846年 マーシア人B ロスチスラフ、第2代モラヴィア国王に即位

■AD871年 マーシア人B スヴァトプルク1世、第3代モラヴィア国王に即位

■AD894年 マーシア人B モイミール2世、第4代モラヴィア国王に即位

■AD907年 マーシア人B モイミール2世、マジャール人の侵攻により滅ぶ(モラヴィア王国滅亡)

■AD1239年 カバルド族 モンゴル軍がアラニアの国土を蹂躙(アラニア王国消滅)

■AD1239年以降 カバルド族 アラニア王国消滅後、オセット人を支配

■AD1817年 カバルド族 チェチェン、イングーシ、ダゲスタンがロシアに併合(コーカサス戦争)

■AD1924年 カバルド族 北オセチアはソ連に編入(北オセチア自治州)

■AD1995年 ラハンウェイン族 軍閥を組織(ラハンウェイン抵抗軍)

■AD2002年 ラハンウェイン族 ラハンウェイン抵抗軍がバイドを首都に独立を宣言(南西ソマリア)

■AD2004年 ラハンウェイン族 シャリフ・ハッサン・シェイハ・アダン、ソマリア暫定議会議長に就任

■AD2005年 ラハンウェイン族 ハサン・ムハマド・ヌル・シャティガドゥド、南西ソマリア大統領に就任

■AD2006年 ラハンウェイン族 南西ソマリアがイスラム法廷会議に占領、ソマリア暫定連邦政府に統合

■AD2008年 ラハンウェイン族 アブ・マンスール、指導者に就任(アル・シャハブ)

■AD2008年 ラハンウェイン族 アダン・モハメド・ヌール・マドベ、ソマリア臨時大統領に就任





















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