エノク族の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でエノク族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。エノクはアダムから数えて6代目であり、ヤレドの息子と伝えられている。アヌ、ゼウスなどの重要な神を創造し、日本に於いては中曽根氏、長尾氏、乃木氏など著名な氏族を輩出したと考えられる。


■BC八千年 エノク族 アダム、アベル、セト、エノス、ヤレドの一部氏族を率いてイウヌからバルト海に移住

■BC32世紀 エノク族 ティカル人、メトセラ族、ハミ人、スバル人、セト族、ヤレド族、セロス人と連合、北極海探検隊を結成

■BC32世紀 エノク族 北極海ルートを介し、オビ河上流に移住

■BC32世紀 エノク族 オビ河上流から中央アジアに移住、至高神を祀る(至高神アヌ)
※アヌの名の由来はエノク

■BC32世紀 エノク族 北極海探検隊が神官団を結成、首長を務める(神々の集団アヌンナキ)
※アヌンナキの名の由来はエノク

■BC32世紀 エノク族 神々の集団アヌンナキを率いてオビ河上流からメソポタミアに移住

■BC32世紀 エノク族 残留組ヤレド族の都市国家エリドゥを占拠(守護神エンキ)
※エンキの名の由来はエノク

■BC26世紀 ベドウィン族 ウル第一王朝

■BC22世紀 ベドウィン族 ウル第三王朝

■BC2050年 エノク族 ユカタン勢力のオリエントに於ける勢力伸張を機にエリドゥを放棄、東西に移住

■BC21世紀 エノク族 メソポタミアからナクソス島に移住、全能の神を祀る(全能の神ゼウス)
※ナクソスの名の由来はエノクとゼウスの組み合わせ

■BC21世紀 エノク族A ナクソス島からギリシアに移住、オリンポス山を根城にする(オリンポス神話)

■BC21世紀 エノク族A ナクソス島からクレタ島に移住(ナクソス)

■BC21世紀 エノク族A ナクソス島からシチリア島に移住(ナクソス)

■BC21世紀 エノク族B ヤレド族を率いてメソポタミアから黒海に移住、現チェコに進出(ハナ族)
※ハナの名の由来はエノク

■BC21世紀 エノク族C ヤレド族を率いてメソポタミアからインドに移住(ナーガ族)
※ナーガの名の由来はエノク

■BC21世紀 ナーガ族A 一部が残留、一部が先を急ぎ、現ミャンマーに先住するシャン族と連合(長髄彦)
※長臑彦の名の由来はナーガとシャンの組み合わせ

■BC21世紀 エノク族C ヤレド族を率いてインドから古代中原に移住、神農を祀るシュメール人に参加

■BC21世紀 長髄彦 ミャンマーから日本に進出、大和地方に移住(登美那賀須泥毘古)

■BC21世紀 長髄彦 大和地方から東北地方に移住(天狗、スネカ)
※天狗の名の由来はエノクに狗を当て字したもの、スネカの名の由来は長髄彦

■BC21世紀 長髄彦 東北地方からモンゴル高原に移住(東胡/トングウ)
※東胡の名の由来は天狗

■BC21世紀 東胡 モンゴル高原を中心に、シベリアにも進出して天上界の概念を説く(テングリ崇拝)
※テングリの名の由来は天狗

■BC806年 東胡A シャン族を中心にした東胡の一部が、シベリアから北極海ルートに出て西方に向かう

■BC806年 東胡B シャン族を中心にした東胡の一部が、満州から古代中原に移住、国家を建設(鄭)
※チョンの名の由来はシャン

■BC806年 東胡C エノク族を中心にした東胡の一部は、シャン族を中心にした東胡の大航海時代に参加せずにモンゴル高原に残留

■BC12世紀 アヌ族 プール、ブリグ、マツヤ、ドルヒユ、パルシュ、ダーサ、パニ、アリナ、バラーナと連合、バーラタ、トリツと交戦(十王戦争)
※アヌの名の由来はエノク

■BC12世紀 パニ族 プール、ブリグ、マツヤ、ドルヒユ、パルシュ、ダーサ、アリナ、アヌ、バラーナと連合、バーラタ、トリツと交戦(十王戦争)
※パニの名の由来はエノク

■BC11世紀 エノク族C 周建国の元勲、召公セキが始祖(燕)
※ヤンの名の由来は守護神エンキ

■BC11世紀 エノク族C 周建国の功臣、太公望が始祖(斉)
※キの名の由来は守護神エンキ

■BC8世紀 ナーガ族B インドから現ミャンマーに移住(アヌー族、ナガー族)
※アルメニア人の大航海時代に影響された

■BC8世紀 東胡C 古代中原から日本に移住、陸奥安倍氏と連合(長髄彦と安日彦)
※東胡は長髄彦であり、長髄彦は東胡である

■BC7世紀 長髄彦 神武天皇東征を機に大和地方から甲斐国に移住(中曽根氏)
※中曽根の名の由来は長髄彦

■BC7世紀 ナーガ族B ミャンマーからリアウ諸島バタム島に移住(ナゴヤ)
※フェニキア人の大航海時代に影響された

■BC7世紀 ナーガ族B リアウ諸島から沖縄本島に移住(名護)

■BC7世紀 ナーガ族B 沖縄本島から現佐賀県に移住(名護屋)

■BC7世紀 ナーガ族B 現佐賀県から日本海側に進出、出雲国に移住(野木氏、乃木氏)
※ノギの名の由来はナーガ

■BC7世紀 ナーガ族B 出雲国から現富山県に移住(奈呉の浦)

■BC7世紀 ナーガ族B 現富山県から現長野県に移住(名古熊)

■BC7世紀 ナーガ族B 現佐賀県から現山口県に移住(長門国、厚東氏)

■BC7世紀 ナーガ族B 現山口県から太平洋側に進出、現愛知県に移住(名古屋)
※天孫族の東征に影響された

■BC7世紀 ナーガ族B 現愛知県から伊豆地方に移住(奈古谷)

■BC7世紀 ナーガ族B 伊豆地方から現埼玉県に移住(名古屋)

■BC6世紀 ナーガ族B 天孫族と共に満州に移住(イェマック/ワイヒャク)

■BC535年 エノク族C 斉国で孫武生誕(孫子)

■BC502年 ナクソス人 ペルシア帝国によるエーゲ海支配に反旗を翻す(ナクソス蜂起)

■BC386年 エノク族C 斉が、ダン族の系統、田氏に乗っ取られる(田斉)

■BC2世紀 ナーガ族B イェマックから分離独立、朝鮮半島に移住

■BC2世紀 ナーガ族B 朝鮮半島でガド族、マゴ家と連合(百済)
※ペクチェの名の由来は「百人のゼウス」、クダラの名の由来はガド、グティ

■AD42年 金氏 首露王が弁韓に参加(狗邪国)

■AD2世紀 スロバキア人 ローマ帝国滅亡を機に現チェコに移住、ハナ族と連合(スロベニア人)
※スロベニアの名の由来はチョーラとハナの組み合わせ

■AD3世紀 ナーガ族B 東漢氏の祖、阿智使主に率いられて中原から日本に移住(長尾氏)
※長尾の名の由来はナーガ

■AD663年 百済人 新羅と唐の連合軍に敗北し、ジャワ島に移住(白村江の戦い)

■AD672年 長尾氏 長尾真墨、「壬申の乱」時には大海人皇子の側に付く

■AD684年 ナーガ族B 「八色の姓」に伴って宿禰姓を改賜(縣犬養氏)
※アガタイヌカイの名の由来はアッカドとエノクの組み合わせ

■AD11世紀 長尾氏 鎌倉景明に接近、自身の血統を打ち立てる(長尾次郎生誕)

■AD11世紀 百済人 ジャワ島に王国を建設(クディリ王国)
※クディリの名の由来は百済

■AD1507年 長尾氏 長尾為景、上杉定実を擁立して上杉房能を廃する(永正の乱)

■AD1530年 長尾氏 長尾景虎生誕(上杉謙信)

■AD1553年 長尾氏 上杉謙信、武田領内に深く侵攻するも、深追いせず(第一次川中島の戦い)

■AD1555年 長尾氏 上杉謙信、武田信玄と対峙(第二次川中島の戦い)

■AD1557年 長尾氏 上杉謙信、信玄の盟約違反に激怒して川中島に出陣(第三次川中島の戦い)

■AD1561年 長尾氏 上杉謙信、武田軍と大決戦に及ぶ(第四次川中島の戦い)

■AD1564年 長尾氏 上杉謙信、信玄と再度対峙(第五次川中島の戦い)

■AD1553年 長尾氏 上杉謙信、(第六次川中島の戦い)

■AD1849年 乃木氏 乃木希典生誕

■AD1894年 乃木氏 乃木希典、旅順を一日で陥落させる(日清戦争)

■AD1895年 乃木氏 乃木希典、台湾に出兵(乙未戦争)

■AD19世紀 中曽根氏 中曽根松五郎、関東有数の材木問屋を営む(材木問屋古久松)

■AD1904年 乃木氏 乃木希典、第三軍司令官に任命(日露戦争)

■AD1906年 乃木氏 乃木希典、大連を出発し、新橋に凱旋

■AD1918年 スロベニア人 セルビア、クロアチアと連合(南スラヴ人連合王国構想)

■AD1929年 スロベニア人 セルビア・クロアチア・スロベニア王国が改称(ユーゴスラヴィア王国)

■AD1932年 犬養氏 犬養毅首相暗殺(五・一五事件)

■AD1943年 スロベニア人 ヨシップ・ヴィドマル、スロベニア人民解放戦線議長に就任

■AD1944年 スロベニア人 ヨシップ・ヴィドマル、スロベニア人民解放委員会幹部会議長に就任

■AD1945年 スロベニア人 ヨシップ・ヴィドマル、スロベニア人民共和国人民会議幹部会議長に就任

■AD1945年 スロベニア人 スロベニア人民共和国(ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国)

■AD1970年 中曽根氏 中曽根康弘、第3次佐藤内閣で防衛庁長官に就任

■AD1982年 中曽根氏 中曽根康弘、第71代〜第73代内閣総理大臣に就任

■AD1991年 スロベニア人 ミラン・クーチャン、初代スロベニア大統領に就任

■AD2002年 スロベニア人 ヤネス・ドルノウシェク、第2代スロベニア大統領に就任

■AD2007年 スロベニア人 ダニロ・チュルク、第3代スロベニア大統領に就任

■AD2012年 スロベニア人 ボルト・パホル、第4代スロベニア大統領に就任




メトセラ族の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でメトセラ族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。メトセラはアダムから数えて7代目であり、エノクの息子と伝えられている。以前、アッシリア人はアシル・ボグドーの子孫と考えていたが、この説は現在では改め、アッシリア人はメトセラ族の系統だったと考えている。メトセラ族が北極海ルートに及んだ際、メトとセラの2勢力に分離し、「メト」からメディア人、マツヤ族が、「セラ」からアッシリア人、セロス人が輩出されたと考えている。アッシリア帝国滅亡後、アッシリア人の足跡は不明だったが、南インドを支配したチョーラ人と結びつけたことでアッシリア人のその後と全貌が見えてきた。

@メディア人


■BC五千年 メトセラ族 アベル族の案内でセト族、ノア族、マンディンカ人と共に地中海からユカタン半島に移住

■BC32世紀 メトセラ族 ユカタン半島に都市を建設(セロス)
※セロスの名の由来はセラ

■BC32世紀 メトセラ族 ティカル人、ハミ人、スバル人、エノク族、セト族、ヤレド族、セロス人と連合、北極海探検隊を結成

■BC32世紀 メトセラ族A 北極海ルートを介し、オビ河上流、モンゴル方面の支流に移住(メディア人)
※メディアの名の由来はメト

■BC32世紀 メトセラ族B 北極海ルートを介し、エニセイ河上流に移住(マツヤ人)
※マツヤの名の由来はメト

■BC32世紀 マツヤ族 バーラタ族と共にモンゴル高原から南下、ガンジス流域に移住

■BC32世紀 メディア人 フルリ人と共に中央アジアから南下、メソポタミアに移住

■BC31世紀 メディア人 ダルダニアでダルダニア人と連合、アドリア海沿岸に移住(ダルマチア人)
※ダルマチアの名の由来はダルダニアとメディアの組み合わせ

■BC16世紀 メディア人 フルリ人、スバル人と連合、ワシュカンニを首都に国家を建設(ミタンニ王国)
※ミタンニの名の由来はメディア

■BC16世紀 ミタンニ人 キルタ、初代ミタンニ国王に即位

■BC1490年 ミタンニ人 シュッタルナ、第2代ミタンニ国王に即位

■BC1470年 ミタンニ人 バラタルナ、第3代ミタンニ国王に即位

■BC1380年 ミタンニ人 トゥシュラッタ、第9代ミタンニ国王に即位、アメンホテプ3世に政略結婚を打診

■BC1350年 ミタンニ人 シャッティワザ、第12代ミタンニ国王に即位、ヒッタイト帝国と戦う

■BC1270年 ミタンニ人 シャットゥアラ2世、アッシリア帝国が侵攻(ミタンニ王国滅亡)

■BC12世紀 メディア人 ミタンニ滅亡を機に、メソポタミアからイスラエルに移住(ミディアン人)

■BC12世紀 ミディアン人 イスラエルに村を建設(モディン村)
※モディンの名の由来はミタンニ

■BC12世紀 マツヤ族 プール、ブリグ、ドルヒユ、パルシュ、ダーサ、パニ、アリナ、アヌ、バラーナと連合、トリツ、バーラタと交戦(十王戦争)

■BC9世紀 メディア人 一部、黒海でサカ人と連合(スキタイ人)
※スキタイの名の由来はサカとメディアの組み合わせ

■BC7世紀 メディア人 一部、黒海でゲタイ人と連合(マッサゲタイ人)
※マッサゲタイの名の由来はメディアとゲタイの組み合わせ

■BC7世紀 マツヤ族 インドに太陽神を祀る(太陽神ミトラス)
※ミトラの名の由来はメトセラ

■BC7世紀 マツヤ族 本拠地がフェニキア人が建てたシューラセーナ王国の首都に組み込まれる(マトゥーラ)
※マトゥーラの名の由来はミトラス

■BC672年 メディア人 デイオケスがメディアを統合、スキタイ人と連合(第一次メディア王国)

■BC625年 メディア人 アッシリア人と同盟したスキタイ人を追放(第二次メディア王国)

■BC612年 メディア人 キュアクサレス2世が新バビロニア帝国と連合、主とニネヴェを攻略(アッシリア帝国滅亡)

■BC585年 メディア人 キュアクサレス2世、リディア王国と戦闘中に日食が発生し、両軍が恐れおののく(ハリュス川の戦い)

■BC6世紀 メディア人 アルバケス、新バビロニア帝国のネブカドネザル2世と対立

■BC552年 メディア人 アステュアゲス、蜂起したカンビュセス1世と交戦(メディア王国滅亡)

■BC550年 メディア人 滅亡を機に、マゴスと共にイランからアラビア半島に移住(メディナ)
※メディナの名の由来はメディア

■BC6世紀 メディア人 マゴスと共にアラビア半島から黒海に移住、シェルデン人と連合(サルマタイ人)
※サルマタイの名の由来はシェルデンとメディアの組み合わせ

■BC6世紀 メディア人 マゴスと共に黒海からアイルランドに移住

■BC6世紀 メディア人 マゴスと共にアイルランドからユカタン半島に移住、頻繁に往来を行う(ツォツィル族)
※ツォツィルの名の由来は偉大な先祖キュアクサレス

■BC338年 サルマタイ人 ドン川沿岸に出現

■BC4世紀 マツヤ族 シューラセーナ共和国滅亡を機に、インドから九州に移住(マツラ国)
※マツラの名の由来はマトゥラー

■BC4世紀 マツヤ族 シューラセーナ共和国滅亡を機に、インドからキリキアに移住(キリキア海賊)

■BC3世紀 サルマタイ人 国家北岸に移動、スキタイ人をクリミアに追放

■BC2世紀 サルマタイ人 ヨーロッパに進出、たびたびローマ北部辺境に侵入

■BC140年 ミディアン人 モディン村の司祭マタティアがセレウコス朝に対して蜂起、ユダヤ人の王朝を開く(ハスモン朝)

■BC106年 キリキア海賊 ローマにミトラ教をもたらす 

■BC67年 キリキア海賊 ポントス王ミトリダテス6世を支援したが、ポンペイウスによって一掃される

■BC67年 キリキア海賊 地中海から日本に移住、祖を同じくするマツラ国に定住

■BC63年 ミディアン人 ハスモン朝滅亡を機に、イスラエルから先祖が開いた土地メディナに移住(ユダヤ教伝来)

■AD62年 サルマタイ人 将軍シルバヌスの遠征により、ダニューブ川の彼方へ追放

■AD1世紀 ツォツィル族 マヤからアイルランドに移住

■AD1世紀 ツォツィル族 ツァタル・テクトマール、初代王位に即位(ミード王国)
※ミードの名の由来はメディア、ツァタルの名の由来はツォツィル

■AD1世紀 ミード人A ツァタル・テクトマールの氏族、アイルランドからマヤに帰還(ツェルタル族)
※ツェルタルの名の由来はミド国王ツァタル

■AD622年 ハーシム家 メッカを追放されたマホメットがメディナに移住(イスラム共同体/ウンマ) 

■AD10世紀 マツラ族 嵯峨源氏の渡辺綱の息子に接近、自身の血統を打ち立てる(松浦久、松浦氏)
※松浦の名の由来はマツラ、マトゥーラ

■AD1069年 松浦氏 松浦久が松浦郡宇野御厨の荘官となる(松浦党)

■AD1173年 ミード人B ノルマン人のアイルランド侵攻を機に、アイルランドからイタリアに移住(メディチ家)
※メディチの名の由来はミード

■AD1185年 松浦氏 平家に離反し、源氏方に付く(壇ノ浦の戦い)

■AD1226年 松浦氏 高麗の海島で合戦を展開

■AD1360年 メディチ家 ジョヴァンニ・ディ・ビッチ生誕、後にローマ教皇庁との関係を深め銀行業で成功

■AD1389年 メディチ家 コジモ・イル・ヴェッキオ生誕

■AD1410年 メディチ家 ジョヴァンニ・ディ・ビッチ、ローマ教皇庁会計院の財務管理者に就任

■AD1416年 メディチ家 ピエロ・ディ・コジモ生誕、後に反メディチ派を抑え込む

■AD14世紀 メディチ家 銀行家として台頭、フィレンツェ共和国にも影響力を拡大させる

■AD1434年 メディチ家 コジモ・イル・ヴェッキオ、政府の実権を掌握、フィレンツェ共和国を統治(フィレンツェ黄金時代)

■AD1441年 ツォツィル族A マヤパン滅亡を機に、イツァー人と共にペテン・イツァー湖に移住(タヤサル王国)
※タヤサルの名の由来はツォツィル

■AD1441年 ツォツィル族B マヤパン滅亡を機に、ブリテン島に移住(チャーチル家)
※チャーチルの名の由来はツォツィル

■AD1449年 メディチ家 ロレンツォ・デ・メディチ生誕、後にパトロンとしてボッティチェリやミケランジェロを支援

■AD1478年 メディチ家 ロレンツォ・デ・メディチ、パッツィ家がロレンツォの暗殺を計画(パッツィ家の陰謀)

■AD1513年 メディチ家 ジョヴァンニ・デ・メディチ、第217代ローマ教皇に就任(レオ10世)

■AD1523年 メディチ家 ジュリオ・デ・メディチ、第219代ローマ教皇に就任(クレメンス7世)

■AD1513年 メディチ家 第217代ローマ教皇レオ10世、フィレンツェ公国を建国

■AD1524年 ツォツィル族A エルナン・コルテスが、タヤサル国王カネクを訪問

■AD1537年 メディチ家 コジモ1世、第2代フェレンツェ公に就任

■AD1569年 メディチ家 コジモ1世、初代トスカーナ大公に就任(トスカーナ大公国)

■AD1588年 メディチ家 フェルディナンド1世、第3代トスカーナ大公に就任

■AD1605年 メディチ家 アレッサンドロ・オッタヴィアーノ・デ・メディチ、第232代ローマ教皇に就任(レオ11世)

■AD1620年 チャーチル家 ウィンストン・チャーチル生誕、後に政治家、歴史家に

■AD1650年 チャーチル家 ジョン・チャーチル生誕、初代マールバラ公に(マールバラ侯爵家)

■AD1663年 チャーチル家 アン・チャーチル生誕、第3代サンダーランド伯チャールズ・スペンサーと結婚

■AD1695年 ツォツィル族A フランシスコ会が、宣教のためにタヤサル王国を訪問

■AD1697年 ツォツィル族A スペイン軍が235人の兵を率いてタヤサル王国に侵攻

■AD1697年 ツォツィル族A スペイン軍の侵攻を機に、マヤに帰還(現ツォツィル族)

■AD1706年 スペンサー家 チャールズ・スペンサー生誕、第3代マールバラ公爵

■AD1739年 スペンサー家 ジョージ・スペンサー生誕、第4代マールバラ公爵

■AD1766年 スペンサー家 ジョージ・スペンサー=チャーチル生誕、勅許を得て二重姓を獲得(スペンサー=チャーチル家)

■AD1793年 スペンサー=チャーチル家 ジョージ・スペンサー=チャーチル生誕、第6代マールバラ公爵

■AD1766年 スペンサー=チャーチル家 ジョン・スペンサー=チャーチル生誕、第7代マールバラ公爵

■AD1849年 スペンサー=チャーチル家 ランドルフ・スペンサー=チャーチル生誕、第一次ソールスベリー侯爵内閣でインド担当大臣

■AD1868年 ツェルタル族 ツェルタル族の反乱発生

■AD1874年 スペンサー=チャーチル家 ウィンストン・スペンサー=チャーチル生誕

■AD1940年 スペンサー=チャーチル家 ウィンストン・スペンサー=チャーチル、第61代イギリス首相に就任

■AD1951年 スペンサー=チャーチル家 ウィンストン・スペンサー=チャーチル、第63代イギリス首相に就任



Aアッシリア人


■BC32世紀 メトセラ族 セロス人、ハム族、スバル人、エノク族、セト族、ヤレド族と連合、北極海探検隊を結成

■BC32世紀 メトセラ族C 北極海ルートを介し、オビ河上流、中央アジア方面の支流に移住(アッシュール人)
※アッシュールの名の由来はセロス

■BC32世紀 メトセラ族A 北極海ルートを介し、オビ河上流、モンゴル方面の支流に移住(メディア人)
※メディアの名の由来はメト

■BC32世紀 メトセラ族B 北極海ルートを介し、レナ河上流に移住(マツヤ人)
※マツヤの名の由来はメト

■BC32世紀 アッシュール人 神々の集団アヌンナキに参加(アサル、アサルアリム、アサルアリムヌンナ、アサルルドゥ)

■BC31世紀 アッシュール人 中央アジアからメソポタミアに移住(初期王朝時代)

■BC1950年頃 アッシリア人 オリエント最大の王国を築く(古アッシリア時代)

■BC1905年 アッシリア人 エリシャム1世、古アッシリア王に即位

■BC1365年 アッシリア人 アッシュール・ウバリト1世、中アッシリア王に即位(中アッシリア王国)

■BC950年 アッシリア人 ティグラト・ピレセル2世、中アッシリア王に即位

■BC900年頃 ダン族 ティグラト・ピレセル2世に接近、自身の血統を打ち立てる(アッシュール・ダン2世)

■BC934年 ダン族 アッシュール・ダン2世、全オリエント世界を支配(アッシリア帝国)

■BC829年頃 アッシリア人 アナトリアに侵攻(アルメニア人の大航海時代)

■BC722年 アッシリア人 サルゴン2世、新アッシリア王に即位

■BC720年 アッシリア人 サルゴン2世、エラムと交戦(デルの戦い)

■BC710年 アッシリア人 サルゴン2世、バビロニア再征服

■BC705年 アッシリア人 センナケリブ、新アッシリア王に即位

■BC701年頃 アッシリア人 センナケリブ、イスラエル王国、フェニキア諸都市に侵攻(フェニキア人の大航海時代)

■BC668年 アッシリア人 アッシュールバニパル、新アッシリア王に即位

■BC667年頃 アッシリア人 アッシュールバニパル、エジプト第25王朝に侵攻(クシュ人の大航海時代)

■BC662年 アッシリア人 アッシュールバニパル、エラム王国に侵攻(第一次エラム遠征)

■BC647年 アッシリア人 アッシュールバニパル、「スサの戦い」でスサを徹底的に破壊(第二次エラム遠征)

■BC612年 アッシリア人 アッシュール・ウバリト2世、メディア王国と新バビロニア帝国の連合軍により、首都ニネヴェを攻略される(アッシリア帝国滅亡)

■BC612年 アッシリア人 アッシリア帝国滅亡を機に、メソポタミアからインドに移住(チョーラ人)
※チョーラの名の由来はアッシュール

■BC7世紀 チョーラ人 インドで太陽神を祀り、アーディティヤ神群に参加(太陽神スーリャ)

■BC3世紀 チョーラ人 南インドに勢力を拡大

■AD2世紀 チョーラ人 インドから中央アジアに移住、バクトリア人と連合(スロバキア人)
※スロヴァキアの名の由来はチョーラとバクトリアの組み合わせ

■AD2世紀 スロバキア人 中央アジアからローマに移住(太陽神ソル・インヴィクトゥス)

■AD2世紀 スロバキア人 ローマ帝国滅亡を機に現チェコに移住、ハナ族と連合(スロベニア人)
※スロベニアの名の由来はチョーラとハナの組み合わせ

■AD4世紀 スロバキア人 ゲルマニアにトール信仰を広める(雷神トール)
※トールの名の由来はソル

■AD4世紀 スロバキア人 ゲルマニアから現シュヴァーベンに移住(ツォレルン家)
※ツォレルンの名の由来はチョーラ

■AD846年 チョーラ人 ヴィジャラーヤラ、パッラヴァ朝の封臣からタンジャーヴールを奪う(チョーラ朝)

■AD871年 チョーラ人 アーディティヤ1世、パッラヴァ朝の内乱に乗じて主君を殺害、領地を併合

■AD907年 チョーラ人 バラーンタカ1世、パーンディヤ朝の本拠地マドゥライを陥落

■AD949年 チョーラ人 バラーンタカ1世、ラーシュトラクータ朝に敗北し領土の北部を奪われる

■AD965年 チョーラ人 バラーンタカ2世、東チャールキヤ朝と連合してラーシュトラクータ朝を攻撃、セイロン島にも遠征

■AD973年 チョーラ人 ウッタマ・チョーラ、後期チャールキヤ朝成立に伴い、弱体化

■AD985年 チョーラ人 ラージャラージャ1世、パーンディヤ朝、ケーララ、セイロン勢力を破り、セイロン北部を支配

■AD1010年 チョーラ人 ラージャラージャ1世、首都に多くのシヴァ、ヴィシュヌ寺院を建立(リハティーシュヴァラ寺院)

■AD1017年 チョーラ人 ラージェーンドラ1世、シュリーヴィジャヤに遠征、領土が最大に

■AD1025年 チョーラ人 バラーンタカ1世、パーンディヤ朝の本拠地マドゥライを陥落

■AD1061年 ツォレルン家 シュヴァーベンの一部を支配(ツォレルン伯爵)

■AD1070年 チョーラ人 チョーラ王位の空位を機に、東チャールキヤ王室とチョーラ王を兼任

■AD1070年 チョーラ人A チョーラ王位の空位を機に、一部がインドからナイル流域に移住(シルック人)
※シルックの名の由来はチョーラ

■AD1191年 ツォレルン家 フリードリヒ1世、神聖ローマ皇帝ハインリヒ1世によりフランケン地方の領地を得る(ニュルンベルク城伯)

■AD1279年 チョーラ人 ラージェーンドラ3世、ホイサラと共にパーンディヤ軍に敗退(チョーラ朝滅亡)

■AD1279年 チョーラ人B チョーラ朝滅亡を機に、インドからナイル流域に移住、先発隊のシルック人と連合(チョロ人)
※チョロの名の由来はチョーラ

■AD1279年 チョーラ人C チョーラ朝滅亡を機に、インドからマレー半島に移住(ジョホール州)
※ジョホールの名の由来はチョーラ

■AD14世紀 チョロ人 シルック人と共に、ナイル流域から南スーダンに移住

■AD14世紀 ツォレルン家 居城に因んで改名(ホーエンツォレルン家)

■AD1415年 ホーエンツォレルン家 フリードリヒ1世、ブランデンブルク選定侯領を支配

■AD1450年 ジョホール人 マレー半島からフィリピン・スールー諸島に移住(スールー王国)
※スールーの名の由来はチョーラ

■AD15世紀 チョロ人/シルック人 ニイカング大王、連邦制王国を建設(シルック王国)

■AD1525年 ホーエンツォレルン家 アルブレヒト1世、ドイツ騎士団国家を廃止(プロイセン公国)

■AD1528年 チョーラ人C オランダ人台頭を機に、北アフリカに移住したマラッカ人の領土を継承(ジョホール王国)

■AD1539年 チョロ人 湖水地方からインドに帰還、北インドに移住(スール朝)
※スールの名の由来はチョロ、チョーラ

■AD1555年 チョロ人 スール朝滅亡を機に、北インドから南アフリカに移住(ズールー族)
※ズールーの名の由来はスール

■AD1701年 ホーエンツォレルン家 フリードリヒ1世、初代プロイセン王に即位(プロイセン王国)

■AD1740年 ホーエンツォレルン家 フリードリヒ2世、第4代プロイセン王に即位

■AD1797年 ホーエンツォレルン家 フリードリヒ・ヴィルヘルム3世、神聖ローマ帝国消滅を機にブランデンブルク選帝侯位を喪失

■AD1816年 ズールー族 首長センザンガコナ死去

■AD1817年 ズールー族 シャカ、首長の死去を機にムテトワ帝国皇帝の庇護を受けて国王に即位(ズールー帝国)

■AD1818年 ズールー族 シャカ、ンドワンドウェ王国を破る(グポキルの丘の戦い)

■AD1828年 ズールー族 ディンガネ、異母兄弟のシャカを殺害して第2代ズールー国王に即位

■AD1829年 ズールー族 ディンガネ、ンドワンドウェ王国を破る(ムラツズ川の戦い)

■AD1840年 ズールー族 ムパンデ、第3代ズールー国王に即位

■AD1861年 ホーエンツォレルン家 ヴィルヘルム1世、晋仏戦争に勝利しドイツ皇帝を称する

■AD1873年 ズールー族 セテワヨ・カムパンデ、第4代ズールー国王に即位

■AD1879年 ズールー族 セテワヨ・カムパンデ、近代兵器で武装した大英帝国軍を相手に勝利イサンドルワナの戦い)

■AD1879年 ズールー族 セテワヨ・カムパンデ、英軍に首都を陥落させられて敗北(ウルンディの戦い)

■AD1911年 ズールー族 ピクスレイ・セメ、黒人による議会を創立(アフリカ民族会議)

■AD1912年 ズールー族 ジョン・ランガリバレレ・デューベ、初代アフリカ民族会議議長に就任

■AD1914年 ホーエンツォレルン家 ヴィルヘルム2世、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン・トルコ帝国と連合(第一次世界大戦)
※アダム族の血統がアケーア人の血統に蜂起

■AD1918年 ホーエンツォレルン家 ヴィルヘルム2世、第一次世界大戦の敗北とドイツ革命により退位

■AD1918年 スロバキア人 チェコ人と連合、オーストリアから独立

■AD1918年 スロベニア人 セルビア、クロアチアと連合(南スラヴ人連合王国構想)

■AD1918年 チェコ人 マーシュ・マサリク、チェコスロバキア人国家として独立を宣言

■AD1929年 スロベニア人 セルビア・クロアチア・スロベニア王国が改称(ユーゴスラヴィア王国)

■AD1930年 ズールー族 ピクスレイ・セメ、第5代アフリカ民族会議議長に就任

■AD1938年 チェコスロバキア人 チェコスロバキアをチェコ=スロバキアに改称(チェコ=スロバキア共和国)

■AD1939年 スロバキア人 ヨゼフ・ティソ、ナチスの支援によりチェコスロバキアから独立(スロバキア共和国)

■AD1943年 スロベニア人 ヨシップ・ヴィドマル、スロベニア人民解放戦線議長に就任

■AD1944年 スロベニア人 ヨシップ・ヴィドマル、スロベニア人民解放委員会幹部会議長に就任

■AD1945年 スロベニア人 ヨシップ・ヴィドマル、スロベニア人民共和国人民会議幹部会議長に就任

■AD1945年 スロベニア人 スロベニア人民共和国(ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国)

■AD1945年 チェコ人 亡命政府が帰還、チェコ=スロバキア共和国を再興

■AD1960年 チェコスロバキア人 国名を改称(チェコ=スロバキア社会主義共和国)

■AD1991年 スロベニア人 ミラン・クーチャン、初代スロベニア大統領に就任

■AD1992年 スロバキア人 チェコスロバキア連邦議会で連邦解消法が成立

■AD1993年 スロバキア人 ミハイル・コヴァーチ、初代スロバキア大統領に就任(スロバキア共和国)

■AD1999年 スロバキア人 ルドルフ・シュステル、第2代スロバキア大統領に就任

■AD2002年 スロベニア人 ヤネス・ドルノウシェク、第2代スロベニア大統領に就任

■AD2004年 スロバキア人 イヴァン・ガシュパロヴィッチ、第3代スロバキア大統領に就任

■AD2007年 スロベニア人 ダニロ・チュルク、第3代スロベニア大統領に就任

■AD2007年 ズールー族 ジェイコブ・ズマ、第13代アフリカ民族会議議長に就任

■AD2009年 ズールー族 ジェイコブ・ズマ、第11代南アフリカ共和国大統領に就任

■AD2012年 スロベニア人 ボルト・パホル、第4代スロベニア大統領に就任

■AD2014年 スロバキア人 アンドレイ・キスカ、第4代スロバキア大統領に就任




レメク族の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でレメク族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。レメクはアダムから数えて8代目であり、メトセラの息子と伝えられている。レメク族の有力な種族にはマゴ家があるが、彼らはジョン・レノン、シド・バレット、ケネディ家などを輩出するコナート人を生んだ。また、メッカを形成した種族からはアザニア人、全州金氏が輩出され、また、フェニキア人と共に日本にまで来た種族からは多氏、天孫族が輩出されている。だが、ここではマゴ家以外の歴史について記したいと思う。


■BC26世紀 レメク族 アメリカ大陸、バルト海、地中海を往来していたセト族とバルト海で出会う

■BC26世紀 ユート族 レメク族を誘ってバルト海からカナリア諸島に移住(セトとラーの太陽船の説話)

■BC26世紀 レメク族 カナリア諸島にて2つの太陽神を祀る(太陽神ラー、太陽神マゲク)
※レーとメクに分離し、それぞれラーとマゲクを祀った

■BC26世紀 ユート族 太陽神ラーを祀るレメク族を率いてカナリア諸島からシチリア島に移住(エリュミア人)
※エリュミアの名の由来は東から来たレメク

■BC26世紀 レメク族A 太陽神ラーを祀る一族が、セト族と共に現シチリア島からエジプトに移住(ヘリオポリス支配)

■BC26世紀 レメク族B 太陽神マゲクを祀る一族が、カナリア諸島からアラビア半島に移住(マガン国、マゴ家)

■BC26世紀 レメク族B エジプトからヌビアに移住、クシュ人と連合(ケルマ王国)
※ケルマの名の由来はクシュとレメクの組み合わせ

■BC2566年 レメク族A ジェドエフラー、エジプト第4王朝第3代ファラオに即位(エジプト第4王朝)
※王の称号に「太陽神ラーの息子」が用いられる

■BC2558年 レメク族A カフラー、エジプト第4王朝第4代ファラオに即位

■BC2532年 レメク族A メンカウラー、エジプト第4王朝第5代ファラオに即位

■BC2491年 レメク族A サフラー、エジプト第5王朝第2代ファラオに即位(エジプト第5王朝)

■BC2477年 レメク族A ネフェリルカラー、エジプト第5王朝第3代ファラオに即位

■BC2467年 レメク族A シェプセスカラー、エジプト第5王朝第4代ファラオに即位

■BC2460年 レメク族A ネフェルエフラー、エジプト第5王朝第5代ファラオに即位

■BC2453年 レメク族A ネウセルラー、エジプト第5王朝第6代ファラオに即位

■BC2414年 レメク族A ジェドカラー、エジプト第5王朝第8代ファラオに即位

■BC2283年 レメク族A メルエンラー、エジプト第6王朝第3代ファラオに即位(エジプト第6王朝)

■BC22世紀 マゴ家 マガン国衰退、アラビア半島からギリシアに移住(ミケーネ)
※ミケーネの名の由来はマガン

■BC16世紀 ミケーネ人 前期ミケーネ文化

■BC14世紀 ミケーネ人 後期ミケーネ文化

■BC1293年 レメク族A ラムセス1世、エジプト第19王朝初代ファラオに即位(エジプト第19王朝)

■BC1279年 レメク族A ラムセス2世、エジプト第19王朝第3代ファラオに即位

■BC1182年 レメク族A ラムセス3世、エジプト第20王朝第2代ファラオに即位(エジプト第20王朝)

■BC1151年 レメク族A ラムセス4世、エジプト第20王朝第3代ファラオに即位

■BC1150年頃 ミケーネ人 海の民アカイワシャ人の侵攻によりテッサリア北部に移住、海の民デニエン人と連合(マケドニア人)

■BC1145年 レメク族A ラムセス5世、エジプト第20王朝第4代ファラオに即位

■BC1141年 レメク族A ラムセス6世、エジプト第20王朝第5代ファラオに即位

■BC1133年 レメク族A ラムセス7世、エジプト第20王朝第6代ファラオに即位

■BC1133年 レメク族A ラムセス8世、エジプト第20王朝第7代ファラオに即位

■BC1126年 レメク族A ラムセス9世、エジプト第20王朝第8代ファラオに即位

■BC1108年 レメク族A ラムセス10世、エジプト第20王朝第9代ファラオに即位

■BC1098年 レメク族A ラムセス11世、エジプト第20王朝第10代ファラオに即位

■BC1085年頃 レメク族C アメン神官団国家を嫌いエジプトからアラビア半島に移住、エラム人と連合(ハドラマウト人)

■BC9世紀 マゴ家 現マケドニアからカルタゴに移住、コリントス人、チェケル人、ポイニクス族と連合(カルタゴ)

■BC808年 マケドニア人 カラノス、初代マケドニア王に即位(マケドニア王国アルゲアス朝)

■BC8世紀 ハドラマウト人 シバームを王都に栄えた(ハドラマウト王国)

■BC8世紀 レメク族D 太陽神ラーを祀る人々が無政府時代のエジプトからイタリアに移住(地方都市ロム、ローマ人)
※ローマの名の由来はレメ

■BC700年 マケドニア人 ベルディッカス1世、第4代マケドニア王に即位

■BC753年 ローマ人 ロムルス、初代ローマ王に即位(ローマ王国)

■BC701年頃 マゴ家 フェニキア人の東西移住計画に参加、東方ルートを選択(フェニキア人の大航海時代)

■BC678年 マケドニア人 アルガイオス1世、第5代マケドニア王に即位

■BC673年 ローマ人 トゥッルス・ホスティリウス、第3代ローマ王に即位

■BC641年 ローマ人 サビニ人の台頭を機に、イタリアからエーゲ海に移住(レムノス島)

■BC641年 ローマ人 レムノス島から現ルーマニアに移住(ルーマニア人)
※ルーマニアの名の由来はローマ

■BC6世紀 マゴ家 カルタゴの指導者でカルタゴ帝国の建設者(マゴ王朝)

■BC410年 マゴ家 将軍ハンニバル・マゴ、カルタゴ軍をシチリアに差し向ける(セリナスの戦い)

■BC406年 マゴ家 ヒミルコ・マゴ、カルタゴ軍の将軍に就任

■BC359年 マケドニア人 ヒリッポス2世、第25代マケドニア王に即位

■BC336年 マケドニア人 アレクサンドロス3世、第26代マケドニア王に即位(アレクサンドル帝国)

■BC323年 マケドニア人 アレクサンドロス4世、第28代マケドニア王に即位、千人隊長ベルディッカスが摂政政治を行う

■BC323年 マケドニア人 アレクサンドロス大王急逝後、配下の将軍たちが後継者の座を争った(ディアドコイ戦争)

■BC312年 マケドニア人B セレウコス1世ニカトル、オリエントに築いた王国(セレウコス朝)

■BC306年 マケドニア人A アンチゴノス1世、マケドニア王に即位(アンチゴノス朝)

■BC305年 マケドニア人C プトレマイオス1世、エジプトに築いた王国(プトレマイオス朝)

■BC214年 マケドニア人A フィリッポス5世、ハンニバルと同盟してローマと戦う(第一次マケドニア戦争)

■BC200年 マケドニア人A フラミニヌスによりローマが勝利(第二次マケドニア戦争)

■BC171年 マケドニア人A 共和制ローマによるヘレニズム諸国征服の端緒(第三次マケドニア戦争)

■BC168年 マケドニア人A ペルセウス、ピュドナの戦いでローマ軍に敗北(アンチゴノス朝滅亡)

■BC148年 マケドニア人A アンドリスコス、ローマからの自立を宣言(第四次マケドニア戦争)

■BC148年 マケドニア人D ローマの征服を機に、マケドニアからフィリピン・ミンダナオ島に移住(マギンダナオ族)
※マギンダナオの名の由来はマケドニア

■BC83年 マケドニア人B セレウコス朝がアルメニア王ティグラネス2世の支配下に入った(セレウコス朝滅亡)

■BC80年 マケドニア人C プトレマイオス朝の直系が断絶

■BC51年 マケドニア人C クレオパトラ7世、プトレマイオス朝の女王に即位

■BC30年 マケドニア人C ローマがプトレマイオス朝の王位継承に介入(プトレマイオス朝滅亡)

■AD1世紀 マゴ家 福音記者マルコ、アレキサンドリア教会を創建(初代アレキサンドリア総主教)

■AD250年 セレウコス朝/マケドニア人 アンティキアに生まれたアリウスは後にアレキサンドリアに移住(アリウス派)
※背景には、ディアドコイ戦争以来続く打倒プトレマイオスの思惑が秘められている

■AD296年 プトレマイオス朝/マケドニア人 アレクサンドリア主教を勤めた(アタナシウス派)

■AD381年頃 アンティゴノス朝/マケドニア人 トルコに生まれたネストリウスはアレクサンドリア主教と対立(ネストリウス派)
※背景には、ディアドコイ戦争以来続く打倒プトレマイオスの思惑が秘められている

■AD4世紀 アリウス派 ヴァンダル人、ゴート人、ランゴバルト人を改宗させる(ゲルマニア伝道)

■AD431年 ネストリウス派 エフェソス公会議で異端認定、一部東方宣教に赴く(アッシリア東方教会)

■AD496年 アタナシウス派 フランク王クローヴィスを改宗させる

■AD589年 アタナシウス派 西ゴート王レカルド1世を改宗させる(アリウス派消滅)

■AD13世紀 ルーマニア人 モンゴル軍征西を機に現ルーマニアからヨーロッパに各地に移住(ロマ)
※ロマの名の由来はルーマニア、或いはローマ

■AD1347年〜1671年 ロマ テンプル騎士団の残党がロマの公演中を見計らい、村々の井戸に黒死病感染者の体の一部を放置した(黒死病)
※モンゴル人は黒死病を生物兵器として使用していたが、フン族はそれを匈奴時代に学んだ

■AD1422年 ロマ イタリアのボローニャに到達

■AD1427年 ロマ フランスのパリに到達

■AD1499年 ロマ スペインがロマの入国を禁止

■AD16世紀 マギンダナオ族 マラウィを首都としてスペイン人の支配を退けた(マギンダナオ王国)

■AD1500年 ロマ マクシミリアン1世によって皇帝ジギスムントの特許状は無効とされた

■AD1550年頃 ロマ イギリス各地の地方自治体がロマに退去命令を出す

■AD1561年 ロマ シャルル6世が2ヶ月以内に領土から追放するように命令を出した

■AD1596年 ロマ イギリスで放浪中のロマ196人が捕らえられ、106人が死刑宣告を受けた

■AD1619年 マギンダナオ族 ムハンマド・ディパトゥアン・クドラトゥッラー・ナシルッディーン、ミンダナオに侵攻したスペイン軍を撃破

■AD1645年 マギンダナオ族 ムハンマド・ディパトゥアン・クドラトゥッラー・ナシルッディーン、スペインとオランダに主権を認めさせ講和条約を結ぶ

■AD1714年 ロマ マインツ大司教が裁判抜きの処刑、鞭打ち、追放、重労働を命じた 

■AD19世紀 マギンダナオ族 スペイン領フィリピンに組み込まれる(マギンダナオ王国消滅)

■AD19世紀後半 マケドニア人A 反オスマンの組織形成(内部マケドニア革命組織)

■AD1903年 内部マケドニア革命組織 ゴツェ・デルチェフ、指導者として武装蜂起(イリンデン蜂起)

■AD1912年 内部マケドニア革命組織 ブルガリアに付いてオスマン・トルコ帝国と戦う(第一次バルカン戦争)

■AD1947年 ルーマニア人 ルーマニア国王ミハイ1世が退位して成立(ルーマニア人民共和国)

■AD1963年 マケドニア人A ティトーの指導下で、共産主義体制の連邦国家となる(マケドニア社会主義共和国)

■AD1965年 ルーマニア人 ニコライ・チャウシェスク、第10代書記長に就任(ルーマニア社会主義人民共和国)

■AD1971年 ロマ 第一回世界ロマ会議

■AD1974年 ルーマニア人 ニコライ・チャウシェスク、初代ルーマニア大統領に就任

■AD1977年 マギンダナオ族 モロ民族解放戦線から独立(モロ・イスラム解放戦線)

■AD1990年 ロマ ロマと呼ばれるのを嫌う人々が創設(ユーゴルラビア・エジプト人協会)

■AD1989年 ルーマニア人 ニコライ・チャウシェスク、銃殺刑に処される(ルーマニア革命)

■AD1990年 ルーマニア人 イオン・イリエスク、初代ルーマニア大統領に就任(ルーマニア共和国)

■AD1991年 マケドニア人A キロ・グリゴロフ、初代マケドニア大統領に就任(マケドニア共和国)

■AD1996年 ルーマニア人 エミル・コンスタンティネスク、第3代ルーマニア大統領に就任

■AD1999年 マケドニア人A ボリス・トライコフスキ、第2代マケドニア大統領に就任

■AD2004年 マケドニア人A ブランコ・ツルヴェンコフスキ、第3代マケドニア大統領に就任

■AD2005年 モロ・イスラム解放戦線 アロヨ政権下でマギンダナオ州の政府軍を襲撃

■AD2006年 モロ・イスラム解放戦線 モロ民族解放戦線に復帰・統合、新組織発足(モロ民族連隊会議)

■AD2011年 モロ・イスラム解放戦線 ムラド・エブラヒム、アキノ大統領と日本で極秘対談

■AD2012年 モロ・イスラム解放戦線 フィリピン政府と和平合意に至るが、モロ民族解放戦線が反発

■AD2009年 マケドニア人A ジョルゲ・イワノフ、第4代マケドニア大統領に就任





ノア族の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でノア族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。ノアはアダムから数えて9代目であり、レメクの息子と伝えられている。セム、ハム、ヤペテの名前だけで世界の正体に迫ろうと苦心していた頃、どうしてもネパールの正体が分からなかったが、ノアの名前を当ててみるとしっくりいった。ノア族は古代からヒマラヤ山脈とメソポタミアを往来していた種族であり、北アメリカ、ユカタン半島を経て沖縄にまで来た生粋の船人である。彼らが人類史上、初めて太平洋を横断した種族だったと考えられる。


■BC八千年 ノア族 セム族、ハム族、ヤペテ族を率いてバルト海からイウヌに移住

■BC五千年 ノア族 アベル族の案内でマンディンカ人、セト族、ノア族、メトセラ族と共に地中海からユカタン半島に移住

■BC五千年 ノア族A 北米南東部に移住、セム族と連合(セミノール族)
※セミノールの名の由来はセムとノアの組み合わせ

■BC五千年 ノア族A 単独で北米の隅々、中米にも移動(ナワトル語族)
※ナワトルの名の由来はノア

■BC五千年 ノア族B イウヌから現ネパール、ヒマラヤに移住(ネワール族)
※ネワールの名の由来はノア

■BC五千年 ネワール族A ヒマラヤからメソポタミアに移住(ニップール)
※ニップールの名の由来はネワール

■BC五千年 ネワール族A ニップールから北部に移住(ニネヴェ)
※ニネヴェの名の由来はネワール

■BC五千年 ネワール族B ヒマラヤからエジプトに進出、現ナイル流域に移住(ナイル、ヌエル族)
※ナイル、ヌエル族の名の由来はネワール

■BC7世紀 ナワトル族 ノアの系統がアマゾンに向かう途中、中米に残留(ナワ族)
※ナワの名の由来はノア

■BC7世紀 ナワトル族 クリーク族と連合、ボイイ族と共にマヤを経由してモハス平原に移住(グアラニー族)
※グアラニーの名の由来はクリークとノアの組み合わせ

■BC6世紀 ノア族C バルト海から地中海、イタリアに移住(ナポリ)
※ナポリの名の由来はノアのポリス

■BC2世紀 グアラニー族 一部ノア族がチャルーア人と連合、北米からヨーロッパに移住(ナザレ人)
※ナザレ人の名の由来はノアとチャルーアの組み合わせ

■BC2世紀 ノア族C 北米からスカンジナビアに移住(ノルウェー)
※ノルウェーの名の由来は西方から来たノア族

■BC2世紀 ナワ族 ユカタン半島から太平洋に進出、ナウル島に移住(ナウル人)

■BC2世紀 ナワ族 ナウル島からミンダナオ島に移住(ミンダナオ人)

■BC2世紀 ナワ族 ミンダナオ島から沖縄本島に移住(阿児奈波、那覇)

■BC2世紀 ナワ族 沖縄本島から樺太に移住(ニヴフ)

■BC2世紀 ナザレ人 オランダに移住、堤防を建造して海抜以下の土地を生活空間に改造(ネーデルラント)

■BC2世紀 ナザレ人 オランダからイベリア半島に移住(ナスル朝/1232年)

■BC2世紀 ナザレ人A イベリア半島からイスラエルに移住(ナザレ)

■BC2世紀 ナザレ人A ユート族と連合、地中海からアラビア半島に移住(ナジュド)
※ナジュドの名の由来はノアとセトの組み合わせ

■BC2世紀 ナザレ人C イベリア半島から現ナイジェリアに移住(ニジェール河)
※ニジェールの名の由来はナザレ

■BC2世紀 ナザレ人C 現ナイジェリアから南アフリカを周航、インド洋に出てアンダマン諸島に移住(ジャラワ族)
※ジャラワの名の由来はナザレ

■BC4年頃 ナザレ人A イエス・キリスト生誕(ナザレのイエス)
※モハス文明を築いた土木技術者の後裔だった為に大工を称したと考えられる

■AD28年頃 ナザレ人A イエス・キリスト、影武者の処刑を機にペルシアに移住
※ユダは影武者にキスをした

■AD30年代 ナザレ人A イエス・キリスト、イスラエル帰還後にパウロを称し、ペトロが主導権を握るキリスト教に反発
※パウロ、パウルスの名の由来はペルシア

■AD34年頃 ナザレ人A パウロ、復活したキリストの声を聞く(パウロの改心)
※ペトロ達と折り合いを付けたと考えられる

■AD60年頃 ナザレ人A パウロ、伝道旅行の先、イベリア半島バゾス川流域に落ち着く(バゾス)
※バゾスの名の由来はヘスス、イエス

■AD1世紀 ナザレ人A イエスの兄弟ヤコブ、初代総主教に(エルサレム総主教)

■AD4世紀 ナポリ人 ローマ帝国分裂を機にイタリアからヒマラヤに移住(ネパール)
※ネパールの名の由来はナポリ

■AD4世紀 ネワール族 ナポリ人の移住を機に一部がモンゴル高原に移住(ナイマン)

■AD637年 ナザレ人A イスラム軍のパレスティナ侵攻を機にイスラエルからライン河畔に移住

■AD8世紀 ネパール人 プラティハーラ朝、パーラ朝の伸張によりネパールからイベリア半島に移住(ナバラ)
※ナバラの名の由来はネパール

■AD1090年 ナザレ人A ローレンブルク伯デュード=ヘンリーに接近、自身の血統を打ち立てる(ループレヒト1世生誕)

■AD1099年 ナザレ人B 第一回十字軍の侵攻を機にイスラエルからイベリア半島に移住(ナスル家)

■AD1123年 ナザレ人A ループレヒト1世、先祖が命名した土地ナッサウに城を構える

■AD1154年 ナザレ人A ヴァルラム1世、初代ナッサウ伯に(ナッサウ家)

■AD1238年 ナスル家 ムハンマド1世イブン・ナスル、初代グラナダ王に即位(ナスル朝グラナダ王国)

■AD1273年 ナスル朝 ムハンマド2世アル・ファキヒ、第2代グラナダ王に即位

■AD1302年 ナスル朝 ムハンマド3世、第3代グラナダ王に即位

■AD1309年 ナスル朝 ナスル、第4代グラナダ王に即位

■AD1341年 ナスル朝 イスマイール1世、第5代グラナダ王に即位

■AD14世紀 ヌエル族 ナイル流域から湖水地方に移住(ニョロ族、ブニョロ=キタラ帝国)

■AD1355年 ナッサウ家 ヴァルラム2世の曾孫ヨハン1世、ヴァイルブルク伯に(ナッサウ=ヴァイルブルク家)

■AD1410年 ナスル朝 都市アンテケーラがアラゴン王フェルナンド1世の攻撃により陥落

■AD1415年 ナスル朝 ポルトガルがセウタを占領

■AD1429年 ナスル人 ナスル朝滅亡、イベリア半島からネーデルラントに移住(ナッサウ家)

■AD1492年 ナスル朝 アブー・アブド・アラー・ムハンマド12世、グラナダ城の無血開城によりレコンキスタ完了(ナスル朝滅亡)

■AD1492年 ナスル家 ナスル朝滅亡を機に、イベリア半島からネーデルラントに移住

■AD15世紀 ナワ族 英祖王統成立を機に、沖縄から日本に移住(丹羽氏)
※丹羽の名の由来はナワ

■AD15世紀 丹羽氏 関東に移住、斯波氏に仕える(児玉党)

■AD1533年 ヘレネス人 ナッサウ=ディレンブルク伯ヴィルヘルムに接近、自身の血統を打ち立てる(ウィレム1世生誕)

■AD1544年 ヘレネス人 ウィレム1世、ナッサウ家ルネの所領を相続、これを機に本流がヘレネス人に奪われる(オラニエ公、オラニエ=ナッサウ家)
※オラニエの名の由来はウラヌス、ヘレネス

■AD1535年 丹羽氏 丹羽長秀生誕

■AD1550年 丹羽氏 丹羽長秀、織田信長に仕える

■AD1567年 ナッサウ家 ウィレム1世に接近、ナッサウ家をヘレネス人から奪還すべく自身の血統を打ち立てる(マウリッツ・ファン・ナッサウ生誕)

■AD1571年 丹羽氏 丹羽長重生誕

■AD1581年 ヘレネス人 ウィレム1世、オランダ独立宣言後に暗殺(オランダ王国)

■AD1583年 丹羽氏 丹羽長秀、秀吉を援護し、123万石の大大名となる(賤ヶ岳の戦い)

■AD1585年 ナッサウ家 マウリッツ、ホラント州、ゼーラント州の総督に就任

■AD1588年 ナッサウ家 マウリッツ、スペイン艦隊を撃破(アルマダの海戦)

■AD1596年 ナッサウ家 イギリス、フランスによる独立承認、対スペイン同盟を締結(グリニッジ条約)

■AD1834年 丹羽氏 丹羽長国生誕

■AD1938年 庭野氏 庭野日敬、長沼妙佼脇祖と共に大日本立正交成会を設立(立正佼成会)

■AD1951年 庭野氏 庭野日敬、母子が布教活動の行き過ぎによって無理心中したように報道される(蔵敷事件)

■AD1962年 庭野氏 庭野日敬、青年部50人が統一教会に転じ、多数が幹部となる

■AD1999年 庭野氏 庭野日敬、自自公連立政権に対する教団見解を発表

■AD1999年 庭野氏 庭野日敬死去

■AD2001年 庭野氏 庭野日鑛、靖国神社参拝に関して小泉首相に意見書を提出

■AD2003年 庭野氏 庭野日鑛、米英軍のイラクに対する武力行使に対し緊急談話を発表




セム族の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でセム族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。セムはアダムから数えて10代目であり、ノアの息子と伝えられている。サーミ人はセム族直系の種族で、古代人の面影を残していると考えられる。


@セム族


■BC八千年 セム族、ハム族、ヤペテ族 バルト海からイウヌに移住

■BC八千年 セム族 アベル族、ダン族、アケーア人を率いてイウヌから紅海、インドを経由してニューギニアに移住(ダニ族、パプア人)

■BC八千年 セム族 アベル族、ダン族、アケーア人を率いてイウヌから紅海、インドを経由してオーストラリアに移住(アボリジニ)

■BC五千年 セム族 アベル族、ノア族、セト族、ハム族と共にイウヌからアイルランド、アイスランドを経由してアメリカ大陸に移住

■BC五千年 セム族 北米南東部に移住、ノア族と連合(セミノール族)
※セミノールの名の由来はセムとノアの組み合わせ

■BC五千年 セム族 エドム人、アベル族、エノス族、ヤペテ族、ベドウィン族と連合、イウヌにて北極海探検隊を結成

■BC五千年 セム族 北極海ルートを介し、スカンジナビア北部に移住(サーミ人)
※サーミの名の由来はセム

■BC五千年 サーミ人 北極海ルートを介し、レナ河上流からモンゴル高原に移住(大月氏/他称)

■BC五千年 サーミ人 北極海から太平洋に出て南下、台湾に移住(アミ族)
※アミの名の由来はサーミ

■BC五千年 アミ族 台湾にパンツァ族、サキザヤ族、クバラン族、シラヤ族、パイワン族などの支流が発生

■BC31世紀 アミ族 エラム人/シュシャン人到来を期に、支族を率いて西方移住を計画(古代台湾人の大航海時代)

■BC31世紀 アミ族 台湾から現ミャンマーに移住(シャン族)
※シャンの名の由来はセム、シャマシュの名の由来はセム

■BC31世紀 アミ族 支流、パンツァ族がミャンマーからインドに移住(パンチャーラ族)
※パンチャーラの名の由来はアミ族の別称パンツァ

■BC31世紀 アミ族 クバラン族、シラヤ族、パイワン族と共にインドからメソポタミアに移住(シュメール人)
※シュメールの名の由来はセム

■BC31世紀 シュメール人 支流、サキザヤ族がメソポタミアから現ソマリアに移住(イサク族、ソマリア)
※イサクの名の由来はサキザヤ

■BC31世紀 シュメール人 現ソマリアから現イスラエルに移住(サマリア人)
※サマリア、シャムシュの名の由来はセム

■BC31世紀 アミ族 メソポタミアに都市国家を建設(ウンマ)
※ウンマの名の由来はアミ

■BC31世紀 アミ族 支流、クバラン族がメソポタミアに都市国家を建設(シッパール)
※シッパールの名の由来はクバラン

■BC31世紀 アミ族 支流、シラヤ族、パイワン族がメソポタミアに都市国家を建設(シュルッパク)
※シュルッパワの名の由来はシラヤとパイワンの組み合わせ

■BC30世紀 シッパール人 エン・メン・デュル・アナ、シッパール王に即位(太陽神シャマシュ)
※シャマシュの名の由来はセム

■BC30世紀 シュルッパク人 ウバル・トゥトゥ、シュルッパク王に即位

■BC30世紀 シュルッパク人 ジウスドラ、シュルッパク王に即位

■BC27世紀 ウンマ人 グ・エディン・ナの地を巡って争うラガシュと争う(ラガシュ・ウンマ戦争)

■BC2425年頃 ウンマ人 ウンマの王エナカリ、ラガシュの王エアンナトゥムに敗北

■BC2371年頃 ウンマ人 祭司ルガルサゲシ、前王を倒してウンマの王に即位(ウルク第3王朝)

■BC2340年頃 ウンマ人 ウンマの王ルガルサゲシ、ラガシュを撃破、破壊する

■BC21世紀 ナーガ族A 一部が残留、一部が先を急ぎ、現ミャンマーに先住するシャン族と連合(長髄彦)
※長臑彦の名の由来はナーガとシャンの組み合わせ

■BC21世紀 エノク族C ヤレド族を率いてインドから古代中原に移住、神農を祀るシュメール人に参加

■BC21世紀 長髄彦 ミャンマーから日本に進出、大和地方に移住(登美那賀須泥毘古)

■BC21世紀 長髄彦 大和地方から東北地方に移住(天狗、スネカ)
※天狗の名の由来はエノクに狗を当て字したもの、スネカの名の由来は長髄彦

■BC21世紀 長髄彦 東北地方からモンゴル高原に移住(東胡/トングウ)
※東胡の名の由来は天狗

■BC21世紀 東胡 モンゴル高原を中心に、シベリアにも進出して天上界の概念を説く(テングリ崇拝)
※テングリの名の由来は天狗

■BC12世紀頃 パンチャーラ族 クル族が五河地方の政権を握ると東方に移動

■BC1020年 サマリア人 イスラエル王国統一を機に、四方に離散したと考えられる(イスラエル王国)

■BC884年 サマリア人 シェメル王、サマリアを北イスラエル王国第6代王オムリに譲渡(サマリア遷都)

■BC806年 東胡A シャン族を中心にした東胡の一部が、シベリアから北極海ルートに出て西方に向かう

■BC806年 東胡B シャン族を中心にした東胡の一部が、満州から古代中原に移住、国家を建設(鄭)
※チョンの名の由来はシャン

■BC806年 東胡C エノク族を中心にした東胡の一部は、シャン族を中心にした東胡の大航海時代に参加せずにモンゴル高原に残留

■BC722年 アッシリア人 北イスラエル王国を滅ぼし、サマリアに居住していた市民を強制的に排除(アッシリア捕囚)

■BC722年 サマリア人 アッシリア捕囚を機にサマリアに帰還

■BC6世紀頃 パンチャーラ族 古代インド十六大国に数えられる王国を建設(パンチャーラ王国)

■BC6世紀 東胡A 北極海から大西洋に出てライン河畔を遡り、現シャンパーニュに移住(シャンパーニュ)
※シャンパーニュの名の由来はシャンとエノクの変型ハナの組み合わせ「シャンハナ」

■BC4世紀頃 パンチャーラ族 ナンダ朝マガダ王国の侵攻により滅亡(パンチャーラ王国滅亡)

■BC3世紀 東胡A 現シャンパーニュからスイスに移住(ジュネーヴ)
※ジュネーヴの名の由来はシャンパーニュ

■BC2世紀 東胡A ラインを下り、ジュネーヴから地中海に出て、現ジェノヴァに移住(ジェノア)
※ジェノヴァの名の由来はジュネーヴ

■BC2世紀 鄭氏 鄭消滅を機に中国から朝鮮半島に移住、狗邪韓国を建設(弁韓)

■BC1世紀 東胡A ローマ共和国の台頭を機に、現ジェノヴァからベトナム南部に移住(チャンパ、チャム族)
※チャンパの名の由来はジェノヴァ

■AD192年 東胡A 区連、漢の支配から独立し、初代王に即位(チャンパ王国)

■AD10世紀 チャム族 李朝の台頭を機に現ベトナムから現シャンパーニュに移住

■AD11世紀 チャム族 ブロワ伯ウードに接近、自身の血統を打ち立てる(ウード1世)

■AD1000年 チャンパ人 李朝大越国の成立を機にヴィジャヤに遷都(ヴィジャヤ朝チャンパ王国)

■AD11世紀以降 チャンパ人 チャンラ王国やアンコール朝と抗争を繰り広げる

■AD1005年 ジェノヴァ人 ジェノヴァを中心にした都市連邦(ジェノヴァ共和国)

■AD1022年 チャム族 ウード1世、シャンパーニュ伯に就任

■AD1096年 ジェノヴァ人 ジェノヴァ共和国の拡大(第一次十字軍)

■AD1181年 シャンパーニュ伯 アンリ2世、リチャード獅子心王が指揮する第三回十字軍に参加、エルサレム王に即位

■AD12世紀 サーミ人 ノルウェー国王に対する納税を求められる(ラップ税)

■AD1234年 シャンパーニュ伯 ティボー4世、ヒメネス家断絶を機にナバラ王に即位(ティバルド1世)

■AD1284年 シャンパーニュ伯 ジャンヌ、フランス王フィリップ4世に嫁ぐ(ルイ1世生誕/AD1305年)

■AD1251年 サーミ人 ノルウェー、ノヴゴロド、スウェーデン三国間でラップランドにおける国境、徴税権に関する合意が成立、サーミ人は分断された

■AD1287年 ジェノヴァ人 ピサに完勝し、ティレニア海の覇権を確立(メローリアの海戦)

■AD1313年 シャン族 ティハトゥ、白象王の称号を用い、大王を称する(ピンヤ朝)

■AD1315年 シャン族 ティハトゥの末っ子ソーユン、サガインで独立(サガイン朝)

■AD1321年 シャン族 ウザナ、ピンヤ朝第2代国王に即位

■AD1340年 シャン族 ミンザインシートゥー、ピンヤ朝第3代国王に即位

■AD1353年 ジェノヴァ人 ヴェネツィア・アラゴン同盟に敗北、アラゴンのサルディーニャ支配を容認(ロイエーラの海戦)

■AD1364年 シャン族 マオ・シャン族がピンヤ朝とサガイン朝を滅ぼす

■AD1364年 シャン族 サガイン王家のタドミンビャ、アヴァ周辺の沼沢地を開拓(アヴァ朝)

■AD1368年 シャン族 ナ・ヌー、アヴァ朝第2代国王に即位

■AD1368年 シャン族 ピンヤ王家を称するミンチースワーソーケ、アヴァ朝第3代国王に即位

■AD1381年 ジェノヴァ人 ヴェネツィアとの百年戦争が劣勢のまま終結(トリーノ条約)

■AD14世紀 鄭氏B 明成立を機に、中国からベトナムに移住

■AD1550年 鄭氏B ハノイを中心に鄭氏が政権樹立(鄭氏トンキン国)
※ハノイの名の由来はエノク

■AD1546年 シャン族 モビー・ナラパティ、アヴァ朝第18代国王に即位

■AD1552年 シャン族 サリン領主シトゥチョーティン、アヴァ朝第19代国王に即位

■AD1558年 シャン族 タウングー王バインナウンの侵攻により、アヴァが陥落(アヴァ朝滅亡)

■AD1604年 鄭氏A 鄭芝龍生誕

■AD1623年 鄭氏 鄭阮戦争にオランダが介入、ベトナムからモンゴルに移住(ジュンガル部)
※ジュンガルの名の由来はチョン

■AD1624年 鄭氏A 鄭成功生誕

■AD1661年 鄭成功 オランダを台湾から排除(鄭氏政権)

■AD17世紀初頭 鄭氏A 鄭成功が東林党、明の残党、倭人、倭寇、イエズス会と連合、フェニキア人による秘密結社を結成(洪門)
※洪門の名の由来は洪武帝

■AD1683年 洪門 清が台湾に侵攻、朝鮮半島に移住(鄭氏政権消滅)

■AD1683年 鄭氏B 清の侵攻を機に、台湾からモンゴルに移住(ジュンガル帝国)

■AD1683年 鄭氏A 鄭成功の孫が洪門、天地会に関する文書を海底に沈める

■AD1733年 洪門 全羅道、平安道で農民蜂起を指揮、失敗後に日本・豊前国、阿波国に移住

■AD1733年 洪門 阿波組から政之丞が大塩家に養子入り(大塩平八郎/AD1793年)
※朝鮮半島からの移住者であるため儒学を継承

■AD1733年 洪門 豊前組が福澤家に接近(福澤諭吉/AD1835年)
※朝鮮半島からの移住者であるため儒学を継承

■AD1758年 ジュンガル部 清による大虐殺発生(ジュンガル帝国滅亡)

■AD1767年 鄭氏B ジュンガル滅亡を機に、モンゴルから現タイに移住(トンブリー朝)
※トンブリーの名の由来はテングリ

■AD1811年 洪門 平安道で農民蜂起を指揮、敗北後に長江下流域に移住(洪景来の乱)

■AD1814年 ジェノヴァ人 ジェノヴァ共和国がサルディーニャ王国に併合される

■AD1832年 チャンパ人 明命帝の中央集権化方針により王家が断絶される(チャンパ王国滅亡)

■AD1854年 洪門 太平天国に参加していた明の残党が離脱、山賊集団を形成(紅幇)
※紅の由来は洪と朱、つまり明の残党を意味する

■AD1917年 サーミ人 トロンハイムでサーミの会議を開催

■AD1945年 サーミ人 サーミ人の土地がソ連に割譲、これを機にフィンランドに移住

■AD1956年 サーミ人 ヨックモックの会議を機に、北欧のサーミが連帯(北欧サーミ評議会)

■AD1960年 イサック族 ソマリランド国として独立

■AD1963年 チャンパ人 イーバム・エニュオル議長、チャンパ高地臨時政府を樹立

■AD1964年 サーミ人 サーミ問題に関する専門家が設立(サーミ評議会)

■AD1971年 サーミ人 言語に関して協同するために設立(サーミ言語評議会)

■AD1977年 イッサ族 ハッサン・グレド・アプティドン、初代ジブチ大統領に就任(ジブチ共和国)

■AD1978年 サーミ人 ノルウェー政府の発電所建設計画を巡り抗議活動を展開(サーミ権利委員会、サーミ文化委員会)

■AD1981年 イサック族 バーレ大統領の政権打倒を目的にロンドンで結成(ソマリ国民運動)

■AD1987年 サーミ人 ノルウェー議会がサーミ法を採決(サーミ議会)

■AD1989年 サーミ人 オーレ・ヘンリック・マーガ、初代サーミ議会議長に就任

■AD1990年 シャン族 シャン族の権益を追求するミャンマーの政党(シャン諸民族民主連盟)

■AD1991年 イサック族 アブドゥラフマン・アリ・トゥール、初代ソマリランド大統領に就任(ソマリランド共和国)

■AD1992年 サーミ人 サーミ言語法、サーミ人本草案がフィンランドで施行

■AD2001年 鄭氏B タクシン・チナワット警察中佐、第31代タイ首相に就任

■AD2010年 イサック族 アフメッド・シランヨ、第4代ソマリランド大統領に就任

■AD2011年 鄭氏B インラック・シナワトラ、第36代タイ首相に就任



Aシメオン族


■BC八千年 セム族、ハム族、ヤペテ族 バルト海からイウヌに移住

■BC五千年 セム族 エドム人、アベル族、エノス族、ヤペテ族、ベドウィン族と連合、イウヌにて北極海探検隊を結成

■BC五千年 セム族 北極海ルートを介し、スカンジナビア北部に移住(サーミ人)
※サーミの名の由来はセム

■BC五千年 サーミ人 北極海ルートを介し、レナ河上流からモンゴル高原に移住(月氏/他称)

■BC30世紀 月氏 第二次北極海ルートの一団の台頭を機に、モンゴル高原からオリエントに移住(シメオン族)
※シメオンの名の由来はセム

■BC30世紀 シメオン族 アッカド人と連合、ウルの月の神ナンナを改名(月の神シン)

■BC13世紀 シメオン族 イスラエル12支族に参加(イスラエル王国)

■BC930年 シメオン族A イスラエル王国分裂を機に、一部がモンゴル高原に帰還

■BC771年 シメオン族A 祖を同じくする月氏の下に身を寄せ、月の神シンを祀って氏族を強化(秦)
※秦の名の由来はシン

■BC8世紀 アッシリア人 イスラエル王国に侵攻(フェニキア人の大航海時代)

■BC7世紀 シメオン族B フェニキア人の船団には参加せず、陸路でイスラエルからモンゴル高原に移住(司馬氏)
※司馬氏の名の由来はシメオン

■BC7世紀 司馬氏 モンゴル高原で先発隊の秦と連合、古代中原に覇を唱える

■BC338年 秦 恵文王、王号採用

■BC338年 司馬氏 司馬錯、将軍として恵文王、武王、昭襄王に仕える

■BC310年 秦 武王、王に即位

■BC221年 司馬氏 始皇帝、春秋戦国時代を制覇(秦)

■BC209年 司馬氏 二世皇帝、第2代秦皇帝に即位

■BC207年 司馬氏 子嬰、第3代秦皇帝に即位

■BC206年 司馬氏 子嬰、劉邦の侵攻に対して降伏(秦滅亡)

■BC206年 司馬氏A 秦滅亡を機に、イスラエルに帰還

■BC206年 司馬氏C 一部が残留し、秦の残党と混合

■BC3世紀 司馬氏B イスラエルへの帰途、コラサン民族の大移動の話を小耳に挟みコラサン地方に一部残留

■BC145年 司馬氏C 司馬遷生誕

■BC2世紀 司馬氏B コラサンからアラビア半島に移住、クライシュ族に参加(ハーシム家)
※ハーシムの名の由来は司馬

■BC2世紀 月氏 匈奴に敗北したのを機に、中央アジアに移住(大月氏)

■BC174年頃 大月氏 老上単于の命により烏孫が攻めてきた為、更に西方に移住

■BC174年頃 大月氏 ソグディアナを根城にトハリスタンを征服

■AD45年〜AD5世紀 亀茲人B 大月氏を率いて、タリム盆地からインドに移住(クシャーナ朝)
※クシャーナの名の由来は亀茲

■AD1世紀 司馬氏A イスラエルにシモン・ペトロ生誕(十二使徒のリーダー)
※シモンとペトロの名の由来は「北のトルファンから来た司馬氏」、ケファの名の由来はケフィア

■AD1世紀 司馬氏A 熱心党のシモン、キリストの弟子に(十二使徒)

■AD265年 司馬氏C 司馬炎、呉を滅ぼして百年ぶりに中国を統一(西晋)
※晋の名の由来は月の神シン、秦の血統と考えられる

■AD317年 司馬氏C 長安陥落、建康に首都移転(東晋)

■AD320年 大月氏 寄多羅、インドやガンダーラを服属させた(キダーラ朝)

■AD330年 大月氏 クンガ、キダーラ朝第2代国王に即位

■AD340年 大月氏 ヴァルフラン1世、キダーラ朝第3代国王に即位

■AD420年 司馬氏C 晋滅亡を機に、モンゴル高原に移住(阿史那氏)
※阿史那氏の名の由来はシナ

■AD5世紀中半 大月氏 サラナヴィーラ、キダーラ朝第10代国王に即位

■AD5世紀後半 大月氏 ヴィナヤディーティヤ、キダーラ朝第11代国王に即位

■AD6世紀前半 大月氏 カンディク、キダーラ朝第12代国王に即位

■AD500年代 大月氏 カンディク、フナ、エフタルの侵攻を機に氏族を率いて移住(キダーラ朝滅亡)

■AD552年 阿史那氏 土門、柔然を撃破、伊利可汗として初代突厥可汗に即位(突厥帝国)

■AD552年 阿史那氏 乙息記可汗、第2代突厥可汗に即位

■AD553年 阿史那氏 木汗可汗、第3代突厥可汗に即位

■AD571年 ハーシム家 マホメット生誕(イスラム教)

■AD587年 阿史那氏 都藍可汗、第8代突厥可汗に即位(西突厥帝国)

■AD587年 阿史那氏 啓民可汗、初代東突厥可汗に即位(東突厥帝国)

■AD610年 ハーシム家 マホメット、唯一神の啓示を受ける

■AD613年 ハーシム家 マホメット、多神教の聖地メッカで教えを説くが迫害される

■AD624年 ハーシム家 マホメット、クライシュ族率いるメッカとマホメットを受け入れたメディーナの戦い(バドルの戦い)

■AD627年 ハーシム家 マホメット、塹壕を掘ってメッカ軍を撃退(ハンダクの戦い)

■AD630年 ハーシム家 マホメット、メッカを聖地に定める

■AD630年 阿史那氏A 東西分裂を機に、一部がチュルク族、タタール人を率いてアメリカ大陸に向かう(チュルク民族の大航海時代)

■AD656年 ハーシム家 アリー、第四代カリフに即位

■AD661年 ハーシム家 アリー、ハワーリジュ派に暗殺される

■AD661年 ハーシム家 アリー支持派(シーア派)

■AD739年 阿史那氏B 阿史那キンの氏族が、中央アジアからハザール帝国に移住(西突厥滅亡)

■AD744年 阿史那氏B 白眉可汗の氏族が、タリム盆地からハザール帝国に移住(東突厥滅亡)

■AD8世紀 阿史那氏C 残党がモンゴル高原に残留し、フェニキア人の軍事集団「オグズ24氏族」に参加(セヴァ)
※セヴァの名の由来は司馬氏

■AD8世紀 阿史那氏D 残党がモンゴル高原から現千葉県に移住、フェニキア人の軍司集団「坂東八平氏」に参加

■AD750年頃 阿史那氏A ペルー北部沿岸地域に移住(シカン王国/他称)

■AD9世紀 セヴァ ハザール帝国にてオグズ24氏族の同僚ヤゼルと連合(アシュケナジム)
※アシュケナジムの名の由来は「アシェル」と「キナのシメオン」の組み合わせ

■AD9世紀 アシュケナジム ハザール帝国にユダヤ教を持ち込む(ユダヤ教改宗)

■AD900年頃 チムー人A 一部がシカンから分離、別地域に移住(チムー王国)
※チムーの名の由来はシメオン、或いは司馬

■AD900年頃 チムー人B 一部がシカンから分離、南米から太平洋を渡り日本に移住(志摩半島)
※志摩の名の由来はチムー

■AD10世紀 アシュケナジム ハザール帝国滅亡を機に、ロシアに移住

■AD10世紀 アシュケナジム ロシアから東欧、ドイツに移住

■AD1118年 阿史那氏D 千葉常重に接近、自身の血統を打ち立てる(椎名胤光生誕、椎名氏)
※椎名の名の由来は阿史那

■AD12世紀 チムー人B 志摩半島から関東地方に移住

■AD12世紀 チムー人B 惟宗広言に接近、自身の血統を打ち立てる(島津忠久生誕)
※島津の名の由来は「志摩の船着場」

■AD1185年 チムー人B 惟宗忠久、摂関家領日向国島津荘下司に任命される
※先祖の名に似た土地に興味を示したと考えられる

■AD1186年 チムー人B 惟宗忠久、薩摩国山門院の木牟礼城に入る

■AD1197年 チムー人B 惟宗忠久、大隈国と薩摩国の守護に任じられ、日向国守護職を補任

■AD1198年 チムー人B 惟宗忠久、島津荘を由来に島津左衛門尉を称する(島津氏)

■AD1203年 島津氏 島津忠久、能員の連座で大隈、薩摩、日向国の守護職を剥奪(比企能員の乱)

■AD1333年 島津氏 島津貞久、後醍醐天皇の討幕運動に参加、幕府滅亡後に大隈、日向国の守護職を回復

■AD1375年頃 阿史那氏A チムー王国がシカン王国に侵攻(シカン王国滅亡)

■AD1403年 島津氏 島津忠国生誕、忠国の代に島津氏が守護大名として確立

■AD1463年 島津氏 島津忠昌生誕、桂庵玄樹を招聘して薩南学派を起こす

■AD1493年 阿史那氏A インカ帝国による侵攻(チムー王国滅亡)

■AD1533年 島津氏 島津義久生誕、三州の再々統一を成し遂げる

■AD1535年 島津氏 島津義弘生誕、九州統一を目指し、豊前豊後以外を支配下に置く

■AD1587年 島津氏 島津義弘、秀吉の九州成敗を受け降伏

■AD1609年 島津氏 島津義弘、琉球王国に侵攻し、奄美諸島を領有

■AD1818年 アシュケナジム 現ドイツにカール・マルクス生誕(マルクス主義)

■AD1847年 アシュケナジム マルクスが国際秘密結社の結成を決議(共産主義者同盟)

■AD1856年 アシュケナジム オーストリアに精神分析のパイオニア、ジグムント・フロイト生誕

■AD1859年 アシュケナジム 現ポーランドにエリエゼル・レヴィ・ハメンホフ生誕(エスペラント)

■AD1883年 アシュケナジム 現チェコ・プラハに作家フランツ・カフカ生誕
※アカイア人による異分子排除を作品に著した

■AD1886年 アシュケナジム フロイトが自由連想法を開発(精神分析)

■AD1895年 アシュケナジム フロイト、ヒステリーが幼児期の性的虐待に起因すると発表(トラウマ)
※アカイア人による異分子排除の闇に迫った

■AD1900年 アシュケナジム フロイトが著書「夢分析」を発表





ハム族の歴史

名前を知って歴史を知る。この方法でハム族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。ハムはアダムから数えて10代目であり、ノアの息子と伝えられている。ハム族の有力な後裔にティカル人、アルメニア人がいるが、ここではオリエントに残留したハム族についての歴史のみを記す。


@ハム族


■BC八千年 ハム族A セム族、ヤペテ族と共にバルト海から地中海に進出、イウヌに移住

■BC八千年 ハム族B 一部がバルト海に残留し、後にフィンランドに移住(ハミ人)
※ハミの名の由来はハム

■BC五千年 ハム族A 一部がイウヌから北アフリカに移住(アムル人)
※アムルの名の由来はハム

■BC五千年 アムル人A 北アフリカからイタリアに移住(アマルフィ)
※アマルフィの名の由来はアムル

■BC五千年 アムル人B イタリアから現マルタ島に移住(マルタ島)
※マルタの名の由来はアムル

■BC五千年 マルタ人 現マルタ島からメソポタミアに移住

■BC五千年 マルタ人 途中のギリシアでアカイア人と連合、洞窟信仰を覚える(マルドゥク)
※マルドゥクの名の由来はマルタとアカイアの組み合わせ「マルタアカ」

■BC五千年 マルドゥク人 メソポタミアで、バビロニア帝国に君臨する最高神マルドゥクを祀る
※マルドゥクの名の由来はマルタ

■BC五千年 マルドゥク人 メソポタミアから西アフリカに移住、「黒人の容貌」を得る(マンディンカ人)
※マンディンカの名の由来はマルドゥク

■BC五千年 マンディンカ人 西アフリカ、聖地イウヌ、メソポタミアを自在に往来

■BC五千年 マンディンカ人 アベル族の案内でセト族、ノア族、メトセラ族と共に地中海からユカタン半島に移住

■BC五千年 マンディンカ人 西アフリカからユカタン半島に移住、オルメカ文明の土台を築く

■BC五千年 マンディンカ人 ユカタン半島とアイルランド島を頻繁に往来(巨石建造物ドルメン)
※最古の信仰「洞窟崇拝」から発展、ドルメンは「聖なる洞窟」を意味する

■BC五千年 マンディンカ人 アイルランドを中心にブリテン島をはじめ、欧州全土にドルメンを建設する

■BC37世紀 マンディンカ人 アイルランドからマルタ島に移住、ゴゾ島に神殿を建設(ジュガンディーヤ神殿)

■BC37世紀 マンディンカ人 ユカタン半島、アイルランド、地中海、西アフリカを往来していたが、ユカタン半島に都市を建設(ティカル)
※ティカルの名の由来はマンディンカ

■BC29世紀 アムル人A メソポタミアに都市を建設(都市国家マリ)
※マリの名の由来はアムル

■BC24世紀 マリ人 都市国家マリが破壊される

■BC20世紀 マリ人 都市国家マリ、第二の黄金時代

■BC1815年 マリ人 ヤクドゥン・リム、マリ国王に即位

■BC1798年 マリ人 スム・アッドゥ、マリ国王に即位

■BC1775年 マリ人 ジムリ・リム、マリ国王に即位

■BC1759年 マリ人 マリ滅亡を機に北シリア、エジプトに移住(第6代王ハンムラビ侵攻)

■BC17世紀 マリ人 ナフタリ族と連合、北シリアに移住(ヤムハド王国)
※ヤムハドの名の由来はアムルとヤペテの組み合わせ「アムペテ」

■BC17世紀 マンディンカ人 ユカタン半島、アイルランド、地中海、西アフリカを往来、波状的にティカルに移住(オルメカ文明)

■BC16世紀 マリ人 ヤムハド王国消滅を機に、シリアからイタリアに移住(アマルフィ)
※アマルフィの名の由来はアムル

■BC272年 アマルフィ人 ローマのタレンツゥム占領とイタリア半島統一を機にアイルランドに移住(ミレー族)
※ミレーの名の由来はアムル、或いはマリ

■BC3世紀 ミレー族 ダーナ神族をアイルランドから追放

■BC3世紀 ダーナ神族 ミレー族の侵攻を機にスコットランドに移住(ダナッド)

■BC3世紀 ミレー族 ダーナ神族を追ってスコットランド南部、現ダンフリースに移住(ミラー姓)
※ミラーの名の由来はミレー

■AD339年 アマルフィ人 交易所を設置

■AD839年 アマルフィ人 ランゴバルト人を追放、知事を選出

■AD958年 アマルフィ人 元首を選出(アマルフィ公国)

■AD1023年 アマルフィ人 エルサレムの洗礼者ヨハネ修道院の跡地に病院を兼ねた巡礼者宿泊所を建設(聖ヨハネ騎士団)

■AD1073年 アマルフィ人 アマルフィ公国がロベール・ギスカルドに征服され、独立を喪失

■AD1309年 聖ヨハネ騎士団 ビザンツ帝国領ロードス島に拠点を移転(ロードス騎士団)

■AD1522年 ロードス騎士団 オスマン・トルコ帝国軍の侵攻によりロードス島からシチリア島に移住

■AD16世紀 ロードス騎士団 教皇クレメンス7世、神聖ローマ皇帝カール5世の斡旋によりマルタ島を借りる(マルタ騎士団)

■AD16世紀 マルタ騎士団 イスラム商人、ヴェネツィア商人に対して海賊行為を行い、マルタ島が奴隷売買の中心地になる

■AD17世紀 マルタ騎士団 西欧各地で騎士団領没収のため、一部が地中海からアラビア半島に移住(バニ=ヤース族)
※バニ=ヤースの名の由来はヨハネス

■AD17世紀 マルタ騎士団 西欧各地で騎士団領没収のため、一部がアラビア半島からインドに移住(マラーター族)
※マラーターの名の由来はマルタ

■AD1660年 マラーター族 シヴァージー、マラーター族を率いてムガール帝国に蜂起

■AD1674年 マラーター族 シヴァージー、長期間のゲリラ戦でムガル皇帝アウラングゼーブを苦しめる(マラーター王国)

■AD1680年 マラーター族 サンバージー、第2代マラーター王に即位

■AD1708年 マラーター族 マラーター王国を中心に有力諸侯が連合(マラーター同盟)

■AD1713年 マラーター族 バーラージー・ヴィシュワナートが宰相に就任、マラーター王権が無力化

■AD18世紀 バニ=ヤース族 アラビア半島で海賊として活動(アラブ海賊)

■AD1817年 マラーター同盟 イギリスが押し付けたプーナ条約に対して蜂起(第三次マラーター戦争)

■AD1820年 アラブ海賊 イギリスと休戦協定(トルーシャル首長国)

■AD1921年 マルタ人 ジョセフ・ホワード、初代マルタ首相に就任(マルタ共和国)

■AD1923年 マルタ人 フランチェスコ・ブハギア、第2代マルタ首相に就任

■AD1974年 マルタ人 アンソニー・マモ、初代マルタ大統領に就任

■AD1976年 マルタ人 アントン・プティギーグ、第2代マルタ大統領に就任

■AD2004年 マルタ人 ローレンス・ゴンズイ、第23代、第24代マルタ首相に就任

■AD2009年 マルタ人 ジョージ・アベラ、第8代マルタ大統領に就任

■AD2013年 マルタ人 ジョセフ・ムスカット、第25代マルタ首相に就任




Aパミール人



■BC32世紀 ハミ人 ティカル人、メトセラ族、スバル人、エノク族、セト族、ヤレド族、セロス人と連合、北極海探検隊を結成

■BC32世紀 ハミ人 北極海ルートを介し、エニセイ河上流に移住(パミール人)

■BC327年 パミール人 アレクサンドル大王のインダス侵攻を機に東西移住計画に参加(インダス民族の大移動)

■BC4世紀 パミール人 インダス流域からアラビア半島南部に移住(ヒムヤル人)
※ヒムヤルの名の由来はパミール

■BC115年 ヒムヤル人 南アラビア全地域を支配下に置く(ヒムヤル王国)

■BC25年 ヒムヤル人 サバエ王国を侵略

■AD380年 ヒムヤル人 ハドラマウト王国を侵略

■AD4世紀 ヒムヤル人 キリスト教とユダヤ教がアル・ヤマンに伝来(第二次ヒムヤル王国)

■AD500年 アストゥリアス家 アブー・カリバ・アサド王、ヒムヤル王国に君臨

■AD525年 ヒムヤル人A 滅亡を機にアラビア半島から故地パミールに一時的に移住(ヒマラヤ)
※ヒマラヤの名の由来はヒムヤル

■AD10世紀 ヒムヤル人B イスラム勢力の中央アジアでの台頭を機に、現ミャンマーに移住(バマー/ビルマ人)
※バマーの名の由来はヒムヤル

■AD10世紀 ヒムヤル人C 現ミャンマーから日本に移住

■AD1044年 ビルマ人 アノーヤター、エーヤーワディ平原に侵入(パガン王朝)

■AD1057年 ビルマ人 アノーヤター、タトゥン王朝を滅ぼす

■AD1128年 ヒムヤル人C 源清光に接近、自身の血統を打ち立てる(逸見光長生誕、逸見氏)
※逸見の名の由来はヒムヤル

■AD1369年 ビルマ人 ウザナ2世、死去に伴い男系途絶(パガン王朝滅亡)

■AD1486年 ビルマ人 ミンチーニュ、念願ノチャウセーの土地を入手(タウングー朝)

■AD1531年 ビルマ人 タビンシュエーティー、ポルトガル人鉄砲隊を導入

■AD1548年 ビルマ人 バインナウン、アユタヤに侵攻(第一次緬泰戦争)

■AD1563年 ビルマ人 バインナウン、アユタヤを陥落させ従属を認めさせる(第二次緬泰戦争)

■AD1568年 ビルマ人 バインナウン、アユタヤに再度従属を認めさせる(第三次緬泰戦争)

■AD1599年 ビルマ人 ニャウンヤン、混乱を収拾(復興タウングー朝)

■AD1752年 ビルマ人 ペグーのモン族がタウングーに侵攻、陥落させた(タウングー朝滅亡)

■AD1752年 ビルマ人 アラウンパヤー王、モーソーボで即位(コンバウン朝)

■AD1757年 ビルマ人 アラウンバヤー王、モン王国の首都ペグーを占領

■AD1766年 ビルマ人 シンビューシン、アユタヤ王朝を滅ぼす

■AD1824年 ビルマ人 パジードー、イギリスに攻撃される(第一次英緬戦争)

■AD1852年 ビルマ人 パガン、イギリスの侵攻によりペグーを占領される(第二次英緬戦争)

■AD1855年 ビルマ人 ティーボー、イギリスが完全攻略を目指して再度侵攻(第三次英緬戦争)

■AD1886年 ビルマ人 イギリスが上ビルマを英領インドに併合(コンバウン朝滅亡)

■AD1929年 パミール人 ゴルノ・パダフシャーンがタジク・ソビエト社会主義共和国に組み込まれる

■AD1930年 ビルマ人 対英独立運動を展開(タキン党)

■AD1939年 ビルマ人 タキン・ソー、政党を設立(ビルマ共産党)

■AD1942年 ビルマ人 アウンサン、日本軍と共にイギリスを駆逐(ビルマ独立義勇軍)

■AD1943年 ビルマ人 パー・モウ、初代元首に就任(ビルマ国)

■AD1944年 ビルマ人 ウー・ヌ、PRPとビルマ国民軍、ビルマ共産党を三派合同させる(反ファシスト人民自由同盟)

■AD1948年 ビルマ人 サオ・シュエ・タイク、イギリス連邦を離脱、初代ビルマ連邦大統領に就任(ビルマ連邦)

■AD1948年 ビルマ人 ウー・ヌ、初代、第3代ビルマ連邦首相に就任

■AD1952年 ビルマ人 バー・ウ、第2代ビルマ連邦大統領に就任

■AD1956年 ビルマ人 パー・スエ、第2代ビルマ連邦首相に就任

■AD1958年 ビルマ人 ネ・ウィン、第4代ビルマ連邦首相に就任

■AD1988年 ビルマ人 マウン・マウン、第7代ビルマ連邦大統領に就任

■AD1991年 パミール人 タジキスタン独立を機にゴルノバダフシャンを勢力下に政党を立ち上げる(ラアリ・バダフシャン党)

■AD1990年代前半 パミール人 ゴルノ・バダフシャーン独立運動を展開

■AD2003年 ビルマ人 キン・ニュン、第12代ミャンマー連邦首相に就任(ミャンマー連邦)

■AD2004年 ビルマ人 ソー・ウィン、第13代ミャンマー連邦首相に就任

■AD2007年 ビルマ人 テイン・セイン、第14代ミャンマー連邦首相に就任

■AD2011年 ビルマ人 テイン・セイン、第8代ミャンマー連邦共和国大統領に就任(ミャンマー連邦共和国)




Bマウリ人


■BC16世紀 アムル人 ヤムハド王国消滅を機にシリアから北アフリカに移住(マウリ人)

■BC9世紀 アムル人 北アフリカからナフタリ族が移住したヌビアに移住(メロエ人)

■BC670年 メロエ人A クシュ人の東西移住計画に参加(クシュ人の大航海時代)

■BC7世紀 メロエ人A 地中海からインド、ガンジス流域に移住

■BC7世紀 メロエ人A ガンジス流域からマラッカ半島に移住、東南アジア周辺の遺跡建設に関与(ムラユ人)

■BC591年 メロエ人B クシュ王アスペルタ、メロエに遷都(メロエ王国)

■BC317年 ムラユ人 チャンドラグプタ、マウリア朝初代マガダ国王に即位(マウリア朝)
※マウリアの名の由来はムラユ

■BC293年 ムラユ人 ビンドゥサーラ、マウリア朝第2代マガダ国王に即位

■BC268年 ムラユ人 アショーカ、マウリア朝第3代マガダ国王に即位

■BC248年 メロエ人B エルガメネス、メロエが最盛期を迎える

■BC232年 ムラユ人 アショーカ、カリンガ戦争を機に氏族を率いて北アフリカに移住(マウリ人)
※マウリ、マウレタニアの名の由来はマウリア

■BC225年 マウリ人 バガス、初代マウリタニア国王に即位(マウレタニア王国)

■BC110年 マウリ人 ボッカス1世、第2代マウリタニア国王に即位

■BC49年 マウリ人 ボッカス2世、第3代マウリタニア国王に即位

■BC49年 マウリ人 ボガド、第3代マウリタニア国王に即位

■BC25年 マウリ人 ジュバ2世、第4代マウリタニア国王に即位

■AD20年 マウリ人 プトレミー、第5代マウリタニア国王に即位、ローマ皇帝カリギュラに処刑される

■AD350年 メロエ人B アクスムのメロエ王国侵攻を機に、シリアに移住

■AD4世紀 メロエ人B 聖マールーン生誕、アンティオキアで布教活動を行う(マロン派)
※マールーンの名の由来はメロエ

■AD5世紀 マウリ人A ヴァンダル人の台頭を機に、フラニ族を伴って東方に船出、マレー半島に移住

■AD5世紀 マウリ人A 一部がマレー半島からジャワ島に移住

■AD5世紀 マウリ人A 一部がジャワ島からフィリピンに移住(ミンダナオ諸島)
※ミンダナオの名の由来はマウリタニア

■AD5世紀 マウリ人A ジャワ島から太平洋に探検に出発、ニュージーランドを発見する(マオリ族)
※マオリの名の由来はマウリ

■AD7世紀 ムラユ人 シュリーヴィジャヤ王国の勢力伸張を機にマレー半島からスワヒリに移住(マラウィ人)

■AD11世紀 マラウィ人 マリンディ人、マフダリ家、ハウサ人と共に北アフリカに移住(スワヒリ民族の大移動)
 
■AD1056年〜1147年 マラウィ人 西カリフ帝国を倒す(アルモラヴィド帝国)

■AD13世紀 マウリ人B マラウィ人と共に現モロッコからマレー半島に移住(イスラム教伝来)

■AD13世紀 マウリ人B マレー半島から雲南に移住(馬氏)
マーの名の由来はマウリ

■AD13世紀 マウリ人B マレー半島から日本に移住、大江氏に接近(大江季光)

■AD13世紀 マウリ人B 大江季光が毛利を称する(毛利氏)
※毛利の名の由来はマウリ

■AD1247年 毛利氏 宝治合戦を機に泰村の氏族と共に日本からジャワ島に移住(マジャパヒト王国)

■AD13世紀 毛利氏A ジャワ島からミンダナオ島に移住(モロ人)

■AD13世紀 毛利氏A ジャワ島からニュージーランドに移住、現地人に合流(マオリ族)

■AD1371年 馬氏 馬三保、後の鄭和を輩出(鄭和艦隊)

■AD1402年 マラウィ人 マリンディ人、マウリ人Bと連合(マラッカ王国)
※マラッカの名の由来はモロッコ

■AD1497年 毛利氏B 毛利元就誕生

■AD15世紀 マラウィ人 一部が鄭和艦隊の西方行きに同行、マレー半島からスワヒリに帰還(マラビ帝国)

■AD15世紀 鄭和 マラウィ人と共同でマラビ帝国を建設(チェワ族)
※チェワの名の由来は鄭和

■AD1511年 マラウィ人 マリンディ人、マウリ人Bと共にマレー半島からスワヒリに移住(ポルトガルのマラッカ占領)

■AD1544年 毛利氏B 毛利元就、徳寿丸を小早川家に養子に出す(小早川隆景)

■AD1547年 毛利氏B 毛利元就、元春を吉川家に養子に出す(吉川元春)

■AD1549年 毛利氏B 毛利元就、隆景、元春を伴って山口に下向(毛利両川体制)

■AD1553年 毛利氏B 毛利元就、大内氏の家臣江良房栄と共に尼子晴久の安芸への侵入を撃退

■AD1555年 毛利氏B 毛利元就、厳島に上陸した陶晴賢だが、村上水軍が毛利方に付いたのを知ると自刃(厳島の戦い)

■AD1557年 毛利氏B 毛利元就、大内義長を討って滅亡させる

■AD1563年 毛利氏B 毛利元就、尼子氏の支城白鹿城を攻略

■AD1566年 毛利氏B 毛利元就、尼子軍の篭城継続を不能にし、尼子義久を降伏させた

■AD1600年 毛利氏B 毛利輝元、「関ヶ原の戦い」後に家康に責任を問われ、周防国、長門国に減封(長州藩)

■AD1600年 毛利氏C 家康の約束反故に憤りを覚えた一部がジャワを経由し、ニュージーランドに移住(タルナキ)
※ニュージーランドで生まれ育った毛利照永が実在したと仮定、それがタルナキの名の由来

■AD1600年 毛利氏C 家康の約束反故に憤りを覚えた一部がジャワを経由し、現モロッコに移住(ムーレイ王家)
※ムーレイの名の由来は毛利

■AD1631年 毛利氏C マラウィ人と共に現モロッコに王朝を開く(モロッコ王国)
※モロッコの名の由来はマラッカ

■AD1631年 マラウィ人 毛利氏Cと共に現モロッコに王朝を開く(アラウィー朝)
※アラウィーの名の由来はマラウィ

■AD1666年 ムーレイ家 ムーレイ・ラシード、アラウィー朝初代モロッコ王に即位

■AD1672年 ムーレイ家 ムーレイ・イスマーイール、アラウィー朝第2代モロッコ王に即位

■AD1792年 ムーレイ家 ムーレイ・スリマーネ、アラウィー朝第3代モロッコ王に即位

■AD1856年 マオリ族 ポタタウ、初代マオリ王に即位

■AD1860年 マオリ族 タウィアオ、第2代マオリ王に即位

■AD1862年 マオリ族 テ・ウアが天使ガブリエルの幻影を見て神のお告げを聞く(宗教運動パイ・マリレ)

■AD1883年 マオリ族 テ・コオティ、新規の宗教を始める(リンガ・トゥ教)
※リンガ・トゥの名の由来は臨済宗

■AD1891年 マラウィ人 マラウィがイギリス保護領に

■AD1925年 マオリ族 ティキ・ラタナが神のお告げを聞く(ラタナ教会)

■AD1933年 マオリ族 コロキ・マフタ、第5代マオリ王に即位

■AD1955年 ムーレイ家 ムハンマド5世、アラウィー朝第16代モロッコ王に即位

■AD1959年 マラウィ人 ヘイスティングス・カムス・バンダ、ローデシア・ニヤサランド連邦に対して反対運動を展開

■AD1961年 ムーレイ家 ハサン2世、アラウィー朝第17代モロッコ王に即位

■AD1964年 マラウィ人 ニヤサランドがイギリス連邦王国の形式で独立(マラウィ共和国)

■AD1966年 マオリ族 テ・アタイランギカアフ、第6代マオリ王に即位

■AD1966年 マラウィ人 マラウィ共和国が一党制国家に(マラウィ会議党)

■AD1966年 マラウィ人 ヘイスティングス・カムス・バンダ、初代マラウィ大統領に就任

■AD1970年 モロ人 ヌル・ミスアリ、独立を目的とする軍事集団を結成(モロ民族解放連合)

■AD1994年 マラウィ人 バキリ・ムルジ、第2代マラウィ大統領に就任

■AD1999年 ムーレイ家 ムハンマド6世、アラウィー朝第18代モロッコ王に即位

■AD2001年 モロ人 ヌル・ミスアリ、ARMM知事選でアロヨ政権がパロウク・フシンを支援したことで対立

■AD2004年 マラウィ人 ビング・ワ・ムカリカ、第3代マラウィ大統領に就任

■AD2006年 マオリ族 ツヘイティア・パキ、第7代マオリ王に即位

■AD2012年 マロン派 ベカラ・ブートロス・ライ総大司教、カトリック枢機卿に任命

■AD2013年 マラウィ人 ジョゼフ・ムスカット、第4代マラウィ大統領に就任

■AD2013年 モロ人 ミスアリ派がミンダナオ南部を占拠し、フィリピン軍と対峙





ヤペテ族の歴史@

名前を知って歴史を知る。この方法でヤペテ族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。ヤペテはアダムから数えて10代目であり、ノアの息子と伝えられている。中央アジア全域では、ハ行がカ行に、カ行がハ行になることがある。アッカドも当初はアッハドだったが、アッカドに変わっていったと考えられる。


@ヤペテ族


■BC五千年 ヤペテ族A イウヌを後にし、エジプトに聖地メンフィス建設(プタハ)

■BC五千年 ヤペテ族B エドム人、セム族、アベル族、エノス族、ベドウィン族と連合、イウヌにて北極海探検隊を結成

■BC五千年 ヤペテ族A 支流ベドウィン族と共にメンフィスからナイル河上流、アビシニアに移住(プント王国)
※プントの名の由来はプタハ

■BC五千年 ヤペテ族B 北極海ルートを介し、オビ河上流に移住(アッカド人)
※アッカドの名の由来はヤペテ

■BC五千年 ヤペテ族C 北極海ルートを介し、ベーリング海峡を南下、長江に移住(河姆渡文化)

■BC五千年 ヤペテ族C トリツ人と連合し、太陽神を創始(太陽神三足鳥)
※三(トリ)の由来はトリツ

■BC30世紀 アッカド人 第二次北極海ルートの一団の台頭を機に、中央アジアに移住(バクトリア)
※バクトリアの名の由来はアッカド

■BC2350年 アッカド人 中央アジアからメソポタミアに移住(アッカド帝国)

■BC2334年 アッカド人 サルゴン、初代アッカド帝王に即位

■BC2300年 アッカド人 サルゴン、アッカド帝国の範図を拡大

■BC2278年 アッカド人 リムシュ、第2代アッカド帝王に即位

■BC2269年 アッカド人 マニシュトゥシュ、第3代アッカド帝王に即位

■BC2254年 アッカド人 ナラムシン、第4代アッカド帝王に即位

■BC2186年 アッカド人 デュデュ、第5代アッカド帝王に即位

■BC2168年 アッカド人 シュチュルル、第6代アッカド帝王に即位

■BC2060年 アッカド人 ウル第3王朝台頭を機に、メソポタミアからギリシアに移住(アルカディア)
※アルカディアの名の由来はアッカド

■BC24世紀 アッカド人 月の神ナンナを改訂(月の神シン)

■BC21世紀 ヤペテ族 トリツ人、シュメール人と連合、古代中原に王朝を開く(夏)

■BC11世紀 ヤペテ族 康叔、周から分離、単独で国家建設(衛/ウェイ)
※ウェイの名の由来はヤペテ

■BC?年 衛 康伯、第2代君主に即位

■BC?年 衛 老伯、第3代君主に即位

■BC866年 衛 頃考、第8代君主に即位

■BC660年 衛 狄の侵攻を機に、古代中原から長江に移住(衛滅亡)

■BC701年頃 アッカド族 フェニキア人の東西移住計画に参加(フェニキア人の大航海時代)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、アラビア半島からイランに到着(残留者:フェニキア人、マゴ家、ガド族、ペリシテ人、マナセ族、アッカド人、ウルクのシュメール人)

■BC7世紀 アッカド人 イランに移住しマナセ族と連合(アケメネス家)

■BC7世紀 アッカド人 イランからインドを経由し、マカオに移住

■BC7世紀 マゴ家 マゴ家の船団、マカオから日向国に到着(残留者:マゴ家、アシェル族、ガド族、テーバイ人、アッカド人、エフライム族)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、オリエントからイベリア半島に到着(残留者:アッカド人)

■BC7世紀 アッカド人 地中海からアキタニアに残留(オック人)

■BC7世紀 ヤペテ族 楚の勢力伸張を機に長江から日本に進出、畿内に移住(ヤタガラス)
※ヤタガラスの由来は河姆渡文化の太陽神三足鳥

■BC585年 衛 寿夢、長江に新規の国家を建設(呉/ウー)
※ウーの名の由来は衛

■BC521年 アケメネス家 ダリウス1世、パンジャブ・シンドを征服(アケメネス朝ペルシア帝国)

■BC520年 アケメネス家 ダリウス1世、ペルセポリスの建設に着手

■BC515年 呉 コウリョ、第6代君主に即位

■BC495年 呉 夫差、第7代君主に即位

■BC492年〜449年 アケメネス家 ダリウス1世、ギリシア征服を計画(ペルシア戦争)

■BC490年 アケメネス家 ダリウス1世、アテナイ・プラタイア連合軍に敗北(マラトンの戦い)

■BC480年 アケメネス家 クセルクセス1世、遠征隊を派遣するも敗北(サラミスの海戦)

■BC473年 呉 首都陥落を機に古代中原から日本に進出、現大分県に移住(宇佐氏)
※宇佐の名の由来はウー

■BC5世紀 宇佐氏 現大分県に八幡信仰を創始(八幡神社)
※八幡の名の由来はヤペテ

■BC333年 アケメネス家 ダリウス3世、アレクサンドロス大王に敗北(イッソスの戦い)

■BC330年 アケメネス家 ダリウス3世、逃走中にベッソスに殺害される(アケメネス朝滅亡)

■BC256年 アルカディア人 サトラップのディアドコイがセレウコクス朝に離反、先祖の地に王国を建設(グレコ・バクトリア王国)

■BC254年 衛 元君、第44代君主に即位

■BC250年 バクトリア人 ディオドトス1世、初代グレコ・バクトリア国王に即位

■BC240年 バクトリア人 ディオドトス2世、第2代グレコ・バクトリア国王に即位

■BC229年 衛 衛君角、第45代君主に即位

■BC209年 衛 秦に滅ぼされ、古代中原を後にソマリアに移住(ラハンウェイン族)

■BC171年 バクトリア人 ユウクラティデス1世、第6代グレコ・バクトリア国王に即位

■BC145年 バクトリア人 プラトン、第7代グレコ・バクトリア国王に即位

■BC145年 バクトリア人 ヘリオクレス1世、第8代グレコ・バクトリア国王に即位

■AD2世紀 バクトリア人 インドから中央アジアに来たチョーラ人と連合(スロバキア人)
※スロヴァキアの名の由来はチョーラとバクトリアの組み合わせ

■AD571年 宇佐氏 鍛冶翁が宇佐郡に降り立ち託宣があったとされる

■AD588年 宇佐氏 鷹房社が建てられた

■AD684年 アッカド族 「八色の姓」に伴って宿禰姓を改賜(縣犬養氏)
※アガタイヌカイの名の由来はアッカドとエノクの組み合わせ

■AD8世紀 縣犬養氏 元明天皇より橘姓を授かる(橘氏) 

■AD725年 宇佐氏 現宇佐市に八幡宮の総本山を創建(宇佐神宮)

■AD736年 橘氏 葛城王が母、橘三千代の姓氏である橘宿禰を継ぐ(橘諸兄)

■AD757年 橘氏 橘奈良麻呂が藤原仲麻呂との政権争いに敗北(橘奈良麻呂の乱)

■AD769年 宇佐氏 伊勢神宮を凌ぐ力を得、皇位継承に関与する(宇佐八幡宮神託事件)

■AD12世紀 宇佐氏 宇佐公通、平家側に付く

■AD12世紀 宇佐氏 宇佐公世、社領回復に成功

■AD13世紀 バクトリア人 中央アジアに達した宇治氏と連合(ウズベク人)

■AD14世紀 宇佐氏 宇佐公連、懐良親王擁立に参加

■AD1846年 オック人 イジドール・デュカス生誕(ロートレアモン伯)

■AD1868年 オック人 イジドール・デュカス、「マルドロールの歌」発表

■AD1910年 オック人 ジャン・ジュネ生誕

■AD1926年 オック人 ミシェル・フーコー生誕

■AD1931年 オック人 ジャン=クロード・カリエル生誕

■AD1942年 オック人 ジャン・ジュネ、投獄

■AD1947年 オック人 ジャン・ジュネ、獄中にて「泥棒日記」執筆

■AD1948年 オック人 ジャン・ジュネ、コクトーやサルトルの請願により大統領の恩赦を獲得

■AD1955年 オック人 ミシェル・フーコー、「狂気の歴史」発表

■AD1964年 オック人 ジャン=クロード・カリエル、ブニュエル監督作品「小間使いの日記」の脚本に参加

■AD1970年 オック人 ジャン・ジュネ、ブラックパンサー党と行動を共にする

■AD1974年 オック人 ジャン=クロード・カリエル、ブニュエル監督作品「自由の幻想」の脚本に参加

■AD1975年 オック人 ミシェル・フーコー、「監獄の誕生」出版

■AD1986年 オック人 ジャン=クロード・カリエル、大島渚監督作品「マックス・モナムール」の脚本に参加



Aナフタリ族


■BC32世紀 ヤペテ族 聖地メンフィスからヘリオポリスに進出(ネフティス)
※ネフティスの名の由来はヤペテ

■BC17世紀 ヤペテ族 ネフティスを祀る神官団がヤペテ族から分離(ナフタリ族)
※ナフタリの名の由来はネフティス

■BC17世紀 ナフタリ族 エジプトから北シリアに移住、アムル人と連合(ヤムハド王国)

■BC16世紀 ナフタリ族 ヤムハド王国消滅を機にシリアからナイル上流に移住(ナパタ王国/BC8世紀)

■BC13世紀 ナフタリ族 ヘリオポリスからイスラエルに移住、イスラエル12支族に参加

■BC738年 ナフタリ族 ティグラト・ピレセル3世、北イスラエル王国に侵攻(ナフタリ族強制移住)

■BC670年 ナパタ人 クシュ人の東西移住計画に参加(クシュ人の大航海時代)

■BC7世紀 ナパタ人 地中海からアラビア半島に移住(ナパタエ王国)

■BC7世紀 ナパタ人 アラビア半島からインダス流域に移住(ナータ族)

■BC549年 ナータ族 マハーヴィーラ生誕(ジャイナ教)

■AD5世紀 ナータ族 中央アジアに存在した遊牧国家(エフタル)
※エフタルの名の由来はナフタリ

■AD459年頃 エフタル エフタルに侵攻しないことを条件にペーローズ1世を支援、サーサーン朝王位に就く

■AD5世紀 エフタル ペーローズ1世が約束を反故にし、トハリスタンを占領

■AD5世紀 エフタル ペーローズ1世と戦い勝利、有利な講和条件を結びコラサン地方を占領

■AD484年 エフタル サーサーン朝が侵攻、ペーローズ1世を返り討ちにする

■AD558年 エフタル サーサーン朝と突厥帝国に挟み撃ちにされ、大打撃を被る(ブハラの戦い)

■AD567年 エフタル 突厥帝国に滅ぼされ、ブハラ、ウラチューブなどを占領された(エフタル滅亡)

■AD11世紀 エフタル 中央アジアからアフガンに移住、パシュトゥーン人に参加(ドゥラニ族)

■AD11世紀 エフタル 中央アジアからヨーロッパに進出、バイエルンに移住(ヴィッテルスバッハ家)
※ヴィッテルスの名の由来はエフタル

■AD1180年 ヴィッテルスバッハ家 オットー1世、バイエルン公に就任

■AD1214年 ヴィッテルスバッハ家 ルートヴィヒ1世、ライン宮中伯に就任

■AD1253年 ヴィッテルスバッハ家 ルートヴィヒ2世、上バイエルン公に就任

■AD1253年 ヴィッテルスバッハ家 ルートヴィヒ4世、下バイエルン公に就任

■AD1320年 ヴィッテルスバッハ家 ルートヴィヒ4世をはじめとする4人のバイエルン公がブランデンブルク辺境伯を兼務

■AD14世紀 ドゥラニ族 アフガンからインドに移住、トゥブルク朝の傭兵志願

■AD1347年 ドゥラニ族 トゥブルク朝デカン総督バフマン・シャーが独立(バフマニー朝)

■AD1358年 ドゥラニ族 ムハンマド・シャー1世、第2代バフマニー朝スルタンに即位

■AD1422年 ドゥラニ族 アフマド・シャー1世、第9代バフマニー朝スルタンに即位

■AD1425年 ドゥラニ族 アフマド・シャー1世、ヴィジャヤナガル王国に敗北しビーダルに遷都

■AD1489年 ドゥラニ族 カジム・バリド1世、初代ビダール国王に即位

■AD1527年 ドゥラニ族 ムハンマド・シャー4世、バフマニー朝を組み込む(ビダール王国)
※ビーダルの名の由来はエフタル

■AD1619年 ドゥラニ族 アミル・バリド・シャー3世、ヒジャプール王国に敗北(ビダール王国滅亡)

■AD1619年 ドゥラニ族 ビダール王国滅亡を機に、インドからアフガンに帰還

■AD1747年 ドゥラニ族 アフマド・シャー・ドゥッラーニー、アフシャール朝から独立(ドゥラッニー朝)

■AD1773年 ドゥラニ族 ティムール・シャー・ドゥッラーニー、第2代ドゥッラーニー朝国王に即位

■AD1806年 ヴィッテルスバッハ家 マクシミリアン1世、初代バイエルン国王に即位(バイエルン王国)

■AD1810年 ルター派 テレーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン、ルートヴィヒ1世に接近、自身の血統を打ち立てる(マクシミリアン2世、摂政ルイトポルト)
※ルター派は、バイエルン王家を乗っ取る為にテレーゼを接近させた

■AD1825年 ヴィッテルスバッハ家 ルートヴィヒ1世、第2代バイエルン国王に即位

■AD1826年 ドゥラニ族 ドースト・ムハンマド・ハーン、ドゥラニー朝から独立してアフガニスタン王国を建設(バーラクザイ朝)

■AD1835年 ドゥラニ族 アマー・スッラー・ハーン、国王の称号をアミールに変えた(アフガニスタン首長国)

■AD1838年〜1842年 ドゥラニ族 アマー・スッラー・ハーン、イギリスに勝利(第一次アフガン戦争)

■AD1842年 ホーエンツォレルン家 マリー・フォン・プロイセン、マクシミリアン2世と結婚(ルートヴィヒ2世、オットー1世)
※自分たちの血統に思いがけずフェニキア人の血筋が入った為に、ルター派がマリーの子息の排除を指揮

■AD1848年 ヴィッテルスバッハ家 マクシミリアン2世、第3代バイエルン国王に即位

■AD1864年 ヴィッテルスバッハ家 ルートヴィヒ2世、第4代バイエルン国王に即位

■AD1878年 ドゥラニ族 シール・アリー・ハーン、カンダハールの戦いでイギリスに敗北(第二次アフガン戦争)

■AD1886年 ヴィッテルスバッハ家 ルートヴィヒ2世、摂政ルイトポルトの指揮下で逮捕され廃位される
※有能な王を廃位することは難しいが無能な王を廃位するのは容易だ、つまりルイトポルトが周囲の召使を指揮し、組織ぐるみのイヤガラセを指揮してルートヴィヒを精神的に追い込んだ

■AD1886年 ヴィッテルスバッハ家 オットー1世、第5代バイエルン国王に即位

■AD1913年 ヴィッテルスバッハ家 オットー1世、国王が機能しない場合、摂政が王を廃位して新規の王位を設置する法案を認めた
※有能な王を廃位することは難しいが無能な王を廃位するのは容易だ、つまりルイトポルトが周囲の召使を指揮し、組織ぐるみのイヤガラセを指揮してオットーを精神的に追い込んだ

■AD1913年 ルター派 ループレヒト、第7代バイエルン国王に即位

■AD1919年 ドゥラニ族 アマーヌッラー・ハーン、イギリスに勝利(第三次アフガン戦争)

■AD1919年 ドゥラニ族 アマーヌッラー・ハーン、称号変更(アフガニスタン王国)

■AD1933年 ドゥラニ族 ムハンマド・ザーヒル・シャー、第4代シャーに即位

■AD1973年 ドゥラニ族 ムハンマド・ダーウード、クーデターにより王位を廃止(第一次アフガニスタン共和国)

■AD1978年 ドゥラニ族 クーデターにより、ダーウード大統領一家が処刑される(四月革命)

■AD2001年 ドゥラニ族 ハーミド・カルザイ、カーブルで暫定政権発足の記念式典(アフガニスタン移行行政機構)

■AD2002年 ドゥラニ族 ハーミド・カルザイ、アフガニスタン・イスラム移行政権大統領に就任

■AD2004年 ドゥラニ族 ハーミド・カルザイ、アフガニスタン大統領に就任(アフガニスタン・イスラム共和国)



B縣犬養氏


■AD?年 縣犬養氏 平良将に接近、自身の血統を打ち立てる(平将門生誕)

■AD?年 縣犬養氏 平良将に接近、自身の血統を打ち立てる(平将平生誕)

■AD939年 平氏 壬申の乱以来、二度目となるフェニキア人の蜂起(平将門の乱、藤原純友の乱)

■AD939年 平氏 平将門、平将平、藤原純友、多治経明の氏族が日本を脱出

■AD939年 平氏 ジャワ島に到達、マタラム王国の大和人の世話になる

■AD939年 多氏 藤原純友の氏族がジャワ島から太平洋の島に移住(フィジー島、サモア島)
※フィジーの名の由来は藤原、サモアの名の由来は純友

■AD939年 平氏 平将門の氏族がジャワ島から太平洋の島に移住(トンガ島)
※トンガの名の由来は天下

■AD939年 多氏 多治経明の氏族がジャワ島から太平洋の島に移住(タヒチ島)
※タヒチの名の由来は多治

■AD939年 平氏 平将平の氏族がジャワ島からインド洋を超えてスワヒリに移住(マフィア島)
※マフィアの名の由来はマサヒラ

■AD950年 平氏 純友の氏族と共に、サモアのママア大首長とフィジーのプロトゥ大首長が衰退させる(トンガ大首長国)

■AD?年 トンガ人 アホエイトゥ、初代トンガ大首長に即位

■AD10世紀 トンガ人A 平将門の氏族がトンガから太平洋を横断してマヤに移住(プトゥン人)
※プトゥンの名の由来はトンガ

■AD10世紀 トンガ人B フィジー人、タヒチ人を率い、平将平の氏族を追って太平洋からスワヒリに移住(タンガニーカ)
※タンガニーカの名の由来はトンガ

■AD10世紀 平氏 将平の氏族が、スワヒリ文化圏の砕石場を支配(マフダリ家)
※マフダリの名の由来は「マフ/砕石場」「ダリ/平」の組み合わせ

■AD11世紀 マフダリ家 マラウィ人、ハウサ人、マリンディ人と共に北アフリカに移住(スワヒリ民族の大移動)

■AD1130年 マフダリ家 アブド・アルムーミン、初代ムワッヒド王朝アミールに即位

■AD1146年 マフダリ家 アルモラヴィド帝国の首都マラケシュを占領(ムワッヒド朝/アルモハード帝国)
※モハードの名の由来はマフダリ

■AD?年 マフダリ家 アブド・アルムーミン、アンダルシアを支配下に置きズイール朝、ハンマード朝を滅ぼす

■AD1163年 マフダリ家 アブー=ヤアクーブ・ユースフ1世、セビーリャの統治者を務める

■AD1184年 マフダリ家 ヤアクーブ・マンス−ル、第3代ムワッヒド朝アミールに即位

■AD?年 マフダリ家 ヤアクブ・マンスール、カスティーリャ王国のアルフォンソ8世を破る(アラコリスの戦い)

■AD12世紀 マフダリ家 一部が北アフリカからコルシカ島に移住(コルシカ)
※コルシカの名の由来は「殺す」であり、ヨーロッパに対する征服欲が反映されている

■AD1212年 マフダリ家 ムハンマド・ナースィル、アルフォンス8世に敗北、アンダルシアを喪失(ナバス・デ・トロサの戦い)

■AD1266年 マフダリ家 イドリース・ワーシク、第13代ムワッヒド朝アミールに即位

■AD1269年 マフダリ家 マリーン朝がマラケシュを征服(ムワッヒド朝滅亡)

■AD1269年 マフダリ家 ムワッヒドの残党が、北アフリカからシチリア島に移住

■AD1282年 マフダリ家 ムワッヒドの残党が、アンジュー家に対する蜂起を指揮した可能性がある(シチリアの晩鐘事件)

■AD13世紀 マフダリ家 農地を管理するガベロットに転身、マフィアの土台を形成(マフィア)
※マフィアの名の由来はマフダリ家の故地マフィア島

■AD13世紀 コルシカ人 島民はしばしば蜂起を繰り返した(ジェノヴァ共和国時代)

■AD13世紀 トンガ人 モモ、第10代トンガ大首長に即位、交易帝国がフィジー全域とサモアの一部にまで拡大

■AD13世紀 トンガ人B スワヒリ地域から現アンゴラに移住

■AD1358年 トンガ人B ンゴラ・ンジンガ、初代ンドンゴ王に即位(ンドンゴ王国)
※ンドンゴの名の由来はトンガ

■AD1381年 プトゥン人 ワット・タイラー、ロラード派の神父ジョン・ボールと意気投合(ワット・タイラーの乱)
※タイラーの名の由来は平

■AD14世紀 プトゥン人 トルテカのチチェン・イツァー侵攻を機に、マヤからブリテン島に移住

■AD1470年頃 トンガ人 モウンガモトゥア、タカラウ暗殺を機に新王朝が発足(トゥイ・ハアタカラウ王朝)

■AD1556年 トンガ人B ンダンビ・ンゴラ、独立後、初のンドンゴ王に即位

■AD1610年 リンプン家 ンガタ、チベットからトンガ島に移住し新規王朝を建設(トゥイ・カノクポル王朝)
※ツポゥの名の由来はチベット

■AD1610年 トンガ人C ンガタ王の台頭を機に、トンガ島からザンベジ川流域に移住(トンガ人/ツォンガ人)
※ツォンガの名の由来はトンガ

■AD17世紀 トンガ人C 一部がトランスバール地方に移住(ツワナ人)
※ツワナの名の由来はツォンガ

■AD1729年 コルシカ人 40年に渡って周辺諸外国の干渉と戦った(コルシカ独立戦争)

■AD1768年 コルシカ人 フランス軍を撃退(ボルゴの戦い)

■AD1769年 コルシカ人 コルシカ島がフランス領になる(ポンテ・ノーウの戦い)

■AD1769年 コルシカ人 コルシカ島からフランス本土に移住、マルセイユに定住(コルシカン・マフィア)

■AD1841年 タイラー姓 ジョン・タイラー、第10代アメリカ合衆国大統領に就任

■AD1861年 シチリア・マフィア 労働運動を扇動してイタリア政府に反発(セッテ・エ・メッゾの反乱)

■AD1876年 トンガ人 テヴィタ・ウンガ、初代トンガ首相に就任

■AD1877年 シチリア・マフィア レオネというマフィアのボスが、シチリアに訪れたイギリス人銀行家を誘拐(ジョン・フォスター・ローズ誘拐事件)

■AD1906年 シチリア人 ラッキー・ルチアーノ、両親、4人の兄妹と共にニューヨークに移住

■AD1925年 シチリア・マフィア ムッソリーニがマフィア撲滅のためにチェーザレ・モーリをシチリアに送り込んだ

■AD1936年 アメリカ・マフィア ラッキー・ルチアーノ、トーマス・デューイに逮捕される

■AD1936年 アメリカ・マフィア ラッキー・ルチアーノ、マフィアの全国委員会ハバナ会議の議長をキューバで務める

■AD1957年 シチリア・マフィア ルチアーノの提唱により、アメリカとシチリアのマフィアの大ボスがパレルモの高級ホテルに集合(マフィア合同会議)

■AD1961年 タンガニーカ人 イギリスの合意の下、平和的に独立

■AD1962年 シチリア・マフィア ラ・バルベーラ兄弟とグレコ・ファミリーとリッジョらの抗争が始まった(第一次マフィア戦争)

■AD1964年 ツォンガ人 ケネス・カウンダ、統一民族独立党を率いてイギリスから独立(ザンビア共和国)

■AD1964年 タンガニーカ人 ザンジバルで革命発生、アラブ人が流血する事態に(ザンジバル人民共和国)

■AD1964年 タンガニーカ人 ジュリウス・ニエレレ、汎アフリカ主義精神の下、連合(タンガニーカ・ザンジバル連合共和国)

■AD1964年 タンガニーカ人 タンガニーカ・ザンジバル連合共和国を改名(タンザニア共和国)

■AD1966年 ツワナ人 セレツェ・カーマ、ベチュアナランド民主党を率いて総選挙に勝利後、ロンドン制憲会議を経て独立(ボツワナ共和国)

■AD1975年 コルシカ人 自治主義勢力とフランス治安当局との間で激しい闘争が展開(アレリア闘争)

■AD1976年 コルシカ人 自治主義勢力の非合法化を機に設立(コルシカ民族解放戦線)

■AD1978年 タンザニア人 ウガンダのアミン大統領の侵攻を撃退(ウガンダ・タンザニア戦争)

■AD1981年 シチリア・マフィア コルレオーネシと敵対するマフィアファミリーとの抗争が本格化、年間200人の死者を出す(第二次マフィア戦争)

■AD1984年 シチリア・マフィア 逮捕された478人のマフィアをパレルモで裁く(マフィア大裁判)

■AD1995年 タンザニア人 ベンジャミン・ムカパ、第4代タンザニア大統領二就任

■AD1998年 ツワナ人 フェスタス・モハエ、第3代ボツワナ大統領に就任

■AD2005年 タンザニア人 ジャカヤ・キクウェテ、第5代タンザニア大統領二就任

■AD2005年 トンガ人 王政への批判が高まる(トンガ動乱)

■AD2006年 トンガ人 フェレテイ・セヴェレ、第13代トンガ首相に就任

■AD2008年 ツワナ人 イアン・カーマ、第4代ボツワナ大統領に就任

■AD2008年 ツォンガ人 ルピヤ・バンダ、第4代ザンビア大統領に就任

■AD2010年 トンガ人 シアレ・アタオンゴ・カホ、第14代トンガ首相に就任

■AD2011年 ツォンガ人 マイケル・サタ、第5代ザンビア大統領に就任



セイバル人の歴史@

名前を知って歴史を知る。この方法でアダム族の足跡を辿ると以下のような結果が出た。古代に於いて建築技術者とは神官であり、諜報員であり、王族でもあった。アベル族がフリーメイソンの形成に関与したと考えられる。



@セイバル人


■BC32世紀 セイバル人 ティカル人、ユート族を率いてモハス平原、ユカタン半島からアイルランドに帰還(ヒベルニア)
※ヒベルニアの名の由来はセイバル

■BC32世紀 セイバル人 ティカル人、ユート族を率いてアイルランドを経由して地中海に帰還(ニューグレンジ建造)

■BC32世紀 セイバル人 ティカル人、ユート族を率いて地中海からインダス流域に移住(インダス文明)

■BC29世紀 セイバル人B インダスからメソポタミアに移住(スバル人)

■BC20世紀 セイバル人C インダスからメソポタミアに移住(バビロニア人)
※バビロニアの名の由来はヒベルニア

■BC1894年 バビロニア人 ヌムアブム、初代バビロニア王に即位

■BC1880年 バビロニア人 スムラエル、第2代バビロニア王に即位

■BC1850年 バビロニア人 スムラエル、メソポタミアに覇権を確立(バビロニア帝国)

■BC1844年 バビロニア人 サビウム、第3代バビロニア王に即位

■BC1792年 バビロニア人 ハンムラビ、第6代バビロニア王に即位

■BC1625年 バビロニア人 サムス・デイタナ、第11代バビロニア王に即位

■BC1530年 バビロニア人A アブラハム、メソポタミアのウルを発してカナン経由でエジプトに移住(ヘブライ人)
※ヘブライの名の由来はバビロン

■BC987年 バビロニア人B エラム人の王がバビロニアに君臨した際、カナンに移住(ビュブロス)

■BC701年頃 ビュブロス人 フェニキア人の東西移住計画に参加、西方ルートを選択(フェニキア人の大航海時代)

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、イベリア半島からライン河畔に到着(残留者:ビュブロス人、カルタゴ人、フリギア人、シドン人)

■BC7世紀 ビュブロス人A ライン河畔から上流に及び、ドイツ南部に移住(バヴァリア)
※バヴァリアの名の由来はビュブロス、ヘブライ、バビロン

■BC7世紀 フェニキア人 フェニキア人の船団、ライン河畔から現ポメラニアに到着(残留者:ポエニ人、ウルクのシュメール人、カナンのシュメール人、ビュブロス人、ルーベン族、レビ族、ガド族)

■BC7世紀 ビュブロス人B ライン河畔からスコットランドに移住(フィブ/ピクト人)
※フィブの名の由来はビュブロス

■BC7世紀 ボイイ族 ボイイ族の船団、北米大平原地方からユカタン半島に到着(残留者:ボイイ族、フィブ、イッサカル族、ウルクのシュメール人、フリギア人)

■BC7世紀 フィブ人 スコットランドからユカタン半島に移住(ピピル人)
※ピピルの名の由来はビュブロス

■AD4世紀 ピピル人 コツマルワパ文化創生

■AD4世紀 マヤ人 ティオティワカンの侵攻を機に、東方移住を計画(マヤ人の大航海時代)

■AD4世紀 マヤ人 ユカタン半島から太平洋岸を北上、コロラド河上流に移住(残留者:マヤ人、ピピル人A)

■AD4世紀 ピピル人A ユカタン半島からコロラド流域に移住(プエブロ族)
※プエブロの名の由来はビュブロス、或いはピピル

■AD9世紀 プエブロ族 チャコ・キャニオンに移住(プエブロ・ボニート)

■AD10世紀 ピピル人B コツマルワパ文化消滅、先発隊がいるコロラド流域に移住(ホピ族)
※ホピの名の由来はピピル

■AD12世紀 プエブロ族 チャコ・キャニオンからメサ・ヴェルデに移住(メサ・ヴェルデ遺跡)

■AD14世紀 プエブロ族A メサ・ヴェルデ放棄、メキシコに移住(ポポルカ族)
※ボボルカの名の由来はプエブロ

■AD14世紀 プエブロ族B メサ・ヴェルデ放棄、スコットランドに帰還して残留組のフィブと合流

■AD14世紀 ポポルカ族 メキシコからアマゾン流域に移住(ヒバロー族)

■AD16世紀 フィブ/ピクト人 アダム族の血統を中心に、古代神官氏族の子孫による同好会を創設(フリーメイソン)
※フリーメイソンの名の由来はアベル、セイバル、バビロニア、ヘブライ、ビュブロス、プエブロの石工

■AD1680年 プエブロ族C 残留組がイエズス会の援助によりスペイン人を撃退(ポペの王国)

■AD1717年 フリーメイソン 最初のグランド・ロッジ(英国グランド・ロッジ)

■AD1730年 フリーメイソン ベンジャミン・フランクリン入会

■AD1752年 フリーメイソン ジョージ・ワシントン入会

■AD1758年 フリーメイソン ジェームズ・モンロー入会

■AD1775年 フリーメイソン アメリカ独立革命を指揮、大英帝国に蜂起(アメリカ独立戦争)

■AD1776年 フリーメイソン ベンジャミン・フランクリン、トマス・ジェファーソンらと「アメリカ独立宣言」を起草(アメリカ合衆国)

■AD1781年 フリーメイソン ヨークタウンにてアメリカ軍がイギリス軍に勝利

■AD1813年 フリーメイソン 古代英国グランド・ロッジ、近代英国グランド・ロッジと連合(英連邦グランド・ロッジ)

■AD1817年 フィブ/ピクト人 ジェームズ・モンロー、第5代アメリカ大統領就任(モンロー宣言)
※先祖の故地を保護する目的で発表

■AD1823年 フィブ/ピクト人 ジョセフ・スミス、モルモン書を発見(モルモン教)
※モルモンの名の由来はモンローのアナグラム

■AD1830年 フィブ/ピクト人 ジョセフ・スミス、モルモン教団初代大管長に就任

■AD1847年 モルモン教 ブリガム・ヤング、モルモン教団第2代大管長に就任(ソルトレイクシティ)

■AD1849年 モルモン教 モルモン教徒が提案した暫定的な州(ディザレット州)

■AD1857年 アルスター人 ジェームズ・ブキャナン、第15代アメリカ合衆国大統領に就任
※ここからアメリカがデーン人に乗っ取られた

■AD1857年 アルスター人 ジェームズ・ブキャナン大統領、ユタに秘密の軍事遠征隊を派遣
※デーン人はアダム族の系統を敵視している

■AD1857年 モルモン教 ブリガム・ヤング、アメリカ陸軍と交戦(ユタ戦争)

■AD1918年 モルモン教 ハーバー・J・グラント、モルモン教団第7代大管長に就任

■AD1924年 バヴァリア人 J・エドガー・フーヴァー、初代FBI長官に(アメリカ連邦捜査局)
※フーヴァーの名の由来はバヴァリア

■AD1929年 バヴァリア人 ハーバート・フーヴァー、第31代アメリカ合衆国大統領就任

■AD1951年 モルモン教 デヴィッド・O・マッケイ、モルモン教団第9代大管長に就任

■AD1995年 モルモン教 ゴードン・B・ヒンクリー、モルモン教団第15代大管長に就任

■AD2008年 モルモン教 トーマス・S・モンソン、モルモン教団第16代大管長に就任
※今までアダム族の系統が大管長を任じてきたが、モンソン姓はデーン人の可能性がある




Aヘブライ人


■BC1530年 バビロニア人A アブラハム、メソポタミアのウルを発してカナン経由でエジプトに移住(ヘブライ人)
※ヘブライの名の由来はバビロン

■BC1346年 アメンホテプ4世 テーベからアマルナに遷都(アマルナ宗教改革)
※ヘブライ人とエドム人の連合がネフェルティティの背後で暗躍

■BC1160年 ヘブライ人 エジプトを脱出してメソポタミアに侵攻、カッシート人を退ける

■BC1157年 ヘブライ人 マルドゥク・カビト・アヘシュ、イシン第2王朝初代国王に即位(イシン第2王朝/バビロン第4王朝)

■BC1140年 ヘブライ人 イティ・マルドゥク・バラトゥ、イシン第2王朝第2代国王に即位

■BC1132年 ヘブライ人 ニヌルタ・ナディン・シュミ、イシン第2王朝第3代国王に即位

■BC1124年 ヘブライ人 ネブカドネザル1世、イシン第2王朝第4代国王に即位

■BC1032年 ヘブライ人 ナブー・シュル・リブル、イシン第2王朝第11代国王に即位

■BC1024年 ヘブライ人 シムバル・シパク、海の国第2王朝初代国王に即位(海の国第2王朝/バビロン第5王朝)

■BC1008年 ヘブライ人 エア・ムキン・ゼリ、海の国第2王朝第2代国王に即位

■BC1007年 ヘブライ人 カシュシュ・ナディン・アッヘ、海の国第2王朝第3代国王に即位

■BC1003年 ヘブライ人 エウルマ・シャキン・シュミ、バジ王朝初代国王に即位(バジ王朝/バビロン第6王朝)

■BC987年 ヘブライ人 ニヌルタ・クデゥルリ・ウスル、バジ王朝第2代国王に即位

■BC985年 ヘブライ人 シリクティ・シュカムナ、バジ王朝第3代国王に即位

■BC984年 ヘブライ人 エラム人の台頭を機に、メソポタミアからブリテン島北部に移住(カンブリア)
※カンブリアの名の由来はヘブライ

■BC6世紀 カンブリア人 スコットランドからアイルランドに進出(パーホロン族)
※パーホロンの名の由来はヘブライ

■BC6世紀 パーホロン族 アイルランドに覇を唱え、フォモール人と交戦するが撃退される

■BC6世紀 パーホロン族 アイルランドからユトランド半島に移住(キンブリ人)
※キンブリの名の由来はカンブリア

■BC4世紀 キンブリ人 ユトランド半島から現オーストリアに移住(ノリクム王国)
※ノリクムの名の由来は北のキンブリ

■BC113年 キンブリ人 テウトニ人と共にローマ共和国に侵入、撃退される

■BC105年 キンブリ人 ローマ軍を全滅させる(アラウジオの惨劇)

■BC101年 キンブリ人 ヴェルケレでローマ軍に敗北

■BC73年 キンブリ人 剣闘士養成所で知り合ったスパルタカスの指揮下でローマに蜂起(第三次奴隷戦争)

■BC71年 キンブリ人 クラッススとの決戦に敗北し、奴隷反乱軍が全滅

■BC71年 キンブリ人 蜂起の失敗を機に、イタリアからパンノニアに移住(ハンガリー)
※ハンガリーの名の由来はキンブリ、或いはカンブリア

■BC71年 キンブリ人 ハンガリーに名を残し、そのままインドに移住してシュンガ朝に仕える

■BC68年 キンブリ人 ヴァスデーヴァ、デーヴァブーティを暗殺して国家建設(カーンヴァ朝)
※カーンヴァの名の由来はカンブリア

■BC59年 キンブリ人 ブーミミトラ、第2代カーンヴァ国王に即位

■BC45年 キンブリ人 ナーラーヤナ、第3代カーンヴァ国王に即位

■BC35年 キンブリ人 スシャルマン、第4代カーンヴァ国王に即位

■BC23年 キンブリ人 アーンドラ王国によって滅んだ(カーンヴァ朝滅亡)

■BC23年 キンブリ人A カーンヴァ朝滅亡を機に、カリマンタン島に移住

■BC23年 キンブリ人B カーンヴァ朝滅亡を機に、サカ人と連合(サクソン人)
※サクソンの名の由来はサカとキンブリの組み合わせ

■AD3世紀 サクソン人 インドからゲルマニアに移住

■AD3世紀 多氏 中臣氏、蘇我氏の台頭を機に、ジャワ島移住を計画(大和人の大航海時代)

■AD3世紀 大和人 ジャワ島でカリマンタン島のキンブリ人、満州から来たイェマックと合流

■AD3世紀 キンブリ人C イエマックに出会って満州を知った一部が、ジャワ島から満州に移住

■AD3世紀 大和人 ジャワ島を出発し、太平洋を横断、ユカタン半島に移住(残留者:キンブリ人A、久米氏、加賀氏、吉備氏)

■AD3世紀 キンブリ人A クメール人と連合、王朝を開く(カーン王朝カラクムル)
※カーンの名の由来はキンブリ

■AD3世紀 キンブリ人A 一部がティカルに進出(カウィール姓)
※カウィールの名の由来はキンブリ

■AD4世紀 マヤ人 ティオティワカンの侵攻を機に、東方移住を計画(マヤ人の大航海時代)

■AD4世紀 マヤ人 ユカタン半島からブリテン島、先発隊の土地デヴォンに移住(残留者:マヤ人、加賀氏、久米氏、吉備氏、キンブリ人A、ポラン族、ルス人)

■AD4世紀 キンブリ人A 現デヴォンから西方に移住(コーンウォール)
※コーンウォールの名の由来はキンブリ、或いはカウィール

■AD4世紀 コーンウォール人 コーンウォールからリンカンシャーに移住(クロムウェル姓)
※クロムウェルの名の由来はコーンウォール

■AD4世紀 コーンウォール人 コーンウォールからバッキンガムシャーに移住(キンボール姓)
※キンボールの名の由来はキンブリ

■AD4世紀 キンブリ人C モンゴルで、フェニキア人の軍事集団「鮮卑」に参加(乞伏部)
※キフの名の由来はキンブリ

■AD307年 カウィール姓 シヤジ・チャン・カウィール1世、ティカル王に即位

■AD385年 乞伏部 烈祖宣烈王、勇士城に遷都して独立(西秦)

■AD388年 乞伏部 高祖武元王、第2代西秦国王に即位

■AD411年 カウィール姓 シヤジ・チャン・カウィール2世、ティカル王に即位

■AD412年 乞伏部 太祖文昭王、第3代西秦国王に即位

■AD428年 乞伏部 後主、第4代西秦国王に即位

■AD431年 乞伏部 夏が西秦都城南安を攻撃、後主は降伏するが間も無く殺害(西秦滅亡)

■AD519年 サクソン人 セルディック、初代ウェセックス王に即位(ウェセックス王国)

■AD520年 キンブリ人A トィーン・カップ・ヒシュ、カーン王朝カラクムル王に即位
※カップの名の由来はキンブリ

■AD537年 カウィール姓 ワク・チャン・カウィール、ティカル王に即位

■AD561年 キンブリ人A 空を見る者(他称)、カーン王朝カラクムル王に即位

■AD619年 キンブリ人A ユクノーム・ティ・チャン、カーン王朝カラクムル王に即位
※チャンの名の由来はカーン

■AD622年 加賀氏 タホーム・ウカッブ・カック、カーン王朝カラクムル王に即位
※カックの名の由来は加賀、クック姓の由来でもある

■AD636年 キンブリ人A ユクノーム・チェン2世、カーン王朝カラクムル王に即位

■AD63?年 キンブリ人A ユクノーム・チェン2世、新興国ドス・ピラスを支援してティカルを牽制

■AD682年 カウィール姓 ハサウ・チャン・カウィール1世、ティカル王に即位

■AD686年 加賀氏 ユクノーム・イチャック・カック、カーン王朝カラクムル

■AD688年 サクソン人 アイネ、第15代ウェセックス王に即位

■AD695年 加賀氏 ユクノーム・イチャック・カック、復興したティカル王ハサウ・チャン・カウィール1世に敗北、以後衰退

■AD702年 カウィール姓 ユクノーム・トゥク・カウィール、カーン王朝カラクムル王に即位

■AD734年 カウィール姓 イキン・チャン・カウィール、ティカル王に即位

■AD771年 カウィール姓 ボロン・カウィール、カーン王朝カラクムル王に即位

■AD802年 サクソン人 エクバート、第21代ウェセックス王に即位

■AD849年 キンブリ人A チャン・ペト、カーン王朝カラクムル王に即位

■AD849年 カウィール姓 ジュエル・カウィール、ティカル王に即位

■AD869年 カウィール姓 ハサウ・チャン・カウィール2世、ティカル王に即位

■AD871年 サクソン人 アルフレッド大王、第26代ウェセックス王に即位

■AD9世紀 カウィール姓 トルテカ戦士の勢力台頭を機にマヤからアイルランドに移住(QUILL姓)
※クイルの名の由来はカウィール

■AD924年 サクソン人 エゼルスタン、第29代ウェセックス王に即位

■AD927年 サクソン人 エゼルスタン、デーンローを奪還してイングランドを統一(イングランド王国)

■AD1016年 サクソン人 エドマンド2世、第9代イングランド王に即位

■AD1016年 サクソン人 エドマンド2世、クヌート大王率いるデンマーク軍の侵攻に立ち向かったが戦死(ウェセックス朝消滅)

■AD1016年 サクソン人 クヌード帝国の成立を機に、イングランドからキプチャク草原に移住(キプチャク人)
※キプチャクの名の由来はキンブリとサカの組み合わせ

■AD1236年 キプチャク人 総司令官バトゥの大遠征軍の前に滅びる(カルカ河畔の戦い)

■AD1236年 キプチャク人 4万戸のキプチャクがハンガリーに逃亡(クン人)
※クンの名の由来はキンブリ

■AD1485年 クロムウェル姓 トーマス・クロムウェル生誕

■AD1514年 クロムウェル姓 トーマス・クロムウェル、イングランドに帰国し、トマス・ウルジー枢機卿に仕える

■AD1529年 クロムウェル姓 トーマス・クロムウェル、ヘンリー8世に評価されて騎士の称号を得る

■AD1532年 クロムウェル姓 トーマス・クロムウェル、王室財宝部長官、大蔵大臣、国王秘書、総監督代理と毎年出世する

■AD1534年 クロムウェル姓 トーマス・クロムウェル、ヘンリー8世が信仰の擁護者として国教会の長に(首長令)

■AD1540年 クロムウェル姓 トーマス・クロムウェル、陰謀にかかり処刑される

■AD1599年 クロムウェル姓 オリバー・クロムウェル生誕

■AD1645年 クロムウェル姓 オリバー・クロムウェル、マーストンムーアの戦いを機に軍隊の編成改革を行う(ニューモデル・アーミー)

■AD1649年 クロムウェル姓 オリバー・クロムウェル、48年にチャールズ1世を処刑(イングランド共和国)

■AD1649年 クロムウェル姓 オリバー・クロムウェル、ダブリンに上陸、各地で虐殺を行う(アイルランド侵略)

■AD1651年 クロムウェル姓 オリバー・クロムウェル、ウスターの戦いでチャールズ2世率いるスコットランド軍を撃破

■AD1653年 クロムウェル姓 オリバー・クロムウェル、議会を解散して終身護国卿に就任

■AD1655年 クロムウェル姓 オリバー・クロムウェル、全国を11軍区に分けて軍政長官を派遣、軍事的独裁を行った

■AD1845年 キンボール姓 フランシス・H・キンボール生誕、後に建築家に

■AD1891年 キンボール姓 フランシス・H・キンボール、リーディング・ターミナル・ヘッドハウスをNYに建設

■AD1895年 キンボール姓 フランシス・H・キンボール、エンパイア・ビルをNYに建設

■AD1973年 キンボール姓 スペンサー・W・キンボール、モルモン教団第12代大管長に就任













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